『貴方達の魅力で長曾我部を籠絡してきなさい。所詮は奴も性欲に飢える男、女には絶対に弱い筈よ』
呉に住んでいる、大陸に知らぬ者は無いと言われる程の美少女姉妹――大喬と小喬。
自分達が仕える主である周喩本人からの頼みによって、2人は幽州に留まった。
全ては周喩の策を成功させる為、元親を自分達の魅力で骨抜きにするのが目的なのだ。
自分達が成功した後の事は聞いてないが、きっと重要な位置に居るのだろうと考えた。
(早く成功させて、呉に戻りたいなぁ……)
(ちゃっちゃとやっちゃおう。男の相手なんかきっと簡単だわ)
当初2人は元親を骨抜きにするなど、すぐに成功するだろうと思った。
本音を言えば自分達は男の相手などした事は無いのだが、周喩の言葉を聞いた限りでは簡単だと思っていた。
だがしかし、その考えはとてつもなく甘かった。
日が1日、2日と経つに連れ、それを思い知らされてしまうのである。
例えば元親にご飯を食べさせてあげようとすると――
「おいおい、ガキじゃねえんだから1人で食えるって」
「ご主人様も仰っている。2人共、下がりなさい」
「御両人、そういう抜け駆けはよくないぞ」
元親にやんわりと断られ、武将達の鋭い視線によって阻止されてしまった。
更に元親が風呂に入る際、背中を流しますと言っても――
「そんな気遣いはいらねえって。気持ちだけ貰っておくぜ」
「…………恋が一緒に入って、ご主人様の背中流す」
「お前も抜け駆けは止めろ」
「……水簾、邪魔」
元親に頭を撫でられながら断られ、武将達の素早い行動によって阻止されてしまう。
一部の策士な武将がドサクサに紛れて一緒に入ろうとしたが、全て阻止された。
更に更に、身体を温めてあげたいので就寝の際には添い寝しますと言っても――
「冗談言ってねえで、姉妹仲良く部屋で一緒に寝ろよ」
「お兄ちゃ〜ん! 鈴々がお兄ちゃんと一緒に寝てあげるのだぁ」
「ズリィぞ張飛! 兄ちゃん、僕も一緒に寝る!」
「鈴々! ご主人様を困らせるな!」
「「季衣、我が儘を言うな!」」
元親には冗談と取られて断られ、武将達の殺意の籠った視線によってまたも阻止された。
更に再びドサクサに紛れて行動に出ようとした者達が居たが(主に小さな武将達)各々の保護者的存在によって連れ戻された。
そんなこんなで大喬と小喬は予想以上に苦戦していた。
周囲の武将達の存在もあるだろうが、それ以上に元親の鈍感さが凄いのである。
――まあ2人はまだ“長曾我部元親”と言う男をよく知らないので仕方がないが。
「あ〜〜〜ッ! もう! 何なのよ、あの男は!!」
自分達に割り当てられた部屋の中で、小喬が叫びながら机を思い切り叩いた。
その音に怯えて若干身体を震わせながらも、大喬が宥めようと声を掛ける。
「しょ、小喬ちゃん、少し落ち着いて……」
「これが落ち着いていられる? このままじゃ冥琳様の元へ戻れないわ!」
自分達がここに滞在して既に5日が経とうとしている。
隠せない憤りに思わず“冥琳”と、周喩の真名を小喬が叫んだ。
2人は主従関係上、彼女から真名を教えられているのである。
「き、きっと機会はまだまだあるよ。落ち着いて、それを待とうよ」
「もう……お姉ちゃんは暢気と言うか、何と言うか……」
少しも焦る素振りを見せない姉に、小喬は頭を抱える。
事態の深刻さを理解しているのだろうか。
「機会は待つ物じゃなくて、自分で掴む物なの。だから私達が行動しないと駄目なのよ」
「ええ……! で、でも……どうするの?」
「ふふん、大丈夫。私に物凄く良い考えがあるわ」
小喬が胸を張り、自信満々に答える。
それからすぐさま耳打ちをし、自分が考えた策の内容を伝えた。
策の内容を聞くに連れ、大喬の顔が徐々に赤く染まっていく。
聞き終る頃にはまるでのぼせたように真っ赤になっていた。
「これならいけるわ! 明日こそ、長曾我部が私達に骨抜きにされる日よ!」
「だ、大丈夫かな……? 何だかとっても不安な気がする……」
自身が立てた策を実行する明日に向けて意気込む小喬に対し、内心不安いっぱいの大喬。
賑やかな声が響く彼女達の部屋の前を通り掛かる兵士達が、挙って振り返ったのは言うまでもない。
◆
場所は変わって元親の部屋――いつもなら彼は仕事をしている時間だが、今日は違った。
部屋に居るのは彼の他に華琳達魏の武将達、そして糜竺と糜芳の姉妹である。
元親は仕事をそっちのけに、華琳が暇潰しにと持ってきた将棋に熱中していた(以前に遊んだ物を元親が彼女にあげたのだ)。
愛紗や朱里、桜花が見たら怒髪天物なのだが、彼女達はちょっとした用事で今は居ない。
後を頼まれた糜竺と糜芳だったが、元親と華琳がやっている将棋に興味津々で本来の目的を忘れていた。
「…………ねえ、気付いてる?」
華琳が駒を動かした後、元親に静かに語り掛ける。
「…………何が?」
対する元親は盤上を睨みつつ、返事を返した。
どうやら彼は劣性、圧倒的に負けているらしい。
「あの可愛らしい小さな2人、大喬と小喬の事よ」
「……あの仲良い2人がどうかしたのか?」
元親の言葉に華琳が呆気に取られたような表情を浮かべる。
「貴方……もしかして気付いてないの?」
頭を抱えつつ、華琳は元親にそう訊いた。
すると元親は深い溜め息を吐いた後、口を開く。
「あいつ等が呉の間者かもしれねえって事だろ? とっくに気付いてる」
華琳は一瞬驚きに眼を見開いたが、すぐに微笑を浮かべて消した。
「そう……気付いてないと思って、本気で貴方の感性を心配したわ」
「あんなあからさまに俺に付きまとってくるんだぞ? 気付かない方がどうかしてる」
「そうね。そしてそのせいで、貴方が愛紗達にエラい説教を受けてるものね」
「それを言うな……。何で怒ってるのか知らねえが、あいつ等ホントにおっかねえんだから……」
その時の光景を思い出したのか、元親は思わず身体を震わせてしまった。
そんな少し情けない彼の様子を見た華琳は、聞こえないように「鈍感……」と吹く。
それと同時に春蘭達も同じような意味の言葉を吹いていた事を元親と華琳は知らない。
「まあ、何で俺に付きまとってくるのかは知らねえが、靡いたりしねえから安心しろ」
元親が華琳と話しつつも、ようやく動かす駒を決めたのか、そう言いながら動かした。
華琳は鼻でそれを一蹴し、駒を手に取る。
「…………別に靡く心配なんかしてないわ。貴方にそんな心配するだけ損だもの」
「えれぇ言われようだな。相変わらずツレねえこって」
ヘラヘラと笑う元親を、華琳は駒を手に持ちながら睨み付けた。
「うるさいわよ……王手!」
そう怒鳴るように“王手”宣言をする。
瞬間、元親が石のように固まった。
「げっ……! やられた!」
「さあ、逃げ道はあるかしら?」
「ぐうっ……」
無駄な努力かもしれないが、元親は懸命に王将が逃げれる道を探す。
しかし何処も華琳が巧みに配置した駒によって塞がれており、逃げる道は無かった。
最早退路は無い――何処かで誰かが言った気がした。将棋の場合、それで終了だが。
「これで0勝30敗か。自分の国の物なのに元親って弱いわね」
「あはははは! 兄ちゃん弱いなぁ」
「うるせえぞ、桂花に季衣! 弱いって言うな!」
しっかりと自分の敗北の記録を数えられている事に元親は歯軋りをして悔しがった。
そして自分の正面に居る、勝ち誇った笑みを浮かべた華琳の姿も元親の悔しさを倍増させる。
「もうちょっと修行しなさいな。マシになったら相手してあげるわ」
「は、腹立つなその余裕……!」
そう言いつつ、華琳は元親から貰った将棋盤と駒を本人に差し出す。
「くぅ〜……」と声を洩らしながら、元親は渋々それを受け取った。
「悔しいぜ……1回でも良いから、自分の得意な物で負かしてやりたい」
「あら? 兆戦ならいつでも受けて立つわよ。例え初めてやる事だとしても、この曹孟徳に掛かれば、一瞬でそれが得意な物に変わるけどね」
「流石は華琳様。才色兼備の字が相応しい御方!」
春蘭の褒め言葉を素直に受け取り「ありがとう」と礼を言う華琳。
少しおかしい気がしないでも無いが、ここはあえて気にしないでおこう。
「まあでも、元親殿も健闘した方ですよ。以前と比べれば、勝負の時間が僅かに長引いていましたし」
「そうですよご主人様。私達はあまりよく分からなかったですけど、ご主人様は頑張っていました」
「夏候淵様と姉さんの言う通りです。元気出して下さい、ご主人様」
3人から激励を受け、少し感動する元親。
単なる遊びに過ぎない将棋だが、ここまで言われると嫌でもやる気が出てきた。
「よっし! なら勝てるように戦法を考えなくちゃいけねえ」
「…………随分と楽しそうですね」
「そりゃそうだ。仕事よりかは将棋の方が…………!?」
突如聞こえてきた――地の底から響いているような――声に元親が再び石のように固まる。
そしてゆっくりと扉の方へ首を向けると、そこには――
「げっ! 愛紗に朱里! 桜……伯珪も!」
用事が済んで戻って来たらしい、愛紗、朱里、桜花が立っていた。
表情は笑顔なのだが、身体中から黒い覇気が出ていて迫力が増していた。
「仕事をサボッて随分と楽しそうだなぁ元親」
「糜竺さんと糜芳さん……ご主人様の事を頼んだ筈ですよねぇ?」
「じっくりと我々が納得出来る言い分を聞かせてもらいましょうか?」
桜花、朱里、愛紗と連続して告げられた死刑宣告。
元親は焦り、糜竺は身体を震わし、糜芳は涙を流す。
一方の華琳達は巻き込まれるのは御免と、窓から脱出していた。
「元親……華琳様には将棋で負け、関羽達には迫力で負けると」
桂花は脱出時にしっかりとこのことも記録していた。
意外にも彼女、この手のことはマメに記録する質らしい。
その後の元親の部屋からは日が暮れるまで悲痛な声が聞こえたと言う――
◆
早朝――日が昇り、気持ち良く就寝する者達に1日の始まりを告げる。
日の光が街々に射し始めた頃、屋敷の中で動く小さな人影が2つあった。
「しょ、小喬ちゃん速いよ……! 待ってよ〜〜〜!」
「もう! お姉ちゃんが遅すぎるんだよ!」
人影の正体は言わずもがな、大喬と小喬である。
2人が向かっているのは元親の部屋、小喬が立てた策を実行しようとしていた。
その策とは――早朝から2人掛かりでの奉仕活動である。
寝惚けている状態の元親なら正常な判断が出来ず、絶対に私達の魅力に堕ちていく。
小喬はそう確信していた。大喬はそう上手くいかないのでは? と思っていたりする。
「着いたよ、お姉ちゃん」
「うう……何だか緊張するよ」
目的の部屋へ辿り着き、2人の間に変な緊張感が漂う。
2回程深く深呼吸した後、小喬が扉に手を掛けようとした。
その時――
「ふあ〜〜〜……さてと、朝釣りに出掛けるとするか」
「「――――ッ!?」」
豪快な欠伸と共に扉が開き、中から元親が釣り道具一式を持って現れた。
あまりの出来事に2人は固まり、その姿を元親の前に晒す。
「ん? 何やってんだお前等。こんな朝っぱらから」
「い、いえ……その……」
「ちょ、ちょ、長曾我部様こそ、何をしてるんですかぁ?」
小喬が若干頬を引くつかせつつ、そう問い掛ける。
「俺はこれから……そうだ、お前等も一緒に来るか?」
「へっ……? 何処に行くんですか?」
「近くの森にある川へ、釣りに行くんだよ」
屈託の無い笑顔を浮かべる元親に対し、大喬と小喬は思わず呆然とする。
その後、無理矢理と言っても良い位に2人は強引に元親へ連行されていった。
◆
「ほら、お前等も一緒に釣りしようぜ」
川に付いた元親は強引に連れてきた大喬と小喬に予備の釣竿を渡し、適当な岩に座った。
針の先に来る際に捕まえておいた新鮮なミミズを引っ掛け、川に向けて釣り糸を垂らした。
大喬と小喬は今の状況に混乱しつつも、元親のやっていた事を真似しながら川に釣り糸を垂らす。
「私達……一体何をやってんだろうね。お姉ちゃん」
「多分深くは考えちゃいけないんだよ。小喬ちゃん」
乾いた笑いを零しながら、大喬と小喬は自分達が情けなく思えてしょうがなかった。
今まで立ててきた策は尽く潰され、元親に良いように振り回され――本気で泣きたくなってくる。
「おいおい、暗いなぁお前等。寄って来る魚が逃げちまうぞ」
誰のお陰でこうなったと思ってんのよと内心で吹きつつ、大喬と小喬は釣り糸を見つめた。
見ると魚がエサに食い付きそうな感じはするのだが、後一歩のところで食い付かないのだ。
元親の言う通り、自分達が無意識に垂れ流している暗い雰囲気のせいなのだろうか。
「魚は敏感だからな。釣る奴が苛々したりしてると、すぐに逃げちまう」
「そうなんですか? 私達はやった事が無いから分からないんですが……」
「そうなんだよ。天界の海で散々魚を獲ってきた俺が言うんだ、間違いねえ」
「……毎朝、ここで魚を釣ってるんですか?」
「毎朝じゃねえな。たまにだ、たまに」
そう言う元親の竿が揺れ、魚が掛かった事を告げた。
元親は瞬時に竿を勢いよく引っ張り、掛かった魚を地上に上げる。
見た目は細身だが、焼けばかなり美味しそうな魚だった。
「先ずは1匹目と。海より全然楽勝だぜ」
「「ほえ〜〜〜…………」」
軽々と釣り上げる元親を、大喬と小喬は感心したような声を上げた。
しかしすぐに自分達の醜態に気付き、首を勢いよく横に揺らして正気を取り戻す。
元親はすぐさまミミズを付け直し、川に釣り糸を垂らしながら2人に問い掛けた。
「そういやぁ理由を聞いてなかったな。どうしてお前等、こんな朝っぱらから俺の部屋の前に居たんだ?」
「「…………」」
2人は気まずそうに押し黙った。
まさか朝から不意打ちで奉仕をするつもりでしたとは言えない。
どう言おうか迷っていると、元親が続けて口を開いた。
「俺に何かしようとしてた、とかか? 誰かさんの命令で」
「「――――ッ!?」」
2人は金槌で頭を殴られたような衝撃を受け、思わず釣竿を川に落としそうになってしまった。
慌てて平常心を装うとするも、ニヤニヤしながら自分達を見ている元親を見て観念した。
完璧に見抜かれている、バレていると――
「……私達をどうする気?」
小喬が震えながら口を開く。
すると元親は呆気らかんとした声で答えた。
「別にどうもしねえけど」
「嘘!! 私達を拷問して、私達に命令した人を吐かせる気でしょ!?」
釣竿を投げ捨て、小喬が感情のままに怒鳴る。
大喬が釣竿を置き、小喬を止めに入るが、彼女は収まらなかった。
「やるならやりなさいよ! けれど私達は絶対に吐かないからね!」
「だから別に何もしねえって言ってんじゃねえか。お前等に命令した奴なんざ、見当は大体付いてる」
刹那、2人が固まる。
まさかそこまで知られているのかと。
「それにお前等の狙い……と言うか、命令した奴の狙いは俺だろ? だからお前等には何もしねえんだ」
「…………どう言う事ですか?」
「だって俺が狙いなんだから、お前達は他の奴等には手は出さねえんだろ? それだけで俺にとっちゃ充分安心だからな」
鼻歌を歌いつつ、釣りを続ける元親。
まるで最初から自分達は敵としてあまり認識されていないみたいである。
大喬と小喬はまるで自分達が元親の掌で踊られているような感じさえした。
「随分と余裕じゃない。もし私達があんた以外の奴も狙ったらどうすんの?」
「それはありえねえな。それだと今までお前等がおれにしつこく付きまとった理由がねえ」
「うっ…………で、でも私達に命令した人がやれって言ったかもしれないじゃない!」
「随分と余裕ある命令をすんだな。俺的にはそいつは焦ったりしてると思ってたんだが」
小喬は後ろで焦っている姉を気にも留めず、痺れを切らしたかのように声を荒げた。
「あーもう! 面倒くさいわね!! あんたの弱点を教えなさい! そうすれば万事解決なのよ!!」
「しょ、小喬ちゃん……それはいくら何でも大胆過ぎるよ……」
大喬が呆れたような声を出す。
しかし反対に元親は大笑いしていた。
そんな彼の様子に2人は暫く呆然とする。
「確かに大喬の言う通りだ。大胆過ぎて思わず俺も答えそうになっちまったぜ」
「な、何よ……馬鹿にしてんの!」
「してねえさ。けど、俺の弱点なんざ言うまでもねえ事だぞ」
元親の言葉を聞き、2人は思わず首を傾げる。
彼の言葉の真意がよく理解出来ていないようだ。
「俺の弱点はな、お前等は何回も見てる。それどころかお前等の近くに居たりする」
「「えっ……えっ……?」」
元親は釣竿を岩に引っ掛け、小喬が投げ捨てた釣竿を拾った。
そして再び小喬にそれを投げ渡す。
「理解出来ないんなら、理解出来るまでここで暮らすこった。そうすりゃ分かる筈だ。まあ、暮らす時間はお前等が理解出来るまでによるけどな」
首を傾げたままの2人を一瞥し、元親は川へ視線を戻す。
また魚が掛かったらしい、竿が震えている。
(さて、命令した奴――周喩に俺の弱点を報告出来るか?)
元親が魚をまた釣り上げる。
今度は1匹目よりも大きかった。
(俺の弱点……愛紗達や野郎共、家族だって事をよ)
元親は素早くエサを付け、釣り糸を川に垂らした。
今日は大量に釣れそうな予感がした――