(さて、どうしてやろうかしら……)

孫尚香は草むらに隠れつつ、眼の前に居る男――元親の背を見ながら思っていた。
実姉を誑かしている男の本心を明らかにする為にはどうすれば良いのだろうかと。

(シャオとしてはもうこれだけで実刑なんだけど……)

3人の美女に囲まれてデレデレし、川では小さい美少女達を侍らしている――
孫尚香からしてみれば、これだけで長曾我部と言う男はロクでもないと思った。
それに彼の周りに居るのは有名な猛将達であり、更に川の方には大喬や小喬の姿もある。
和平の為に贈られたと言う事は聞いたが、まさか餌食になっているとは思わなかった。

(長曾我部元親……恐ろしい男だわ。何としても厭らしい本心を明らかにしてやる!)

孫尚香は近くにあった――掌より少しだけ小さい――石を掴んだ。
先ずは手始めに“幽州の鬼”と言われる程の実力があるかどうかを探ってやる事にした。
大抵そんな噂は人々に語り継がれる間で、小さい物から次第に大きくなっていく物だ。
魏との戦では鬼神の如き活躍をしたと言われているが、孫尚香にとってそれすら疑わしい。

(どうせ、あいつに仕えてる優秀な武将が活躍したに決まってるわ!)

孫尚香は掌で石を遊ばせながら、そう決め付けていた。
姉や周喩を想っている為か、彼女の中で元親はかなりの格下らしい。
そんな時――元親に後ろから抱き付いていた女性がゆっくりと離れた。
やるなら今しかない。

(さあ、情けない姿をシャオに晒しなさい!!)

孫尚香は心の中でそう叫びながら、石を元親の後頭部目掛けて投げ付けた。
投げられた石は正確に、そして吸い込まれるように元親の後頭部に向かっていく。
しかし――

「…………ふっ!」

石は元親の後頭部に当たらず、彼の左に座っていた秋蘭によって受け止められた。
止められた石は秋蘭が咄嗟に差し出した右掌によって、玩具で遊ぶように転がされている。

「何者だ! そこに居るのだろう!」
(不味ッ……! 気付かれたての!)

孫尚香が隠れている草むらに向けて秋蘭が怒声を放った。
彼女に続き、紫苑や霞も元親が襲われた事に気付いたらしい。

「ウチ等が居る時にチカちゃんを襲うなんて良い度胸しとるなぁ」
「出てきなさい。大人しく出て来てくれれば、悪いようにはしないわ」

秋蘭が見つめている草むらに向け、低く静かに言い放った。
2人は微笑を浮かべてはいるが、身体中からはドス黒い覇気を発していた。
これでは言葉通り大人しく出てきても、かなり酷い事をされそうである。

「な、何だ? お前等どうしたんだ?」

一方の元親は自分が何をされたのかは分かっておらず、1人だけ困惑していた。
気付いてみれば3人が何故か怒っていた――元親からすればそんな感じだろう。

「どうしたのだ? お兄ちゃん達」
「何かあったの?」

そしてここの騒ぎに気付いたらしく、川で遊んでいた皆がこちらに集まってきた。

(まさか気付かれているなんて油断したわ……ど、どうしよう)

そもそも石を投げれば、投げた誰かが居る事ぐらい分かる筈である。
更に元親の傍に居るのは有名な猛将だ。そんなことはすぐに気付く。
孫尚香――感情に走り過ぎて最も根本的な事を忘れていた。

「出てこなければこちらから行くぞ!」
「そん時はちょいと乱暴になるかもしれんけど、勘弁してや」

秋蘭と霞が警戒しつつ、ゆっくりと草むらに近づく。
近づいてくる猛将2人に対し、孫尚香は内心激しく動揺していた。
これから何をされるのか、考えただけでも寒気がしてしまう。

(こ、こうなったら一目散に逃げるしか――)
「おい! 何だか訳が分からねえが、秋蘭も霞もちょっと待て!」

孫尚香が逃げる算段を立てた時、今まで黙っていた元親の声が響き渡った。
草むらに近づいていた秋蘭と霞は元親にそう言われ、遠ざかっていく。
2人が下がるのを見た後、元親は座っていた石からゆっくりと立ち上がった。

「おい! そこに誰が居るのか知らねえが、隠れてんなら出てこい!」
(な、何…………?)
「悪いようにはしねえ……と言うか、何もしねえから出てこい!」

孫尚香に判断の時が徐々に迫る。
言うことを聞いて大人しく姿を現すか、無視して一目散に逃げるか――
一呼吸、二呼吸と間を置いた後、彼女は身体を震わせながら決断した。

「…………」

身を隠していた草むらからゆっくりと出ていく孫尚香。
彼女が姿を現すと、大喬と小喬の表情が驚愕に歪んだ。

「「そ、孫尚香様!?」」

2人がそう叫び、周囲の視線が彼女達と孫尚香に向けられる。
当の孫尚香は顔を俯かせたまま、一切動かなかった。

「そ、そんしょうこう? お前等知ってるのか?」
「「あ、いや……その……」」

元親が大喬と小喬に問い掛ける。
その問い掛けに対し、変わりに秋蘭と紫苑が答えた。

「元親殿、呉王である孫権殿の妹君ですよ」
「言うなれば呉のお姫様ですね。彼女は」
「…………ハァ?」

思わぬ答えに元親の表情が呆れ顔になる。
穏やかだったこの場に何とも微妙な空気が流れた――

 

 

 

 

「まさか和平を結んだご主人様を襲うとは……何と言う姫様だ」

愛紗が溜め息と共に吹いた。
この場に同席している各々の武将達も呆れ顔である。

あの後、元親一行は孫尚香を連れて川から屋敷へと戻った。
出迎えてくれた愛紗に事情を話し、すぐさま謁見の間に向かった。
どうして元親を襲ったのか、彼女に理由を問いただす為である。
――元親自身、襲われたと言う自覚が無いので何とも言えないが。

また、話を聞き付けた他の武将も護衛役として謁見の間に次々と入った。
元親の周囲、そして孫尚香の周囲は警戒心を露わにする武将で囲まれている。
面子が集まったところで元親、愛紗、紫苑と、孫尚香に事情を訊いてみるが、一切答えてくれなかった。

「孫尚香殿、今1度訊く。どうして我等が主を襲った?」
「…………」

元親達に変わって星がそう問い掛けるが、孫尚香は視線を逸らしたまま答えない。
やれやれと星が溜め息を吐き、彼女からゆっくりと離れる。

「おい嬢ちゃん。何か言ってくれねえか?」
「…………」

脱いでいた上着を着込んだ元親もやんわりと訊くが、孫尚香は答えない。
そんな態度が癇に障ったらしく、翠が彼女を睨みながら言った。

「おい! 何とか言えよ! 黙ったままじゃ分からないだろ!」
「ふん……! あんた達に答えてやる義理なんか無いわ」

刹那、翠の中の何かが切れた。

「この……ッ! こっちが下手に出てりゃ……!!」

孫尚香に詰め寄る様は、今にも掴み掛かろうとする勢いだ。
激怒する彼女を桜花がすぐさま羽交い締めにして止める

「止めろ翠! お前が怒ったってしょうがないだろ!」
「だけど伯珪! いくらこの娘が呉の姫様だからって……!」
「それでも落ち着け! お前が怒っても何も解決しない」

桜花にそう論された翠は悔しそうな表情を浮かべつつ、壁にもたれ掛かった。
様子を見ていた元親が深い溜め息を吐いた後、孫尚香の前へと向かう。

「おい、嬢ちゃん」
「…………」

元親は彼女の顎に手を伸ばし、逸らす視線を無理矢理に向けさせた。
そんな彼の行動に驚いたらしく、孫尚香の瞳に少しの動揺が広がる。

「人の話を聞く時はちゃんと眼を見て聞くもんだぜ? なっ?」

屈託の無い笑みを浮かべ、元親はそう言った。
孫尚香は驚きつつも、冷静を保とうとする。

「な、何よ。何なのよ……」
「俺に用があったからここに来たんだろ? 用件は何だ?」
「べ、別に何も無いわ……! 全部あんたの想像でしょ?」
「おいおいそりゃねえだろ。何も無いからって襲われたんじゃ堪らねえよ」

元親は孫尚香の瞳をジッと見つめた。
視線を一切逸らさず、彼女の瞳を見続けた。

(な、何でそんなに見てくるのよ〜〜〜ッ!)

孫尚香は心の中でそう叫ぶが、元親はこちらを見るのを止めてくれない。
更には周囲の武将達が「早く言え」と、威圧感を出している気さえする。
こんなにも居心地が悪くなる経験は初めてだった。

「何か用件があったんだろ? 言ってくれや」
「…………くッ!」

孫尚香は唇を少し噛んだ後、自分を見つめる元親を睨みつける。
そしてゆっくりと口を開いた。

「あんたのせいよ……ッ!」
「俺のせい……?」
「そうよ! 全部あんたが悪いの!」

孫尚香は怒りの感情のまま、元親に話した。
孫権と周喩の不仲、屋敷の居心地の悪さ、時々ある言い争い、自分がここに来た理由――

「お姉ちゃんがあんたとの和平を考えなければ……そもそもあんたがお姉ちゃんを誑かさなければ……こんな事にはならなかったのよ!」

和平を結ぶ前から2人の仲は悪かったが、和平を結んでからは更に悪くなったらしい。
現在の呉の事情をまるで知らなかった元親はバツが悪そうな表情を浮かべた。
孫権と周喩の不仲は以前から知っていたが、そこまで発展していると思わなかったのだ。

「全部あんたが悪いんだからね……責任取りなさいよ!!」

今まで孫尚香の話を聞いていた愛紗達だったが、流石に耐えきれなくなったらしい。
彼女の言い分に対し、愛紗達が激しく反論した。

「孫尚香殿! 勝手な言い分が過ぎます! 逆恨みも甚だしい限りだ!」
「そうなのだ! お兄ちゃんは1度も孫権お姉ちゃんを誑かしてないのだ!」
「ご主人様は決して、貴方の言っているような御方ではありません!」
「そもそも貴方の話は主観が入り過ぎている。ご主人様の本当の姿を貴方は見ていない」

愛紗、鈴々、朱里、水簾の怒気が入った反論に対し、孫尚香は少し怯んだ。
流石に猛将3人(朱里は入っていない)の怒気となると、かなりの物があるらしい。
しかしそんな事態を見兼ねた元親が愛紗達に無言の視線を向けて落ち着かせた。

「悪かったな。怖がらせちまって」
「べ、べ、別に怖がってなんかないわ。勘違いしないで」
(虚勢を張りやがって……しっかし呉がそんな事になってるとはなぁ)

そう思いながら元親は徐に頭を掻いた後、ゆっくりと孫尚香に向けて頭を下げた。
突然の彼の行動に愛紗達はおろか、孫尚香さえも驚愕の表情を浮かべた。

「ご、ご主人様! 何をなさっているんですか!?」
「黙ってろ愛紗。一応のけじめは付けとかなくちゃ、男じゃねえだろ」

頭を上げ、元親は再び孫尚香の瞳を見つめる。
孫尚香は不思議と何故か、その視線を逸らせなくなっていた。

「すまねえな。呉がそんな事になってるとは知らなかった。だから嬢ちゃんが言う通り、俺に責任があるのかもしれねえ」

孫尚香は黙って耳を傾けた。
元親の言葉を聞き洩らさないよう、しっかりと。

「だがこれだけは心に留めといてくれねえか? 俺は決してお前の姉ちゃんを誑かしちゃいねえ。それに姉ちゃんは大陸の平和を想い、無駄な犠牲は出したくないと思ったから、俺と和平を結んだんだ。自分の意思で決めたんだよ」

孫尚香がハッとした表情を浮かべる。

「だからこれが責任取る事になるかは分からねえが……今後は絶対に姉ちゃんを泣かせたりしねえし、お前にも辛い思いはさせねえ。それに周喩って奴とも近い日に話してみたい。どうして和平が気に食わねえのか、色々と訊いてみたいしな」

元親がぶっきらぼうに頭を掻く。
どうも言っている言葉が何処か照れくさいらしい。

「お前に辛い思いさせた俺を信じてくれるかは分からねえが……信じてくれるか?」
「…………」

孫尚香が元親の瞳をジッと見つめる。
個人的な怒りの感情は含めず、今までの偏見を含めず――
ただただ純粋な気持ちで、眼の前の男の心を知ろうとした。

そして――

「…………(コクッ)」

孫尚香は信じてみると言う想いを込めて、ゆっくりと頷いた。
彼女が頷き、元親は安堵の笑みを浮かべる。

「嬉しいぜ。ありがとな」
「ううん……私こそ御免なさい。感情に流されて、一方的に悪く言って……」

元親が首を横に振り、優しく孫尚香の肩を叩いた。

「構わねえさ。和平を結んで少しばかし浮かれてた俺にとっちゃ、良い薬だ」

苦笑し、そう言う元親。
そんな彼に対し、孫尚香は自分の胸がキュッと締まるのを感じた。

「ご主人様、お話は済みましたか?」

元親に言われ、黙っていた愛紗が口を開く。
元親は「ああ」と一言だけ言うと、孫尚香の前から離れた。

「さて、これから孫尚香の身柄をどうするかなんだが……」
「考えるまでもありません。呉の本国に身柄を帰すのが一番でしょう」
「ま、待って! それだけは止めて!!」

愛紗の言葉にすぐさま反応した孫尚香は慌ててそう言った。
まだ嫌な空気が漂っている屋敷に戻るのはどうしても気がすすまない。
出来るなら孫権と周喩の不仲が少し落ち着くまでここに居たいらしい。

「しかし孫尚香様、それはいくらなんでも……」
「孫権が心配するんじゃないか? あたしが姉なら連れ戻すけどね」
「うむ。嫌かもしれないが、ここは本国に1度戻った方が良いと私も思うな」

朱里、翠、星が次々に帰った方が良いと促す。
しかし孫尚香は頑なに戻ることを拒んだ。
余程と言うか、それぐらい屋敷には居たくないらしい。

「仕方ねえな。少しぐらいここに居させても良いんじゃねえか?」
「ご主人様! 今回ばかりは優しい顔は……」
「勿論孫権には文を送る。納得してくれるか分からねえが」
「しかし……!」

このまま平行線の話が続くよりかは良いと思ったのだろうか。
元親が反対する愛紗達を何とか説得する。

「但し条件は付けるぞ。もし文の返事が良かったらここに居させる」
「む…………もし反対だったら、すぐに呉に身柄を帰すのですね」
「ああ。お前も、愛紗達もそれで良いだろ?」

元親が愛紗達、孫尚香と視線を移す。
彼女達はゆっくりと頷き、孫尚香は安堵の溜め息と共に喜んだ。

「よし! じゃあ朱里、早速文を書いてくれねえか? 早く届けなくちゃいけねえ」
「は、はい……分かりました」

元親が朱里を連れて謁見の間を出て行く。
後に残った孫尚香の事は愛紗達に任せるらしい。
元親と朱里が出て行った後、残された愛紗達は深々と溜め息を吐いた。

「全く……ご主人様にも困ったものだ」
「優しい事は良い事なんだがなぁ……」
「お兄ちゃんは時々優し過ぎると思うのだ」

愛紗達が次々に不満を漏らす中、孫尚香は別の事を考えていた。

(長曾我部元親……彼って結婚してるのかな? 今度訊いてみようっと)

彼女が頭に浮かべる、とても場違いな考え。
彼女の胸に芽生えた想いはまた嵐を呼びそうである。




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