日が徐々に沈み、大陸中を漆黒の闇が覆い始める頃――
それを掻き消さんとばかりの巨大な灼熱の炎が孫権の屋敷を覆っていた。
その炎は自らを見つめる者達へ向け、多大な不安と絶望を絶え間なく与える。
燃え盛る屋敷を見守るのは元親の配下である武将達だ。
先に戻った愛紗達を加え、彼女達は主の帰還をひたすら待っていた。
「なあ……もうヤバイんじゃないか?」
「うん……いくらお兄ちゃんでも限界があるのだ」
外で屋敷の様子を見守り続けていた翠と鈴々が不安な面持ちでポツリと漏らす。
最初は黒い煙が各所から出ていただけなのに、気付けば何時の間にか大火災になっていた。
そして今はあちこちから何かが崩れる音が鳴り始め、屋敷の崩壊が近い事を常に自分達に報せてくる。
「ご主人様…………恋が助けに行く!」
「恋、それはアカン。お前も炎に飲まれてまう」
飛び出そうとするところを霞に止められる恋。
眼を潤ませ、彼女は自分を捕まえた霞を睨んだ。
「…………嫌だ! ご主人様を助ける!」
「ここは我慢するんや。チカちゃんを信じて……!」
「そうだ恋。我慢して元親を待つんだ……!」
桜花が言った言葉と同時に屋敷の上部が崩れ始めた。
耳を劈くような音と共に崩壊した屋敷の部分が地面へ次々と落ちる。
様子を見守る者全員が一斉に生唾を飲んだ。
「はわわ……! はわわ……! ご主人様……!」
「愛紗……最後にご主人様を見たのは何時だ?」
「王室から出る時だ。その時にはもうご主人様は毛利元就と戦い始めていた……」
拳を震わせ、水簾からの問い掛けに答える愛紗。
何も出来ずに待っているのが悔しいのか、彼女の表情は暗かった。
刹那、鈴々が思わず思ってしまった不安要素を口に出した。
「お兄ちゃん……あいつに負けちゃったって事は――」
「下らぬことを言うな! 鈴々!!」
鈴々の言葉に星が今にでも掴み掛からんばかりの勢いで一蹴する。
彼女の怒声に一瞬だけ身体を震わし、鈴々は静かに「ゴメン……」と謝った。
「主は必ず毛利元就に勝ち、我等の後に続くと言った。その言葉を信じるのだ」
「星ちゃんの言う通りね。今はご主人様の言葉を信じて、待ちましょう」
決意を固めた表情を浮かべ、屋敷を見守り続ける星と紫苑。
その姿に心打たれたのか、愛紗達は静かに頷いた。
「2人の言う通りだ。待とう、ご主人様が戻られるまで……!」
そんな中、愛紗の隣に居る孫権と小蓮は胸に手を当てて祈っていた。
助け出した周喩は今、甘寧と陸遜が付き添いで衛生兵に手当てをしてもらっている。
彼等の話によれば何とか命は助かるとの事だ。
――後は彼が帰るのを待つだけ。
――自分達を助ける為に残った彼が戻るのを待つだけだ。
孫権と小蓮は眼を瞑り、今は亡き姉の顔を想った。
(姉様……筋違いな願いだとは思います。けれど……どうか聞いて下さい!)
(大きいお姉ちゃん……シャオの一生のお願い、聞いて……!!)
刹那、孫権の眼から一筋の涙が零れた。
それは頬をゆっくりと伝い、地面に小さな水溜まりを作った。
(私に勇気をくれた……私達を助けてくれた……長曾我部をどうか、守って……!!)
(元親を助けてあげて……! もうシャオの大切な人が死んじゃうのは嫌なの……! だから助けてあげて……!!)
彼女達の願いに応えるように屋敷を覆う炎が高く昇り上がる。
それはまるで炎が天に呼び掛けるようだった――
◆
炎上する屋敷内――元就と袁紹の最後を見届けた後、元親は扉へ向けて走った。
元就との決戦で深く傷付いた身体に鞭打ち、無我夢中で懸命に走った。
しかし――彼の前に大きな絶望が立ちはだかったのである。
「クソッタレ……不味いな」
彼の眼の前にあるのは柱によって塞がれてしまった扉。
恐らく火災の影響で扉の周囲にあった柱が倒れたと言うところか。
あの状態では押して開ける事は出来ない。最低でも突き破るしかないだろう。
だが元親の身体には扉を突き破るだけの体力があまり残っていなかった。
戦いと熱さによる疲労、更に傷の痛みで体力の殆どを奪われてしまったのである。
「ちくしょうめ……諦めてたまるかよ! あいつ等が帰りを待ってんだ!!」
碇槍を地面に叩き付け、怒りを露わにする元親。
あまりの不甲斐無さに自分を殴り倒したくなってくる。
「せめて傷の痛みが軽くなりゃあな……!!」
元就に斬られた胸部の斬り傷の痛みが、今出来ている傷の中で一番酷い。
出血も未だに少しだけしている為、手当てをしないとそろそろ不味い事になる。
しかし今の状況を見ると、手当てをする前に炎で焼け死んでしまいそうだ。
「まあ……これ以上愚痴を零したところで時間の無駄か」
元親は胸の傷に手を当て、深く息を吸って吐いた。
そして――決意の表情を浮かべる。
「どうせボロボロの身体だ。少し強めに鞭を打っても大して変わらねえだろ」
そう言った後、元親はゆっくりと碇槍に乗った。
そのまま向かって倒れた柱を1つ1つ壊していたのでは時間が掛かる。
ならば碇槍で塞がれていない扉の部分に突撃し、一気に突き破るしかない。
「船体はボロボロ、天候は最悪、波も大荒れ……か」
元親はそうポツリと呟いた。
船体は――自分の身体。
天候は――屋敷を覆う炎。
波は――扉を塞ぐ柱の数々。
「だが……どんな状況でも海を渡り切るのが海賊だ!」
元親は燃え盛る扉を睨み据え、言い放った。
「鬼ヶ島の鬼を……海賊を……海の男をナメるんじゃねえぜ!!」
刹那、元親は自身が乗る碇槍を走らせた。
鎖を持ち、出来るだけ力が付くようにする。
「うおおおおおお!!」
雄叫びと共に元親の身体に激痛が走る。
その痛みに歯を食い縛り、必死に耐える元親。
鎖を持つ手に力を込めた、その時だった――
「――――ッ!!」
突然身体中を蝕む痛みが嘘のように消えた。
原因は分からない。本当に突然だった。
「…………へっ」
元親は無意識に微笑を浮かべる。
刹那、鎖を引いて碇槍を起こし、一気に宙へと飛び上がった。
燃え盛る柱を飛び越えたその姿はまるで波に乗ったようである。
突き破ろうとしている扉が眼の前に迫った――
◆
屋敷外――星と紫苑に論され、元親の帰還を待つ愛紗達。
その中には元親の身を心配してか、一般兵士達の姿も何人か居る。
彼等も彼等で自身等が“アニキ”と慕う彼の帰りを待っていた。
「ご主人様……」
愛紗がポツリと呟いた――その時だった。
「「「「――――ッ!?」」」」
何かを突き破る音が大きく響き、皆の視線が一斉に集まる。
音がした扉の方へと――
「あ、ああ……」
「おお……」
愛紗が口に手を当て、星が歓喜の声を漏らす。
扉を突き破り、宙に居たのは――元親だった。
「お兄ちゃあああん!!」
「ご主人様ぁ!!」
碇槍に乗り、いつもの気さくな笑顔を浮かべている元親。
彼が――ようやく無事に戻ってきた。
「「「「ヴァァァァァニィィィィィギャャャャャ(アニキィィィィィ)!!!」」」」
兵士達は涙と鼻水で何を言っているのか分からない。
だが彼の帰還を心から喜んでいる事は誰が見ても分かった。
皆の暗かった表情が一気に明るくなっていく。
だが――
「うおっ……!?」
元親が急に宙で体勢を崩し、乗っていた碇槍から身体が離れた。
そしてドサッと言う鈍い音と共に彼は地面へ不自然な体勢で着地した。
「「「「…………」」」」
戻ってきた事を喜んでいた一同の表情が一斉に呆然した物となる。
その後、いち早く正気を取り戻した愛紗が慌てて元親に駆け寄った。
「あ〜〜〜痛てて……格好悪ぃな、これは」
「ご、ご主人様ッ!? 御無事ですか!?」
「何とか大丈夫だ。あ〜〜〜死ぬかと思ったぁ」
愛紗が仰向けに倒れている元親の顔からすぐに身体へ視線を移す。
見ると酷い斬り傷が身体中の至る所にあり、所々から出血していた。
愛紗の顔が瞬時に青ざめ、元親を怒鳴る。
「こ、この傷の何処が大丈夫なんですか!?」
「いや……屋敷を飛び出す時には痛みが……」
「我慢をするのも大概にして下さい!! 私達が……どれだけ……心配したか……!」
涙眼をした愛紗に説教を受ける中、他の者達も続々と元親の元へと駆け寄ってきた。
そんな中、元親の身体を見た朱里が両腕をバタバタと動かして焦る。
「はわわわ!? た、大変!? 大変!?」
「落ち着いて朱里ちゃん。早く衛生兵を呼んできて」
「はわわ!? は、はいです!」
傍らに居た紫苑が焦る朱里を落ち着かせ、衛生兵を呼びに行かせた。
その様子を見ていた元親が溜め息を漏らしていると、星が頬に手を当ててきた。
「また随分と無茶をなされましたな。身体の傷が増えましたぞ、主」
「まあな。でも俺がこう言う男だって事、お前も他の奴等も知ってんだろ?」
「確かに……」
クックッと笑う星と、ゆっくりと頷く愛紗達。
すると霞が気付いたようにハッとし、元親へ問い掛ける。
「そう言えばチカちゃん……毛利とはケリを着けたん?」
「そうなのだ! 鈴々もそれが気になってたのだ」
霞と鈴々からの問い掛けに元親は微笑を浮かべる。
「ああ。ちゃんとケリは着けてきた。勝ったよ」
「本当か! スゲェよ、ご主人様!!」
「ああ、流石はご主人様だ」
「全く……お前は本当に無茶するよ」
鈴々達が賛美する中、愛紗が気に留めていたもう1人の事を元親に訊いた。
「ご主人様……袁紹は?」
「…………あいつか」
その問い掛けに元親は一呼吸だけ間を置いてから答えた。
「毛利に付き添ってやがったよ。恐らくは……」
元親が炎によって――限界を迎えたらしい――崩壊する屋敷を見つめる。
その行動が彼なりの精一杯の答えと悟り、愛紗は静かに頷いた。
他の者達も場の雰囲気を呼んだ、そんな時――
「元親ぁぁぁ!!」
「――――うげっ!?」
元気が溢れる声と共に元親の首元へ抱き付く小さい影。
傍に居た愛紗や星、霞が撥ね退けられ、追いやられた。
言うまでも無く正体は自称“元親の妻”である小蓮だ。
「きゅ、急に抱き付くんじゃねえよ! 傷が痛むだろうが……!」
「ご、ゴメンなさい……でもシャオ、ずっと心配してたんだからね?」
傷の痛みを我慢しながらも、小蓮の言葉に頬を掻く元親。
小さい溜め息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。
「……悪かったよ。心配を掛けちまって」
「ううん、良いの。こうしてシャオの旦那様が帰ってきたんだもん♪」
小蓮の一言に場の気温が限りなく絶対零度にまで下がった。
「…………ご主人様の独り占めは駄目」
「ええで恋。ウチが許すわ。引き剥がしたり」
何やら物騒な事を呟いている恋と霞。
続く愛紗達も怒り心頭の表情で小蓮を引き剥がそうとした時だった――
「わわっ!? ちょっと、お姉ちゃん!」
何時の間にか来ていた孫権が元親に抱き付く小蓮を引き剥がした。
引き剥がした小蓮を愛紗に預け、孫権は元親の前で屈んだ。
「孫権……?」
前髪のせいで彼女の表情はよく窺えない。
元親が小さく首を傾げた時、孫権の腕が元親の背中へと回った。
「孫権……」
「良かった……本当に……生きてて……良かった……貴方が死んだら……私……私……」
孫権は泣いていた。
孫権が顔を埋める元親の首筋に彼女の涙が伝う。
「もう泣くなよ。ここは愛紗達のように笑顔で迎えるとこだぜ?」
「馬鹿……馬鹿……馬鹿ぁ……!」
屋敷を覆う燃え盛る炎――
まだそれは収まる事なく元親達を照らし続けた――
◆
「長曾我部が生き残りましたか……何と悪運の強い」
呉の本国から少し離れた場所――白装束の1人である干吉はそう呟いた。
彼の両腕には脇腹の出血のせいで気絶してしまった左慈が抱えられている。
「まあ毛利元就は死にましたし、姫様も私の術で最後には壊れたようですし……とりあえず良しとしておきましょう」
干吉は1人で納得したように頷く。
そして抱える左慈の顔を見つめ、口を開いた。
「残る異分子の長曾我部の始末は……後々考えるとしましょう。左慈の治療もしなければならないですしね」
呉の本国へ背を向け、干吉の周りを白い煙が覆っていく。
「それではお互いに暫しの休息を。長曾我部元親……」
そう言った後、干吉の姿はその場から消えた。
そんな彼を見送るように場違いな一陣の風が吹き荒れた。