各々の様々な思惑が絡んで発展した呉との戦が収まり――数日が経とうとしていた。
今現在、長曾我部軍は呉の本国に留まり、ボロボロになった町の復興作業を手伝っている。
破られたとは言え、1度は和平を結んだ間柄――元親達は積極的に復興へ取り掛かった。
「ふう……町の復興と言うのは思ったよりも大変な物だな」
額を流れる汗を拭いつつ、水簾は溜め息を吐いた。
今は丁度昼を回った頃だろうか、眩しい太陽が空でこちらを照らしている。
「まあここまで出来ただけでも上々か」
眼の前には最低限の修繕を施した家々がいくつも連なっている。
長曾我部軍の将軍や兵士達、そして呉の民々が協力し合った結果だ。
元親達が初めて来た際には見掛けなかった呉の民々は辛うじて何とか生き延びていた。
何でも先代呉王の孫策が民々の避難の為、各家々に地下の避難所を作っておいたらしい。
流石の白装束も家々の地下にある避難所の存在までは見抜けなかったらしい。
兵士の殆どは死に絶えてしまったが、民さえ居れば国は何とか復興出来る。
今はそれだけでも幸運と言うべきだろう。
「華雄将軍、ここは俺達に任せて休んで下さい」
「朝からずっと働きっぱなしだったでしょう? 少しは身体を休めて下さい」
家を眺めていた水簾へ向け、兵士達が労いの言葉を掛けた。
水簾は彼等の言葉に感謝しつつ、口を開く。
「すまないな。だがお前達だけに任せては将軍の名折れだ。最後まで手伝うぞ」
「そんな事はないッスよ。ここは俺達だけで大丈夫ですから、休んでいて下さい」
最後には呉の民々にまで押され、水簾は仕方無く休む事に決めた。
急に手持ち無沙汰になった為、天幕で療養中の元親の様子を見に行く事にした。
向かう目的地を決め、水簾はゆっくりとこの場を後にする。
「よっ! 水簾。そっちはどうだ?」
元親の居る天幕へ向かう途中、声を掛けてきたのは桜花だった。
気さくな笑顔を浮かべる彼女に対し、水簾も微笑を浮かべて返す。
「復興は今のところ順調だ。私は一休みするところだが、お前は?」
「私も同じ。ボーッとしているのも何だし、元親の様子でも見に行こうと思ってね」
「そうか。なら一緒に行くか? 私もご主人様のところへ向かおうとしていたんだ」
「おっ、良いね。じゃあ一緒に行こう」
思わぬ合流を果たし、水簾と桜花の2人は共に天幕へと向かった。
他愛の無い会話をしながら歩いていると、あっと言う間に目的地へ着いた。
「元親ぁ、怪我の具合はどうだ?」
「ご主人様、見舞いに来たぞ」
見張りをする兵士に許可を取り、2人は天幕内へと入る。
中には布を身体に掛け、横になって眠る元親の姿があった。
「…………眠ってるな」
「うむ。眠っている」
どうやら間の悪い時に来てしまったらしい。
起きていたならば、少しぐらいは彼と話せただろうに。
ちょっと残念ではあるが、このまま居ても仕方が無い。
「出直すか? 起こすのも何だか悪いし」
苦笑を浮かべ、隣に居る水簾に言う桜花。
「ああ、また改めて伺うとしよう」
クックッと笑い、返事を返す水簾。
彼女は何だか楽しそうだ。
2人が引き返す事を決め、天幕を後にしようとした時――
「ううん……」
「「――――ん??」」
元親の方から聞こえてきた、元親とは思えない程の女の声。
2人はゆっくりと振り返り、もう1度彼を見つめた。
すると――
「う、うん……」
元親に掛けられている布が動くと共に又も女の声が聞こえた。
しかも最初に聞いた時とは違う声色であり、何処か幼い。
「水簾……」
「伯珪……」
2人が互いの顔を見つめ、意思を確認し合い、ゆっくりと頷く。
その後に元親に掛けてある布を手に持ち、一斉に彼から引き剥がした。
するとそこには――
「なっ!? れ、恋!?」
「そ、孫尚香殿か!?」
眠る元親の両脇を固める恋と小蓮の姿があった。
正確に言えば右脇に恋、左脇に小蓮と言ったところだ。
2人は気持ち良さそうな寝顔で元親にくっ付いている。
「う……ん……水簾?」
布を急に引き剥がされた為か、恋が眠そうな眼を開け、自分を見つめる水簾を見上げた。
水簾は彼女のあどけない顔に一瞬心を折られそうになるも、すぐに調子を取り戻して問い詰める。
「恋! お前は一体何をやってるんだ!」
「…………ご主人様と一緒に寝てた」
隣に居る元親の髪を触りつつ、恋はゆっくりと口を開いた。
まだ眠たそうではあるが、一生懸命に話そうとしている。
「…………ご主人様、寒そうだったから……恋が隣に居てあげた」
「ご、ご主人様が寒そうだっただと?」
「…………(コクッ)」
桜花と水簾は同時に元親の身体を凝視する。
彼の身体は包帯で巻かれ、上着は一切身に着けていない。
確かに恋の言っている通り、寒そうな格好ではある。
「いや、恋。確かに寒そうだけど、これは仕方ない事であって……」
「…………ご主人様が風邪になる。恋はそんなの嫌だ」
「う、うん。お前の気持ちは分かるけど、元親は1人でゆっくり寝かせてあげた方が良いんだぞ?」
「…………(フルフルッ)」
今の恋にとって桜花の言葉は馬の耳に念仏らしい。
全く聞き入れず、恋は再び元親と共に眠ろうとする。
「ま、待てよ恋! 今は元親を1人でゆっくり寝かせてやろうよ」
「…………(フルフルッ)」
これでも駄目かと、桜花が深い溜め息を吐く。
だが逆に水簾は顔を顰め、恋に言い放った。
「恋、我が儘もいい加減にしないか!」
「あ〜〜〜もう、うるさいなぁ……」
そんな時、水簾の怒声に反応するように小蓮が不機嫌そうにゆっくりと起き上がる。
恋に構って存在を忘れていた桜花と水連だったが、彼女にも同じく注意をする事にした。
「孫尚香殿! 貴方はここで何をしている!」
「何よぉ。妻が夫の傍に居るのは当然でしょ?」
刹那、2人がイラッとした表情を浮かべた。
「正式な契りも何も交わしていないのだろう。まだ夫婦と言えないのでは?」
「え〜〜〜! これから先に必ず交わすんだから、別に何をしても良いじゃん」
余裕な表情で水簾の言葉に軽い調子で返事を返す小蓮。
彼女のその表情を見て水簾は悔しげに唇を噛み締めた。
「元親はちゃんと言ったのか……? 必ず夫婦になろうとか……その……」
若干頬を赤らめつつ、そう問い掛ける桜花。
しかし小蓮は自分の調子を崩す事なく――
「まだ言ってくれてないけど、絶対シャオには言ってくれるもんね!」
再び余裕な表情で小蓮は答えた。
「うう……」と声を漏らし、桜花は真っ赤な顔で悔しがった。
「…………駄目。ご主人様は恋の……」
「むぅ〜〜〜何よぉ! 先に元親の隣に居たからって独り占めしないでよね!」
今までのやり取りを聞いていたらしく、恋は元親の右脇にしっかりと抱き付いている。
――どうやら絶対に彼を離すもんかと言う、彼女なりの意思表示らしい。
小蓮も彼女に対抗するように元親の左脇にしっかりと腕を回して抱き付いた。
「と言うかお前達、ホントにいい加減にしろ! 元親が起きるだろ!!」
「ほら2人共! 早くご主人様から離れるんだ!」
桜花が小蓮、水簾が恋を引っ張り、元親から引き離そうと試みる。
無論2人が黙って引き離される事は無く、必死に抵抗を続けた。
しかし――彼女達はまだ気付いていなかった。
元親の頬が引くつき、額に青筋が浮かんでいる事を――
◆
場所は変わり、元親の天幕から少し離れたところ――
そこにはもう1つの天幕が張られ、中には孫権と周喩の2人の姿。
周喩は横になり、孫権は彼女の傍に座っていた。
「そうですか。これからは長曾我部殿の世話に……」
「ええ。彼がそう言ってくれたの。ボロボロになった町も彼等の助けで復興しているわ」
「…………はい」
2人は――少しぎこちなげに――これからの事についての会話をしていた。
彼女達の間には以前のような蟠りはもう影も形も無い。
色々な者達の助力もあってようやく和解したのだから。
そんな中、周喩の表情が少しだけ曇った。
「蓮華様……そう言えばまだ貴方にはちゃんと謝罪していませんでしたね」
「え…………?」
周喩はそう言うと上半身を起こし、孫権に頭を下げた。
彼女の突然の行動に孫権は反応が遅れ、少し慌てる。
「申し訳ございません。自分の目的に囚われ、結果的には私が呉を滅ぼしてしまって……」
「…………もう良いのよ冥琳。頭を上げて」
自分の真名を優しく呼ぶ声に周喩は思わず頭を上げた。
「蓮華様……」
「貴方が生きていてくれただけで私は嬉しい。貴方とまたこうして話す事が出来て、私はとても嬉しいの。だから謝らないで」
孫権は眼に少し涙を浮かべながらも、周喩の手を取った。
「これからは皆と一緒に頑張っていきましょう。ね?」
「…………はい」
周喩の眼から一筋の涙が零れ落ちる。
それをソッと手で拭い、彼女は思った。
(雪蓮……貴方のところへ逝くのは、まだ先になりそうよ。けれど私はこれで良いと思ってる。とても身勝手かもしれないけれど、この人を支え、行く末を見届ける為に私は生きるわ。だから……もう少し待っていてね)
周喩が心の内で誓った言葉は誰にも聞かれてはいない。
しかし周喩は孫策の声が聞こえたような気がした。
自分を優しく押してくれる、励ましの言葉が――
(…………ありがとう。雪蓮)
「? 冥琳、どうかしたの?」
「……ふふ。いいえ、何でもありませんよ」
孫権の問い掛けに周喩は微笑を浮かべて返した。
それから周喩は再び横になりつつ、孫権へ言葉を掛ける。
「蓮華様。少し遅くなりましたが、貴方に孫策様が叶えようとした夢を御話しておきます」
「姉様の……夢」
孫権は少し緊張したように身体を固くしたが、少し息を吸ってそれを解いた。
周喩が彼女の様子に微笑を浮かべた後、ゆっくりと口を開く。
「孫策様の……貴方の姉君の夢は――」
周喩の脳裏に、彼女と過ごした時の記憶が鮮明に蘇る。
そして――孫権へと伝えた。
「周喩様ぁ、食べ物を貰ってきましたよ」
孫権と周喩が居る天幕内に何とものんびりとした声が響く。
正体は陸遜であり、彼女の傍らには孫権の護衛を務める甘寧も居る。
「蓮華様、只今戻りました」
「う、うん。ご苦労様、思春」
甘寧は孫権の顔を見た際、思わず首を傾げた。
何故なら――彼女の眼が少し赤かったのだ。
何かあったのではと、甘寧は孫権に問い掛ける。
「蓮華様、眼が赤いようですが……何かありましたか?」
「えっ……あ、大丈夫よ。ちょっと今が嬉しいと思っただけ」
「…………そうですか。それは良かった」
甘寧は自身の主の傍に居る周喩を一瞥する。
恐らく彼女から何か話を聞き、涙を流したのだろうと思った。
そんな彼女の世話をしている陸遜もこちらに微笑み掛けてくる。
彼女もまた、ここで何かあった事を無意識に悟っているようだ。
「1人で食べられますか? 周喩様」
「ああ、これぐらい大丈夫だ。これ以上お前達に迷惑を掛ける訳にはいかないからな」
「そんなの気にしなくても良いですよぉ。周喩様の御気持ちは分かっていますからぁ」
陸遜が「ねっ?」と言いたげな表情で、固い表情のままの甘寧を見た。
甘寧は少し溜め息を吐いた後、ゆっくりと頷く。
「甘寧……」
周喩は意外そうな表情で甘寧を見つめる。
彼女は孫権を裏切った自分を決して許してはくれないと思っていたのに――
周喩が口を開こうとした瞬間、それを遮るように甘寧が口を開いた。
「…………もうあの時の事は一切忘れました」
せめてもの照れ隠しだろうか、甘寧は眼を瞑ってそう言った。
彼女の答えに孫権達の顔に思わず微笑が浮かぶ。
「ねっ? 分かってくれているでしょう?」
「…………そのようだ。感謝する」
陸遜の言葉に周喩は大人しく同意する。
孫権との蟠りも無くなったと同時に甘寧達との蟠りも無くなった。
(楽に……なったのかな?)
周喩は今、自分の心が本当に楽な状態になった事を無意識に感じた。
後に残っている事と言えば――――彼への礼だけ。
「蓮華様。これを食べ終わったらで良いのですが、少し頼みたい事が……」
「何? 私に出来ることだったら協力するわ」
「ありがとうございます。その……あの……」
周喩は言い難そうな表情を浮かべながらも、おずおずと口を開いた。
「長曾我部殿へ御礼を申したいのです。貴方と共に私を救ってくれた御方なので……」
「元……長曾我部に? 別に構わないわ。食べ終わったら一緒に彼のところへ行きましょう」
周喩はその言葉に素直に頷く。
「しかし長曾我部殿も怪我を負いましたし、今は休んでおられるのではないですか?」
「そうですねえ。長曾我部様に御礼を言うなら、早く行った方が良いと思いますよぉ」
2人の言葉に孫権が顎に手を添える。
「…………そう言われればそうね。かなり酷い傷だったし、具合もあまり――」
孫権が心配そうに呟いた、その時――
『うるせえ!!!』
「「「「――――ッ!?」」」」
何処からか――かなり大きな――怒声が響き、孫権達が思わず身体を震わした。
その迫力に思わず周喩は手にしていた粥を落としそうになったぐらいである。
怒声の正体は声色からして言わずもがな、元親だろう。
『お前等人を休ませる気あんのか!! こんな枕元でギャーギャー騒ぎやがっ……て……うおっ……』
『『も、元親!?』』
『『ご、ご主人様!?』』
更に外の騒ぎは続く。
兵が急いで現場に向かう様子も感じ取れた。
『わ、わあ! 兄貴がぶっ倒れたぞ!!』
『まだ傷が治ってねえのに無茶するからぁ!!』
『衛生兵! 衛生兵! 早く来〜い!!』
そんな外の騒ぎを聞き、陸遜が口を開く。
「これはもう少し時間を置いてから行った方が良いですねえ」
彼女の言葉に孫権、甘寧、周喩がクスリと笑った。
まだもう少しだけ、ゆっくりここで話せそうだ。