幽州・元親の屋敷――元呉王の蓮華は何の気なしに通路をのんびり歩いていた。
ここに捕虜として住み始めてから数十日、だいぶ周りの空気に慣れた気がした。
最初は自分と同じく戸惑いを見せていた思春や冥琳も今は普通に過ごしている。
(今更だが……久しぶりだな。こんな平和な時は)
自身が呉王であった時、毎日政務に追われていた頃が嘘のようである。
こんな気持ちもまた、自分を助けてくれた“彼”のお陰のような気がした。
――そう思っていると、少し先に扉が半開きになっている部屋が視界に映った。
その部屋の中からは――2人から3人ぐらいの――騒がしい声が聞こえてくる。
少し気になった蓮華はソッと部屋の中を覗き込んだ。
「あれは……」
部屋の中に居たのは鈴々、翠、紫苑、璃々の珍しい4人組だ。
何やら紫苑が妙にヒラヒラしている白い服を手に持ち、3人に何かの話をしている。
璃々は笑顔で、鈴々と翠は真剣な表情をそれぞれ浮かべて彼女の話に耳を傾けていた。
(何の話をしているんだ……?)
部屋の中だけでなく、話の内容にも興味を持った蓮華はそのまま覗き見を続ける。
一字一句聞き漏らさぬよう、しっかりと紫苑の話に耳を傾けた。
『どんな女の子でも服を少し変えれば綺麗になるのよ。気持ちだって変わるんだから』
『そうなのかぁ。ねえねえ、鈴々も服を着替えれば紫苑みたいに綺麗になるの?』
『ええ、きっとなれるわよ。鈴々ちゃんは元が良いし、絶対と言っても良いかもね』
『あたしは自信無いなぁ。ガサツだし、男っぽいし、服を着替えても変わらない気がするよ』
どうやら彼女達は女の身だしなみ、御洒落について話しているようだ。
女に生まれたなら1度は派手に着飾ってみたいと考える物である。
しかし――
(私なんか……もっと似合わないだろうな)
自身の不器用な性格と格好を思い、翠と同じく暗い方に考えてしまう蓮華。
しかしそれでも話の続きが気になるのか、耳を傾けるのを止めなかった。
『そんな事はないわよ。翠ちゃんだって可愛いんだし、着替えればきっと見違えるわ』
『か、か、可愛いだなんて……そんな事を言うなよ紫苑。恥ずかしいじゃないか……』
『あらあら、本当の事を言っているだけよ。ご主人様も服を着替えた翠ちゃんは可愛いって、きっと思ってくれるわ』
刹那、翠の顔が沸騰したように赤くなる。
蓮華は彼女の急激な変わりように内心少し驚いた。
『な、な、な、何でそこでご主人様が出てくるんだよ! ご、ご、ご、ご主人様は関係ないだろ!?』
『にゃはははは! そ〜んな真っ赤な顔で言っても、説得力が全く無いのだ』
『うふふふ、そうねえ。璃々、あまり素直じゃない娘にはなっちゃ駄目よ?』
『うん! りり、ず〜っとすなおでいる!』
3人にからかわれ、真っ赤な顔で震えながら俯いてしまった翠。
これ以上覗き見るのは哀れに思い、蓮華は静かにその場を去る。
自身の部屋へ戻る間、紫苑の言った言葉がずっと頭の中で響いていた――
◆
「思った通り……似合わないな」
元親から宛がわれた部屋へと戻った蓮華は鏡の前で立ち尽くしていた。
時折頭の中で紫苑の持っていた服を空想の自分に着せてみたりする。
――やはり何処か似合わなかった。
(もし私が服を着替えたら、元親は似合っていると言ってくれるだろうか……)
彼ならきっと似合わずとも笑顔で「似合っている」と言ってくれるだろう。
しかしどうせなら彼には心から「似合っている」と言ってほしい。
蓮華は身に着けている衣服をソッと手でゆっくりとなぞった。
今自分が身に着けているのは呉王の時からずっと着ていた衣服である。
元親は何も言ってはこないが、内心ではどう思っているのだろうか。
「…………ハァ」
「どうかされたのですかぁ? 蓮華様」
「――――ッ!?」
突然背後から声が聞こえ、蓮華は身体をビクリと一瞬震わせた。
そしてゆっくりと後ろを振り向くと、そこには首を傾げた穏の姿があった。
「の、の、穏! 何時からそこに……?」
「つい先程ですよぉ。部屋に入ったら蓮華様が鏡の前で悩んでいらしたので〜」
良かったと、蓮華は安堵の溜め息を吐いた。
どうやら彼女に全部は見られていないらしい。
自分1人が鏡の前で落ち込んだりしている姿はかなり間の抜けた姿だった。
「御悩みなら1人で抱え込まずに私達に話して下さいねえ。御力になれるかもしれません」
「穏……」
彼女の温かい言葉に蓮華はゆっくりと頷く。
今まで自分が悩んでいた事を包み隠さず彼女に打ち明けた。
「…………なるほどぉ。蓮華様はそんなに悩んでいたんですねえ」
「あまり真剣に取らないでくれ。取るに足らない話だから」
「そんな事はありませんよぉ。そんな事はありませんけど――」
蓮華から話を聞き終わった穏は1度言葉を区切った後、ゆっくりと頭を下げた。
「申し訳ありません。私も身だしなみ等については無頓着な為、御力には……」
力になれないのを悪いと思ったのか、穏は気まずそうな表情を浮かべている。
蓮華は彼女の生真面目さに微笑ましさを感じつつ、ゆっくりと口を開いた。
「謝る事はないわ。話を聞いてくれただけでも私は満足だ」
「しかしそれでは蓮華様の気が……………………そうだぁ!」
穏が何かを思いついたらしく、ポンと掌を拳で打った。
「良い案を思いつきましたぁ。これなら蓮華様の御気持ちが満たされる筈ですぅ」
「私の気持ちが……? 穏、それは一体どういう案なんだ?」
「はい。それはですねえ――」
穏から耳打ちで案の内容を聞かされた蓮華は瞬時に顔を赤く染めた。
その後、彼女が決心して部屋を出るまでに何十分も掛かったと言う――
◆
「決心して来てはみたが……やはり私には……」
穏に長々と説得され、部屋を出た蓮華が向かった先は元親の部屋。
彼女が考えた案と言うのは彼と共に町へ買い物に行くと言う物だった。
そこで彼に服を選んでもらって買ってもらえば、評価もすぐに貰えて服も買える。
御得な事ばかりだと言うが――そうそう上手く行くのだろうか。
「うう……だがここで退いては恥だ。入ろう」
そう呟いた後、蓮華は扉を恐る恐ると言った様子で叩いた。
部屋の中から返事は無く、蓮華はゆっくりと扉を開けてみる。
「元……長曾我部、居るか?」
そう言って部屋に入り、最初に眼に止まったのは机に書類を持ったまま眠る元親の姿。
どうやら仕事をしている最中に居眠りをしてしまったらしい。
夢を見ているのか、彼は気持ちの良さそうな顔で寝入っている。
「全く……口から少し涎が出ているぞ」
クスリと笑い、蓮華は元親の寝顔をジッと見つめた。
ここに来てから初めて見る事が出来た彼の寝顔。
何処か幼い感じのする寝顔は蓮華を微笑ましい気持ちにさせた。
「――っと、このまま見ている訳にもいかないな」
本来の目的を忘れないよう蓮華は軽く両頬を手で叩いた。
その後に悪いと思いつつも、元親の身体を少し揺さ振ってみる。
「長曾我部、起きろ。居眠りは不味いぞ」
しかし彼が起きる気配は無い。
しつこく何度も揺さ振ってみるが、それでも起きなかった。
「手強いな……」
自分は苦労していると言うのに、眼の前の彼は気持ち良さそうに眠っている。
そんな状況に少しムカッとしつつも、蓮華はここで諦めるつもりは無かった。
耳元で声を掛けてみたり、少し大きな音を出してみたり、頬を突いてみたり――色々な方法を試したが、全て効果無し。
彼の深い眠りを覚まさせるには至らなかった。
「…………もう。元親、いい加減に起きて」
不意に自分の口から出た、拗ねた感じの言葉。
蓮華はそれにハッとしたが、恥ずかしい気はしなかった。
恐らく今の言葉は自分の心の言葉なのだと思ったからだ。
蓮華が自嘲気味に笑い、溜め息を吐こうとした時――
「何だ。言えるじゃねえか」
あっけらかんとした感じの元親の声が聞こえた。
蓮華が呆然としている中、元親がゆっくりと机に投げ出した身体を起こす。
彼は屈託の無い笑みを浮かべ、未だに呆然としている蓮華を見つめた。
「ちょ、ちょ、長曾我部……?」
「おいおい、何だよ。さっきみたいに元親って言えよ。他人行儀じゃねえか」
「い、何時から起きてたんだ? お前……」
顔を真っ赤にし、身体を震わせる蓮華を尻目に元親は平然と答える。
「お前が耳元で声を掛けてきた辺りからだな。まさかしつこくやられるとは思ってなかったぜ」
そんな前から起きていたのかと、蓮華は穴があったら入りたい気持ちになった。
眼の前で意地の悪い笑みを浮かべている元親は、目覚めた今となってはかなり恨めしい。
「意地悪だ。お前は……」
「拗ねるなって。ところで蓮華、何か用か?」
「あ、ああ……それはだな」
無意識に高鳴る必死に胸を押さえ、蓮華はゆっくりと口を開く。
「町へ少し買い物に行きたくてな。許可を貰いたいんだが……」
「ああ、別に構わないぜ。でも愛紗との決まりで監視役を1人連れて行かなくちゃいけねえんだ」
元親の言葉に蓮華は即座に頷いた。
「それは承知している。だから監視役は…………お前に頼みたいんだ」
「…………はっ? 俺にお前の監視役を?」
意外な指名に驚いたのか、元親は眼を見開いている。
蓮華は彼の反応に少し呆れつつも、言葉を続けた。
「お前が監視役なら……その……気軽に話せるし、町に詳しいだろう? だからだ」
「そりゃあ俺はここの太守だし、町には詳しいが……俺なんかで良いのか?」
「お前で良いから頼んでるんだ! それとも私の監視をするのは面倒か……?」
蓮華が一瞬悲しそうな表情を浮かべるのを見た元親は慌てて答えた。
「全く面倒じゃねえって。寧ろ願ってたってとこだな」
「え…………?」
元親の意味深な言葉に蓮華は顔が熱くなるのを感じた。
しかしそれも束の間の事で――
「お前とまた話したいって思ってたし、何より仕事の息抜きに丁度良いしな」
「え……ああ、うん。そうだな……」
すぐに顔の熱は冷めていった。
何を期待したんだろうと、蓮華は少し落ち込んだ。
「じゃあ今すぐ行こうぜ。善は急げって言うしな」
「良いのか? 誰かに断りも入れないで……」
「大丈夫だよ。もうすぐ昼飯を食べる時間で休みだし、誰も文句は言わねえって」
悪気も無く答える彼に蓮華は微笑を浮かべた。
最初は前途多難だと思われたが、今は順調に事が進んでいる。
このまま穏が考えた通りに進めば良いと、蓮華は思った。
◆
幽州の町々――彼女の護衛役を務める思春も途中で合流し、今は計3人で町中に居る。
「いつも賑やかだな、ここは」
「そうですね。国の豊かさを物語っています」
蓮華と思春は微笑を浮かべ、一生懸命に働く民の姿を見つめた。
いつにも増して活気が溢れている幽州の町は初めて訪れる者を圧倒する程だ。
そこを統治している元親にとってそれは嬉しい事であるし、誇りにも思えた。
「ところで蓮華、何を買うんだ? 急いで来ちまったから目的の物を訊いてねえんだが」
「え、ああ……」
自分の前を歩いていた元親に突然問い掛けられ、少し反応が遅れる蓮華。
久し振りに幽州の町へやって来たせいか、すっかり見とれてしまっていた。
「その……服を買いたいんだ。一着ぐらい……」
「服? 本だとか、筆だとかじゃなくて、服を買うのか?」
「そ、そうだが…………変か?」
不安そうに見つめてくる蓮華に元親は首をゆっくりと横に振る。
「別に変じゃねえよ。お前も女だし、服の一着や二着は欲しくて当たり前だよな」
うんうんと頷く元親に対し、蓮華は苦笑を浮かべるしかなかった。
「よし! じゃあ俺が贔屓にしてる服屋へ連れてってやるよ」
「贔屓に……? 元親殿も身だしなみに気を遣っておられるのですか?」
思春が意外そうな顔を浮かべ、元親に問い掛ける。
正直彼の性格からしてそんな風には全く見えない。
元親は思春からの問い掛けに対して「違ぇ違ぇ」と、苦笑しながら手を振った。
「俺が居た天界の服を仕立ててくれるんだよ。結構要望通りにやってくれんだぜ?」
「ハァ……?」
「腕は良いし、なかなかの物もあるからな。行って後悔はしねえと思うぞ」
いまいち彼の説明から要領を得なかった蓮華と思春はゆっくりと顔を見合わせる。
その後、ドンドンと先へ進む元親の後を急いで付いていくのだった――
◆
「着いたぞ。ここだ」
3人が着いた先には大きいとも小さいとも言えない1件の服屋。
客の出入りもそこそこらしく、人気が無いと言う訳ではないらしい。
「でも何だか店の外見は寂しいな」
「そう言われてみれば……そうですね」
蓮華と思春の言う通り、店の外見はかなり寂しいものがある。
飾り付けも何も無いし、呆気ないと言っても良いかもしれない。
しかし元親曰く「店は外見じゃ無く、中身が重要」らしい。
「親仁〜〜〜邪魔するぜぇ」
元親が先に店に入り、ここの店主に軽い声で挨拶をする。
すると意外にも帰ってきたのは明るい女性の声だった。
「あら太守様。今日は可愛いお連れ様が2人いらっしゃるんですね」
元親が意外そうな顔を浮かべ「ああ」と呟く。
大人な雰囲気を醸し出すその女性に蓮華と思春は思わず頭を軽く下げた。
「旦那はどうしたんだ? いつもあんたは向こうの奥に居るだろう」
元親の問い掛けに女性――店主の奥さんが困ったように苦笑する。
「あの人は奥で新しい和服の模様を考えているんですよ。何せここで一番の品ですから」
「そんなに売れてんのか。別に俺の国じゃ和服は珍しい物でも何でもないんだけどなぁ」
「ふふふふ。“太守様の住んでいた国の服”と言うのが重要なんですよ」
2人が他愛の無い話をしている間、蓮華と思春は店内を見て回っていた。
こう言った店の中を細かく見た事が無い蓮華にとって全てが新鮮だった。
(蓮華様……楽しそうだな。良かった)
多種多様な服、様々な模様――思春は懸命に服を見つめる蓮華が微笑ましく思えてくる。
今まで辛い経験をしてきた分、彼女には楽しい経験してほしい――思春はそう思った。
「あっ……! 思春、もしかしてあれが……」
2人が店内を回っていると、一角だけ他の雰囲気と違うところがあった。
そこに飾られている服は今まで見てきた服とは形が全く違っている。
恐らくあれ等が元親の言う和服なのではないか、蓮華はそう思った。
「悪ぃ悪ぃ、つい話に夢中になっちまって」
店主の奥さんと話をしていた元親が苦笑しながら蓮華達の元へやって来た。
「元親、これが“わふく”と言う物なのか?」
「ああ、そうだよ。それにしても数が増えたなぁ」
「? 最初は少なかったのですか?」
「まあな。最初は月や詠の分しか頼まなかったし」
恐らく珍しいから店主が自分で模様を考えて増やしたのだろうと、元親は思った。
結果的に和服はドンドン売れて評判にはなっているし、悪い気は全くしない。
「そう言えばその2人が着ていたな。…………足が随分見えていたが」
蓮華がジト眼で元親を睨む。
一瞬たじろいだ元親だったが――
「…………あれは確かに俺が頼んだが、丈を短くしたのはここの親仁だよ」
本来はここに飾られているように丈は長い物だと、慌てて説明した。
蓮華は溜め息を吐きつつも、何とか納得してくれたようだ。
(綺麗だな。天界の女性はみんなこれを着ているのか……)
飾られている和服を手に取り、まじまじと見つめる蓮華。
元親と思春から見れば欲しがっているのは明白だった。
「……蓮華様、この“わふく”とやらになさるので?」
思春がそう訊くと、蓮華は慌てて和服を戻した。
「いや……でも私にはこんな……」
「御試着なさいますか? 初めての方は着るのが難しいですし、御手伝いしますよ」
「はっ……いや……その……」
何時の間にか来ていた奥さんが笑顔で蓮華に言った。
彼女の申し出に蓮華が顔を赤くしてたじろぐ。
「良いじゃねえか。着てみろよ。物は試しだ」
「私もそう思います。蓮華様、着てみては如何ですか?」
「も、元親……! 思春まで……!!」
奥さんに続き、元親と思春にも言われては蓮華は観念するしかなかった。
ゆっくりと頷いて蓮華が着る事を了承すると、元親は軽く自身の両手を叩いた
「よし、決まりだ。そうなりゃ一着ぐらい俺が選んでやる」
「え……ッ! どれか選んでくれるのか……?」
「あんま期待すんなよ? 俺は女じゃねえんだからな」
意地の悪い笑みを浮かべながらも、元親は和服を選び始めた。
蓮華は少し呆然としたが、すぐに嬉しさが込み上げてきた。
(私が先に選んでと言おうと思ったのだが……結果的には良いか)
自分の方をちょくちょく見ながら、和服を手に取る元親。
蓮華は真剣に選んでくれていると思い、ますます嬉しくなった。
しかし彼の思惑は――
(蓮華は月や詠みたいに背は小さくねえし、胸は紫苑みたいにデケェ訳じゃねえから……………………でも愛紗や星と同じくらいデケェか。なら着るとすりゃあ、大きさは中くらいの方か? それと胸囲は少し広めの方が良いかもしれねえな。紫苑は初めて着た時は胸がキツイとか言ってたし……)
合っているようで何処か擦れ違っているのだった。
一応彼なりに真剣に考えていると言う事らしい。
「決めた! これが良いんじゃねえか?」
元親が手に取って見せたのは全身が赤く染められた和服だった。
模様は特に目立った物は無いが、綺麗だと思うには十分な物である。
蓮華は元親からそれを受け取り、まじまじと見つめた。
(綺麗……元親が選んでくれたんだ)
「良かったですね、蓮華様」
「…………うん」
蓮華が顔を赤くしながらも、思春の言葉に笑顔で頷いた。
「まあまあ、良い物を選びましたね。太守様」
「殆ど勘に近いけどな。着てみろよ、蓮華」
「試着室はこちらです。どうぞ付いてきて下さい」
蓮華は奥さんの後を付いていき、試着室へ彼女と共に入った。
「気に入ってくれると良いんだがなぁ……」
「きっとお気に召しますよ。元親殿が選んだ物ですから」
「そう言ってくれると安心するな」
2人の後ろ姿を見ていた元親と思春は、共に微笑を浮かべた。
試着室――蓮華は元の服を脱ぎ、奥さんから和服を着付けてもらっている。
試着室に必ず1枚は設置されている大きな鏡。
鏡に映る自分は今、和服と言う未知の服を着ようとしている。
手を通し、身体に布が纏われる度、蓮華は似合っているのかと言う不安に駆られた。
「ふふふ、着せ甲斐があるわ。これだけ可愛い娘だとね」
「可愛いだなんて言わないでくれ。私には合わない言葉だ」
奥さんは「あらあら」と、困ったような表情を浮かべた。
「そんな謙遜する必要はないわ。貴方は可愛いんだから」
「…………」
蓮華は思わず言葉に詰まった。
こんな自分の何処が可愛いのか、いまいちよく分からないのである。
「どんな女の子でも可愛くなれる素質はあるの。服や化粧を変えれば、絶対にね」
「…………よく分からないな。今まで私はそんな事に気を遣う余裕が無かったし」
「そうなの? ならこれから少しずつ気にしていけば良いわ」
腰に帯を巻いてあげながら蓮華に助言をする奥さん。
蓮華は眼の前にある鏡を見つめながらも、奥さんの言葉に耳を傾けている。
「女に生まれたなら、それぐらいはしないと損よ?」
「…………う、うむ。これから気を付ける」
蓮華の言葉に奥さんが少し苦笑する。
「駄目よ。服を変えたなら言葉遣いも柔らかくしなきゃ」
「えっ……! い、今のままでは駄目なのか?」
「もう少し女の子らしい喋り方をしなきゃ、太守様がずっと気にするかもね」
刹那、蓮華の顔が沸騰したように赤くなった――
◆
「太守様、御着替えが終わりました」
「そうか。ご苦労さん」
試着室から最初に出た奥さんが、笑顔でそう告げた。
「蓮華様?」
「どうしたんだよ蓮華」
一向に試着室から出てこない蓮華が気に掛かり、思春と元親が声を掛ける。
そのすぐ後、ひょっこりと蓮華が頭だけを試着室から出した。
「おいおい、何やってんだよ。早く出てこいよ」
「…………笑わない? と言うか、笑わないで」
「決して笑ったりしませんよ。蓮華様」
奥さんが優しい眼で「若いって良いわぁ」と、蓮華を見つめる。
3人に見つめられながら蓮華は渋々と言った様子で試着室を出た。
「へぇ……」
「おお……」
元親が感心し、思春が息を漏らした。
赤い和服を身に纏う蓮華は今までとは全く違う印象を皆に与えた。
褐色の肌と紫の髪が赤い和服を引き立たせ、彼女を輝かせている。
一言で言い表してしまえば――とてもよく似合っていた。
「…………ど、どう? 2人共」
蓮華が頬を赤くしながら、元親と思春に感想を訊いた。
「よく御似合いです! 蓮華様!!」
「選んだ甲斐があったってもんだな」
「そ、そう? …………ありがとう」
笑顔で言う2人に蓮華は安堵と共に嬉しくなっていく。
逃げずに着てみて良かったと、心から思った。
彼女を見つめていた元親がふと、ある事に気付く。
「ん? 何だか柔らかくなったな」
「えっ……? 何が?」
「いや、言葉遣いとか雰囲気とか、色々な」
元親にそう言われ、蓮華は苦笑する。
彼女の後ろには意味深に笑顔を浮かべる奥さんが1人。
――どうやら彼女からの助言を蓮華なりに実行したらしい。
「ふふふ、どうです? そちらの方も一着だけでも着てみては?」
「ああ? そちらの方って一体……?」
奥さんが見つめる先には辺りを見回す思春の姿。
どうやら彼女、蓮華だけ着せるのでは足りないらしい。
「――――な、な、な、なッ! わ、私かッ!?」
奥さんの視線に気付いた思春は激しく狼狽する様子を見せた。
元親と蓮華はそれに驚きつつも、すぐに意地の悪い笑みを浮かべる。
「まあ、この人の言う通りだ。思春も着てみると良い」
「俺もそう思う。思春、着てみようや」
2人は楽しんでいる――思春は本能で悟った。
ジリジリと迫る元親と蓮華に対し、思春は壁際まで追い詰められ――やがて観念した。
4人しか居ない店内はまだまだ騒ぎが収まりそうになかった――
◆
「ただいま。穏」
「……戻ったぞ」
「あっ、御帰りなさい。蓮華様、思春」
あの後、服を買い終えた3人は共に昼食を食べ、屋敷へと戻った。
蓮華が今までの事を迎えてくれた穏に説明すると、穏はみるみる笑顔になっていく。
「良かったですねえ。元親様に選んでもらえて」
「ええ。肝心の元親は屋敷に戻ったら関羽達に連行されてしまったけど――」
蓮華が身に着けている和服を見つめ、穏が嬉しそうに言った。
「勇気を出して、言って良かったわ」
「うふふ。それにしても思春はどうして元気が無いんですかぁ?」
「ああ……ソッとしておいてあげて。私も少し責任があるし……」
「???」
先程から言葉も発さず、項垂れたままの思春。
蓮華は服屋であった事は黙っておこうと思った。
「でも小蓮様が羨ましがるかもしれませんねえ。元親様に強請るかも……」
「むっ……そ、その時は私も付いていくわ」
顔を少し赤くしながら答える蓮華に対し、穏は微笑ましい笑顔で彼女を見つめた。
その後、部屋に戻ってきた小蓮、冥琳、二喬に服の事や思春の事について問い詰められたのは言うまでもない。