「薩摩第九斉射・全て近弾、続いて安芸第九斉射・狭叉。」
「敵サラミス、第六斉射……! 薩摩、狭叉されました!!」
殷々たる砲声とそそり立つ水柱の中、報告だけを冷静に飲み込み艦の主砲発砲のタイミングを計って足を踏ん張り全身で微動だにしないだけのバランスを保つ。直立不動で指揮を執り続ける艦長とは聞こえは良いが其処まで至る者は極僅か。見れば米内君も危ういものだし、駒城に至っては初めから手摺に手を掛ける有様だ。前方、派手な砲戦が続いている現場を凝視する。
下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるか。加藤少将も泡食っただろうな。本来戦艦同士の艦隊決戦と言うものは双方が超長距離から猟銃を撃ち合うようなものだ。そうそう当たるものではない。とかと言って無闇に近づけば己の弾が当たる代わりに敵弾でハリネズミにされてしまう。自艦が有利な距離まで近づき、各砲塔の連装主砲を交互に打つ。これで当たりを見無ければならないのは海軍の常識だ。近ければ近弾と言って少し砲仰角(傾き)を上げる。逆に遠弾なら下げるといった具合に当たり所を探るのだ。狭叉という遠弾と近弾がまぜこぜになったらしめた物。狙いが正確になったと言う意味だ。そこから全門同時にぶっ放す斉射に切り替わり敵艦を叩きのめす。
列強海軍全てこれがセオリーだ。
だがサラミスは
初めから全門斉射を始めたのだ。しかも後方のキルキス、レムノスも同じく。当然当たるわけが無く明後日の方向へ飛んでいく。しかも盛大な弾の無駄遣い。駒城すら『旗艦に回避運動を具申いたしますか?』と進言してきたのだ。相手が弾切れをしたいなら勝手にやらせればいい。その後、彼等は逃げ出すしか手は無いのだし、此方が追いすがって痛めつけてもいい。どちらにせよ
我が軍の勝ちだ。
だが加藤少将はそう考えなかったらしい。正面決戦とばかり此方も第3射から斉射で応じたのだ。メンツの問題かと米内君が呆れていたが、こう捉える事も出来る。
14インチ砲八門
今薩摩と安芸そして三笠まで含めたとして主砲に限れば一度の射撃で飛ばせる砲弾の重量はサラミス一艦の方が勝る。つまりサラミス一隻で此方の戦艦3隻を相手取れると言う事だ。そして此方の主砲が12インチに対して格上の14インチ、勿論戦艦は己の主砲に撃たれる事を前提して建造されるので此方はまぐれ当たりでも大損害。此方は数に任せてかつての清国海軍最強艦、定遠の様に袋叩きにするしかない。駆逐艦と巡洋艦? 彼等は彼らで相手がある。無茶をさせ、万が一があれば此方が窮地だ。
腐ってもドレッドノートの眷属
本来米海軍ニューポート工廠でテキサス級戦艦が建造頓挫の寸前に追い込まれた事があった。そこで『簡易型』を作り実験艦にしようという話が持ち上がったらしい。英国が代々実験艦という銘を持つドレッドノートを作り、それから量産型を作り出した事から米海軍は勇み足を見直すことにしたと言う話だ。ギリシャに売却した
アメリカ的能天気戦艦の代金で急遽実験艦を建造、各種試験に供した後これもギリシャに売り払った。小憎らしく帝国政府にも配慮し便宜を与えた後でだ。帝都の反乱劇で故人となった原総理の一言、『なんとかしろ』は聞き飽きた。帝国政府内でもトラキアへのやっかみは強いからな。
金持ちに嫉妬するのは私も同じだ。そして金持ちになった途端、其の理不尽さばかりが目に付く。
勿論加藤少将も馬鹿ではない。相手が主砲弾消耗上等の短期決戦を仕掛けてきたなら好都合だ。向こうは超弩級戦艦がいるとは言っても戦艦三杯、此方も数だけならば戦艦三杯。主砲は向こうが優位だが。薩摩と安芸は三笠と違い準弩級戦艦らしい兵器を保有している。
主砲に混じって二艦合わせ片舷側12門もの9インチ砲が火を吹く。確かにこれではサラミスの装甲は破れない。しかし装甲の無い部分は? そう、この副砲でもない主砲に匹敵する兵器【中間砲】はその発射速度に任せて敵艦の戦闘力を削ぐことが出来るのだ。加藤少将はそれを徹底利用している。薩摩と安芸の中間砲は早々に狭叉弾を得て斉射に移行すでにサラミスに10発以上を命中させている。
「艦長、
第一戦隊は主砲斉射を遅らせてでも中間砲で圧倒する気なのでしょうか? 加藤提督は。」
「双方を同時発射すれば弾着修正がやりにくいからな。あえて日清の黄海海戦に倣い、しかも主砲も最大限活用する。本国の鉄砲屋も侮れるものではないよ……。」
「(……切り札の前には蟷螂の斧だがな。)」
付け加えようとして止める。それは成功したらの話だし、今の鉄砲屋全員を路頭に投げ出しかねない問題発言だからだ。唐突に起こる鍋釜に石が当たる様な打突音。それに一拍遅れて爆発音、
「薩摩被弾! 後部主砲塔の模様!!」 見張り員の絶叫が続く。
素早く双眼鏡を当て薩摩の艦尾に目を合わせる。黒煙の中に火災、今のサラミスの主砲戦距離からすれば舷側防御、即ち防御が最も厚い防楯に命中しただろうが油断できない。最も恐れる事態である主砲弾薬庫誘爆・爆沈の可能性は砲塔天蓋敵弾貫通が主原因だが、主砲全面防楯を貫通した敵弾が方向を変え弾薬庫に飛び込む場合もあるのだ。そして、薩摩の12インチ対応防御はサラミスの14インチ砲弾を止められない。
「薩摩より信号、ワレ健在! 繰り返す、ワレ健在!!」
「砲術、とっととあのバスモドキを消し飛ばせ! 一刻も早く薩摩の援護に向かうんだ!!」
駒城が艦内電話で砲術長に怒鳴る。すでに三笠は三斉射目で敵前弩級戦艦キルキスに直撃弾を叩き込み、十四斉射目で事実上の戦闘不能に追い込んでいる。今は姉妹艦レムノスに向け交互射撃を始めている状況。もどかしいが致し方が無い。『サラミスは薩摩と安芸で対処し早期に戦闘不能に追い込む。三笠は其の間、敵前弩級戦艦を引きつけてもらいたい。』加藤少将の要請は間違ってはおらず、むしろ戦理として正しい。
そしてサラミスの艦長も同じ考えのようだ。サラミスが薩摩と安芸を相手し。キルキスとレムノスが三笠を相手する。弱いものから叩くは戦術としては常套手段だし、
初見参の戦艦よりも日露戦争の殊勲艦を沈めた方が政治的効果は高い。彼の艦長が其処まで読んでいるのかは解らないが。
相手が悪かったな。
毎分4発という三笠の尋常ではない主砲射撃速度にキルキスが音をあげ、黒煙と爆発音を引き擦りながら落伍する方が早かった。此方も1発喰らったが其の程度で済んでいる。むしろ20発近く直撃弾を喰らいながら持ちこたえ続けたのは流石重装甲の定評で有名な元米艦ならばこそか。
「安芸、第11斉射、直撃弾2発!!」
「薩摩更に被弾! 4番中間砲に直撃の模様!!」
「交互射撃、狭叉!」
「次より斉射だ。全弾命中させてみせろ!!」
「宜候!」
腕時計を見る。時間からすれば残り6分、薩摩が叩きのめされるのは時間の問題か。やはり準弩級と超弩級では差が大きすぎる。サラミスは主砲等が一基潰れているが13000という今の砲戦では日露なら兎も角今では超近距離戦だ。双方主砲弾の直撃に
甲鉄の厚さが耐えられない。だからこそ加藤少将はサラミスの接近を許したと思うんだが。米内君が残念そうに言う。彼も鉄砲屋だ。本来砲戦で決着をつけるべきなのに不利だと言って外部の手を借りるのは内心忸怩たるものがあるんだろう。
「やはりサラミスを止めるべきですね。連絡を行いますか?」
「止めておこう。欧州軍が勝手に外国人に援護を要請してサラミスが沈んだとなれば国内問題だ。彼は判断が出来るだろうし、彼等のスタンドプレーにしてしまえば問題は無い。しかも彼は英国軍人だ、海軍の師たる大英帝国軍人が範を見せるのに我々弟子が文句を入れる筋は無い。」
『彼等』に丸投げは本来派閥から言って御国ではあり得んのだが。そうでもしないと生きることすら難しいのが大日本帝国欧州領トラキアの現実だ。
日露戦争が懐かしい。あの時戦場は敵と味方しか存在しなかった。
敵を探し、対峙して勝つ。それで良かったのだ。だが今はその自由すら無い。皆に言う、己に確認させるように。
「勝ち方を間違えるな。勝てば良いというものではない。それが欧州の常識だ。乃木総督閣下の口癖だがこの戦が三国同盟と御国の戦ではなく。世界中で行われている多国間紛争の一翼である事を覚えて置くんだ。ただ勝つのではなく、
生き残るが我々に課された至上命題だ。」
伝令が電文を持って来る。一つはアンジェロ艦長がアドリア海沿いのギリシャ西岸を荒し始めた事。これで残るギリシャ海軍は此方に来る事は無くなった。己の尻に火が付いているのにこちらに来る事はあるまい。アンジェロ艦長もやることがえげつない。散々荒してギリシャ艦隊が現れれば即座にイタリア領海に遁走。そこで平気な顔で旗を付け替え書類をすり替えてイタリア海軍に復帰するとの思惑だそうだ。そしてもう一つは朗報、3分以上早く『彼等』はここに来る。
史上初の対艦航空攻撃部隊、ヒュー君率いる
【竜殺し】が。
「レムノス命中弾2!」
「諸君、もう少しだ。もう少しで我々の戦いは終わる。帰ろう、我等の祖国へ。」
◆◇◆◇◆
私は一つ間違っていた。この海戦、それはこの戦争の終わりではなくこれから150年後へと続く戦争への始まりに過ぎなかった事に。そう、渤海の水面に消えた真実が今、その姿を持って我等人類に事実を突き付けた事に。
―――――――――――――――――――――――――――――
「廣島第五(師団)、完全に取りつきました! 上陸成功です!!」
その観測員の歓声、それを通信機で聞いたときより2時間後、オレは35年式7型砲牽引車を改造した指揮車両に押し込まれている。251型を改造した指揮車両の方が軽快、さらに言えば一号戦車改造の指揮戦車もあるが皆が皆何かと理由をつけてコレに押し込めてくれた。部下の鍵島先任付きで。
「もう前線に出る
階級じゃないって事ですぜ。少佐殿のやる事は部下をしっかり纏める事。状況を読み、戦場では見えないその潮目を的確に判断する事。佐官が最前線に立つのは戦況が最悪の時だけです。」
しっかりオレの顔色の理由を読んで進言してくる。彼が態々監視兼釘刺しに来たのは本間大尉がいないからだろうな。彼は今テッサロニキ市の東、旧名アンフィオポリスでオレの計画書片手に一戸閣下の参謀長と弘前第九師団に指示を下している。
先程の連絡でどうも伊地知大将閣下はオレ達と同じ考え――いや、元々は爺様の考えかも知れんが――で本来ひとまとめにテッサロニキに上陸させる師団を分割したのではないかと疑っている。今アイツが率いる先行偵察部隊と称する快速戦闘車輌群は猛然とブルガリアを東から西へ踏破しつつあるのだ。
目標はブルガリア首府・ソフィア。今回の戦いブルガリア軍はその動員兵力のほぼ全てをトルコに投入し、国境警備隊の殆どをトラキア国境のロドピ山脈とルーマニア国境ドナウ河畔に張り付けている。其のがら空きの中央部をアイツが突進しているのだ。
燃料をアメリカが作った河川調査拠点で賄い、あるいは航空機からの臨時滑走路経由で手に入れる。中途の街は全て無視し、ごく一部の重要都市その市庁舎のみを傭兵で制圧する。己はその経過すら無視して西へ西へ。
つまり、こんな冒険行ではソフィアは陥落しない。相手は人口15万に達する都市だ。相応の装備を持つ武装警察もあるだろうし市民兵が武器を取って立ち上がる可能性すらある。それを防ぎ、彼等が『この戦争は負けだ!』と戦争を投げ出す気分にさせねばならない。ならもう一手が必要だ。
弘前第九師団をストリモン河沿いに北上させブラゴエフ-ベニルク経由でソフィアに進軍させる。道は其処に陣取る独立歩兵大隊とアメリカの地質調査団がとっくに制圧下に置いているだろう。邪魔なブルガリア・ロドピ軍集団はその独立歩兵大隊に返り討ちにあった上、アメリカの借入地に何を血迷ったのか攻撃してさらなる返り討ち。アメリカ大使がソフィア・バッテンベルグ宮殿に抗議と言う名の恫喝を行ったそうだ。
これ以上無益な抵抗を行えば……潰すぞ!
恫喝はアメリカ合衆国が、その実行役がアイツというわけか。どちらにせよ外交面での勝負はあった。もはや手遅れだが己の国を潰し国土国民を荒廃させたくなかったらブルガリア政府は三国同盟からの離脱、単独講和を考える時が来たと言う事だ。これで先ず一カ国……
そして、ギリシャ陸軍は今其の総戦力が壊滅しつつあり、海軍までもが大敗すれば少なくとも停戦というテーブルに附かねばならなくなる。嫌ならトラキアよりもっとタチの悪い相手、女たらしのロドルフォ大尉の故国・イタリア王国がやってくるわけだ。これで二カ国…………
其処までくればセルビアも何らかの形で手打ちを考えねばならない。何しろ背後にはセルビア王国の仇敵にして列強の一角たるオーストリア=ハンガリー帝国が控えている。イタリアとの闘いは一進一退と睨み合いの連続だが、セルビアが周囲全てに見放されれば、これ幸いと『バルカンの秩序を乱した』とお題目売って懲罰と言う名の侵略を開始するだろう。四方全てを海で囲まれた御国と周囲全てが他国かつ敵と考えねばならないバルカン半島。
乃木希典はどんな覚悟でこの国に赴いたのだろうか。
腕時計が刻限に達しようとしている。オレの役割は一分一秒でもセルビア軍を後退させない事。いや、保典伯父さんに苦杯を呑ませた程の名将たるマンネルハイム大佐なら精々縋りついて振り払われる芸者程度の時間しか稼げないだろう? だが、やらないよりはいい。
第九師団の経由地、ベニルクはセルビア領スルトゥリツアと指呼の距離にある。マンネルハイム大佐が
撤退でなくそちらに転進したら新米、臨時、御飾の少佐であるオレですら怖気が走る。さらなる一手たるソフィア攻略兵団、戦争終結の切り札たる
第九師団が背後を扼される。時間だ、
「味噌っ滓の隊長より味噌っ滓部隊全員へ。これより我々は戦場を迂回し、目に見える戦果を御国にもたらす。狙いは【パリ砲】。」
最後オレなりの言葉で締めくくる。多分この戦争でオレが関わる最後の出撃命令になる。一息置き一言で締めくくる。
「史上最強の傭兵隊長、その足を止めるぞ!」
「「「了解!!!」」」
周囲から一気にダイムラーエンジンの轟音が響き渡る! 続々とボックス陣地地下、車輌掩体壕がから湧き出してくる二号戦車各型と米愚連隊のM3自称リー(将軍)戦車。星野の中隊に|原
乙未生大尉率いる中隊、それに暴走男ことパットン自称大尉の中隊合計59輌、その後ろに兵士を満載した251型装甲兵員輸送車や7型装軌牽引車が続く。総数200輌にも満たないテッサロニキ市最初で最後の機動戦力。東部から湧き出したオレ達は秘匿地名池袋城門より埼玉を目指す。
パリ砲を奪い取り記者に見せる。それでここに居る誰にとっても戦いは意味を失う。敵主力を包囲しない――出来ない時点で欧州軍は判定勝ちしか求める事が出来ないのだ。ブルガリアが敗北し、ギリシャ軍が廣島第五に潰走させられれば、セルビア軍が孤軍になり三国同盟はその政治的目標の殆どは達成できない事を悟る。故に
手打ちを誰もが考え始める。
オレの乗った指揮車両が掩体壕から出て陣地を回り込み外に出る。操縦手はかなり慎重な性格の様で指揮車両を常に護衛の2号の真ん中に入れ、予備の通信手に外を伺わせている。配下が続々と合流し、一大戦闘集団――といっても増強大隊規模だが――を形成する。通信手と話していた鍵島が敬礼し報告。
「石鎚少佐殿、部隊集結完了しました。」
「宜しい、では進撃開始。」
解らない、オレが今辿っているのはアイツ、
乃木希典総督がかつて辿った道筋でしかないのかと。あの女の差し金でアイツが辿った道をオレもまた辿っているのではなかろうかと。首を振る。
それでもこれはオレの道だ! 好きでもない軍でオレが皆と守り、そして生きていくオレの道だ。
初めてオレは指揮車の展望窓に上がり周囲を確認する。荒野と戦塵の彼方に新聞で見た天空へその幹を伸ばす大樹のようなその砲を見た気がした。
―――――――――――――――――――――――――――――
「撤収を開始する。」
「遅いくらいですなぁ。大佐殿、今更何を司令部では揉めていたわけで?」
私の呆れた声に、更に呆れ果てたという声音を作って返答が返ってくる。雇い主とはいえ馬鹿には付き合いきれんという感情を大佐は我々にあえて見せるように露骨なまでに顔に出す。
「ふんぎりがつかなかったのさ。セルビア本国はひたすら使い捨ての連呼だ。オレ達傭兵は兎も角、正規軍までな。
余程負けるのが恐ろしいらしい。プトニック司令を元帥に昇進させるという狂い様だ。」
低い笑いが周りの部隊長から上がる。相手への嘲弄とそれに口をはさめない己等への自嘲、皆解っているのだ。
この戦、負けだと。
私としては戦機は過ぎたのは身にしみている。其れを大佐殿含めて誰もが知っているのに軍を動かせない。組織が硬直している証拠、だからその理由を大佐殿との露骨な会話にしたんだ。それをしないと周りの連中が大佐殿に不信感を持ちかねない。己の能力不足を人間は無意識に棚に上げるからな――私は関係ない。馬狂なんてのは皆元から馬鹿の集団だからな。確認の為に大佐と同郷のネノネン砲兵中尉が意見を述べる。
「大佐殿や司令からすれば負けなかった、いや実質勝てないまでも利益は出た。それすら彼らには負けたとみなされるわけですか?」
「ロシア-ジャパン戦争が好例だ。列強が決めれば負けは負け、あの日本帝国ですら勝ったも同然の戦を負けにさせられたんだ。もし負けをセルビア国民が突き付けられたらセルビア首脳部は、」
「ローマに倣って磔刑ですかい?」
私の冗談にようやく笑みを浮かべた我等がマンネルハイム大佐殿は冗談を口にする。
「共和制ローマは負けた司令官を殺しはしないよ。比べれば後裔たる我等が祖国も酷いものだがそれほどまでに
国民が未熟と言う訳さ、この国はね。」
大佐殿からすれば
日本流の『負けて勝つ』なんだろうがそんな余裕はセルビアにない。『勝って勝って勝ちまくる』しか国民を納得させる術が無い。それも大佐は政府が勝手にそう思い込んでいると考えている。
「戦争では負ける。セルビアがバルカンの中心になると言う夢は既に消えた。プトニック閣下と共に今、それを司令部全体にきっちり認識させてきた。全く持ってゲネラール・ノギの慧眼は恐ろしい程だよ。私が想定した戦場も戦略も舞台ごと覆すのだからな。だが、
彼はこの戦場にはいない。ならば、やり様がある。」
「使うのですか?
アレを。」
既に準備は整っている。敵上陸軍が本来投入すべきテッサロニキではなく半数をアンフィオポリスに奇襲上陸させた報告で大佐も私も敗北を悟った。狙いはあくまでブルガリア王国首都ソフィア! 既にイスタンブール側のブルガリア軍主力はゲネラール率いる精鋭部隊に突破され、彼は無人の荒野を征くが如くブルガリアを東から西に向けて驀進中、無学で兵士代表とはいえ騎兵の私でも解る。その事実だけならソフィアに迫れても占領はできない。そもそも騎兵連隊一つ相当で首都が占領出来るのであれば世界中の陸軍は騎兵だらけだ。騎兵が戦車であっても同じだろう? だが、今アンフィオポリスから北進している上陸軍と合流したのであれば? 北上している師団は単なる奇襲上陸の為ではない! アレ自体が戦局をひっくり返す『戦略奇襲師団』だ。
低い声で大佐が決意を述べる。其の声に幾分か羨望と怨嗟が含まれているのは私が知っている。これだけの事をやってのける力を手にしているゲネラール・ノギに対する昏い感情と言うものだ。
「
戦場では勝たせてもらう。どんな手段を使ってでもね。プトニック司令のささやかな夢すらゲネラルが阻むのなら、私は戦場で声を上げるしかない。
『貴方の思い通りにはならない』と。」
そう、既に準備は整っている!
独立666中隊、
獣の文字を冠する傲慢の産物、命を使い捨てる為だけに生かされている愛すべき戦場の同僚、
故ステッセリ司令官が用いた場当たりの奇策は、容赦無き意思と西欧の調教技術をもって完成に至った。戦争が始まってからでは遅かっただろう。満州にいたことから大佐が着々と進めていた対戦車戦術が今、その真価を見せる時が来た。大佐は地図を広げそれを精査する。
「問題は、未だ敵の侵攻経路を私が特定できていないと言う点だ。悔しい限りだが装甲戦闘車両の踏破力と進撃速度は騎兵とでは能力も特性も違いすぎる。」
「敵が目標とする戦略拠点は大佐が言うとおりですが経路が多すぎます。騎兵に限ったとしてなら私の様な無学でも4つ程はあげられますな。」
大佐は頷く、大佐も騎兵将校だ、私の考えた経路位想定の内だろう? 地図を眺めながら苛立たしげに一つの駒を叩き続けている。部隊長達もひそひそと相談し、何名かが意見を具申するが決定打に成りえない。……成程ねぇ。
其の駒、大佐殿は後方遮断の前座としてそれを狙ってくると見ているわけだ……確かに新聞を飾った部隊だ。撤収にしても一苦労、故、格好の目標になる。
「本命に666を配置する。支援を含めてね。だが後1か所、どうしても可能性が高いと判断せざるを得ない場所がある。しかもそちらに方が時間という点で危険だ。下手すればテッサロニキ駐留の戦車部隊に目標を奪取されるだけでは無い。別方向から背後を遮断され、戦場で我等が負けるという醜態を晒しかねない。」
直ぐ私も感づく。テッサロニキ市内でも反撃の動きがあると空から
飛行機男爵が報告してきた。大佐殿が差す其処を抑えられれば我等はギリシャ側に逃げるしかない。其れをやればセルビア全軍、撤退では無く潰走だ。我等傭兵隊ではどうしようもなくなる。
「666を分割は……止めるべきですな。意味がありません。」
「そうだ、それ以上にこの経路では666は意味が無い。最短突入距離が500メートルという長さでは迎撃され全滅が落ちだ。捨てるか?」
唸り声をあげて考え込むマンネルハイム大佐、私は待つ。意見は十分に言った。兵士代表としては度が過ぎる程に。我等は大佐を信じて戦う。それが傭兵の仕事だ。
「よし、奴等にも華をくれてやろう。ただし、対価は取り立ててやる。ブジョンヌイ大尉? プトニック司令と砲兵司令に電話をつないでくれ。」
電話で話し始めた大佐を前に私はその言葉から訝ってしまう
「(パリ砲を捨てる?)」
どういうことだろう? 今回守るべきセルビア勝利の証拠、ベオグラードまで持ち帰るべき戦勝記念物をあえて捨てる。もしそれが日本帝国軍に鹵獲されれば逆宣伝され我々の負けが確定してしまうのに。そんな話を知ってか知らずか大佐は電話で相手を説得し始めた。
「狙いは欧米の外交官ではなく日本軍だ、
奴等に一瞬だけ負けた、いや失敗したを刻みこんでやれればいい。砲に俯角を掛け固定させて欲しい、勿論砲弾装填済み、次弾と即応弾薬込みでだ。もちろん次弾は撃てはしない。それが奴等を戦闘後、
勝ったと確信させる証明になる。戦場での双方の勝利、歴史上何度もあり得た結果が列強の判定を躊躇させる要因になる。そして我等は時間を稼ぐ事が出来る!」
何か電話先と言い争い始めたが大佐は口元に笑みを浮かべ相手を説得している。その顔を見て私は驚いた。ロシア-ジャパン戦争の捕虜収容所、其処で出合って話を交わしたゲナラール・ノギ、彼が何かを確信したような笑みと同質のものを大佐が浮かべている事に。
「(マンネルハイム大佐殿、口さがない者は貴方を傭兵司令官と馬鹿にするし己も自嘲気味に言いますがそんなことはありませんぜ。貴方も
ゲネラールの後ろを追いすがる名将であるのは確かなんです。)」
だからこんなところで負けていい筈が無い! 閣下が電話を終わるまで私は直立不動で待ち続ける。
―――――――――――――――――――――――――――――
雲間から蒼空に抜けると下は群青のエーゲ海と幾千もの島々、その景色を擾乱するように水柱はいくつもそそり立っては消える。それよりはるかに小さい影、数組の戦闘艦艇が隊列を作って動き回り、違う隊列の相手に砲火を浴びせている。情報通り既に脱落艦が出ているな。呼び出しがかかる。私の階級呼称がいつもと違うのは同じ大尉(キャプテン)同士では命令に叛する事が可能になってしまうから。軍の良き伝統と言うものだ。
「見えた! 前方右舷40度……っと
ダウディング少佐、えらく味方の方が叩かれてます!!」
「こっちも確認した。やはり準弩級で超弩級はきつかったか。全機
戦闘陣形に移行、予定通りサラミスを沈めるぞ。」
こちらは離陸直後から把握していたわけなんだが、其れを言ったら現場は大混乱だ。彼らには航空指揮専用の二型大艇としか言ってないからな。大型の
電子投影板に日本帝国海軍、ギリシャ王国海軍の艦艇が配置され我々の航空部隊全機がその距離も高度も速力すら正確に並べられる。私は専用のペンで投影板をなぞり攻撃目標を書き記すだけ。今や馬鹿正直に私自ら声を出す必要すら無い。
「ジークフリードワンよりグリフィンリーダー、グリフィンワンとツーはサラミスに急降下攻撃を掛ける。サラミスに対空砲が装備されている情報は無いがユニコーンを俯角砲撃で水柱にぶち当てる可能性は否定できない。目潰しをかけてやれ。」
「ジークフリードワンよりグリフィンスリー、そちらは敵巡洋艦を狙ってくれ。此方の駆逐艦の啓開路を作るんだ。」
「ジークフリードワンよりユニコーン全機へ、本来中隊単独攻撃では片舷雷撃がセオリーだが、あえてその手は取らない。サラミスを戦闘不能に出来ればいい。ユニコーンツーとスリーは左舷から雷撃、ワンは右舷からだ。
キャプテン・シゲノ、サラミスをユニコーンの前へ追い立ててやってくれ。」
「ジークフリードワンよりルルミナスカイト全機へ、敵航空機は未だ確認できていないが万が一はあり得る。上空警戒を第一に、しかしグリフィンとユニコーン突入時には擾乱をやってもらうことになる。一小隊ずつ呼び出すから残った小隊は襲撃が終わるまで厳重注意してくれ。敵航空機を確認したら自己判断で要撃。」
全部話せば2分や3分はかかるそれがなんと30秒無い。私の声が予め索敵ユニットに記録され、今の作戦命令の記録――電子投影版に書きこんだ矢印だ――に合わせて
自動的に言語体系を構築、それを各機体に直接
圧縮情報として送りつける。向こうでそれは音声に再変換され本来の通信以上の明瞭な声をして再生、いや
創作されるのだ。
ハ! 何とも凄まじい。これでは戦闘にならん。私が『橙子の史実』においてドイツ第三帝国相手にこのような組織を作り出したと言うがそれですらこれに比べたら玩具同然だろう? 何しろたった一人、それも機上の人が一個航空隊を縦横に動かせるのだから。
早期警戒管制機
酷い話だ。これでは数の論理が覆ってしまう。いや、確かに圧倒的な数ではどうにもならんが倍程度なら此方のやりたい放題が実現してしまう。相手は奇襲され、右往左往するうちに全滅するだろう。だから私は電子、兵装担当になったのだ。
霧の力、その根源たる破壊を司る部位を担当する以上、並外れた判断力は必要だ。撃つという冷徹な判断こそが私を変える。そう、ダグラス・マッカーサーは己の意気を霧に見せつけた。あの時――日露戦争の旅順――彼は協力すればいいと言い放った。ならば私は其の意思を霧に見せつけよう。150年後の彼等霧、いや! 今の霧に
『過去を繰り返させない為に。』
私が眺める投影版の一点、其処を私が注視すると即座に画面が拡大表示され私の意思を通してこの二型早期警戒大艇の集合センサーが稼働を開始する。この機体の天井部分が起倒式で持ち上がり第二次世界大戦の飛行艇にそぐわない異形のセンサー部が露わになる。稼働を始めてから僅か数秒。それが何かを確認した。タカノやミスにも情報を転送。シナノとミスが切り離され我々が決闘者になる以上、見届け人は必要だろう。さて対する相手――人類評定側はどんな艦を送り込んでくるのか……それを空から見定める事がミスにも秘したタカノとの約束だ。
目を眇める。見届け人……ミスに宿ったシナノの仇敵とも呼べる艦、それを私はもう一度眺めコンソールを叩いた。
◆◇◆◇◆
27機、『橙子の史実』からすれば“第二次世界大戦”ですらこの程度の対艦攻撃部隊は何度も編成された。彼等は仰角を最大にまで傾け、やった事もない対空射撃を行うギリシャ艦隊に襲い掛かる。悠々とまではいかない。自棄糞でも弾量は力、しかも彼等は征京突入まで考えて
37粍対物用大型機関砲まで搭載していた。一機、また一機と翼を折られ胴体を裂かれ剣魚が墜ちる。それでもひるまずに航空魚雷が、徹甲爆弾が投下される。
サラミス被弾2、被雷2
黒煙を上げ停止したサラミスに止めを刺そうと未だ健在の日本艦隊が砲撃を浴びせようとする。
だが!
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