屋敷のあちらこちらから火の手が上がる。
俺の手はず通りに、羅々を始めとした工作員が火をつけたんだ。


「御兄様……」

「お兄ちゃん、怖い……」

「ご安心を。こちらには火は回ってきませんよ」


そういう風に指示も出してある。
あとは、詠がこの御二方を救出するように人を向かわせてくれるはず……

ただ、残酷だと思わざるを得なかった……
二人とも俺にしがみついて震えてる。
劉協に至っては、目に涙すら溜めてるほどだ。


「(子は親を選べないとはよく言うけど……)」


不意に、豫州や洛陽の通りで遊んでいた子供たちを思い浮かべた。
同じくらいの年齢のこの二人が、“天子”って言う肩書きを持ってるだけで……
他人事って言ってしまえばそれまでだけど、ここまで深く関わってしまったんだ。
感情移入したって仕方無い……


「……まだ、か?」


火の手が広がり、炎となり、業火となって屋敷を包みだす。
ここだって、時間がたてば火に包まれてしまう。

半ば無意識に、二人をグイッと引き寄せた。
抵抗の一つもせずに、二人は俺の顔を見上げてくる。
それぞれの顔をまっすぐに見て、「大丈夫」だと頷いて見せる。


「直詭!」


その直後だった。
扉を豪快に開いて、一人の人物が俺の名を呼ぶ。

背後の炎も相俟って、彼女の髪は一層紅く見えた。
彼女の顔を見て思わず、表情が綻びたのが自分でもよく分かった。


「恋、待ってた!」


天子の二人を連れて、恋の傍まで歩み寄る。
さすがに初対面の相手だからか、天子の二人は警戒してる様子……


「よくここって分かったね?」

「……この子、教えてくれた」


恋が足元に視線を送る。
そこにいたのは、先日のシャム猫……
俺の顔を見るや否や、軽快に頭の上に乗ってきた。


「そっか。お前、また助けてくれたのか」

「ニャォ」


俺の頭の上がそんなに居心地いいのか?
なんだか満足げな泣き声で返事してきた。


「じゃあ恋、この御二方を安全な場所までお願い」

「……………(コクッ)」


了解してくれたのを見て、御二方と目の高さを合わせる。


「この人と一緒に、安全な場所まで行ってください」

「御兄様は……?」

「俺はまだ……仕事が残ってるんで、行かなきゃいけないんです」


ここで一旦のお別れと悟ったんだろうな……
二人とも、さっきよりも一層強く抱きついてきた。
その二人の頭を、俺も名残惜しむ気持ちで優しくなでる。


「また……御会い出来ますよね、御兄様……?」

「お兄ちゃん……」

「大丈夫ですよ、きっとまた会えます。だから、いつかまた会うために今は逃げてください」


俺がそう言うと、ゆっくりとではあるけれどその身を離した。
んで、お礼のつもりなのかな?
俺の頬にそれぞれ軽くキスしてくれた。


「……さ、行ってください」


二人の背中をそっと押す。
恋が二人に手をさしのばすと、恐る恐るではあったけど、二人ともその手をとった。


「あ、恋」

「……………?」

「コイツも、ついでに連れてって」


頭の上でくつろいでた猫を下へと下ろす。
俺の意図が分かったようで、素直に恋の足元に歩み寄った。


「直詭、あっちに……」

「ん、分かった」


天子の二人に一礼して、すぐに身を反転。
一気に駆けだした。

炎の燃え上がる音があたりを包みこんでる……
その音に混じって、悲鳴や怒号が飛び交う。
鼓膜が破れそうになる音の中を、ひたすら駆け抜けていく……


「直詭!」


怒号の中から、俺を呼ぶ声が一つ……
足を止め、その声の方へと顔を向ける。


「律か!?」

「詠に指示された通り、“あいつ”はこの奥へと誘い込んだ!」

「上々……天子の御二方も、恋が保護してくれた!」

「ならば、このあたりの後始末は請け負う!お前は急げ!」


頷いてすぐに、身を翻して走り出す。


「直詭!」

「ん?!まだ何かある?!」

「……しくじるなよ?」

「……分かった!」


それだけ言葉を交わして、走り出した。
そこにいる“奴”を目指して……











3つ4つ程部屋をのぞいたけど見つからない。
次の部屋は──


「張譲様!」

「!?……な、何者?」

「味方にございます。急ぎ、この屋敷から離れましょう!」


灰で服の所々が汚れている。
逃げ回ってた様で、少し息も荒い……


「……味方?そう言い切れるのか!?」

「私が何か持っているように見えますか?それに、御身をお探しして、この火の中まで来た私を信じてくださらないので?」


一瞬戸惑ったようだ。
もしも、こんな状況じゃなかったら、この言葉だけじゃ不十分だ。
でも、今は命の危険と言う、冷静に状況を判断できない心理状態……
だから……──


「……す、すまないわね……」

「いえ、無理もありません。さ、こちらに」

「だが、どこもかしこも火と敵ばかり……逃げ道など──」

「……先程、ここに至るまでに、東手の門が手薄なのを見ましたが……?」

「っ!!なら、そこに向かうわ!供をしなさい!」

「御意にございます」


張譲を先に走らせ、俺はその後ろに続く。
どちらかと言うと、この屋敷の見取り図に詳しいのは張譲の方だ。
最短距離で向かってもらえれば、それに越したことは無い。

到着するのはあっという間だった。
ただまぁ、張譲の足が少々遅かったけど、さして問題ないほどだった。


「(……確かに手薄ね。抜けられるかしら?)」

「(ではまず、私が先に行きますので、そのすぐ後に続いてくださいますか?)」

「(分かったわ)」


東手の門には、2〜3人の兵士の姿しかない。
しかも、屋敷の方にしか目を向けていないので、門そのものはがら空き状態だ。


「(では……行きます)」

「(えぇ、行って!)」


兵士に見られないように、門をすり抜ける。
張譲も俺の後に続いて、あっという間に門を抜けた。
そしてそのまま、目の前に広がる森の中へと走る。

……すり抜ける際に、兵士の一人に目配せはしておいた。
張譲に悟られていないことだけ願っていたが、そんな心配は無用だった。
逃げ延びることにだけ必死で、俺のそんな小さな動きには気付きもしていないようだった。


「張譲様、せめてもう少し奥へと進みませんと!」

「ハァ……ま、待って……息が、続かない……ハァ……」


なんだかんだで張譲も文官だ。
一兵卒に比べれば、体力が劣るのは当然か……


「肩を貸しますので、もう少し奥まで……」

「え、えぇ……」


肩を貸し、後ろに気を配りながら進んでいく。
炎に包まれる屋敷がゆっくりと遠ざかって行く……
その炎の中から、声高らかに一人の声が響いてきた。


「十常侍が長・趙忠!この袁本初が討ち取りましてよ!」



………………
…………
……



それなりに歩いたかな?
この辺で良いか……


「張譲様、一休みいたしましょうか?」

「そ、そうね……」


もう張譲はこれ以上歩けそうにない。
確かに頭は良さげだけど、なんだかんだで他の十常侍たちと同様だ……
宴会で酒を煽って、遊び耽っていたんだ……


「あ、あの……張譲様?」

「どうかしたの?」

「そ、その……逃げられたと思ったら安心して……その、もよおして来てしまって……」

「いいわ。どうせしばらく休むのだから、済ませておいで?」

「で、では失礼します」


一礼して、草むらの中へと入って行く。
そのせいで、完全に互いの姿は見えなくなった。
とは言え、互いの気配は感じられるほどの距離ではあるから、張譲も安心しきっているようだ。


「趙忠が討たれたってことは……他のみんなも死んだわね……」

「張譲様……」


ここまで悔しさが滲みよってくる。
でも、まったくと言うほど同情心は湧きあがってこない。
当然と言えば当然なんだけども……
……俺も随分変わったなぁ……


「天子さえ……天子さえ取り戻せれば、私一人でも何とかなるというのに……!」

「天子様、ですか?」

「……お前は私の味方でいてくれるのよね?」

「味方でなければ、こんな場所までご一緒致しません」


俺のその一言で、完全に俺を信用しきったようだ。
小さく溜息を吐いて、ゆっくりと喋り出した。


「あの年で、朝廷だの政権だのを動かせるはずもない……私にその全てを委ねるという旨の文書さえ書かせれば……」

「……………?書かせれば?」

「生かしておく必要もなくなるでしょ?」


姿は見えてない……
ただ、なんとなく分かる気がする。
今の張譲の顔が、反吐が出そうになるくらいにニヤついていることが……


「まったく……董卓もちゃんと殺しとくべきだったわ」

「……何故です?」

「袁紹がこんな頭を使った戦が出来るわけがないわ!董卓の配下が潜伏していたとしか考えられない!」


ふーん……
その程度は分かってるんだな。
……ただ──


「殺しておくべき時に殺せなかった……この事態を招いた原因は確実に──」

「張譲様」


言葉を遮る。
少し驚いたようだけど、俺にはもう……関係無い。


「どうかしたの?終わったの?」

「いえ……本当はもう少しかかるんですが──」


草むらの中から姿を現す。
俺の姿を見て、張譲の表情が急変した……


「──いい加減、耳障りだ」


“目は口ほどにものを言う”なんて言葉がある。
張譲自身は口をパクパクと動かすだけで、声なんか出せていない。
ただ、その目は心境を雄弁に語ってくれる……

“恐怖”と“絶望”とを──


「ぁ……あ……あぁ……」

「無駄だ」


四つん這いになって逃げようとする張譲に、追いうちの言葉をかける。
同時に右手を少し上げて合図する。
周囲一帯を兵士が一斉に取り囲み、槍を向ける。

ほんとはちゃんと、制服を着てから出るつもりだった。
でも、本気で耳障りに感じたから、制服もカッターシャツもボタンは全開……
張譲が腰を抜かしてる間に、カッターのボタンを適当にいくつかはめる。


「御遣い様」

「ん」


俺の後ろから一人の兵が、得物を持って現れた。
以前使っていた柳葉刀じゃなくて、二振りの日本刀だ……
ただ、普通の日本刀じゃなくて、刃の方の鍔と柄の間に、指が一本入る取っ手のようなものが付いてる。

これは、恋と霞とを交えて武器を新調するにあたっての俺の案。
どうも俺は、基本的に二刀流で闘うんだが……
引っ切り無しに順手と逆手とを入れ替えて戦う癖がある。

とっさに持ち手を入れ替えると、刀に力が十分に乗らない。
だから、人を斬ると途中で止まってしまうなんてことが何度かあった……
しかも、人体っていうのは、すぐに刃を引き抜かないと、皮膚や肉が収縮するから引き抜くのが難しくなる。
だからこそ、“取って”をつけてもらうことで、すぐ力が乗るようにしてもらった。

この得物が届いたのが昨日のことらしい。
霞の言ってた“アレ”ってのはこいつのことだ。


「さて、と……」


今は一振りだけで良いから片方だけ受け取ってさがらせる。
ゆっくりその刀を鞘から抜き、張譲へと付きつける。


「張譲……取り敢えず、口上を言わせてもらうぞ?」


俺の方に振りかえる。
まったく、ひどい顔してるよ……
そんなことは今は良いか……
頭の中で言葉を選んで、しっかりと整える。


「何進大将軍暗殺及び、我が主・董卓の暗殺未遂の首謀。そして……──」


大きく息を吐く。
睨んでいた目を、思い切り見開いて言葉を続ける。


「天子であらせられる御二方の勅命により、御首貰い受ける」

「ち、勅命……?!」


全ての望みが断ち切られたという気分なのか……
歯の音があっていない。
見て分かるくらいに震えている。


「ま、待て!い、命だけは……!」

「何を言ったってもう無理だ。この状況が分からないほど、お前は馬鹿じゃないと思うんだけど?」


万一俺が殺さなくても、取り囲んだ兵が殺す。
赤ん坊でもない限り、この状況は理解できるはず……


「お、お前たちも……そ、そうだ!助けてくれるというのであれば、私の持ち合わせている金をいくらでもくれてやる!」

「……………」

「金で足りなければ、どのような名声でも地位でも、私が一声かければ朝廷だって……」


……何だろう?
着替えてる最中に感じていたのは、多分“苛立ち”で間違いないんだ。
でも、今は“苛立ち”をとっくに通り越してる。
なのに……“怒り”じゃ、ない?
俺自身の感情のはずなのに、なんでこんなに分かりにくいんだ?


「も、もしくは私の元に仕えないか?!天子さえ取り戻せば、いくらでも好きな──」

「──もういい」


……分かった……
漸く、俺が今感じてる感情が分かった……


「た、助けてくれる、のか……?」


か細い希望の光でも見出だしたのか?
張譲の表情が少し明るくなったように見えた。
それを見て、俺の感じてる感情が明確になった……

付きつけていた刀を少し下ろす。
すると、張譲が身を起してこちらへと歩み寄ろうとする。


「お、恩に着──」

「……“呆れ”だったんだな……」


一閃──
何が起こったか、当の本人は分かってない様子。
だが、頭で理解するよりも早く、事は終わっていた。

やけにゆっくりに見えた……
張譲の頭と胴とが離れ、ゆっくりと頭が落ちて──

──命の消える音が、辺りに響いた……











「ナオキ!」


霞が駆け寄ってきた。
でも、周りの兵の様子がおかしいことにすぐに気付いた様子だ。
俺がじっと、張譲の頭を見つめて動こうとしないから……


「どうしたん、ナオキ──っ?!」

「……霞」

「なんで……泣いてるんや?」


声が震えるくらい、俺は泣いてた……
霞の姿を見て、持ちこたえてた何かが切れて、その場に膝を付いた。


「な、ナオキ!?」

「……俺は、何を期待してたんだろうな……?」

「え?」

「たった……たったの“一言”でよかったのに、俺は……」


たった“一言”あれば、俺自身が手を下すつもりは無かった。
その“一言”があれば、捕縛して詠にでも付き出すつもりだった。
“一言”……“謝罪の言葉”が欲しかった……

形だけのものでも良い……
何進に対してでも、董卓さんに対してでも、天子の二人に対してでも……
どんな形でも良いから……誰に対してでも良いから──


「……ナオキ、後でいっぱい泣いたらええさかい、今はこの場を占めよか?」


優しげな口調が胸に染みる。
無理矢理涙をぬぐい、刀を使って立ち上がり、そのまま……刀を天へと掲げる。


「十常侍が長・張譲!董卓が家臣であり天の御遣いである、この白石直詭が討ち取った!全員、鬨を上げろぉ!!」


大地が震えるくらいに、鬨の音が響く。
未だに、俺の頬を涙は伝ってる……
とどまることを知らないかのように、ずっと……──













後書き

連日で投稿させていただきました。
本当はもう少し構想とかはあるんですが、完全に退院と言う形ではないので……
ぶっちゃけ、書く時間が足りないんです(汗

ちゃんと退院したら、また完結目指して頑張って行こうと思います。
また暫く間は開きますが、よろしくお願いいたします。



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