虎の章/第50’話『眼前の悪夢』
揚州全土の制圧はそれなりに滞りなく済んだ。
まぁ、袁術と雪蓮じゃ格が違うのは誰が見ても明らか。
ついでに言うと、今までの袁術のやり方に不満を持ってた民衆も多いって話だ。
その悪政が駆逐されたとなれば、そりゃ諸手を上げて喜ぶもんだろう。
とは言え、戦いが一つもなかったわけじゃない。
袁術と言うトップがいなくなったことを機に、独立を目論んでる奴だっていた。
つまりは、雪蓮に従わないという声明を暗に出してる奴だ。
俺たち武官の仕事って言うのも、基本的にはそう言う輩に灸を据えること。
誰のおかげで寝食が保証されてるかを思い知らせるって意味での戦いは避けられなかった。
まぁ、少し脅かしたら基本的に全員頭を下げてきた。
雪蓮のこれからのやり方を長々と説明したり、時には相手の武力がどれだけ無力かを思い知らせたり……
やり方はそれぞれだったけど、大方安心していいとは思える状況にはなった。
つまりは、これでようやくスタートラインに立ったってことだ。
雪蓮たちの母親・孫堅の掲げた天下統一の夢。
これを実現させるための激戦に立ち向かえるための準備を整えられる状況になったってこと。
勿論の話だけど、俺たちが実力を付けているってことは、他国だって同じように力は付けてきてる。
反董卓連合の時をはるかに上回るような戦も待っていることは容易に予想できる。
……その予想が立つようになった日から、やたらと夢見が悪くなった。
寝る直前まで話していた相手が、血塗れになって消えてしまうような夢ばかり見る。
あからさまに寝不足なのは自覚してる。
それを嘆くつもりはないけれど、周りに気づかれないように振る舞うのもいずれは限界を迎えるだろう。
……俺は、この手で、誰かを守りきれるだろうか……?
「──っ!直詭っ!」
「っ?!わ、悪い……」
「白石、軍議の最中に考え事とはあまり褒められんぞ?」
「……ゴメン、聞いてなかったわけじゃないから続けてくれていいよ」
「じゃあ、直詭さんが本当に聞いてたか確認しても良いですか〜?」
「なんなりと」
「では〜、今私たちに課せられている命題に付いて話していましたけど、それは何だったか言ってもらえます〜?」
「現時点での目標は富国強兵……その為に、税収増加と軍備拡張って言う二律背反の均衡を保つことだろ?」
「ほぉ?しっかりと聞いていたのか」
「聞かなきゃいけない部分はちゃんと聞くようにしてるからな」
……ま、俺の考えなんて今は些細なモノ。
皆の話を聞きながらでも考えられるようなものだしな。
「まぁこの点に関しては、冥琳たち文官に頑張ってもらわないといけないけどねぇ」
「内政面は我ら文官の功名の場。これだけ厳しい現実だ、充分にやりがいがある」
「それに、他国に後れを取るわけにもいきませんもんねぇ」
「今のところ気を配るべきは曹操だろうが、いずれは群雄割拠を勝ち抜いて新たな強者が出てきてもおかしくはない。現状打破に遅れれば遅れるだけこちらが不利になる」
「それに雪蓮殿、我関せずな言い回しをしておるようですが、雪蓮殿の采配如何で呉の将来は決まるのですぞ?」
「分かってるってば玲梨……」
「武官の者も同様じゃな。今の儂らは圧倒的に人手不足じゃし」
「働かざるもの食うべからずってか?」
「そう言うことだ。亞莎、基礎知識をしっかりと穏に習うのだぞ?」
「はぅっ?!わ、わたしですか?!」
急に話題振られて亞莎が驚いてる。
まぁ当然だよな。
軍師としての知識をたっぷりと学んでもらわないといけないし。
「うぅ〜……私、勉強は苦手なんですけど……」
「そんな頭良さげな格好してるくせにか?」
「こ、これはその……お母さんにこれを着ていきなさいって言われて……」
「それでも頑張ってくれるつもりはあるんでしょ?」
「は、はいっ!何とか頑張って見せます!」
「うふふっ、素直ねぇ。可愛いわぁ」
「え、や、あの、その……そ、そんなこと、ないです……」
「そこで照れるのもまた可愛いわ♪はぁ〜、蓮華や小蓮にも見倣ってほしいわね」
「ぶぅ〜!シャオは可愛いからいいもん!」
「わ、私は……確かに可愛げは無いかも知れません、悪かったですね……」
「あら、拗ねちゃった」
「す、拗ねていません!」
「あははっ、今度は怒っちゃった♪直詭、助けて〜」
「知るか」
真面目な話してたのに、雪蓮のせいで一気に脱線したな。
ホラ見てみろ、蓮華が真っ赤になってるぞ?
「……直詭、ひょっとして姉様の肩を持つのか?」
「どっちの肩も持たねぇよ。てか、声に怒りが滲み出てるぞ?」
「あらら♪蓮華、ひょっとして妬いちゃった?」
「っ?!も、もう知りません!亞莎、行くぞ!」
「は、はひっ!?」
あーあ、出て行っちゃった。
「ふっ……蓮華様も可愛くなられたものだ」
「うむうむ、良い傾向じゃな」
「次期呉王としても、一人の女性としても、な」
「直詭さん、蓮華様の嫉妬の炎で丸焦げになっちゃったりして♪」
「あの程度でなってたまるか」
「ほぉ?白石、随分と自信ありげだな」
「どっかの誰かさんのせいだな」
「え?それって誰の事?」
「さぁな」
聞いてきた本人だとは敢えて言わない。
ま、雪蓮のことだしすぐ分かるだろうな。
●
適度なところで軍議も終わって、皆それぞれ仕事に向かっていく。
気がついたら、俺と雪蓮の二人きりになってた。
「……ったく、雪蓮。あんまり蓮華をからかうなよ?三姉妹の中で一番真面目なんだし」
「真面目だからついついからかっちゃうのよねぇ〜」
「本人聞いたら泣くぞ?」
「でも、直詭だって分かるでしょ?」
「……分からなくはないけどもだな」
「でしょ♪」
ったく、この気儘な姫君はホントに……
「そういえば、蓮華とは上手くいってる?」
「いってないこともない、って感じじゃねぇかな?」
「あれ?あんまり自信無いの?」
「俺がそういう性格なの、雪蓮も良く知ってるだろ?」
「そうだけど……あなたたちが上手くいってくれないと困るんだから頑張ってよ?」
「何で困るんだよ?」
そこで、気のせいかも知れなかったけど、一瞬だけ雪蓮が寂しそうな顔をした。
「私が居なくなった時、孫呉を継げる人間は蓮華だけよ。シャオがまだ幼い以上、蓮華が呉の王とならなければいけないの」
「それは、分かるけど……」
「そんな時、直詭と蓮華がくっついていれば、呉の力はさらに増すでしょ?」
「……雪蓮からしたら不服だろうけど、俺をそんなに過大評価すんなって」
「正当な評価よ。今どれだけ直詭の名が世間に知れ渡ってるかは知ってるでしょ?」
「あー、あの渾名の事か?」
「そ。シャオもいい仕事してくれたわ♪」
「けどよぉ……」
「“天界の獅鬼”と言う名に恥じない働きをしていることは、誰よりも私が一番知っている。だからこそ、あなたと蓮華にはちゃんとくっついてもらいたいのよ」
「……雪蓮じゃダメなのかよ?」
「私に何かあるかもしれないでしょ?今は戦乱の世、何が起こったって不思議なことじゃないわ」
「……そう言う不吉な話は聞きたくねぇんだけど?」
「でも事実よ。だから受け止めてほしいの」
「なら……その事実を現実にしなきゃいいだけの話だな?」
「……直詭?」
一度雪蓮から視線を外して、自分の手を見つめる。
ゆっくりと、でも思いっきり力強く握りしめる。
「俺がこの手で、雪蓮に訪れるかもしれない不吉な未来を払いのければいいんだな?」
「大陸全土を敵に回す気?」
「そうなったとしても……この手が届く距離にいる大切な人を、俺はもう二度と失いたくない」
「……怖いの?」
「あぁ、怖い」
「……ふふっ、ありがと」
随分と素直にお礼を言ってきた雪蓮。
んで、俺の肩に頭を乗せてきた。
そこから伝わってくるのは、孫呉の小覇王とか、そんな覇気は微塵もなくて──
「あーあ……蓮華に譲るの、やっぱり早かったかなぁ?」
「は?何言ってんだ、冥琳がいるくせに」
「男の中だと、直詭が一番好きだもん」
「冗談に聞こえない口調でそう言うこと言うんじゃねぇよ……」
「だって本気だもん♪」
「どうだか……?酒煽ってる時だって似たようなこと言ってるくせに……」
「私はいつだって本気よ。けど……まぁ……直詭には蓮華の傍に居てもらうことが、孫呉の為だもんね」
「……バーカ」
俺の肩に乗ってる頭を、少し優しめに撫でてみる。
どこか嬉しそうな雪蓮の息が漏れる。
それが聞けて、俺も少し心が安らいだ。
「……なぁ雪蓮」
「なぁに?」
「俺はちゃんと蓮華の隣に居させてもらうよ」
「うん。信じてる」
「けどな?雪蓮の隣にも居させてもらうからな?」
「直詭……」
「俺の命を拾っといて、その命を易々と妹の方に放り投げられても、当事者の俺が困るんだよ。だから……だから──」
「……だから、何?」
「だから……俺の命を拾った責任果たすまで死なさせねぇからな」
「……うん」
自分の言葉をしっかりと形にしなきゃいけない。
そう自分に言い聞かせるように言ったつもりだ。
雪蓮が、少し驚いたように、それでいて嬉しそうに返事してくれて、言って良かったと思えたことが何よりだった。
「……そうだ。ねぇ直詭、今から用事ある?」
「ん?特にねぇよ?」
「ならさ、ちょっと付き合ってくれる?」
「付き合うって、どこに?」
「ちょっと、ね?」
「……まぁいいけど」
何となく雪蓮が言葉を濁したのはすぐ分かった。
俺も敢えて追及する気になれなかった。
だから、そのまま手を引かれて、玉座の間を後にした。
●
連れてこられたのは城から少し離れたところにある森の中。
そこに、静かに小川が流れてる。
……確か、前にも一度だけここに来たな。
「また釣りでもする気か?」
「違うわよ。今回は、ね」
そう言って、少しだけ小川に沿って歩く。
しばらくすると、少し大きめの石が置いてあった。
まるで誰かに手入れされているかのように、その石だけ目立っているのが分かる。
「……これは?」
「ここにね、母様が眠ってるの」
「孫堅さんか。でも、何でこんな所に?」
「袁術の城は元々母様が落した城だったの。でも、母様が死んでからは、袁術に奪われちゃってね……」
「でもよ、もっと立派な墓を建てたほうが良いんじゃなかったのか?言うのもなんだけど、こんな簡素な──」
「母様が嫌がってたのよねぇ……死んでまで王と言う形式に縛られたくないってね」
「……そっか」
「戦ばっかりの毎日だったから、死んだあとぐらいはのんびりしたかったんじゃないかしら」
雪蓮は小さく笑ってる。
……久しぶりに会いに来られたからだろうな。
それはとても嬉しそうな笑みって言うのが分かる。
「久々だもんね、ちゃんと磨いてあげないと怒られちゃうわ」
「手伝ってもいいか?」
「えぇ、ありがと」
川から水をくみ上げて、墓石に水をかけて石を磨く。
丁寧に丁寧に……
雪蓮の手からは、優しさや愛おしさが滲み出てる。
その後は周辺の掃除だ。
雑草とかを抜いて、重なった落ち葉を払って周辺を掃き清める。
この作業の間、雪蓮は珍しくもずっと無口だった。
……心の中で孫堅さんに話しかけてるのかな?
何となくだけど、そう言う気がした。
「……こんなもんか?」
「ん、そうね。ふぅ〜、やっと綺麗にできたわ」
「孫堅さん、喜んでるかな?」
「怒ってるんじゃないかしら。時間かかり過ぎだ、この阿呆ってね」
「ちょくちょく話聞いてるけど、孫権さんはやっぱりすごい人だった?」
「間違いなくすごい人よ。江東で旗揚げした途端、江東・江南を制覇して孫家の礎を作ったんだから」
「成程な。聞かされてた通りの英雄だな」
「えぇ、確かに英雄だった。けど……娘の視点からすれば、母親失格だったかなぁ?」
「……と言うと?」
「私、まだよちよち歩きしかできなかったのに、戦場に引っ張って行かれたのよ?よくぞ今まで生き残ってこれたと思うわ」
「随分とまぁ苛烈な教育だったんだな」
「ホントにね。そんな背中ばっかり見てたわ」
「……でも、好きだったんだろ?」
「そりゃね。私の師匠でもあるわけだし……大好きだったわよ」
そう言って、雪蓮はそっと墓石の前に跪いた。
「母さん、ようやくここまで来れたわ」
墓石に向かって静かに語りかける。
邪魔をするわけにもいかないし、俺は雪蓮の後ろにそっと立つ。
「あなたが広げた私たちの故郷が今、孫家と呉の民たちの下に戻ってきた……見てる、母様?今から我ら孫家の悲願が始まるわよ」
「孫家の悲願……天下の統一、だよな?」
「えぇ」
「……でも、雪蓮の本音は違うんだろ?」
「……どうして分かるの?」
「初めて会った時に言ってただろうが。雪蓮が望んでるのは、“天下”じゃなくて“平穏”だって」
「ふふっ、ちゃんと覚えててくれたの?嬉しいわ」
忘れる訳ねぇよ……
あの言葉を言われたから、俺は雪蓮と一緒に進むって決めたんだ。
今もこうして、隣に立ってるんだ……
「私はね……呉の民たちが、私の仲間たちが、笑顔で過ごせる時代が来ればそれでいいの。天下だの権力だのに興味はないわ」
「今の時代で、それがどれだけ理想論かってくらいは分かってるよな?聞く相手によっちゃ笑いものにされるぞ?」
「直詭は笑わないでしょ?」
「まぁな」
「それに、ただの理想論じゃない。天下を統一し、一つの勢力が大陸を治めれば、庶人に対して画一的に平和を与えることが出来る」
「だからこその天下統一か……」
「そう、それが我ら孫家の悲願……だから私はこれからも戦うの」
表情は変わらず笑顔のまま。
でも、雪蓮の目には力が宿ってる。
誰にも打ち砕けないほどの強い力が……
「戦えば、誰彼なしに傷ついて、笑顔が消えて行く……それは分かってるけど、矛盾はしているけど……戦わないと何も手にいてることが出来ないと思うから──」
「考えとやり方に矛盾が生まれるのは普通の事だって」
「……そう思う?」
「あぁ、人は間違いながら生きていく生き物だ。矛盾することなんてこの世にはありふれてる」
「矛盾することは悪いことじゃないってこと?」
「少なくとも俺はそう思う。矛盾していようが、自分の理想を実現させられるならそれは立派な偉業だと思う」
「……そう思ってくれるの?」
「あくまで俺はな。ま、一緒に笑いものになったって構わねぇよ」
「……ふふっ♪」
「ん?いきなり何笑ってんだよ?」
「ううん、ちょっとねぇ〜……蓮華に譲ったの、やっぱり失敗だったなぁって思っちゃって」
「ったく、またそんなこと言うのか?」
「言ったでしょ?私はいつでも本気だって」
「そりゃ聞いたけどよ……」
「あーあ、独占しとけばよかったかなぁ〜?」
「なんだ?嫉妬でもしてんのか?」
「そりゃするわよ。私、独占欲強いもん♪」
「その辺は小蓮見てれば分かる」
「でしょ♪でも良いの、直詭は皆のものだから、時々こうやって独占できるってことで満足しとく」
「……そりゃどうも」
少し照れてる俺がいる。
それを見てか、雪蓮はクスクス笑ってる。
……今はこの雰囲気、なんとなく心地いいな……
「さ、そろそろ帰ろ。じゃないと、蓮華あたりが怒鳴り込んできそうだし」
「もういいのか?」
「うん、充分よ」
雪蓮は大きく頷いて見せた。
んで、再び墓石の前に跪く。
「そろそろ行くわね、母様」
「……まだここに居たいなら、俺から皆に──」
「大丈夫よ直詭。……これから忙しくなるから、なかなか来られないとは思うけど……でも、あなたの娘は命の限り、誇りの限り戦うから」
最愛の母親へのメッセージってだけじゃない。
雪蓮は自分自身にも言い聞かせてる。
さっきまでとは違って、今ここに居るのは紛れもない小覇王その人だ。
「母様が思い描いた夢、呉の民たちが思い描く未来に向かって、私は戦い続ける。だから、天国から見ていてくれる?」
どうも、最後に誓いの言葉でも言うつもりらしい。
……俺も同席させてもらうか。
これから雪蓮や蓮華を守り抜いて、呉の未来のために──
ガササッ!
……………急激に寒気を感じた。
幾度も感じたことのある寒気を……
あの日に感じた怖気を、気が狂いそうになるくらいに感じた……
「雪蓮っ!!」
後書き
蜀ルートと違ってここらあたりからオリジナル要素が強くなりそうです。
……どこまでできるか分かりませんが、出来る限り頑張って書いていきたいと思います。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m