黒い王子の魔法野郎
IFルートシリーズ第一弾「リンディルート」
魔法野郎と少し設定が違っているかもしれませんがお許しを。
最近、遠い世界の夢を見る。
温かく、慌しいながらも平和な日々の夢を。
『アキト〜!』
『アキトさん』
いつものように、彼女達は自分の名前を呼んでくれる。
夕食はまだかと。
今日は一緒に寝ましょうと。
今度遊びに行こうと。
とりあえずご飯と。
そんな日常が嬉しくて、これこそが自分の望んでいたものだと実感できて。
「………、…ト、アキト!」
「…ん………」
また、いつもと同じ夢を見る。
IF・
リンディルート「想い、包まれて」
「大丈夫?」
「…ん。すまない」
最近、日課となりつつあるリンディの呼びかけと揺さぶりによって目覚めたアキトは、裸の上半身をベッドから起こし、額に手を添えて頭を軽く横に振る。
そんなアキトを心配そうに見つめるのは、彼と数年前から懇意にあるリンディ=ハラオウンであった。
彼女はアキトの呻き声に目を覚まし、苦しそうな彼を見かねて起こしたのだが…。
「今、何時だ?」
「朝の4時よ。もう一眠りくらいは出来そうだけど…」
「………いや、いい。リンディは寝ていてくれ」
「いいわよ、私も目が覚めちゃったし…」
「…すまない」
アキトはリンディに視線を合わせることなく謝罪してベッドから立つと、ベッドの傍のソファーに掛けてあったバスローブの2着のうちの1着を取って羽織って
部屋を出て行く。
アキトと同じベッドに寝ていたリンディはアキトと同じく全裸だったので、そのもう片方を羽織ってアキトに続き寝室を後にする。
そして、アキトがリビングに出ると、彼女はキッチンに入ってお湯を沸かし始めた。
どうやらお茶を淹れる事に決めたようだ。
「………」
アキトはそれを気にする様子もなく、バイザーのない素顔を暗く染め上げ、リビングの端のテラスへ続く窓に足を運ぶ。
既にアキトの体は完治しており、現在はラピスとのリンクも必要はなく、週に1度、クエンによる検査を受けるだけで済んでいる。
現在ラピスはクロノとエイミィの3人で同居しており、既に3人は婚姻を結んでいる。
その際、3人はアキト達と離れて住むことを決断し、2人が住むクラナガンとあまり離れてはいないものの、別の街に移っていった。
フェイトは本局に移り住み、数ヶ月に一度、2人の住む家に戻ってくる事があるが、2人の邪魔はしたくないと長居はしない。
(3年か…)
PT事件、闇の書事件から既に3年という月日が流れた。
高町なのは、フェイト=テスタロッサ、八神はやて。
多くの仲間と出会い、そして、多くの事件を解決していった。
その時間があまりにも早すぎて、執務官長に就任するまでは気付かなかったが、それだけの時間が経ったと最近実感するようになった。
時間という概念はつくづく掴めないものだと。
まだ明るくならない空を眺めつつ、ふとアキトは思った。
「はい、お待たせ」
「ん、ああ」
過去の回想に耽っていると、いつの間にか傍にやってきたリンディが、少し熱いという程度のお茶を手渡す。
自分のカップには既に砂糖が入れてあるのだろうか、などと当たり前の事を思いつつ、アキトは手渡されたそれに口を付ける。
冬の空は硬く、つんとした独特の空気を持っている。
それ故に澄んでおり、遠くの空までも透けて見える。
「「………」」
2人とも、そのまま何も口にすることはなく。
しばしの間、お茶を飲む音だけが部屋の中に響き、冬空をぼんやりと見つめていた。
リンディはそのアキトの横顔をちらりと横目で見ると、アキトは無表情のまま。
しかし、彼女にはその内心が一体どういったものか、よく理解できていた。
アキトは基本、弱音を吐かない。
それ故に無表情の仮面を被り、その辛さを表に出す事を決して許さない。
そして、今のアキトは正に自身の辛さを押し隠しているのが見て取れた。
アキトの様子がおかしいと感じたのはいつだったか。
闇の書事件終了後、アキトはリンディと同居するようになった。
婚姻は結んでいないものの、互いにそれでもいいと感じていたのだ。
そして、同居してから何ヶ月経った頃か。
いつものように夜を共にし、いつものように朝を迎えるかと思っていたある日。
アキトは酷く魘され、隣で熟睡していたリンディが病気に罹ったのかと心配するほどであった。
その日を境に、アキトは月に数度の数字で魘されるようになった。
リンディが一体何の夢を見ているのかと聞いても、アキトはすまないの一点張りで教えてはくれない。
近いうちに話すから、今は訊かないでくれと後に告げられ、現在はこうして傍で見つめているだけなのだ。
ラピスに訊いてもラピスは首を横に振るのみで、他の誰が訊いてもラピスは絶対に答えなかった。
アキトが根回しをしたのかと思ったが、彼女なりにアキトのことを思っての事だというのは後に理解できた。
恐らくラピスはアキトの魘される原因を知っているのだろうが、アキトが口を開かない限り、彼女もまた口を開く事はない。
「リンディ」
「―――え、何かしら?」
と、思考に耽っている間にアキトはリンディの顔を覗き込んでいた。
それに気付かなかったのか、僅かに後ずさりつつも、リンディはアキトの呼びかけに返す。
「…今度の休み、夕食は外にしようか」
「え?」
白い吐息と共に。
漏れた言葉は、意外だったためか。
僅かに苦笑を浮かべながら、アキトはリンディを誘う。
「―――少し、話したいことがある」
「……」
苦笑は一体何に対してか。
その内心に、何を思っているのか。
―――陰のある瞳は、リンディという存在に誰を見ているのか。
「うん、いい景色…」
「ああ、そうだな」
あの夜から1ヶ月も経たない真冬のある日。
アキトとリンディの2人は、クラナガンのある高級ホテルに足を運んでいた。
アキトは管理局の制服とは別の、紺色を基調にしたスーツ、リンディは肩を露出させるタイプの白いドレスを纏っていた。
夕食を10階のレストランで済ませた後、2人は最上階の一室に足を運んだ。
電気をつけていない部屋、その窓からはクラナガンの街並みが一望でき、リンディはそれに幾ばくかの感動を抱きつつ、また、今日この場に誘ってくれたアキト
に感謝する。
「こういう場所で2人っきりでディナーを一緒にするなんて何年振りかしら…」
「…俺に訊くなよ。こういう場所に誘ったのは初めてなんだから」
「フフッ………そうね」
アキトは執務官長という役職もあるが、それ以上に気恥ずかしさが先行してデートをリンディを誘うことはしなかった。
無論、軽いデートなどは偶にするものの、今日のこのホテルのような場所でディナーに誘うなど、昔のアキトからは想像もつかない。
「…クラナガン、か」
窓の傍に立つリンディの隣に歩み寄りつつ、眼下の景色を見やる。
その表情はどこか影を落としており、隣のリンディにいつもの胸の痛みを与える。
いつものアキトならば何も言わず、視線を動かさずにその光景に見入っていただろう。
しかし、今日のアキトはいつもと違っていた。
「―――リンディ、ありがとう」
「え…?」
紡がれたのは、感謝。
リンディはその言葉の意味がわからず、隣のアキトの顔を見上げると、いつもとは違う雰囲気の苦笑を浮かべた彼が。
「何も訊かず、何も言わないで待っていてくれて」
「あ……いいのよ。私だって、昔はそういうことがしょっちゅうだったし」
「……」
リンディも過去に夫を失った際、儚い夢を何度も見た経験がある。
目覚めるたびに絶望し、しかし、立ち直らなければならない現実があった。
その辛さを知っているからこそ、リンディはアキト本人には訊かなかった。
そして、アキトはリンディから視線を外し、苦笑を浮かべたままの顔を窓の外の空に向けたまま、ポツポツと話し出した。
「…ユリカと、ルリという義理の娘の夢だった」
「………」
「屋台を引いて、ラーメンを作って、ぼろいアパートに暮らして。
でも、とても幸せな時間だった。僅かな時間だったけど、アレが人生で一番幸せな時間だった。
―――そんな夢だった」
「アキト…」
苦笑を湛えたまま。
己の弱さが作り出した幻想を伝えるアキトの内心は、だらりと下げられた腕が示していた。
「だけど、いつもそれが夢であると思い知らされる。
どれだけの事を自分がやったのかを、俺は理解しているからこそ、夢から醒めてしまう」
「………」
リンディもアキトの過去については一通り聴かされた事がある。
コックを目指していたこと、パイロットになったこと、戦争の果ての結婚、人体実験、復讐。
それは不幸と呼ぶに相応しく、また、悪魔と呼べるほどに恐ろしい事を為してしまった過去。
そんなアキトの過去を思い出し、リンディは赤に塗られた唇をキュッと噛み締めて、眉を顰める。
確かにアキトが後々に為してしまった事は悪だ。
だが、その過程を見て、そうならずにいられなかったと言われれば、止める術などないだろう。
その現実が、今のリンディの心に闇を齎そうとする。
しかし、アキトはそこでフーッ…と大きく深呼吸すると、リンディに視線を戻し、苦笑のまま話を続けた。
「―――だけど」
「…?」
「その度に、自分を無くしてしまいたくなるほど落ち込んでいる俺を支えてくれた人がいた」
「―――」
過去を過去として割り切ることは出来ない。
今のアキトにとって、あの2人は今このときも生きているのだから。
だが、だからといって自分を支えてくれ続けた女性に、何も思わないほどに、何も返さないほどに、今の自分は非道じゃない。
―――あの世界から逃げてきた俺に、全てを流されるままに生きようとしていた俺なんかに…わざわざ手を焼いてくれた人がいた。
―――自分には何のメリットもないのに、それが当たり前のように、俺とラピスの面倒を見てくれた。
―――温かかった。人の痛みを、よく理解してくれていた人だった。
―――俺の過去を知って、受け入れてくれただけじゃなくて、叱咤もしてくれた。
アキトがスーツの懐から、一つの小さな箱を取り出す。
―――黙って傍にいてくれる事が、これほどにありがたいと感じさせてくれた。
―――今もこうして、笑いかけてくれることの温かさが、俺の心を穏やかにしてくれた。
パカッ…と、何かが外れるような音と同時、箱の中身がリンディの目の前に。
―――だけど、感謝だけじゃない。
―――俺も、いつまでも過去を追い続ける訳にはいかないから。
―――だから、今を隣にいてくれる人のために、これからの人生を、これからの想いを捧げていこうと思う。
そして、最後に軽く深呼吸してから、目の前の彼女に告げる。
結婚してくれ………リンディ――
「―――ぇ?」
音の無い部屋の中で。
その言葉の意味がわからず、呆然とアキトの顔を見つめ返す。
アキトの顔からは苦笑が消え去り、じっとリンディ返事を待っていた。
その手に翳された黒い箱と、その中の銀色のリング…それが何を意味しているのか。
「………」
「ぁ…ええっと、つまり………」
彼女にしては珍しく顔を真っ赤に染めながら、しかし、理性では何の事か理解できず。
とはいうものの、見開かれた両の瞳からスゥ…と流れるそれは、紛れもなく彼女が彼の言葉を理解している事を表していた。
「…嵌めても、いいか?」
「ぅ……は、はい…」
アキトはリンディの心境を理解しているのか。
先ほどの苦笑に表情が戻りながらも、箱からリングを取り出した後、リンディの左手を取る。
―――そして、アキトの手がゆっくりとリンディの薬指に向かう。
「その前にもう一度訊くが…俺でいいか?」
「………え、あ」
リングが薬指に入る直前、アキトは改めてリンディを見やる。
リンディも先ほどよりかは理性が落ち着きを見せ、アキトの言葉に「はい…」と僅かに頷いた。
アキトはそれに頷き返すとリンディの薬指にそれを嵌めた。
リング内側に互いのイニシャルが彫られただけのシンプルな指輪。
宝石が付いているわけでもなく、値段としてはそこまでは張らないだろう。
―――しかし、そこに込められた想いは、数字で表す事など到底不可能である。
こうして、彼と彼女は新たな日々を迎えることになる。
「おめでとう、リンディさん!」
「義母さん、おめでとー!」
教会の外に出ると、なのはやフェイト、他の皆の祝福の言葉に迎えられ、少し気恥ずかしさが襲う。
しかし、隣にいる彼女が自分より先に前に出ると、腕を組んでいるために、それに引っ張られる形で歩を進める事になる。
「さぁ、それじゃブーケ投下といきましょうか」
「「「「「は〜い!」」」」」
その言葉に反応した皆は、早速自分たちの手へ視線が向かう。
そこには結婚式のもう一つの最大イベントの中心であるブーケが握られていた。
「それじゃ、行きましょうか。アキト?」
「ん……」
緑色のドレスは彼女の髪と見事にマッチしており、清楚とも取れるし、彼女自身の性格からアグレッシブとも取れる雰囲気を醸し出していた。
まぁ、綺麗なので細かい事は突っ込むまい。
今はこのブーケを投げる事に専念しよう。
「「いっせ〜の〜………せ!」」
そうして投げられたブーケを追って、少女達は背一杯手を伸ばす。
それをやれやれといった内心で見送りつつ、隣の彼女が肩に頭を預けてきた。
その表情はいつになく穏やかで、見惚れてしまうほど綺麗であった。
「ねえ、アキト?」
「………ん?」
どうやらあのブーケははやてが取ったようだ。
身体能力はあのメンバーの中では最弱なのに、こういうときには最強らしい。
それにおかしなものだと思いつつも、声を掛けてきた彼女に返す。
「…幸せね」
「ああ…だけど、まだ始まったばかりだ」
「そう、よね…」
そう。
これから、また新しい日々が始まる。
―――だから、幸せになろう。
―――はい、あなた。
温かい日々と、穏やかな日々の。
門出を祝おう。
それ故に、敢えて言おう。
―――愛してる、リンディ。
―――私も、愛してるわ。
<完>
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