「アキト…おい、アキト、朝だぞ!」
「ん………うぅ…ん?」
テンカワ=アキトの朝は早い。
妻であり補佐官であるヴィータによって公私共に支えられているが、ヴィータが思いのほか家事やら何やらを頑張ってくれているため、アキトは少し肩の息を抜
く場面が多くなった。
彼の朝の寝起きの悪さもそれに起因しており、それによってヴィータがアキトを起こすための時間も若干増えてしまったものの、その時間は2人によってとても
心地よいものであった。
「だー、もう起きやがれ!」
「あだっ?!」
とはいえ、さすがに時間が差し迫ると手段を選ばないのがテンカワ=ヴィータの恐ろしさである。
相棒であるアイゼンを思いっきり夫の脳天に叩きつけるあたり、彼女が恐妻であることを表している。
IFルート「テンカワ=ヴィータ、愛の鉄槌と共に」
「っつつ…」
「ほら、アキト。じっとしてて」
「ああ、すまない…」
アキトが椅子に腰掛けた状態で、頭に出来たたんこぶの痛みをこらえて身じろぎすると、その真後ろで治療を行っているシャマルが苦笑しつつ注意する。
それに返事をしつつもアキトはテーブルの反対側で黙々と朝食を口に運ぶ愛妻の顔を恨めしい目つきで見やるが、彼女は自分は何も悪くないと言わんばかりの平
然とした表情でその視線を無視して食事を続ける。
「朝っぱらからホント元気やねえ、2人とも」
「はやて…だからといってアイゼンで叩くのはおかしいと思わないのか?」
ヴィータの隣で食事を摂るはやてはアキトの言葉にシャマルと同様の苦笑を浮かべつつ、箸を扱う手の動きを止めることはない。
最近では日課になりつつある光景に付き合っていたら遅刻しかねないからだ。
「きちんと起きないアキトにも非はあろう?
昔は部屋に入る直前には気配に気付いて勝手に起きたのに、弛んでいるな」
「同感だ。この際、ヴィータと寝室を別にしてはどうだろうか?」
「な?!」
「………ふむ、悪くない考えだ」
はやての横、シグナムの言葉に更にその横のアインスが頷きつつ対策を提案をする。
しかしまあ、そこは夫婦というべきか。愛妻であるヴィータは飲んでいる途中の麦茶を吹き出して2人を睨みつける。
「てめーら…まさかアキトを奪おうってわけじゃねーだろーな…?」
「いや…私は普通に、最近のアキトの寝起きの悪さは看過できないものだと感じただけだが?」
「…シグナム…てめーのその顔は何だ…?」
「はっ?…い、や、何もカンガエテマセンヨ?」
「だったらどうして視線を逸らす?」
じろりと横目で睨むヴィータの視線に、シグナムは滝のように汗を流しながら顔を明後日の方向へと向ける。
その内心は推して知るべし。
「とはいうものの、この提案は至極当然だと思うのだが。
あまりヴィータに頼りすぎていると、シフトの関係で別々の時間帯の出勤になったりした場合、今のアキトがまともに起きれるとは思えん」
「アキトのシフトはアタシが管理してるから問題ねえ」
補佐官であるヴィータは実質的にアキトの予定を全て把握している。
それに合わせる形で自身もシフトを組んでいるため、ヴィータとアキトが別々に行動する事はまず考えられないのである。
しかし、そこでシャマルの治療を終えたアキトが神妙な表情を浮かべつつ、軽く頷きを見せて口を開く。
「…いや、考えてみるか」
「な………?!」
流石にこうも叩かれては記憶が吹っ飛びかねない。
それに、痛いし…偶には距離を取ってみることも必要だろう。
まぁ、アキトにしてみれば意図的に起きないだけなのだが…。
八神家のメンバーだけは部屋の中に入っても気にならず、なのはやフェイトでは部屋の前に来た時点で寝ていても気付く。
「どういうこったよ?」
「ん…最近弛んでいるのは確かだからな。男ってのはあまり弱い部分を他人に見せるのが嫌なんだよ。
無論、例外はあるがな。…とはいえ、やっぱりこのままではいけないと思うのは事実だ」
夫としては妻に起こされる幸福もひとしおなのだが、あまりヘタれるとその精神的な弱さが公の場面でも出かねない。
無論、そんなヘマをするほど愚かではないのだが、そうなりかねないような最近のヘタれっぷりである。
こうなれば一度距離を置いて…。
「………なんてな。まぁ、明日からは普通に起きるさ」
「え?」
流石に、涙目になっている妻をこれ以上刺激すれば殴り殺されかねない。
反省の弁を述べつつ苦笑を向けると、ヴィータは頬を羞恥に染めて視線を逸らした。
やはりやきもちやきなところは結婚前から変わりはないようで、そのやきもちが心地よい。
こんな感じでいつものように朝食を終えると、次は出勤の時間となる。
ヴィータ特製の愛妻弁当は本人が他人の前に見せるのを好まないため、昼食時のみその姿を拝む事が出来る。
偶にアキトも料理を作ったりするのだが、八神家でははやて、ヴィータ、アキト、アインス、シグナムの順に美味い料理が出来るため、アキトの料理は上位2人
のそれと比べると見劣りしてしまう。
無論、アキトの得意分野が中華料理にあるが故に尚更差が出てきてしまうのだが、料理を作れない面々よりかはよほどまともである。
「アキト様、おはよー」
「おはー………ふあ、眠い…」
「おはよう、2人とも。それじゃあ上がってくれて構わないぞ」
「「は〜い…お休み」」
官長用の執務室へと足を運んだ2人に、いつものように眠気を何とかこらえつつ猫の姿に変身し、部屋の中央のソファーの端に丸くなって眠る使い魔。
彼女達はアキトが執務官長に就任した直後から夜勤を担当しており、夜分に事件が発生した際にはよほどのことがない限りは2人が指揮を執ることになってい
る。
しかし、いつも夜勤ばかりでは大変なので週に2度はアキト達が夜勤を担当することになっている。
だが、いつも大した事件が舞い込んでくるわけでもないので、いちゃいちゃしていることが多いのだ。
「さて、今日は新人執務官達の教導からか」
「だな。おめーが執務官長に就任してから執務官を目指す奴が増えて大変だぜ、ったく…」
「ん………まぁ、俺はもうお前のものだしな。浮気はしないから安心しろ」
「ひゃぁ…?!」
ぶつくさと文句を言いつつデスクの引き出しから用意していた書類を取り出していたヴィータに、アキトはその後方から抱きつきながら小さな耳に息を吹きかけ
る。
それにビクッと体を跳ね上げつつ、アキトの言葉に頬を真っ赤に染めるヴィータは愛らしいことこの上ない。
「………ったく、朝から何やってるんだか…」
「ふああ…ねむ…」
使い魔たちのぼやきもどこ吹く風やら。
2人はそのままいけない展開に突入しつつあった。
JS事件終了後、アキトはその功績を認められ、ギル=グレアム以来空席になっていた執務官長に昇格、就任した。
その後はアキト流の次元犯罪者対策を展開し、以前よりかは検挙率がアップするという結果を残している。
そんなわけで教導を終えた2人は各執務官室の室長と会議室にて定例会議を行っていたのだが。
(アキトさん、今日はお暇ですか?)
(?…ん、まあ今日はいつもどおりだからな。何もなければ夜には時間が空くぞ)
(だったら、今日はそっちにお邪魔してもいいですか?
お姉ちゃん達とクロノがいちゃいちゃしてて、いづらいんです…)
JS事件後、アキトと同様に功績を認められたフェイトは第2執務官室室長へと昇格した。
その結果、同居者以外の者で一番アキトと顔を合わせることが多くなったのだが、事あるごとにフェイトはアキトに相談を持ちかけてくる。
まぁ、疲れきって家に帰ればクロノと2人の妻達が仲良くやってるところを見せられ、桃色空間を作り出しているのだ。
もう嫌になってくるので、ヴィヴィオとなのは、あの2人と同居しようかと最近はまた思うようになってきたのだ。
ちなみにアリシアとリンディは完璧に彼ら夫婦の子供の乳母状態で、ここ数年は局の仕事を休んでいる。
(まったく、それだったらヴィヴィオたちとあのまま同居していればよかったものを)
(う〜ん、なのはたちは地上だし、私達はうみだから会える時間もあまりないから止めたんですけど…時間も掛かるし。けど、そっちのほうが精神的に楽だった
かも…)
(その通りだ)
アキトの容赦ない言葉にフェイトは苦笑を浮かべつつ、周囲の話し合いに耳を傾ける。
念話しながら身の上話を余裕で出来るのはひとえにこの会議の重要性が低いためか。
しかし、2人の話はアキトの後方で控えている大人バージョンのヴィータには筒抜けだった。
(だったら家でも買えばいいじゃねーか。何回家に来てんだよ。おめーも給料はかなりいい方だろ?)
(うっ…)
現在のヴィータのスタイルは正直反則である。
シグナム並みとはいかないが、かなりの脅威…否、胸囲。
身長も170弱とそれなりに、吊り上がり気味の眉は彼女の気の強さを鮮明に表している。
髪型は常日頃変化しているが、今日はストレートに下ろしており、いつもよりかは清楚な雰囲気が出ていなくもない。
口紅もその髪と同様に紅く、他にもうっすらとだが顔に化粧を施していたりと、数年前のヴィータならば考えられないほど気を遣うようになった。
曰く、アキトの妻として恥をかかせるわけにはいかないそうな。
全体的な雰囲気はオーリス=ゲイズに似通ってはいるものの、彼女のように全ての者に対して突っ張った態度を取っているわけではないのが大きな違いである。
(家は別にいいんだけど、やっぱり1人だと寂しいし…)
(………ふぅ。だったらしばらくうちに来るか?)
(え、いいんですか?)
(まぁ、俺もフェイトのその考えがわからないわけでもない)
(アキト………)
そこに家族がいない事の苦しさはアキトもよく理解している。
とはいえ、あの息苦しい空間にいつまでもいたらこちらが発狂しかねない。主に嫉妬によって。
八神家はそういう空気が発生しにくく、他の面々からもそのことについてはよく言われたものだ。
朝のアレも単なるコミュニケーションの一環に過ぎない。
(はやての方には俺から話しておく。フェイトは早いうちに荷物を纏めてこっちに避難しろ)
(あ…ありがとうございます!)
アキトのあの空間の恐ろしさは知っている。
以前行ったことがあるのだが、まさかラピスがあそこまで変貌するとは予想外もいいところであった。
それは悪い事ではないのだが、いつもあの状態だったら発狂しかねないというのもあながち嘘にならない。
アキトとヴィータも同じ空気を出す事があるのだが、しかし彼らのそれには到底敵いっこない。
(ったく、世話掛けやがって…)
(あう…)
(―――ヴィータ)
(う、わ、わかってるって)
こういうことにもやきもちを焼いてくれるヴィータが嬉しくもあるが、今回は事情が事情だ。
すっと鋭い視線で咎めつつ、終息に向かいつつある会議の行く末をのんびりと見守るのであった。
「お邪魔します…」
「おお、フェイトちゃん来たなー」
「フッ、あの空気が遂に耐えられなくなったか、テスタロッサ」
「じゃあ今日は私も夕飯頑張っちゃうわよ〜」
「いや、シャマル。お前は下っていろ」
フェイトの荷物を運びつつ、玄関の方でもみくちゃにされているフェイトたちの会話を耳にするアキトとヴィータ。
「平和だな…」
「だなぁ………、ん?」
「どーかしたのか?」
と、廊下の前を歩くヴィータに違和感を感じたアキトが首を傾げるが、振り向いた本人の顔色は至って普通だ。
そのため、アキトは気のせいだと勘違いし、その場を終えたのだが…。
翌朝、事件は起こってしまった。
「ヴィータが風邪とはな…」
「まぁ、生殖プログラムで普通の人間と殆ど変わらんようなってるからな〜」
「うう…ごめん、アキト、はやて…」
ベッドに寝込んだヴィータの顔は紅く、呼吸は荒い。
額に乗せられたタオルを代えながら、アキトはそんなヴィータの頬をゆっくりと撫でて安心させる。
「偶にはのんびりと休む事も重要だ。俺の方はよほどのことが起こらない限りは問題はない。
正直、最近はヴィータに負担を掛けすぎてしまったからな…すまなかった」
「アキト兄…」
「アキト………」
「風邪が治るまでの間はフェイトが一時的に補佐に入ってくれるそうだから、気にしなくてもいい」
今回の事に恩を感じたフェイトが、アキトの手伝いに立候補したのだ。
それに対してヴィータは感謝半分嫉妬半分といった複雑な表情を浮かべるが、アキトはそれに気付いているのかいないのか。
いつもの変わらぬ態度でヴィータを寝かしつけ、フェイトと共に出勤するのであった。
しかし、それから数日後…またしても事件は起きてしまった。
しかも、ヴィータにとって最悪の方向へと…。
「……ん…?」
少し喉が乾いたため、ヴィータは夕方に3階の自室から2階に降りてリビングに出た。
そして、リビングのテーブルで週刊誌を読みふけっていたシャマルと鉢合わせるのであった。
「あれ、シャマル…今日は休みなんだ?」
「え?!…ああ、ヴィータちゃん!
体の方はだいぶよくなったきたみたいね?」
「………何読んでんだ?」
「た、ただの週刊誌よ!だから気にしないでいいの!」
パジャマの裾を床に擦らせながらシャマルに近づくと、どうにも彼女の様子がおかしいことに気付く。
まるで何かを隠しているかのような反応にヴィータの視線が鋭くなるが、その視線がシャマルの持つ雑誌の表紙のあるものに辿り着いたとき…ヴィータの表情は
凍りついた。
『テンカワ=アキト、不倫?!
第2執務官室長との甘いデート!』
「………それ、寄越せ」
「ヴィ、ヴィータちゃん…」
ゆらりと。
ヴィータの体が揺れ、シャマルに迫る。
その空気は鬼か、それとも修羅か。
判別する事は不可能であったが、シャマルにはその化け物に逆らう術を持たないことは明白であった。
そうしてシャマルから奪い取った週刊誌の問題のページに辿り着くと。
そこには宝石店へと足を運ぶアキトとフェイトの姿が、はっきりとフルカラーで映されていた。
フェイトの表情は明るい笑顔で、若干いつもよりも紅いことがわかる。
まるでそれはアキトがフェイトのためにプレゼントを買いに行くかのような…。
ギリリ…とヴィータの歯軋りが、2人っきりのリビングに冷たく響いた。
「さて…と。上がりの時間か。
今日はフェイトも自分の仕事が忙しいみたいだし………って、あれ…?」
「「…アキト様?」」
いつものようにデスクから立ち上がり、傍にかけてあった上着に手を掛けようとしたアキトだが、その手は何故か中空をさまよう。
そんなアキトに、いつものように眠りこけていた使い魔たちが声を掛ける。
が、その2人の声も届かず………アキトは突如、その場に倒れ伏したのであった。
(………ぁ…?)
僅かに意識を取り戻したアキトは、朦朧とした意識のまま周囲を見やる。どうやらまだ執務室らしい。ソファーに寝かされているようだ。
そして、横に視線を向けると、そこにはつかみ合いになっているフェイトとヴィータの姿があった。
否、つかみ合いになっているというのは的確な表現ではない。
憤怒の表情を浮かべたヴィータが、風邪の治っていない体を押してフェイトの襟を掴みあげているのだ。
対してフェイトは申し訳なさそうな表情を浮かべてはいるものの、ヴィータの襟を掴み返すようなことはせずに黙っているだけであった。
(どうして、喧嘩してるんだ…?)
何が何だかわからない。
何故、2人が喧嘩のような状況になっているのか。
アキトには、ヴィータの風邪が移って倒れてしまったという事は何とか理解できた。
しかし、それとこの2人がこの状況に陥る事には因果関係はまったくないはずだ。
少なくともアキトには心当たりがない。では何故このような状況が発生したのか。
「おい、何とか答えやがれ!」
「………ごめん、ヴィータ。アキトさんからは絶対に何も言わないようにって…」
「…っざけんな!アタシが寝込んでいる間、てめーはアキトを誑かしてたんだろ!
―――そうだって言えよ!!!」
「ヴィータ…」
全てが許せなかった。
アキトと自分の絆がこうも脆かった事が。
自分のいない間に誑かしたフェイトが、誑かされたアキトが。
今回の事を隠そうとしたシャマルが、はやても、シグナムも、ザフィーラも…。
もう、全てを信じられなかった。
いつもならば真実をアキトに問い詰めて、答えが出て謝罪を受けるだけ。
しかし、今日はそのアキトが倒れてしまったために真実を知るのはフェイトのみなのだ。
だが、そのフェイトはアキトによって口止めされているため、何も答えない。
ならば一体、自分は何を信じればいいのだろうか。
何が真実で、こうなってしまったのか。
「ヴィー、タ…フェイト…」
「!」
「アキトさん!」
と、そこでかすかなアキトの声が響き、ヴィータの手がフェイトの襟から放れる。
フェイトはすかさずアキトの傍に寄り添い、アキトの手を取って声を掛ける。
「…っ!」
「ヴィータ!」
その姿が、まるで本当の恋人同士のようで。
そんな2人を見ているのが辛くて。
嫉妬で、2人を殺してしまいそうなほどに感情が高ぶっている自分が怖くて。
ヴィータはフェイトの制止の声を無視して、執務室から飛び出していってしまった。
そして、それから数日の間…寝込むアキトと復帰したヴィータは、一言も言葉を交わすことなく、時間が過ぎていった。
無論、アキトとしては話したかったのだが、ヴィータがその悉くを避けたのだ。
遂には家にも帰らず、執務室に泊り込む始末。
そんな様子を見かねたはやてが動いたのは、アキトが寝込んでから4日後の事だった。
「ヴィータ、ちょぉ話があるから付き合ってくれるか?」
「はやて…?」
ニコニコといつもの優しい笑みを浮かべて誘うはやてに、ヴィータはその優しさに甘えるしか術はなかった。
あの事件の直後、はやてに対しても若干近寄りがたくなったものの、やはりはやてははやてなのだ。
そんなわけで、仕事中にも関わらず誘ってきたはやてにヴィータは付いていき、人気のない休憩スペースの長いすに腰を下ろす。
「何や、随分荒れとるみたいやなあ」
「………」
「まぁ、アキト兄も何も言わんからこうなったのかもしれへんけど、そもそもアキト兄が浮気できると思うか?」
「………わからないよ、はやて」
確かにアキトが浮気するような性格ではないことをヴィータはよく知っている。
だが、それは今回の事件によって認識を変えざるをえなくなってしまったのだ。
あの写真はそれを如実に表している。
しかし、そんなヴィータに対してはやては笑みを深めるのみ。
「アタシ、ちゃんとアイツの奥さんできてなかったんだなって…」
家事も必死に覚えたし、仕事の面でもアキトをサポートできる立場に就いた。
公私共に完璧だと思っていたのに、それがうわべだけの関係だったかのように思えてしまう。
「う〜ん、こりゃぁ重傷やね。
まぁ、確かに私らもアキト兄から口止めされてるけど、少しは教えたってもええかな」
「はやて…?」
あまり焦らしすぎると2人の関係も行き着くところまで行き着きかねない。
アキトはそういう心配はないのだが、ヴィータは激情家のため、離婚届を突きつける可能性もある。
「アキト兄とフェイトちゃんがあの日一緒に出かけたのは事実や。
私らもそれは聞いとった。…だけど、アレはデートやないで」
「え?」
「う〜ん、なんちゅうたらええんかな…ああ、アレや。
あの日空いてるのがフェイトちゃんやったからフェイトちゃんが写っただけで、もしあの日私が空いてたら私がアキト兄と一緒に写ってたかもしれへんてこと
や」
「??」
イマイチ話が掴めない。
というより遠まわしすぎるはやての言い回しがわかりにくくてこの上ないのだ。
首をかしげ、はやての言った言葉の意味を解釈するヴィータ。
どうやらフェイトと一緒にアキトが出かけたのは単なる偶然のようで、しかし出かけなければならなかった事情があるようだ。
「う〜ん…」
「まぁ、ゆっくり考えたらええよ。
だけど、夫をそんな簡単に信じられなくなるような妻はまだまだやで」
「………」
「真実が見えないことは確かに不安や。私も闇の書事件の時にヴィータたちが蒐集してたことを知らなかった事は不安やったしな。
だけど、そういうときこそ腰を据えてのんびり待ってやることも1つの選択なんやで?」
「はやて…」
まるで母親のような優しい抱擁でヴィータを包み込むはやて。
その温かさにヴィータは僅かに涙ぐみつつ、はやての体を抱きしめ返したのであった。
そして、それから2日後…アキトは遂に完治する。
「皆、心配掛けたな」
「まったくよ。風邪には特効薬なんてないんだから、魔法も大して役に立たないしね」
「普段から夫婦揃って弛んでいるからこうなるのだ。少しは娘を見習え」
「おかーさん…」
「食っては寝て食っては寝て、のサイクルをか?」
「おとーさん酷いですぅ!」
プンプンと文句を言うリインに苦笑を向けつつ、アキトはヴィータの隣の席へと歩み寄り、腰を下ろす。
「ヴィータ、今夜は確か空いていたな?」
「?………あ、ああ…一応、おめーが休んでいる間の仕事はやっといたから空いてるけどよ…」
「そうか、助かる。なら皆、今日は俺たちは遅くなるから、夕食は外で済ませてくるよ」
最近の事件のせいでアキトには話し掛けづらかったが、アキトが思いのほか普通に話しかけてくるために何とかそれに返す事ができた。
「そういえばフェイトは?」
「ああ、テスタロッサならば最近はいつも早いぞ。戦闘機人関連の情報が入ってきたみたいでな」
「研究所の探査か…大変だな、アイツも。
ともあれ、そういうことだ。今日の夕食は俺たちの分は用意しなくても大丈夫だからな」
「わかったで、アキト兄。それじゃぁヴィータも仲良くやってな」
「あ、う、うん…」
はやては全てを理解しているかのような笑みでヴィータに告げ、席を立つ。
どうやら今日は先に出るらしい。
こうして、いつもの日常に戻ったアキトとヴィータであったが…。
その夜。
「さて、ヴィータ。今日はこれから付き合ってもらうぞ」
「ん?…ああ、いいぜ」
デスクから立ち上がり、上着を羽織ったアキトは同じく傍のデスクで書類を纏めていたヴィータに歩み寄って上着を掛けてやる。
ヴィータはそんなアキトに戸惑いを浮かべつつも、先に部屋を出ようとしたアキトに慌てて続くのであった。
「ふう…」
「………」
よく通っている懐石料理の店で夕食を済ませた後、アキトはヴィータと共にクラナガン郊外の丘に来ていた。
その丘のすぐ傍には、アキトがかつて治療を行っていた別宅があり、現在は厳重にロックされたまま開けられる事はない。
「………ヴィータ」
「何だよ?」
丘の風は涼しく2人の頬を撫で、アキトはそれに目を細めつつ大人バージョンのヴィータに問う。
ついた手すりの向こうには、輝きを失わない都市の姿が鮮明に映っている。
「フェイトとのことは誤解だ。確かに一緒に出かけたことは事実だが、アレはまったく別の目的があったんだ」
「………はやても似たような事言ってた。一体何やってたんだよ?」
そこに今回の事件の原因が存在する。
なれば、その原因とは一体何か?
アキトはそんなヴィータの問いに苦笑を浮かべつつ、茶色いコートの懐から長方形の紺色の箱を取り出して右手に取り、ヴィータに見せる。
「ヴィータ、お前、指輪は持ってるな?」
「?………あ、ああ」
アキトの突然の言葉に戸惑いつつも、ヴィータはアキトとおそろいの茶色いコートの胸ポケットからそれを取り出す。
銀色のシンプルなリングの内側にはテンカワ=アキトとテンカワ=ヴィータのイニシャルがそれぞれ刻まれており、それが2人のものであると証明している。
「よかった。持ってなかったらどうしようかと思った。
―――貸してくれるか?」
「ああ………」
アキトが差し出した左手にそれを渡すと、アキトは箱を開けて中から金色の細いネックレスを取り出す。
指輪と同様、宝飾のないそれはアキトが自身にセンスがないと理解しているため、下手に小難しいデザインを選ぶのを避けたためである。
ともあれ、アキトはヴィータから受け取ったそれをネックレスに通し、それからヴィータの背中に回って首に掛け、留め金に留める。
「こ、これって…」
「ん…この1年で色々と覚えてくれた事には感謝してる。
だけど、結婚記念日を忘れるとは思わなかったぞ」
「へ………?」
結婚記念日?
その単語を聞いた直後、ヴィータの脳裏に閃光が奔る。
そして………丘全体に響くほどに大きな声を、今の彼女の容姿からは考えにくい表情を浮かべながら叫ぶのであった。
「あ………ああああああああああああああ?!」
「…まぁ、そういう話だったんだ」
「大変だったわね、アキト君」
それから数ヶ月後。
久々にアキトは1人でクラナガンの端にある翠屋に足を運んでいた。
閉店後のカウンター席に腰掛けたアキトの横に同じくエプロン姿の桃子が腰掛け、紅茶をちびちびと飲んでいた。
「彼女の体の調子はどうなの?」
「ん………順調だよ。今は家に軟禁状態で、誰か必ず傍につけているから何かあってもすぐに対応できる」
お腹の大きくなったヴィータを思いつつ、アキトは少し疲れた表情で紅茶に口を付ける。
どうやらヴィータが補佐から外れた事でかなりの負担が掛かっているようなのだが、それを口に出す事はしない。
「娘が生まれたら、名前はなんて付けるの?」
「………さあな。あいつの名前を借りるか、それとも義理の娘の名前を拝借しようか…」
「そう…」
「息子だったら士郎って考えてる…」
「まぁ、あの人だったら許してくれるわよ」
アキトの本気なのか冗談なのかわからない言葉に苦笑を浮かべつつ、桃子は椅子に座ったまま大きく伸びをする。
彼女もそれなりに年を食っているため、ここのところは疲労が溜まり気味なのだ。
お互いに歳を取ったなと思い…互いに苦笑を交わす。
「………子供が出来たら、世話のやり方を教えてくれ」
「ええ、勿論よ。私にとっても子供みたいなものだしね」
「そうか…助かる」
こうして物語は新しい日々へと移り変わっていく。
―――親の想いはこの心へと。
―――互いを誰よりも愛し、守り抜いた男と女の想いは…その子供達へと引き継がれていくのであった。
<完>
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