Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第三話
『出会い、それは必然』
ここは霊界サプレスから喚ばれた者達が住む『狭間の領域』
霊界の者達から構成されるため、太陽が空に昇っている間、彼らは基本的に活動せずに魔力を温存し、魔力の満ちる夜になってから活動を開始する。
だからこそ、アキトにとっては過ごしやすい場所でもあった。
「くろくろさーん。くろくろさーん。どこですかー」
そこに聞こえてくる、あまりにも場違いな可愛い声。
子猫サイズの小さな体、背中から生えた半透明な羽、ふわふわと浮かぶその姿は正におとぎ話に出てくる妖精そのもの。
「おや貴女がここに来るとは珍しいですねマルルゥ。どうしました?」
「あ、天使さん。実はニンニンさんの集落に人間さんがいーっぱい来ましたですよ。それで護人の皆さんに集いの泉に集まるように伝えてくれってシマシ マさんから言われたです」
えっへんと皆無に等しい胸を張る妖精ことマルルゥ。その姿に何とも言えない微妙な顔を作って、そうですかと頷く天使さんことフレイズ。
アキトは朝の鍛練やサレナ達に呼ばれない限り、狭間の領域の最奥にある『水晶渓谷』から出ないため普段からファリエルかフレイズのどちらかが来訪者 に応対するようになっている。
そのファリエルも今はアルディラの所にいるため、必然的にフレイズが応対しなくてはならなくなるのだ。
「わかりました。では黒百合様にその旨を伝えておきましょう」
「頼みましたですよ。マルルゥはメガネさんにも伝えなきゃいけないのでこれで失礼するです」
使命感に燃えるマルルゥは妖精の放つ独特な羽音を響かせてマルルゥは飛び去っていく。
マルルゥが完全に見えなくなったことを確認してからフレイズは軽く溜息を吐く。実はフレイズ、黒百合ことアキトが苦手なのだ。
天使としてのフレイズならアキトに対しては綺麗な澄んだ魂をしているからそれほど苦手というわけではない。どちらかといえば好意に値する。
だが、人していうのならあの全身から漂わせる悲壮感がどうしても好きになれない。それに彼の主は師弟関係以上のものをアキトに抱いていることを知り ながらも、それに応えようとしないことも批判的に考えてしまう要因となっている。
もっともファリエル自身はそれでいいと言っているのだが、フレイズ自身としては主の叶わぬ恋を成就させてやりたいと思っている。
(しかし頼まれたことは守らなくては)
頭を振ってその考えを追い払い、彼は翼をはためかせて『水晶渓谷』へと向かう。
水晶渓谷。そこは狭間の領域に住む者達でさえも滅多に近付かない禁忌中の禁忌の場所である。
何故ならそこは近付く者の魔力を拡散させ、さらには根こそぎ吸収してしまうという特殊な“反魔の水晶”が群れをなして一個の渓谷となっているためで ある。
身体を魔力で構成するサプレスの者達にとってはまさに鬼門となっているため誰も近付こうとはせず、だからアキトは自らが住むのに適した場所として選 んだのだった。
もちろんそれはフレイズも例外ではなく渓谷にさしかかる直前で降り立ち、そこから水晶の声を反響させる性質を利用してアキトへと話すのだ。
「黒百合様。集いの泉へお集まりくださいとの通達です」
『集いの泉に? 例の人間達がどこかの集落に訪れたのか?』
「その通りです。どうやら風雷の郷の方に」
『……わかった。すまないなフレイズ、お前でもここに来ることは辛いだろう』
フレイズは驚く。普段のアキトならば決して簡素な返事以外は喋ろうとはしない。
ましてや今のように礼を言われるなんてことは初めてだった。
「――いえ、それがファリエル様から仰せつかった命。それを全うするのは当然のことです」
「相変わらず固いな、フレイズは」
つい先程まで水晶渓谷にいたはずのアキトがすぐ横に現れても、フレイズは決して驚きはしない。
影どころか音も無く現れることを、さも当然のように行うのがアキトにとっての普通なのだ。
「これも性分ですから。それよりもお急ぎください、護人の皆さんが待っているでしょう」
「そうだな」
集いの泉がある方を僅かに仰ぎ見て、アキトは目にも映らないような速さで駆ける。
ナノマシンによる身体能力の向上も大きいが、常に鍛錬を欠かさず限界を突き破ってきたアキトだからこそ出来る芸当。
そして、これもフレイズにとっては日常の一つ。こんなことに一々驚いていてはキリがない。
「さて、私は集落の見回りと行きますか」
人間が来ようとも護人でない彼の日常は変わらなかった。
そう、今だけは。
舞台を移して集いの泉。
椅子に腰掛けた三人と、それと向き合う四人の男女。
「機界集落ラトリクスの護人、アルディラ」
「鬼妖界・風雷の郷の護人、キュウマ」
「幻獣界・ユクレス村の護人、ヤッファ」
とても普段の調子からは考えられないような、感情というものを一切排除した義務的な名乗りをする三人。
そこに設けられている椅子の数は四つ。だが、そこに座っている者達の数は三人。
そのことに気付いたそとから来た者達の一人が彼らに問う。
「あ、あの……護人さんって四人いると聞いたのですけど」
「ん? ああ、あいつか。さてな、こっちに向かってるかどうか俺は知らねェ」
普段の調子でめんどくさそうに答え、ヤッファはどうなんだとアルディラに視線だけで問う。
「彼ならそこにいるわよ」
アルディラが指差したのは空席となっている護人の席。何を言っているのだと疑いかけた彼らの目の前で、全身漆黒で固められた男が陽炎の如くその姿を 現す。
木連式柔、氣断。いわゆる気配を絶つ陰行のことをさすもので、表であろうと裏であろうと例外なく覚えさせられる基本中の基本の技術の一つである。
だが基本というのは極めればそれだけでも奥義に匹敵するように、この氣断を極めれば目の前を人が通り過ぎても決して気付かれないようになるのだ。
それ故に氣断の状態で来たアキトにアティ達が気付かないのは至極当然のことだった。
ちなみにアルディラが気付いたのは彼女が熱探知を使ったからで、さすがに氣断では気配を消せても体温を消すことは出来ない。
「霊界サプレス・狭間の領域の護人、黒百合」
「四者の名のもとにここに会合を開くことを宣言します……それじゃあ、貴方達がこの島に来た理由を教えてもらおうかしら」
本当は四人とも彼らが嵐に巻き込まれて来たことを知っているが、アティ達がそのことを知る由もないので敢えて聞いている。
アルディラに促されたアティからこの島に来るまでのいきさつが語られる。それはアキトやサレナ達が護人達に話したこととほとんど同じだった。
ただ一点、ハイネルの心である剣のことが語られなかったことを除いては。
「なるほど……ね。貴方達の事情はあらかた理解したわ」
「そいつぁ助かる。俺らは船の修理が終わればすぐに出て行くからよ、そのために必要な物だけ貸しちゃあもらえねえか?」
やはり感情を面には出さず、淡々とした口調で述べるアルディラ。彼女の理解したという言葉を聞いてアティ達はこれで船が修理出来て島から出られると 純粋に喜ぶ。
だがそれはぬか喜びに過ぎなかった。
「悪いけれど、協力はできないわ」
「えぇっ!?」
「なんでなんだ!?」
アルディラの返答に異を唱える金髪に筋骨隆々の身体に海賊達の頭の証ともいうべき黒いマントを羽織った恰幅のいい兄ちゃんと、同じく金髪で西部のガ ンマンを彷彿とさせ背中に巨大なテンガロンハットを背負った少女。
言わずもがなだがカイルとソノラである。
一緒に来ていたヤードも口にこそ出していないが明らかに不満ですといった顔をしている。
「納得いかないって顔しているな。なら教えてやるよ」
「それは、貴方達がリィンバウムの人間だからです……」
一様に驚きの形相を作る。
普通はリィンバウムの人間だからというだけでここまで嫌われたりはしない。それどころか拒絶されるなんていうことはまずありえない。
その理由を説明するために、アルディラがゆっくりとした口調で口を開いた。
「機界ロレイラル、鬼妖界シルターン、霊界サプレス、幻獣界メイトルパ、名も無き世界、この島に住む生き物はそうした異世界からきたものばかりよ。
召喚術を使う貴方達ならこの意味がわかるでしょ?」
本来、召喚で呼び出されたものは送還によって元いた世界へと送り返される。これは絶対の掟といっても過言ではないこと。
それがされていないということは、彼らがただの召喚によって喚ばれたものではないということになる。
ちなみに、この召喚術は送還術から派生したものなのだ。
「この世界に召喚されそのまま還される事の無かった、はぐれ者達の島……この島は、召喚術の実験場だったのですよ」
「俺達はな召喚術の実験台として喚ばれてきたんだよ、そして……島ごと捨てられた。
くくくっ、おかしくて泣けてきそうだろ? こんなに可笑しな話はそうはねぇしな」
皮肉った笑みを浮かべてヤッファは笑い、他の護人達も僅かな敵意を面に出して同意する。
「それじゃ、貴方達はずっと……」
「そうだ。俺達は今でもこれからも人間には頼ったりはしない。寧ろ、人間は敵に近いと言った方がいい」
「でもよ、そういうアンタ――黒百合つったか?――は人間じゃないのか?」
人間を敵と言い放つ彼らの元にいるアキトを見て、カイルが至極当然の疑問を投げかける。
確かにアキトは服装さえ目をつぶれば、アルディラやサレナのような融機人でもなく、キュウマのような鬼でもなく、ヤッファのような獣人でもなく、紛 れも無くリィンバウムに住む人間と同じである。
だが、それはアキトの体のことを知らないから言えること。彼の体のことを知っている者は決して人間というカテゴリーにはいれない。否、入れられる筈 がない。
「俺が人間? ふ……笑わせる。これを見てもまだそれが言えるか?」
何を思ったのか、アキトはスーツの腕を捲くる。その下に現れたのは機械なのか生身なのか判別が不可能なほど、光り輝くナノマシンの軌跡だらけの腕。
そしてアキトは、その腕を腰に差していたアルヴァで、迷うことなく貫いた。
『!!??』
アティ達は目を見開いて驚く。アキトが自分の腕を迷うことなく刺したこともあるが、何よりも血が一滴も垂れずに傷が瞬きをするよりも早く修復したこ とにある。
この現象は別に腕に限ったことではなく、自分の体ならどこでも同じ現象が起こる。
前述のようにアキトはこの世界に召喚された時に、ナノマシンが完全に一体となっていた。そのせいで今のような体になっているのだ。
つまり、アキトにとって人間が避けて通れない“死”という概念は存在しない。それどころか“老”という概念もない。 「怖いか? 恐ろしいか? いくら見た目が人間であろうとも、死や老いのない奴に畏怖するのは当然だ」
故にアキトは自分のことを人間と認めず、かつてネルガルの裏で働いていた頃のコードネーム『黒百合』と名乗っているのだ。
ちなみにこれはあくまでも護人としての呼び名で、普段はアティ達に名乗ったように生と死の狭間を彷徨う亡霊といった風に呼んでいる。
「そして言っておく。この体はお前達“人間”によって作られたものだ。人を人を思わない連中によって、な」
「わかった? この島に貴方達に関わろうという者はいないのよ。それどころか命を狙うものだっているかもしれない」
「故に互いに干渉せず、それが最良なのです」
「悪く、思うなよ」
「……早急に去れ」
四者四様の拒絶の言葉にアティ達は言葉なく立ち尽くす。
その姿を尻目に護人達は足早に立ち去っていく。これが現状なのだと言わんばかりに。
狭間の領域へと帰るアキトは考えていた。これで良かったのかと。
確かに現状を考えればキュウマの言うように最良の策だろう。だが、これが偶然でなく必然であるのならば無意味なこと。
それにいつまでもここに閉じこもっておくには限界がある。これを転機と考えるならば、あるいは好都合となるかもしれない。
「アキトさん……」
「マスター……」
「ファリエルにサレナか、どうした?」
よほど考え事に集中し過ぎていたのか、普段なら感づく二人の気配に声をかけられるまで気付かなかったアキト。
アキトに問いかけられても二人は答えない。ずっと顔を俯かせたままで、何かを言うべきかどうかを迷っているようにも見える。
「言いたいことがあるのならはっきりと言え」
その言葉でようやく踏ん切りがついたらしく、やや躊躇いがちに、そして悲痛な声でファリエルが口を開く。
「また……自分の体を傷つけたってサレナさんから聞きました」
「ああ、そのことか。俺を人間というカテゴリーに当てはめた勘違いを正すためだ」
「どうしてですか!? どうして貴方は自分のことをもっと大切にしようとしないのですか!?」
雪よりも白く綺麗な髪を振り乱してファリエルは泣き叫び、震える肩をサレナが優しく抱きしめる。
アキトが自分のことをないがしろにしている、そう思ったのはすぐにわかった。それを確信したのは彼がこの島で過ごし始めて一年弱が過ぎた頃だった。
この頃はまだ住人が人間に近かったアキトを受け入れておらず、どこかぎこちない空気が漂っていた。
そんな中、数人の子供が行方不明になるという事件が起こった。
どこを探しても見つからず、次第に焦りが積もってきた彼らはいつしかアキトが犯人ではないかと疑いだした。
噂というものはとても広まりやすく、元々小さな島だったが故にそれは一日と経たずに島の住民全てに届いた。
勿論、共に戦った今の護人達やファリエル、そしてサレナはその噂を信じず根も葉もないただの噂だと何度も言い聞かせていた。
だが人間不信である島の住民達が信じられる筈もなく、さらにぎすぎすとした空気が島中に漂いだし、ついにそれが爆発する事件が起きた。
行方不明となっていた子供達が帰ってきたのだ。衰弱しきった姿で、アキトの腕に抱えられながら。
子供達はアルディラやクノンの必死の治療の甲斐あって一命は取り留めたものの、しばらくの間は動くことさえままならないほどだった。
これに怒ったのが子供達の親。アキトを攫った犯人だと頭から決め付け、アキトを島から追い出そうと暴動を起こした。
アキトに浴びせられる誹謗中傷の数々。だがアキトは顔色一つ変えることなく、黙ってそれを聞き続けた。まるで全ての罪が自分にあるかのように、ただ 淡々と。
その態度を傲岸不遜だと取った島の住民達は、護人達の懸命な説得を振り切ってついに暴動を起こした。
手に手に武器を持ち、当時アキトが住んでいた小さな小屋(この頃は護人でもなかった)へと押しかけてアキトを殺せとある者は石を投げつけ、ある者は 刃物を投げつけて。
それでも、それでもアキトは変わらなかった。感情のない人形のように黙って罵詈雑言を聞き、謝罪も弁明もまったくしないで罪を一人で被り続けてい た。
どれだけ体が傷つこうとも、いくらサレナが怒っても、どんなにアルディラ達が心配しても、アキトはただ
「俺一人の身だけで島の住人達の不安や焦燥、苛立ちが消えるんだ。安いものだろ?
それにナノマシンの影響で段々と赤い血さえも流れなくなっている。化け物や悪魔だと言われるのも道理なんだよ」
と述べるだけだった。自分がどれだけ悲しげな顔をして笑っているのかも気付かずに。
そんなアキトを救ったのが動けるようになった子供達だった。
ようやく動けるようになった子供達は、必死にアルディラ達に頼んでアキトの住む小屋――見るも無残となった小屋へと連れて行ってもらった。
そこはまだ大人達がアキトを排斥しようとしている最中であったにも関わらず、彼らはアキトを守るように彼の前に立って泣きながら大人達に叫んだ。
「お兄ちゃんを苛めるのはやめてよ!!」
「兄ちゃんは僕達を助けてくれんだよ!?」
「なのにどうして兄ちゃんは苛めるの!?」
子供達が言うには、滝の近くへ花を積みに行ったのはいいが、足を滑らせて崖に落ちてしまったらしい。
友達が怪我をして動けず、また苔で滑って崖を登ることさえ出来なかった。
いつか死んでしまうのかと思って怯えて泣いていた時に、アキトが現れて助けてくれたという。
これに大人達は困惑した。子供達が嘘をつくとは思えず、自分達のやっていることはただの誤りだったのかと。
一人、また一人とアキトに頭を下げていくと同時に叱責されても仕方ないと覚悟も決めていた。
彼らもそれだけのことをしたと自覚していたからだ。だが
「親が子を心配するのは当然のことだ。気にすることはない」
僅かに笑ってアキトは住人達に答えるだけで何一つ怒りはしなかった。それどろか、
「俺を認めてくれたこと、感謝する」
アキトの方が頭を下げたのだ。
これによって大人達もようやく気付いた。自分達がどれだけ愚かな行いをしてきたのかを、アキトの心根がとても優しいことを。
そして――アキトは自分の命の重さを塵ほども感じていないことを――
この日を境にして、アキトの存在は島の皆から認められるようになった。それと同時に空席だった狭間の領域をしてくれないかと頼まれ、アキトはそれに 困惑しながらも快諾した。
護人『黒百合』として、人間『テンカワ・アキト』に別れを告げるために。
「……ああ、そんなことか」
自分事であるはずなのに、他人事のように“そんなこと”とアキトは言い切った。
バイザーで隠されている瞳にどのような感情が映っているのかはわからない。だが、少なくともそれを憂えている様子はまったくない。
「それに関しては我らも同意見です」
「キュウマ、それにアルディラか。揃いも揃って俺に説教でもしに来たか?」
肩をすくめて嘲るアキト。その嘲りを気にすることなく、キュウマ達は自分達が思ってることを口にしだす。
「アキト殿。貴方が己の境遇を憂え、今なお悔恨に囚われていることは我らとて百も承知」
「でもね、今の貴方は決して許されない存在じゃないのよ」
「マスターはもう十分と言えるほど贖罪を果たしているんです」
「だから……もう自分を傷つけるような真似はしないで……」
四人の言葉に揺れ動くアキトの心。
自分は連続コロニー襲撃犯、一万人殺しの大罪人。いくらユリカを助けるためだったとはいえ、何も知らず平和に暮らしていた者達の命を刈り取った存 在。
その自分が死を迎えてもなお生きている、それが自責の念となっている大元。だからアキトは自分の身を一切顧みようとはしない。
なのにアキトのことを思い、彼の身を案じている者がこれだけいる。この場にいないがヤッファもそうだ。島の住人達も。
「俺は……ドドーン!!
何かを言いかけたアキトの言葉を遮って響く爆発音。全員が振り返った先には木々が燃え、煙が上がっている森の姿。
「あの方角、ユクレス村の方よ!」
「あの格好は……外界の軍隊!?」
偵察用の召喚獣から送られてきた映像にサレナが驚きの声を上げ、それと同時にしまったという思いが生まれる。
アキトは軍隊という存在を嫌っている。憎んでいるといっても差し支えがないほどに。
アキトにとって軍隊とはかつて自分を駒として扱い、上で踏ん反り返りながら机上の空論しか述べない無能の塊。
ミスマル・コウイチロウのように良い人材はいても、それを束ね上げる者の無能さをアキトはよく知っていた。
そして振り返ったサレナが見たのは、顔中にナノマシンの軌跡を浮かび上がらせているアキトの姿。
「サレナ、ファリエル達を頼む」
サレナの返答を待たずしてアキトは森の中を疾駆する。それに僅かに遅れていきながら追随するサレナ。
どちらも風よりも早いのだが、人を抱えていない分だけアキトの方が早く、二人の距離はゆっくりと広がっていく。
間に合わない、届かない、これ以上あの人の手を血に染めさせたくない、このまま行かせたらあの人はまた余計な罪過を増やしてしまう、そんな想いがサ レナの中に去来する。
「サレナ殿。私はアルディラ殿と共に行きます。貴方はファリエル殿と共に先に行ってください!」
「で、でも」
「私達のことよりも今はアキトでしょ? 早く行ってあげなさい!!」
「……はい! 行きますよファリエル!!」
「もちろんです!!」
二人を降ろし、ファリエルを抱えたサレナは最大速で飛んでいく。やはり大人二人分の体重が減ったというのは大きく、その速さは先程よりもはるかに速 い。
もう見えなくなったサレナの後ろ姿に、
「アキトの事は貴方達が要なのよ。頑張りなさい」
「我らでは届かぬ言葉であっても、貴方達ならば届きます。ですから諦めないでください」
二人の護人が静かに言ったのだった。
「なんだってんだァ? この島は…化け物だらけじゃねえかよッ!?」
顔に蜥蜴を思わせる刺青を刻んだ、恐らくリーダーであろう男はまるで狂気に取り付かれたが如く、獣人達を狩っていく。
抵抗しようがしまいが、彼にはそんなことはどうでもよかった。
「イヒヒヒッ!? 死ね! 死ねッ!! 死んじまえェッ!!!」
獣人達は帝国兵の前に次々倒れていく。狩られる者に老若男女の関係はない、ただ人間と異なる姿をしているというだけで。
その姿はどちらが化け物なのか疑いたくなるような光景だった……
「いいかげんにしときな」
「…んだあァ?」
「いくら、俺が面倒くさがりだっていってもな……これだけされちゃあ流石に黙っちゃいられねぇぜッ!!」
「けッ、言うじゃねえか化け物の分際でよォ」
「化け物はどっちだ」
それは底冷えするような声。感情もなく、抑揚もなく、ただ発せられただけの機械よりも無機物的な声。
声の主を見たリーダー格の男が眉をひそめる。やっぱりアキトの格好は彼から見ても特異のようだ。
「人間か? はん、化け物の味方をする奴なんざ関係ねェ。親玉はあいつらだ! 集中攻撃でブッ潰してやれッ!!」
「「「「「はっ!!」」」」」
「ヤッファ、皆を先に見てやってくれ」
「お、おいア……いや黒百合、おめェはどうすんだよ」
「今の俺は虫の居所が悪い。ちょうどいいところに現れたこいつらで鬱憤晴らしだ」
アルヴァを正眼に構えたアキトから放たれる殺気に気圧される帝国軍の者達。おまけに口元は邪悪な笑みで歪んでいるため、余計に威圧感がある。
こんな笑いをするアキトを見るのはヤッファも久し振りだった。あの笑みをアキトが浮かべた時、確実に血の雨が振ることも知っている。
けれどヤッファにはアキトを止める術を持っていない。こうなってしまっては、目の前の敵が全て消えるまでアキトは決して止まることはない。
可哀相になあと帝国軍に憐憫の視線を向けるヤッファ。だが神は(帝国軍達を)見捨ててはいなかった。
「黒百合さん!!」
「ファリエルか。何故ここに来た」
「それが私や義姉さん、皆の願いですから。貴方の手を血に染めさせはしない、と」
「何を。俺の手が血に染まろうがお前には関係のないことだ」
「わかってますよ。これは私達の我が侭ですから」
にこっと微笑むファリエルに気圧されたわけではないが、有無を言わさぬ雰囲気にアキトは軽く舌打ちする。
笑い続けるファリエル、無表情のままで佇むアキト。どれほどそうしていたのかはわからないが、
「テメェら!! 俺様を無視するんじゃねェ!!!」
ずっと無視し続けられた刺青男がついプッツン。ファリエルに向けてナイフを投擲する。
だがアキトと十年以上もの間、訓練を積んできたファリエルには刺青男の投げナイフはあまりにも遅く、あっさりと弾かれた。
「っ!? この、小娘の分際で生意気なんだよ!! やっちまえや!!」
「色々と言いたいことはあるが、今は後だ。ファリエルはヤッファと共に傷ついた村人の治療に当たってくれ」
「黒百合さん」
「わかってる。峰打ちで勘弁しといてやるさ」
やっぱりアキトの笑みは邪悪だった。
爆発音を聞きつけてきたアティ達が見たものは、苦悶に呻く村人達の姿とそれを治療する獣人と人間、そして一人で帝国軍と戦うアキトの姿。
アキトの実力ならこの程度の軍勢を瞬殺することが出来る。だがアキトは村を襲ったことを後悔させるため、わざと仕留めずにじわじわといたぶってい る。
それがアティ達の目には、一人で頑張っているアキトVS多勢で苛める帝国軍に見えている。よく見れば軍人達の顔が引きつっているのでわかるのだが。
「なんで……なんであんなことを」
「あれがこの島の現実。人間にとって私達はただの化け物でしかありません。出会えば……あのように争うしかないのです」
「貴女は?」
「私はサレナ。貴女がアティさんですね? マスターから話は聞いています。
本当ならばゆっくりと語り合いたいのですが現状が現状、一言で終わらせていただきます。
貴方はどちらの味方につきますか?」
サレナはこの質問でアティという人間の本質を見抜こうとしていた。ハイネルの心を持つアティを、アキトが少しでも認めたアティを。
ここで帝国軍に味方をするなどと言えば、サレナは即座にアティを殺す。それに曖昧な覚悟でも殺す。彼女が望むのは本物の覚悟のみ。
だが返ってきた答えは、彼女の予想に反するものだった。
「……わかりま…せん。決められないですよ……そんなこと」
「わからない? 決められない? それはどういう意味でしょうか」
即座にハンド・カノンを具現化できるように構えるサレナ。どうやら曖昧な覚悟でしかなかったのかと、内心で諦めていたが、
「私達が争う必要は無い筈なんです!
あの帝国兵の人達も、やり方さえ間違わなければ分かってくれる。そう信じたいんです。
でも、今は!」
真っ直ぐにサレナを睨みつけて飛び出していくアティ。その瞳がアキトの言うように真っ直ぐで、島を守る彼そのものだったせいでサレナの動きは止ま る。
その横を抜けてカイル達一家も一斉に飛び出した。
「やめてください!」
「!?」
「んだァ、テメエは? 人間の癖に、化け物に味方する気かよ!?」
「そうじゃない! 悲しすぎるから! 分かり合えないなんて……戦うしか、お互いを認識する方法が無いなんて悲しすぎる……
だから、私は貴方を止めます」
その言葉にサレナは納得する。彼女の主が認めたわけを、島を守った彼に認められたわけを。
彼女は優しい。人だから、異界のものだから、そんな理由で生きている者を区分したりせず、自分の手が届く範囲にいる者たちを必死に守ろうとする。
「うるせえんだよ!! 正義面しやがって!! 構う事はねぇ! まとめて叩き潰せ!!」
突然現れたアティ達に臆することなく、刺青男は叫ぶ。それと対照的なのが手下の軍人達。
ただでさえアキト一人に苦戦しているというのに、これ以上援軍が来られたら間違いなく負ける。負け戦を続けられるほど彼らは強くない。
だが悲しいかな、上の命令に従わなければならないのが軍人なのだ。
「そんなこと、させません!!」
杖を構えて一歩前に出ようとするアティを、サレナが押し留める。
「貴方の覚悟、しっかりと見させてもらいました。ここからは私達の仕事、貴女は傷ついた村人の治療をしてあげてください」
「え、でも」
「大丈夫。この程度なら私とマスターのニ人で事足ります。頼みましたよ」
同性でも思わず見惚れてしまう笑みを浮かべ、サレナは戦場へと舞い降りる。
はぐれ者の島で最強と評される二人の戦い。それはどの劇や舞踏よりも美しき戦い。
近接を主とするアキトは召喚を主とする者を、遠距離を主とするサレナは武器を主とする者を、両者一対であるかのごとく二人は舞い続ける。
そこで息をすることは許されない。ただ、何も出来ずに二人の戦いを見ていることだけ。それに敵味方の区別は、ない。
ある者は戦う意思を殺がれ、ある者は戦う力を奪われて、一人また一人と戦線を脱落していく。
「ちっ、総員退却しろ!!」
ようやく動けることが出来た刺青男の指示で軍人達はほうほうの体で去っていく。その姿を見送ることなく、アキトはアティへと声をかけた。
「アティ」
「…黒百合さん」
「サレナから聞いた、お前の決意と覚悟を。そして見せてもらった、お前の言葉がその場限りの嘘ではない事を。
だからこそ信じよう、お前の言葉を。ここに護人の一人として宣言する、お前達をこの島の新たな仲間として受け入れることを」
ついに動き出した物語。彼女ははぐれ者達の心の壁を破る存在、大事な歯車となりえる存在。
けれど彼女には自覚はない。物語はまだまだプロローグが終わったにしか過ぎない。
全ての運命はこれからなのだから。全ての物語はこれからなのだから。
あとがき〜
ふぃ〜、ようやく終わった〜〜
なかなかアティ達とアキト達の時間軸が合わず、調整に手間取ってしまって遅れ気味に。真に申し訳ない。
とりあえずアキト君が護人になるまでの簡単ないきさつを書いたんですけど……どうでしょうか?
いくら一緒に戦ったからといって、そうそうすぐに認められるわけにはいかないかなーと思ったんで書いてみました。
黒百合は言うまでもなくブラックサレナのこと。ネーミングセンスなんか皆無です、ゴメンナサイ。
それとカップリングなんですが、ファリエルがダントツ一番人気。体があるというのが大きいようで。ちょこちょこ書き続けております。
次いでサレナ。あの健気で一途なところがいいそうです。私もそう思いますw ファリエルが終わったら書くつもりです。
以上、焔改め、火焔煉獄でした。
え、アティ先生はないのかって? …………………………………来てませんから(ボソ)