Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第十一話
『一つになった者たち。蠢く者たち』
アティが遺跡に取り込まれそうになった日の翌日、サレナは水晶渓谷で体を休めているアキトの所に訪れていた。
理由はただ一つ。アキトのためとはいえ護人たちに無断で遺跡を開け、アティたちを入れてしまったこと。
それだけでなくアティを『核識』にしてしまうところだったのだ。
そのことでサレナはアキトの元に訪れ、叱りを受けるつもりでいた。
現にサレナの前では何かを言うわけでもなく、水晶にもたれかかるアキトの姿。既に彼女は自分が行ったことを洗いざらい話していた。
今は静かに自分に加えられる罰を待っていた。
「……そうか。辛かったか?」
「え? ……あ、はい。それは、とても」
てっきり怒られるかと思っていただけに、アキトの意図が分からない質問に首をかしげつつもサレナは答えた。
目の前で起こっているのに何も出来ない事実。ただ指をくわえて見ていることしか出来なかった現実。
それはまるでアキトの過去の断片。目の前で連れ去られていくユリカを守るために戦うことも、庇うことも出来なかったあの時とまったく同じ。
それを聞き、それを話すアキトの表情を知っていたからこそ、今のサレナの心境はどのようなものか言わずもがな。
なのにアキトはそれだけ聞くと黙ってしまう。
「あの……マスター? 何も、言わないんですか」
不安にかられてサレナは思わず問うてしまう。
対するアキトは何を言う必要があるとばかりに肩をすくめる。
どうして――そんな想いがサレナの心で鎌首をもたげる。
アキトは言った。彼らには言っていないがアティもまた、大切な仲間であると。なのに、なのにその彼女をある意味、死よりも辛い『核識』にさせてし まう寸前までさせてしまいながら何のお咎めもない。
信じられなかった。真面目一辺倒すぎるサレナには、とても。
「俺から言うことは何もない。そうだな……どうしてもと言うなら直接本人と話し合ったらどうだ?」
え? と、サレナが声を上げるのとほぼ同時にアキトの後ろにある水晶からばつが悪そうにほほをかきながらアティが顔を出した。
実は彼女、サレナが来る十分ほど前にここに来ていたのだ。
理由はもちろんサレナのことについて。
「俺は奥にいる。話がついたら呼ぶなり何なりすればいい」
そう言ってアキトは二人に任せて本当に奥まで行ってしまった。
二人の間に、何とも言いがたい沈黙が満ちる。
「「あの……」」
そして図ったかのようにまったく同じタイミングで声を出す二人。
そうなればもちろん。
「アティ、貴方からどうぞ」
「いえ、サレナさんからどうぞ」
当然譲り合いになる。
そしてまた、沈黙。
「その……とりあえず場所、変えません?」
アティの苦肉の策に、一も二もなく頷き二人は水晶渓谷から離れていった。
「これで……少しはサレナも楽になってくれ!?」
微妙にぎくしゃくしている二人が遠くに行くのを見送っていたアキトの体に起きる異変。
「ガッ! ゲホッ、ゲホッ……ゴホッ!!」
喉の奥からこみ上げ、吐き出された光の塊。よくよく見ればそれは血であることがわかるのだが、もうそれは人の血と呼ぶにはあまりにも機械的すぎ た。
それはアキトの体内を侵蝕しているナノマシン。遂にナノマシンは血液にまでその毒牙を伸ばしていた。
地面の上で明滅を繰り返す己の血だったものに、アキトは嗤った。
「そうか、もうここまで来たか。向こうにいた頃を考えれば遅いほうだろうが……ハッ、何を今更」
そう今更だ。こうなることは既に覚悟していた。
「後はどれだけ持つか、だな」
いや、違う。持つかじゃない、持たせるかだなとアキトは己を奮い立たせる。
「さて、サレナは喋るだろうし俺たちも動くとするか」
後でサレナの奴、怒るだろうな。などと思いなが笑う顔を隠して。
本当に私は何をしているのでしょうかと、アティの言葉に乗ってちょっとした丘陵地に腰を下ろしたサレナは思っていた。
「うぅ〜ん……風が気持ちいいですね。ここ、私のお気に入りなんです」
風で帽子が飛ばないように押さえながら笑顔で言うアティ。確かに頬をこすり髪を撫でていく風は気持ちいい。
「本当……」
そう言えば笑顔いつからだろう……なんてことも思ってしまうがそれはそれ。
ここに来た目的は自分のした行いをアティと話し合うこと。
どうもその本人はそんなことを議題に上らせるつもりはないようで、今は互いに風を感じて何も言わない。
らしくない。本当にらしくない。
「では、私からでいいですね?」
いつまでも黙っているわけにはいかない。だから自分から切り出すことにした。
アティも静かに頷くだけ。
言葉を切り出す前に一度、心を落ち着かせる。恐らく、彼女が言う答えは決まっていると思うがそれでも恐かった。
もし拒絶されたら、もし否定されたら、そう思うだけで口の筋肉が痙攣して思うように言葉を紡ぐことが出来ない。
あの時、覚悟は決めたはずなのに自分はここまで脆くて弱かったのか? そう自問してしまいそうになる心を無理矢理に焚き付ける。
「貴女は、遺跡のことで私を怨んでいないのですか?」
言った。ついに言ってしまった。
しばらくの間、心の中でしこりとなっていた事を。
アキトの様子から察するとアティは怨んでないように思うが、果たしてそれが本心かどうか。
「怨む? どうしてですか?」
「どうしてって……」
サレナは絶句した。
アティの顔は本当に不思議そうにしていたから。
「あの……本当に怨んでいないのですか?」
「あの後、黒百合さんから聞いたんです。サレナさんは黒百合さんのことを想って行動したんだって。
だったら私がサレナさんを責めることなんてありませんよ。私がサレナさんの立場だったら……そうすると思いますから」
アティもマスターのことを……彼女が浮かべる笑顔、その横顔からすぐにわかった。もっとも、普段の態度からそうだとは思っていたが。
サレナもアキトのことが大切。言葉には絶対に出来ないが一介のAIではなく一人の人間として長く接してくれたから。
しかし、それが恋愛感情によるものかと問われたら首をかしげるかもしれない。
サレナは自分が抱いている感情が主に対するものなのか、それとも一人の男に対するものなのかわかっていない。
人として生を受けなかった彼女は、言葉の意味は知っていても本質の意味は識っていないのだから。
(――眩しいですよ、アティ)
だからそんな風に思え、言えるアティの姿がひどく眩しかった。
AIとして生を受けたがために、人が持っているものを擬似的にしか持っていないがために。
彼女がアキトのために動くのは、そう設定されていたかもしれないのだから。
「そうですか――わかりました、なら私もあの遺跡の件については何も言いません。ですから今度こそ……全てを話します」
既に護人たちから許可は得ていた。あとは誰がそれを告げるかということだったが、機会が巡ってきた今こそ言うべき時とサレナは判断する。
遺跡では言えなかった本当の事。誰もが触れずにおいた真実の事を。
アティは何も言わない。ただ、静かにサレナを見つめて静かに頷くだけ。
肯定の意を示していた。
「まずはこの島の本当の意味……界の意志を生み出す ことと言いましたよね?
彼らはそれを人為的に生み出すことでこの世に存在する全てのものを支配しようとしました」
「すべてのものが界の意志と繋がっているから……で すよね」
エルゴ碑文序章。召喚術をする者が必ず最初に勉強するもの。
誰もが知っているため普通に流されるところなのだが、無色の者たちはそこに目をつけた。
全てが繋がっているならばその繋がっている部分さえ手にしてしまえば、自分たちがこの世界を支配することが出来るのではないか、と。
当たり前に知っているが故に気付かない盲点。仮に気付いたとしても莫大な時間と費用がかかるため誰も着手しない可能性。
だが彼らには時間があった。人でもあった。費用もあった。何より、欲があった。
欲望は良くも悪くも人を突き動かす原動力となる。
「ええ、彼らはその力を『共界線』と呼んでいたそ うです。
そしてそれが理論ではなく実践となるものか、喚起の門で喚ばれた召喚獣たちを実験に使って彼らは何度も試しましたよ。当然ながら失敗続きでしたけ どね」
「理論は完璧なのに?」
「例え理論が完璧で幾分の狂いもない方法があったとしても、過ぎた力を注ぎ続けられれば人はあっさりと壊れます」
風船を思い浮かべてもらいたい。
ある程度、空気を入れれば風船は膨らむだけだが空気を入れ過ぎたたらどうなるか?
答えは当然、割れる。
ようは許容量を超えるものを注ぎ込まれてそれに耐えきれなかったのだ。
“人”である彼らに、それも欲望だけで動いている彼らが“人”を超えるものを受け止められることは到底不可能だった。
「『核識』、そう呼ばれる存在に挑戦していっては廃人なっていったそうです」
(あの時の……!)
アティが遺跡で聞いた声、その中に『核識』と呼ばれる単語があった。
それがどういう意味を持っているかはわからないが、サレナの説明でようやく納得がいった。
サレナやアルディラたちが慌てていた理由、サレナが遺跡で絶対に抜剣するなと言った理由も。
「結局のところ、彼らの夢はただの妄想でしかありませんでした」
「だから、無色の派閥は廃棄を決めたんですね。でも、それなら施設だけを廃棄すればすむ問題でしょう?」
「事はそう簡単にはいかなかったのよ」
「アルディラ!?」
「みんなも……」
アルディラの登場に驚くサレナ。その後ろにいる仲間たちや護人にアティも驚いた。
一部、いたずらが成功した悪ガキのような笑顔だが今の二人は気付かない。
「あんたが行った後で俺らなりに考えてみたんだよ」
「この子たちに喝を入れられてね……」
皆の中心に位置するのは生徒二人。はにかんで照れているのに皆を引っ張ってきたことを、しっかりと成長している証だと嬉しく思うアティ。
一方のサレナは少し憮然とした表情。まあ、明らかに利用されたとわかれば誰だっていい顔はしない。
が、それも次には心の奥にしまい込んでいた。ここで怒っても意味がないことはわかっているし、何よりキュウマもこの場にいるということは本当に全 てを皆に伝えるということになるのだ。
「たった一人だけ例外がいたんだよ。そいつの名はハイネル・コープス。オレを護衛獣にした召喚師であり」
「リクトさまの親友であり」
「重度のお人好しで」
「私の恋人だった人よ」
瞬間、空気が固まった。二人がそーゆー関係だと知っているのはこの場にいるのでヤッファ、リクトアキト、サレナ、ファリエルの五人だけ。後はこの 場にいないミスミぐらい。
クノンは大戦の後に召喚されたしキュウマはそっち方面はさっぱり。
結果、
「ぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええええ!?」
とまあ何も知らない面々は盛大に驚くことになると。さっきまでのシリアスな雰囲気は既に木っ端微塵。
どこか氷の女のイメージがあるアルディラが恋人、しかも彼女を召喚した相手ということもあって女性陣はアルディラを中心に恋愛話で盛り上がる。何 故かスカーレル込みで。
特に男性陣に聞こえないように自分の好きな相手で盛り上がるあたり、旅行とかで枕をならべている学生みたい。
「……なあ……俺らって今ここにいる意味あんのか?」
「…………」
カイルの静かな問いに、男性陣は誰一人として答えることが出来なかった。
なお、女性陣の会話は自分に話が及びそうになったサレナによって打ち切られたことをここに明記しておく。
「それじゃ話を戻すぞ?」
落ち着いた女性陣にヤッファは問い、女性陣も反省の意味を込めて頷く。
「ハイネルはな、限られた時間ならば『核識』として力を発揮することができたのさ。派閥の幹部たちはその事実を恐れた。だから……まとめて始末しよ うとしたんだよ。自分の身の可愛さにな」
「そんな!?」
「なるほど……あり得そうな話です」
アティは驚いているがヤードの言うように別段、珍しいことではない。
人というのは自分よりも強大な力を持つ相手には服従するか、あるいはそれを排除しようとする。特に相手が自分より目下であれば選択するのは間違い なく排除。
「なにより我々には勝ち目の無い戦い。それを覆すためには手段を選ぶことなどできませんでした」
思い至る一つの可能性。強大な力を引き出せる者が、この島を愛する者が、どんな道を選んだか嫌でもわからされる。
「ハイネルは『核識』となり、この島そのものを武器に抵抗する道を選んだ。
あいつは誰よりもこの島が好きだったからな、自分が消えることをわかっててそれを選んだわけだ」
「あとは前に話したとおりです。『碧の賢帝』そして『紅の暴君』二本の剣によって力を封印されたことで、私たちは敗北しました」
「残されたのはなにも知らない連中と、荒れ果てた廃墟に成り果てたこの島」
誰も、何も言わない。否、言えない。
ひた隠しにされていた真実は何よりも重く知らなかった者たちの双肩へとのしかかる。
一方は知らない者たちの幸せを望み、一方は亡くした者が望んだ事を望み、それは決して交わることのない平行線。
「選ぶのは貴女よ、アティ」
「ハイネルの『想い』を受け継いだお前が」
「鍵である剣を使えるヤツだけが、全てを決められるんだ」
「解放されつつある力を完全に解き放つのも、再び封印するのも貴方次第です」
『我ら護人はその答えに従おう』
一度、その場は解散となり皆自分の住む場所へと戻っていった。
だがアティは戻らなかった。
(私の答えひとつですべてが決まる……)
悩む。いきなりこの島の命運を左右する選択を強いられて悩まないほうがどうかしているだろう。
何よりアティは優しすぎる。誰も傷つかない選択をしようと考えて、それがどうにもならないことに行き当たって、それの繰り返し。
(この島の未来を簡単に決めることなんて、今の私にはできない。答えを出すためにはもっと、知らなくちゃいけないんだ。ずっと昔からあの人たちが背 負ってきたものを!)
そこは霊界サプレスの集落。気付けばアティの足はここへと向かっていた。
(サレナさんから直接聞いてもいいでしょうけど、あの人は護人の皆とは少しだけ目的が違う……)
直接言われたわけではないがそうとしか思えない理由を言われた。
島の住人達の幸せを守るために、何よりも自分の主を守るために彼女は戦っている、と。
(だったら……)
迷うことなく水晶渓谷へと足を踏み入れる。
聞きたいのは彼女が守りたい人の想い。教えてほしいのはその人が今まで背負ってきたもの。
「やはり来たな」
「はい」
「……答えが出た、というわけじゃないんだろ?」
「……はい」
ああ、やっぱり彼女らしいとアキトは思う。
ここに来ることは予想していた。アティという人は損得勘定や責任といったものでは絶対に動かない。
かといってあっさりと情に流されてしまうほど弱くもない。一本芯の入った人なのだ。
「教えてください。サレナさんの本当の心を、彼女が望む本当の事を、黒百合さんなら知っていると思います」
「……そうだな、確かに知っているがあいつも俺もあまり語るようなことでもない。それでも知りたいというのか?」
「はい」
「そうか。なら話そう、俺とサレナの事。あいつがそこまでして俺を守りたいと思う理由を。
そしてこの島の成り立ち全てを。だがまず先に言っておこう。俺もサレナも四界と呼ばれる世界の住人じゃない」
「え? でも、黒百合さんは霊界の護人でサレナさんは融機人じゃ」
「俺もサレナもここで言う『名も無き世界』から偶然、ハイネルの召喚術の事故で喚ばれてな」
初めて明かされた事実に言葉を失うアティ。
それもそうだ、黒百合ことアキトは霊界の護人としてこの島になくてはならない存在。サレナもそれに近い位置にいる重要な存在。
その二人が名も無き世界から喚ばれ、しかもそれが事故と言うのだ。
驚かないはずがなかろう。
「サレナは元々、五感がなかった俺のサポートとしてこの世に生を受けた。何も見えない何も聞こえない何も感じない俺の五感の代わりをして、俺の影と なることだけがあいつの存在意義であってあいつの全てなんだ。
だから自分のことよりも俺のことを優先してしまう。今回だけじゃない、あいつはいつもそうだった」
どこか昔を懐かしむように言いながら、苦虫を噛み潰した顔でさらに続きを語る。
「この島に喚ばれたことであいつはますます、自分を殺して俺のことだけを考えるようになった。
俺の身体は召喚の事故の影響かどうかはわからないが一気に変調して、ある一定以上の強い魔力にナノマシンが俺を喰い破るかのように反応するように なった。
そのせいで、俺はこの水晶渓谷からあまり表に出ることはなくなった。とはいってもその一定以上の魔力を放つ者はいなかったから表に出ても何ら支障 はなかったがな。
だがそれを覆す決定的な事がついに起こった」
「私が、剣を手にしてこの島にやって来てしまったから」
「そうだ。本当ならすぐにでもアティを殺して二度と、誰の手にも届かない場所に剣を封印してしまうという話もあったんだが……それもすぐになくなっ た」
アキトの言葉に恐怖から背筋に少しだけ冷や汗が流れたが、バイザー越しのすこしだけ穏やかになった瞳がそれを振り払ってくれた。
漠然としたものだったがアティは確かにそう感じた。
「アティはな、似ていたんだよ」
「似ていた……んですか? あの、良ければ私が誰に似ていたか教えてくれません?」
「……ハイネル、ハイネル・コープスにな」
一瞬、ほんの一瞬だけアキトは躊躇いをはさんでから言った。
「そのあわてんぼうなところやおっちょこちょいなところ、どこかのんびりとしたところもよく似ている」
「あわてんぼう……おっちょこちょい……」
ちょっぷりはーとがぶれいくんのアティにそれだけじゃないとアキトは言葉を続ける。
「自分よりも他人を優先して……それで自分が傷ついても笑って……気が付けばいつも中心にいる……そんなところまでアティはそっくりなんだよ」
本当はそれだけではなかった。
視神経までナノマシンに侵されているはずなのに、その笑顔だけがどうしても瞳に焼き付いて離れない。
顔が似ているわけでもない。声が似ているわけでもない。だけどどうしても重なりあってしまう。
向こうの世界に置いてきたはずの、たった一人の女性の笑顔。
屈託なく笑うその姿が、まるで彼女がすぐ傍にいるかのように思えてしまう。
だけどその名前がどうしても思い出せない。大切な人のはずなのに、そこだけ虫に喰われてしまったかのように思い出せない。
「だから誰にもアティを殺そうとは思わなかった。
俺も、アルディラも、ヤッファも、キュウマも、ハイネルそっくりのお前を見ていたらそんな気はすぐに失せた。護人をする理由もあいつが原因みたい なものだから余計にな」
友の願いから護人する者、愛する者の願いを叶えるために護人する者、平和な今を護りたいと思う者、それしか道はなかった者、理由は様々なものだっ た。
初めてアティが護人たちに会った時、彼らは顔にこそ出さなかったが皆一様に驚きを隠せなかったのだ。
そのよく似た笑顔に。
「だから俺たちはお前に全てを決めさせることにした。俺の意志は須くサレナの意志ともなる。
お前は、お前の『自分らしく』で答えを決めればいいんだ」
言いたい事を言い終えてアキトは静かな寝息をたてはじめた。
睡眠時ならばナノマシンの活動も大人しくなるからだった。事前にサレナやファリエルから聞いていなければ少しだけ怒ったかもしれない。
「私の……『私らしく』を……」
水晶渓谷から離れながら考え込むアティ。何度かアキトやサレナから聞いた『私らしく』という言葉が、どうしても重く感じてしまう。
アティ自身の『私らしく』を貫くならば遺跡を復活させてあげたい。だが、これは彼女一人だけの問題ではないのだ。
この島の未来を決める一番大切な選択。だからこそいつまでも迷う。
「……どうすれば、私は」
「封印してやってはくれぬか?」
「きゃっ!?」
突然、背後から声をかけられて飛び上がるアティ。慌てて後ろを振り向けば。
「ミ、ミスミ様……?」
ミスミだった。表情は翳りをおびていていつもの快活で太陽のような様子はまったく見受けられない。
「あの阿呆の言う事など気にするでない。お主は、遺跡を封印してくれればよいのじゃ」
「でも……それじゃ」
「わらわもスバルも鬼妖界に帰るつもりなど毛頭ない。それにこの島の生活は気に入っておる」
アティの言葉を遮るかたちでミスミはきっぱりと言い切った。そしてアティは気付いた。
キュウマの思いは、二人の思いではないということに。
「それをあの阿呆はいつまでも、いつまでもそれだけが自分の生き甲斐であるかのように言っておる。
わらわは今が幸せであるし、新しい主ならすぐそばにいるというのにの……」
それはスバルのこと。まだまだ幼く荒削りではあるが立派な将となる器を持ちキュウマは彼を未来の主として認めた。
スバルはその時のことを嬉しそうに何度もミスミに語っていたと彼女は語る。とても喜びに満ちた顔で。
「じゃからの、アティ。その剣で封印してやってはくれぬか。あの阿呆の目を覚まさせるためにも。それでも阿呆なことを言うようなら一発ひっぱたいて やってくれ。
そして伝えてはくれぬか、わらわたちがこの島にいることを望んでいることを。これ以上、家族を失いたくないことを」
それは小さな懇願だった。一人の“人”として、彼女が心からしたとても小さな。
それでも人の心を揺り動かすには十分だった。
「……そう、ですか。ありがとうございますミスミ様、おかげで答えを決めることが出来ました」
「そうか……では、スバルと共にキュウマの帰りを待っておるぞ」
「はい」
ミスミが見送ったアティの顔は、しっかりと前を向いていた。
ミスミの言葉から得た答えを持ってアティは、集いの泉に集まった全ての者たちに自分が見つけたそれをはっきりと述べた。
「遺跡を封印します」
やはりと思った者が三人。苦虫を噛み潰した顔したのが一人。もちろん、キュウマであった。
キュウマとて護人を務める身、其れ故にアティの選択は正しいこと理解は出来る。だが、理解することと納得することは全く違う。
何よりも遺跡を封印するということは彼自身の生きる目的を潰すということになる。人が『生きる』ためには良いことにせよ悪いことにせよ、理由が必 要なのだ。
でなければ人は簡単に壊れてしまう。
ならば、それが奪われることとなったらどうするだろうか。
「封印はさせぬ……例え、裏切り者の名で呼ばれようとも。シノビにとって主君の命は、唯一無二のもの、そのためなら自分は外道にもなるッ!!」
当然それを阻止しようとする。
彼に賛同する者はいない四面楚歌な状況とはいえ、キュウマはどうしてもそれを阻止しなければならなかった。今なお彼の心にいる主のために。
「飼い犬ゆえの悲しい宿命ってヤツね」
その姿はスカーレルの言うように正に忠犬。ただ、それは主の帰りを待ち続ける忠犬ではなく、主のことしか見ていない盲信の犬。
「知ったふうな口を聞くなッ!
その飼い犬を逃がすために死地に向かった人だからこそ、それを止めることもできなかった自分がゆるせないからこそ! せめて、末期の願いだけには 報いなければ……自分はなんのために生き続けているのかわらなくなってしまうんだッ!
失うものなど、もはやなにひとつない……封印を望むならこのキュウマを屍に変える覚悟をもって
パン
それはひどく鈍くて乾いていて、澄んだ音だった。
誰もが自分の目を疑っていた。彼女が何をしたのか理解することにひどく時間がかかった。
「失うものはなにもない? 本当に、そう思うんですか」
いつも明るい声とは真反対の暗くて怒りに震える声。俯いて表情は見えないが、間違いなく彼女は怒っていた。
キュウマのあまりに身勝手な言葉に。いつまでも後ろを向いたままで前にある道を歩もうとしない姿に。何より、誰もそんなことを望んでいないことを やり遂げようとする姿に。
そんな彼女の手は、頬をひっぱたいた勢いで赤くなっていた。
そんな彼女の目は、頬をひっぱたいたこととは違う理由で涙が浮かんでいた。
「もう一度聞きます。本当に、失うものはなにもないと思ってるんですか」
「……ッ」
キュウマは答えられなかった。彼自身半ばわかりきっていたことだ、その答えがどんなものか。
だけど答えられなかった彼に対してアティは、預かっていたものを彼に渡すことにした。
「……ミスミ様から伝言を預かっています」
キュウマの眉間に、皺が寄った。
「いつ、わらわたちが、鬼妖界に、帰りたいと言った」
一言一句、みんなんび伝わるようにはっきりと言っていく。
キュウマが、はっと目を見開いた。
「もう、大切な、家族を、失いとうはない」
気が付けば、アティは涙を流していた。
「これ以上、わらわたちを、悲しませないで、くれ」
止まらない涙。サレナが、ソノラが、アリーゼにベルフラウが、皆が、アティを抱きしめた。
「ミスミ様……自分は、自分は……間違っていたのですか?」
「いや、間違っちゃいねーよ。お前にとって、今までそれだけが生き甲斐だったんだ。誰も責めたりはしねえ」
「ヤッファ殿……」
「だが正しいことでもない。それに気付いたなら、どうするか自分で判別出来るだろう」
「黒百合殿……」
「そうそう、あまり難しく考えることはねえって」
「カイル殿……」
護人二人、それに新たな仲間達の言葉にキュウマの胸に長い間刺さっていたものがなくなった。
今この時をもって、彼は本当の意味で島に住む者たちを守り、主たちの影となり手足となる真の護人となったのだった。
「行きましょう、今度こそ遺跡を封印して皆で笑ってくらせるように」
誰も否定しなかった。今度こそ、アティたちはシャルトスを使って遺跡を封印することが出来たのだった。
遺跡内部、識得の間に帝国軍がいた。だが彼らは既にアズリアの元から離れた者たち。言ってみれば帝国軍のはぐれなのだ。
アズリアに率いられる者たちとは違って全員が死んだ魚のような目をして、口元に薄らと不気味な笑みを携えていた。
アズリアの兵を生者とするなら、こちらは死者の群れのように見える。
「ふぅん……バカなことをしてくれるね」
その彼らを率いているのはイスラ。
「ケッケケケケッ、あいつらが馬ァ鹿なのは今に始まったことじゃねえだろォ?」
それにいの一番に従ったのはビジュ。
ただでさえ狂暴さをはらんでいた顔はもはや狂気以外に宿すものはなく、斬り落とされた右腕の代わりに付けられた義手を恨みをこめるように撫でる。
あの日、あの時からビジュは完全に変わってしまっていた。口や態度は悪くともアズリアには従っていたが変わってしまってからは全く言う事をきかな くなった。
今のビジュは狂犬。首輪をつけようとする者に容赦はなく、自分が認めた者以外は絶対に従わない。
その狂犬が認めたのが、イスラだった。
「ふふふふ……そんなに言わなくてもわかっているよ」
周りの人間たちには聞こえない声にイスラは笑顔で答えた。それは背筋すら凍らせてしまうほど極悪。
それに見えない“誰か”と会話していても彼に従う者たちは全く不思議に思っていない。イスラが“誰か”と会話するのは普通なのだ。
そう普通。異常と思える思考回路は彼女の元から離れる時に置き去りにしてきた。
「アティ、君は本当に甘すぎる」
一歩、識得の間の中枢へと近づく。
「島の住人たちから聞かなかったのかな?」
ひどく歪んだ笑みで中枢の前に立つ。
「封印の剣は、二本存在するんだよ」
イスラの手に握られる、血塗られたような禍々しい紅の剣。その剣の名は『紅の暴君』
「そもそも、たった一本でどうにか出来るレベルでもないんだから」
彼は選ばれたのだ。ハイネルの心の中にある負の感情を宿したそれに。
「さあ、始めようかアティ。本当の戦争をさあ!!」
イスラが高らかに宣言すると彼の姿は変わっていた。
アティと同じ白髪、狂気と血で染まった両目、首飾りが自然に宙を舞い、右手には『紅の暴君』 が絡み付く。
そしてアティが封印を施した同じ場所に突き刺した。封印を破壊するために。
――ウウウゥゥウゥゥオオォォオォオオォォォォオォオォ!!!!――
封印が解けて遺跡の中にいた『声』が、鮮血よりも紅い光を伴って歓喜と殺意の雄叫びを上げる。
「アハハハ、アハハハハハハハハハハ!!!!」
それにつられてイスラも狂ったように嗤った。その声はいつまでも遺跡の中に響き渡り、ビジュたちはその姿を静かに見守り続けていた。
それは始まりであり終わりの合図となった。
あとがき〜
しっちゃかめっちゃです。
もう自分で何を書いてるのかわかりません。おらぁもうだめだぁ。
おまけに更新も遅くなった上に内容の薄っぺらさ。もう死んでもいいですか?