003 台湾危機とそれがもたらした戦い2
中華連合が開戦を決意し、まず戦端を開いたのは日本だった。それは、日本を戦争から脱落させることに主眼を置いた行動だった。
アメリカ合衆国は開戦の準備を着々と進め、インド洋のディエゴガルシア島に戦力を集結させ、在韓米軍も即時戦闘可能な態勢に移行した。それは中華連合も同様であり、台湾の地上戦力を増強し、東海艦隊が台湾海峡に遊弋した。
また中華連合軍ロケット軍は、空母戦力への抑止対艦弾道ミサイルを展開した。
両国はともに戦争準備を整えつつあったが、アメリカ合衆国が台湾解放を目的とする以上、やはり日本を後方拠点とするつもりなのは明らかだった。ついでグアムだ。
事実、日本に向け陸上戦力の輸送や艦隊戦力の移動が始まっていた。
日本もこの動きに同調した。台湾を抑えられ、資源の輸入が途絶えることへの恐れから支援を確約した。
中華連合にとっては、当然面白くない動きであり、日本の後方拠点化の阻止を図った。不快な動きを阻止する簡単な解決策は一つ、日本に侵攻することだ。
アメリカ合衆国との開戦を控えた今、大規模な侵攻を行うわけにはいかないが、小規模なものでも日本を屈服させるには十分なはずだ。
日本は今まで戦争を経験したことはなく、実際に侵攻が行われれば、アメリカ合衆国と同調した行動を取らない可能性が高い。この判断の根底には、日本への侮りがあったが、それに基づいた侵攻作戦が立案され、実行に移された。
日本が戦争不参加に方針を転換してしまえば、アメリカ合衆国は有力な後方拠点を喪失することになる。
この作戦の目的は、単に日本の後方拠点化を阻止することではない。
有力な後方拠点を実質的に失陥させ、アメリカ合衆国に譲歩を強いさせるか、少なくとも不利な状況で戦闘に突入させる。それがこの作戦の果たさなければならない目標だった。
台湾への侵攻は、一切の事前通告のない完全な不意打ちだった。日本に対する侵攻は、それとは異なり、最後通牒及び宣戦布告を下した上で始まった。
但し、最後通牒から宣戦布告までの間が異様に短ったが。
まず中華連合軍海軍が尖閣諸島海域に進出し、同海域を武力により占拠した。主力は依然台湾海峡にあったが、東海艦隊に所属する有力な部隊が実行役を務めた。
尖閣諸島海域を占拠したのは、これを機に同海域の鉱物・水産資源の独占するためであり、また台湾占領と併せて日本の死活問題となる資源を入手させないことで圧力を掛けるねらいがあっあた。それだけではなく、アメリカ合衆国の戦力の展開を阻むつもりであった。
第1級の脅威であるアメリカ合衆国の空母の接近阻止を図る防衛線の限定的な構築と、それよりも重要な陸上戦力を台湾に一歩も近づかせない腹積もりだった。
既に破綻を来し、アメリカ合衆国もすぐさま実行するつもりはなかったが、沖縄の第3海兵遠征軍が普天間飛行場から空路台湾に展開する構想を少なくとも阻める。
中華連合は、尖閣諸島諸島海域に進出しただけでは留まらなかった。日本を戦争から脱落させるべくに矢継ぎ早に更なる手を繰り出してきた。
その手とは、台湾以前に得た新領土を活用したものだった。破綻寸前の国家を併合した以上、遊ばせるのではなくその資産を活用する必要があるー彼らは亡国の遺した負の遺産を積極的に対日攻撃に用いた。
日本の対岸から弾道ミサイルが相次いで発射された。攻撃に使用されたのは、対日攻撃を前提にしていた弾道ミサイル・ノドン。それらが日本に牙を剥いた。牙を剥いたのは、弾道ミサイルだけではない。
日本国内に潜伏していた破壊工作員も一斉に行動を開始した。かねてから推測されていたように自動小銃をはじめ、強力な火器による重要施設を狙った破壊工作を繰り広げた。
幸いなのは、祖国への忠誠心からやはたまた平穏な生活を守るために参加しなかったものも決して少なくなかったことだろう。
正に風前の灯といえる状況だったが、予想に反し日本は的確かつ頑強な抵抗でこの危機に対応してみせた。
元々日本は、台湾侵攻の直後からいつ何時攻撃されても問題ないよう備えていた。
日本は、弾道ミサイル攻撃にも破壊工作員による攻撃にも動じることはなかった。それは、日本が有事に即応できる体制を構築していたことを証明し、領土の占拠を許したという汚名をすすいだ。そもそも尖閣諸島海域の占拠を許したのも、艦隊ローテションの都合と反戦市民団体の妨害によって、護衛隊群による防備を固められなかったからにすぎない。
弾道ミサイル攻撃は、意味をなさなかった。この時期日本のBMD網は完成していた。イージス護衛艦8隻が就航し、それだけでなくPAC-3とイージス・アショアが陸上の守りとして控え、鉄壁の守りを実現していた。
しかも弾道ミサイル攻撃を予期していたために、最低必要な2隻を超える3隻のイージス護衛艦を日本海に貼り付け、BMD能力を最初から保有し、巡航ミサイルを装備する最新型のいぶき型までも投入する念のいりようだった。飛来したノドンミサイルはこの守りを突破できず、虚しく宙で火花を輝かせた。
またアメリカおよび太平洋諸国連邦もこの攻撃を防ぐ上で大いに貢献した。米韓合同空軍がノドンのTELを空爆した。米韓合同特殊部隊がスカッドハントを再び行なった。弾道ミサイル攻撃の阻止にこの行動は、一役どころではない役割を果たした。この行動は日本との友愛という側面もあったが、有力な後方拠点の保全という軍事的側面を多分に含んでいた。
未だ中間国境に数千門の火砲が配備されており、それがソウルを射程に収めている大韓民国としてはこの行動には乗り気ではなかったが、気が進まなくともやらねばならなかった。領土拡張という野望を露にする中華連合と国境を接している以上、アメリカ合衆国との関係を損なうわけにはいかないからだ。
一方、破壊工作員との戦闘は熾烈を極めた。己の軍事力の脆弱さを知り抜いている朝鮮民主主義人民共和国ゲリラ戦や破壊工作に力を注いでいた。その結晶たる破壊工作員の練度は並大抵のものではなく、装備も優先的に質の高いものを割り当てられている。
鍛えに鍛え抜かれた破壊工作員を前に施設防衛は至難の業であり、施設破壊を狙った破壊工作員との間に熾烈な戦闘が勃発した。肝心の施設こそ守り抜いたものの、破壊工作員のみならず日本にも夥しい死傷者が生じた。死傷者が発生したのは、施設防衛に投入された陸上自衛隊の普通科、原子力発電所の警備を担う短機関銃という通常警官より強力な武装を持つ警察警備部隊などだ。
施設破壊を果たせなかった破壊工作員にとっては、忸怩たる思いだったがそれを命じた中華連合にとってはまずまずの展開だった。中華連合がもくろんだのは、日本が攻撃されたという事実を元に反戦的な世論を形成し、戦争から脱落させアメリカ合衆国に対する支援を停止させることにある。
その思惑からすれば攻撃の成否はさしたることではなかった。そして今までのところ中華連合の思惑通りに事態は進んでいた。反軍事的な思想的背景を有する平和市民団体は、軍事行動の中止を訴えた。偏向的な思想を持たない大多数の一般国民は、実際に日本が攻撃を受け、警察官や自衛官に殉職者が出るに至り、戦争への恐怖からアメリカ合衆国と同じ歩みをとるべきではないという論調に走った。警察や自衛官に殉職者を出した政府の決定を許すなとも。
日本政府の意思はあくまでアメリカ合衆国への支援継続にあったが、その意志の継続は圧倒的大多数の国民が反論的・厭戦的な態度をとるに至り、強硬に実行するのは困難だった。このままいけば思惑通りに支援中止を決定していたかもしれないが、運命の女神は中華連合に味方しなかった。
転機となったのは、破壊工作員が日本の首相官邸をかつて青瓦台を襲撃したように襲撃を試み、検問に捕捉されたことで同じく失敗に終わったことにある。ただ失敗したままであったならだれにとっても不幸なことにはならなかったのだが、降伏を拒んだ破壊工作員はそのまま市街地戦に突入することを選んだ。
市街地戦自体は、数時間にわたる熾烈な戦闘の果てに陸上自衛隊の部隊の投入により鎮圧に成功したものの、夥しい数の民間人が死亡し、それに数倍する重軽傷者を生み出した白昼の悪夢だった。日本にとって悪夢といえる事件をきっかけに破壊工作員は、施設破壊ではなく無差別殺傷に活動方針を変更した。
施設破壊が行き詰っていたたために日本の民間人を大量に殺傷することによって、戦争から脱落させようと破壊工作員は考えたのだ。中華連合の意に反する独走を許してしまったのは、強力な戦力といっても外様の存在であり、上部の意思をきちんと伝える指揮系統をうまく構築できていなかったためとされるが、理由はともあれ、方針転換によって今まで平和な日常を享受していた人々が無残に命を奪われる悲劇が日本の各地で相次いだ。
これが日本の態度を決定的に硬化させた。破壊工作員の思惑と異なり日本の世論は沸騰し、報復を望む声が声高に叫ばれるようになった。日本人は平和ボケしたといわれるが、ありふれた日常を歩んでいた同胞の命を惨たらしく殺され、怒りと憎悪を全く抱かないまでに落ちぶれてはいなかった。
政府から国民に至るまで日本人は報復を求め、それを実行に移した。直接的な憎悪の対象となった破壊工作員への報復は、苛烈を極めた。警察をはじめとする司法・情報機関が一丸となり、破壊工作員を今まで以上に執拗に捜索し、発見するや否や警察や陸上自衛隊が急行し、迅速な制圧をおこなった。今まで以上に激しさを増した掃討作戦を前に高度な訓練を積んだ破壊工作員も叶わず、極わずかな生存者が潜伏に成功するというありように追いやられた。掃討作戦の攻撃は激しく、破壊工作員側が捕縛よりも自決を選んだにもかかわらず、最初から捕虜をとる気がなかったという俗説が真しやかに囁かれた。
怒りはそれだけでおさまらず、破壊工作の指令を下した中華連合にも報復の矛先は及んだ。尖閣諸島海域を占拠する中華連合艦隊の実力での排除がほどなく実行された。陸海空の統合運用による撃退作戦が素早く実行されたのは、以前から排除に向けた作戦が立案され、いつでも実行できる段階にあったことによる。
ちなみにこの作戦案の立案に多大な役割を果たしたのは、山本信繁一等海佐であり、後に復活した内務省の外局に当たる公共安全庁調査第3部の部長として国内防諜に辣案をふるうことになる。
中華連合艦隊の攻撃の先鞭を切ったのは、海上自衛隊---ではなく陸上自衛隊と航空自衛隊であった。石垣島には、12式地対艦誘導弾を有する地対艦ミサイル部隊が駐屯しており、そこが保有する対艦火力を一斉に投射した。尖閣諸島に近いにもかかわらず攻撃を受けていないのは、中華連合艦隊に戦火を拡大しないよう厳命されていたことと、本来は沿岸部に配置するSRUを始め12式地対艦誘導を成り立たせるユニットを上手く隠していたためだ。12式地対艦誘導弾が発射されると同時刻に航空自衛隊のF-2も空対艦ミサイルを発射していた。対艦ミサイルを同時刻に一斉発射し、敵艦隊を殲滅するという以前から考案されていた戦術である。
導入こそ決定していたもの国内にいまだ存在しないため、航空自衛隊はLRASMやJSMを投入することは残念ながらできなかった。だが、その代わりに最新鋭ミサイルASM-3をを惜しみなく投入していた。マッハ3の速度を誇る凶悪無比な代物だ。
迫りくる対艦ミサイルの群れに中華連合艦隊は、奮戦した。そのなかでもチャイナ・イージスと呼ばれる蘭州級駆逐艦の活躍は目覚ましいものだった。イージス艦の特徴であるアクティブ・フェイズド・アレイレーダーを複数配備するという構造のためイージス艦に分類されていても、アメリカ合衆国や日本のものに比べれば劣る代物という評価を覆すだけの働きをして見せた。それは、中華連合軍海軍の新型の昆明級駆逐艦を温存する生贄にしようという思惑すら覆すものだった。
しかし、現実は無常だった。奮戦むなしく、相当数に登る対艦ミサイルが中華連合軍艦隊に容赦なく襲い掛かった。飽和攻撃に対応することを目的とするイージス艦でさえ対応困難な数であったことに加え、12式地対艦誘導弾もASM-3もレーダーで捕捉すること困難な低空を移動するという性質が災いしたためだった。
日本にとっては、自国製兵器の優秀さを実戦で証明した喜ぶべきことだったが。
中間連合軍艦隊は、この攻撃で作戦能力を喪失しはしなかった。しかし、対艦ミサイル攻撃によって小破・中破する艦が相次ぎ、撃沈艦こそないものの大破する艦もあった。艦隊指揮官は、撤退を上層部に具申したもののその返答は遅れに遅れた。宣戦布告していながら日本が本気で反撃してくるはずがないという侮りからくる幻想を抱いていたためだ。
そのつけは現場が支払された。上層部が下らぬ議論に注力している間、海上自衛隊の護衛隊群が傷づいた艦隊にシャチのように襲い掛かったのだ。傷づいたといっても中華連合艦隊は、抵抗能力をなくしたわけではなく、激しい砲火が交わされた。そして勝敗を分けたのは、事前の傷だった。中華連合軍艦隊の指揮官は、海上自衛隊との交戦の中撃沈艦が出るに至り、独断での撤退を決定した。海上自衛隊は、追撃を行うことなく、敵対した艦隊の乗組員の捜索救助活動にあたり、戦闘は終結した。
中間連合の思惑は潰えた。むしろ日本を戦争から脱落させるどころか、かつて清時代に彼らをさした『眠れる獅子』を目覚めさせる結果に終わったというべきだろう。そうしてこの戦いからしばらくしたったのち、いよいよアメリカ合衆国は台湾解放のために軍事作戦を始めた。
後書き
トム・クランシー並みの文才が欲しい、そうすれば戦争描写を上手くできるのに・・・。実在する兵器や実際に考えられている戦術などを元に書いていますが、間違いがあるかもしれませんと申しておきます。
それといぶき型イージス護衛艦なるものがでてきましたが、架空の軍艦です。あたごにつぐ最新のイージス艦は、まや型です。
空母いぶきが元ネタではなく、ルーントルーパーズ自衛隊漂流戦記のいぶき型イージス護衛艦が元ネタです。それとDF-21DとDF-26は実在しますが、DF-26Bは対艦攻撃能力を持たせる可能性があるとのことなので、対艦攻撃仕様を独断でB型としただけで実在しません。
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