○西暦一九八七年七月一日
きょう父さまから、日記ちょうをもらいました。
ていとへかえってきたのがよいきかいとのことで、日記をつけてみたらどうかとすすめられました。
はじめての日記、とてもたのしみです。
○西暦一九八七年七月三日
きょうていとにもどって初めてのお友だちができました。
くるるぎるるーしゅさまというとてもきれいでやさしいかたです。
唯依より四つとしうえの男のひとで、父さまはとても頭のよい方だとほめていました。
もし、唯依に兄上がいたら、こんな方だったらよかったなとおもいました。
○西暦一九八七年七月七日
きょうは七夕でした。
七夕のおまつりにまねかれて、はじめてくるるぎさまのお家をたずねました。
くるるぎさまの母うえは、まりあさまといいとてもきれいな方でした。
でも、あとで父さまにおききしたところ、このえぐんのなかでもさいきょうといわれるぐれんしょうしょうのぶかをつとめていた方で、じつりょくだけならぐれんしょうしょういじょうにつよい方だとおききしました。
すごい方なのだなとおもいました。
おまつりは、ささのはにたんざくをつけて、おいしいごちそうをたべて、たのしくすごせました。
父さまといっしょに家にかえってくると、おおきなささをかかえたいわやのおじさまがもんのところでしょんぼりしていました。
せっかくなので、おじさまのささにもたんざくをつけると、おじさまはとてもよろこんでくれました。
そのあと、父さまとおはなしがあるからといってどこかにいってしまいました。
父さまは、なぜかひきつったかおをしていましたが、あれはなんだったのでしょう?
しばらくまってもかえってこなかったので、唯依はねむくなってしまいました。
おやすみなさい父さま。
○西暦一九八七年七月八日
きょう、あさおきると父さまがあおいかおしてしょくたくについていました。
おさけのにおいもつよかったので、どうしたのかときいてみると、あけがたちかくまでいわやのおじさまとおさけをのんでいたそうです。
ほんとうにこまった父さまです。
おさけはひゃくやくの長といわれますが、すごせばどくにしかなりません。
そのことをいうと、父さまもわかってくれたらしく、これからはひかえると約束してくれました。
ほんとうによかったです。
あ、あとでいわやのおじさまにも、いっておかなければいけませんね。
ほんとうにこまったひとたちです。
○西暦一九八七年七月二十三日
ていとのなつは、とてもあついです。
ちけいのかんけいで、かぜがとおりにくいためだと、るるーしゅさまがおしえてくださいました。
うまれてはじめてすごすていとのなつは、唯依にはすこしこたえました。
にっちゅうぐったりしているとしんぱいしてくれたまりあおばさまが、かわどこにつれていってくれました。
かわのうえにもうけられたざしきで、ひえたおりょうりをいただくととてもすずしくおいしくいただけました。
そうすずしかったから、しょくがすすんだだけです。
唯依は、くいしんぼうではありません、わらわないでくださいるるーしゅさま。
そうやってたのしくすごしたのち、いえにもどるといわやのおじさまがおおきなすいかをもってあそびにこられました。
いどでひやしたすいかをおいしくいただいていると、おじさまがすこしはすずしくなったかときいてこられました。
たしかにすずしくなったのですが、かわどこのほうがすずしかったので、そのことをいうとおじさまはうつむいてしまいました。
そのまま『かわどこ……んと、かわどこ……』とぶつぶついっていました。
もしかして、おじさまもかわどこにいきたかったのでしょうか?
でも、おじさまもりっぱなていこくぐんしょうさです。
いくらくるるぎのおうちが、おかねもちだといっても、おごってもらうのはどうかとおもいます。
それをそのままいうと、なぜかおじさまは、なきながらかえってしまいました。
やはりはずかしかったのでしょうか?
でも、おじさまのめいよをまもるためにもしかたのないことだったとおもいます。
○西暦一九八七年七月二十四日
きのうのことを、るるーしゅさまにはなすと、すこしこまったように笑いながら、そういうときあいてをおもいやれるのがくうきがよめるということだとおしえてくれました。
唯依は、くうきのよめないこなのかとおききすると、だまってくびをふりあたまをなでてくれました。
けっきょく、唯依がくうきをよめるのかどうかはおしえてもらえませんでした。
けっして、あたまをなでられるのがきもちよくて、きくのをわすれてしまったわけではありませんよ。
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