―― 西暦一九八八年三月十三日 静岡県御殿場市・東富士演習場内帝国軍技術廠戦術機試験場 ――
試験場の管制室内で、追加評価試験の実施を見守っていた篁は、本日の予定項目の消化が完了した所で巌谷へと声を掛けた。
「――全項目クリア。
よし、巌谷上がってくれ」
『おう分かった』
モニター内に映る精悍な顔が、ホッとしたように緩む。
当初予定外の任務をこなし、やや疲れを滲ませた親友に篁も済まなそうに目線で詫びた。
地響きを立てながらハンガーへと向かう瑞鶴が、徐々にこちらへと近づいてくる。
第一世代戦術機である撃震をベースとしつつ、近接格闘戦能力の向上が図られたその機体は、重装甲による高防御をコンセプトとする撃震とは一線を画す鋭角的なフォルムに仕上がっていた。
完成した試作機を見た斯衛軍高級将校が、『まるで折鶴のように端正だ』と見惚れたシャープな機体は、その外観を裏切らぬ滑らかな機動を見せているが、これが一年前のソレとは雲泥の差があると知る者は未だ少数派に含まれる。
―― RTOS-88(Revolutionary Tactical surface fighter Operating System type-88) ――
それが、瑞鶴を産まれ変らせた物の正体であった。
今年に入って早々、枢木工業が発表したこの新型OSが、当初は殆ど見向きもされなかったという事実が、今となっては信じられない程である。
紅蓮少将の口添えと個人的に知己を得た篁と巌谷の協力が無ければ、あるいは時の流れに埋もれていった可能性も否定できないこのOSは、現在は帝国軍・斯衛軍問わず軍関係者の注目の的となっていた。
当初、帝国軍主力戦術機である撃震に試験的に導入され評価を受けたこのOSは、大半の者の予想を裏切る圧倒的な高評価を獲得し、今年二月には限定的な導入から全面的な採用へと切り替えられている。
現在は、同地の富士教導隊にてより効果的な運用法の研究と、各部隊への導入の為の教導マニュアルの整備が急ピッチで進められていた。
この現状を受け、流石に枢木嫌いの城内省も無関心では居られなかった様である。
何とかその成果を否定したかったのか、今年二月二十日に帝都郊外にて行われた合同演習においてRTOS-88搭載型の撃震と瑞鶴の模擬戦を強引に実施するも、これに物の見事に完敗を喫してしまった。
この結果を受け、中堅層の斯衛軍士官達より出された瑞鶴へのRTOS-88採用要求に上層部は大きく面目を損ないつつも、応じざるを得ない状況に追い込まれてしまい、技術廠に対して瑞鶴へのRTOS-88搭載及び評価試験の依頼を出す破目になったのである。
一方、依頼を受けた技術廠としては、技術ではなく意地の領域で問題発生が懸念されるこの事態に困惑した挙句、OS採用に到る発端の一角であり、同時に『瑞鶴コンビ』として今や帝国内に知らぬ者なき名声を得た篁中佐と巌谷少佐にその任を丸投げする事で事態の収拾を図った。
まあ、ぶっちゃけて言えば、城内省に対しては瑞鶴の英雄達が評価したという実績を楯にして押し切り、篁らに対しては厄介事を持ち込んだ責任を取って貰おうという訳である。
状況の推移をリアルタイムで見ていた篁と巌谷にもその辺りは分かっていたのか、苦笑いしながら瑞鶴へのRTOS-88搭載及び評価試験の任務を拝命し、この地にやって来てから早くも三週間近い時が過ぎていた。
篁は、本日の評価試験結果の整理をスタッフに命じると、自身も手早く日報の作成に入る。
室内にキーを打つ音が満ちる中、強化装備のまま巌谷が管制室へと戻ってきた。
軽く挨拶を交し合うと、篁の側から水を向ける。
「どうだ、瑞鶴の調子は?」
「ああ、相変わらず上々だな。
正直コイツなら、イーグル相手でも小細工無しで勝てるぞ」
疲れた様子を見せつつも、機体の調子には充分な手ごたえを得ていた巌谷は上機嫌で答えた。
誰もが賞賛する一昨年の矢臼別での勝利も、巌谷の認識では相手の衛士が凄腕であったからこそ拾えた勝ちという認識に過ぎない。
どんな形であれ勝利は勝利と割り切れる程度には大人であったが、やはり一人の衛士としては凄腕だからこそ正面から打ち破りたいという欲求は少なからずあったのだ。
今、それを可能とし得る機体に産まれ変った瑞鶴を得て、燻っていた血が滾るのを抑え切れない気分が巌谷の内で渦巻いている。
そんな親友の胸中は、篁にも痛いほど伝わっていた。
彼とて斯衛軍高級技術将校の身ではあるが、衛士としても充分過ぎるほどの技量を持っている。
機体のポテンシャルを十二分に引き出してくれるこのOSの威力も、それを得た友の思いも、分からぬ筈が無かった。
だがしかし、である。
巌谷が忘れている事実を指摘する程度には、彼は冷静だった。
「そうか……だが、その時は、向こうも同じRTOS-88に載せ変えているぞ」
あくまでもOSの差が前提であるというなら、同じOSに載せ変えてその差を埋められてしまえば元の木阿弥になるだけだ。
それでも勝てるかと問う篁を前に、少しはクールダウンした巌谷が首を捻る。
「……まだ、海外には出回っていない筈だが?」
「米国とEUでの特許は取得済みで、アフリカ、中東、オセアニア、南米も審査完了だそうだ」
「オイオイ……」
枢木の動きの早さに巌谷は唖然とするが、そこでふと考え直す。
元々の帝国内での評価の低さからみて、初めから帝国内での販売に見切りをつけ、海外に売り込むつもりだった可能性に気付いたのだ。
――巌谷の背筋を、一筋の冷たい汗が流れる。
この技術が日本から流出し、外国の物となって自身の前に現れたかもしれない可能性に、彼はゾッとしながら気にすべき事を問う
「アジアは、まだなのか?
それにソ連は、どうなんだ」
やはり帝国の周辺国家の動向は外せない。
特にソ連、中国、そして半島の二国は、帝国とは様々な因縁のある相手であり、対BETAの協力体制は取りつつも、決して安心して背中を預けられない相手というのが軍人としての常識であった。
「ソ連については梨の礫。
上っ面を差し替えたソ連製を出す気満々だな。
……アジアの方は、東アジアの三ヶ国を除いて、ほぼ完了だそうだ」
篁の顔になんとも表現し難い色が滲む。
それだけで巌谷にも、彼に情報を伝えたであろう人物の心中が、わずかながら伝わった。
「あ〜……怒ってたか?」
「予想の範囲内だと言っていた。
……目が全然笑ってなかったがね」
アレは、絶対にタダで済ます気の無い眼だった―――胸中で、そう思いつつ答える。
この時の篁の印象が正しかった事は、後年、証明される事となる。
これ以後も、枢木工業がヒット商品を出す度、劣化コピー品や海賊版を出して市場を荒らしたかの国々は、血圧を上げまくったルルーシュの怒りを買い、かなり悪辣なやり口で報復される事になるのだが、それはまだ未来の話であった。
「しかし、廉価なコピー品とかが出回ると困るんじゃないのか?」
「その辺は対策済みだそうだ。
最低でも向こう三年間は、絶対にプロテクトは破れないと豪語していたよ」
触らぬ神に祟り無しとばかりに、その辺りをさり気なくスルーした巌谷に、篁も苦笑しながら応じる。
要は、不正コピー品が出回る前に、圧倒的なシェアを確保してしまえばいいとの目論見である。
民生品以上に軍用品は、信頼性と実績が重視されるものだ。
幾ら安価とは言え、後から出てきた信頼性の欠片も無い不正コピー品に、己が命を預ける考え無しなど極少数に限られるとの判断は正しい。
ましてや部下に使う事を強要しようものなら、最悪、背中から撃たれる程度の覚悟は必要だろう。
自殺志願者でもない限り、誰も犬死などしたくないのだ。
「それはそれは……彼が、そう言うならそうなんだろうが、表面的な機能だけ似せた贋物までは、どうにもならんだろ」
「『贋物と分かっていて使う奴、使わせる奴の面倒までみれるか』だそうだ」
ルルーシュの口調を真似た篁の一言に、巌谷の頬が盛大に引き攣った。
馬鹿はさっさと死ねと言わんばかりの苛烈さは、とても年齢相応とは思えない。
「相変わらず辛辣だな。
本当に九歳か、彼は?」
「……戸籍上は、その筈だな」
引きつり笑いを見合わせる大人達。
本当にアレは九歳かと、疑っている親友がそこに居た。
だが、誰がどう調べようが、枢木ルルーシュが戸籍年齢九歳であるという事実は覆らない。
それまで誰も考え付かなかった新機軸のOSを生み出そうが、会社経営に参画していようが、それは否定されることは無いのだ。
病とは異なる頭痛を感じた篁らは、阿吽の呼吸と言うべきか、癒しを求めて話題を転換しようとする。
そうなると彼らにとっての心のオアシスが、話題となるのは必然だったのだが……
「……そういえば、唯依ちゃんは枢木に預けてきたんだったな」
「ああ、そういう意味でも、彼らには世話になっているなぁ」
「そうだな……」
何となくいつの間にか取り込まれ、頭が上がらなくなっている現状に繋ぐべき言葉を見失う。
それに反発を覚えるどころか、納得してしまっている自身が居る事に、何とも妙な気分になりながら篁と巌谷の間に沈黙が落ちた。
■□■□■□■□■□
初春の風が吹く枢木邸の庭で、木と木が打ち合う音が間断なく続く。
攻めるは一刀、防ぐは二刀。
本来なら、護る側が手数で勝る筈なのだが……
「ほ〜ら、ほら。
遅い、遅い、遅いわよっ!」
笑いながら左手で振るわれる小太刀の速さは、まさに神速そのもの。
受ける少年の眼には、一本の筈のそれが何本にも視えていた。
双刀をもってしても防ぐのに精一杯、いや、辛うじて防ぎ切れる程度に手加減されている。
ソレを悟ったルルーシュの口元で、歯軋りの音が鳴った。
「ハッ、ハッ……ハァッ!」
屈辱をバネに防御を捨てた相打ち狙いの一閃を放つ。
踏み込み、速さ、刃筋共に、今の自身が放てるであろう最高の一撃。
だが、彼をして、そう断言させる程の渾身の一撃も、目の前の女傑を捕らえる事は叶わない。
「う〜ん……ダメ♪」
空を斬った一閃と視界から消え失せた母の姿に、一瞬、硬直したルルーシュの鼓膜を楽しそうな声が叩く。
左手から聞こえたソレに、慌てて反応した少年の視界で『光』が閃いた。
ただ一呼吸の間で七度。
放たれた斬撃に全身を滅多打ちにされたルルーシュの身体が、青々とした芝の上に沈む。
それを見下ろす真理亜の呼気には、わずかな揺らぎも無く、その瞳は満足そうに微笑んでいた。
そのまま地面に突っ伏す息子の頭を、木刀で軽く弄りつつ腕時計に眼をやる。
残念ながら(主観的に)楽しい触れ合いの時間が終わった事に、内心で不満を呟きつつ、まだノビたフリをしている息子に声を掛ける。
「そろそろ時間かしらねぇ。
じゃ、今日の稽古はここまで」
「……ハァッ………ハッ、ハッ……」
拷問終了のお知らせに、息を乱しつつも顔を上げるルルーシュ。
その様子に、少しだけ眉を潜めた母親は、とんでもない事を呟いた。
「もうちょっとスタミナも付くメニューを、追加すべきかしら?」
「……こ、殺す気ですか……」
魂の奥底から搾り出されたような悲痛な呻きが、造作の良い唇からこぼれ落ちた。
対して、不可視の爆弾を落とした張本人は、抜け抜けと言い返す。
「いやぁ〜ねぇ、人聞きの悪い。
じゃあ、お母様は、お仕事だから」
そう言い残すと、縁側にちょこんと座っている見学者へ軽く手を振ってから、鼻歌交じりで去っていく。
息一つ乱した素振りも見せぬその姿に、登るべき頂の高さをひしひしと感じたルルーシュは眩暈にも似た感覚を覚えながら、最後の力を振り絞って立ち上がった。
膝が笑っている。
呼吸が早く、心臓の音がバクバクと耳に木霊した。
本音を言えば、このままここでヘタってしまいたい。
そう思いながらも、ヨロヨロとした足取りで縁側へと向かう。
たとえ痩せ我慢とバレバレであっても、貫かねばならぬ矜持があったから。
そのまま酔っ払いの千鳥足の様にヨロけつつも、何とか縁側まで辿り着いたルルーシュは、オロオロしながら待っていた意地を見せねばならぬ相手――篁唯依の横手にゆっくりと腰を下ろした。
自身の激しい呼吸音に満ちた聴覚に、心配そうな少女の声が割り込んでくる。
「大丈夫ですか、ルル兄様?」
「すま…ハァ…んな唯依……ハッ、ハァ……心…配を掛…ける」
些細な出来事で出会ってから早数ヶ月。
互いの間で結ばれたささやかな縁は、途切れる事無く今日まで続き、今では親しげに呼び合う程度には太くなっていた。
もっとも『ルルーシュ』の発音は、まだ少女には難しいらしく、二回に一回は舌を噛み続けた結果、いつしか彼の名前は省略され、代わりに妙な敬称が付く様になったのはご愛嬌というべきか。
ともあれ、その重責上、泊りがけでの仕事も少なくない篁中佐から、不在時に唯依を預かるようになってから既に半年近い。
今ではこうやって、ここに居るのにまるで違和感も無くなっているが、やはり稽古というには苛烈に過ぎる真理亜の鍛錬には、まだ慣れることが出来ないらしく、心配そうにルルーシュを気遣う顔色はあまりよろしくなかった。
「どうぞ横になってください」
そう言って、自分が座っていた座布団を折り、ルルーシュの脇へ置く。
少年の端整な横顔に、羞恥の朱が走るが、それでも既に限界に達していたのか、大人しく即席の枕に頭を乗せて横になった。
「……面目無い」
「真理亜おば様が、強過ぎるだけです。
ルル兄様が、恥じる事など何もありません!」
そう言いながら用意してあった濡れた手拭で、甲斐甲斐しく汗を拭う。
そんな年下の少女の配慮に自身の不甲斐なさを感じながらも、ありがたく世話を受け入れるのがルルーシュにとっても恒例となっていた。
正直、腕を上げるだけでも億劫で、身動きする事すら出来そうに無い。
小さな手で、一生懸命汗を拭ってくれる唯依に感謝しつつ、溜息まじりに呟いた。
「確かに……アレは規格外だ。
紅蓮閣下が、勝率五割を切っていたというのも頷ける」
何でオレの周りには人類の規格外品ばかりが集まるのかと、本気で頭を捻りたくなったルルーシュの頬を、優しい風が撫ぜる。
その風に誘われて動いた視線の先には、手にした団扇でルルーシュを扇ぐ唯依が居た。
紫の視線と紫の視線が絡み合い、唯依がはにかむ様に眼を伏せる。
ルルーシュの口元が、わずかに綻んだ。
そのまま何もいう事は無く、縁側に佇む二人。
黒い髪、紫の瞳――同じ色を備えた少年と少女は、そうしていると仲の良い兄妹にも見える。
やがて緩やかな風に、ルルーシュは眠気を誘われ出した。
ウトウトとしかけたその時、不意に躊躇いを帯びた気弱な声が届く。
「………ルル兄様だって、充分お強いです。
それに比べて唯依は、まだ木刀も振らせてもらえません」
兄と慕う少年と我が身を引き比べたのか、唯依はシュンといった様子で落ち込んでいた。
この辺りは、父親譲りの自省癖が出たのか、やや暗い表情で俯く仕草に、飛びかけていたルルーシュの意識が即効で覚醒する。
枢木家の鍛錬に刺激を受けたのか、以前から父親に本格的な剣の修行をせがんでは、まだ早いと言われて落ち込んでいた事を思い出したルルーシュは、困ったような表情を浮かべつつ、唯依をたしなめた。
「小さい内から過剰な鍛錬を積むと、余分についた筋肉が骨格の正常な成長を阻害する。
篁中佐は、その辺りも充分に考えていると思うが………唯依は、父上の事が信じられないのか?」
唯依の顔に不満そうな色が浮かんだ。
少女の眼から見れば、あれだけ過酷な鍛錬を積んでいる当の本人が何を言うのかという気分だったのだろう。
それでも、父を否定することなど出来ない少女の反応は、自ずから決まっていた。
「そんな事は、ありません!」
「なら、何も問題無いじゃないか」
打てば響くように返ってきた反応に、ルルーシュは苦笑しながら止めを刺す。
ウッとばかりに硬直した唯依は、数拍後、搾り出すような声で呟いた。
「………ズルイです」
尊敬する父を否定する事など出来ないのを承知の上で、言い包めて来るルルーシュに唯依は恨めしそうな視線を投げた。
そのままプニプニとした頬を膨らませ、全身で『私怒ってます』と主張する妹分に対し、ルルーシュは苦笑しながら考え違いを説く。
自身が受けている鍛錬も、その辺りは充分考慮されているのだと。
基本的には速さ重視の鍛錬で、動体視力、反射速度の向上こそが主眼であり、逆に筋肉は極力つけないように配慮されている事を、こんこんと説明する。
まあ、あのブッ飛んだ母親基準であるから、どこまで本当か非常に疑問ではあったが、その辺りはこじれる元なので口にはしない程度の分別はルルーシュにもあった。
そんな配慮と努力の結果、当初は胡散臭そうにしていた唯依だったが、順序立てて説明していく事で、やがて納得してくれる。
とはいえ、怒りがそれで完全に収まった訳でもないらしい。
未だにジト目で見てくる唯依に、さてどうやってご機嫌を取ったものかとルルーシュは思案し、キッチリ一分間考え込んだ少年は、見出した解答を実行すべく、疲れた身体に鞭打って立ち上がると奥へと入っていった。
この唐突なルルーシュの行動に、一瞬どうすべきかを悩んだ唯依であったが、結局は、その後をいつもの様にトコトコついていく。
やがて両者は目的地につき、その三十分後には、唯依の機嫌もようやく直った。
それがルルーシュお手製の餡蜜を、三杯完食した後の事だったのは、乙女の名誉を守る為、二人だけの秘密となったのである。
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風雲急を告げる――という程でもないが、この日、帝都城では小さな嵐が巻き起こっていた。
異様にザワつく会議室内に、淡々とした――風に装った男の声が木霊する。
「――当初予定の試験項目では、ほぼこちらの予想以上の成果を挙げております。
また、城内省からの要望により急遽追加された項目は現在評価中ですが、こちらに関しても今のところ目立った問題等は発生しておりません」
男――帝国軍技術廠第壱開発局部長の報告に、室内のざわめきが一際大きくなった。
それを受けて上座に居た城内省の高官の一人が、苦虫を噛み潰した様な表情のまま忌々しそうに口を開く。
「……つまり、何が言いたいのだ」
「技術廠としましては、瑞鶴へのRTOS-88搭載により、安価で確実な戦力増強が見込めるものと考えております」
意味無く威圧してくる相手に対し、流石に腹に据えかねたのか開き直って断言する部長の声を切っ掛けに、ざわめきはその領域を越え討論へと発展する。
枢木に対する誹謗中傷と新OS採用を主張する声が、会議室内の各所でぶつかり弾け、やがて一定の流れへと向かい始めた。
くだんの高官とその取り巻き達の意に沿わぬ方向へである。
男の緩んだ頬が、ヒクヒクと痙攣し出した。
「たかがOSごときを交換しただけで、それ程の効果が本当に望めるのかね?
ましてや、あの枢木の製品だぞ―――到底、信じられんな!」
不愉快極まりないといった口調で吐き捨てる高官に、取り巻きの斯衛軍将校が追従する。
「そうだ、武家でありながら、下賎な商人の真似事をするような恥知らずなど信用できるか!」
一部で賛同の声が巻き起こるが、それは決して大きな物ではなかった。
それどころか、オブザーバーとして参加していた軍需産業の面々が、時代錯誤な発言に一様に渋い顔をする。
流れが傾きつつある場の雰囲気を読んだのか、面倒ごとはサッサと終わりにしたい部長は、宥めるような口調でダメ押しを図った。
「しかし、今回の試験にあたっているのは、瑞鶴の開発を行った篁中佐と巌谷少佐ですし……」
切られたカードは、帝国の英雄。
瑞鶴の産みの親とも言える両者の評価に、まさかケチはつけまいとの思惑は、だが予想外の反応で報われる。
「フン、信じられるものか!
篁は最近、枢木と深い付き合いがあると言うではないか、大方、あの女狐に誑かされたのだろう」
「そうですな、篁中佐も細君を亡くしてから、結構経ちますからな」
もはや完全に依怙地になったのか、予想に反して英雄すら罵倒し出す始末。
更に追従者が、火に油を注いでのける。
悪意に塗れた含み笑いに、周囲の者達が眉を顰めたその時、雷鳴の如き一喝が室内に轟いた。
「下種が!」
「なっ、なんと言われた紅蓮少将!」
「下種を下種と言った。
聞こえぬと言うなら、もう一度言ってやろうか?」
犬歯を剥きだした獰猛な笑いを見せる紅蓮に、一瞬、腰が引けるが、それでも怒りが勝ったのか反枢木の高官が食って掛かる。
「ぶ、無礼――ッ!?」
怒声が途中で凍りつく。
肉食獣、いや肉食恐竜めいた紅蓮の一睨みが、男の心臓を鷲掴みにしていた。
暴力的なまでの威圧感を前にし、一様に脂汗を流して押し黙る反枢木一派へ紅蓮の怒声が襲い掛かる。
「そもそも、この追加試験自体、貴様等の言い掛かりが元であろうが!
そこまでやって尚、何の問題も無いとの結果がでた以上、正式に採用されてしかるべきではないか」
正論であった。珍しい事に。
無理が通れば道理引っ込むを地で行くあの紅蓮閣下が――と感動か、意外感か、良く分からない感覚を覚える一堂を他所に、一気に崖っぷちへと追い込まれた面々が、しどろもどろに言い返す。
「しかし、あの枢木の―――」
「枢木、枢木と、いい加減、喧しいわ!
どこの物であれ、正規の手続きを経て、斯衛の戦力強化に繋がると判断されたなら採用するのが筋であろう。
それでも文句があるというなら、これ以上の物を持ってきてからモノを言えっ!」
それが止めの一撃だった。
そんな都合の良い物がある筈も無く、反対派は沈黙を余儀なくされ、会議はそのまま決を採る流れに入る。
結果については、もはや言うまでもなかった。
こうして一部に根強い反発を残しつつも、RTOS-88は斯衛軍にも採用される運びとなる。
そして物でしかない製品が嘘をつけない以上、使っていく内に否応なしに上がっていく評判に反枢木の面々は苦虫を噛む事になるのだった。
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「しっかし、結局、唯依ちゃんの誕生日には、間に合わなかったなぁ」
本日の試験結果の取りまとめに勤しむ篁の傍らで、軍服に着替えた巌谷が仕事を手伝いながら残念そうに呟いた。
親友の愛娘であり、自身にとっても娘の様に思っている少女の誕生日を、祝ってやれなかった事を素直に嘆く。
「まあ仕方あるまい。
唯依も、その辺は分かってくれるさ」
「物分りが良過ぎるのも良し悪しだぞ。
子供は、多少、我侭を言うくらいが丁度いい」
肩をすくめて諦めの言葉を口にする篁に、巌谷はしたり顔で意見する。
この歳まで独身貴族を謳歌している親友から、子育て論を聞かされた一児の父は、苦笑まじりに切り返した。
「未だに独り身の貴様にだけは言われたくないが、まあ、確かにそうだな」
「貴様だって男やもめだろうが……ああそうだ、少し気をつけた方が良いぞ篁」
途中まで砕けた感じの巌谷の声が、後半、わずかに険しくなる。
そこに見過ごせない匂いを感じた篁は、眉を顰めて問い返した。
「?……何のことだ?」
「お前と唯依ちゃんが、枢木に出入りしている事で、色々と陰口を叩く連中が増えてきてるんだよ」
篁の表情が渋くなる。
「……人様に後ろ指さされる様な関係ではないのだがな」
「そんな事は、皆分かってるさ。
ただ枢木には敵が多い。
奴等にしてみれば、帝国の英雄と懇意にしているのが気に食わないんだろ」
馬鹿ばかしさと不愉快さが、半々といった口調で巌谷が吐き捨てた。
この手の陰険なやり口は、彼の気性からすれば不快感を煽るだけなのだろう。
ましてや、それが親友に対する根も葉もない誹謗ともなれば、不快指数の上昇速度は倍付け確実だった。
そんな友人の胸中を慮りつつ、篁も難しい顔をして呟く。
「まあ、分からん話でも無い。
……だが、唯依の事を考えるとな」
仕事仕事で寂しい思いをさせている娘の事を思い、フゥッと溜息をつく。
それに連動するかのように、巌谷の眉もハの字を描いた。
「随分と懐いているそうだな。
やはり、母親が恋しいのか?」
篁の頬が、わずかに緩む。
物心つく前に母を亡くした娘が、枢木に母親の面影を見ているのは確かだが、それだけでも無い事を彼は知っていた。
「優しくて綺麗な兄上も、だな。
それに、こう言っては何だが、私が家を空ける際には、あちらに居てもらった方が安心できる」
『兄上』のくだりで、一瞬だけ不満げな色を浮かべた巌谷に、内心で突っ込みたくなる思いを噛み殺し、もう一つの理由を口にする。
そんな親友に対し、不承不承といった様子で巌谷も同意した。
「まあ『閃光』殿に正面切って喧嘩を売れるような非常識人は、帝国内では紅蓮閣下くらいのものだからな」
ルルーシュに唯依の関心を取られてしまい、ちょっぴり不満を感じつつも、まずは愛娘の安全第一と涙を呑んで納得してみせる。
だが、そんな男の涙ぐましい努力に対し、彼の親友たる唯依の実父は、苦い顔で首を横に振った。
「外だけではない。内もだ」
精悍な面に、心底、苦々しそうな色が浮かんだ。
「分家から男子を養子に取れ、あるいは、唯依ちゃんの許婚にしろ―――だったか、ふざけた事を言いやがる!」
現状、お家騒動という程ではないが、現当主の一粒種が娘であると言う事で、篁家の内情はやや不安定になっていた。
男尊女卑の風潮が、未だ拭いきれていない武家社会においては、暗黙的なものではあるが、家を継ぐのは男という空気が根強く残っている。
それに乗じる形で、篁の分家から自分達の息子や弟を本家の養子に、あるいは唯依の許婚にとの話が、ひっきりなしに持ち込まれていたのだ。
その事を、親友から愚痴られていた巌谷は、唯依の人格を完全に無視した分家の思惑に激しく憤る。
一方、そうやって険しい顔をして怒りを露にする友に、篁はホロ苦い顔のまま嘆息混じりにこぼした。
「篁の家の存続の為という大義名分があるからな、そうそう簡単には引き下がらんさ。
とはいえ、最近は唯依にまで面と向かって言うようになりだしたからな………私を睨むな巌谷」
凄まじい目つきで己を睨む親友を、宥めるように付け足す。
「……まさかとは思うが、好き放題言わせてる訳じゃあるまいな?」
「当たり前だ!
次の当主は唯依で、意に添わぬ婚約もさせんと、それこそ耳にタコが出来るほどな」
疑い混じりの巌谷の問いに、心外とばかりに篁も口調を荒げる。
どちらも可愛くて可愛くて仕方がない愛娘の将来が懸かっている為か、やや常とは異なり冷静さを欠いているようだった。
だが、やがてそれに気付いたのか、互いに顔を見合わせると示し合わせたかのように、一つ深い息を吸い体内の余熱と共に吐き出した二人は、やや憮然とした様子で会話を続ける。
「それでも、諦めんか……」
「ああ……だからな、私が居ない時は、枢木に預かって貰うのが、一番安心なのだよ」
無論、篁くらいの家なら、少なからぬ数の使用人が屋敷内に居るのだが、それらが分家の者に対して強く出るのは難しい。
どうしても気後れしてしまい、押し切られる可能性が高かったのだ。
その点、枢木ならば、そういった心配をする必要も無い。
もし分家連中が血迷って押しかけたとしても、その非礼を咎めて大義名分とし、半殺しにした上で門から叩き出すくらいは平然とやる筈だ。
少なくとも、現状、帝都においては、あそここそが最も安全という事になる。
ましてや――
「瑞鶴は、ようやく我等の手を離れたが、耀光計画は、未だ大きな問題を幾つも抱えている。
今後、そちらに忙殺される事になるだろし、その辺りを考えるとな………」
耀光計画―― 一九八三年に公表された米国のATSF計画に衝撃を受け、開発目標を第三世代戦術機に改め再始動した国産次世代機開発計画――は、未だ技術面に多大な問題を抱えて難航し続けている。
『瑞鶴』の開発で名声を得た彼らも、以後そちらへシフトする事になっているのだが、これまでの経緯と現状を見る限り、『瑞鶴』以上の難物となるであろう事は、二人にとって言わずとも知れた事だった。
場合によっては、何日も、あるいは何週間も家に帰れぬ日々が続く恐れも有る。
その間、唯依の身を案じずに済むかどうかというのは、篁や巌谷にとっては大問題だった。
「ふん……まあ確かに、な」
ベストではないがベターな選択に、巌谷も消極的にではあるが賛意を示した。
彼的には、あの家はやや敷居が高いので、唯依と接する機会が減るのが残念ではあったが、その辺はグッと堪えてみせる。
そんな巌谷の態度に、篁も苦笑混じりで応じた。
「正直、こちらの都合だけで、相手を良い様に利用しているようで、気が引けるのだがな」
「その辺りは、キチンと話しておくべきだろう。
こちらが誠意をもって頭を下げれば、無下にするような相手じゃない」
「……そうだな。
唯依を迎えに行く時、少し時間を作って貰うか」
そこまで言うと、篁は何かを思い出した様に微かな笑みを浮かべた。
友の奇妙な反応に、巌谷は怪訝そうな顔をする。
そんな親友に対して、彼は軽く頭を掻きつつバツ悪そうに白状した。
「いやなに、本当に世話になりっぱなしだと思ってな。
唯依への誕生日プレゼントも、預かって貰った訳だ――「ちょっと待て!」」
巌谷がドスの利いた声で、篁の自白を遮った。
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月が東の空に浮かんだ頃、小さなレディを主賓としたささやかな祝いの宴が、ここ枢木邸では開かれようとしていた。
「唯依ちゃん、お誕生日おめでとう!」
「おめでとう唯依」
「ありがとうございます!」
参加者は、主賓を入れてもわずかに三名。
知らぬ者から見れば寂寥を感じる布陣かもしれないが、祝われる当人にしてみれば、敬愛する父親達が来れぬ寂しさを埋めるのに充分過ぎるほどだった。
むしろ一族の集まりの様に、妙に気を張らなくて済む分、心が軽く、浮かべる笑顔も明るくなる。
まあ、卓の上にバースデー・ケーキと鯛の尾頭付きが並んでいる光景は、微妙にミスマッチだったが、そこまで気にする程、神経質な者も居らず、子供2に大人1という構成上の都合から、ジュースでの乾杯がされた後、感慨深そうに真理亜が口火を切った。
「う〜ん、でも唯依ちゃんも、これで六歳。
四月からは、学校へ行くのよね」
ここ半年、殆ど家に居た少女が、来月からは居なくなると思うと、さすがの彼女も寂しく思うらしい。
尋ねる声に微かな寂しさが混じっているのを、ルルーシュは耳聡く聞き取ったが、それを指摘するほど無謀でもなかった。
一方、いかに聡明とはいえ六歳になったばかりの少女に、そこまで察する事ができる筈も無く、問われるままに嬉しそうに答える。
「はい!……でも、できれば……」
チラチラとこちらを気にする唯依の仕草に、その内心を悟ったルルーシュは、すまなそうに詫びる。
「すまない、一緒に行ってやれなくて」
既に枢木の仕事に参画し始めたルルーシュは、昨年の秋口には学校へ行くのを止めていた。
無論の事、表向きの理由は別である。
曰く、『生来の虚弱体質から来る健康不安により、義務教育を通信教育へ切り替える』等という事情を知る人間なら、怒るか笑うかするしかないレベルの理由ではあったが、武家の子息が多く通う学校側としては、正直ルルーシュを持て余していた為、渡りに船とばかりに了承。
結果、今では自宅で片手間に通信教育を済ませつつ、残りの時間をソフト開発や経営・投資に回している次第だった。
傍でそれを見ていた唯依にも、その辺りの事情は良く分かっているらしく慌てて首を横に振る。
「ルル兄様には、大事なお仕事があるのだから仕方ありません」
「……すまん」
もはや謝る時のクセになってしまった――唯依の頭を撫でながら、聞き分けの良過ぎる妹分の姿に昔の実妹を思い出し、妙にしんみりした気分を味わう。
そんな少年の表情に、本能的に自分以外の誰かを見ている事を勘付いた唯依は、少しムクれた様子を見せた。
「?……どうした、唯依?」
「何でもありません!」
「???」
怪訝そうな問い掛けに、プイッとそっぽを向く。
何故か機嫌を損ねた事に、訳が分からずルルーシュは首を捻った。
そんな二人のやり取りを傍観していた真理亜は、ヤレヤレといった様子で軽く肩を竦めると、微妙になってしまった場の空気を換えるべく手を軽く叩いて子供達の注意を惹き付ける。
「それじゃ、お楽しみのプレゼントね!」
「あっ、はい!」
「私からはコレ」
思わぬ横槍に、わずかに狼狽した唯依へと、化粧箱に納められた蒔絵を施した美しい櫛を渡す。
「キレイ……」
手渡された櫛の装飾の美しさに、それまでの不機嫌さも忘れ、唯依は感嘆の溜息をついた。
してやったりと言わんばかりの笑みが、真理亜の面に浮かぶ。
この日の為に、腕の良い職人に注文して作って貰った逸品。
これが気に入って貰えなかったら、正直かなり凹んでいただろう。
「やっぱり、なんだかんだ言っても、女の子は自分を磨く事を忘れちゃダメよ。
これは、その為の第一歩という事で」
「あ、はぁ……」
期待通りの結果にテンションが上がり、イイ笑顔を浮かべたまま畳み掛ける真理亜に唯依はやや困惑するが、言いたい事は何となく分かるので曖昧に頷く。
だが、それは間違いだった………かもしれない。
「唯依ちゃんは、素材が良いんだから、キチンと磨けば男なんて選り取り見取り!
今から念入りに磨き上げれば、十年後には、求婚者達が門前に市成すこと請け合いね」
「ッ!?……あ、あ……あの……あぅ……」
軽くウィンクしつつ、放り投げられた爆弾発言に、唯依の顔が熟れたトマトのように真っ赤に染まる。
それは『求婚者』の一言が少女の想像力を刺激し、一つの未来像を描かせた所為だったが、それに気付いたのは彼女を除いてただ一人だった。
一方、言葉に詰まり、テンパったままチラチラと自分を見る妹分の仕草を、救いを求めてのものと解釈したルルーシュは控えめな口調で困った母親を嗜める。
「母上、あまり揶揄うのは、どうかと」
「………」
唯依の顔から赤みが薄れ、代わりにルルーシュを見る眼が微妙に細まった。
視線を向ける事無く器用に全体を見ていた真理亜は、息子の育て方を間違えたかと胸中で首を捻りつつ、この場はおどけてみせる。
「だって可愛いんだもの!
ああ〜ホント、娘も欲しかったわ。
そうだ、いっその事、ルルーシュのお嫁さんにならない?」
「ふぇッ!?」
「……母上」
ビキリッと硬直する唯依。
ルルーシュは、痛みを堪えるように額に手をやった。
そんな二人を前に、真理亜は更にテンションを上げていく。
「何よ不満でもあるのルルーシュ?
唯依ちゃんなら、将来、とんでもない美人になること請け合いよ!」
まぁ私には及ばないけどね、と盛大に自画自賛しつつ豊かな胸を張る。
だが、それを見る息子の視線は、氷雪の如く冷たく白かった。
「……茹ってます」
「へっ?」
呆れたような声で、指差す先を見た真理亜の顔が、少しだけ引き攣る。
視線の先――湯気でも出そうな感じに耳まで真っ赤にしてアウアウ言っている唯依の姿に、流石の彼女も頬を掻き苦笑するしかなかった。
「………まだ、ちょっと早かったかしらね」
「当たり前です。
ほら唯依、これを飲んで落ち着け」
そう言いながら差し出されたミカンジュースを、発条仕掛けの人形のようなぎこちない動作で受け取り、コクコクと飲む黒髪の少女。
飲み終えた後、ほぅ、と一息つきつつ、ようやくこちら側に帰還する。
「……ありがとうございました、ルル兄様」
小さく頭を下げると、未だに真っ赤な顔でルルーシュを見ては眼を伏せるを繰り返す。
そんな唯依の仕草と内心を慮り、真理亜はチェシャ猫めいた笑いを浮かべた。
『充分、脈アリ……ってところね。
う〜ん……真面目に篁中佐と相談してみようかしら』
『唯依ちゃんお嫁さん化計画』の発動を、少しだけ本気で考える真理亜であったが、数日後、唯依を迎えに来た当の篁から篁家の現状を聞き、これを断念する事になろうとは神ならぬ身が知る由もなかった。
如何に強心臓の彼女とはいえ、許婚云々を迫る親族を避ける為に預かって欲しいと言われた少女を、息子の許婚にと言える筈も無く、結局、この日の思いつきは誰にも語られる事無く終わる事となる。
対して、そんな母の様子をジト目で見ていた息子はと言えば、『まだ引っ掻き回し足りないのか?』と胸の内で溜息をついていた。
この手のお祭り好きは、前世の母や元許婚という前例を知っている分、対処法をそれなりに体得している彼は、速やかにソレ――意図的にサラリと流す――を実践する。
「ふぅ……では、オレからはコレだ」
今までの悪ふざけが無かったかのような声と態度で、小さな鈴のついた可愛らしい財布を手渡す。
こちらも気に入ったらしい唯依は、まだ赤い顔のままではあったが子供らしく目を輝かせた。
「ありがとうございます!
大事に使わせていただきます」
そう言って貰った財布を、嬉しそうに胸に抱く。
その愛らしい仕草に、ルルーシュの相好も綻んだ。
「ああ、そうしてくれると嬉しい」
顔一杯の笑みを浮かべて頷く唯依に優しい眼差しを向ける。
代償行為であると自覚しつつも、やはり『妹』にはトコトン甘い兄であった。
そうやって兄妹二人の世界を創っている彼らを他所に、いつの間にやら部屋の片隅に移動していた真理亜が、長細い物を抱えて戻ってくる。
「さてと」
「おば様?」
「母上?」
何故か気合を入れるその姿に、唯依が不思議そうに首を捻る傍らで、ルルーシュはさり気なく警戒レベルを上げていた。
この辺りは、付き合いの長さの差とも言えるが、今回は幸いにも杞憂に終わる。
「ハイ、これ」
そう言って唯依の目前に差し出されたのは、淡い山吹色の細長い袋だった。
手渡されたその口を促されるままに解き、中を覗いた唯依の双眸が驚きに見開かれる。
「これは……」
呆然として呟きながら袋を払ったその後には、一振りの黒檀の木刀が握られていた。
物問いた気に向けられた視線に、微笑みながら真理亜が応じる。
「篁中佐から、お預かりしていたのよ。
誕生日までに戻れないようなら、唯依ちゃんに渡して欲しいと。
それと、『今年の誕生日は、一緒に居てやれずに済まなかった』――ですって」
「父様……」
市販されているものよりも、やや短かめなその一振りは、まだ小さな彼女の手に測ったように馴染む。
全体のバランス、重さ、柄の握り、どれもが彼女にピタリと合っていた。
「どうやら唯依ちゃんの体格に合わせて、わざわざ注文して作ったようね」
「……父様……」
真理亜の解説に、感無量と言った風情で再び父を呼ぶ唯依。
一連の流れを傍らで見ていたルルーシュは、正直、女の子の誕生日プレゼントに木刀はどうかと思いはしたものの当人がこれ以上は無い程、感動しているのを目の当たりにし、その辺りの感想は封印する。
「良かったな、唯依」
「ハイッ!」
キッチリと空気を読んだルルーシュに、満面の笑みを浮かべて応える唯依。
それを微笑ましそうに見ながら、不意に脳裏を掠めた何かにルルーシュは、はてと首を傾げる。
誰かを忘れているような気がしたが、何故か思い出せない。
何かが喉元に引っ掛かっているような妙な気分を感じつつも、喜ぶ唯依の姿に気を取られた彼は、それを取るに足らぬ些事として意識から消し去った。
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――此処は帝国軍・東富士基地内PX。
忘れ去られた男の嘆きが、陰々滅々と木霊する――
「そう怒るな巌谷」
もう二時間近くもネチネチと厭味と愚痴をこぼし続ける親友を、流石に辟易とした様子の篁が嗜める。
だがそれは、巌谷の胸中で燠火の様に燻る恨みの火種に油を注ぐだけだった。
「……汚いぞ、篁。
自分だけチャッカリ、唯依ちゃんへのプレゼントを預けて来るなんて」
もう、何十回となく放たれた呪詛にも似た響きを持つソレに、篁も眉を顰める。
まあ恨まれるのは分からないでもないが、ここまで延々とやられると気が滅入って仕方が無かった。
手にしたグラスのウィスキーを、景気づけに一口呷ると、巌谷を宥めにかかる。
「まあ、予定がここまで延びるとは思っていなかったが、念の為にな」
他意は無い。
と、言外に告げる篁を、巌谷はやや焦点のボヤけ始めた酔眼でジロリと睨んだ。
「……卑怯者が……裏切ったな、俺の信頼を裏切ったな!」
「…………」
もはや完全にダメダメだった。
泥酔し、説得も懐柔も効く状態に無い親友を前に、半ば匙を投げかけた篁は嘆息混じりに愚痴る。
「大袈裟な……帰ってから渡せば良かろうに」
「大袈裟じゃないっ!」
酔っ払い特有の変な敏感さで、ささやかな呟きを耳聡く聞き取った巌谷が、激昂してテーブルを叩いた。
卓の上でグラスとツマミを盛った皿が激しくダンスする中、周囲の耳目を集めているのもお構いナシに天を仰いで男が嘆く。
「きっと、きっと今頃、唯依ちゃんは、『巌谷のおじ様だけが、プレゼントをくれなかった』――とか、思っているに違いない!」
「…は……はは……」
完全にコワれてしまった友の姿に、篁は乾いた笑いを漏らす。
周りから注がれる視線が痛かった。
他人の振りが出来ぬ我が身の不幸を嘆く彼を他所に、激情を吐き出して気が抜けたのか、悄然と肩を落とした巌谷がボソリと呟く。
「……ハァ……唯依ちゃんの中で、俺の株は大暴落だ……」
相方の醜態を前に、もはや笑うしかない篁とル〜ル〜と悔し涙を流して嘆く巌谷。
偉いさんの意地の所為で、愛娘から引き離された親馬鹿コンビの寂しい夜が更けていった。
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―― 西暦一九八八年 三月十八日 英国・倫敦 ――
「………み〜つけたぁ!」
明るい室内に、音程のズレた歓喜の声が木霊する。
クルクルと白衣の裾を翻しながら、喜びも露に踊る男が一人。
その手には、やや厚めの書類が握られている。
「あっはぁ〜、さっすがぁ天才のボクゥ!」
舞い上がる白衣が、振られる手が、室内に置かれていた書類の束を弾き飛ばす。
雑多な紙ふぶきが舞う中、一通の高級そうな書簡が床に落ちるが、青年は気にする事も無くそれを踏み躙った。
騒々しく、けたたましく、やかましい。
本来この場所――大学の研究棟の一角では、忌まれるソレに気付き、血相変えて一人の女性、いや、少女が飛び込んでくる。
「なに騒いでいるんですか?
……って、アアァッ!」
人型台風に蹂躙された室内の惨状を目の当たりにし、十代前半と思しき少女が悲鳴を上げる。
彼女の昨日の成果の悉くが、床に散らばっている有様を見れば、それもまた無理の無い事。
己の苦労を台無しにしてくれた戯け者に向ける視線は、凶悪殺人犯でも裸足で逃げ出しそうな程の迫力で、狂騒に捕らわれていた白衣の青年すらも、思わず二、三歩後ずさった。
「もう、こんなに滅茶苦茶にして!
………これって、ECTSF計画主任開発員としての招聘通知じゃないですかっ!?」
怒声を上げつつ、床に散らばっていた書類を拾い上げていた少女の顔色が、踏み躙られた書簡の見た瞬間、サッと青褪める。
ECTSF計画――この欧州独自の戦術機開発計画は、大陸失陥と米国のF-15売り込みにより、一度は半ば空中分解の憂き目にあっていた。
だが独仏の脱退後、単独開発国となっていたここイギリスが起死回生を狙って、昨年、開発ターゲットを近接格闘戦能力を高めた第三世代機相当に切り替えて計画を再始動した結果、新たな開発目標を今度こそ達成すべく、貪欲に優秀な人材を狩り集めており、その中で主任開発員として選ばれたという事は、眼前で狂態を示していた人物が、研究者としては卓越した存在である事を示している。
この書簡は、云わば政府のお墨付きによる自己の能力証明書。
それを、こうもアッサリと踏み躙るとは―――
呆れと、どこか納得する気分が、ない交ぜになった表情のまま己を見る少女へ、当の本人がヘラヘラと笑いながら答える。
「ああ良いんだよ、そんな紙屑」
本当にどうでもいい。
そう思っている事が、万人に分かる面倒臭そうな声と表情で、青年と少年の境目にある男は告げた。
そのあまりの無関心さに、一瞬、絶句した少女は慌てて問い直す。
「良いんだよって……ECTSF計画の主任ですよ!
これで私達の作りたかった物が、造れるじゃないですか!」
「別に総責任者って訳じゃないよ。
どうせ頭の固いロートル達が、ああだこうだ言って邪魔するに決まってるさ」
そう言って肩を竦める青年に、少女の方も、思い当たる節があったのか思わず口篭る。
スキップを繰り返し、齢十三にして大学の門を叩いた彼女は、そこで既に天才、或いは奇才との評価を確立し研究室をせしめていた彼と再会した。
あれから既に一年が過ぎ、この若過ぎる天才コンビは、若いというだけで味わう破目になった窮屈さを嫌というほど感じている。
確かに青年の言う通り、仮にこのまま計画に参加したとしても、ここと同じ結果になる可能性は捨てきれなかったが、それでも、あるいはという期待が捨て切れないのも事実だった。
「で、でも……」
万が一の可能性に掛けてみませんか?
そう続けようとした彼女の口を、青年の次の言動が塞ぐ。
「それに、もし総責任者って事でも違わないよ。
もう、そんな物は、どうだっていいんだからねぇ〜」
一転して楽し気に笑いながら、手にしていた書類らしき物を放って寄越す。
反射的に、それを受け止めた少女の眉が怪訝そうにしかめられるが、一瞥した瞬間、驚きによって跳ね上がった。
「これはっ!……この方は……」
「まさか日本、しかも枢木とはねぇ!
ハハハ――よっぽどあの方は、悪戯好きな神様に愛されてるんだネェ」
「……陛下………」
捜し求めていた人の写真を食い入る様に見つめながら、化粧ッ気の薄い少女――セシル・クルーミーの唇から、万感の思いが声となって零れた。
そんな彼女の聴覚に、パンパンと手を打ち鳴らす音が響く。
「さあさあ、あの方の居場所が分かったんだから、もうこんな処に用は無い。サッサッと行くよぉ!」
トレードマークの眼鏡の奥で、爛々と眼を輝かせた青年――ロイド・アスプルンドが、ハイテンションな声で叫ぶ。
いつもなら、周りの研究者からの苦情を気にし、注意・叱責する側に回る筈のセシルも、今日ばかりは、今度ばかりは別だった。
「大学への退職届け、下宿の引き払い、移動手段の手配――は、アメリカ経由ですね」
ロイド以上のテンションで、素早くこれ以後の行動を確認する。
セシルは、そんな自分を自覚しながら、確かに大学が、自分達にとっては『こんな処』でしかなかった事を理解した。
居心地が悪かったのは事実だが、それでも仲の良い者達が居なかった訳でもない。
だが、それでも、行くべく場所を持っていた、いや、探していた自分達にとって、ここは仮の止まり木でしかなかったのだ。
そうやって、綺麗サッパリこの地への未練を捨て去ったセシルに、ニヤニヤ笑いを浮かべたロイドが応じる。
「うん、任せるよ。
どのくらいで済むかな?」
「今日中に全部終わらせます!
ロイドさんは、持って行く物をまとめといて下さい」
こちらの内心を見透かした様な相棒の態度は気に入らなかったが、それ以上の重要事を前にした彼女にとっては瑣末な事だ。
後を任せる一言を投げ捨てるや、そのまま室外へと走り出す。
本来なら数日、いや一週間は掛かる作業を、たった一日で終わらせると宣言した以上、一分一秒たりとも無駄には出来なかったのだ。
「頑張ってネェ〜」
そんなセシルの背中を、わざとらしくハンカチを振って見送ったロイドは、彼女が机の上に置いていった書類――新興の日本企業が売り込みを掛けて来た戦術機用新型OSの調査資料を手に取ると、実質的な開発者と目される少年の写真へと視線を注ぐ。
新型OS――『RTOS-88』というらしいが、その概念に既存の戦術機に対する物とは全く異なる、それでいて彼に馴染み深い物を感じ取り、あらゆるツテを使って手に入れた物だが、彼の勘通り完全なビンゴだった。
写真の中で、完璧な営業スマイルを浮かべる十歳そこそこにしか見えない少年へと、彼は語りかける。
「さぁて、今度は最後まで付き合わせて頂きますよぉ〜………ねぇ、『我が君』」
前世と今世を合わせた中でも、唯一人だけ敬意と忠誠を持って頭を垂れた人へと呟く。
羨ましい事に馬鹿は死んだら直るそうだが、ロイド・アスプルンドというどこか壊れた人間は、結局死んでも直らなかった。
こんな壊れた人間が、まともな相手に仕えられる筈も無い。
こういった壊れた人間を扱えるのは、それ以上にイカレた人間だけ―――そう、『世界を壊し、世界を創る』そんなイカレた妄想を、現実に変えてしまった非常識なあの方だけ。
「壊れた従者とイカレた主人。
うんうん、実に似合いの主従だよねぇ」
――だから、ボクこそが、あの方の第一の臣下なのさ。
どこぞのオレンジ卿が耳にしたら怒り狂いそうな事を呟きつつ、いつもの彼からは考えられない手際の良さで荷物をまとめていく。
鼻歌混じりで要らない物、要る物を選別し、要らないと判断した物は徹底的に隠滅していくその手が、不意に止まった。
「………ああ、忘れてた。
一応、彼にも連絡しとかないとね」
恨まれては堪らないからねぇ――と、うそぶきつつ、ロイドは面倒くさそうに受話器を持ち上げたのだった。
―― 西暦一九八八年 三月十九日 ――
この日、グレートブリテン島より三名の男女が忽然と姿を消した。
内二名は、再建を図るECTSF計画の主任とその補佐として招聘される程の逸材であり、失踪直後、彼らの研究成果が完膚なきまでに抹消されていた事も相まって、他国の謀略の可能性が疑われた為、情報部による綿密な追跡調査が敢行されるも結局はロスト。
また残り一名は、欧州撤退戦で勇名を上げた英陸軍若手のホープであったが、脱走同然の除隊から失踪へと至った為、こちらも憲兵隊による執拗な追跡が行われるも同じくロスト。
後に士官の実家である伯爵家と軍の間で話し合いが持たれ、相続権の全てを放棄する代償に通常の除隊として扱う事で手打ちとなった。
いかに優秀な人材とはいえ、所詮一個人の帰趨にいつまでもかまけている余裕など情報部にも憲兵隊にも無かったが故の処置であるが、後年、彼らの消息と成し遂げた偉業を知った当時の関係者一同は、そろって悔し涙にくれる事となる。
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