Muv-Luv Alternative The end of the idle

【伏竜編】

〜 PHASE 3 :再会・邂逅・そして…… 〜






―― 西暦一九八八年 四月二日 太平洋上 ――

 波をかき分けて進む船の舳先で、水平線の彼方を見据えていた少年は、潮風に揺らされる前髪を鬱陶しそうに払い除けた。
 端整な横顔に、わずかに浮かぶ険が、彼の機嫌の悪さを物語っている。

 そんな少年を慮ってか、舵を握っている忠義の騎士も、当たらず触らずに徹していたのだが、今この場には、その微妙な空気を敢えて掻き乱す者がいた。

「おお、見渡す限りの大海原!
 ……まぁ、日本に来るまでに嫌という程、見てきたんですけどねぇ」

 道化た仕草とセリフを吐きながら、脇に立った青年を一瞥した少年――ルルーシュは、フッと吐息を洩らした。
 自分らしくなく気を張り過ぎていた事に気付き、わずかに肩の力を抜くと視線を動かさぬまま問う。

「見飽きたか?」

 目的を達したロイドの口元が綻び、次いで悪戯っ子めいた形を描いた。
 そのまま後ろを振り返りつつ肩を竦めるという器用な真似をしながら、青年は甲板に敷かれた毛布の上で呻くナニかを覗き込む。

「まっ、正直ボクは見飽きましかたねェ〜。
 でも……ねぇねぇセシル君、海だよ海、見ないのかい?」
「………後で……覚えて…て…ください………」

 嘔吐感を必死に押さえながら、搾り出された呻き声が上がった。
 真っ青な顔をしてマグロのようにぐったりと横たわったセシルが、眼に憤怒の色を浮かべてロイドを睨む。
 だが体調不良の影響か、いつも程の迫力はなく、それではこの男が黙る筈も無かった。

「うわぁ〜怒られちゃった」
「くっ!……ウプッ……」

 クルリと回ってみせる相棒の惚けた仕草に、セシルの額に青筋が浮かぶが、次の瞬間、襲い掛かってきた吐き気に慌てて口を押さえた。
 そんな夫婦漫才を呆れた表情で見ていたルルーシュが、仕方なく助け舟を出す。

「……セシル、ロイドに構うな。
 眼を閉じて横になっていれば、直に治まる筈だ」
「……申しわ…け、あり……ません」

 すまなそうに消え入る声で応じる。
 足手まといになっている自覚がある身としては、その責任感の強さも相まってただただ恥じ入るばかりであった。

 ――とはいえ、である。

「そうそう、船酔いってのは、身体が感じる揺れと視覚情報の差異が原因だから、視覚を閉ざしていれば直ぐ調整が着くのさ」
「………」

 軽く指を振りつつ軽薄な口調で告げる青年への怒りまで消える訳も無い。
 眼を閉じたままでいるセシルの額の青筋が倍になった。

 だが、先ほどの反省からか激昂することは無く、その分、深く静かに怒りを燃やす。

 ―――陸についたら絶対グーで殴る!

 胸中で固く誓うセシルの横で、調子に乗ったロイドが我が世の春とばかりに騒ぐ。
 そんなささやかな喜劇を横目で見ながら、冷静さを取り戻したルルーシュは、己がこんな場所に来た経緯を思い返していた。
 そもそも、こんな事になったのは………

『ルルーシュ、神根島へ行きなさい。
 貴方の求める答えが、そこで待っているわ』

 脳裏に蘇る母の言葉。
 かの因縁の地へ行けという。
 理由すら言わずに。

 いや、それについては見当がついている。
 問題なのは―――

「………母上、貴女は……」

 甲板を吹き抜ける風が、ルルーシュの呟きの一部を削る。
 傍らで道化を演じていたロイドの瞳が、一瞬だけ険しく鋭くなった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九八八年 四月一日 帝都 ――

 桜の花が咲き誇る季節。
 春の木漏れ日の中、ここ帝都の一角に在る武家御用達の名門小学校では、新たな児童を受け入れる春の一大イベントたる入学式が粛々と執り行われていた。

 未だあどけない幼児達は、当初は緊張からカチコチに固まり、今は春の陽気に誘われ、舟を漕ぐ者が多数散見できる。
 一方、毎年の事として慣れた教員達は、それを咎める事は無く、自身も退屈なお歴々の挨拶に欠伸を噛み殺しつつ耐えていた。
 そして、それは子供達の後ろで、セレモニーを見守る保護者達も変わらない。
 誰もが退屈な時間が速やかに過ぎる事を願いつつ、襲い掛かる睡魔に抗っていた。

 そんな中――

「くぅぅぅっ!」

 やけにテンションが高いナイスミドルな男が、一人感涙に咽び泣いていた。
 精悍な容貌と鍛え抜かれた体躯、何よりその身に纏う帝国軍の制服が、彼の身分を如実に物語っていたが、感激の涙と鼻水に濡れた顔が全てを台無しにしている。
 周囲の親達が、何事かと声を潜めて囁きあう中、その脇に座していたもう一人の軍人が、堪りかねた様に声を掛けた。

「……泣くな巌谷」
「ああ、唯依ちゃん、立派になって」

 完全にスルーされる。
 その視線は、新入生達の中にある愛娘へと固定されたまま、ピクリとも動かなかった。
 篁のこめかみが、ヒクッと震える。

「それは父親のセリフなんだが………」
「フン早い者勝ちだ!」

 堂々と開き直る様は、いっそ見事ですらあった。
 未だに先の誕生日の一件を、根に持っているらしき友に、篁も匙を投げる。

「………もう好きにしてくれ」

 そう言って、下ろしていた左手に持つビデオで撮影を再開する。
 
 何だかんだと言いつつも、軍需が民需に優先されるこのご時勢、当然、民間向けのビデオなどある筈も無く真正の軍用品――端的に言ってしまえば軍の備品を借り出してきたものだ。
 軍用品故に性能は保障付きのソレを、前列にて姿勢を正したまま来賓の挨拶を聞く唯依へと向ける。

「後で俺にもコピーを頼む」
「分かった、分かった」

 唯依から視線を外す事無くダビングを頼む巌谷と、それに相槌を打ちつつ、微動だにせぬまま撮影を続ける篁。
 どちらも程度の差はアレ、親馬鹿コンビである事は否めない光景だった。

 そんな彼らの注目と暑苦しい程の愛情を受ける当人はと言えば―――

『……退屈です』

 以前より欠かす事無く続けてきた精神鍛錬の成果を遺憾なく発揮し、歳に似合わぬ凛然たる態度を守りつつも、内心で落胆の溜息を吐いていた。

 正直つまらない。
 言っている事に中身が無く、同じ事を言い回しを変えて言い続けている来賓達に、黒髪の少女は退屈の虫が疼くのを押さえ切ることは出来なかった。

 以前の彼女なら、そう帝都へ来る前の唯依であったなら、恐らくこうはならなかっただろう。
 例えどれほど退屈な話であれ、目上の者の挨拶を聞き流す事など有り得ず、堅苦しいまでの姿勢を崩す事無く最後まで式に臨んだ筈だ。
 しかし、今の少女は違う。
 表に出す事は無くとも不満を感じ、そしてそれを自覚し許容する事を己に許していた。

 この変化が、天上天下唯我独尊な母子の影響である事は疑い無いところだが、これを成長と取るか、スレたと見るかは人それぞれであろう。
 もっとも、『天上天下唯依が独尊』を地で行く某親馬鹿少佐なら、『ウチの唯依ちゃんがぁッ!』とばかりに悔し涙で頬濡らしそうではあったが………

 ともあれ、一皮剥けた(?)らしい生真面目な美少女は、体内に巣食う退屈の虫を紛らわすべく、周りにバレない程度にさり気なく視線を周囲へと投げる。
 そして、数瞬後、慣れぬ真似をした自分を酷く後悔する事となった。

『おじ様……父様も止めて下さい!』

 感動に打ち震える巌谷と撮影に没頭する父を見つけ、内心で頭を抱える唯依。
 悪目立ちしまくっている父親達に、白皙の頬がわずかに赤く染まった。

『……他人のフリ、他人のフリ』

 胸中でそう呟きつつ、自身に暗示を掛ける。
 互いに面識の無い者達が、多数を占めるこの場なら、こちらが気にしない限り巻き込まれる事はないと信じたかった。
 
 そうやって父親達の事を、意識から締め出した薄情な娘は、残る『家族』の方へと意識を向ける。

 もう一度、周囲を見回した。
 視界に映るどこかのオジサン達の事を、意図的に認識から外したままに。

 そうして今度は、本当に微かな溜息を洩らす。

『……やっぱりルル兄様も、真理亜おば様も……』

 求めた人達は居なかった。
 どちらも昼間は用があると聞いていたので、それほど期待していた訳でもなかったのだが、それでも落胆している自分を唯依は自覚する。

『つまらないです』

 わずかに唇を尖らせたまま、そう胸中で呟いた。
 我が儘を言う事を覚えた彼女は、それをぶつけるべき相手を思い描き、この埋め合わせに何をねだろうかと夢想する。

 とはいえ、決して多くは望まない、望むつもりも無い唯依であった。
 彼女はただ、他愛ない自分の我が儘を、困ったように笑いながらも叶えてくれる優しい兄に甘えたかっただけなのだから。

 そうやって楽しい予定をアレコレと立てている内に、いつの間にやら時は過ぎ、退屈な式典は終わりを迎えたのだ。


 ………そう、迎えたのだったが、彼女の受難は、まだ終わらない。


「立派だったぞ唯依ちゃん!
 おじさんは、おじさんは……ウウゥッ」

 式を終え、明日からの予定の伝達も終わった後は、そのまま散会となった。
 他の子供たちと同様に教室から離れ、校庭へと出てきた唯依を、満面の笑みで迎えた巌谷の辺り構わぬ第一声がコレである。

 真っ赤に目を泣き腫らし、男泣きに泣く厳つい軍人が一人。

 果てしなく目立つソレは、周囲の耳目を引きつけて止まず、自然、その前に立つ唯依も周囲に散らばる父兄児童達の注目の的だった。
 穴があったら入りたい――その言葉の意味を、しっかりと体感しつつ、唯依は半ば涙目になりながら、引き攣った顔で脇に立つ父へと哀願する。

「おじ様を止めて下さい、父様」

 スッと眼を逸らされた。

「……すまん」

 言葉少なく詫びを言う父。
 父が全く頼りにならない事を理解した唯依は、即座に全てを諦めた。
 明日からは、校内一の有名人として、暫らくは噂の的となる己の不運を受け入れた少女は、恥ずかしさに頬をリンゴの様に染めたまま、ぶっきらぼうに呟く。

「……もういいです。
 早く帰りましょう」

 ――ルル兄様達も、もうすぐ来られるでしょうし。

 胸中で、そう付け足した唯依は、明日からの事は頭から締め出して、父の手を引き歩き出す。

 今日はこれから自分の入学祝いに、親しい者のみを集めた、ささやかな祝宴が開かれるのだ。
 当然、枢木の方にも声が掛かっており、快く出席するとの返事も得ている。
 ここ数日、互いに忙しく顔を合わせる機会が無かった為、唯依自身とても楽しみにしていたのだった。

 そうして足取りも軽く家路へとつく娘に引かれ、父親も苦笑しながら続く。
 愛娘の内心は、彼にも見え透いていたが、それを突くような野暮な真似をする気も無かった。
 いっそこのままルルーシュを許婚にしてしまえば、喧しく囀る親族連も黙るのではと思う事もある。
 思う事もあるのだが……

『まだ早い!
 そう、まだ早い。
 まだ六歳、嫁に行くなど十年は先の話だ』

 十年後の未来の事とはいえ、未だ愛娘を手放す覚悟を決められぬ親馬鹿な父親がそこに居た。

 そうして親子は、仲良く家路に着く。
 親子水入(・・・・)らずで。



「あれ?……アレ?
 ………唯依ちゃん?
 篁ぁああっ!!」

 十分後、忘れ去られた男の悲痛な叫びが、無人の校庭に響き渡った事を知る由も無く。



■□■□■□■□■□



 ゴォ〜ン……ゴォ〜ン……と低く重く響き渡る時を告げる鐘の音が、ただキーを打つ音のみが響いていた室内へと侵攻してきた。
 一心不乱にキーボードを叩いていた黒髪の少年が、釣られるように面を上げる。

「そろそろ時間か」

 壁に掛けられた時計にて時刻を確認したルルーシュは、軽く眉間を揉みつつポツリと独り言を呟くと、取り纏めていた経営資料――今後の各部門の開発方針、新組織計画、新規業種への展開案等々――のファイルを保存して閉じる。

 表向き、年齢故に直接経営に携わる事は憚られるが故、自宅にて業務をこなしてはいるものの既に枢木工業は彼の辣腕により切り盛りされていると言っても過言ではなかった。
 まあ、飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ、所詮は極東の島国の一新興企業。
 わずかな期間で世界の半ばを押さえる超国家組織を立ち上げ、更には史上初の世界征服まで成し遂げた稀代の組織運営者たる彼にしてみればどうという事も無い。
 
 ―――そう、本来ならどうと言う事も無い筈なのだが、眉間を揉みつつ首を回し始めたその姿には、微量の疲れが見え隠れしていた。

「……やはり一人では手が足りんな」

 会社経営全体としては母が取り纏めてくれているものの個々の案件――技術開発の指揮から各種業務の運営、急拡大しつつある組織の再編と最適化、更には投資に到るまで、彼一人で動かしてきた無理が祟り始めていたのだ。

「どうしても、優秀で信頼のおける子飼いのスタッフが要る」

 かつてゼロであった時には、技術部門はラクシャータが、軍事部門は藤堂と星刻という担当分けが出来た。
 後にブリタニア皇帝となった際にも、技術ならロイドとセシル、軍務ではジェレミアという優秀な人材が彼を支えてくれていた。

 翻って、今のルルーシュは、全てを一人で賄っている訳である。
 それでも破綻を見せず、計画を推し進めているのは、流石と言えば流石だが、このままの状態を続けていれば、いつか必ず躓く時が来る事が彼にも予想できていた。

 とはいえである。
 各部門を統括させるという事は、能力面のみならず信頼できるか否かが大きなネックだった。
 能力面で必要とされる水準を満たし、且つ、絶対の信頼も置ける人材。
 そんな都合の良い人材は、流石においそれと調達できる筈も無かったのだ。

「……今、悩んでも意味がないか」

 暫しの間、黙考していたルルーシュであったが、簡単には解決のつく問題でない事も分かり切っていたので、適当なところで思考を打ち切る。
 当面は、今のままでも持つと踏んでいる以上、根気良く人材を育てるか、或いは発掘するかして調達するしかないと割り切った彼は、意識を切り替える事とした。

 疲れているからこそリフレッシュは重要だ。
 そう自身に言い聞かせたルルーシュは、ワークステーションを落とすと、そのまま手早く身支度を整える。

「さて、行くか」

 姿見で、おかしな所が無い事を確認し終えた少年は、用意してあった唯依への祝いの品を手に持つと、疲れを感じさせぬ軽い足取りで玄関へと向かう。

 わずかに心が浮き立つのを、彼も感じていたのだ。
 妹の様に、いや、妹として可愛がっている少女の祝いの宴は、彼にとっても楽しみにしているイベントだったのだから。

 しかし、そんな彼の心の癒しは、数分後、無情にも取り上げられる事となる。

「ん、なんだ?」

 玄関を出たところで、門の辺りが騒がしい事にルルーシュは気付いた。
 何やら数名が言い争う声が聞こえてくる。

 ここ暫らくは鳴りを潜めていた格式大事な武家連中の抗議の類かと首を捻りつつ、歩を進めたルルーシュは、門の前に仁王立ちして誰かと言い合いをしている家令の谷崎を見つけた。
 決して切れる類の男ではないが、謹厳実直で忠誠心も篤く、家の中の事を万事遺漏無く取り仕切れる人物である。
 もう少し若ければ、先ほど考えていたスタッフにも当てられぬ事も無かったのだが、祖父の代から仕えていた身は既に老齢の域に達しており、今更、畑違いの場所に引きずり出すのも躊躇われた。

 数瞬、そんな事を考えていたルルーシュが声を掛けるよりも先に、こちらに気付いた谷崎老がやや驚いたように声を上げる。

「あっ、若様」
「何事だ騒々し――「ルルーシュ様っ!」」

 応じようとした少年の声を第三者が遮った。
 主家の若君に対する無礼に老人の眉がギリリと吊り上る。

 だが、彼が怒声を発するよりも一瞬早く、驚愕に目を見開いた当の若君の声がソレを押し止めた。

「……ジェレミア……か?」
「ハッ!
 ジェレミア・ゴッドバルトであります!」

 驚きと戸惑いが混じる問いに、問われた側は跪き応えを返した。
 仕立ての良いスーツが土に塗れるのを躊躇う素振りも見せずに為されたソレは、文化の違いこそあれ、主君に対する臣下の礼である事を察した家令の老人は、喉元に留まっていた叱咤の罵声を飲み込む。
 ジェレミアと呼ばれた青年の為した礼は、それほどまでに見事であった為だ。

 だが、その背後に続く者達の反応が、人生経験豊富な老人をしても、自身の判断の誤りを疑わせてくれる。

「あ〜ボク達も居ますよぉ」
「お久しぶりです」
「……ロイド……セシル……」

 軽薄としか言い様のない口調で自己主張する眼鏡の青年と、その脇からオドオドといった感じで挨拶をする生真面目そうな少女。
 アンバランス過ぎる一行に眩暈にも似た感覚を覚えた老人の脳を、初めて聞く若君の呆然とした声が更に揺さぶってくれた。

「若様、あのこちらの方々は……?」

 谷崎老は、脳の奥からジンジンと響く頭痛を堪えつつ、ルルーシュに尋ねる。
 主の交友関係に口出しするのを憚りつつも、胡乱な輩を近づける訳には行かぬとの使命感が老人の背を押していた。

 そんな忠誠心溢れる家令に対し、一瞬だけ口篭った少年であったが、その後は、先ほどまでの動揺を微塵も感じさせぬ口調でサラリと答える。

「父上の知人だ。欧州でのな」

 齢九歳にして、舌先三寸の嘘がお手のものな困った若君であった。
 同時に、老人に悟られぬよう目配せ飛ばす辺りは、既に名人芸の域である。

 対して―――

「ハイハ〜イ、その通りですよ。
 そのご縁で何度か、お目にかかった事がありまして」
「亡きお父君には、一方ならぬお世話になりました」
「……え〜と、その通りです」

 約一名を除き、見事なまでにホラ話に合わせてみせる辺り、君臣の息がピタリと合っていた。
 以前、ロイド自身が呟いた様に、良くも悪くも相性の良い主従と言えるかもしれない。

 そうやって、余りにも自然に吐かれた嘘を見破るには、家令の老人は実直過ぎた。

「は、はぁ……」

 まさか阿吽の呼吸で吐かれた嘘とは、夢にも思わぬ谷崎老は、多少の違和感を感じつつも矛を収めると、家令としての職務上、この唐突ではあるが、もてなすべき客人達への対応を、脳内で検討しようとするが、それに待ったを掛ける者達が居た。

「すまないが、篁の家へ連絡を頼む。
 伺うのが、少し遅れると―――」
「その必要は無いわよ。
 私の方から伝えておくから」

 脳裏を過ぎる頬膨らませた唯依に、手を合わせつつ出そうとした指示が、別方向からの声に遮られる。
 その場に居た全員の視線が、一斉に同じ方向へと向けられた。
 ジェレミアの双眸が、驚愕に見開かれる。

 門の向こう側、今帰ってきたのであろう自家用車の前に、この家の女当主が薄い笑みを浮かべて佇んでいた。
 予想外の闖入者に、理解が追いつかず固まる一同。
 そんな中、もっとも早く動いたのは、意外にも、或いは順当にも谷崎老だった。
 慌てて帰宅した女主人へと駆け寄ろうとした彼に、真理亜は軽く手を振って下がる様に伝える。
 一瞬だけ老人の面に不満の色が滲むが、それは本当に一瞬だけだった。
 そのまま不満を飲み込んだ谷崎老は、自身に課した節度に従い、恭しく礼を返すと屋敷内へ戻っていく。

 去り行くその背を見送った真理亜の視線が、息子達へと向けられた。
 その静かな眼差しに込められた無言の圧力が、息子の声帯と舌に過剰な負荷を与える。

「は、母上……か、彼等は………その……」

 どうしたものかと、脳内でこの場を切り抜ける思案を数十通りも走らせつつ、時間を稼ぐかのようにドモりながら言い訳を口にしようとするルルーシュ。
 だが、続く真理亜の言葉が、彼の舌を完全に凍てつかせた。

「……ジェレミア・ゴッドバルド、ロイド・アスプルンド、セシル・クルーミー………ようこそ我が家へ『魔王の臣下』殿」
「「「っ!?」」」
「母上!?」

 名乗っていない筈の姓名を呼ばれた三人組が、ギョッとした表情で立ち竦み、その後ろで目を張り裂けんばかりに見開いたルルーシュの口元から、ひび割れた叫びが迸った。
 対して母の美貌には、柔らかな笑みが浮かぶ。

「あらら、どうしたのルルーシュ?
 そんな鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな面白い顔して」
「アナタは……アナタは……」
「ま、マリアン……ヌ……様?」

 絶句する息子を他所に、嫣然と笑う美女の姿に、かつて憧れた女傑を見たジェレミアが呻くように呟く。
 一方、その呻きをキーワードとして、思わぬ不意打による混乱から立ち直ったルルーシュの胸中に、また騙されていたのかとの疑念が噴出し、足元が崩れていくような錯覚を彼に覚えさせた。
 また手の平の上で踊らされていたのかと、これまで信じてきた愛情は、以前と同じく贋物だったのかと、叫び出したくなる想いが彼の内で渦巻き猛る。

 そんな息子の姿を、静謐な眼差しで見定めていた真理亜が、一同の面前で、ゆっくりと口を開いた。

「知りたい、ルルーシュ………真実を?」
「当たり前だ!」

 剥き出しの感情のまま激昂する。
 もし、もしそうならば赦せる筈が無い。
 燃え盛る怒りと憎悪のまま、一歩前に踏み出した彼の足が、二歩目を踏み出す事無く止まる―――否、止められる。

「クッ?」
「こ、これは、ちょっとキツイかな」
「……う……う…」

 実体をすら錯角させる程の濃密な殺気が、彼と彼の臣下に襲い掛かってきたのだ。
 発生源は言うまでも無く、彼らの眼前に佇む美女。
 だが、先ほどまで浮かんでいた微笑は既に無く、鋭く冷たい光を湛えた眼差しが、彼らを映している。

『ば、化け物』

 二度の生を通じても、一度として感じた事も無い鬼気迫る圧力に、胸中で呻きながら、それでも屈さぬとの意志が、押し込められようとしていた少年の頭を上げさせた。

 紫と黒の視線が互いの間で衝突する。
 真理亜の顔に、微笑が戻った。

「そう、なら」

 嘘のように消えた威圧感に、尻餅を着き、或いは膝を折るジェレミアらを気にする様も見せずに、美女の右腕がスゥッと持ち上げられた。
 謎めいた微笑みを浮かべながら、真理亜の指先が南を指す。

「ルルーシュ、神根島へ行きなさい。
 貴方の求める答えが、そこで待っているわ」

 ただ、それだけを言い残すと、最早、用は済んだとばかりに彼女は背を向ける。
 完全に気を呑まれた一同は、そのまま歩み去る後姿を、呆然として見送る事しか出来なかった。



■□■□■□■□■□



「キャアッ!」
「おっと!」

 浅瀬に足を着けた途端、崩れかけた肢体を咄嗟にジェレミアが抱き止めた。
 そのまま青い顔をしたセシルに肩を貸し、砂浜へと引きずり上げる。
 背後で、引き波に捕らわれたゴムボートに引っ張られるロイドの悲鳴が聞こえていた。

 沖に流されかけているロイドの救助に向かったジェレミアを見送ったルルーシュは、砂浜にへたり込んだセシルを覗き込む。

「大丈夫かセシル?」
「……ウプッ……申し訳ありません陛下」

 真っ青な顔のまま、それでも律儀に応えを返す姿に、ルルーシュは苦笑を浮かべると、彼女の発言の一部に訂正を入れた。

「陛下は止せ。
 この国では不敬罪モノだぞ」

 お飾りと化している将軍よりも、なお形骸化してはいるが、一応、この国のトップにしか使ってはならない敬称だ。
 その辺りに五月蝿い連中に聞かれれば、一悶着起きかねないソレをやんわりと注意すると、その意図を汲み、ひたすら恐縮するセシルの横手から、余計な茶々を入れてくる困った奴が現れる。

「うんうん、その通りですよねぇ。
 それじゃあ、『我が君』という事で」
「……それも止せ。目立つだろうが」
「エェェ〜」

 濡れ鼠のまま明らかに面白がっているロイドに、ジト目で提案を蹴り返す。
 打てば響くように上がる不満げな声を黙殺するルルーシュに代わり、水も滴るいい男になったジェレミアが強い口調で釘を刺した。

「はしゃぎ過ぎだぞ、ロイド!
 申し訳ありませんルルーシュ様」
「まあ、その辺りが妥当だな」

 相変わらず生真面目に、至極真っ当な呼び方を選んだ忠義の騎士に、仕方ないといった風情で応えた。
 さすがに呼び捨て、あるいは君付け程度では納得しないのも分かっている。
 そうやって今後の呼称に合意を取る中、一人不満そうにブーイングしている男が居たが、これは残りのメンバーから完全に黙殺され続けた為、しばらく後には不満そうに押し黙った。

 その辺りを見計らっていたルルーシュは、軽く肩を回して固まった筋肉を解しつつ、一つ指示を出す。

「少し休んでから移動しよう。
 朝から船に乗りっ放しで、流石に疲れたしな」
「はぁ〜い」
「ハッ!」

 一行は、その指示を契機に、砂浜から少し離れた適当な場所にシートを敷くと、持参の軽食や茶で喉を潤し腹を満たす。
 流石にへばっていたセシルは、茶をわずかに口に含んだ程度だったが、それでも先ほどよりは幾分マシな顔色になってきた。
 もう暫らく休めば大丈夫かと思案しつつ、ルルーシュは時間潰しも兼ねた確認をしておく事にする。

「ロイド」
「ハイハ〜イ」

 唐突に名を呼ばれたロイドであったが、それを感じさせぬテンポの良さで反応した。
 手にしていたカップをシートに置くと、ルルーシュの方へと向き直る。

「単刀直入に訊く。
 現時点で、ナイトメアフレームの製造は可能か?」
「無理で〜す」
「ロイド、無礼であろう!」

 余りにも素っ気ない返事に、ジェレミアの方が過剰に反応する。
 対して、その返答を予想していたらしきルルーシュは、ジェレミアを軽く制しつつ先を続けた。

「やめろジェレミア。
 それは、サクラダイトが存在しないからだな?」
「それが最大の理由ではありますねぇ。
 でも、それだけじゃないですよぉ」

 ――お分かりでしょ?

 と、言外に訊いてくるロイドにルルーシュは渋い顔をする。
 彼にも、その答えが分かっていたからだ。

「基礎技術力の差か」
「ええ、ここは並行世界っぽいですけど、時間軸に数十年以上のズレがあるようですし、技術面に限って言えばそれ以上ですからねぇ。
 SFなんかでよく言われますが、現代の技術者が百年前の世界にタイムスリップしたとして、そこで現代と同じ物が作れると思いますか?」

 道化めいたニヤニヤ顔を改め、真面目な科学者としての表情で問うロイドを前に、ルルーシュも数瞬だけ考え込む。
 彼自身の判断としても、この世界とあの世界の時間的差異は数十年でも、科学技術面では一世紀近い差があると踏んでいた。
 これだけの差異が産まれたのも、サクラダイトという希少物質の有無にあると言える。

 こちらの世界での産業革命は、蒸気機関による外燃機関から始まり、それが石油を主体とする内燃機関へと切り替わったのに対して、あちらの世界では、最初からサクラダイト系技術が進化・発展していったのだ。
 主とする動力源の変遷が無かった事、またサクラダイトという非常に使い勝手のいい資源があった事等が、後々大きな差へと広がっていったものと推測でき、事実、産業革命以降の技術発展速度はあちらの世界の方が数段上を行っている。
 
 では、その技術格差を、一人の人間が埋められるかと言えば、答えは『否』である。
 
 この場合、そもそも一人の人間の頭の中に、全ての知識と技術を詰め込めるのかという基本的な問題は抜きにしても不可能なのだ――主に生物的あるいは物理的な理由で。

 単純に考えてみれば、すぐに分かる事である。
 ネジ一本から集積回路まで一人で自作する訳にも行かない以上、誰かに協力して貰わなくてはならないのは当たり前の事だ。
 では、その誰かに、どうやって(・・・・・)理論すらない一世紀以上先の超越技術(オーバーテクノロジー)の詳細を伝えられるというのだろうか?

 口で説明する?
 資料を作成して見せる?

 どちらもナンセンスである。
 一個人が喉が張り裂けるまで説明をしたとしても、伝えられる情報量などたかがしれているし、資料を作るにしても一世紀以上のアドバンテージが持つ膨大な技術情報の全てを書き記すとすれば、下手をしなくても一生モノの仕事となる筈だ。

 例えて言うなら、琵琶湖の水を、水道の蛇口一つで、全て汲み出そうとする光景をイメージすればいい。
 この場合、水が当人の持つ未来知識・技術であり、蛇口が他者への伝達手段という訳だが、それがどれ程の難事かは、簡単に理解できるだろう。
 つまり脳内のデータをアウトプットする手段が、人の口と手といった極めて非効率な方法のみというボトルネックがある以上、流出可能な情報量は厳しく制限され、結果、大した事など出来はしないのだ。

 故に、結論は―――

「……無理だな」
「ええ、無理です。
 ましてや主力兵器ともなれば、その時代の知識と技術の集大成。
 いくら知識があっても、実際にそれを造れる設備や技術が無ければ造れる筈がない」

 皮肉気に口元を歪めたロイドは、大きく手を広げ、おどけてみせる。

「ボクは、技術者であり科学者であって、魔法使いじゃないんですよ」

 ――無から有は産み出せない。
 ――基礎技術という土台が無いところに、KMFという家は建てられない。

 常とは異なる怜悧さすら漂わす眼差しで、ロイドがルルーシュと正対する中、それを不遜と感じたジェレミアが口を挟んできた。

「ロイド!」
「ん〜〜、怒らないでよジェレミア君。
 そんな事、ルルーシュ様は、先刻ご承知なんだからさぁ」

 相変わらず生真面目一筋といった友人に興をそがれたのか、眼鏡の青年は軽く肩を竦めると普段の口調に戻り、無責任にもボールをルルーシュへと投げた。

「なに!?」
「何の為に、ルルーシュ様がOSを作ったり、強引に会社を大きくしたりしてると思ってるのさ?」

 ――そうでしょ?

 と言わんばかりの口調で、眼を剥くジェレミアを他所に、苦笑いを浮かべた主へと視線を向ける。

 新たな技術基盤の確立と発展。

 今後の事を考えるなら、それが必須の要件である事は、ルルーシュにも分かっていた。
 だからこそ、その命題を達成する為の方針として、あちら側の超越技術(オーバーテクノロジー)を一足飛びに再現するのではなく、こちら側の技術をベースとして進化・発展を図り、最終的にそこへ到るべく手を打っているのである。
 OSを売り捌いて金を作るのも、会社の規模を大きくするのも、優秀な技術者を囲い込み、潤沢な研究資金を与える為の手段でしかなかった。

 そもそも、ポンッと気前良く超越技術(オーバーテクノロジー)恵んでやっても、それが技術の発展に正しく寄与するかは、大いに疑問が残る。
 そこに到る思考を省略してしまえば、技術者は育たないし、本当の意味での技術も育まれることは無い。

 故に、ルルーシュも大局的な指針を示す事はしても、微に入り細に入り指示を出したりはしなかったし、実際問題としてそれで充分だった。
 辿り着くべきゴールと其処へ至る道筋を知っている分、不要な試行錯誤(トライアンドエラー)によるロスを無くせるだけでも、技術開発という面から見れば大きなアドバンテージとなり、結果、枢木の技術力を大きく押し上げられている。
 ましてや、これからはロイドらも居るのだ。
 これまで狩り集めた優秀な人材達が、この奇矯ながら天賦の才に恵まれた男の薫陶を受ける事で、今後そちら方面に関する進捗の向上は目に見えている。

 となると、残る問題は―――

「……サクラダイトが有ればな」
「ストーンヘンジの辺りには無かったですからねぇ」
「富士山にも埋まっていない。それは確実だな」

 仮にも日本で一番有名な山であり、古来より人の出入りも多い。
 火山という性質上からも、その成り立ちを調べる為の地質調査は、これまで充分以上に行われているし、無資源国の悲しさから来る一縷の望みを賭けた資源探査も当然の如く行われていた。
 こちら側では未知の物質であるサクラダイトが、数多の人の目、そして科学の眼を逃れて埋蔵されている可能性は限りなくゼロに近い。
 無論、富士山以外にも、あちら側にあった有望なサクラダイト鉱床の場所は、ほぼ全て洗っていたが、その悉くが外れであった。

 そうやって落胆を隠さぬ調子で呟くルルーシュに対し、ロイドがトンでもない事を口にする。

「まあ、アテが無い訳でもないんですけどねぇ」
「本当か!?」
「ええ、まぁ多分有るんじゃないかな、と」
「何処だ?」

 思わぬ情報に勢い込む主の問いに、ニヤリと笑う。

「これから行く場所ですよ」
「――ッ?」

 盲点を突かれたルルーシュが、数瞬、唖然としてから呻く。

「……成る程な、地面に埋まっている物を探す事に気を取られ過ぎたか」
「まぁ、半分埋まってるような物ですから、大した違いは無いんじゃないですかネェ」

 おどけた調子で返す青年に、少年は苦笑混じりの笑みを浮かべた。

「違いないな。
 しかし、これで目処がついた」

 最大の懸案事項であったサクラダイトが、確保できるかもしれないという朗報にルルーシュの頬も緩む。
 それだけでも、ここに来た価値があったと言えよう。
 サクラダイトさえあれば、停滞気味な超伝導技術を始めとした多くの超越技術(オーバーテクノロジー)開発への途が開かれる事は確実だったのだ。

 五里霧中に思えた前途に射し込んだ光に希望を見出したルルーシュは、それまで敢えて眼を瞑っていた事へと意識を向け愚痴る。

「……本来なら可能な限りの知識を開示し、人類全体で技術の底上げを図るべきなのだがな」

 今の枢木だけでは、時間が掛かる。
 例えサクラダイトの入手が叶ったとしても、それを基とした技術体系が実用レベルへと到るには、数年の歳月を要するのは間違いなかった。
 だが、人類の総力を傾けて、それを行う事が叶うなら、大幅な時間短縮も決して夢ではない。

 ………そう、それ自体は夢では無いのだが。

「あっははっ〜ムリム〜リ。
 そんな事したら、人類が自滅しちゃいますよぉ」

 夢も希望も無い現実を、眼鏡の道化師は平然と口にして、主人の端整な顔を顰めさせた。

 幸せを求める人の性は、あちら側もこちら側も変わらない。
 だが、こちら側には、あちら側と違い、個々人によって異なる思いのベクトルを取りまとめ一定方向へと向ける為の物――象徴とシステムが欠けていた。

 『ゼロレクイエム』により世界に満ちた憎悪を昇華し、『ゼロ』という名の象徴を以って人の思いを取り纏め、『超合衆国』というシステムにより世界を運営していく。
 彼が思い描き、そして実現した構想に伍し得る、或いは、準ずる物が、この世界には無いのだ。

 大国の意向に翻弄され、調整機関としての役割も充分には果たせていない今の国連には、それを望むべくも無い。
 そんな世界に一世紀以上先の超越技術(オーバーテクノロジー)を放り込んだらどうなるか?
 今の段階では世界に関する影響力を持たぬ身としては、恐ろし過ぎて、とても試す気にはなれなかった。
 ましてや―――

「………欧州を失って尚、人類は一つになれなかったからな」
「ユーラシア全土を失っても変わらないさ、間違い無くねぇ」
「ロイドさん、言い過ぎです!」

 ジェレミアの嘆きを受けて、皮肉たっぷりにロイドが断言するのを、流石に言い過ぎと感じたセシルが嗜める。

 だが、ロイドは肩を竦めるだけで、発言を訂正する事は無かった。
 ジェレミアも渋い顔をしつつも否定はせず、ルルーシュに到っては眉間に皺を寄せている。
 どちらも、ロイドの言を正論と認めざるを得ないからだ。

 この不吉な予言が正鵠を射ていた事は、十年の歳月を経て証明される事となる。
 そして、未だ道半ばにして、充分な力を持たなかったルルーシュは、その現実に歯噛みしつつも抗い続ける事になるのだった。

 改めて認識した先行きの暗さに、どことなく嫌な雰囲気が場に満ちる。
 そんな空気を振り払う様に、ルルーシュが腰を上げた。

「さて、そろそろ行くか」
「はっ!」
「ハイハ〜イ」
「……え〜と、どこへ行くのでしょう?」

 申し訳無さそうに首を傾げるセシルに一同の視線が集中する。

「「「………」」」
「うっ?」

 困った様な呆れた様な視線に、少女の腰が引けた。
 そうやって、どう反応を返すべきか、互いに悩む一同の上に、思わぬ声が降って来る。

「なら、私がご案内致しましょう」
「「「「!?」」」」

 控えめな女性の声。
 だが、無人島の筈のこの場においては、警戒する以外無いソレに、ジェレミアが敏感に反応する。

「何者!?」

 一瞬で、声の放たれた方角とルルーシュの間に割って入った青年は、懐から銃を抜き放つや、木々の向こうに僅かに覗く人影へと向けた。
 わずかでも怪しい素振りを見せれば、即座に射殺する事も辞さないジェレミアの気迫を感じ取ったのか、或いは、始めからそうしていたのか、人影は敵意の無い事を示すかの様に両手を挙げたまま近づいてくる。
 そして十数秒後、木立の間を抜けたその人物は、彼らの前へ姿を現した。

「「「「――ッ?」」」」

 一同が驚きに目を見張る中、メイド服を着た十代前半と思しき少女が、ルルーシュにむけて、恭しい仕草で頭を垂れる。

「お久しゅうございます、ルルーシュ様」

 そう言って上げられた少女の容貌が、ルルーシュの記憶の中にある女性と一致した。

「咲世子……か?」
「はい」

 まだ年若い、だが間違いなく篠崎咲世子のソレと瓜二つの顔を持った少女は、ルルーシュの問いを嬉しそうに肯定する。

 その声、その仕草、その挙措。
 それら全てが、少女が旧知の人物の若き日の姿であるとルルーシュに告げていた。

 紫の視線が転じられ、恐らくは同類である筈の三人へと向けられる。

「……知っていたのか?」

 ルルーシュの問いに、そろって首を振る一同。
 そんな一行の姿を見ていた咲世子が、以前通りの控えめな調子で助け舟を出した。

「御三方には、連絡を取っておりませんでしたから。
 こちらに居られるとの確証も、ありませんでしたし………」

 その瞬間、ルルーシュにはピンと来た。
 そもそも自分達と咲世子が、ここで出会った事自体、偶然である筈が無い。
 咲世子が、この島に住んでいるとでも言うなら別だが、そうでなければ誰かに教えられ、或いは、指示されて此処に居た筈なのだ。
 そして、そんな真似が出来る人物は、一人しか居ない。

「ならば、お前を此処に来させたのは母上か?」
「ご明察、恐れ入ります」

 そう言ってルルーシュの問いを肯定する少女を、彼は複雑な眼差しで見つめた。
 咲世子の返答は、彼女が母の意向を受けて動いているという意味でもある。
 それは、自分にとって、彼女が敵である可能性をも示していた。

 篠崎咲世子は、ルルーシュが信頼した数少ない人物であり、そして最後までその信頼に応えてくれた相手でもある。
 それを疑うような真似は、彼としても、したくなかった。
 そう、したくなかったのだ……

 軽く瞑目し、深く息を吐いて心を落ち着けたルルーシュは決断する。

「分かった。
 ならば、案内を頼む」
「はい、それでは参りましょう――-『遺跡』へ」

 以前と違わぬ恭しさで、一礼を返した咲世子は、予想通りの場所を口にする。

 かつての富士決戦と並ぶ、知られざるもう一つの決戦の地。
 忌まわしきコードとギアスに因縁深き場所。

 そこが、彼の求める真実が、彼を待っているという場所であった。



■□■□■□■□■□



 春の陽射しがさす縁側で、何をするという訳でも無しに、枢木真理亜は腰掛けていた。
 満開の桜が春風に揺らされて、静々と花びらを散らしていく様を、ぼ〜っと見つめながら、心ここに在らずの態で座している姿は、バイタリティに溢れた彼女には、余りにも似つかわしくない。

 フゥっと一息、溜息を吐くと傍らに置かれた盆の上から湯飲みを取って茶を啜る。
 どこぞのご隠居と間違われても、おかしくなさそうならしくない姿。
 どこか風景に解けて消えてしまいそうな存在感の無さが、ある時、不意に濃くなった。

 片手に持った茶碗を盆に置き、視線を巡らす。
 その先、廊下の奥の方から、微かな足音が響いてきた。
 真理亜の表情に感情の色が戻る。

「お帰りなさい、唯依ちゃん」
「ただいま戻りました、真理亜おば様」

 やや息を切らした少女を笑顔で出迎えた。
 対して唯依は、いつも通り礼儀正しく帰宅の挨拶をする。

 昨日の宴会の後、急ぎの出張が入った篁中佐から、再び唯依を預かる事になったのだ。
 もはや、どちらが自宅かよく分からなくなりつつある唯依であったが、当人には特に不満は無いらしい。
 いや、それどころか………

「思ったよりも早かったわね。
 学校は、楽しくなかった?」

 キョロキョロと辺りを見回している唯依に水を向ける。

「そんな事は……ないです」
「ふふっ……なら、別に早く帰ってくる理由があったって事かしら?」

 慌てたように首を振り否定する少女を、面白そうに追い詰めるのは中々に意地が悪かった。
 そうやって、瞬く間に追い詰められた唯依は、言葉に詰まる。

「うっ……」
「……残念、ルルーシュは、まだ帰ってないわよ」
「………別に、そういう訳では……」

 口篭る唯依に、お目当ての不在を告げる。
 明らかな落胆の色を、少女は浮かべた。
 だが、はしたないと思ったのか、口を突いて出たのは否定の言葉である。

 しかしそれは、この場合、トンでもない悪手であった。
 真理亜の美貌に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「あら、違うの?
 ルルーシュが帰ってきたら落ち込みそうねぇ。
 唯依ちゃんにとっては、居ても居なくても同じと言われちゃったんじゃ」
「そ、そんなこと言ってませんっ!
 ルル兄様が居なくって、私が―――ッ!?」

 煽られて思わず本心を口にする、否、口にさせられる唯依。
 ひどく楽しそうな笑い声が響き、嵌められた少女の頬が、真っ赤に染まる。

「………おば様、また唯依をからかいましたね!」
「ごめん、ごめん。
 ……だって可愛いんだもの。
 ムキになって否定するところなんか、もう最高!」

 ジト眼で睨む唯依の前で、腹を抱えた真理亜がケラケラと笑う。
 少女の頬が、風船のようにプクッと膨れた。

「……おば様の意地悪」

 明らかにムクれた様子で、恨み言を口にする。
 そんな唯依の姿に、流石にやり過ぎたと感じたのか、目尻に溜まった涙を拭くと真理亜は手を合わせて詫びを言う。

「ごめんなさいね。
 お詫びに髪を梳いてあげる。
 走ってきたんでしょうけど、少し乱れてるわよ」
「………」

 そっぽを向いた唯依の耳が、一瞬だけヒクついた。
 だが、意地があるのか、そう易々とは靡いてはくれない。
 そんな少女の姿を、微笑ましげに見ながら、真理亜は更に下手に出ることにした。

「おばさん、唯依ちゃんと仲直りしたいなぁ―――ね?」
「……なら許してあげます」

 真理亜の誘いに、しぶしぶといった様子で、こちらを振り向く唯依。
 だが、その瞳が期待に輝いているのが、彼女の本心を如実に表していた。

 なんだかんだと言いつつも、真理亜に懐いている唯依は、最後はこうして許してしまうのである。
 何よりも、からかう事自体が、彼女にとっての愛情表現の一種である事を、少女自身が感じ取っていたのが大きかった。

「そう、ありがとう。
 さっ、いらっしゃい」

 そう言ってポンポンと自分の膝を叩く真理亜。
 少し怒った風を装いつつも、隠し切れぬ嬉しさと共に唯依は膝に乗ると、袖に入れていた誕生日祝いに貰った櫛を渡す。

 渡された櫛を手に取った真理亜は、まず乱れた箇所を整え始めた。
 程なくして、それが終わると、今度は唯依の髪全体をゆっくりと梳かしていく。
 まだ、少し背に掛かる程度の長さの黒髪は、持ち主同様の素直さで、櫛に絡む事も無く綺麗に梳かされてくれた。

 そうやって、優しい手つきで髪を梳かれる感触に、唯依は気持ち良さそうに眼を細める。
 柔らかな膝の弾力と包み込まれるような感覚、母の匂いを強く感じるこの時が、彼女はとても好きだった。

「うん、ちゃんと手入れしてるみたいね。
 枝毛も無いし、色艶も申し分ない素敵な髪よ」

 一房だけ前へと流された飾り布(リボン)で束ねられた黒髪を手に取り、満足そうに呟く真理亜。
 明らかな褒め言葉に、唯依のうなじが少し赤らんだ。

「おば様に教わった通りに、毎日やっていますから」
「ルルーシュの為に?」
「お、おば様!」

 隙を見せた途端、再び入れられた茶々に、白い頬が真っ赤に染まる。
 心臓の鼓動が早くなり、耳まで熱くなるのが感じられた。

 そうやってうろたえる様を、楽しそうに鑑賞していた真理亜が、小さな含み笑いを零す。

「ふふふ……」
「むぅぅ……」

 唯依の頬が、また膨らんだ。
 それを見てクスクスと笑いながら、真理亜は膨らんだ頬を指でつつく。

「そんなに膨れないの可愛い顔が台無しよ」
「……知りません!」

 ―――誰の所為ですか! 誰の!

 と、頬とは違い未だ膨らむ兆しすらない胸中で、そう怒鳴りながら、再びそっぽを向く。
 だがそれでも、膝から降りる気配はなかった。
 そこから降りるのは、母の温もりを知らぬ少女にとって惜し過ぎたから。

 そんな唯依の内心を知ってか知らずか、真理亜は手にしていた櫛をゆっくりと脇に置く。

「あらあら、また怒らせちゃった」

 そう言って膝の上の少女を、柔らかく抱きしめた。
 一瞬強張る小さな身体、だが伝わる温もりに、緊張が淡雪のように儚く融けていく。

「じゃあ今度は、お詫びに御伽噺をしてあげましょう」
「………」

 ポンポンっと、唯依のお腹の上でリズムを取るように、或いは幼子をあやす様に真理亜の手が動く。
 身体の力が抜けてしまった唯依は、良い香りのする大きな胸元に頭を預けながら、拍子に誘われるように、そぅっと眼を閉じた。

 朗々たる声が響く。
 戦場で兵を率い、叱咤し、激励する武人の声が高らかに謳う。

「そこは遠い世界。
 此処ではない場所。
 今ではない時。
 でも、同じ人々が生きる世界」

 ―――混迷するその世界に、光をもたらした王と魔女と英雄の物語を。

「その世界を、閃光のように駆け抜けた優しく悲しい魔王のおとぎばなし」

 『ゼロ』と呼ばれた記号の御伽噺を―――



■□■□■□■□■□



 咲世子に導かれた一同は、森の奥深くに眠る黄昏の門を潜り、遺跡内部『Cの世界』へと通ずる黄昏の間へと到っていた。

「ここが……」

 薄暮に染まる世界を、呆然として眺めながらセシルが呟いた。
 その声を背に受けながら、自身が確認するかのようにルルーシュが応える。

「黄昏の間、『Cの世界』へと通ずる場所」

 それに続く声が、金色に沈む世界に響く。

「どこでもなく、どこでもある場所。
 現実と乖離したこの世界ならば、私もこうしてお前に会える」

 世界の住人が一人増えた。

 背に届く髪を持つ年齢不詳の美女。
 かつて、彼の共犯者であった者。
 コードの呪いに囚われ、永遠を歩む事を運命付けられし魔女――C.C.

「……久しいな我が契約者。
 愛しき我が魔王よ」

 一瞬だけ、眉を顰めた彼女は、次の瞬間、不敵な笑みを浮かべると、変わらぬ口調で彼に語りかけてきた。

「……やはりおまえか、C.C.」
「ふむ、その言い様では粗方察していたか?」

 不機嫌そうではあっても、驚いていないルルーシュの声に、魔女はフムとばかりに首を傾げた。

 そこまで伝える予定は無かった以上、独自に察したという事。
 まあ、眼前の契約者の頭の切れ味なら、断片的な情報からでもある程度は真相に近づけるかと納得する。

 そして、それは正しかった。

「この因縁の場所に行けと言われたのだ。
 ある程度は、察せて当然だろう」
「相変わらず血の巡りが良い事だ。
 ……さて、お前達も久しぶりだな。
 無事ルルーシュの下に辿り着けて何よりだ」

 ぶっきらぼうに謎解きをするルルーシュに、魔女の美貌にも苦笑が浮かぶ。
 驚く顔を見て楽しむつもりだったが、まあ良いかと諦めると、今度は同行者達へと水を向けた。

「どうも〜」
「お久しぶりC.C.」
「貴女に感謝を。
 貴女の導きにより、私は再び忠義を尽くす機会を得られた」

 三者三様の変わらぬ態度に、今度は純粋な笑みが浮かんだ。

「まぁ、上手く行くかどうかも分からぬ賭けだったのだからな。
 勝ちを拾えたのは貴様等の運の良さ……いや、執念の強さと言うべきかな」

 そう、彼女にしても初めての試みだった。
 前例の無い危険な賭け。
 勝ったのは、紛れも無く、この彼ら自身の力に拠るものだ。

 ―――賞賛の一つや二つはしてやっても、バチは当たらないだろう

 そう思ったC.C.は、彼女にしては珍しく素直に褒めたのだ。

 だが、一刻も早く、問い質したい事がある人物にしてみれば、それは時間稼ぎのようにも思えたらしい。
 やや不機嫌さを増した声で、ルルーシュは、以前の共犯者へと詰め寄った。

「さて、明かしてもらうぞC.C.
 貴様と母上の関係……いや、母上は『マリアンヌ』なのか?」

 誤魔化しも逃げも赦さない。
 問い質す言葉の隅々にまで染みこんだソレに、魔女は皮肉げな笑みを浮かべて返答を返す。

「……その問いの答えは、イエスであり、ノーでもあるな」
「………」

 ルルーシュの双眸に宿る光が、鋭く険しくなる。
 背後に控えていたジェレミアが、万一の場合に備えて身構えた。

 それをすら弄う様に、魔女はクツリと笑う。

「フフ……そう怖い顔をするな。
 順序立てて説明してやる……まず、この世界が並行世界である事は理解しているな?」
「ああ、その程度はな」

 どうやら真面目に受け応えする気になったと悟ったルルーシュは、溢れ出ていた殺気を収め、魔女の問いに頷いた。
 その態度の変化を受け、満足そうに魔女も頷く。

「結構、時間軸に多少の差異はあるようだが、私が観測していた限りでは時の流れ、世界の根本については基本的に同じ物だ」

 いきなり世界について語り出したC.C.に、BETAもかと、突っ込みたくなるのを堪え先を促す。

「故に、この世界にも『お前達』が存在する確率は、初めからあったのだ………ここまで言えば分かるだろう」

 それは以前から予想していた事。
 だからこそ、すんなりとルルーシュの口から零れ落ちる。

「……母上は、この世界の『マリアンヌ』という事か……しかし、それなら何故?」

 ――自分達の事を知っている。
 
 それだけが解せない。
 そう問うルルーシュに、魔女は可笑しそうに笑ってみせる。
 
「何故?……簡単な事だ、オマエが教えたのだよ」
「オレが!?」
「そうだ。
 お前という異世界の魂を、その身に宿した際、あいつはお前の記憶を視たのだ『夢』という形でな」

 ――流石は『調整者』の末裔というべきか。

 愕然とするルルーシュを他所に、C.C.は、そう感慨深けに述懐し、そして言葉を紡ぐ。

「そして真理亜は、夢で見た此処を訪れ、観測者たる私と出会った」

 パズルのピースが噛み合った。
 ルルーシュの肩から、ホッと力が抜ける。

「……そういう事か」
「そういう事だ。
 アイツには感謝しろよ、並の女なら気味悪がって堕胎(おろ)していても不思議じゃない」

 明らかに安堵した様子のルルーシュを、からかう様に魔女が告げる。
 お前が、今ここにこうして居られるのは、真理亜が母親だったからだと。

 そんな母を疑ってしまった息子は、バツ悪そうに眼を逸らす。

「……言われるまでもない」
「ふふ、良かったなルルーシュ。
 今世の母上が、佳い女で」
「言ってろ、魔女が」

 楽しそうに追い討ちを掛けて来るC.C.に、そっぽを向いて吐き捨てる。
 だが、わずかに染まった頬が、彼の心情を如実に表していた。

 どうにも素直になれない共犯者を、魔女は心底おかしそうに笑いながら話題を変えてくる。

「さて、今度は私からの問いだ」

 黄昏に沈む朽ちた神殿の柱を撫ぜながら魔女が語る。

「この遺跡本来の機能では、異なる世界間を越えて物質が移動する事など出来ない。
 だが、遺跡そのものを壊す覚悟があるなら、一度だけそれを行う事も可能だ」
「へぇ〜凄いですねぇ」

 遺跡から別の遺跡への瞬間移動システム。

 そのイレギュラーな使い道を解説し出す魔女に、興味を惹かれたロイドが眼を輝かせながら相槌を打つが、それとは対称的にルルーシュの表情は、硬く強張った。
 魔女の言わんとしている事に、いち早く気付いたからだ。

 わずかに棘の生えた声が、少年の口から放たれる。

「……何が言いたいC.C.」

 魔女の面に嫣然たる笑みが張り付いた。
 誘うような、嘲るような声音が、形よく整った唇から零れ落ちていく。

「お前達は、本来この世界の存在ではない。
 こんな滅び行く世界に義理立てして、一緒に死んでやる理由もなかろう?」

 言外に続くその誘惑に、ある者は逡巡し、ある者は不快感を露にする。

「だから、この世界を見捨てろ、と」
「その通りだ。
 なに心配することは無い。
 こちらでは、あの日から既に三十年近く経っている。
 『悪逆皇帝』も、今では歴史上の人物でしかない」

 隠し切れぬ憤りが混じった声で問うルルーシュに、魔女は平然と言い返した。

 ――そんな事ではない。
 ――そんな事を気にしている訳ではない。

 喉元まで込み上がってきた叫び。
 しかし、それを遮る様に魔女が嗤う。

「それとも母親が心配か?
 そうそう篁唯依と言ったか、お前がナナリーの身代わりに可愛がっている少女が居たな、そっちが気になるのか?」

 ルルーシュの中で何かがキレた。
 押さえを無くした感情が、怒声となって迸る。

「取り消せC.C.!
 唯依は、ナナリーの代用品じゃない!」

 発散される怒気に、思わずセシルが後ずさる。
 だが、直接それを向けられた当の本人はと言えば……

「おぉ〜怖い怖い。
 フフッ……まあ良い。
 気になる連中が居るなら全部まとめて連れて来ればいい」

 それなら問題あるまい―――そう言って、平然と肩を竦めて見せた。

 ルルーシュの奥歯が、ギリギリと軋む。
 負け犬となって逃げ出せと言う元共犯者に強い反発を感じ、そして同時に、心のどこかでそれに賛同する部分があったのが赦せなかったのだ。
 ルルーシュの世界は意外と狭い。
 C.C.の提案に乗って、親しい者のみを連れて逃げ出す事も不可能ではなかった。
 何よりも、予想外の援軍――ジェレミアらの助力を得てなお、勝算は決して100%に届く事は無い。
 いや、このまま戦いが続くなら、いつか必ず、誰かが失われる―――ロロやシャーリー、或いはユフィの様に。

 ――そんな事になる位なら、いっそ!

 そう思ってしまう己が、どこかに居る事が堪らなく嫌なのに切り捨て切れないジレンマ。
 秀麗な容貌に、深い苦悩の色が滲む。

 一方、一転して、一触即発となった雰囲気にセシルは青褪め、ジェレミアは再度身構えた。
 唯一、ロイドのみが興味深そうに両者を見据える中、C.C.が再び口を開く。

「さあ、選ぶが良い。
 この滅び行く世界と決別し、本来あるべき世界へと戻るか否かを」

 甘く芳しい誘惑の実を掲げ、魔女は再び嗤った。



■□■□■□■□■□



「―――かくして世界は平和になりました。
 優しい魔王のついた悲しい嘘に支えられて………おしまいっと」
「………」

 そう言って、長い長い御伽噺を締めくくった真理亜は、膝の上に居る唯依の頭を撫でながら声を掛ける。

「どうだった唯依ちゃん?」
「……あ……」

 頭を撫でられて我に返った少女は、目尻に溜まった涙をゴシゴシと拭う。
 それを見てみぬフリをした真理亜は、御伽噺の感想を尋ねた。

「どうしたの気に入らなかった?」
「………初めて聞くお話です。
 とっても……悲しいお話だと思います」

 気に入る入らないは言わず、ただ悲しいとだけ言う唯依。
 そんな少女の答えに、一つ頷くと、優しい手つきで髪を撫で続けながら、真理亜は更に問いを重ねる。

「唯依ちゃんは、どう思う?
 魔王の採った行動を――」
「………あっ…・…う……」

 唐突な問いに口篭る。
 真理亜の口元が、微かに綻んだ。

「思ったままを言ってみれば良いわ。
 正しい答えが、ある訳じゃないもの」

 ――そう正しい答えなど無い。

 胸中でそう呟きつつ、穏やかに促す。
 その声に背を押される様に、唯依がポツリポツリと口を開いた。

「……間違っていると……思います」
「…………」

 ―――たどたどしい自分の言葉に、大好きなおば様は、ゆっくりと頷いてくれた。

 それに力を得た唯依は、感じたことを素直に話し続ける。

「……嘘はいつか、いつかきっとバレる時が来ると思います。
 だから……だから、その時が来たら、きっと皆が後悔します」

 全ての人が後悔すると言う唯依に、真理亜は眼を細める。
 そんな少女の純粋さを好ましく思いつつも、彼女自身の意見は少し異なっていた。
 そう、真実を知ってなお、後悔した者としなかった者は、半々だった事を、彼女は知っていたから―――

 そんな真理亜の内心を他所に、拙いながらも一生懸命言葉を紡いでいた唯依が、最後に結ぶ。

「……だから、魔王は間違っていると思います」

 最後にそう言い切ると、唯依はホッと息を吐いた。
 緊張で、カチコチになった身体から、ゆっくりと力が抜けて行く。

 そんな少女の様子を、微笑ましそうに見ていた真理亜は、唯依の答えに応じるように彼女自身の考えを口にする。

「そう………確かにそうね。
 嘘はいつかバレる。
 一年後か、十年後か、あるいは百年後か……」

 自分の考えに賛同して貰え、嬉しそうに頷く唯依。
 だが、その後に続いた言葉には、戸惑う事になる。

「でも、おばさんは、こう思うの。
 そんな事は、魔王にも分かっていたんじゃないかって……」
「えっ?」
「たとえ、いつかバレる嘘、いつか終わる平和であったとしても。
 それでも魔王は、優しい明日が欲しかったのよ。
 ………それが、いつか必ず壊れる仮初のモノであったとしても」

 そう、世界が如何に移ろい易いかを、『彼』ほど知っていた者は居まい。

 『彼』が愛した肉親達は、『彼』を欺き、罵り、刃を向けた。
 『彼』に仕えた部下達は、『彼』を裏切り、叛き、敵に売り渡した。
 そして、『彼』を愛した者の多くが、『彼』の目の前で非業の死を遂げた。

 そんな『彼』が、永遠などという物を信じられた筈が無いのだ。

 『彼』が、『王』が、信じ求めたのは―――『明日』

 『昨日(過去)』でもなく、『今日(現在)』でもなく、『明日(未来)』を。
 永遠という名の停滞ではなく、希望という名の変化をこそ是とした。

 ――きっと『明日』は、『昨日』よりも、『今日』よりも、良くなると信じて。

 幸せを求める人の性を信じ、その行くべき道を開き指し示した。
 そんな『王』の魂を宿す我が子を誇りに思い、そして、それ故に、その未来を案じる。

 もう二度と、人柱になどさせない。
 させてなるものか、と。

 世界よりも、何よりも、自分が腹を痛めて産んだ息子の方が大事。

 奇しくも、同じ時刻に不老不死の魔女が告げた様に、彼女もまた『マリアンヌ』である事に変わりは無い。
 自分の一番の為なら、それ以外の全てを笑って切り捨てられるのが、良くも悪くも彼女なのだから。

 だからこそ、その為なら、あらゆる布石を打ち、いかなる手段を採る事も躊躇うことは無い。
 そう、例え――

「ねぇ唯依ちゃん。
 唯依ちゃんが、もしいつか、魔王に……いえ魔王になりそうな人に出会ったら、止めてあげてね」

 ――例え、自分を母の様に慕うこの好ましい少女を、利用する外道と成り果てようとも。

「おば様?」

 唐突な言葉の意味が分からず、可愛らしく首を傾げる唯依。
 その仕草を愛おしく思いつつも、それでも彼女の唇は言葉を紡ぐ事を止めない。

 これが絶対に必要な一手であると、彼女の中の何かが告げていたから。

「魔王を止められるのは、英雄でも、魔女でも、聖女でもないのよ。
 ………ましてや、正義の味方気取りの道化(ピエロ)なんて論外ね」

 脳裏を過ぎる夢に見た道化達(黒の騎士団)に、思わず冷笑を浮かべてしまう。
 初めて見る冷たく硬いその笑みに、見上げる唯依の顔に一瞬だけ怯えが浮かんだ。

 だが、真理亜の真意が分からずとも、なにか大事な事を伝えようとしている事を悟った唯依は、躊躇いがちに問い掛ける。

「……なら、誰が止められるのですか?」
「ふふっ……それはね……」

 桜の枝を揺らしながら一陣の風が吹き、真理亜の声を散らす。
 この時、唯依のみに届いた言葉の真意を、彼女が本当の意味で理解するのは、十年以上の歳月を経て後の事だった。



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― 統一暦二十七年 黒の騎士団総本部・軌道ステーション『アスガルド』 ―

 いかなる国家にも属さぬ象徴として、地球周回軌道上に座するその人工の星は、今日は比較的穏やかな一日を終えようとしていた。
 そう、海賊討伐が七件、紛争調停が一件、苦情処理が多数という近年稀に見る平穏な一日。
 この黒の騎士団を総括する人物『ゼロ』が、日付が変わる前に自室に戻れるという事が何よりの証左であった。

 コツコツと足音を響かせながら通路を歩む彼は、常と変わらぬ仮面と黒衣。
 人種・性別・年齢その他全てが謎のままな仮面の英雄が、かの悪逆皇帝を倒し世界を解放してから既に三十年近い時が流れていた。

 あの解放の日より二十七年、破壊と闘争に向けられていた人類のエネルギーは、仮面の英雄の指揮の下、統一と発展へと振り向けられている。
 既にその足跡は月を越え、内は金星に、外は木星へと至り、火星においては増大し続ける人口の将来的な受け皿と為すべく一世紀に及ぶタイムスケジュールの下、テラフォーミング作業が始まっていた。

 全ては、『彼』の描いた理想のままに。
 人類は、今も明日に向かって歩み続けている。

 コツン……

 英雄の足が止まった。
 認証システムに手を翳し、自室の扉を開く。
 そのまま一歩踏み入ったところで、再び彼の足が止まった。

 プンッと香る濃厚なチーズの匂いに仮面の下で眉を顰める。
 匂いまで感じられる辺り、妙に凝ったギミックであるが、いま重要なのは其処ではなかった。
 彼以外に入れぬ筈の室内から、それがしているという事こそが、重要なのである。

 数瞬、逡巡を見せたゼロであったが、ふとある事に思い至り、警備への連絡をする事無く奥へと入っていった。
 稀代の英雄の居室としては質素過ぎる廊下を抜け、匂いの発生源と思われる応接間の前に立つ。
 気配を隠す気も無いらしい室内に居る人物の動向は、扉越しにも粗方ゼロには察せられた。
 黒い仮面の内側で疲れた溜息を零すと、彼はドアを開けて中に入る。

「君か、C.C.」

 廊下と同様に質素なソファにふんぞり返った予想通りの人物に、呆れた口調で声を掛けた。

「ああ、私さ。
 久しぶりだな、魔王の代理人」
「間違えないでもらおう。私は『ゼロ』だ」

 十年前、最後に会った時と寸分違わぬ姿で、ピザを片手に応える不遜な魔女に、彼は激する事も無く切り返す。

 そう、その身は『ゼロ』。
 あの日、あの時、交わされた誓約(ギアス)の下、その生命が燃え尽きる瞬間まで、ただの記号(ゼロ)として世界を導くモノ。

 それだけは否定させぬという強靭な意志を載せた言葉に、魔女は微かな笑みを浮かべた。

「フフン……そういう事にしておこうか」

 そう言ってニヤリと笑うと、手にしたピザを口にする。
 問う様な、咎める様な視線がゼロから放たれた。

「ああ、このピザか?
 私が注文した、お前のツケで」
「C.C.………」

 ケロッとした調子で、無言の問いに答える魔女に、ゼロは微かな頭痛を覚えた。
 
 床に無造作に詰まれた空き箱の山。
 テーブルに載った未開封のピザの箱の数々。

 ザッと見ても三十枚は下らぬソレを、あろうことか『ゼロ』のツケで注文するとは………

 明日以降、『アスガルド』内で流れる噂を想像し、彼はゲンナリとした気分を味わう。
 そんな英雄の姿を、ニヤニヤしながら楽しんでいた魔女は、笑いを噛み殺しつつ本題に入った。

「そう怒るな。
 情報料代わりだ、ピザの十枚や二十枚、安い物だろう?」
「情報料?」

 不審げな応えに、魔女は再びニヤリと笑った。
 そのままピザを呑み込み、油で汚れた指を拭うと、言葉の爆弾を放り投げる。

「我が愛しき魔王の紡ぐ新たな物語………聞きたいだろ?」

 そう言って不老不死の魔女が嫣然と笑う。
 彼女の言葉の意味する物――それを知りたいという誘惑に、さしもの『ゼロ』も打ち勝つ事は叶わなかった。










― 西暦一九八九年二月 ―

 先年、戦術機用新型OSを発表し、世界の軍事関係者から注目を集めていた枢木工業が、戦術機とは機体構造からコンセプトの異なる人型機械『メアフレーム』を土木作業用として発売開始。
 後にRTOSシリーズと並ぶ枢木グループのドル箱商品として、グループの隆盛に大きく貢献する事となる。

 メアフレーム・シリーズは大別して、全高四〜六mの『ライト・メアフレーム』、八〜十mの『ミドル・メアフレーム』、十二〜十四mの『ヘビー・メアフレーム』の三種類に分類されるが、全高が戦術機の半分以下に収まるライト・ミドルは、機体サイズの小ささから縦揺れが少なく適性等はあまり問われない為、多くの人に好まれた。
 特に前線もしくはその近辺での作業に当たる者からの信頼は厚く、小柄ではあるが、内骨格構造(ムーバブル・フレーム・ストラクチャ)を採用した機体そのものは極めて堅牢で、熟練者がBETAの小型種を撲殺したという逸話を数多く残し、予期せぬ戦場と化した前線で多くの作業者の命を救う事となった。

 また前線国家では、戦術機よりも安価で、かつ頑丈なヘビーに、簡易装甲を施し拠点防衛に用いる例も多く見受けられる様になるほど素性の良い機体としても知られている。

 だが、この新たな巨人の逸話で、最も特筆すべきなのは、後年、人類史上初の通常兵器のみによるハイヴ攻略を成し遂げた人型機動兵器『ナイトギガフレーム(Knight Giga Frame)』の原型となった機体とされる事である。
 KGF開発の経緯については関係者が黙して語らぬ為、ほとんどの事情が明かされていないが、各国及び国連の執拗な要請に応え、二〇〇一年アラスカ州・ユーコン基地にて開示された情報により、その特異な機体構造――発電機と人工筋肉を兼用するマッスル・フレーミングを始めとし、一つの構造体に複数の機能を付加した『多機能構造(マルチプル・コンストラクション・ストラクチャ)』は、メアフレーム・シリーズの『内骨格構造(MFS)』を、進化・発展させた物と結論付けられたからだ。

 尚、この結論を受けて、各国がヘビー・メアフレームを研究用に大量購入したりしたのは、完全な余談である。







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どうもねむり猫Mk3です。

巌谷さんが、コワれ気味な気が。

色々ネタが出てきましたが、話に出せるのはいつの日か。
一話一年で飛ばしても、後、何話になることやら。

それでは次へどうぞ。




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