○西暦一九八八年四月三日
今日、ルル兄さまが、かえって来られました。
ぶじもどられたのは良かったのですが、見たことの無い方たちもいっしょでした。
兄さまが言われるには、亡くなられたルル兄さまの父さまのお知りあいの方たちとの事です。
これからとうぶん、こちらのお屋しきでごやっかいになるとの事でした。
唯依にもなか良くやってほしいとたのまれました。
兄さまが、そうのぞまれるなら、がんばろうと思います。
でも、少しだけ……いいえ、なんでもないです。
おしまい。
○西暦一九八八年四月七日
ルル兄さまは、今日もいそがしくされています。
お仕事に、しゅうれんに、
でも、唯依は、少し不まんでした。
いえ、ルル兄さまが、唯依のあい手をしてくれない事ではないですよ。
あたらしく、くるる木の家にやとわれた女中のさよ子さん。
あの人が、唯依のお仕事を、ルル兄さまにお茶をいれたり、あせをぬぐってあげたりを、とってしまったのです。
それは、唯依のお仕事です。
おいそがしいルル兄さまと、ゆっくりおはなしできるき会なのです。
そうおもっていたら、なぜか今日は、さよ子さんから、ルル兄さまに、お茶をいれてあげてほしいと、たのまれました。
……うん、しかたありませんね。
女中さんとしては、問だいありとはおもいますが、ルル兄さまのためです。
今日からは、また唯依が、ルル兄さまにお茶をいれてあげましょう。
○西暦一九八八年四月十四日
めずらしくいわやのおじさまが、父さまといっしょに、くるる木のお屋しきにやって来ました。
お仕事が片づいたので、唯依をむかえに来られた父さまについて来たとの事でした。
しばらく、くるる木の方たち、とくにジェレミアさんや、ロイドさんとさわいでおられましたが、夕食をいただいたあと、おいとまする事になりました。
今日は、久しぶりに篁の家にもどってきました。
でも、少しだけ気になったのは、かえりぎわのセシルさんの表じょうでした。
なにか、おじさまをにらんでいるような感じが………
唯依の気のせいだったのでしょうか?
○西暦一九八八年四月二十日
今日は、またくるる木の家にお世わになりに来ました。
父さまとおじさまがかかわっている新しい戦じゅつきの開はつで、色色とおいそがしいそうです。
でも、お国のための大じなお仕事です。
唯依のことは気にせずがんばって下さいと言ったら、なぜかおじさまがわんわん泣いてしましました。
唯依は、何か、おかしな事を言ったのでしょうか?
あと、またセシルさんが、おじさまをにらんでいました。
唯依をだきしめるおじさまのよこ手から、こう、じぃぃぃ〜というかんじで。
なぜなのでしょう?
よく分かりませんが、きくのもこわい気がしたので、ききませんでした。
○西暦一九八八年四月二十二日
しょうげきの事じつを知ってしまいました。
おじさまが、いわやのおじさまが、不ちのやまいに、かかられているなんて。
そんな、そんな……信じられませんでした。
あんなにお元気そうなおじさまが……
でも、セシルさんとおばさまが、二人ではなしていたのです。
おじさまが、びょう気だと。
それも、なおす方ほうの無いやまい――『ろりこん』だと。
はじめてきくやまいです。
もしかしたら、西ようのびょう気なのかもしれません。
ああ、どうしておじさまが、そんな目に。
唯依は、唯依は、どうすればいいのでしょう?
○西暦一九八八年四月二十八日
お仕事のおわった父さまにつれられ、篁の家に戻りました。
夜になり、いわやのおじさまも、うちあげと言ってあそびに来られました。
とうさまといっしょに、たのしそうにお酒をのんでいるおじさま。
不ちのやまいに、おかされているにもかかわらず、いつも通りのよう気さを、よそおっているおじさまを見ているうちに、唯依の目からポロポロと、なみだが、こぼれだしてしまいました。
がまんできなくなったのです。
おじさまのいたいたしいすがたを、見ているのが。
いきなり泣き出した唯依に、父さまも、おじさまもおどろかれ、オロオロしながらどうしたのかときいてきました。
もうだまっている事に、たえられなくなった唯依は、セシルさんとおばさまが、はなしていた事を、打ちあけました。
おじさまが、不ちのやまい『ろりこん』にかかり、あすをも知れぬみなのだと。
しゃくり上げながら、はなしおえたとき、唯依はようやく気づきました。
なんと言うか、くうきがかたいと言うか、つめたいと言うか……
(これが、むかしルル兄さまが、おしえてくれたくうきをよめるというかんかくだったのかもしれません)
そんなくうきの中、むごんのまま立ち上がったおじさま。
そのまま、へやを出ていくすがたに、あっけにとられていた父さまが、おいすがります。
ろうかの向こうがわでの、はげしい口ろんの声が、唯依のところまできこえてきました。
『ぶしのなさけ!』とか、『せめてひとたち!』とか、さけぶおじさまの声にまじり、『でんちゅうでござる、でんちゅうでござる』とか、『いぬじに』とか、言っている父さまの声がきこえました。
いったい、何事だったのか、唯依にはサッパリわかりませんでした。
そのまましばらく、さわぎがつづいていたのですが、あるときパタリと、それが止みました。
不しぎにおもっていると、もどってきた父さま――なぜか左目に青あざができていました――が、もうねるようにと、つげました。
唯依としては、おじさまがどうしたのか、とても気になったのですが、父さまにさからうわけには行きません。
この日は、しかたなく床につく事になりました。
○西暦一九八八年四月二十九日
めずらしくルル兄さまが、お休みとの事でしたので、あさから、くるる木の家におじゃましていました。
今日は一日、唯依の相手をしてくれるというルル兄さまに、とてもうれしい気分になりながら、気になっていた夕べのでき事を、おはなししました。
はなしおえると、また、くうきがかわっている事に気づきました。
何というか、虫ばのいたみを、こらえるような表じょうで、ひたいをおさえている兄さま。
ちょっと、こわかったです。
しばらく、そうしていたルル兄さまでしたが、やがてためいきを一つつくと、『そういう事か』とつぶやかれました。
何の事かとおたずねすると、『唯依が気にする事ではない』とわらって言いながら、あたまをなでてくれました。
兄さま、つごうがわるい事は、あたまをなでてごまかせるとでも?
唯依は、そんな子どもではありません。
そんな事では、ごまかされませんよ!
……でも、けっきょく、ききそびれてしまいました。
た、ただ……そう、ルル兄さまが言われるとおり、唯依が気にする事はない。
そうおもったからです。
決して、あたまをなでられるのが、気もちよくてわすれたわけではないのです。
唯依は、もう小がく生なのです。
そんな、お子さまではありません!
○西暦一九八八年四月三十日
父さまから、いわやのおじさまが、事こに合い、入いんされたときかされました。
おどろいて、お見まいに行こうと言うと、なぜか父さまは、きのうのルル兄さまと同じような表じょうをうかべ、『そのひつようは無い』と言われました。
『いささか、はくじょうなのでは』と、もうし上げると、大した事はないので、かえっておじさまが気にするからと、さとされました。
そう言われてしまうと、唯依としてもつよくは言えません。
とても、気になりましたが、今日は、それで引き下がりました。
おじさま、父さまの言われる通り、大事がなければよろしいのですが……
|