Muv-Luv Alternative The end of the idle

【伏竜編】

〜 PHASE 4 :伏したる竜、鳳の雛と出会う 〜






―― 西暦一九八九年 七月三十日 神根島 ――



 寄せては返す波の音が響く砂浜。

 広げられたパラソルの下、ルルーシュは、専用の暗号回線を経由して、携帯端末に届けられたばかりの報告書に眼を通していた。
 世界は、この瞬間も留まる事無く動き続けており、情報を常に更新しておくのは常識以前の事。
 そう認識していたルルーシュにとって、これは息をするのと同義でもあった。
 そんな中、ふと眼を惹く報告に、彼は暫し黙考する。

イーグル(F-15)のライセンス生産決定か……」

 こぼれた呟きは、わずかに不愉快さを帯びていた。

 今年に入り、ようやく念願の兵器開発メーカーとしての認可を受けた枢木工業であったが、主力兵器である戦術機開発については、帝国軍・斯衛軍のいずれからも、入札資格を与えられてはいないというお寒い現状である。
 まあ、それすらも彼の予測の範囲内ではあったが、実際にやられてみれば不快感を覚えぬ筈もなかった。

 ――開発に参加したければ、まず実績を作れ。

 それが先方の言い分であったが、開発に参加出来なければ実績など作り様も無い。
 要は遠回しに、枢木を戦術機開発に参加させる意思が無いと言っている訳で、裏で動いている既存の戦術機メーカーからの圧力が、それを言わせている事を百も承知な彼にしてみれば、もう少しマシな言い訳を言ってみろと詰ってやりたい気分だった。

 そこに来てこのニュースである。
 あれだけ毛嫌いしてきた米国に頼る決断は出来ても、新しい血を入れる事は断固拒否という彼らの偏った姿勢には、正直、失望を禁じえないと言うのが彼の本音だ。

 ………まあ、それとは別に、心の何処かで、敵を作りまくっている難儀な性格の母の件も、少なからず影響しているのだろうな、とは密かに思っていたりもするのだが。

 とはいえ、である。
 やはり駄目かとの思いは、彼の中で日増しに強くなっていた。
 元々、旧態依然とした政治機構と複雑怪奇な権力構造を持つ帝国には、あまり期待を抱いた事などなかったが、それでも尚、失望感と苛立ちが募っていくのを彼は自覚する。

 ――いっそ飛び出してしまうか?

 そう思う事が、このところ日増しに多くなっていた。
 元々、武家としては、極端に柵が少ない枢木である。
 その気になりさえすれば、いつでも国を捨てる事も出来たのだ。
 それをしないのは、ごく僅かではあるが、彼をこの地に引き留める絆が出来た所為でしかない。
 それさえ無ければ、あるいは………

 ……と、取り留めなく回り続ける彼の思考が、ふと、その内の一つへと繋がった。

「しかし、イーグル(F-15)の導入に踏み切るとはな……良くもまあ、国粋主義者共を黙らせられたものだ」

 この件を、主導していたであろう技術廠の知己達へと意識を移す。
 彼らにとっては、あくまでも第一ステップでしかない今回の一件。
 だが、それが純国産主義に凝り固まった国粋主義者達にしてみれば、許し難い暴挙であり、卑劣な裏切りに見える事を想像するのは難く無い。

 斯衛軍側の知己と同様、今が大事な時期だからと、戦術機開発から弾かれた際にも、口添えを頼まなかった両氏の今後に、そこはかとない不安をルルーシュは感じた。
 彼にしてみれば、逆恨みとしか思えぬ事だが、そもそも逆恨みする程度の小人に、公明正大な姿勢を期待する事自体が間違っているという事も、前世の経験から学んでいる。

「……連中が、このまま引き下がればいいのだ――痛っ!?」

 内心の懸念を呟きかけた彼の頭頂部に、強烈な痛みが走った。
 びっくりしながら振り返ると、片手に持ったサンダルを振り抜いた姿勢の母が居る。
 歳に似合わぬ赤いビキニが、メリハリの利いた身体に良く似合っていた。

「何やってんのよルルーシュ?
 海に来てまで、仕事してるんじゃないの」
「母上……しかし」
「あ〜、口ごたえしない!
 仕事中毒(ワーカーホリック)なのは仕方ないけど、休む時は休みなさい」

 相変わらずの女王様気質で、息子の反論を封じた真理亜は、空いているもう一方の手でテーブルの上の端末を閉じてしまう。
 いつもながらの強引なやり口に、ルルーシュは天を仰いで嘆息した。

「……わかりました」

 そのまま渋々といった風情で、母の言いつけに従うと、閉じられた端末を専用のバッグにしまう。
 そんな息子の反応を、やや白っぽい目で見ていた真理亜は、今の自分の気分に同意を求めるかのように、自身の背後へ声を掛けた。

「ねぇ〜唯依ちゃん、ホントしょうがない兄様よね」

 真理亜の背に隠れ、首だけ出してはモジモジしている女の子が一人。
 今や、ルルーシュを、この地に引き留める最大の絆の内の一つとなった少女――篁唯依。
 そんな自分の立ち位置など、全く認識していない彼女は、白い頬を薄っすらと上気させたまま、母の背後から出てこようとはしなかった。

「………え……えっとぉ……」

 どうにも踏ん切りがつかないといった風情で、逡巡する唯依。
 そんな少女に苛立ったのか、真理亜は強引に身体を入れ替える。

「ホラ、見せて上げなさい」
「キャッ!」

 可愛らしい悲鳴と共に、これまた可愛らしい淡い黄色のワンピースに白いフリルがあしらわれた水着を着た唯依が、ルルーシュの前に差し出される。
 そんな妹分の仕草に、少年の相好も柔らかく崩れた。

「ほぅ……良く似合っているぞ、唯依」
「あ……」

 気負いの無い素直な褒め言葉に、唯依の幼い美貌が赤く染まった。
 それを見た真理亜の口元が、ニヤリと歪む。

「ねぇ〜とっても似合ってて可愛いわよね?」
「ああ、そうだな。
 とても愛らしいぞ」

 黒い尻尾を生やした母の誘いに、ルルーシュはアッサリと乗った。
 その唇から、柔らかな声で、更なる賞賛が放たれる。
 実際、水着姿の唯依は、生来の容貌と相まって、とても愛らしかったのだ。
 骨の髄までシスコン気質に染まった彼にしてみれば、褒めて当然だったのであるが、言われた当人にしてみれば、切れの良いフックを喰らいフラフラになった処で、ダメ押しの右ストレートを貰った様なモノである。

「っ!!
 ……あ、ああ…あ、ありがとうございます、ルル兄様」

 ボンッ!―――とばかりに、擬音が付きそうな勢いで真っ赤になった少女は、裏返った声で礼を言うのが精一杯だった。
 そのまま俯き、全身を赤一色で染め上げた唯依は、嬉しさと恥ずかしさの余り、顔を上げられなくなってしまう。

 そんな妹分の姿を、怪訝そうな様子で眺めていたルルーシュの耳に、能天気な声が聞こえてきた。

「ん〜〜、いやぁ〜爽快、爽快。
 やっぱり夏は、海に限りますよネェ。
 まあ、ジェレミア君は、海は海でも砂の海の真っ只中だろうけどね」
「もう、ロイドさんったら……
 砂漠で苦労しているジェレミア卿に悪いですよ」

 浮き輪にゴーグル、更にシュノーケルまでつけたロイドが、意気揚々といった感じでこちらへと歩み寄ってきた。
 その脇には、いつも通りセシルがついていたが、流石に言い過ぎと思ったのか、眉を顰めて苦言を呈する。

 だが、チラッと脇を見たロイドの眼は、面白そうに輝いた。

「……そういうセシル君だって、遊ぶ気満々じゃないか」
「こ、これはその……」

 思わず言い淀む。
 ロイドの指摘の通り、白いパーカーの下には青を基調としたワンピースの競泳水着が、キッチリと着込まれていた。

 気恥ずかしさに、赤く染まるセシルの耳朶。
 それを、笑いを抑えたルルーシュの声が叩く。

「セシル、気に病む事はない。
 ジェレミアのサポートの為、ハードワークが続いていたのだ。
 少しくらいは休んでも、バチは当たらんだろう」
「ハ、ハイ!」

 主君から与えられた免罪符に、セシルの顔から強張りが抜けた。
 実際のところ、ここ数ヶ月、各地を転戦していたジェレミアのサポート及び彼の率いる部隊から齎される貴重な実戦データの解析等で、昼も夜も無い日々を送っていたのである。
 さすがに、少しは骨休めがしたい気分だったセシルは、そんな心情を的確に汲み取ってくれた主に感謝を捧げつつ、今日ぐらいはと遠い空の彼方に居るであろうジェレミアに手を合わせると、全てを忘れて遊び尽くすべく蒼い大海原へと走っていった。

 そんな年上の少女を、面白そうに見送ったルルーシュの背後で、こちらは完全に寛ぎモードと化した母の声が上がる。

「うん、ありがとう咲世子さん」

 いつの間にやらやって来た咲世子から、よく冷えた麦茶を受け取った真理亜は、ゆったりとチェアーに身を預け、満足そうに寝そべっていた。
 常にマイペースを崩さぬ母の姿に、息子の口元にも苦笑が浮かぶ。

「咲世子は、いいのか?」
「私は、メイドですので」

 こちらも常と変わらぬメイド服を、きっちりと着込んだ咲世子に声を掛ける。
 返って来たのは、予想通りの答えだった。
 この辺は、頑固な彼女を知っているので、ルルーシュとしても無理強いはしない。

 息抜きの仕方は人それぞれ。
 そう思いながら、ようやく復活したらしき唯依の頭に手を置き、いつもの癖から愛おしそうにその髪を撫ぜる。
 再び、頬染めながらも、今度は気持ち良さそうに目を細める少女。
 穏やかな空気が、その場に満ちかける。

 だが、しかし―――

「まぁ……残念ながら、完全な休暇という事にはならないみたいね」

 わずかな苦笑が篭った声が、一同の間にあった雰囲気をかき乱した。
 椅子に寝そべった美女の眼が、こちらに向かって来る褌一丁の巨漢と、その後に続く水着姿の少女達を意味有りげに見る。
 ルルーシュの双眸に、一瞬だけ困った様な色が浮かんで消えた。

「ふぅ……」

 厄介事の匂いに、思わず溜息が漏れる。
 そんな兄の変化を、敏感に感じ取った唯依が、わずかに小首を傾げた。

「ルル兄様?」
「いや、何でもない。
 ……そう、少しジェレミアの事を、思い出しただけだ」

 接近しつつある一行から目線を外し、心配そうに己を見上げる妹分に誤魔化しの答えを返す。
 それを補強するかの様に、紫の視線が、遥か西方へと向けられた。



■□■□■□■□■□



 夜の砂漠の凍える冷気が、風に乗って青年の頬撫でる。
 風に混じる油と硝煙の匂いを嗅ぎ取り、男は不敵な笑みを浮かべた。

「この風、この匂い。
 これぞまさに戦場よ」

 良く通る男の声が、開放された戦術機の管制ユニットから響く。

 ここスエズでは、凡そ一月前のBETAの奇襲から始まった防衛戦が、一ヶ月近い時を経てなお、未だ継続中だった。
 初戦においてBETAの地中侵攻により、縦深陣のど真ん中に奇襲を受け、大混乱に陥った中東連合軍は、奇襲を受けたエジプト軍第三軍の重大な損害を代償として、辛うじて戦線を再構築する事に成功。
 そのまま長期に渡る防衛戦へと移行していた。

 何しろこのスエズを抜かれれば、紅海沿岸も中東連合の手から滑り落ちる。
 そうなってしまえば、彼ら中東連合の手に残された貴重な資源地帯も失われてしまうのだ。
 ましてや、そのままアフリカ大陸まで攻め込まれれば、未だ無傷な資源供給地として残されているアフリカ諸国すらも失陥しかねない。
 そんな破滅的な危機感に襲われた中東連合は、形振り構わぬ国連への増援要請を出すと共に、これまで溜め込んだ資金を惜しげも無く費やして戦力を掻き集め戦線へと投入していた。

 そんな中、傭兵部隊の一つとして潜り込んだのが、彼、ジェレミア・ゴッドバルトが率いる枢木傘下の民間軍事会社(PMSCs)キャメロットの戦術機部隊である。
 このご時勢、独自に戦術機部隊を抱えたPMSCsというのは珍しくは無いが、その殆どが何れかの国家の紐付きであり、色々と後ろ暗い事に従事するのが大半であった。
 当初は、そういった胡散臭さから、遠ざけられていた感のあるキャメロットの一団であったが、苦しい戦況の中、実績を積み上げる事で、徐々にではあるがその立場を好転させつつあり、今では正規のローテーションに組み込まれ、防衛戦に従事する日々となっている。

 そして今夜も―――

『CPよりキャメロット1、ポイントL09にBETA群の侵攻を確認。
 規模は大隊規模、光線属種は未確認、迎撃を要請します』

 待機中の一団に、担当CPからの連絡が入った。
 担当エリアの一角に、迫りつつあるBETAへの対処を求められる。
 軍属ではなく、あくまでも雇用契約でしかない彼らに対するCPオフィサーの声には、普段とは異なる指示出しに僅かな戸惑いが残っているが、それは些細な事だった。

「キャメロット1よりCP、要請を受諾、これより迎撃行動に移る」

 必要な情報を提供し、的確な戦域管制をしてくれるなら文句など無い。
 始めから、そう割り切っているジェレミアは、管制ユニットを閉じつつ、CPへと復唱を返した。
 主機に火が入り、待機状態にあった機体が力強い唸りを上げる。

「行くぞ、キャメロットの(つわもの)共、我等の精強さを、再び見せつけてやれ!」
『『『イエス・マイロード!』』』

 ジェレミアの飛ばした激に従うかの様に、砂漠の冷気と砂塵を避ける為の外套を脱ぎ捨て、鋼の巨人達が立ち上がる。
 電磁伸縮炭素帯が軋みを上げ、オレンジ色に染められた機体を先頭に、一個中隊計十二機が次々に発進していった。

 滑らかな主脚走行(ラン)から水平噴射跳躍(ホライゾナルブースト)へと移行し速度を上げる。
 それでも一糸乱れぬ陣形を維持し続けるのは、中隊を構成する衛士の腕が良い事もあるが、それ以上に、彼らがこの地へと来た本来の理由に拠るところが大だ。

 ――ジークフリード計画

 現在、枢木が新市場開拓の為、推進中のこの計画こそが、その理由である。

 邪竜の血を浴びる事で、鋼の肉体を得た彼の英雄の名を冠したこの計画は、装甲そのものにOBLを組み込んだ多機能装甲(MCA)を主軸とした第一世代戦術機アップデート・システムの開発・運用を目的としていた。
 現在、実験部隊としての任務も帯びているキャメロットの機体には、全てこの計画により開発された装備が施されている。

 目標とされるのは、第二世代機を越えて第三世代機相当、所謂、準第三世代機レベルであった。
 計画自体は、二年近く前から動き出していたものの技術的な難易度が高く足踏み状態が続いてたが、奇才ロイド・アスプルンドの参入により、それも終わりを告げる。
 現在、最も普及している第一世代機ファントム(F-4)にターゲットを絞り、外骨格も兼ねる装甲自体に最新の機体制御システムOBLを組み込む事で、機体の制御能力と即応性を飛躍的に向上させ、併せて装甲の構成そのものを変更し、第二世代機以降の特徴であるトップヘビーな機体バランスを構築、意図的に静安性を落とす代わりに運動性の向上を実現していた。
 これに追加装備として、跳躍ユニットの換装、データリンクシステムを含む電子兵装の更新、肩部モジュールの追加バッテリー搭載による稼働時間延長が加わる事で、仮称ファントム・ジーク(F-4G)は一応の完成を見たのである。

 より迅速かつ簡便な換装、より効果的な性能向上、そして何より安価での対応。

 その三つを基本構想として開発された多機能装甲(MCA)を主体としたアップデートシステムは、耐環境試験も兼ねて幾多の戦場に投入され、ここスエズは都合四箇所目の戦場となる。
 当初は、初期不良等の問題も見られたものの問題点の洗い出しと改修は随時行われ、今では不具合らしい不具合は見当たらなくなっていた。

 近づきつつある任務完了の日と、それを主へと報告する時を思い浮かべながら、砂上を疾駆していたジェレミアの眼が、わずかに険しさを増す。

「フン、あれか」

 明度補正を受け網膜投影される視界の中、砂煙を上げて疾走する異形の集団が映る。

 忌まわしき異星起源種。
 人類の怨敵――BETAだ。

 突撃級を前衛にした、ごくスタンダードな隊形で進む敵の姿に、ジェレミアの口元に獰猛な笑みが浮かぶ。

 ――いい位置に出た。

 砂丘を乗り越えながら、内心でそう呟いた彼は、的確な誘導を成し遂げたCPを賞賛しつつ、素早く段取りを決める。

「陣形を縦型(トレイル)から楔弐型(アローヘッド・ツー)に変更」

 突撃オンリーの壱型ではなく、側面防御も考慮した弐型を選択した。
 個々の技量は高いが、部隊としては、まだまだ練成過程である。
 無理な戦闘で、損害を出す気は毛頭無かった。

 戦闘の合間に弛まず繰り返された訓練の成果か、中隊を構成する三個小隊は、滑る様な機動を維持しつつ遅滞無く陣形を組み替える。

「制圧射撃後、敵群左側面より殴り込む。
 目標は前衛・突撃級の漸減及び後続群との分断だ。
 光線属種が確認されない限り、突撃級を最優先で撃破しろ。
 キャメロット9からキャメロット12、制圧射撃開始!」

 ジェレミアの号令一下、楔の握りに当たる後衛が射撃体勢に入る。

『キャメロット9、フォックス1』
『キャメロット10、フォックス1』
『キャメロット11、フォックス1』
『キャメロット12、フォックス1』

 後衛四機の肩部ミサイルランチャーが次々に火を噴き、こちらの接近に気付き迎撃に移ろうとしていたBETA群の横っ腹に強烈な打撃を与えた。
 無数の火柱が夜の砂漠に上がり、疾走する突撃級と後続の間に明白な間隙が産まれる。
 楔を打ち込むクラックが、刻まれた瞬間だった。

「全機突入!
 左翼は後続からの防御を、右翼は突撃級の尻に一発お見舞いしてやれ」

 換装された新型跳躍ユニットを吹かした高G加速で、楔の刃に当たる二個小隊が空いた隙間に強引に突っ込み亀裂を拡大する。
 ミサイルを撃ち尽したランチャーをパージし、後衛一個小隊が、その後に続いた。

 WS-16C突撃砲が間断無く火を噴くや、強靭な装甲殻の防御を持たない柔らかな背面から突撃級を穿ち、次々と葬り去っていく。
 第一世代機とは到底思えぬ機敏な動きと高速機動が、大型種の迎撃の悉くに空を切らせ、返す一撃が逆にソレ等の命を刈り取っていった。

「足を止めるなよ!
 小型種に取り付かれるぞ」

 噴射地表滑走(サーフェイシング)での高速機動を維持しつつ、突撃砲二門を手にした強襲前衛仕様のファントム・ジーク(F-4G)を駆り、忌々しい異星起源種を血祭りに上げながらジェレミアが吼えた。

 実際の処、高速機動中の戦術機にとって、戦車級以下の小型種は脅威足り得ない。
 戦車級が戦術機殺しとしての価値を持ち得るのは、大抵が損傷や推進剤切れ等で行き足が落ちた状態での話だ。
 よほど運が悪いか、さもなくば注意を怠っているかしなければ、普通は百km超の速度差から跳ね飛ばされるのがオチである。
 欧州で積み重ねた実戦経験から、その事を充分に理解していたジェレミアの指揮に連中の付け入る隙は無かった。

「このまま一気に抜けるぞ」

 そう部下を鼓舞した瞬間、ジェレミアの視線が一際鋭さを増す。
 網膜投影に映るアラートが不吉に輝いていた。
 間髪入れず背後へと向けられた右手の突撃砲が、突撃級の掃討に夢中になり、わずかに速度が落ちた機体に忍び寄る数体の戦車級を撃ち砕いた。

「気を抜くな!
 死にたいかっ!?」

 痛烈な叱責が飛ぶ。
 未だ十代と見える若い衛士は、自分に襲い掛かろうとしていた運命に、真っ青になりつつも頭を下げた。

『申し訳ありません!』
「詫びは後で聞く!
 今は敵に集中しろ」
『イエス・マイロード!』

 わずかに強張った顔。
 だが、そこに怯えまでは無い事を、瞬時に見て取ったジェレミアは、素早く意識を切り替えさせる。
 未だ、戦場のど真ん中にある状態で、問答を交わしている時間など、どちらにも無かった。
 若い衛士も、その事は分かっているのか、短く復唱するや、再び、敵前衛を削る事に注力し出す。
 その切り替えの早さに、ジェレミアは満足そうに笑った。

 ――いい衛士だ。

 胸中で一つ呟く。
 まだ若いが故の荒さはあるが、あと数年生き延びれば、一流と呼ばれる域に辿り着くのは確実だった。
 いや、彼だけではない。
 この部隊を構成する衛士は、自分や真理亜が、これはと見込んだ逸材ばかり。
 いずれは、ルルーシュの剣として、彼の率いる軍の中核となるべき男達である。

 だからこそ、こんな処で犬死させる訳にはいかないのだ。
 それでは国に帰って後、主君に合わせる顔が無い。

 そう心に誓ったジェレミアは、最後の一鞭を打った。

「このまま敵集団を貫き、右側面から反時計周りで連中の後背を突く」

 突撃級により構成されていた前衛は、乱入したキャメロット中隊に背後から削り捲られた結果、ガタガタの状態に成り下がり、既に防衛側の外周陣地を蹂躙する力を失っていた。
 後は、後背に部隊を展開し、前面の陣地との間に挟み込んで磨り潰す。

 一瞬で戦況を見極め、判断をつけたジェレミアは、再び、部下達に喝を入れた。

「各機、足を止めるなよ!
 止めたら死ぬぞ!」
『『『イエス・マイロード!』』』

 打てば響くような応え。
 ジェレミアの頬に不敵な笑みが浮かぶ。

「いい返事だ―――行くぞ!」

 再び二門の突撃砲が唸り、120_砲弾が前方を塞ごうとしていた要撃級を血と肉の塊りに変えた。
 部隊先頭で勇戦する指揮官に感化されたか、他の中隊機も次々にBETA共を血祭りに上げていく。
 そのまま疾走するキャメロット中隊は、程なくしてBETA群を貫き、その右側面へと抜けた。
 同時に、CP経由の伝達により、それを待っていた前方外周陣地から砲撃が開始される。
 次々と放たれた面制圧射撃の砲弾が、完全に突撃衝力を殺されたBETA共の頭上へと降り注ぎ、大型種・小型種の区別無く、均等に、平等に、全てを粉砕していった。

 もはや、進む事も退く事も叶わなくなった異星起源種達。
 そんな連中に、最後の災厄が襲い掛かる。

「撃てぇ!」

 米国P&W社製跳躍ユニットの機動力を生かし、背面展開を素早く完了させたキャメロット中隊十二機による砲撃が開始された。
 遮蔽物さえない砂漠の只中、前後から挟み撃ちにされる形となったBETAには逃げる場所も防ぐ術も無い。
 砲火が閃く度に、赤黒い血と不気味な色の内臓器官が、白い砂漠を汚濁で染め上げていった。
 これまで同胞達を、好き放題蹂躙してきた忌まわしい化け物達が、血飛沫を上げて斃れていく姿に、陣地の各所から歓声が上がり、砲手達の引き金を引く指にも更に力が篭る。 それが戦況が、完全に確定した瞬間だった。

 そして三十分後、ジェレミアの目論見通りに、前後から挟撃される形となった大隊規模のBETA群は、アッサリと磨り潰され、砂の海に醜い躯をさらす事となったのである。



■□■□■□■□■□



「ああ……ウミ、うみ、海ぃぃぃ……」

 遥か窓外を虚ろな目で見つめる男の呻きが室内に響く。

 普段は精悍なナイスミドルとして、技術廠内の女性士官から熱い視線を注がれている彼だったが、これを見れば百年の恋も一瞬で醒めるだろう。

『いや案外、母性本能を刺激されて、積極的になる者が現れるか?
 そのまま身を固めて、自分の娘が出来れば、少しは落ち着くんじゃないのか?』

 などと埒も無い思考をを巡らせつつ、先ほどから無視して作業を進めていた篁も、流石に鬱陶しくなったのか、白っぽい目付きで諦めの悪い親友を睨みつけた。

「いい加減、諦めろ巌谷」

 ビクンッと友の背が震えた。
 そのまま熱病にでも罹ったかの様に震える身体が、こちらへと向き直る。
 振り返った面に浮かぶ憤怒と嫉妬の表情に気圧され、篁の身体がわずかに仰け反った

「クッ、父親の余裕か?
 その気になれば、いつでも唯依ちゃんと海に行けるという余裕なのか!」

 ダンッとデスクを叩き、身を乗り出してくる巌谷に、篁の頬が引き攣った。
 友の怒りに触発され、負けじとばかりに立ち上がった男は、胸中の奥底に沈めてあった不満をブチまける。

「行ける訳なかろうが!
 俺達の現状を考えろ、現状をな!」

 そう行ける筈が無い。
 本当なら自分だって行きたかったのだ。
 眼の中に入れても痛くない愛娘との貴重な思い出の時間を作りたくない筈が無い。

 謹厳実直な仮面を割って覗いた親友の心情が伝わったのか、憑き物が落ちた様な顔になった巌谷は、そのままがっくりと頭を垂れた。

「ううっ……無念だ……」

 絞り出されたその一言は、巌谷の魂の叫びであり、そして篁のそれでもあった。

 技術的難易度の高さから停滞していた耀光計画であったが、表面的にはイーグル(F-15)をライセンス生産する事で技術蓄積を図り、問題を打破する事を選んだ一派が主導権を取る事で一応の進展を見せた形にはなっている。
 だが実態はと言えば、導入派と国産派の綱引きは、水面下で未だ続いている状態にあり、そんな中、国産派の旗印になる事を拒んだばかりか、イーグル(F-15)導入を推進した両名は、彼らの憎しみや恨みを最高値で買う形となっていた。

 流石に直接的な暴力まではエスカレートしなかろうとは踏んでいたものの、少なからぬ嫌がらせや警告は頻発している昨今、万が一にも愛娘が危難に巻き込まれる事は避けたいとの考えから、断腸の思いを堪えて唯依と距離を取って来た親馬鹿コンビである。
 とはいえ、心の癒しを遠ざけた結果、ストレスは溜まり、更に国産派との折衝で、神経をすり減らす日々が続いた末が、先ほどのアレであった。

 落胆のあまり目の幅涙を流しつつ、黄昏る巌谷を横目に見ながら、篁も息抜きを兼ねて窓辺へと近づいた。
 無意識に懐を探る右手の指先が硬い感触を覚える。
 取り出されたアンティークの懐中時計を、篁はジッと見つめた。
 米国留学中に知り合った人物から贈られたソレを、懐かしむように撫でる。
 遠き日の記憶が、男の脳裏に浮かび、そして消えた。

 篁は、再び時計を懐へとしまうと回想を断ち切るように一つ溜息を吐き、気を取り直す為に窓外を見下ろす。
 眼下に見える敷地内に、何かの資材と思しき物を抱えた人型の機械が見えた。

「……メアフレームか」
「枢木のところの新製品だな。
 斯衛では見向きもされていない様だが、帝国軍内では工兵隊や歩兵に大人気だそうだ」
 思わず零れた呟きに、いつの間にやら隣に来ていた巌谷が応じた。

 枢木を嫌う斯衛軍上層部の中では、(戦術機)ではなく(建機)を造ったと悪口が囁かれる代物ではあったが、巌谷の言う通り、帝国軍内では工兵隊や歩兵から人気を集めている。
 各々の分野では、それ専用の土木作業機械に劣るものの工事や運搬の各工程でオールマイティに使える分、使い勝手が良いと好評を博していた。
 特に通常の建機では、到底入れぬ山奥にも人型故に踏み入れ、また急斜面等でも備え付けのハーケンを打ち込んで作業が行える為、山岳部ではえらく重宝されているらしい。
 現在、民需、軍需を問わず飛ぶ様に売れており、輸出品目としても増加傾向にあるとの事で、枢木の関係者は皆ホクホク顔との噂だった。

「乗ってみたか?」
「ああ、まあな。
 正直かなりのモンだと思うぞ。
 造りがえらくしっかりしている上に扱い易い」

 場の空気の入れ替えも兼ねて水を向けると、相応に関心があったのか巌谷もアッサリと乗ってきた。
 実際の乗った感じとしても好印象だったのも、それを後押ししている。
 衛士としての感覚的なモノではあるが、戦術機のそれとは異なる芯が入っている様な感覚が、巌谷的にはポイントが高かったのだ。
 そんな親友の感想を的確に理解した篁は、わずかに笑みを浮かべると技術将校としての意見を述べる。

内骨格構造(MFS)を採用しているからな。
 単純な機体強度のみを問うなら戦術機以上だろう」
「結構、詳しいんだな。
 調べたのか?」
「一通り調べさせて貰った。
 非常にバランスの良い機体だったよ。
 新機軸の機械としては、信じられない程の完成度だ」

 意外そうな顔を見せる巌谷に表向きは軽く答えるが、その内心はひどく複雑だ。
 己だけでなく、一緒に調べた技官達が、揃って舌を巻く程にメアフレームの完成度は高い。
 基本的には戦術機の技術を応用しつつも、今までに無い新機軸の機構を幾つも備えており、そしてそれらを無理なく融合させ、一つの機械(システム)として完成させていた。
 戦術機とは異なる可能性の萌芽と言っても過言ではない機体。
 アレを造り出した人物――ロイド・アスプルンドは、紛れもない天才と言えよう。

 だが、それ故に……

「まったく、あれだけの技術があるんだから、戦術機開発に参入させても良かろうに」

 篁の内心を悟ったかの様に、巌谷が痛いところを突いて来る。
 生真面目そうな表情に、一瞬、苦い色が走った。

「無理だな。
 国内の戦術機メーカーは、飽和状態に近い。
 新規メーカーの参入は、彼らにとっては死活問題だろう」

 ――ましてや、既存の技術を軒並み引っくり返しかねない代物を、産み出すような相手なら尚更だ。

 と、言葉に出来ぬ思いを内心で呟きつつ、篁は疲れたように首を振る。
 そんな友の態度に、巌谷は不満そうに舌打ちした。

「チッ……そんな事、言ってられる状況じゃないだろうが。
 こっちにしてみれば、少しでも優秀な技術が欲しいんだぞ」
「それでもだ。
 それに機体構造が、根本から違っているのもネックだな。
 もし、枢木を戦術機開発に参入させようとしても、必ずその点を突いて潰しに掛かるだろう」

 そうしなければ、自分達が潰される。
 目端の利く者なら、間違いなくそう判断するだろう。
 いや、そう判断したからこそ、彼らは一致団結して枢木を弾いたのだと、篁は確信していた。

 一方、どこか引っ掛かる友の態度に、巌谷が怪訝そうな視線を向ける。

「お前、さっき内骨格構造(MFS)の方が、優れているみたいな事を言ってたろう。
 それなら戦術機の機体構造を、そちらに切り替える事も視野に入れるべきじゃないか?」

 更に痛いところを突かれた篁の顔が、苦味を帯びて歪んだ。
 この話題を振った事を後悔するが、文字通りの後の祭りである。

 そもそも機体構造そのものを変えるという事は、それまで蓄積してきたデータを全て捨てるに等しかった。
 全てを捨てて相手の土俵に乗るなど、メーカーにして見れば自殺行為でしかなく、到底、乗ってくれるとは思えない。
 そして今の状況で、メーカー側との関係を拗らせる訳にはいかなかった。

「………無理だ。
 それに強度が上がるとは言ったが、優れているとまでは言ってない」

 妥協せざるを得ないとの判断から、不義理を承知で篁は現行の機体の肩を持つ。
 唯一の救いは、それが現時点では嘘ではないという事だけだ。

 煮え切らない篁の返答に、巌谷が不審気に首を傾げる。

「どういう意味だ?」
「戦術機が産まれてから十数年。
 その間の試行錯誤において、機体構造を内骨格に変更する事は、当然の如く考えられたが、結局は没になった」

 これは事実だった。
 外骨格(モノコック)よりも、内骨格(ムーバブルフレーム)の方が、強度的に優れている事は、技術者達にとっては周知の事実でしかない。
 だが、その当時では解決し切れない問題が、内骨格構造(MFS)の採用を否定したのだ。

「ほう……何故だ?」
「機体内のスペースの問題だ。
 内骨格構造(MFS)にするという事は、当然、骨格を入れる分だけ機体内の利用可能スペースを圧迫する事になる」

 それが内骨格構造(MFS)の持つ回避不能なデメリットだった。
 そもそも機体内の利用可能スペースが圧迫されるという事は、搭載可能な機材が制限されるという事でもある。
 それはそのまま機体の機能を制限する事にも繋がる訳で、強度を上げる代わりに機能を削らなければならないというジレンマを産み出す結果となったのだ。

 兵器としての強度と性能。
 共に捨て難い二つの要素を、天秤に掛けた開発者達が、苦心の末に辿り着いたのが――

「――結果、戦術機の機体構造は現在の内骨格外骨格併用構造(セミ・モノコック・ストラクチャ)に収斂していった訳だ」

 強度においては完全内骨格に劣り、利用可能スペースにおいては完全外骨格に及ばない。
 悪く言えば中途半端であり、良く言うなら双方の特性をある程度生かせるという折衷案。
 それが現在の戦術機の大元となっていた。

 不服そうに目を閉じていた巌谷が、諦めたように口を開く。

「成る程な……そういう訳か」
「ああ、そういう訳だ。
 それに恐らく彼は、そこまで承知の上でメアフレームを造らせたんだろう」

 ようやく納得してくれた友に、胸中でホッと一息ついた篁は、自身の予想を口にする。
 あの恐ろしい程に怜悧な少年なら、その辺まで計算していても不思議はなかった。
 ……まあ弾かれた事を、不快に思うかどうかまでは不明であったが。

「他の企業とは、全く別分野で勝負を掛ける為にか?」
「ああ……あれほど切れるルルーシュ君が、現状を理解していない筈が無い」

 事実、彼は、枢木は戦術機開発から外された。
 様々な思惑による物であろうが。

 だが、めげる素振りすら見せずに、業績を上げ続け、規模を拡大し続けている。
 光菱や富嶽、あるいは河崎にしてみれば、脅威としか思えない速度でだ。

 このまま行けば遠からず、枢木が日本最大の企業へと伸し上がる日が来るだろう。
 今あるパイの取り分に血道を上げるより、新しいパイを次々に作り出し、それを思う存分貪る方が、伸び代が大きいのは当たり前の事だ。

 恐らくは、今あるシェアを守る事だけに汲々としている既存のメーカーや、その尻馬にのった軍部を、内心では軽蔑しているだろう事は想像に難くない。

 同じ思いに到ったのか、巌谷が苦い表情で呟いた。

「……何となく、見限られている様な気がするのは、俺だけか?」
「安心しろ、私も同じだ」

 枢木が、ルルーシュが、いつの日か帝国そのものを見限る時が来るのでは、と思う二人であった。



■□■□■□■□■□



 打ち寄せる波間に、微動だにせぬまま屹立する男の影があった。
 腰まで海に浸かる鍛え抜かれた巌の様な巨躯が一際大きく膨れ上がる。

「はぁぁ〜〜」

 繰り返される力強い息吹。
 積み重なるごとに鋼線を縒り合わせたような筋肉に力が満ちていき、それが臨界へと到る瞬間――

「どおぉぉりゃぁっ!」

 気合一発、海面に放たれた掌底が巨大な水柱を産み出した。
 吹き上がる水飛沫が、男の巨躯をも覆い隠す。

「おぉぉぉ!」
「……本当に人間?」
「相変わらず非常識な……」

 機雷でも爆発したかのような光景に、見守っていた一同の口から感嘆と呆れの呻きが漏れた。
 そんな一同を他所に、水中衝撃波を喰らい浮かび上がった魚達を、両腕一杯に抱え込んだ紅蓮が、意気揚々と浜辺に戻ってくる。

「大漁、大漁。
 これだけあれば昼飯には充分であろう」
「お疲れ様です、紅蓮閣下」

 化け物でも見るかのような一同の視線を他所に、相変わらずマイペースな咲世子が、ニコニコとして紅蓮を出迎えた。
 いつの間に用意したのか大きめの籠を差し出すと、紅蓮は手に持った獲物をドサドサと放り込んでいく。

「うむ、調理を頼むぞ」
「お任せを、腕によりを掛けて、仕上げてご覧にいれます」

 上機嫌そのものといった紅蓮に、咲世子も相槌を打つ。
 小気味の良い応対に、紅蓮が楽しげに哄笑した。

「ハッハッハッ、楽しみにしておるぞ」
「はい、それでは」

 そのまま一礼をして、別荘の方へと戻っていく咲世子を見送った紅蓮は、皆の方へと振り返った。

「ふむ、どうだ悠……楽しんでおるか?」
「あ、はい、紅蓮……おじさま」
「………」

 紅蓮の問い掛けに戸惑いながら応える六歳程度の少女とその脇でムスっとした顔を隠さぬやや年長の少女。
 どちらも幼いながら整った容姿には、将来性を大きく期待させるモノがあった。
 紅蓮の厳つい顔に、嬉しげな笑みが浮かぶ。

「それは重畳、まあ普段は色々とあるのだから、今くらいは楽しむが良い」
「はい」

 そう言われて悠と呼ばれた少女は、儚げに微笑む。
 それを見て、一つ頷いた紅蓮は、成り行きを見守っていたルルーシュへと水を向けた。

「――という事で、頼むぞルルーシュ」
「何が、という事なのか聞きたいところですが、答えては貰えないのでしょう?」
「分かっておるではないか。
 なに、篁の娘同様、妹と思って相手をしてくれれば良い」

 そう言って、己の背後に隠れようとする悠を、ルルーシュの前に押し出してきた。
 一瞬、慌てたような表情を浮かべた少女であったが、観念したのかルルーシュに向けて頭を下げてくる。

「よろしくお願い致します」
「ああ……よろしく」

 互いにぎこちなく挨拶を交わす。
 実を言えば、これが双方にとって初めて交わす言葉でもあった。
 何故なら……

「お待ち下さい!」

 先ほどから、露骨に二人の接触を邪魔していた年嵩の少女が、堪りかねたように両者の間に割って入る。

「このような男に、悠――の事を任せる事など出来ません!」
「真耶さん?」
「悠の面倒は、私が見ます。
 コヤツの様な半端者など不要です」

 隠し様の無い敵意を込めた真耶と呼ばれる少女の反応に、ルルーシュの口元が歪んだ。

「ほう、随分とデカイ口を叩く」
「黙れ、武家の誇りを忘れた恥知らずが!」

 軽い挑発に、痛烈な罵声が返された。
 さすがに非礼と感じたのか、悠が真耶の腕を掴んで止めようとする。

「真耶さん!」
「っ!……お下がり……なさい、悠。
 このような下郎に近づいてはなりません!」

 わずかに言葉に詰まりつつも、自分を楯とするかのように悠を背に隠す真耶。
 一方、面と向かっての下郎呼ばわりに、流石のルルーシュも、少しカチンと来たらしい。
 形の良い眉がわずかに釣り上がり、真耶を見据える視線が鋭さを増した。
 対して、相手の敵意を感じ取った真耶も、無意識の内に身構える。
 一触即発の空気が、両者の間で満ちるが、それは発火する事無く霧散した。

 ――第三者の介入によって。

「いい加減にせんかぁっ!」
「「――ッ?」」

 強烈な一喝に、肩を竦める悠と真耶。
 一方、長い付き合いから紅蓮の反応を予期していたルルーシュは、ちゃっかりと耳を塞いでいたりする。

「真耶、どうしてもと言うから連れてきたというに、その態度はなにか!」
「そ、それは……しかし!」
「もういい!
 悠の面倒は、ルルーシュに見てもらう。
 お主は、少し頭を冷やしておれ!」
「なっ?」

 一方的な紅蓮の宣言に、言葉に詰まる真耶。
 だが次の瞬間、それすらも粉々に粉砕する事態が彼女に襲い掛かる。

「反重力乃嵐ぃぃぃ!」

 水着に包まれた小柄な少女の身体が、高々と天空を舞った。



「……相変わらず自重しないというか、なんというか」

 ――女の子に、アレはないでしょう。

 などと呟きつつ、海中に没する真耶を遠目に見送った真理亜は、テーブルの上のアイスティーを啜る。

「しかし案外、狸よね」

 視線の先では、紅蓮の姪と称した少女・悠が、ルルーシュの前で畏まっていた。
 無論、長い付き合いである真理亜は、紅蓮に姪など居ない事を知っているし、それはアチラも重々承知している。
 これは、互いに相手の手札、思惑を、承知の上で行われる女狐と大狸の化かし合いであった。

「……まあ、ここにも子狸が居るけど」

 チラリと傍らを見る。
 頬膨らませ、まん丸顔になった唯依が居た。
 いい感じにぷっくりと膨らんだ頬は、真理亜の評した如く、子狸そのものに見える。

 但し、『極端に虫の居所が悪い』と形容が付くのだが………

「唯依は、子狸ではありません」

 そんな印象を肯定する様にムスッとした表情で応えると、手に持ったオレンジジュースを音高く啜る。
 不機嫌そうに細められた紫の視線の先には、どこかぎこちない風情を漂わせつつも、水遊びに興ずる少年と少女が居た。
 唯依の手の中で、グラスの氷が甲高い音を鳴らす。

「………」
「行かなくていいの?」
「……ルル兄様なんか、知りません」

 頬をプクッと膨らませたまま、少女は、そう言い切った。
 だが、チラチラと忙しなく動く彼女の目線が、その言葉を裏切っている。
 気になって気になって仕方が無いと、全身で主張している唯依を前に、真理亜の口元がニンマリと歪んだ。

「……まあ、女房と畳は新しい方が良いというし、妹もそうなのかしらねぇ」

 ビクッと唯依の背が震えた。
 驚いたように向けられた眼に、戸惑いと微かな怯えがたゆたっている。

「唯依ちゃんが、良いって言うなら、まあ仕方無いわよね」

 腹の中でケラケラと笑いつつ、神妙な顔で性悪女狐が告げた。
 唯依の整った容貌が、今にも泣き出しそうに歪む。

 本音は、不安で不安でしょうがなかったのだ。
 大好きな兄を、見ず知らずの少女に盗られてしまいそうで。

 そんな不安に苛まれる哀れな少女に、情感タップリな一言が、グサリッと止めを刺す。

「嗚呼、可哀想な唯依ちゃん。
 飽きられてボロ雑巾の様に捨てられてしまうのね、こうポイッと」

 砂を蹴る音が鳴った。

「……まあ、あの娘がルルーシュの妹分になる、な〜んて事はあり得ないんだけどね」

 無人となった椅子に向かい、どこか醒めた響きを帯びた真理亜の呟きが漏れる。
 そのまま残ったアイスティーを飲み干すと、ヤレヤレといった風情で首を巡らした。
 転じた視線の先には、ルルーシュの右腕を抱え込み、悠という少女を威嚇するように睨みつける唯依が居る。

 まるで、子犬が毛を逆立てているかのような光景に、真理亜の口元が楽しそうに綻んだ。


■□■□■□■□■□



「お〜い、三番のヤツ持ってきてくれ!」
「こっちは交換だ!
 間違っても捨てるなよ、データ取りに回せ」

 喧騒の中、整備に、データ取りにと勤しむスタッフ達が忙しなく動いていた。
 仮設ハンガー内を小柄なライト・メアフレーム数機が、音をたてて走り回りながら、あちこちへと資材を運び、或いは、貴重なデータ収集の材料として本社へと送り返す消耗した部品を運び出していく。
 戦闘が終わってもキャメロットの者達の忙しさは変わらなかった。
 いや、実験部隊であるキャメロット中隊にしてみれば、実戦データの収集こそが主目的でもある為、これから先が本当の戦いとも言える。

 そうやって慌しく動くスタッフ達を見ながら、CPから譲って貰った明け方の戦闘詳報をザッと斜め読みしたジェレミアは、面白くなさそうに呟いた。

「主攻は別方面であったか。
 道理で歯応えが無かった筈だ」

 どうやら自分達が相手にしたのは、防衛線全体に襲い掛かった内の小集団の一つであったらしい。
 主力と思しき師団規模のBETA群に襲撃を受けた陣地の一角が、大損害を被った上、放棄された事が記載されていた。
 光線属種が居なかった以上、当たり前とも言える事だったが、ジェレミア的には不満が募る。
 そんな部隊長を宥めるように、湯気の立つ珈琲を差し出しながら、副長を務める男が声を掛けてきた。

「そうは言われますが、一個中隊で大隊規模のBETA群を殲滅したんですよ、充分な戦果ではありませんか」
「まあ、そうだがな。
 だが我等の武名を上げるには足らんよ」

 受け取った珈琲を飲みながら、ジェレミアは苦々しそうに呟く。
 不満気な様が、ありありと浮かぶ物言いに副長は首を傾げた。
 陣地から砲撃の援護があったとは言え、先の戦闘での殊勲が前衛の突撃級を切り崩した自分達にある事は多くの者が認めている。
 CPが、一介の傭兵風情に戦闘詳報を融通してくれる事自体、彼らが高く評価されている事を示していた。

 だが、この歳若い隊長は、それでも不足と言い切っている。
 男は、戸惑い半分、興味半分と言った様子で、疑問を投げかけた。

「足りませんか?」
「足らん。全く足らん!
 いずれは、あの方も戦陣に立たれる。
 それまでに我等の勇名を鳴り響かせ、ルルーシュ様が率いるに相応しい軍に育て上げねばならんのだ!」

 背後に燃え盛る炎を幻視したくなる様な熱さで、拳を握り締めて語る。
 ジェレミアにとっては、それは至極当然の事だった。

 己の主君が率いるは、最優にして最強の軍であるべき、と。
 一片の疑いもなく信じ、それを実現する事こそが、己が忠義の証と心に刻んでいるのだから。

 ―― 我等、一騎当千、万夫不当の精鋭足らんと欲す。

 天を目指して、拳を振り上げんばかりに彼は燃えていた。

 一方、副長はというと……

「はぁ……」

 あ〜また始まった、とばかりの表情で、困惑気味に返事を返す。

 彼とってキャメロット、いや、枢木に仕える形でこの戦場に来た以上、それ相応の忠誠心は持ち合わせていた。
 そもそも、元は黒の斯衛にまでなった身が、傭兵になどなったのも、元上官であった真理亜への尊敬と忠誠があったればこそだ。
 だからこそ、敬愛する上官をイビリ出すような形――実際は違うのだが――で放逐した斯衛軍、ひいては城代省には、少なからず含む所もあり、また無位無官の身となった自分を拾ってくれた真理亜への恩義、そしてその息子であるルルーシュに対しても、充分な思い入れはある。
 もし、ルルーシュの身に、凶刃が迫る様な事があれば、己が身を楯にする事も厭わぬ覚悟もあった。

 だが、その彼をしても、目の前で燃えている隊長のそれには、遠く及ばないと自覚してしまう。
 それほどまでに、ジェレミアの忠誠心は熱かった。
 そう、暑苦しい程に、暑かったのだ。

 そうやって、精神的にちょっぴり退いている副長の前で、思う存分、思いの丈を開陳していたジェレミアが、不意に、面白くなさそうに吐き捨てる。

「……とはいえ、並行して新装備の試験も、行わねばならんのだがな」

 またまた意味不明なセリフに、再び、副長は首を傾げる。
 新装備の実戦テストは、ほぼ成功と言っていい状態と、彼は認識していたからだ。

 最も過酷な戦場の一つである砂漠戦においても、ジークフリード計画により産み出された彼らの愛機達は、不平一つ洩らす事無く戦場を駆け抜け、誰一人として脱落する事無く今日まで過ごしてきている。
 兵器を評価する上で、最も重要な要素である実戦証明(コンバットプルーフ)としては、充分な戦果とデータを上げていると断言できた。

 それとも、こちらもまだ不足と言うのだろうか?

 そんな思いを抱きつつ、上官に質問する。

「ですが、もう充分、形になってきたのでは?」
「まあな、実戦使用には何の問題も無い。
 これまで取って来たデータを基に、既に量産化に入ったそうだ」

 意外な返答が返された。
 副長が目を丸くするのを横目で見ながら、ジェレミアは珈琲を啜る。

 OBLを組み込んだ多機能装甲を主軸としたファントム(F-4)のアップグレードシステムが、充分に実戦に耐え得ると判断した枢木は、これまで得られたデータを元に最終改修を施したバージョンの量産を既に開始していた。

 昨日遅く、ジェレミアの所にも、その一報が入ってきている。
 併せて、新たな指示も、また――

「それでは、何も問題が無いのでは?」

 副長の言う通り、全く問題など無かった。
 元々、その件では、ジェレミアにも否やは無い。
 主命とあらば、万難を排してそれを実行するだけだ。

 ただ単に主の下へ戻るのが、当初の予定よりも更に遅れるかもしれないという事だけが気に入らない。
 そうやって何となく面白くない気分になりつつも、ジェレミアは律儀に説明を続けようとした。

「まあ、それなりに別の思惑が………」
「ジェレミア隊長?」

 中途半端に切れた言葉に、副長は不審気な表情を浮かべる。
 その視界の中で、ジェレミアが期待を込めて呟いた。

「……どうやら、そちらも上手くいったかな?」

 そう呟きつつ、内心の期待を押し隠しながら、ジェレミアは精悍な表情を繕った。
 そのまま案内を受けて、こちらへとやって来る浅黒い肌の国連軍士官を迎える。

「キャメロット代表の方ですか?」
「キャメロット代表代行を務めているジェレミア・ゴッドバルドだ」

 誰何の声に、堂々とした態度で応える。

 名乗りの通り、己は主君の代行者。
 だからこそ、侮られるような事は許されない。
 その矜持があればこそ、もし傭兵と蔑む色が見えるなら、ここから先の話はご破算とする覚悟もあった。
 だが、そんな彼の気構えも、今回は杞憂に終わる。

「国連軍・地中海方面総軍第二軍・第七戦術機甲師団所属イブラヒム・ドーゥル少尉であります」

 二十歳そこそこかと思われる青年士官は、惚れ惚れするような見事な敬礼を返してみせる。
 一分の隙も見えない立ち居振る舞いには、こちらを侮蔑する色は露ほども見えなかった。

「……第二軍は、黒海周辺が担当ではなかったかな?」

 これは当たりか?―――と、内心で呟きつつ、一応の確認は取る。

 ここスエズは、一応は地中海方面総軍第三軍の担当範囲だが、紅海沿岸を担当する印度洋方面総軍第三軍との境界にあたる重要拠点の所為で、何かと気を使う場所でもあったのだ。
 妙なトラブルに巻き込まれては面倒とのこちらの思いを察したのか、ドーゥル少尉は苦笑しながら返答してくれる。

「地中海方面総軍司令部の命により、三日前に援軍として派遣されました」
「ふむ……了解した。
 では、ご用件を承ろう」

 その一言で大方の察しはついたジェレミアも、わずかに苦笑しながら頷いた。
 要は地中海総軍と印度洋総軍の綱引きの結果なのだろう。
 劣勢を強いられるスエズ防衛線に印度洋総軍を出しゃばらせない為、身内の第二軍から戦力を抽出して投入したという事だ。
 回された方にしてみれば、いい面の皮だろうが、こちらにしてみれば関係の無い事と言えよう。
 取り合えず問題無しと判断したのが伝わったのか、向こうも要件を切り出してきた。

「第七師団師団長が、キャメロット代表との面会を希望されております。
 よろしければ、お時間を取って頂きたく、お願いに参りました」
「急ぎの用件かな?」
「できれば、可能な限り早くとの事です」

 ここでジェレミアは、しばし沈黙した。
 相手も急な話と承知しているのか、急かす様な真似はしない。
 直立不動の姿勢を保ったまま、こちらの返答を待っている青年の前で、ジェレミアは思考を巡らした。

 これが大西洋方面総軍辺りなら、昔の知己がという可能性もあったが、地中海方面総軍となると、その可能性は低かった。
 ましてや相手は、ジェレミア・ゴッドバルド個人ではなく民間軍事会社(PMSCs)キャメロット代表との面会を希望している以上、そちら絡みの要件という事になる。
 となれば、他の軍と契約している民間軍事会社(PMSCs)を、強引に引き抜くなどという横紙破りも考えにくい以上、答えは自ずと出てきた。

『これもルルーシュ様のご加護か。
 命を受けた翌日に、それを果たす事が叶おうとは』

 なにやら胸中でルルーシュを神格化しつつ、感動に打ち震えるジェレミアであったが、表にまでそれを出すようなヘマは流石にしない。
 そうと決まれば、善は急げとばかりに早速行動を開始した。

「……分かった。
 今すぐでも構わないだろうか?
 幸いローテーションが終わったばかりだ。
 余程の事が無い限り、当分、出撃は無いと思うのだが」

 この地では、昼夜を問わぬBETAの侵攻に、ローテーションを組んで戦術機部隊を手当てしていた為、一度、ローテーションが終われば、次にキャメロットが戦闘待機に入るまでには最低でも半日以上の時間がある。
 余程、話がこじれたりしない限りは、時間的余裕としては充分だろうというこちらの意図を、相手も的確に汲み取ってくれた。

「ご配慮に感謝します。
 正直、こちらとしても有り難いです」

 その返答に頷くと、ジェレミアは傍らに居た副長に残務を託す事にする。
 いきなりな展開に目を白黒させていた副長ではあったが、業務自体の引継ぎに異論がある筈もなく、やや釈然としない顔つきながらも一礼して、それらを引き受ける事で話はまとまった。

「では、行こうか」
「ハッ!
 ご案内させて頂きます」

 そうしてジェレミアは、連絡係から案内役へと早代わりした少尉の先導の下、次なる『戦場』へと駒を進めるのだった。



■□■□■□■□■□



「ふう……」

 寄せては返す波の音が、月明かりに白く照らし出された砂浜に響く。

「星が美しいな」

 深い藍色の空の下、煌く星々を見上げながら、少年は独り呟いた。

 昼間の喧騒が、まるで嘘の様に静かな夜の浜辺。
 海面を渡る優しい風が、彼の下へ心地よい涼を運んで来る。

「あの美しい星空の彼方から、BETAのような醜悪な侵略者がやって来たとは、何とも皮肉な話だ」

 そう言いながらルルーシュは、己が背後を振り返った。
 まるで、そこに居る誰かに話しかける様に。

 いや―――

「そうは思わないか?」
「………気付いていらしたのですか」

 明らかに自分へと向けられた誘いに、浜から少し離れた岩陰より一人の少女が現れた。
 バツが悪そうにしかめられた顔は、悠、いや悠と名乗っていた少女のモノである。
 ルルーシュの頬が、わずかに緩んだ。

「まあな。
 慣れぬ真似などせぬ事だ。
 反って目立つだけだぞ」

 紅蓮辺りに学んだのか、歳に似合わぬ見事な気配の消し方。
 だが、それ故に反って目立つ。
 生命の息吹とも言えるものが溢れているこの島で、それを全く感じさせない箇所があれば、逆に違和感を煽るだけだ。

 悠の頬が、少しだけ赤くなる。

「……すみません」
「謝る事は無い。
 それに忍びの真似事など、貴女がする事ではあるまい」

 相変わらずナチュラルに頭の高い物言いだったが、そこに込められた意味を覆い隠す程ではなかった。
 少女の身体が、少しだけ強張る。
 相手が、自分の正体を当の昔に見抜いていたと悟ったからだ。

「私の素性を、ご存知なのですね?」
「気付いていないのは、唯依とセシル位だろうな」

 唯依は幼さ故、そしてセシルは外国人故の世事の疎さから来るもの。
 一方、妙なところで鋭いロイドは、大まかな事情は察している様だったが、興味が無いのか特に突っ込むという事もなかった。

 少女の目の前で、少年は優雅に、しかしどこか芝居染みた一礼をしてみせる。

「さて、私めに何の御用でしょう………煌武院悠陽様」

 次期将軍殿下たる高貴な少女に、武家のはぐれ者たる異端の少年が問う。

 ―――何の用だ、と。

 言葉こそ丁寧ながら、そこには武家の棟梁たる身に向けるべき敬意は無い、忠誠も無い。
 それを敏感に感じ取りながらも、悠陽は咎める素振りも見せなかった。

 何故なら……

「今の私は悠――紅蓮醍三郎の姪の悠にございます」

 ルルーシュは、小さく肩を竦めた。

 昼間の様子から大人しいだけの少女と思っていたのだが……と、悠陽の評価を付け直す。
 正直、次期将軍殿下と関わるなど、厄介事の種にしかならないとの判断から、怒らせて早めに終わらせる目論見が、あっさりとかわされてしまった。

 だが、それ自体は不快でもない。
 逆に話す程度の価値は有ると判断した少年は、苦笑混じりに言葉を継いだ。

「……では、そういう事にしておきましょうか。
 それでは改めて訊こう。
 オレに何か用があるのだろう?」

 多少の興味を込めて再び問う。
 ルルーシュの纏う空気が変わった事に、悠陽はわずかに戸惑いながら、目を伏せる様にして答えた。

「それ程、大袈裟な事ではありません。
 少し、お話がしてみたかっただけです。
 ……あちらでは、色々と……その……」

 少し言葉を濁しながら、悠陽は別荘の方を遠慮がちに見る。
 その仕草で、お邪魔虫な二人を思い出し、ルルーシュは苦笑した。

「唯依にも悪気は無いのだ。
 許してやって欲しい」

 あの後、ずっと自分にくっ付いて、悠陽が近づくだけで、敵意を露わにしていた唯依。

「それを言うなら、私の方も、真耶さんの無礼を御許し下さい」

 危うく溺れかけながらも執念の生還を果たすや、己とルルーシュの間に再び壁となって立ち塞がった真耶。

 どちらも、どちらであった。
 さすがの紅蓮も呆れ果て、真理亜とロイドは、ニヤニヤと生暖かい眼で見るばかり。
 正直、彼らにして見れば、気恥ずかしいばかりの一日だったと言えた。

 互いの顔に浮かぶ苦笑いに、少年と少女は、相手に対し少なからぬシンパシィを抱く。
 それは、ルルーシュの態度を、少しばかり軟化させる程度には効果があった。

「お相子という事か?」
「……そうですわね」

 笑い合う声が砂浜に響く。
 屈託の無いソレが、先ほどまであった硬い空気を、ゆっくりと解かして行くのを感じながら、悠陽は淡い笑みを浮かべてルルーシュを見つめた。
 注がれる視線から、本題を切り出す意図を読み取った少年も姿勢を正す。
 悠陽は、緊張を解すように軽く咳払いをすると、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「貴方の事は、紅蓮から色々と聞かされておりました。
 ですので、是非一度、お話がしてみたかったのです」
「紅蓮閣下は、どの様に?」

 余計な事を―――内心で、そう思いつつも、素振りには見せずに先を促す。

 会話を交わすと決めた以上は、それ相応の態度という物があるというのがルルーシュの考えだった。
 ましてや悠陽に非がある訳でなし、あえて不機嫌な顔を見せる事も無い。
 それが、この場における彼のスタンスだった。

 そんな相手の内心を知ってか知らずか、促された悠陽は、クスリと小さく思い出し笑いを零すと、とても楽しそうな様子で先を続ける。

「文武に優れた俊英。
 未来(さき)を見通す慧眼の持ち主。
 若くして、会社経営を成功に導いた偉才。
 ……それから――」
「いや、もう結構」

 ――なに言ってるんだ、あのオヤジは!

 少女の口から、立て板に水を流すかの如く、スラスラと流れ出てきた賛辞の奔流にルルーシュの頬が、わずかに赤くなる。
 そんな相手の反応に、悠陽は翳した手の平で隠した口元を面白そうに綻ばせた。

「ふふっ……兎に角、褒め言葉ばかりでした。
 まるで自慢の息子を、褒める様に―――
 だから真耶さんも、妙に貴方を意識してしまった様です」

 少年の眉が、わずかに寄る。
 少女の言葉の意味が、掴めなかったからだ。

 紅蓮が自分を褒める事で、何故あの生意気な小娘が自分を意識する?

 その辺りの繋がりが、いまいちピンと来ないルルーシュは、戸惑いを帯びた呟きを洩らす。

「……意識、ですか?」
「ええ、真耶さんは、私の近侍となるべく、昔から色々と努力されていましたから」

 ますます怪訝そうな顔になった。
 そんなルルーシュの反応に、何かに気付いた表情を浮かべた悠陽は、恐る恐るといった様子で問う。

「もしかして、ご存知無いのですか?
 紅蓮が貴方を、私の近侍として推している事を」
「………初耳だな」

 そう初耳だった。
 彼は。

 紅蓮から、幾度となく打診があったのは事実だが、その全てが真理亜のところでシャットアウトされ、ルルーシュにまでは伝わっていなかったのだ。

 当人に全く知らせず断るのは、どうかとも思うが、伝える意味が無いとして、伝えなかった真理亜の判断も、あながち間違いとは言えまい。
 少なくとも、彼の今後の予定表には、政威大将軍の近侍になるという項目は、一字たりとも存在してはいなかったのだから。

 互いの間にあった些細な認識違い。
 それに気付いた悠陽は、微かに落胆の色を浮かべながらも、気を取り直し言葉を継いだ。

「……そうですか。
 まだ公にはなっていませんが、紅蓮が貴方を推挙しているのは事実です」

 そう言いながら、自分を真っ直ぐに見る少女の視線に、ルルーシュはわずかに興味を覚えるが、返す言葉は常識の範囲を超える事は無い。

「フム……しかし、それは有り得ないだろう。
 次期将軍殿下の側近ともなれば、最低でも『赤』でなければ周囲が黙ってはいない」
「ええ、周りの方々の殆どが、反対されています。
 ………しかし、それでも紅蓮は、強硬に貴方を推しているのです」

 ――私にとって、きっと必要な方だからと。
 ――だから会ってみたかった。あの紅蓮が手放しで褒める人に。

 それなのに、目前の少年自身が、それを否定する。

「買い被り過ぎだな。
 オレは、武家でありながら、金儲けに精を出しているはぐれ者だ」

 自虐――いや、それを装っただけの謙遜を返す少年に、悠陽は思わずムキになる。

「そうでしょうか?
 貴方の、いえ枢木のやられた事を調べさせて頂きましたが、私には、そうは思えません」

 そう、そんな筈が無いのだ。

 新型OSの開発は言うに及ばず、様々な分野での枢木の隆盛に伴い輸出は増え始め、失業率は下がり出している。
 国を豊かにし、民の生活を安んじるという観点から見れば、ここ数年の枢木の貢献は充分以上に賞賛に値するものだ。

 そんな枢木を非難する者は、現実が、民が、見えていないだけ。
 武家社会という狭い世界に安住し、外を見ない、見ようとしていないだけだと少女は断じる。
 そして、だからこそ――

「それに比べて……私は……」

 未だ、何も成せぬ身である己を、悠陽は恥じた。

 物心つく前から、次期政威大将軍最有力候補とされてきた少女は、様々な分野で最高の環境と最高の師を与えられていたが、それらの教育により蒔かれた種は、未だ実を結ぶ機会を得る事はなかった。
 いや、それどころか、この先も実を結ぶ日が来るかどうかすら分からぬ有様。
 特に、ここ一年程は、第二次大戦の敗戦と米国の占領政策により、名誉職へと追いやられてしまった将軍という存在の無力さを、学べば学ぶ程、理解できてしまう彼女の聡明さが仇となり、彼女自身を徐々に追い詰めていく日々が続いていた。

 そんな中、数少ない信頼できる臣下である紅蓮が、折に触れ話してくれる少年の逸話。 己の無力さをヒシヒシと感じ取っていた悠陽にとって、さして歳も離れていない少年が次々に成し遂げていく業績の数々が、彼女の劣等感を刺激すると同時に、強い興味を抱かせたのは、ある意味、必然でもあった。

 今回の来訪も、半分は彼女から紅蓮にねだった結果である。
 そして、良い顔をしない家中の者達を強引に説得して来たこの島で、彼女は彼に出会った。

 底知れぬ程に深い知性と強き意志を宿す瞳は、とても綺麗で印象深い輝きを帯びていた。
 ただ其処に居るだけで、無視しようの無い強烈な存在感を有する彼は。

 ―――紅蓮の語った逸話の全てが、紛れも無い事実である。

 そう確信させる程に、鮮烈な覇気を伴い、彼女の前に現れたのだ。

覇王(ダイナスト)

 その一言を、否応無しに連想させる。
 そんな彼を前にして、彼女の劣等感は更に煽られ、それ故に、より強く興味を掻き立てられた。

 燃え盛る焔に惹かれ、我が身を焼かれる羽虫の如く。
 どうしようも無い程に、惹かれてしまった。

 何を思い、何を考え、何を求めているのか?
 どうすれば、そんな風に成れるのか、と。

 憧憬と羨望、そして僅かばかりの嫉妬と共に、悠陽はルルーシュを仰ぎ見る。

 まるで夜空に輝く星を見るが如く。
 決して届かぬと諦めかけた者の瞳で。

 ルルーシュの眉目が、ホンの少しだけ寄った。

「オレから見れば、貴女も充分優秀だと思うが……」

 彼は、世辞ではなく、本心からそう思っていた。
 初めて唯依に会った時は、歳に似合わぬ聡明さに驚いたものだったが、いま目の前に居る少女は、明らかにそれを上回っている。

 だが同時に、それが余り幸せな事では無いという事も、彼は理解していた。
 それは、彼女が子供のままで居る事を、許されぬ立場に居る事を示していたから。

 環境が人を作るとは良く言われる話だが、恐らく悠陽は、その典型例なのだろう。
 形骸化した存在であるとは云え、いや、だからこそ次期将軍という立場のもたらすものは重い。
 何かを為す力を持たぬ存在が、人々の希望と期待を一身に受ける矛盾と歪み。
 それは、本来なら何の屈託も無く笑って過ごせる筈の年代の少女に、今の様な苦渋に満ちた表情を覚えさせる程に重かったのだろう。

 その事が、ルルーシュの不快感を、強烈に刺激する。
 何故なら、彼も又、子供である事を許されなかった過去があるから……

 だからこそ、そんな悠陽に対し、ある種の親近感を感じつつも、否、それ故に。

「そんな事は、ありません。
 ……私は、何も出来ていない。
 何も……出来ないのです………」

 己の無力さに俯き嘆く少女の姿に、少年は微かな苛立ちを覚える。

「『人の生は、重い荷を負って、遠い道を行くが如し』―――かの神君・家康公は、そう言われたとか……」

 この若さ、いや幼さで、どこか疲れた老人めいた空気を漂わす彼女に、彼は怒りを感じた。

「……重いのです、辛いのです、次期将軍という荷は……余りにも……」

 血を吐くような告白に、醒めた吐息が重なる。

「なら、降ろしてしまえばよかろう」
「えっ?」

 降る様な星が瞬く夏の夜に、真冬を思わせる冷たく硬い声が響いた。



■□■□■□■□■□



 此処は帝国軍技術廠。
 帝国の未来を切り開くべく、日々多くの英才達が、瞳に希望と使命感を宿し、励み続ける場であった。

 ―――場の筈だった?

 今この場にて、第三者が居たのなら、やさぐれて机に突っ伏す二人のオヤジ、もとい、二人の軍人を見たのなら、そう思いたくなるに違いない。
 きっと、多分、間違いなく………

「ああ、しかし……」
「……疲れたな、本当に」

 ぐったりと机に顔を伏せたまま呻くように言葉を交わす巌谷と篁。
 先ほどまで続いていた会議という名の陰湿な罵り合いが、残り少ない彼らの精気をごっそりと削り取っていたのだ。
 歯に衣着せて、笑顔を取り繕いつつ、三回転ほど捩れ捲くった表現で、外国機導入に踏み切った事を非難する国産派と、彼らの視野の狭さを論い、外国機導入の正当性を主張する導入派の言い合いは、不毛としか言い様が無く、胃が痛くなること夥しかった。

 思い出す度にムカついてきたのか、小刻みに震えていた巌谷が、デスクを叩いて立ち上がった。

「あのエネルギーを、もっと別の事に使いやがれってんだ!」
「言うな巌谷……空しくなるだろうが……」
「言わずに居られるか!
 ネチネチ、ネチネチ、ネチネチと、七時間だぞ、七時間っ!」

 疲労の余り、投げやり気味に答える親友に、更に怒りを触発された巌谷が食って掛かった。

 とはいえ、それも無理の無い事。
 昼過ぎに始まった会議は、前述の如く紛糾し、混乱し、延々と続けられた結果、終わったのが夜の八時近く。
 午後からの予定の悉くを潰され、残務が有るが故に、帰る事も侭ならない。
 これで何らかの成果が上がっていれば、まだ、腹の虫も騙せようと言う所だったが、それすらも無かった。

 そして、会議の〆はと言えば、『また日を改めて』の一言。

 やり場のない憤りに、巌谷が吼える。

「どうして、あそこまで外国に敵意を抱ける!
 何故、我が国が、未だ未熟である事を認められない!
 俺には、到底、理解できんぞっ!」

 国産派の言いたい事も分からないではない。
 国防の要となる主力兵器を、外国に頼るなど本来褒められたモノでは無い事くらいは百も承知だ。
 だが、悔しいが、帝国の技術は未だ未熟。
 ここで国外からの先進技術の導入を止めてしまえば、十年先まで国を護るに足る物が造れなくなる。

 それでは駄目なのだ。
 それでは帝国の未来が閉ざされる。

 そんな焦りにも似た感情が、巌谷を急き立てていた。
 彼らの根拠の無い自信の一角が、自身の挙げた『戦果』に拠るものだと理解している分、その思いは重く根深い。
 己の所為で帝国が滅ぶ光景を想像する度に、心臓が締め付けられるような錯覚を覚える程だ。

 だから、巌谷は止まれない。
 止まるわけには、行かないのだ。

 己の出した結果が、国の行く末を誤らせるというなら、もう一度、己の手で正しい方向へと引きずり戻す。
 そう決意したからこそ、彼はこれまで奮闘し、そして『分からず屋達』に怒るのだ。

 そんな友の心情を、正確に洞察していた篁は、一度、瞑目して心を落ち着けると、己の思うところを口にする。

「……それは、お前が強いからだ」
「篁?」

 ひどく落ち着いた親友の声に、巌谷の激情も僅かに抑えられた。
 困惑気味に己を見る親友に、篁は訥々と話し続ける。

「お前は強い。
 だからこそ、己の未熟さを、至らなさを認められる。
 たとえ今は及ばずとも、いつか必ず届くと信じられるからだ」

 それが、この敬愛すべき硬骨漢の美点だった。
 己の未熟も、相手の有能も、自然に受け入れる器量を持っている。

 そして、そんな男だからこそ、『分からず屋達』の心情が理解出来ないのだという事も篁は分かっていた。

「だが彼等には、それが出来ない。
 己を、同胞(とも)を、国を信じられないんだ。
 自分達が劣っていると認めてしまえば、もう決して同じ域に到れないと心のどこかで思っている」

 小人の愚かさと言うは容易い。
 だが、常に大度をもって動ける人間が、この世にどれ程居ると言うのか?

 世の大半を占めるであろう普通の者達は、多かれ少なかれそういったものだろう。
 そう結論付ける篁自身、己の内にそういった卑小な部分があったのを知っていた。
 そうでなければ、彼等の心情を忖度する事など、出来る筈も無い。
 そして、それ故に彼は、親友を尊敬し、その真っ直ぐな有り様に敬意を持つのだ。

 一方、そんな親友の複雑な胸中までは思い至らずとも、冷静に順序立てて為された謎解きに、巌谷は深刻な表情で呻く。

「……だから、認められない……か……」
「………そうだ。
 だからこそ、言っても空しくなるだけだと言ったんだ」

 わずかに見える自嘲の影。
 冷静沈着・謹厳実直を地で行く親友の見せたそれに、巌谷は眩暈にも似た感覚を覚えた。
 彼が、そこまで言い切る以上、この先に待つのも茨の道のみ。

「……やれやれ、相変わらず前途多難という事か」

 思わず愚痴がこぼれた。
 イーグル(F-15)導入まで漕ぎ着け、少しは息がつけるかと思えば、これである。
 疲れた表情を浮かべた巌谷に、篁は軽く肩を竦めて見せた。

「今に始まった事ではないさ………だろ?」
「……ふぅ……そうだな」

 そう呟いて、ドサリと椅子に腰掛けた巌谷が、深い溜息を吐いた。

 道は未だ遠く果てしない。
 分かっていた事だが、実感させられるとやはり凹んだ。

 そうやって眼をつぶり、天井を仰ぐ巌谷の耳に、穏やかさを取り戻した友の声が響く。

「何はともあれ、一歩踏み出せたのは事実だ。
 今は、それを喜ぶべきだろう」

 障害を一つ乗り越えた事は、紛れも無い事実。
 例え未だに反対派による嫌がらせがあろうとも、帝国は精神的な鎖国へと向かう道からは遠ざかったのだ。

イーグル(F-15)のライセンス生産により、第二世代機の技術を蓄積。
 しかる後、それを踏み台にして、次期主力戦術機となる第三世代機を造り上げる」

 それが今の自分達の取れる最善の道。
 少なくとも、これが成功すれば、帝国は後十年は戦える力を維持できる。
 そして、それだけの猶予が出来るなら――

「相応の物を造り上げられれば、連中も少しは静かになるだろう。
 そうなれば、私達は次に進むことが出来る」

 ――自分達が語り合った夢の実現へと到る為に。

 天井を見上げていた巌谷の面が、篁へと向けられた。

「国際共同開発による国産戦術機か……」
「そうだ、帝国の未来を開く為にも、それは絶対に必要だ」

 かつて語った夢。
 そして一度はルルーシュに否定され、唯依が拾ってくれた夢。

 嬉しかった。
 本当に嬉しかった。

 だが、だからこそ、娘には重荷を遺せない。
 自分達の世代で、必ず決着を着ける。

 そう心に誓う篁に、巌谷が男臭い笑みを浮かべて見せた。

「胃薬の買い置きも、だな」

 笑い声が弾ける。
 明日(未来)への扉を開く意志が、彼等の疲れを吹き飛ばしていった。



 ………後に、巌谷榮二は、この日の事を思い返す。
 親友を喪い、遺された夢を背負い、ただ一人歩き続ける中で。
 挫折しそうになる度に、何度も、何度も………



■□■□■□■□■□



「なら、降ろしてしまえばよかろう」
「えっ?」

 降る様な星が瞬く夏の夜に、真冬を思わせる冷たく硬い声が響いた。

 思いも掛けない一言に、悠陽の思考が固まる。
 生き人形と化した幼い少女に、玲瓏たる美声が鋼の斧となって振り下ろされた。

「辛い、重たいと嘆くなら、さっさと降ろしてしまえば良い」
「……そんな……そんな事が……」

 ――出来る訳がない。

 混乱する思考の中、蚊の鳴く様な小さな声で呟く少女に、微塵も容赦の無い声が覆い被さる。

「迷惑だと言っている」
「ッ!?」

 切り捨てる鋭い声が、悠陽の心を深々と切り裂いた。
 呆然と立ち竦む事しか出来ない無力な少女に、慈悲の欠片も無い糾弾が突きつけられる。

「やりたくも無い事を、義務感だけでやったところでロクな結果にならん。
 周りの者が、迷惑するだけだと何故気付かない」

 それは弾劾そのものだった。
 熱意を持たぬ形だけの将軍()への憤りであり。
 雛壇に飾られるだけの人形である事に甘んじている事への怒りであった。

「お前が、その荷を降ろしたところで、別の誰かが背負うだけだ。
 いや、嬉々として奪い合うのが先か?
 いずれにせよ、オレには理解できんがな」

 そう吐き捨てて、ルルーシュは不愉快そうに鼻を鳴らす。
 蔑みすら帯びた眼差しが少女に注がれ、反論すら出来ない悠陽は、我が身を竦めるだけだった。

 全てが彼の言う通り。
 自分がこの荷を投げ出せば、きっとそうなるだろう。

 形だけの将軍()、飾られるだけの人形、それを承知の上で、醜く奪い合う様を想像し、幼いが故に潔癖である少女は吐き気すら覚えた。

 余りの情けなさに俯き涙を滲ませる悠陽を、じっと見据えていたルルーシュが、再び口を開く。

「降ろしてしまえ、捨ててしまえ、そうすれば楽になれる」

 一転した柔らかな声。
 それが、悠陽の耳朶を優しくくすぐる。
 曳かれる様に上がった彼女の眼に、唯依に向けるものと同じ、優しい兄の微笑を浮かべたルルーシュが映った。
 造作の整った手が、スッと差し出される。

「この身は、武家のはぐれ者。
 だからこそ、お前がその荷を背負う限り、我等の道が交わる事は無い」

 逆に言うなら、その荷を捨てるなら―――

「我が名、我が誇りにかけて、貴女を守護しよう」

 慈愛に満ちた優しい声が、悠陽の鼓膜を、心を震わせる。
 伸ばされた手にしがみ付きたい衝動に、彼女は襲われた。

 その手を取れば救われる。
 この重荷から、苦しみから解き放たれる。

 それが分かってしまったから………

 フラフラと熱に浮かされるように頼りなく伸ばされた彼女の手が、彼の手を取り掛かかり―――止まった。

「………捨てられません。
 捨ててはいけないのです」

 引き戻した己の手を、恥じる様に握り締めながら、悠陽は搾り出す様に呟いた。

 一瞬だけ、脳裏を過ぎった影。
 一度だけしか会った事の無い、会う事が許されない妹の姿。
 それが、彼女の手を止めた。

 醒めた眼差しを向けたルルーシュは、そんな彼女を鼻先でせせら嗤う。

「下らん義務感からか?」
「……そうかもしれません。
 今の私には、この荷を背負い続ける理由が、それしかないのですから」

 失望と嘲りが入り混じった問いに、悠陽は気圧されながらも答える。
 確かに、今の彼女には、それしかなかった。
 そう分かっていても、捨てる事が出来ない。

 それを愚かとルルーシュが嗤う。

「下らんな、実に下らん。
 そうやって宿命とやらの奴隷となって、人生を磨り潰すのか?」
「それでも、それでも、捨ててはいけないのです!」

 下らないと嘲られ、愚かしいと嗤われても……
 それでも捨てられない、捨ててはいけなかったのだ。

 ――その一生を、日陰で過ごさなければならない妹の為にも。

 そう想いつつも、注がれる冷たい視線を前に、少女は力なくうな垂れる。
 折れ砕けようとする心が、重荷に耐えかね軋みを上げた。

「俯くな!」
「アッ!?」

 鋭く力強い一声が、沈み逝く彼女の面を上げさせた。

「お前が『王』足らんとするなら俯くな。
 肩を落とし、背を丸め、地べたを見るだけの『王』に誰が従うかっ!
 ――もし、それでもお前に従うというなら、それは忠誠ではなく、ただの憐憫に過ぎん」

 鋭く激しい声が、悠陽を打ち据える。
 だがそれは、先ほどまでの嘲笑とは、どこか異なっていた。
 心を萎縮させる事無く、否、昂ぶりを呼び起こす声………そして、意志。

 吸い寄せられる様に見詰める未だ『王』足りえぬ少女に向けて、異界の『王』の言葉が高らかに響く。

「その背に負った重荷を、降ろすつもりが無いのなら心に刻め」

 ――それは、とある王が、苦難と絶望の果てに掴み取ったモノ。

「王は怠ってはならない。
 王が己の意志を示す事を怠れば、多くの者が戸惑い、無為に血を流すだろう」

 怠れば、全ては無へと帰す。
 初恋の異母妹の汚辱に塗れた死を踏み台とした大反逆(ブラックリベリオン)が、彼が王としての立場を忘れ、己が意志を示す事を放棄した時、敢え無く潰えた様に。

「王は誤ってはならない。
 王が選択を誤れば、それは民草の下へ大いなる災いとなって降り注ぐだろう」

 誤れば、大いなる災いを産む。
 最愛の妹に眼がくらみ、親友の裏切りに逆上した果てに判断を誤った時、数千万の生命を女神(フレイヤ)の生贄と為した様に。

「王は揺らいではならない。
 王が揺らげば、臣下も揺らぎ、やがては国そのものを揺るがせるだろう」

 揺らげば、全てを揺らがせる。
 妹の死に錯乱し、動揺した果てに、部下の裏切りを招き、世界を二分する大戦を招いた様に。

 ――怠らず、誤らず、揺らがず。

 王であろうと望むなら、かく在れ、と。

 後悔と自戒の果てに辿り着いた己自身の答えを説く。
 未だ『王』足りえず、されど『王』足らんとして足掻く事を選んだ少女への贈り物として。

 そして最後に告げる。
 この幼い少女が、自分なりの答えへと辿り着く為の道標として。

「どんな時でも俯くな、胸を張れ、そして空元気でも良いから笑ってみせろ」

 それはとても辛い事。
 だが、王として生きるなら、避けては為らぬ事。
 何故なら――

「王とは、全ての者達が仰ぎ見る存在(モノ)
 先の見えぬ世界を歩む指針として、或いは、混迷する時代の中の希望として、これから先、全ての者がお前を仰ぎ見るのだから」

 無数の希望を、夢を、想いを束ね、行くべき道を指し示す為に。

 語り終えたルルーシュは、静かに口を閉ざす。
 語られた言葉、そこにある想いを噛み締める様に、悠陽はジッと目を閉ざした。

 ただ波の音が響く中、どれほどの時が過ぎたのだろうか?

 一分か、十分か、あるいは一時間……もしかしたら、ホンの数秒だったのかもしれない。

 悠陽の顔に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
 まるで泣き笑いのような歪んだ笑みは、自身がこれから行く道の険しさを理解したが故だ。
 それでも彼女は、笑って見せた。
 己自身で、それを選んだと分かっていたから。

「……これで、よろしいですか?」
「上等だ」

 震える声に、ルルーシュは優しく答える。
 昔の自分とは、異なる道を行くであろう幼い王を後押しする様に。

「さて、夜も深くなった。
 もう子供は寝る時間だ」

 ――明日は、早いのだろう?

 言外にそう問うルルーシュに、悠陽の笑顔にわずかな陰が射す。
 紅蓮をしても、許された滞在は、わずか一日。
 明日には、もうこの島を離れなければならなかった。

 まだ語りたい事、問いたい事があった。
 だが、未だ明確な形を成さぬソレに、かすかな焦りを感じながら、縋るような声で問う。

「……また、お会い出来るでしょうか?」
「無理だな」
「ッ!」

 ささやかな希望を込めた少女の問いを、少年は、にべも無く否定する。

「言った筈だ。
 この身は、武家のはぐれ者。
 お前が、その荷を背負う限り、我等の道が交わる事は無い」

 多くの無理を重ねた上で成ったこの出会いは、同時に別れでもあった。
 歳相応の我が儘を言える立場を、自ら捨てた以上、それは必然であるとルルーシュは思う。

 ……とはいえである。

 落胆に肩を落とす悠陽の姿を見ると、彼自身の良心、というよりも死んでも直らなかったシスコンな部分がジクジクと痛んだ。
 それが、余計な事を言っていると承知の上で、続く言葉を紡がせる。

「そして、こうも言った。
 お前が王で在り続ける限り、全ての者が、お前を見る、と」

 その一言で、悠陽は愁眉を開く。
 幼いながらも整った容貌に、安堵と歓喜の色が浮かんだ。

 そのまま一礼し、別荘へと足を向けた背に、柔らかな声が掛かけられたのは、ルルーシュ本来の優しさ故だろう。

「義務感だけで突き進むなら、いつか必ず挫折する。
 ならば探すが良い。
 貴女が、その道を歩み続ける理由を」

 驚いた様に振り返る少女に向けて、不敵な笑みと共に最後の言葉が贈られる。

「なに、人は確固たる理由さえあれば、世界にすら挑めるものだ」

 ――オレが保障してやる。

 そう言って、もう一度笑って見せる。
 釣られる様に、悠陽も花の綻ぶような笑みを浮かべた。

「ルルーシュ様、貴方のご助言に、感謝を」

 万感の想いを込めた礼と共に、深々と頭を下げた少女は、そのまま身を翻すと確かな足取りで歩み出した。
 迷いの無いその後姿を、見えなくなるまで見送った少年は、軽く一息つくと視線を動かす。

「……さて、オレも貴方に感謝すべきですかな?」

 暗がりの一角、先ほど悠陽が潜んでいた場所から、少し離れた位置へと声を掛ける。
 闇の中から、野太い男の声が返って来た。

「不要。
 むしろ此方から言いたい位だ」
「………そっちは、そうは思っていない様ですが?」

 ノッシノッシといった感じで、暗がりから姿を現した偉丈夫――紅蓮醍三郎の姿を視認したルルーシュは、眉を顰めてそう尋ねた。

 紅蓮の小脇に抱え上げられ、口元を押さえ込まれながらも燃えるような眼差しで、ルルーシュを睨みつける少女・月詠真耶。
 明白なまでの敵意を叩きつけてくる彼女は、どう見ても感謝しているようには見えなかった。

 わずかに眉を寄せる紅蓮に、もがく真耶を解放するよう身振りで伝える。
 一瞬、躊躇した紅蓮であったが、仕方ないといった風情で、少女の拘束を外した。

 ドサリと砂浜に落ちた小柄な身体が、跳ね上がるように起き上がる。
 次の瞬間、可憐とすら言える唇が、強烈な罵声を放った。

「当たり前だ!
 よくも、よくも好き放題言ってくれたな!」

 沈黙を強いられ溜め込まれた鬱憤を、怒りと共に叩きつける。
 何も知らぬ半端者が、したり顔をして主君を傷つけた事が許せなかった。

「何も知らぬクセに、小賢しくもっ!」

 激昂し糾弾する真耶を、困ったような表情で見る紅蓮とルルーシュ。
 その態度に、自身の認識誤りを彼女は悟った。
 少女の美貌が、サッと強張る。

「まさか、貴様っ!」
「そのまさかだ。
 大まかな事情は把握している―――ああ、紅蓮閣下から聞いた訳では無いぞ」

 弱みでも見つかれば儲け物。
 その程度の発想で、帝国上層部の内情を探らせた際、偶然、引っ掛かった情報に過ぎない―――煌武院悠陽に忌み子として、里子に出された双子の妹が居るという話は。

 ルルーシュ的にみれば、意味の無い情報。
 事実、悠陽と顔を合わせるまで、記憶の端に除けられていた程度の代物だ。

 だがそれは、あくまでも彼の視点での話。
 見るべき場所を変えるなら、それは許し難い事として映るだろう。

 そう、例えば今、彼の眼前でブルブルと震える少女の様に。

「き、貴様……全て承知の上で言ったのか!?
 承知の上で、あの方を………悠陽様をっ!」

 怒りの余り、喘ぎながら真耶が叫ぶ!

 どんな想いで、悠陽がこれまでの道を歩んできたのか。
 幼い頃から、己が使えるべき主君として、傍にあった真耶は、目の前が真っ赤になる怒りに我を忘れた。

 『赤』としての気品ある立ち居振る舞いも、『月詠』として鍛え上げた武も、全てを忘れて、ただの『真耶』として吼える。

「私は貴様とは違う!
 私は、あの方を信じている。
 悠陽様こそが、きっとこの混迷する帝国を救って下さるとっ!」

 幼き頃から見守ってきた少女の聡明さ、思慮深さを、真耶は愛している。
 この少女なら、きっと、きっと帝国の歪みを正し、あるべき姿へと戻してくれると信じていたのだ。

 そして、それは自分だけに限った事ではない。
 悠陽を知る多くの者が、彼女に期待していた。
 それがどれ程、彼女の重荷となっていたかも気付かぬままに。

 だからこそ許せなかった。
 納得できなかった。

 自分達が気付かなかったソレを引き出し、その上で選択を促したのが、目の前に居る男であるという事が。

 枢木の悪評は、武家社会全体に鳴り響いており、特に上位の武家では顕著だ。
 そんな悪名高き家の嫡子が、大事な主君に道を示してのけた等という事は断じて認められない。

 自身の内で猛るこの思いが、醜い嫉妬であると半ば理解しつつも、それでも真耶は反発する思いを捨てられなかった。

「貴様などに、貴様のような半端者如きに、決してあの方を否定などさせん!」

 それは一途なまでの忠誠と、気付いてやれなかった後ろめたさ。
 だから彼女は否定する。

「この思いが、同情などと、憐憫などと、言わせてなるものか!」

 憤怒と嫉妬に燃える女侍の視線と、全てを俯瞰する王の視線が衝突する。
 後世、煌武院悠陽の無二の忠臣として、その名を残す事になる月詠真耶は、目の前の男を、己の終生の敵として心に刻み付けた。

 そのまま身を翻し、主の後を追う様に走り去る小柄な影を見送った紅蓮は、無言のまま立つルルーシュに向けて、溜息混じりに呟く。

「ワシは、お主を斬っておくべきなのかもしれんな」

 ボソリと物騒な言葉を告げる紅蓮を、ルルーシュは温度を感じさせぬ眼差しで見詰める。

「………ワシは、お主が恐ろしい。
 恐ろしくて、恐ろしくて堪らんのだ」

 最強の二文字を、欲しいままにする筈の豪傑が、わずかに身震いした。
 伝えた通りの恐怖と……そして、身の内から湧き上がる衝動に。

「『天に二日無く、地に二王無し』
 煌武院の双子を忌むという因習も、同時代に二人の王を産まぬ為の悲しい智慧なのだ」
 姓を奪われ、半身からも引離された少女を想う。
 哀れとは思っても、正しい処置であると彼自身は認めていた。
 無論、肉親の情の上では忍びなかろう。
 だが煌武院家を、否、帝国を割らぬ為には仕方が無い、と。

「……なのにお主は現れた。
 悠陽様ですら及ばぬ程の王の器を備えてな」

 背筋が震えた。
 恐怖と歓喜に。

 星空の下、超然として立つ黒髪の少年の中に、紅蓮は紛れも無い王の姿を幻視した。

 在ってはならない二人目の王。
 それも悠陽よりも、遥かに完成された王。
 武の王、力の王―――すなわち『覇王』。

 それが武人としての彼の魂を揺さぶった。
 この者と共に征けば、己が生命を燃やし尽くせると、彼の武人としての本能が歓喜の叫びを上げ、そして帝国の楯としての理性が恐怖に打ち震える。

「そして、今宵こそ確信した。
 ルルーシュ、お主はいつの日か、きっと帝国に仇なすであろう」

 地に二王が在る以上、いつか必ずその日が来る。
 そう紅蓮は確信した。

「お主自身の意志だろうが、そうでなかろうが、いつの日か、きっと……な」

 少年の性が、覇の王である限り、穏便な形で済む筈が無い。
 この国の歪みと腐敗を、彼が見逃すとも思えなかった。

 苦い想いを噛み締めながら、炎の中で瓦解していく帝国の姿を想像した紅蓮は、深い溜息を吐く。

「所詮は、無駄な足掻きであったな。
 ……地に伏す竜を、何とか御そうなどと」

 恐らく、心のどこかで悟っていたのだろう。
 その成長を、息子のように見守っていた彼の本質を。

 だからこそ彼を、悠陽の下に縛りつけようとしたのだ。
 それが徒労に終わるであろうと承知の上で。

「いつの日か時を得て、竜は雲を呼び、天へと駆け登る。
 『伏竜』とは、元々そういうものだと、分かっていた筈なのにな」

 どこか感慨深けに、あるいは寂しそうに紅蓮が呟く。
 沈黙を保っていたルルーシュが、ゆっくりと口を開いた。

「そこまで確信しながら、何故斬らない?
 これが、最初で最後のチャンスかもしれないというのに」

 今この場には、唯一紅蓮に比肩する母は居らず、忠義の騎士も遠い空の下。
 己の武人としての技量は、未だ紅蓮には遠く及ばず、彼がその気になった瞬間、自身は真っ二つにされると承知の上で問う。

 ――何故、斬らぬ、と。

 紅蓮の顔に、いつもと同じ豪快な笑みが浮かんだ。

「フンッ、ワシに人でなしになれと?
 これでも、お主の父親代わりとして、乳飲み子の頃より見守って来たのだぞ………ムッ、なんだ、その妙な表情(かお)は?」
「いや、何でも………
 だがそれでも、いつもの貴方ならそうする筈だ」

 煌武院の、帝国の敵を、紅蓮醍三郎が見逃す事などあり得ない。
 例え我が子同然の相手であろうとも、だ。

「……お主は、帝国に災いを齎す。
 そう確信したのは事実だ。だが………」

 この豪放磊落な男が、珍しく言葉を濁す。
 整理のつかない思いを持て余すように、一瞬だけ瞑目した紅蓮は言葉を継いだ。

「……だが、それが人類全体にとって、どうなのかまでは分からん」

 帝国の不利益と人類全体の不利益は、決してイコールではない。
 そして、これまでのルルーシュの動きを見ている限り、彼の視点は帝国に無く、常に世界に置かれているのは分かっていた。
 まあ、その辺りが、国粋主義に偏り易い軍関係者に、敬遠される理由でもあるのだが………

「だから、今は斬らぬと?」

 ルルーシュの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
 応じるように、紅蓮も犬歯を剥きだして笑った。

「………さて、な。
 それに、もしお主を斬ろうとしても、お主の臣下達が、そうそうこちらの思い通りにさせてくれるとも思えぬな」

 一旦、そこで言葉を切った紅蓮は、誰かに向けて話すように大声を放った。

「そうであろう篠崎の娘よ!」

 砂の鳴る音が鳴った。
 ルルーシュと紅蓮を別つ様に、ほっそりとした人影が忽然と現れる。

 メイド服ではなく、忍びとしての完全装備に身を固めた咲世子だ。
 緊張に薄っすらと汗を滲ませながらも、手にしたクナイを構え、油断無く紅蓮の動きを見ている。

 一分の隙も無いその姿に、紅蓮の片頬が面白そうに釣り上がった。

「何年か前、篠崎の麒麟児が出奔したと、小耳に挟んでいたがな………枢木に身を寄せていたか」

 護衛と諜報のエキスパートとして裏の世界では有名な篠崎。
 五摂家からも引く手数多と呼ばれるこの家に生を受け、百年に一人の天才とまで呼ばれた娘が、数年前、突如として失踪したという話は、その筋ではそれなりに有名な話だった。
 それが目の前に居る少女であると、紅蓮は確信している。
 以前から、その若さからは想像もできぬ手練である事を、彼自身の嗅覚が嗅ぎ取っていたのだ。
 そんな男の問いを、少女は頷く事無く肯定する。

「はい、三年ほど前から、お世話になっております」
「三年前か………真理亜が斯衛を辞めた年だな。
 やはり、あの時から、全ては動き出していたという訳か」
「…………」

 歯車が重なった。
 あの日、あの時、彼女を引き止められなかった事を、今更ながらに悔やむ。

 そんな紅蓮に対し、沈黙を以って答える咲世子。
 かすかに苦笑いを浮かべた紅蓮は、最早済んだ事と割り切って、ルルーシュへと向き直った。

「まあ良い。
 いま語った事が、混じりッ気の無いワシの本心よ。
 そして、これから語るのが、我が覚悟と知るがいい」

 丹田に力を込める。
 覇王たる者に惹かれて止まぬ武人の本能を、ジェレミアにすら劣らぬ忠義で押し潰した紅蓮はルルーシュと正対し、そして宣言した。

「ルルーシュ、お主がこれから如何なる道を歩もうとしているのかは知らぬ。
 だが、もしも、その道程にて悠陽様を、害そうというのであれば、その時は―――」

 巌の如き巨躯から、凄まじい殺気が溢れ出した。
 脂汗を滲ませながら、それでも構えを崩さぬ咲世子を越えて、ルルーシュへと叩き付ける。
 ただ一言。

「斬る!」

 野獣の咆哮にも似た一喝。
 それを真正面から受け止めたルルーシュの顔に、傲岸不遜な王者の笑みが浮かぶ。

「紅蓮醍三郎、貴公の覚悟、確かに受け取った」

 それが、星降る夜に交わされた侍と魔王の誓約と成った。



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―― 西暦一九八九年 十一月二十五日 米国・サンフランシスコ ――

「では、これで――」
「契約成立という事ですな」

 互いに契約書にサインを入れた男女は、相手にそれを返しつつ、空々しい笑みを交わした。
 あくまでもビジネスライクに徹する両者にとって、それは別におかしな事ではない。

「お互い良い関係を築ける事を願っております」
「こちらこそ」

 利を以って結び、契約により保障を取る。
 極めてドライであるが故に、そこに人種に対する偏見は入る余地が無い分、公平ですらあった。
 儀礼的な乾杯を交わし、相手側が退出したところで残された側の代表――マクダエル・ドグラム社会長は、ホッと息を吐く。

「ふぅ、やれやれだ」

 相手側の代表は、東洋人らしい年齢不詳の美女。
 メリハリの利いたプロポーションと玲瓏たる美貌は、普段であれば即口説きにかかりたくなる程の良い女であったが、流石にビジネス絡みだとそうもいかない。
 内心、惜しさを感じつつも、温くなった珈琲と共に、それを飲み込む程度には彼は理性的だった。

 そんな彼に対し、契約の場に立ち会った側近の重役の一人が、わずかに不満を滲ませた声を掛ける。

「宜しかったのですか?」
「良いも悪いも無い。
 こうしなければ、我が社は生き残れんのだからな」

 今更何を言っている?
 そう言わんばかりの口調で切り返す男に、側近は不愉快そうに呟いた。

「まさか、ジャップなどに頼る破目になるとは」

 男の手が上がる。
 手を翳し、押し止めるジェスチャーで、それ以上の発言を禁じた。

「止めておけ。
 これからは、ビジネスパートナーとしてやっていくんだからな」
「……ハッ」

 内心で側近に見切りを付けつつ、表にはそれを出さずに嗜めた。
 憤懣やる方無いといった様子で、不承不承頷く相手の左遷先を考えながら、周囲に届く声で独白する。

「しかしこれで、HI-MAERF計画中止による損害から、何とか会社を立て直せるな」

 アレはもう、災難としか言いようの無い出来事だった。
 軍の強力なプッシュにより参入した戦略航空機動要塞開発計画は、これまた軍の戦略転換により無残な終焉を迎え、後には開発中止となったXG-70試作機数機と莫大な損失のみが残されたのである。
 傾いた会社の屋台骨、それを更にへし折るが如き、戦術機軽視の軍のドクトリン変更により栄光在るマクダエル・ドグラムも、このまま行けば身売りも止む無しという状況にまで追い込まれたのだ。
 自分の代で、そんな屈辱を受けるくらいなら、悪魔に魂を売る事も厭わない。
 それを思えば、日本企業と手を組む事など屁とも思わぬ心境に彼は居た。

 今日、この日、ようやく社を救うメドが立った以上、それを下らぬ人種差別なぞで潰されては堪らない。
 そんな思いから、自社の現状をもう一度認識させる為の演出だった。

 その効果は相応にあったのか、それ以上、日本企業――枢木工業と手を組む事に異を唱える者は居なかった。
 だが、代わりと言わんばかりに、別方面からの危惧を口にする者が現れる。

「ですがイーグル(F-15)は、売れなくなるのでは?」
「それは無い。
 確かに、アップデートシステムは大した物だが、それでも繋ぎである事は確かだ」

 下らぬ不安を、鼻先でせせら笑う。
 既に、数多の戦場に投入され、スエズ防衛戦での勇戦を切っ掛けに、国連軍からの大量受注にまで漕ぎ着けたファントム・アップデートシステム。
 第一世代機を、第二世代機以上にまで押し上げるコレは、確かに驚異的と言っていいが、それでも改修機は改修機。
 純正第二世代機であるイーグル(F-15)とは、やはり信頼性が違う。
 事実、軍の調達計画も、未だ変更は無いのだ。

 今、自分達が考えるべきなのは、世界で一番普及しているファントム(F-4)の膨大なアフターマーケットから、如何にして利益を引き出すかという事だった。
 今回の契約で、南北アメリカ大陸における総代理店の地位とライセンス生産の権利は手に入れた以上、そこからどれだけ儲けを得られるかが勝負となる。
 更にこれには、美味しいオマケも付いていた。
 先だって枢木が開発・発売を行っていた土木作業用人型機械『メアフレーム』の製造・販売も手掛けられるという特典が。
 日本製という事で、今ひとつ米国内では売れ行きが伸びていない代物だが、これにマクダエル・ドグラムのマークが付けば、爆発的なヒットが見込める事もリサーチ済みだ。
 ここ数年で予想される利益は、瀕死の自社が息を吹き返すには充分と見込まれている。
 暗闇の中、やっと手にした灯火に、男はホッと安堵の溜息をつく。

「後は、こちらが契約を果たすだけだが………」

 先方の要求も大半は頷ける。
 戦術機の開発・実戦データの提供。
 特に日本が立ち遅れている電子兵装と燃料電池関連については、自社でも供出に少々揉めた程の貴重な技術情報である。
 だからこそ、それらを求めるのは理解できるのだが………

「何に使うのでしょうな?」
「さてな、理由は聞いているが、額面通りに受け取るのは危険だ」

 同じく首を傾げる重役の一人に、男は答えた。
 理由はまあ聞いているが、事実かどうかまでは不明。
 そんなあやふやな状況に、別の重役がわずかに不安を覚えて尋ねる。

「……よろしいのですか?」
「契約は遵守するさ。
 我等は、アメリカ人だからな」

 半ば投げやりになりながらも、異常とすら言える契約社会である自国をあてこすりつつ、マクダエル・ドグラム会長は、部下達にロビー活動の開始を指示したのだった。










―― 西暦一九九十年二月 ――

 米国議会は、耐用年数に達した軌道ステーション『コロラド』を、枢木工業へ売却する事を承認。
 併せて、往還用シャトルとして、退役間際のHSST二機の売却も承認した。
 これを受けて、枢木工業は宇宙開発事業への参入を発表。
 譲渡された軌道ステーションにて、無重力環境下での新素材研究を主目的とする研究機関の立ち上げを開始する。







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どうもねむり猫Mk3です。

う〜む、前回を上回る大増量。
前後編に分割すればよかった。

やれやれと
色々と伏線を張ったが、回収が大変だな。

ちなみにイブラヒムの旦那は、1993年にクレタに居た事にはなってますが、この時点での所在は不明。
まあ、あまり気にしないでいただけると嬉しいですね。

あと、悠陽とルル様の接触は、当分無いですので、ハーレムとかも有り得ないのでご了承を。

それでは次へどうぞ。




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