○西暦一九八九年十二月一日
師走に入りました。
今年も、あと一月で終わりです。
父様のお仕事も順調で、お正月はゆっくり出来るとのこと。
とても楽しみです。
今年の初め、唯依は一つの目標を立てました。
唯依も、もう七歳。
そろそろ花嫁修業として、家事全般を一通りこなせる様になるという目標です。
お掃除とお洗たくは、もうちゃんと出来ています。
……枢木の電化製品を使っていますが、これはもう、どこの家でも当たり前なので問題なしです。
お裁ほうも、雑巾ぬいとボタンつけ程度ですが、それなりに出来る様になりました。
……おじ様のワイシャツのボタンを付けた時、一緒に袖もぬってしまいましたが、おじ様が、問題無いと言われたので、問題無いのです。
最後に残ったのが、お料理です。
刃物を使うので危ないからと、父様に止められていましたが、ようやく条件付で許してもらいました。
今年も残り一月。
何としても、やりとげて見せます!
○西暦一九八九年十二月七日
また父様が泊り込みのお仕事の為、枢木のお屋敷にお世話になりに来ました。
それにしても、今年の三分の二は、こちらで過ごしているような……
この間も、また真理亜おば様に、『やっぱりウチの子にならない、ルルーシュのお嫁さんになって』とか言われ………いわれ……言われ、ました。
『まだ、早いです』とお答えしたら、クスクスと笑われてしまいましたが。
コホンッ。
そうまだ早いのです。
お、お嫁に来るのは、ま、まだ早いと思います。
そ、そんな事は、まずは、一通りの家事が、で、で、出来るようになってからのお話です。
それに唯依は、まだ七歳。
あと十年くらいは、余裕があります。
十年後には、唯依が十七歳で、ルル兄様は二十一歳、年齢的には丁度釣り合います。
その……似合いの夫婦、というヤツ……です、ね。
………さて、その為にも、まずはお料理をモノにしなくてはなりません。
お料理の練習に父様が付けた条件、咲世子さんの監督の下でというのが、少しだけ不満ですが、まあ、仕方がありません。
今は、ただひたすらに努力精進するのみと思います。
それでは、いざ参るっ!
……と、気合を入れていたのですが、兄様に平日はダメと言われてしまいました。
………ひどいです。ルル兄様。
○西暦一九八九年十二月十日
普段の日は、学校やお勉強、あと剣の修行があるので、日曜に集中してお料理の練習をする事となり、今日は、その初日でした。
やはり基本も良いですが、ここはまずは得意料理というものをつくりたいと思いました。
切り札というのは、どのような時にも用意しておくべきだと、いわやの叔父様もおっしゃっていましたから。
という事で、唯依が選んだのは肉ジャガでした。
父様に聞くところによると、母様の得意料理だったそうです。
唯依が、肉ジャガが好きなのも、母様の味を覚えているからだろうと。
そう仰っている時の父様は、どこかさびしそうでした。
それを見てから、いつかお料理の練習を許されたなら、きっと肉ジャガをつくってみようと心に決めていたのです。
咲世子さんも、初めはしぶっていましたが、唯依が父様の事を話すと涙ぐんで許してくれました。
何故でしょうか?
……まあ、いいです。
とにかく、監督である咲世子さんの許しが出た以上、もう何も問題はありません。
幸いな事に、食材も山ほど用意されています。
後は、唯依の実力を示すだけ。
それでは、今度こそ、いざ参るっ!
…
……
………
…………今日の唯依のお夕飯は、お肉とジャガ芋とニンジン、それにタマネギを混ぜ合わせたナニかの特盛でした。
……こんな日が続いたら、子豚さんになってしまいそうです。
ルル兄様、太った女の子は、お嫌いですか?
○西暦一九八九年十二月十七日
今日も、お料理修行に失敗してしまいました。
何なのでしょう?
あの苦辛い不思議物質は?
……唯依は、肉ジャガを作った筈なのに。
やはり咲世子さんの指導を、受けるべきなのでしょうか?
朧げな記憶に残る母様の姿と声。
わずかに残るソレを頼りに、母様の味を再現しようとしたのは無謀だったのかも。
このままだと、年内にお料理を身に付けることができません。
唯依の目標が達成できなくなってしまいます。
……イヤです。
それだけは納得できません。
唯依は、負けません。
負ける訳にはいかないのです!
何故なら、悠とかいうドロボウ猫は、夏以来、姿を見せませんが、そのこし巾着のマナだかマヤだかが、時々、物陰からルル兄様を見ている事に気付いてしまったのです。
それはもう熱心に、穴が空きそうな程、ジロジロとっ!
アレはきっと、悠とかいう女狐に命じられての事に違いないのです。
だからこそ、負けられません。
唯依は絶対に、誰にも文句の付けようの無い立派な大和ナデシコになって、ルル兄様を有象無象の盗人達から守り抜いてみせます!
……と心に誓っていたら、何故か咲世子さんがやって来て『その意気です。唯依お嬢様』と励まされてしまいました。
ほぼ全てを、声に出していたとか……嘘ですよね?
嘘だと言って下さい、咲世子さん!
………ああ、穴があったら入りたいです。
こんなはしたない真似をしては、もう、お嫁に行けません!
………これはもう、兄様に責任を取って戴くしかないと思いました。
○西暦一九八九年十二月二十四日
出来ました!
ついに、ついに唯依は、やりとげたのです!
恥を忍んで咲世子さんの教えを受ける事しばし、ようやく肉ジャガが出来上がったのです。
お肉とジャガ芋とニンジン、それにタマネギを混ぜ合わせたナニかでもなく。
苦辛い不思議物質でもない。
れっきとしたお料理です。
これでもう、子豚さんにならずに済みます!
……ではなくて、誓いを果たせたのです。
炊事、洗たく、掃除、家事全般が一通り、免許皆伝となったのです。
これでいつもで、その……お嫁さんになれますね。
……さ、さて、それでは記念すべき完成品を、まずはルル兄様に、ご賞味いただかねば!
…
……
………あの、咲世子さん。
その見慣れぬ西洋料理の群れは、何なのでしょう?
くりすます?
西洋の神様の誕生日?
ここは日本ですよ………ジェレミアさんや、ロイドさんが居るから?……ですか。
そうですか、そうですよね。
あの方々も、故国を離れてこの地に来られたのですから、たまにはこういう日があっても良いですよね。
……でも、何もよりによって、今日でなくても良いのでは?
せっかく……せっかく唯依が作ったお料理が、貧相に見えてしまいます。
………えっ?
大丈夫?
兄様はきっと喜んでくれる?
そうでしょうか?
……うん、そうですね。
ルル兄様なら、きっと喜んで下さいますよね。
結果は、咲世子さんの言うとおりでした。
恐る恐る、ルル兄様の前に出した肉ジャガを、兄様は少しおどろいた顔で見た後、ハシをつけて下さり、頬ほころばせて、とても美味しいと褒めてくださいました。
………えっとぉ……ルル兄様、これで唯依は、一人前の大和ナデシコですよ。
その……いつでも…その……お嫁に来れますからね?
それと、ロイドさん。
気に入ってくれたのはうれしいですが、あまりパクパク食べないで下さい。
ルル兄様に召し上がっていただく分が、無くなってしまうでしょ!
○西暦一九八九年十二月二十五日
昨夜は、楽しいひと時でした。
唯依の初めてのお料理を、ルル兄様に召し上がっていただいて、ほめていただいて、美味しいクリスマスのお料理を、お腹一杯食べて、それで、その……兄様に添い寝もしてもらって………
目が覚めた時、隣にルル兄様が眠って居られたのには、うれしいやら、恥ずかしいやら………
コホンッ
……まあ、とにかく、とても楽しい一夜でした。
でも、そんな一夜を過ごして思うのは、父様と叔父様の事。
きっと昨夜も、お忙しい時を過ごされていたのでしょう。
お食事も、満足にされていないのかもしれません。
そう思うと、唯依は親不孝な娘なのかもしれないです。
自分だけ楽しんで、父様や叔父様の事を忘れてしまうなんて……
といった感じで落ち込んでいると、ルル兄様が一つ提案をしてくれました。
昨晩、唯依が作った初めてのお料理を、父様への差し入れに持って行ってはどうかと。
とても良い考えだと思ったので、早速、昨夜の残りの肉ジャガを器に移したのですが、見たところ少し量が寂しいようです。
これでは、父様と叔父様のお二人に召し上がっていただくのには、やや不足ではないか?
そうやって首を捻っていたところ、話を聞いていたらしいセシルさんが、皆さんから隠れるようにして、そっと包みを差し出してきました。
中身を見てみると、ちょっと不恰好なお握りが沢山。
なんでも、良い材料が手に入ったので作ってみたとか。
お裾分けという事で、持って行ってほしいとの事でした。
ふむ、これなら後は、お味噌汁と香の物を添えれば、充分なお昼になりそうです。
そこで唯依は、セシルさんにお礼を言ってからお握りを受け取ると、手早く香の物を用意し、お味噌汁も作り、それぞれ別の器に入れました。
これで準備万端です。
幸い、家令の谷崎のおじいさんが、車を出してくれるとの事でした。
そのまま唯依は、兄様や咲世子さんに見送られて、技術廠へと向かいました。
ほどなくして着いた技術廠では、門の所の警備の方に身元を告げて、父様を呼んでいただけるようにお願いしました。
しばらくすると、何故か父様ではなく叔父様が、やって来られました。
叔父様が教えて下さったところでは、父様はメーカーとの打ち合わせの為、関東に出張中とか。
少しだけ落胆しましたが、叔父様だけでも居られたのは幸いです。
お持ちした差し入れを叔父様へと渡し、唯依が初めて作ったお料理ですと告げると、叔父様は、一瞬、びっくりした顔になり、次にクシャクシャに顔を歪めながら泣き出してしまいました。
………え〜と、叔父様?
喜んでいただけるのは嬉しいのですが、正直、少し恥ずかしいです。
という事で、差し入れを押し付けると、そこから逃げ出すように帰ってきました。
帰り際、車の中から後ろを見ると、いつまでも、いつまでも手を振っている叔父様が見えました。
ちょっぴり邪険にしてしまった事を、唯依は後悔しました。
後で、謝っておかないといけませんね。
○西暦一九八九年十二月二十六日
今日は、父様が、唯依を迎えに来られました。
お仕事もようやく一区切り着いたとの事。
でも、それにしては浮かない顔です。
どうされたのかとお聞きすると、いわやの叔父様が入院されたとの事。
昨日、お会いした際には、お元気そうだったのに、何があったのでしょう?
何でも、昨晩、技術廠内のお部屋で、泡を吹いて倒れているところを発見されたとか。
うわ言で、『むらさきの物質が……甘辛苦いナニかが……』とうめいておられたそうです。
食中毒との事ですが……昨日の差し入れにむらさき色のモノなど無かった筈ですし、あの後、物足りずに何か変な物を食されたのでしょうか?
困ったものです。
やはり叔父様にも、身の回りの事を気づかってくれる方が必要なのでは、と父様に告げると、父様も『そうだな』と言ってうなずかれました。
叔父様も、よいお歳ですし、そろそろ身を固められるべきなのかもしれません。
まあ当面は唯依が、気に掛けて差し上げればと思いました。
さて、今年もあと数日で終わりです。
来年も良い年になりますように。
……ルル兄様と、初もうでに行く時に、しっかりとお願いして来ようと思いました。
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