○西暦一九九一年一月一日
本日は元旦。
年の初め。
一年の計は元旦にあり。
――な、元旦でした。
ふぅぅ……
微妙に凹んでしまいます。
つまりアレですか?
今年も去年と変わらないと?
せっかく色々と頑張ったのに。
いつも山吹ばかりでは代わり映えしないと感じ、思い切ってイメージを変えた大人っぽい紺の振袖を新調したのに………
……ううっ……無念です。
はぁぁぁ………
……事の始まりは初詣でした。
今年は、父様もお休みを取られ、枢木の家の方もご一緒にとの事。
巌谷の叔父様が御用で来られないのが、やや残念ではありましたが、それでも賑やかで、そして楽しい一日になると期待していたのです。
いえ、まあ、楽しかったのは、楽しかったのですよ。
何と言うか、英国人の血を引いている所為か、この一年で身長も随分と伸び、もはや大人と呼べる程に高くなっておられる兄様。
濃いグレーのスーツに黒のコートを纏った姿は、とても大人びていて、溜息が出る程に凛々しかったのです。
それに引き換え、唯依は………
下に向けた視線が、そのままストンと石畳に落ちました。
……クッ……ま、まだです!
確かに、まだ胸はぺったんこですし、身長差も開くばかりですが、唯依と兄様の間には四歳の年の差があります。
きっと四年後には、唯依もルル兄様の隣に立っても恥ずかしくない器量良しになっている筈、否、なってみせます!
そう心に誓いながら、せめて今は胡乱な者を兄様に近づけないよう気を配っていました。
見目麗しく、文武に秀で、尚且つ大変な資産家。
良からぬ者達に狙われるには、充分過ぎる理由です。
だから、これは当然の事でした。
兄様と手を繋いで参道を歩くのも、ルル兄様に妙な欲に駆られた者達が集らぬ為の工夫なのです。
決して、兄様に甘えたくてやっていた訳では無いのですよ。
そうやって何とか初詣を無事に終えた唯依達は、一同、打ち揃って篁の家に戻ります。
明日からは年賀の祝辞で、篁一門が集まる事になっていますが、今日元旦は内輪でのんびりと祝いの席を設ける事となっていたからです。
暖房の入った室内に置かれた大きめな炬燵。
十人ほどが入れるそれに、各々が、思い思いの座に着きました。
当たり前の事ですが、唯依の場所は、父様と兄様の間です。
卓の上には心尽くしの御節を中心とした料理が並び、一同の前にも杯が置かれていきました。
何故か、セシルさんの前には、お茶の入った湯飲みが置かれていましたが、何故でしょう?
……まあ良いです。
兎に角、父様の短い年始の挨拶が終わり、各々が杯を打ち合わせて乾杯し出します。
当然、唯依は父様やルル兄様と。
そうして、なごやかな空気の中、楽しい宴が始まりました。
やがて時が経ち、座も乱れ出します。
思い思いに会話を交わし、笑い声が飛び交う中、ふと何かを思い出したような兄様が、懐から何かを取り出しました。
えっ?
お年玉ですか?
……兄様。
幾らなんでも、これは多過ぎでは?
父様も、青くなっていますし……
気にする事はない?
年末に臨時収入が、あったからお裾分け?
そう言って、分厚いとしか表現のしようが無いお年玉を、唯依の手に握らせます。
本当に強引です、ルル兄様。
とはいえ、兄様のご厚意です。
唯依としては拒める筈も無く、その場は済し崩しに頂く事になりました。
しかし宴が終わった後、自室へ戻ってきて、ふと思ったのです。
え〜……これは、アレですか?
唯依は、相変わらずルル兄様の中では、可愛い妹認識だと?
気になる女の子認識なら、お金ではなく、櫛なり、簪なりくれそうなものですし……
……ふぅ……地味に凹みます。
ううっ、何とかコレを覆さないと、その内、完全に『妹』に固定されてしまいそうです。
本当に、どうすればいいのでしょう?
どうしてくれましょう?
……あの朴念仁。
○西暦一九九一年一月五日
寒い、寒いです。
コタツの中に入っていても肩と背が冷えます。
帝都は夏蒸し暑く、冬は骨身が凍る程に寒い。
何故、このような劣悪な環境に都を置いたのでしょうか?
風水?
四神相応?
そんな物が役に立つなら、大陸の戦況があそこまで悪化する筈がありません!
まったくもう……とはいえ、この身は山吹の譜代武家。
帝都とそこに住まう人々を、身命を賭して護るが定め。
幾ら暑かろうが、寒かろうが、その事を、ホンの一時とはいえ忘れるとは、何たる未熟!
ここは水垢離で、緩んだ精神を引き締め直さねば!
……えっ?
何ですか咲世子さん?
………夕餉の支度が出来ました?
今夜は寒いので、良く温まる猪鍋です……か。
……直ぐに参りますと叔母様と兄様にお伝え下さい。
コホン……この家の主と嫡子であるお二方を、お待たせするのは居候の身としては許されません。
残念ですが水垢離は、明日に延期と致しましょう。
……お、お鍋に釣られた訳ではないのですよ?
唯依は、そんな食いしん坊では、ないのですから!
○西暦一九九一年一月七日
今日は、一月七日。
人日の節句です。
一年の無病息災を祈っての七草粥。
叔母様にお願いして、今朝の朝食として唯依が作らせて頂きました。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。
春の七草を具材に、あっさりとした塩味で仕上げた粥を、丁寧に心を込めて。
色々とお忙しく、お疲れ気味な兄様の為に。
いつもより少し遅めに起きてこられた兄様にお出しすると、ちょっとだけ驚いた顔をされてから、唯依の意図に気付いたのか、優しく笑って『ありがとう』と言われました。
少しだけ、少しだけ、赤面してしまいました。
ううっ……恥ずかしいかったです。
さて、明日は篁の家に戻るので、一日遅れとなりますが、父様にも七草粥を作って差し上げましょう。
○西暦一九九一年一月十五日
――世界が震えている。
それが、その時、唯依が感じた全てでした。
良く知っている筈の人が……
直ぐ傍に居た筈の方が……
今、この時は、まるで知らない人の様に、そして途方もなく遠くに感じました。
アレは、アレは、一体、『誰』……いえ、『何』なのでしょう?
唯依の胸が、激しく震えました。
畏怖と歓喜……そして、どうしようも無い程の喪失感に。
――時代が、世界が、変わる。
何の根拠も無く、唯依は漠然とそう思いました。
――ただ一人の意志が、世界を捻じ伏せ、在るべき運命を造り替える。
本来なら笑い話にしかならない出来の悪いオトギバナシ。
物語の中にしか存在しない筈の荒唐無稽な英雄譚。
それが、今この時、始まったのだと。
でも、何故?
何故それが、ルル兄様なのですか?
そう心の中で問い続ける唯依を、いつの間にかやってきた叔母様が抱き上げてくれました。
その途端、胸の内から湧き上がってきた衝動が、どうしようもなく溢れてしまいます。
ワンワンと、ただ泣きじゃくるだけの唯依を、胸の中に抱き止めてくれた叔母様は、唯依が落ち着くまで、そうしてくれていました。
優しく髪を、背を撫でながら。
そうして、唯依が落ち着くのを見計らい、叔母様は話しかけて来ました。
「ウチの放蕩息子は、とんでもない所まで翔け上がるつもりよ」
誇らしげに、寂しげに、そう言いながら叔母様は、空を見上げ、そして言葉を重ねます。
「唯依ちゃんは、どうするの?」
どうする。
どうすれば。
いえ、唯依はどうしたいのか?
……そんな事……
「決まってます」
唯依の口が、意思に寄らずに動きます。
思わず両手で口元を押さえる唯依を、叔母様は楽しげに笑いながら見ていらっしゃいました。
……ううっ、恥ずかしかったです。
でも、それが唯依の本心。
兄様が、どこまでも翔け上がっていくというのなら、その時は、唯依も、きっと……
○西暦一九九一年一月二十日
今日は嬉しい事と恥ずかしい事が一つずつ。
禍福はあざなえる縄の如し――な一日でした。
『スヴァルトアールヴヘイム』の出航も無事に成り、兄様もようやく一息つけ、今日はゆっくりと相手をして頂けるとの事。
先日の一件以来、少し気後れするモノもあったのですが、だからこそ楽しみにもしていたのです。
楽しみにしていたのですが、まさかあんな事になろうとは………
その時、唯依とルル兄様は、縁側で日向ぼっこしながらお茶をいただき、話に花を咲かせていたのです。
ですが、ある時、不意に兄様の言葉が途切れました。
唐突に途切れた会話に、唯依も動揺してしまい、思わず兄様を呼びます。
「兄様?」
返事がありませんでした。
まるで屍の様だ……ではなくて、眠っておられました。
一月とはいえ風も無く、陽射しも暖かい所為でしょうか?
縁側に腰掛けた兄様は、うつらうつらと舟を漕いでおられます。
対して、唯依はと言えば、話の途中で眠られてしまい少しだけムッとしましたが、ここ数ヶ月の兄様の激務を思い出し、仕方ないかと諦めました。
そうでなくても、平気で無理をなさる方なのです。
ここは、少しくらい休ませて差し上げるべきだろうと。
とはいえ、手持ち無沙汰となった事は否めませんでした。
何せ、話し相手のルル兄様が眠ってしまったのですから。
――さて、どうしたものか?
そう首を捻った直後、唯依の懸念は吹っ飛びました。
ユラリと傾いだ兄様の身体が、唯依の方へと倒れ掛かってきたからです。
一瞬ビクッとしましたが、咄嗟の反応で唯依が兄様のお体を支えることで事無きを得ました。
……でも、これは……近い! 近いです! ルル兄様っ!
こんなにも近くで兄様を見るのは、以前、添い寝して貰って以来の事。
サラリとした濡羽烏の髪が、唯依の頬に掛かります。
規則正しい安らいだ寝息が、唯依のうなじを擽るのです。
頬が燃える様に熱くなり、胸がドキドキと張り裂けそうな程に高鳴りました。
熱に浮かされた頭が、自分のモノとは思えぬ程、ボォ〜っとなってしまいます。
……そう思わぬ事態に、パニックになっただけなのです!
だから、だから………
気付いた時には、兄様の頬に、せ、接吻していたのも唯依の本意デハナイノデスっ!
ゆ、唯依は、常に容儀を整え、貞淑で慎み深く在らねばならぬ武家の娘なのですから。
こんな……こんな、ふしだらな真似をしてしまったのも、ね、熱に浮かされただけなのです!
そんな風に、兄様に口付けたまま、千々に乱れる胸中で絶叫していた時でした。
カシャッと、破滅の音が鳴ったのは。
振り向いた先には、何故かカメラを構えた真理亜叔母様が……って、叔母様ァアァァァッ!?
羞恥のあまり茹蛸の様に真っ赤になる唯依を他所に、叔母様は実にイイ笑顔を浮かべました。
そう……まるで極上の獲物を目の前にして、舌舐めずりする猫の様な。
そして、あまりの展開にアウアウとうわ言を漏らすだけの唯依に向け、軽くウィンク一つを投げかけると、そのまま叔母様は去って行きました。
ルンルンと擬音が付きそうな楽しげな足取りで。
それに対して、支えているルル兄様を放り出す訳にもいかず、なによりパニックに陥っていた唯依は、叔母様を制止する事すらできませんでした。
そのまま幸せな重みを感じつつ、ドキドキと違う意味で心臓を打ち鳴らす時間が暫し続き、やがて眼を覚ました兄様に、平謝りに謝られても心此処に在らずの状態で、そそくさと逃げ帰ってきてしまいました。
ルル兄様、唯依の素っ気ない態度に、お気を悪くされていなければ良いのですが。
……嗚呼、でも本当に、禍福はあざなえる縄の如しな一日でした。
叔母様があの写真をどうする気なのか?
気になって気になって、今夜は眠れません!
○西暦一九九一年一月二十一日
今日、叔母様から昨日の写真を、こっそりと渡されました。
なんなのですか!?
この永久保存加工とやらはっ!
いつまで経っても色褪せない?
いつまでも美しいまま思い出を残せる?
そんな事は訊いてません!
……えっ?
ネガは、きっちり完全密閉の上、某大銀行の金庫に入れてあるから大丈夫……って……
………
……
…
ううっ、結局、唯依は脅迫に屈しました。
ゴスロリ?
という服らしいですが、西洋のヒラヒラとした服を何着も着せられる破目に。
更には、写真までパシャパシャと。
これでまた一つ、叔母様に頭が上がらなくなってしまいました。
……でも少しだけ、ほんのチョッピリ、可愛らしい服が着れた事が……い、いえ、武家の娘たる者、その様な浮ついた気持ちは厳として戒めるべきモノ。
唯依も、まだまだ精神修養が足りません。
己の未熟さを強く意識する一日でした。
○西暦一九九一年一月三十日
衝撃の事実を知ってしまいました。
叔父様が、巌谷の叔父様が………はて、以前にもこんな事を書いた様な?
……いえ、そんな事は、どうでも良いのです。
あの巌谷の叔父様と父様が、仲違いをされていたとは……
元旦は兎も角、三が日はおろか松の内にも顔を出されなかったので、どうされたのかと案じていたのですが、その後、ルル兄様絡みで色々あり過ぎて忘れておりました。
今日、久しぶりにお休みの父様と過ごしている内、不意に思い出して聞いてみると、なにやら父様らしくない歯切れの悪いお返事が。
不審に思い問い詰めてみると、年末に今後の戦術機開発の方針で意見が割れ、喧嘩になってしまったそうです。
唯依としては、叔父様と父様が仲違いしているなど、到底、納得できる筈も無く、それなりに時間も経った事ですし、そろそろ仲直りされてはと、お勧めしたのですが………
どうも、父様も叔父様も、意地になってしまったらしく、中々、芳しいお返事がいただけませんでした。
本当に、どうしたら良いのか?
新年から、頭の痛い事です。
|