―― 西暦一九九一年 二月二日 小惑星『MFU』近傍 ――
「ふむ……やっぱり
正面モニターに映る目的地を眺めながら、お気楽な口調でロイドが呟く。
二週間そこそこの単調な宇宙の旅で、退屈しきっていた彼にしてみれば、ようやく無聊から解放されるとあって、常よりも微妙にテンションが上がり気味であった。
対して、今回の計画の現場責任者殿はと言うと………
「なにを馬鹿な事を。
真面目にやれロイド!」
「……相変わらず固いねぇ。
もうちょっと余裕とユーモアが無いとダメダメだよぉ」
相変わらずの生真面目さを維持し続けているジェレミア。
そんな友人(?)の反応を、ロイドは鼻先で軽く笑った。
――もう少し肩の力を抜けばいいものを。
内心で、そう呟く彼の視界に複数の光の筋が映る。
宇宙作業用に改造されたミドル・メアフレームの一隊だ。
数十機の機体が、強制推進剤の産みだす白い航跡を曳きながら、次々に目的地――『MFU』へと降り立っていく。
「……まあ、作業は順調の様だがな」
「当ったり前さぁ〜
その辺りは、ちゃ〜んと考えて動いてるんだからねぇ」
憮然として呟く男に、勝ち誇った声が返された。
全く緊張感の無いその声に、ジェレミアは不機嫌そうに眉を顰めるが、流石に言い返したりはしない。
計画通りに作業が進捗していく事は、彼にとっても喜ばしい事であり、下手に水を注して、ヘソを曲げられては堪らないとの判断もあった。
とはいえ、である。
――しかし、この緊張感の無さはいただけん!
ロイドのお気楽さが感染したのか、ブリッジ内にも何処か緩んだ空気が見えるのが彼的には微妙に不満だった。
リラックスしていると言えば聞こえは良いが、出発当初の緊張感が薄れているのが不安を煽る。
これはやはり……
胸中で、そう呟きつつ、我が身を省みた。
常と変わらぬキャメロットの制服姿は、地上に居た時と同様、一部の隙も無い。
片手に持ったカップには、中身が半分ほどになったコーヒーが有り、残り少ない芳香を細々と立ち上らせていた。
「便利過ぎるのも、考え物かもしれんな」
ボソリと呟き、溜息を吐く。
そう、余りにも地上と変わらぬ生活が出来るこの艦が、
そんな危惧を抱くジェレミアに対して、ロイドは異なる意見を提示する。
「別に皆、腑抜けている訳じゃないさ。
慣れ過ぎて失敗するのもマズイけど、緊張し過ぎてもやっぱりマズイ――それが分かっているだけだよ」
「……なら良いのだがな」
この男にしては珍しい他人への擁護。
ジェレミアの頬にも、わずかな苦笑が浮かんだ。
心配し過ぎかと、自分でも思わぬ訳でもない。
だが、やはりジェレミア・ゴットバルトには、こういう生き方しか出来ないのも事実だ。
そして、そんな自身の欠点をロイドが補い、ロイドのお気楽さを自身が正す――そういった点においても、自身とロイドを組み合わせて派遣した主君の慧眼には感服する次第である。
締め付け過ぎず、さりとて緩め過ぎず。
ある意味、理想的なコンディションが維持された艦内で、両輪たる男達は更に言葉を交わす。
「この後の予定はどうなっていたかな?」
「ベースキャンプとなる場所の確保は今日中に終わる筈だから、次は『MFU』の地質調査だねぇ」
今後の段取りを話し合う二人。
とはいえ、それらは慎重に練り上げられた計画の内だ。
どちらも把握している事の再確認であり、意識合わせとしての意味合いが強いだろう。
それを示す様に、返された答えに一つ頷いたジェレミアは、詳細を問う事無く次の質問を投げた。
「どれ位かかりそうだ?」
「いや、直ぐに終わるよ。
元々この小惑星は、あちら側で充分に調査がされてるからねぇ。
こちらは、それをコンペアデータとして、簡単な調査結果と照合するだけで済むのさ」
ヘラヘラと笑いつつも、自身有り気にロイドは応じた。
データの照合自体は、全自動で行われる為、人手もそれほど掛からない。
というか、流石にあちら側から持ち込んだデータを、滅多な相手に見せる訳にもいかない以上、そうせざるを得ないというのが実情だ。
誰も調査した事の無い小惑星の詳細な探査情報など怪しさ爆発の代物である。
選抜された
そしてなにより、彼らが、この小惑星に固執する理由が、万に一つであれ漏れる危険性を潰す為にも、限定された範囲であれ余計な情報を開示するのは、徹底して避けねば成らない。
ジェレミアの視線が、モニター内の『MFU』へと向けられた。
「中身が違っている可能性は無いのか?」
微かに残る懸念を口にする。
何度となく検討され、その都度、否定された事だが、万が一、いや億が一の不安をかき消したいと思うのは、妙なところで慎重な彼ゆえだ。
ロイドの双眸に、ヤレヤレといった光が浮かんで消える。
微かに浮かんだ苦笑を、口中で噛み殺しながら、今度は真面目な表情で彼も応じた。
「百%無いとは言い切れないけどねぇ。
地球みたいに地殻変動が有る訳じゃなし、外形が完全に一致している以上、まず無いだろうさ」
重ねられた否定。
それに安堵の念を感じつつ、ジェレミアは静かに呟いた。
「……そうあって欲しいものだ」
真摯な願いを込めた呟きが、喧騒に満ち始めたブリッジ内に溶けて消える。
色違いの二対の視線が、ロイド曰く、『
ゴツゴツとした岩肌を虚空に曝す小惑星『MFU』。
それは、彼らのみが知る彼の世界において、この無骨な小惑星に付けられた名称の略である事を知るのは彼らだけ。
そして、その本来の名、
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 一月二十日 帝都・煌武院家 ――
外界を満たす身を切る様な寒気から区切られ、充分以上の暖の取られた室内に、紙をめくる音が響く。
ひどく熱心な様子で新聞を読む少女と、その傍らに端然と座し精神修養でもするかの如く、瞑目している少女。
そんな二人の少女のみが居る空間に、途切れる事無く紙面をめくる音が響き続け……
――パサリ
と、小さな音が鳴ると同時に、それは途切れた。
「ふぅ……」
柔らかそうな唇から、困惑とわずかな怒りの混じった吐息が漏れた。
読み手の癖か、綺麗に畳まれ脇に置かれた複数の新聞を、憂いを込めた眼差しが見下ろす。
――これは、余りにも酷過ぎるのでは?
少女の胸中に憤りにも似た想いが浮かぶ。
基本的に言論の自由を尊ぶ彼女にしても、眉を顰めたくなる程のヒステリックさを感じさせる文章には薄ら寒さを覚える程だ。
以前は、国粋主義的な新聞が騒がしかったが、そちらが下火になった代わりとでも言わんばかりに、今度はリベラル色の強い紙面が、特定の相手を対象に尽きる事無く非難を綴っている。
話題の主たる枢木への性質の悪い悪意、或いは害意の存在が、そこに滲み出ているのを、少女――煌武院悠陽は敏感に感じ取っていた。
そんな彼女の憂い顔を、傍らで注視していたもう一人の少女――月詠真耶が、困った様な口調で苦言を呈する。
「悠陽様、その様な瑣事、貴方様が気になさるべき事ではないと愚考致しますが?」
「……分かっています。
ですが、これは余りにも酷過ぎるのではないですか?」
硬い声音で放たれた側近の諫言に、悠陽は悲しげに眉を寄せた。
確かに自身の立場を考えるなら、真耶の主張は正しい。
次期将軍たるこの身が、一企業を贔屓にするような言動を口にするのは、決して褒められた事では無いのだから……しかし、それでも……
声に成らぬ声が、彼女の内で響く。
すると、まるでソレを聞き取ったかの如く、端然たる姿勢を保ち続けていた真耶は、一つ膝を進めて悠陽の顔を覗き込んだ。
「確かに、いささか加熱し過ぎではありましょう。
ですが、それもアヤツ自身が蒔いた種です」
世界に喧騒を巻き起こすが如き言動を為したルルーシュの非を、真耶は訴えた。
良くも悪くも騒動の根源は、あちらに有るのだと。
それも又、一面の真理。
彼の人物が、望んで乱を招いている節がある事は、相応に目端の利く者になら直ぐに判るほど露骨なのだから。
……とはいえである。
「……ですが、枢木は、独力で事を成そうとしているだけ。
国や民に迷惑をかけた訳ではないでしょう?
それなのに、此処まで一方的な非難をするというのは、理不尽ではありませんか」
悠陽の主張も、また正しい。
国費を浪費した、或いは国民に犠牲を強いた。
それならばまだ判る。
だが、一企業が自身の裁量の範囲内で行う事業を、何の関係もない外野が一方的に攻撃するというのは道理に合わぬ話ではあった。
これが人倫にもとる非道の所業とでも言うなら兎も角、現時点では枢木の内部に納まる話である以上、現在のリベラル派マスコミによる枢木への非難攻勢は、客観的に見る限り明らかにおかしな部分を含んでいる事になる。
真耶としても、その辺りの矛盾を見て見ぬフリをする気は無かった。
微かに眉を顰めつつも、主の意見に同意する。
「確かに、マスコミ連中の騒ぎっぷりは異常です。
恐らくは、誰かが裏で煽っているのでしょう。
今更の話ではありますが、アヤツには敵が多い」
悠陽の表情が、陰りを帯びた。
真耶の双眸にも、一瞬、憂いが過ぎる。
兎に角、敵の多い困った知人を、互いの脳裏に描きつつも、続く反応はやはり異なっていた。
憂いの色を濃くする悠陽に対し、真耶は明白な不満を浮かべ、そして口にする。
「ですが、重ねて言いますが、アヤツにも非はあります!
ここ暫らく雲隠れして、表に出てこないのですから、非難されても仕方ないでしょう」「真耶さん?」
憤懣やるかたないといった表情で、そう吐き捨てる真耶。
一方、突然、怒気を見せた側近の変化に、悠陽は戸惑うように声を掛ける。
すると……
「言いたい事、主張したい事があるなら、とっとと出てきて連中を言い負かしてやれば良いのです!」
優美な曲線を描く手が青畳を叩き、彼女の怒りの程を示す。
肝心要のこの時に、姿を消したまま音沙汰の無いトラブルメーカーに対し、何故だか分からないが、言い知れぬ強い怒りを彼女は覚えていた。
そうやって、珍しく感情を露にする真耶に対し、一瞬、呆気に取られた悠陽であったが、彼女の怒りの意味を理解すると淡い笑みを浮かべる。
「言い過ぎですよ真耶さん。
ルルーシュ殿にも、相応の理由があっての事でしょう」
たしなめる言葉が、自然と零れ落ちた。
咎めた訳ではない。
ただ、苛立ちを慰撫するような柔らかな声が、真耶の興奮を鎮め、自身の醜態を思い起こさせた。
少女のシャープな容貌が、羞恥の色に染まる。
すると、その機を狙っていたかの様な絶妙のタイミングで、第三の声が彼女等の間に割って入った。
「いやいや、つまり月詠殿は、ここ暫らく屋敷を訪ねても愛しの殿方に会えず、情緒不安定気味という訳ですか?」
「なっ!?」
朱に染まっていた顔が、真紅へと変じた。
思わず声の主へと振り向けられた二対の視線の先に、いつの間に入り込んだのか、脱いだトレンチコートを脇に置き、寛いだ姿勢で湯気の立つコーヒーを啜る男が映る。
羞恥と驚愕に固まる真耶を他所に、先日より手の者として迎え入れた男へと悠陽が声を掛けた。
「鎧衣?
……そうなのですか真耶さん?」
「ち、ち、違います!
な、何故に私が、あ、あんな根性悪な男の事をっ!」
不思議そうに首を傾げる悠陽の前で、動揺のあまりドモリまくった真耶が、つっかえつっかえ否定する。
少なくとも、彼女の主観においては、アレはそんな甘い気持ちを抱く相手ではなかった。
――嫌味ったらしい皮肉屋でありながら、詐欺師の如く口が上手く、口論で勝てた試しが無い嫌なヤツ。
――婦女子に対する礼も労わりも持たず、そのクセ、妹分にはトコトン甘い
そんな性格破綻者に、この月詠真耶が懸想するなど、天地がひっくり返っても有り得ない。
矢継ぎ早に声を荒げて主張する真耶の面前で、素知らぬ顔のままコーヒーを啜っていた鎧衣は、彼女の息が切れた瞬間を見計らい、絶妙なタイミングで二の矢を撃ち放った。
「はてさて、いつ枢木の御仁が、などと申しましたかな?
月詠殿もそろそろお年頃、そういった方が居られても不思議は無いと考えての事だったのですが………いやはや、これは瓢箪から駒ですかな?」
見事なまでの揚げ足取りに、真耶の動きがピシリッと固まった。
興味津々と言わんばかりの視線が、彫像と化した彼女へと注がれる。
「まあまあ……本当ですか?」
「ち、違うと言っています!
わ、わ、私と付き合いがある男が、アヤツだけだという話です!」
抑え切れぬ興味が溢れる主君の問い掛けに、完全に狼狽し切った真耶は、思わず口を滑らせる。
しかし、それは……
「それはそれで、寂しいお話ですな」
グサリッとトドメが刺された。
情け容赦の欠片も無く。
己を見る主君の眼差しに、明らかな憐れみの色が宿ったのを認識した瞬間、真耶の理性がブツリと切れた。
頬と瞳を真っ赤に染め上げた少女は、溢れる涙を拭う事無く猛る心のまま吼える。
「余計な世話だっ!
そもそも貴様、何の用でやって来た!」
もはや破れかぶれの心境で叫ぶ彼女の前で、年少の少女を弄って愉しんでいた中年男の相貌が、にわかに引き締まった。
歴戦の古強者を想起させるその表情に、悠陽と真耶の顔も困惑から緊張へと速やかに移り変わる。
手にしたカップを傾け、残りのコーヒーを喉へと流し込んだ鎧衣は、おもむろに口を開いた。
「どうもソ連と中共の間で、妙な動きがあるようなのですよ」
唐突に告げられた警告。
それが意味するモノを悟り、年若く麗しい主従の美貌が揃って強張った。
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 一月二十日 インド領・旧ボパール近郊 ――
広がるは一面の荒野。
赤茶け乾き切った大地。
あと数年も経てば、不毛の砂漠と化すであろうその地を、複数の人に似た影が疾駆する。
対比物の無い荒野故、非常に分かり難くはあったが、それ等は皆いずれも、人のそれとは大きくサイズが異なっていた。
およそ人間の十倍に達する巨大な影。
人の形を模した機械。
それ等の存在を、作り手達は、こう呼ぶ。
「キャメロット1より各機へ。
これよりBETA支配地域へ突入する。
――気を抜くな、常に周囲に注意を払え!」
『『『イエス・マイロード』』』
打てば響く様に返るキャメロット独特の復唱。
元斯衛の身としては、当初、あまり馴染めなかったコレも、今では慣れたものだ。
思えば遠くに来たものだと、時折、思う事もある。
だが同時に、敬愛、いや崇拝にも似た感情を抱いていた上官が、上層部に疎まれ、いびり出される様に斯衛より放逐された事を知った時、そのまま辞表代わりに斯衛の制服を叩き付け、飛び出した事を後悔した事も無かった。
あの日より既に五年。
幾多の戦場を駆け抜けたその身は、今や、一流を超える域へと到りつつある。
隊を預かるジェレミアが、安心して代理を任せられる程に、その手腕と精神力は円熟へと達していた。
………そう、達していた筈だった。
なのに今、その顔を覆い尽くすのは、どこか胃痛を堪える様な苦悶の表情。
BETAに対する生理的な恐怖・嫌悪感とは、別次元に存在する心理的な負荷を感じつつ、坂井は、自身が預かる中隊の内の一機に回線を繋ぐ。
くすんだ色の金髪と青い眼した少年兵が、網膜投影される映像の一角に映った。
「……キャメロット7、調子はどうか?」
「ハッ!
まったく問題ありません」
案ずる問いに対し、流暢な日本語で応えが返った。
恐らくは十五を出たか出ないかにしか見えない幼さながら、その声に怯えや緊張の色が微塵も感じられないのは、ある意味、驚嘆すべきだろう。
だが、この程度ならば、前線では決して珍しい光景でもなかった。
形振り構わぬのが、否、構っていられないのが、前線国家に共通する事情である。
少年・少女兵など、前線に行けば掃いて捨てるほど目に付く存在でしかなく、そんな環境で生き残った面々は、年嵩の古参兵並のふてぶてしさを獲得しているものだ。
この場合、真に驚くべきなのは、眼前に映る少年が、掛け値なしでの初陣であるという事の方だろう。
隊内でも、欠員の補充として参入してきた年少の割に度胸の据わっている新人を、奇異の眼で見るモノも少なくない。
対して、唯一、彼の正体を知る坂井は、内心で舌を巻きつつも、流石と感心する想いを打ち消し、努めて冷静さを装いながら、上官としてのアドバイスを口にした。
「……そうか。
初陣故の気負いもあろうが肩の力を抜け。
なに、行って帰って来るだけの簡単な任務だ」
「先程のお言葉と矛盾しませんか?」
首を傾げる少年の頬に走る大きな傷が、引き攣る様に動く。
秀麗としか言い様の無い容貌を、大きく損なうソレが、彼の印象の大半を決めていた。
計算ずくの
「新兵は、無駄に力が入り過ぎる。
少し気が抜けている位で丁度良い」
内心で、必要ないだろうなぁ〜――等と思いつつも、告げた忠告に、少年の頬もわずかに綻ぶ。
「ご配慮、感謝します」
律儀に頭を下げる彼――アラン・スペンサーに、軽く手を振って応えると、坂井は通信を切った。
そのまま消えた映像を脳内からも消しながら、男は深い溜息を吐く。
『嗚呼……胃が痛い。
ジェレミア隊長が戻られたら、何と言われる事やら……』
現キャメロット代表代行を務める元気な上官を思い浮かべながら、彼が帰ってきた時の事を思い頭を抱える。
烈火の如く怒り狂う様が、現実の事の様に想起できてしまった。
こうなってしまった流れを思い起こし、あそこで強硬に反対していればと、今更ながらに思う。
まあ、今更ではあったが……
そもそもジェレミア不在の間は、キャメロットも開店休業状態になる筈だったのだ。
社の名声が高まり、あちこちらかの依頼も増えた昨今、この機を利用して中隊規模であった部隊を、訓練兵を昇格させる事で大隊規模まで拡張する予定になっており、事実、数名の旧中隊員が新設される第二、第三中隊の隊長・副長として、今この時も部隊編成と練度向上へと汗を流している筈である。
それが、何故こうなったかと言えば、一重に上の判断としか言い様が無かった。
そう上の判断である――彼が、今でも崇拝する元上官とその一人息子の。
とはいえ、その時点では、まさかこんな事になろうとは、夢想だにしなかった坂井であった。
『嗚呼、断れば良かった』
キリキリと痛む胃を宥めつつ、内心でぼやく。
そんな彼の悩める心情を他所に、良く通る声が、ヘッドセット経由で伝わってきた。
『キャメロット・マムよりキャメロット1へ。
現在地から二時方向八kmに大隊規模のBETA群を確認。
該当群集団の後方にも、更に一個大隊を確認。
司令部は当該集団を、キャメロット中隊の誘引対象に指定しました』
新規採用されたばかりの専属CPから、本作戦司令部からの命令が伝達される。
瞬間、坂井の中でスイッチが切り替わった。
嘆きも、心労も、後悔も、悉く遠くの棚の上へと放り投げたベテラン衛士は、鋭さを秘めた口調で復唱を返す。
「キャメロット1よりキャメロット・マムへ。
命令を受諾。 これより当該BETA群の誘引を開始する」
『ご武運を』
「感謝する。
いくぞ! キャメロットの
腑抜けた真似をすれば、後で隊長に絞め殺されると思えよ!」
気合の入った雄叫びが、電波に乗って響き渡る。
『『『イエス・マイロード』』』
すかさず返された負けず劣らず力の入った復唱に、男の頬が満足気に緩む。
ここからは死線。
この世とあの世の境目を分ける一線の上で踊られる死の舞踏。
クヨクヨと悩んでいる暇等どこにも無く、それが今は心地良かった。
「キャメロット7は、俺から離れるな。
新米の貴様は、生き残る事が、今回の任務だ!」
『イエス・マイロード』
打てば響く様に返るキャメロット独特の復唱。
今の男にとって、それはそれ以外の何物でもなかった。
そのまま疾走する巨人達は、瞬く間に標的までの距離を詰める。
半ばまで抉られ半壊した丘を越えるや、坂井の号令が飛んだ。
「全機、斉射三連――撃てっ!」
号令一下、射撃体勢に入っていた中隊各機が、ほぼ同時に警告コードと共にトリガーを引く。
『キャメロット4、フォックス3』
『キャメロット5、フォックス3』
『キャメロット6、フォックス3』
次々に36ミリチェーンガンを撃ち放ち、BETA共の注意を引きつける巨人達。
そんな中、今回初陣の新米衛士アラン・スペンサーも、先輩衛士に習うように引き金を絞った。
「キャメロット7、フォックス3」
網膜投影される映像の中、戦車級を始めとした複数の小型種が、降り注ぐ砲弾の雨に撃たれ四散した。
一方的な殺戮が、隊長の告げた斉射三連の間だけ続き、そして辛辣な反撃が返される。
大地を覆いつく汚らわしい赤。
ゾワゾワと広がっていく赤い赤い絨毯――戦車級の大群が、無粋な侵入者を喰い殺すべく迫ってくる。
その背後に続くのは甲殻を剥がされたサソリを連想させる要撃級。
更に、その後方から上がる土埃は、恐らくは突撃級の群れだろう。
それ等BETAの主力を占める三種が、猛然と迫り来る様を確認するや、キャメロット中隊十二機は、次々に機体を翻し逃走へと移る。
跳躍ユニットを噴かす事無く、
そんな中、自らの機体を自在に操りながら、アラン・スペンサーの口元が不敵な笑みを描く。
『さて、上手くいくか?』
本作戦自体の有用性については、ある程度、彼自身も評価している。
だが、泥縄の感が否めない面も少なからず有ったのだ。
なにせ、未だ明確な戦術化どころか、概念の確立すらも不十分な今回の作戦。
それは、日毎に数を増し続けるBETAを相手に、防衛線に篭って居るだけでは、何れジリ貧になって押し潰されるのが明白な現状を打開する為、効果的な対BETA戦術の構築を試行錯誤する中で考え出された作戦案の実証試験でもあった。
本作戦の骨子を簡単に言えば、BETAがハイヴより溢れる程に数を増す前に、ある程度の数を誘き出し、人類が優位に立てる様に設定された戦場へと引きずり込んで叩き潰す――ただ、それだけである。
根本的な状況の改善を目指すのではなく、大規模侵攻を遅らせる為だけの対処療法的な戦術案として試行されつつあるこの作戦が、一九九〇年代半ばには数少ない有効な対BETA戦術――漸減作戦として確立される事になるのは、未来予知能力を持たぬ身の彼が知る由もなかった。
そして何より、未だ戦術理論構築の段階にあるという事は――
『キャメロットマムよりキャメロット1。
部隊前方より一個大規模のBETA群が接近中!
撤退ルートの変更を、早く、急いでっ!』
――思わぬ事態、想定外の危機というのは、イヤという程、出てくる事になる。
完全に予定外の出来事に、坂井も声を荒げて問い質す。
「どういう事か!?」
『別の部隊が誘引してたBETA群です。
囮部隊が速度を上げ過ぎて、振り切ってしまいました』
困惑し切ったCPの声に、男は喉元まで競り上がってきた罵声を飲み込んだ。
どう見ても、八つ当たりにしかならないソレを、必死に押し殺すが、それでも抑え切れぬ幾らかが、ぼやきとなって零れ落ちる。
「傍迷惑な事をしてくれる」
『……こちらからも、抗議は出しています。
ですが、今は速やかなルートの変更を!』
押し殺された怒りを感じたのか、わずかな動揺がCPの声に滲んだ。
それでも必死で脱出ルートを示すのは、プロとしての意地だったのだろう。
自身の未熟さを坂井は自覚した。
「分かった……それと済まない。
全機、前方が塞がれる前に逃げ切るぞ」
謝罪の言葉を口にすると、素早く意識を切り替える。
詫びは後で改めて――そう心に誓った男は、送られて来た情報に素早く眼を通しながら脱出命令を下した。
もはや誘引自体は、失敗したものと割り切るしかない。
前後を三個大隊規模のBETA群に押さえられば、わずか一個中隊の戦術機部隊ではいい様に嬲り殺しにされるだけだ。
状況の急激な悪化の中、機敏に判断した隊長機の号令一下、部隊全機の跳躍ユニットに火が入る。
――しかし
『ダメだな。
このままでは逃げ切れん』
彼我の位置関係、地形上の制約からくる移動速度上限、前方BETA群の戦力分布等々。
様々な条件を、瞬時に読み取ったアラン・スペンサーは、冷徹にそう判断した。
前方に展開しつつあるBETA群を回避していては、後方から追撃してくる別の群れに捕捉されるのは確実で、そうなってしまえば間違いなく何機か喰われる破目になる。
時間を掛け、場数を踏ませ、丹精込めて練成してきた精鋭達がだ。
それは、彼にとっても余りにも惜し過ぎる損失であり、到底、許容する気にはなれない。
となれば、だ。
「キャメロット7よりキャメロット1へ。
迂回ではなく、このまま突破する事を進言します」
ザワリと気配が震えた。
轟音をたてながら猛スピードで移動する機械仕掛けの巨人達が、それと判るほどに動揺を見せる。
対して、唯一揺らがなかった機体から、間髪入れずに応答が返って来た。
「逃げ切れないと見たか?」
網膜投影内に映し出される坂井の顔が苦渋に歪んでいる。
それでも、彼自身、分の悪い判断と思っていたのか、躊躇いつつも返される問いに遅れは無かった。
そんな年長者にむかい、一番の若手が無言で頷く。
無言をもって雄弁以上に語る相手に、坂井は軽く溜息をついてみせた。
「……仕方ない、腹を括るか。
キャメロット1よりキャメロット各機へ。
進路はこのまま、前方BETA群を突破する!」
『キャメロット1っ!?』
坂井の宣言に、悲鳴めいたCPの声が重なった。
自らBETAの群れに突っ込むという無謀さに、おそらくは指揮所内で眼を剥いている事だろう。
だが、彼らにも彼らなりの勝算が有り、その上での選択だった。
四の五のと問答を交わしている余裕など無い事を、よく理解していた坂井は、有無を言わせぬ迫力で一方的に決め付ける事にする。
「キャメロット1よりキャメロットマム。
前方BETA群は、バラけて散っている分、密度が薄い。
迂回して時間を浪費するよりも、突破を掛けた方が生存率は高くなる筈だ」
『……キャメロットマムよりキャメロット1へ。
了解しました。 前方BETA群の最も薄いルートを伝達します』
事態の切迫度は、向こうにも分かっていたのだろう。
諦めたような声と共に、現在分かっている範囲の情報から割り出された最適な脱出ルートが送られて来た。
男の頬が、微かに綻ぶ。
「スマン。 感謝する」
再び謝意を重ねると、今度は部隊全てに向けて檄を飛ばした。
「行くぞ!
各機、遅れずついて来い」
『『『イエス・マイロード』』』
躊躇いも戸惑いもなかった。
迷いこそが最大の敵であると理解していた歴戦の勇士達は、これまで示されてきた実績を信じて彼の指揮に従う事を選択するや、示された一筋の道を駆け抜けるべく疾駆する。
更に加速する十二機の巨人達。
BETA最速を誇る突撃級すら超える速度で跳躍する戦術機達は、後方から追い縋るBETA群を見る見るうちに引き離していく。
『後方はこれで良し。後は……』
前方マップに広がる無数の赤い点。
その中でも、比較的密度の薄い箇所を縫う様に示される青いラインを見据えながら、坂井は、重ね合わされた地形情報に眉を顰める。
未だ完全なBETAの支配領域に入っていなかった恩恵で、運良く残されていた自然の地形が今だけは恨めしかった。
切り立った渓谷を抜ける道筋は、正直な処、かなりリスキーに見える。
『迂回するか、或いは飛び越えるか?』
一瞬、脳裏を過ぎった回避策だったが、次の瞬間には、そのまま脳内のダストボックスへと放り込まれた。
迂回した場合、後方から追いつかれる危険性と前方の敵戦力の厚みが増す危険性が揃って存在する。
対して、跳躍で飛び越えるとなると高度が上がり過ぎる可能性――即ち、光線級による狙撃の危険性が増大する恐れがあった。
接近しつつある渓谷の入り口を視界に収めながら、一つ深呼吸して荒れる呼吸と鼓動を宥めた男は、先程、同様に腹を括って選択する。
再び放たれた号令一下、
「上下左右に注意を怠るな。
化物どもは、どこからでもやってくるぞ!」
部下に注意を促しながら、自身も気を張り詰めて警戒しつつ、暗い谷間を走り抜ける。
渓谷自体の長さは大したことは無く、
ただ、通常の平地戦と異なり、上方まで警戒する必要があるのが辛いと言えば辛い。
しかし、ここが踏ん張り処と弁えていた一同は、新兵のアランも含めて誰一人として警戒を怠ることは無く、結果としてそれが、彼ら自身の生命を救う事となった。
渓谷の三分の二までを踏破し、あと少しという気の緩みが産まれるか否かの瀬戸際に、激しい
「上方警戒!」
鋭く短い命令が放たれる。
間髪入れずに切り替わった一同の視界の中、谷間の上に覗く空が真っ赤に染まって見えた。
最早、反射の領域で十二門の突撃砲が、上方へと向けられる。
警告コードを発する余裕すらないままに、ほぼ同時にトリガーが引かれるや36ミリチェーンガンが轟然と火を噴いた。
降り注ぐ戦車級の雨を、地上から撃ち上げられる36ミリ弾の雨が迎え撃つ。
猛烈な砲火の洗礼を受け、その大半が撃ち砕かれ赤黒い肉片となって落ちてくる戦車級であったが、何より数が多かった所為で、稀にその網を潜り抜けるしぶとい個体もあった。
それらを生き残りをナイフで切り払い、銃床で殴り飛ばし、或いは足底で踏み躙って進むキャメロットの精兵達。
不気味な色の肉片を全身に強制ペイントされながら進む様は、悪鬼羅刹の群れを思わせる程に凄惨を極めていた。
そんな死戦を繰り広げながら、それでも未だ脱落する機体が無い事は奇蹟に近い。
否、奇蹟には種があったのだが、死力を尽くしての戦いに当事者すらソレに気付いてはいなかった。
引き千切られ、粉砕された肉片に紛れ、運よく砲火をすり抜けた戦車級が、敏捷な動作で渓谷壁面を蹴り、手近な機体へと襲い掛かる。
「ちっ!」
キャメロット7こと新米衛士アラン・スペンサーは、自身の間抜けさを罵るように鋭い舌打ちを打った。
渓谷の出口を塞ぐ数体の要撃級に気を取られた事など、言い訳にもならない。
そんな彼の未熟さを嘲笑う様に、スルスルと機体の背を駆け上がった戦車級は、
死守せねばならない少年に迫る危機に、坂井は我を忘れる。
「ルルッ『ブンッ!』!?」
男の絶叫と無数の虫の羽ばたきにも似た不快な音が重なる。
刹那、アランの機体に取り付いた戦車級の体表に青白い稲光が走り、そのまま弾ける様に吹き飛ばされた。
「なっ?」
驚愕に坂井が眼を剥く。
一旦、取り付かれたが最後、高い確率で衛士を食い殺す戦車級が、こうも容易く排除される光景など、相応の戦場経験のある彼にしても初めて見る光景だったのだ。
対して、取り付かれた本人はというと、いたって平然とした表情のまま足元に墜ち、口から湯気を上げながら弱々しく痙攣している戦車級を見下ろすと、そのまま無造作に踏み躙る。
グシャッと肉の潰れる音が鳴った。
足底から地面へと滲み出す濁った色の液体を一瞥したアランは、流れるような動作で、唖然として固まっていた隊長機の背後へと120ミリ砲を容赦なく撃ち込む。
振り上げられた前腕衝角が根元から千切れ飛び、皺くちゃな人面を思わせる尾節が血霧となって四散した。
いつの間にやら近づき、そして瞬時にして肉塊と化し、いま地面に崩れ落ちる要撃級の姿に、此処が未だ死神が跋扈する戦場である事を、今更ながらに思い出した坂井は、声を限りに指示を飛ばす。
「全機、全速で離脱せよ!
渓谷を抜けたら一気に長距離跳躍に移る。
後少しの辛抱だ。 気張れよ!」
不幸中の幸いと言うべきか?
死闘の末の損傷はあれど、脱落に到る程の傷を受けた機体は無く、隊長の命令の下、中隊各機は速やかに速度を上げる。
そのまま追い縋る戦車級に36ミリチェーンガンの雨を存分に食らわせ、立ち塞がる要撃級に120ミリ砲を惜しみなく叩き込み粉砕しながら、ひたすらに血路を開いて逃走を続けた。
やがて渓谷を抜け、見通しの良い荒地へと飛び出した巨人達は、次々に
BETA共の最高速度を超え、更に加速する中隊の背後で忌まわしい化物達の影が徐々に小さくなっていった。
やがてCPより、完全にBETA群の追撃を振り切った事が伝えられると部隊内に歓声が満ちる。
本来なら絶体絶命と言える危地を、誰一人として欠ける事無く切り抜けた中隊員達が、安堵からか思い思いに会話を交わす中、アラン自身は管制ユニット内にて、今回の戦闘における数少ない成果について考えていた。
『――輻射波動装甲。
思った以上に使える。
……帰ったらセシルに礼を言わねば、な』
あの死闘の最中、自機以外にも数機の機体が戦車級に取り付かれていた事を。
そして、自身同様、新開発の装備で危地を脱していた事を。
それ等全てを、目敏く見届けていたアラン・スペンサーこと枢木ルルーシュは、自社の新製品の有用性を実地で確認し、少しだけ口元を綻ばせたのだった。
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 一月二十二日 アラスカ ――
新緑の季節には、雪解け水に潤された雄大な大自然が満ちるこの地も、今この時期は、厚い雪と氷のベールの下、全てが覆い尽くされていた。
自然に生きる数多の生命達は、やがて来る春を夢見静かに眠る。
そんな自然の営みが支配するこの地で、不自然にコソコソと蠢く者達が居た。
「……それでは、そういう事でよろしいか?」
「こちらとしても異存はありません。
身の程知らずの報いを、存分にくれてやろうではありませんか」
暖炉の火が激しく燃え盛る室内で、複数の人影が、さざめく様に会話を交わす。
光よりも影が、熱よりも湿っぽさをイメージさせるのは、彼等の交わす話が真っ当なものではないからだろう。
そう、今この場にて交わされているのは、彼等の視点で。
「全くですな。
人民に寄生する腐った資本家の分際で、我が祖国の栄誉に泥を塗った罪は許し難い」
――彼等の誇りを。
「さよう、たかがOSや建設機械をコピーした位の事で目くじらを立てる等、底が知れていると言うものです。
そもそも我が中華は、羅針盤、火薬、算盤をはじめとし、様々な発明品を無償で恵んでやったというのに、その恩を仇で返すとは嘆かわしい事ですな」
――彼等の面子を。
「所詮、愚劣で欲深な帝国主義者の尻尾。
人の道など弁えておらぬのでしょう」
「いや、まったくその通り。
しかし、これであの愚か者達も、身の程というものを知るでしょう」
不当に踏み躙った者への報復の謀議だった。
過日の放送で、彼等を罪人の如く非難した小生意気な日本人に報いをくれてやる為に、それも自身の手を汚さぬ形で策謀の糸を巡らす。
幸いと言うべきか、実に都合の良い状況があった事が、彼等の陰謀を更に加速させていた。
「まぁ、身の程を弁えた所で、破滅してはどうしようも無いですがな」
「それは向こうの責任というものでしょう?」
「その通りですな」
そうして互いに合意に達したのか、白人と東洋人の集団は、勝利を確信し低い含み笑いを漏らした。
自らの優位――未だ世界の大国である自国の力を、自身の物と信じて疑わぬ傲慢さが、言葉の、態度のあちこちに滲み出ており、そしてこれまで、その期待が裏切られたことも無い。
不正にコピーしたOSで荒稼ぎした時も、粗悪な模造品を売り捌き暴利を貪った時も、彼らまで追及の手が伸びることは無かった。
国外の裁判で幾ら負けようとも、賠償金を払う事も無く、逆に彼らを咎人とした国が、BETAの荒波に飲まれて消えていったりもした。
良くも悪くも力が全て。
BETAという名の大災害により、そんな単純な論理が罷り通るこの世界においては、力ある祖国を持つ彼らこそが、絶対的な強者である。
そんな思い込みが、彼らを大胆に、或いは無謀にさせていた。
………ブレーキの壊れた列車の様に。
この翌日、常任理事国であるソ連・中国の連名により、国連安保理開催の動議が為され、国連はそれを受諾した。
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 一月二十七日 帝都・枢木 ――
微かな吐息すら消し、気息を完全に隠蔽したまま、少女は眼前の『敵』を見据える。
知り合ってから三年と半、初めて見た時と同じゆったりとした構えは、相変わらず面憎いほどの余裕を感じさせた。
だがそれでも、変わった事もある。
その手に握られるのは一刀ではなく二刀。
鳥が羽を休めるように静かに下へと伸ばされたそれは、小刻みに揺れながらこちらの出方を伺っていた。
『……隙は無い。
いえ、そんなモノがある筈も無い……ですか』
正眼に構えた僅かに揺れる一刀越しに、相手の動きを見つめながら篁唯依は、胸中で独りごちる。
所々に見える粗は、悉くが誘いの罠だ。
迂闊に噛み付けば、いともアッサリと往なされるのはイヤと言う程、理解できている。
とはいえ、このままでは埒が明かぬのも事実。
元々、虎に子猫が噛み付くに等しいこの行い――そう判り切った上で、少女自身が望んだ事だ。
『絶対に、絶対に、一矢報いてみせます!
そして、何としても……』
技量、経験、身体能力――あらゆる要素で劣っている事を承知の上で、心だけは負けまいと勇を奮い起こす。
その力の源を、兄と慕う黒髪の少年の姿を脳裏に浮かべながら少女は吼えた。
「はぁぁぁっっ!」
気合と共に引き絞られた矢が放たれるが如く踏み込む。
瞬時に間合いを詰めた唯依は、一閃を打ち放った。
硬い木と木がぶつかり合う音が、互いの間で鳴る。
余裕綽々といった態のまま左手の一刀で、唯依の初撃を防ぐ真理亜。
だが、その表情が不審げに歪む。
年齢による体重の無さを鑑みても、余りにも軽過ぎたのだ。
渾身の一撃とは思えぬ程に。
そして、その感覚が正しかった事は、一瞬の間を置き証明された。
勢い良く弾かれ、上へと跳ね上げられた筈の一刀が、まるで慣性を無視するかのように優美な弧を描きながら下へと切り返され、そして斬り上げられる。
護りの空いた左下段から斬り上がる逆袈裟が、真理亜の左脇へと吸い込まれる様に打ち込まれた。
「クッ!」
珍しくも、この大胆不敵な女傑の喉から、焦りの混じった呻きが漏れる。
咄嗟に半歩下がり、辛うじてかわした一閃の風圧が、わずかにクセのある彼女の髪を揺らした。
美女の双眸に驚きの色が混じる。
思わぬ少女の手練に、いつも余裕を崩さぬ彼女の顔にも、微かな動揺が走った。
それを勝機と見たのか、唯依は更に嵩にかかって打ち込んでくる。
風を切り裂き、黒い木刀が幾重にも重なる乱撃を放った。
脚を刈りに来た一撃を、右の一刀が防ぐ。
引き戻しざま、その右手を狙った一閃を、左の一刀が弾く。
跳ね上がった一刀が、唐竹割りに振り下ろされるのを交差する二刀が受け止めた。
息も吐かせぬ攻防。
未だ幼い唯依には、過負荷としか言い様の無い肉体の酷使に、少女の視界が徐々に赤黒く染まっていく。
心臓が早鐘の様に鼓動を刻み、全身の筋肉が、腱が、骨が軋みを上げた。
――あと一撃。
極限状態の中、これだけは研ぎ澄まされた心の中で、ひどく冷静な声が響いた。
世界が色を失っていく中、篁唯依の全てから絞り出された雄叫びが轟く。
「あああぁぁあぁっ!」
――ただ一矢を。
その想いそのままに、一条の矢と化した唯依の突きが真理亜の喉元へと迫る。
『迅い。
……でも、まだ届かない』
刹那の時、胸中でそう呟いた真理亜の身体が、常の通りユラリと動く。
最小にして最良の見切り。
それを以って、最強の名を欲しいままにした女傑の髪を揺らしながら、少女の死力を振り絞った一撃は、空しく虚空を貫いた。
「あ……あ……あぁぁ……」
悲鳴とも嘆きともつかぬ呻きが、唯依の喉を過ぎった。
そのまま糸の切れた人形の様に膝を突いた少女は、荒く熱い呼吸を繰り返しながら、悔し涙をポロポロと零す。
及ばない事など分かっていた。
届く筈も無い事を充分理解していた。
――それでも
「う……うぇ……ひっく……」
止め処なく流れる涙が、唯依の頬を濡らす。
敗者となろうと、せめて無様は見せまいとするなけなしの矜持すらも裏切って。
――コトリと音が鳴った。
伏せられた視界を過ぎった何かに、反射的に反応した唯依の眼に、地に落ちた二刀が映る。
「えっ?」
思わず跳ね上がる視線の先に、両手を挙げた真理亜が映った。
「……ふぅ……降参」
あっけらかんとした口調で、
「叔母様?」
訳も分からず、呆然として呟く少女。
そんな彼女を覗き込む様に膝を折った美女が、自らの左頬を差し出した。
「当たっちゃった」
「あっ!」
染み一つないしっとりとした白い肌に、薄っすらとではあるが一筋の赤い痕が付いていた。
彼女が最後に放った一閃、その軌跡のままに。
思いもよらぬ結末に信じられぬといった顔のまま固まる唯依に向け、真理亜が少し疲れた笑みを向けた。
「年かしらねぇ。
身体が上手く動かなかったみたい」
あの一瞬、彼女のイメージと身体の動きに、ごく僅かな差異が生じたのだ。
誤差としか言い様の無い、だが、『最小にして最良の見切り』を破綻させるには充分なズレが。
そんな自身に微かな違和感を感じながらも、真理亜は唯依の勝利を祝う。
「賭けは、唯依ちゃんの勝ちよ。
おめでとう、強くなったわね」
その一言が、彫像と化していた少女を人間に戻した。
それでもしばらくは、信じられないといった顔つきで唖然としていた唯依であったが、やがてその言葉の意味を理解出来たのか、抑え切れぬ歓喜の色を浮かべる。
そんな少女を、ヤレヤレといった顔で見ていた真理亜は、ふと思い出したように西の空を見上げた。
わずかにたなびく白い雲、その更に向こうへと視線を投げながら、そっと呟く。
「予想外の結果になったけど……恨まないで頂戴ね、ルルーシュ」
白い頬に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
そして、トラブルの発生を待ち望むようなメフィストフェレスめいた笑みを浮かべたまま、真理亜は歓喜に踊る少女へと向き直った。
――三十分後――
賭けの賞品――行き方知れずとなっている兄の行方を知った妹の怒りの声が、枢木邸内に轟き渡った。
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―― 西暦一九九一年 一月三十日 インド・ムンバイ ――
この日、インド西方の港町であるこの地には、多数の戦術機とその乗り手達が集まっていた。
一月半ばからボパール・ハイヴに対し仕掛けられた間引き作戦も、戦闘評価等も含めて昨日終了と相成り、参加した戦力の内、お役御免となった他軍管区からの増援或いは民間軍事会社等の傭兵達が、帰国の途へと着く為、三々五々、この地へと集結しつつあった所為である。
運不運、或いは実力の多寡により命運を別けた者達。
そんな中、幸運な部類に属する者が比較的多かったらしいこの地では、互いの無事を祝いつつ祝杯を掲げる者達も随所に見え、普段よりも遥かに喧騒に満ちている。
そうやって我が身と戦友の幸福に、浮かれ騒ぐ面々を横目に見ながら、
司令部判断は兎も角、ルルーシュ的な判断としては、今回の作戦結果について成功と言うのは難しい。
未だ試行錯誤の段階にある戦術故か、そこかしこに粗が見えるのは否定し難いところだ。
彼の属するキャメロット中隊が巻き込まれたトラブルと同様の事態が、前線のあちこちで頻発しており、その際、意思疎通の不徹底、或いは恐怖による無意識の作戦無視等により少なからぬ戦力が無意味に浪費されている。
『やはり、囮役の出来不出来が、この戦術の鍵となるか』
仮初の愛機であるファントム・
誘引のタイミング、規模、撤退ルートの設定、或いは迎撃場所の選定等々。
その他にも考慮すべき点、改善するべき箇所など幾らでもあるが、やはり最も危険かつ重要な囮役の練度こそが、本作戦の最重要な要素と言えた。
――敵支配地へと少数戦力で踏み込める技量。
――BETAの大群に追撃される恐怖に、継続的に耐え続ける胆力。
それ等をバランス良く有した優秀な衛士により構成される囮部隊の有無こそが、この作戦の成否を分ける鍵となる。
ルルーシュが達した結論がソレであり、そして同時期、本作戦を主導した国連軍・インド洋総軍司令部の担当参謀達が、戦闘評価から下した結論も同じであった。
この後、戦術の洗練が進むに連れて、低軌道上からの軌道爆撃、或いは地勢上の理由から長距離砲撃の利用なども組み込まれていく事になるが、基本的なスタイルについては変わらず、ハイヴ周辺からBETA群を釣り出す囮部隊は、本作戦の中核の一つであり、そして同時に最も損耗率の高い部隊となって様々な悲劇を産みだしていく事になる。
そんな未来を想像したのか、ルルーシュの双眸に一瞬だけ陰りがさした。
自身が推進する戦略案でもある『BETAの大陸封じ込め』においても、大規模侵攻を人類側が主導権を握った状態で抑制出来るかもしれない本作戦は魅力的であるが、それは同時に恒常的な犠牲を要求する事にも繋がる。
その事に、一瞬だけ抱いた罪悪感を、胸中で押し潰しながら少年は頭を上げた。
既に己には、そんな感傷を抱く事自体が許されないと、心に刻み直しながら。
ただひたすらに最短距離を駆け抜ける。
それが彼自身の選択。
言い訳などしない。
『必要な犠牲』等と言う事、否、思う事自体が論外。
この先も、自身の選択により多くの犠牲が産まれ、数限りない悲劇が起こるだろう。
それ等全てが自身へと帰結し、その結果、斃れるというのなら、それはそれで良し。
――撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけ。
今も昔も、その信念が揺らぐ事は無いのだから。
そうして心中の揺らぎを消した少年は、手にした缶をあおった。
わずかに温くなった炭酸が、白い喉を滑り落ちていくのを感じながら、再び、帰還兵の群れを眺めていた少年の眉がピクリと動く。
「どうかしましたか、坂井隊長代理?」
素早く新米衛士アラン・スペンサーの仮面を被った彼に対し、全速力で走ってきたらしい坂井は、噴出す汗を拭う間も惜しみ、慌てふためく様を隠す事すら出来ぬまま、ルルーシュへと数枚の紙を手渡す。
折角の演技を台無しにしかねない所業に、ルルーシュの眉が神経質そうに二度震えるが、紙面へと視線を落とした瞬間が、それもピタリッと止まった。
アルファベットの並ぶ文面を、素早く斜め読んだルルーシュは、そのまま何事かを思案するかの様に俯いている。
良く見れば、その肩が小刻みに震えている事が分かった。
それを見た坂井の顔が、赤から青へと鮮やかに切り変わる。
今回の名目上の責任者として、彼に与えられた専用回線に送られてきた文面の内容を、彼だけは知っていたからだ。
国連から日本政府経由で送られてきたその内容は、一旦は認めた筈のL4の使用権を取り消し、代償としてL5の占有使用を認めるという通達だったのである。
――L4をL5へ切り替える。
口にすればそれだけの事だが、既に計画が最終フェーズへと移りつつある局面で、それがどれ程の難事であるかは、門外漢の彼にも容易に想像がつく。
軌道変更からL4への移動、そして安定化。
それら全てが周到な計算と準備の上に成り立つ難事業である以上、最重要なピースをすり替えられてしまいえば、計画自体が破綻するだろう。
坂井の厳つい顔が、その結果を想起した瞬間、ヒキッと凍りついた。
最悪の場合、枢木そのものの崩壊すら有り得る非常事態において、一衛士に過ぎない彼には為す術もない。
そんな自身の無力さに歯噛みしつつ、彼は年若い主を見つめた。
未だ俯いたまま肩を震わせるその姿を前にし、彼は無念さに唇を噛みながら、何とか掛けるべき言葉を捜すが、元々、弁の立つ方ではない彼には無理な話でもある。
『こんな時、隊長さえ居てくだされば……』
今は星の海に居るであろう直属の上官を思い出す。
目の前の主とは、他とは一線を隔す絆を感じさせるジェレミアならば、この場も何とかなるかも知れなかったものを、と彼は思った。
とはいえ、このまま黙っていても埒が明かないのも事実。
いや、無為に時を浪費すれば、それだけ状況が悪化する。
そう判断した坂井が、勇を振り絞って声を掛けようとした瞬間、甲高い哄笑が周囲に響き渡った。
「っ!?」
突然の出来事を前に、固まる彼の眼前で、高笑いを上げる少年。
それは紛れも無く、彼の主であるルルーシュに相違ない。
そのまま数秒、或いは数分の時が過ぎたろうか?
あまりの事に発狂したかと、思わず腰が引ける坂井の前で、充分に満足したのか、笑い過ぎて浮かんだ涙を拭いながら、ルルーシュは造詣の妙を極めた面に猛々しいまでの笑みを浮かべた。
「何も案ずる事はない。
……全ては計算通りだ」
坂井が抱いた不安や疑念、或いは恐れ。
それら全てを無造作に踏み砕くであろう覇王は、思い通り過ぎる展開に静かに笑みを深めて行った。
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 一月三十日 帝都 ――
「急な呼び出しですが、どうされました?」
「中ソが動きました」
いきなりの出来事に困惑し、開口一番、問い掛けた彩峰に対し、短い一言を榊は返す。
説明不足としか言い様の無い応対に、彩峰が疑問の色を浮かべるより早く、彼の面前へと一通の書面が差し出された。
「……まずは、これを」
「拝見します」
国連の公式文書、それも重要な通達を示す透かしの入った書面――正確にはそのコピーと思しき物に、彩峰は勧められるままに眼を通し出すが、読み勧める毎に、その表情が曇っていく。
やがて、隅から隅まで読み終えた彩峰は、明らかに悪くなった顔色のまま、硬い声で尋ねた。
「……これは、流石に……呑んだのですか?」
「……ええ、我が国の大使は、ロクに反論すらせずに呑んだそうです」
苦々しさを隠し切れない声で返された答えに、彩峰は思わず天を仰ぐ。
有り得ない、有ってはならぬ事態を前にし、彼は絶望にも似た思いを抱いた。
そんな苦労仲間を前に、榊は、ひどく淡々とした口調で事の顛末を語り出す。
ソ連と中国の連名により、急遽、召集された安保理にて、枢木が推し進める『アヴァロン計画』に関し、地球とMFU双方の交差軌道を考慮し、計画失敗時の地球への悪影響を避ける為、L4への移動を差し止め、代わりにL5へと変更すべしと両国が強硬に主張し出した事。
そして、その主張に対し、自国の代表が殆ど反論らしい反論もせぬまま、唯々諾々と言うなりになった事。
それらの一連の流れを語る中、両者の間の空気が暗く重くなっていくの避けられなかった。
そして語り終えた所で、双方共に、あまりと言えば、あまりな顛末に揃って頭を抱えたくなる。
今回の一件では、明らかに責任放棄に走った帝国の大使に対し、むしろ米英の国連大使達が、積極的に枢木擁護の論陣を張ったそうだ。
L4をL5に変える代償として、期限付きとはいえL5の占有使用を認める事を提案し、強硬に押し通したのが英国大使だと聞いた際には、榊は余りの情けなさに穴があったら入りたい気分になった程である。
苦り切った表情で、その時の安保理の状況を語る榊の前で、彩峰も落胆も露に嘆息した。
「自国企業の権益を侵されて、ロクに擁護もしなかったと?
正式に出した許可を、土壇場まで来て引っくり返すという暴挙をされてまで……」
「…………」
そう尋ねる声は力無く、苦渋に満ちている。
その問いに返すべき答えを、問われた側は持たなかった。
「我が国の大使は、分かっていたのでしょうか?
これは今後、我が国の企業にとって、とんでもない悪しき前例となるという事が」
正式に交わされた契約が、他国の横車によって半ば反故にされる。
そのような理不尽を、事もあろうに不利益を被る側が所属する国家が、反論もせずに容認するなど、外交上、有り得ない程の大失態だ。
どうして、そんな馬鹿な事になったのかと問い質す彩峰に、榊は何とも重そうに口を開く。
「……調べてみて分かった事だが、彼の大使は、昨年辞職に追い込まれた外務官僚と大学の同期で、親友と言っていい間柄だったそうです」
その一言で、彩峰にはピンと来た。
そして同時に、どうしようもない程の憤りを感じる。
「枢木に対する復讐……いや、当人にとっては意趣返しくらいの感覚でしょうか。
しかし、国家の顔として国連に赴いている身が、個人的な感情を優先した挙句、これでは………」
心底、呆れ果てた言い様には、彼らしくない毒がたっぷりと込められていた。
「……正直、返す言葉が無いですな」
「今回の一件に関する処分は、どのように?」
済んだ事は仕方が無い。
いや、仕方が無いで済む話ではないが、最早どうする事も出来ないと割り切った彩峰は善後策について榊に問うた。
だが、一縷の望みを賭けた質問は、彼自身の胸中の空しさと情けなさを増す結果となる。
「今のところ外務省内に、その動きは無いようです。
恐らくは、何も問題視されずに終わるでしょう」
「………正気ですか?」
辛辣な彩峰の非難に、榊は黙って首を振る。
もし、自身が外相の職にあったなら、厳罰を以って当たった筈だ。
擁護する者が省内に現れれば、それらにも同様に対処しただろう。
だが現在、外務大臣の職にある人物は、官僚のイエスマンとして有名な男であり、周囲の反対を押し切ってまで、処分を下す可能性は限りなくゼロに近かった。
彼自身としては、次の閣議で大使の更迭と関係者の処分を主張するつもりではあるが、職掌が全く関わり無い以上、その意見が通る見込みも無い。
――榊の喉を、疲れた溜息が通り過ぎる。
そもそも、あれだけエゲツ無く容赦無く敵対者達を失脚に追い込んでいった枢木の恐ろしさが、彼らには、まだ理解できないのだろうか?
それとも確実な安全を保証する何か――省以上の後ろ盾でもあるというのだろうか?
そうやって内心の苦衷と疑念も露に首を捻る榊の真正面で、苦々し気に眉を顰めた彩峰も続く言葉を無くす。
総じて身内に甘いのは、日本の官僚の特徴だったが、これは流石にと……
時折、猪脅しの音が鳴る和室にて、渋い表情を浮かべたまま厳つい顔を付き合わせる男達。
その胸中に満ちるのは、この失態を、どう収拾するかという一事のみであったが、現状、取れる手段はさほど多くは無い。
「枢木が、どう動くか……」
「それに合わせて動くしかないですか」
結局のところ相手のアクションに合わせて、リアクションを返すしかないのが実情だ。
枢木相手に後の先が取れるかどうかは、非常に不安の残るところではあるが、下手にこちらから手を出すのも憚られる以上、今は待つしかない。
そう判断を下しかけた彼等の鼓膜を、第三の声が震わせた。
「ふむ、それでは既に手遅れですな。
枢木は、当の昔に動いておりますから」
何の前触れも無く襖の向こうから聞こえてきた声に、彩峰は片膝立ちになり、榊は目付きを険しくする。
だがそれも、音も無く開いた向こう側から姿を見せた人物により、一応の終息を見せた。
「鎧衣か……」
「無作法な真似は、慎めと言った筈だが……」
室内の両者は諦め混じりの吐息と共に呟いた。
相手の顔に浮かぶ表情を見るに無意味と悟ったが故に。
その判断を裏打ちするかの様に、飄々とした雰囲気を纏ったまま座敷へと入ってきた鎧衣は、至極当然といった風情で卓に着くと、脇に置かれていた茶器からチャッカリと茶を注いで啜って見せた。
「ふぅ……相変わらず良い茶葉を使っておられる。
ですが流石に、あちらのお屋敷の物と比べると一段落ちますな」
「「………」」
抜け抜けと茶を飲みながら呟く鎧衣を前にして、榊と彩峰の顔が僅かに強張った。
公的な役職は以前と変わらぬものの、実質的に、いま現在、彼が誰に仕えているかを知っていた両者は、呟きの意味を違える事無く理解する。
そして、これから彼が話す事が、誰の意向を受けて伝えられる物なのかも……
微かに緊張を孕む空気の中、美味そうに茶を啜り終えた男は、コトリと茶碗を卓に置いた。
どこか嘘っぽい光を湛えていた眼差しが、真剣なモノに変わる。
「伝えるべき事は二点」
放たれた一声に、無意識に居住まいを正す文武の高官を前にし、内心の苦笑を噛み殺しながら男は更に先を続けた。
「彼の大使の周囲は、随分と華やかなご様子。
大陸の名花が、ひしめいているそうです。
いやいや、男としては羨ましい限りですな」
そう言って、ニヒルな笑みを浮かべる。
対して榊らはと言えば、苦り切った表情で互いに顔を見合わせた。
無言のまま意見のすり合せを終えた両者、その内の一方――彩峰が、渋い顔で問いを放つ。
「花の産地は、どの辺りかな?」
「北と東のようですな。
彼の御仁は、随分と恨みを買ったご様子……いやはや、逆恨みとは恐ろしいものです」
彩峰の眉が寄り、榊の顔が険しさを増した。
今この場に大使本人が居たなら、絞め殺してやりたい気分を必死に抑えつつ、事の経緯を知り得た両者は、これが何らかの打開策に繋がる事を、繋げる事を考える。
考えながら、そして――
「もう一点は、何かね?」
今度は榊が尋ねた。
鎧衣の笑みが、更に深くなる。
「今回の一件で、積極的に枢木擁護に回った英国の大使。
本国では、政治的にとある人物の派閥に属しているそうです」
実に楽しそうに謎解きを口にする。
だが、その眼は決して、笑ってなどいなかった。
「V.V.卿ことヴィクター・V・ブリタニア公。
低位ながらも王位継承権を有する英国貴族の大物、そして……」
そこで一旦切られた言葉に、たった二人の聴衆の額にジワッと汗が滲んだ。
男の声には、不必要な力が篭っている。
それは冷静沈着を旨とする筈の存在すら揺るがすナニかが、その先にある事を暗示していた。
フッと、彼には似つかわしくない溜息を吐くと、鎧衣は途切れた言葉の先を続ける。
「……彼の御仁の父君、故ブリタニア少将の双子の兄でもあるそうです」
それは、今回の一件の舞台裏を、すっぱ抜く一言だった。
全ての絵図を描き、全てを思い通りに動かしたのが、本当は誰だったのかを。
―――榊と彩峰の相貌が、驚愕一色に染まった。
■□■□■□■□■□
―― 西暦一九九一年 二月七日 『MFU』 ――
『スヴァルトアールヴヘイム』の艦橋に、仁王立ちしたジェレミアは、外惑星系へと飛び立っていく複数の無人探査機を鋭い眼差しで見送っている。
いずれもが重要な役目を帯びた機体であるが、それ等全てが任務を全うする可能性は、限りなく低い事を彼も弁えていた。
それでも尚、一機でも多く使命を果たす事を願い、最後の一機が飛び立つまで微動だにせず、背後から聞こえる『雑音』をも聞き流しながら彼等を見送る。
やがて最後の一機が星々の彼方へと飛び去った事を確認すると、ジェレミアは静かに瞑目し、いま一度祈った。
一機でも多く、と。
そうやって真摯な祈りを捧げ終えると、青年は再び目を開く。
先程まで、旅立っていく機体を映し出していたスクリーンには、今度は三桁の数字が示されていた。
計画の最終フェーズ発動に到るカウントダウンである。
そのままゆっくりと減っていくカウントを、暫し眺めていた彼だったが、背後の『雑音』が無視し難い程に高まったのには流石に閉口したのか、不承不承といった態で、如何にも仕方無さそうに振り返った。
「ふ〜ん……へぇ〜……ほぉぉ〜〜……」
何やら妙な奇声を上げつつ、意味不明な踊りを踊っている本計画の技術責任者に、眩暈にも似た感覚を、ジェレミアは覚えた。
疲れ切った声が、苦言となって艦橋に響く。
「……何度も言うが、真面目にやれロイド」
「いやぁ…でもねぇ、こ〜んな馬鹿な話を聞かされちゃ仕方ないでしょう?」
唇を尖らせ不満を口にする腐れ縁の友人に、ジェレミアも肩を落とす。
「……否定できんのが、悔しいところだな」
「この期に及んで、L4ではなくL5へだってさぁ。
普通に考えれば、どう見ても失敗するだけでしょ?」
本来なら聞き捨てなら無いセリフを、サラリと口にする。
技術責任者が言ってはならない一言を、平然と告げるロイドに対し、ジェレミアはといえば、軽く苦笑を浮かべて済ませた。
まるで意味の無い出来事――昨日の天気予報でも聞かされたような無関心さで、それを受け流すと、その原因となった事へ話題を移す。
「大分、赤い連中の恨みを買ったからな。
まあ私に言わせれば、逆恨みもいいところだが」
「ルルーシュ様は、嘘は言ってないからねぇ〜」
やや不機嫌そうに呟くジェレミアに、今度はロイドが苦笑いを浮かべつつ応じる。
彼等の主君が世界に向けて言い放った事は、紛れも無い事実。
少なくとも、地球上におけるBETA大戦の最大の戦犯は、目先の欲に駆られた共産中国とその片棒を担いだソ連である事は否定しようもない。
単にこれまでは、BETAという人類共通の脅威を前に、眼を閉ざしていただけ、耳を塞いでいただけ。
ただ、それだけの事に過ぎない。
無論、人類存亡の危機を前にし、人類の内紛を煽るとは何事と非難する向きもあった。 主にリベラル派を自称する彼等の『
騒ぎ、喚き、脅し、賺す。
そんな彼等の『
そんな主に習うように、ジェレミアの顔にも冷たい笑みが浮んだ。
「……連中に正論を言っても意味は無いな。
道理も根拠もなく、ただ自分達が正しいと臆面もなく叫ぶ様な輩だ」
「ホ〜ント、馬鹿な連中だよねぇ。
そんなだから、あの方の怒りを買うのさ」
ご愁傷様〜とばかりに、道化を演ずる科学者も嗤う。
自らの死刑執行命令書に、嬉々としてサインをする者達を嘲笑う。
誤解され易い事だが、彼らの主であるルルーシュという人物は、表層的には兎も角、その本質においては情の人である。
理に基づいて道を定め、情によって動く。
そんな矛盾を内包しつつも、それが破綻しないのは、彼の情の及ぶ範囲が、ひどく深くて狭いが故である。
そして、その情の範囲に含まれない者については、とことんドライであり、敵対するなら極めて冷酷でさえあった。
必要とあらば、些少の躊躇いすら抱く事無く、殲滅というオプションを選べる程に。
そういった苛烈さを持つ主君に対し、無謀にも牙剥く者達の未来を憐れみつつも、ジェレミアは皮肉気に呟いた。
「まあ、そんな愚かさが、今回は役に立ってくれた訳だ」
「フフンッ、九十九年の期限付きとはいえ、L5を独占出来るってのは大きいよねぇ」
これもあの方のシナリオ通りと、ロイドがほくそ笑む。
彼の腹心達の交わすこの会話こそが、一連の事態の本質を示していた。
元々、こちらとしては、どちらでも良かったのだ。
連中が、こちらの挑発に乗ろうが、乗るまいが。
乗らないなら、当初の計画通りL4へ。
乗るなら、余禄も付けてL5へ。
いずれの側に転ぼうと、初めから、こちらが勝つ事だけは決まっていたのである。
自らの力を過信し、こちらの手札を見誤った相手には、そもそも最初から勝ち目等無かったのだから……
そうやって、互いに人の悪い笑みを浮かべつつ、人類最高のペテン師の手足達が笑う中、着実に進んでいたカウントダウンが、遂に三桁を切った。
艦橋内に満ちる空気が、微かに変わる。
ジェレミアは笑いを収め、ロイドも珍しくまともな表情を浮かべた。
「さて、それではせいぜい悔しがらせてやるとしようか?」
「アハハ〜〜言うねぇ、ジェレミア君も。
……それじゃあ、ご期待に応えようかなぁ」
人をくった笑みを浮かべたロイドは、そのまま艦橋中央の
全ての準備が、何重にも渡るチェックの下、完了している事を再確認するや、青年は顔を上げた。
「ヒッグス場制御開始」
艦橋内に鋭い声が響いた。
その一声をトリガーに、小惑星全体を覆い尽くすように配置されたヒッグス場制御装置が稼動を開始する。
限定中和されたヒッグス場の影響の下、質量そのものが一斉に封じ込められていく中、着々と進むカウントの上に投影された『MFU』の概要図が、徐々に緑で染め上げられていき、やがて埋め尽くされた。
スクリーンに示されるカウントが、その瞬間、『0』を示す。
「エナジーセイル展開」
冷徹な科学者の声が、最終ステップへと進む事を命じた。
『MFU』の随所から、淡い緑色に輝く光の幕が立ち上がる。
風を孕む帆の如く緩やかな曲線を描くそれらが、規則正しい動きで一定方向へと向きを変えると、それに習うように『MFU』自体が、本来あるべき軌道よりジリジリとずれ始めた。
一日掛けても数度にも満たぬ微小なズレ。
だが、数日間かけての軌道修正ならば、それで充分だ。
成り行きを見守っていたジェレミアも、これには素直に称賛を口にする。
「ふむ……見事。
やはり、極一部の例外を除き、才能と人格は比例せんのだな」
「あのね………はぁ……いや、まあ良いけどさぁ」
相変わらずな友人に、ロイドは一瞬だけ微妙な表情を浮かべるが、賢明にも続く言葉を飲み込むと、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「まぁ何はともあれ、これで赤い人達にとっては、『残念でしたぁ〜〜』な結末になる訳だ」
「全ては、『U.F.I.E.Iリアクター』の恩恵という訳だ。
アインシュタイン博士には、感謝してもしきれんな」
自慢げに胸を張るロイドをサラリと落とす。
その際に、彼自身が認めている人物の名と業績を楯にする辺り手馴れたものだ。
眼鏡の下の双眸に、一瞬だけ懐旧の念が過ぎる。
――ニーナ・アインシュタイン
忌まわしき超兵器『フレイヤ』の産みの親として、その罪業を背負った少女。
悪名そのものは、
何よりも、彼女自身が、安易に自身を赦す事はなかった。
分かれて後の事は、ロイドもジェレミアもあまり知らない。
何より彼等自身が、そう時を置く事無く世を去ってしまった為、以後、あの気弱そうな少女が、どの様な人生を歩んだのか知る由もなかった。
唯一、彼等が知り得たのは、彼等の死後、彼女が為した業績、その成果の集大成とも言えるこの艦の主機『U.F.I.E.Iリアクター』の存在のみである。
刹那の間、己を先生と呼んでいた少女の顔を思い出した彼は、その影を脳裏から追い払う様に道化の仮面を再び被る。
ジットリとした視線が、下から上へと上げられ、涼しい顔で素知らぬ風情を決め込んでいる悪友を睨みつけた。
「……そんなにボクの事を褒めるのが、イヤな訳だね?」
「なんら他意は無い。
事実を、ありのまま言っているだけだ」
ブツブツと文句を言うロイドに、ニヤニヤと笑い返すジェレミア。
そんな悪友達のじゃれ合いを他所に、『MFU』はゆっくりと、しかし着実にその進路を変えていった。
―― 西暦一九九一年 三月 ――
枢木工業は、絶対に不可能と多くの学者達が断言していた難事業『アヴァロン計画』の肝となる小惑星『MFU』の安定化作業をL5宙域にて完遂。
幾多の解決不能な事案を孕んでいた筈の難業が、わずかな遅延すらなく完了された結果、世界に大きな波乱を産み出す事となる。
計画そのものの実現性を徹底的に否定していた御用学者達は、自らの主張をアッサリと覆された結果、著しくその権威を傷付ける破目に。
そして、そんな彼らを擁護してくれる筈だったマスコミに対しても、報復の嵐は容赦無く吹き荒れた。
報道の自由、言論の自由を、錦の御旗として振りかざした彼らに対し、枢木が放った嚆矢は名誉毀損と損害賠償の二矢。
根拠の無い報道により名誉を傷付けられ、併せて多くの利益を失ったとの主張の下、天文学的な賠償金を求められた国内各社は揃って反発。
徹底抗戦の構えを見せ、当初、事態は長期化の様相を見せようとしていた。
しかし、この時点で、既に勝負は着いていたのである。
『自由を護れ』とばかりに気勢を上げる彼らに対し、冷や水は、思わぬ方向から浴びせられた。
衝突から二日を経る事も無く、各社――特にリベラル派と目されるマスコミの主要人物が次々と捕縛されていったのである。
罪状は、外患誘致あるいは機密情報漏洩、所謂、スパイ罪に分類されるソレ等を、複雑な金・人・物の流れを徹底的に分析し、執拗なまでに炙り出した上で、治安当局に告発したのが、当の枢木であると知った時、彼らは激昂し、そして同時に深い敗北感に囚われた。
自由、自由と声高に訴え、高潔な思想を論じていた当事者が、文字通りの売国奴――国を売った事実をすっぱ抜かれてしまえば、それまで語った全てが嘘になる。
少なくとも、帝国の民は、そう取った。
そして、世論と言う強大な後ろ盾を失った瞬間、彼らは完全に無力となるしかない。
後は、もうやりたい放題であった。
多くのスポンサーに見放され、銀行からの融資も途切れがちとなり、息も絶え絶えとなった面々は、三年と持たず、恥も外聞もなく白旗を掲げるしかない処まで追い詰められる。
そんな彼らに対し、枢木は二つの条件を提示。
拒む余力等無い面々は、二つ返事でそれを受け入れ和解が成立する。
翌日の紙面、テレビ、或いはラジオで踊る『謝罪』のオンパレードは、抗争の勝者がいずれであるかを満天下に示す結果となった。
そして、もう一つの条件――枢木が指定した人物を業界から永久追放する件については、少なからず心ある者からの反発を買う事となったが、追放された当事者が、次々に逮捕されていく事でそれも下火となる。
後年、機密保持期間を過ぎ、公開されるに到った当時の捜査資料から、枢木が追放を要求した面々の悉くが、『
どうもねむり猫Mk3です。
今回は分量少な目、唯依姫分も少な目。
……分量はともかく、唯依姫分は、もう少し増やしたいなぁ〜
とはいえ、分量少なめなれど、色々と盛り沢山。
『輻射波動装甲』『U.F.I.E.Iリアクター』おまけに『エナジーセイル』
ふふ……
ふふふふふ………
……ああそう言えば、巌谷さん達が珍しく出なかった。
現在、冷戦中なので、その辺は次回か日記の方で。
それでは次へどうぞ。