Muv-Luv Alternative The end of the idle


【風雲編】


〜 PHASE 13 :夢の終わり、そして…… 〜






―― 西暦一九九二年 八月三日 アヴァロン・ゼロ ――



 虚空に浮かぶ巨大な石ころ。
 ほんの少し前までは、ただそれだけの存在であった筈のこの地――『アヴァロン・ゼロ』に、今は多種多様な生命が集っていた。

 その中に於いても最大勢力である人間達は、内部を穿って造られた広大な空間にひしめき合いながら、今や遅しといった風情で中央に設けられた演台を注視している。

 手に持つマイクを剣の様に掲げ、鵜の目鷹の目といった様子で居る彼等――ごく一部を除き、世界中から招待された各国のジャーナリスト達が迎撃準備完了をさせた中、演台へと通ずるドアが開かれ、ビジネススーツに身を固めた一人の少年が姿を見せた。

 同時に焚かれる無数のフラッシュと向けられるカメラの砲列。
 ソレ等に愛想良いビジネス・スマイルを向けつつ、少年こと枢木ルルーシュは臆する事無く演台へと進み、一段下の彼らを見下ろした。

 傲然とした態度でもなく、さりとて卑屈に走るでも無し。
 秀麗な容貌に、静かな微笑みを湛えたまま周囲を見回す彼。

 だがそれだけで、眼下の喧騒が潮が退く様に鎮まっていく。

 この場に列する事を許された者達の誰もが、様々な意味で理解していたからだ。
 目の前で微笑む少年を、若輩を理由に侮る事がどれだけ危険な事なのかを……

 故に、或る者は真剣そのものといった表情で、また或る者は気押されまいと身構えつつ正対する。
 この場に於いて、無駄話に興じる様な愚か者は皆無であった。

 そうやって水を打った様な静けさの中、張りのある声が朗々と響き出す。

「ジャーナリスト諸氏には、宇宙の彼方まで、はるばるお越しいただき恐縮です」

 そう定型通りの挨拶を告げて軽く会釈する。
 礼儀正しくはあるが、逆に言えばそれ以上ではない態度を保ちつつ、ルルーシュは更に言葉を繋げた。

「諸般の事情により、当初予定より半月ほど遅れましたが、本日、我が社が社運を掛けて推進していたプロジェクト『アヴァロン計画』の中枢である恒久型宇宙コロニー『アヴァロン・ゼロ』を公開させていただきます」

 再び切られるシャッターとフラッシュの群れ。
 眩しさに目を細めながら、それが鎮まるのを待ったルルーシュは、再び口を開いた。

「この『アヴァロン・ゼロ』は、事前に公開させていただいた資料通り、完全循環型閉鎖系コロニーとして、ほぼ単独での人類の恒久的な生存を可能とする機能を有します」

 既に周知されている機能概要を、背後に投影されている全体図を指し示しながら改めて説明していく。
 言わばおさらいとも言えるソレらに、集ったジャーナリストの一人が挙手して質問の許しを求めた。

「質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ」

 話の腰を折られた事にも不快の欠片すら見せる事無く頷いて見せる彼に、内心でホッと胸を撫で下ろしつつ、質問者が再度口を開いた。

「ありがとうございます。
 ……事前公開されている資料、そして今のお話からすると、この『アヴァロン・ゼロ』は、地球からの補給などは全く不要と認識しているのですが、それで間違い無いでしょうか?」

 それは参加者の、否、事前に公開された情報に触れた者達の関心事だった。
 もしその通りであるとするなら、この地は完全に地球のくびきから外れて存在し得る事になる。
 つまりそれは、場合によっては如何なる国家の掣肘すら受ける事無き独立勢力足り得るという意味でもあった。

 枢木と、その所属国家である日本帝国との険悪な関係は周知の事実。
 ならば穿った見方をしたくなるのも無理は無かった。

 そんな質問者の意図を悟ったのだろう。
 少しだけ笑みを深くした少年は、静かな口調で答えを返した。

「……そのご質問には、この後の説明でお答えさせていただきます」

 言外に、今はそれ以上訊くなという意思を滲ませた返答を受け、質問者も追及を諦め着席する。
 ジャーナリストにしては、お行儀の良い対応は、ここが完全なアウェーという事もあったのだろうが、それ以上にルルーシュへの畏怖が勝ったが故の事だった。

 自身が、相当に恐れられている事を実感し、内心で苦笑を浮かべつつ、少年は先を続ける。

「当初予定の最大居住可能人員数は、二百万人を想定して設計・建造が進められていましたが、これを第一次計画とし、第二次計画も含め最終的には五百万人まで収容可能な様に拡張する事を計画しております」

 告げられた計画の拡大に、どよめきが起きる。
 当初計画の二百万人ですら、人類史上初といっていい規模の大規模宇宙拠点だったのだ。
 それを更に倍以上に増やすというのは、少なからぬ驚きをジャーナリスト達に与えていく。

 とはいえ、『アヴァロン・ゼロ』の基となっている小惑星『MFU』自体のサイズからすれば充分可能な計画でもあった。
 この場で明かすつもりはサラサラなかったが、ルルーシュとしては、最終的には一千万規模までの拡大も視野に入れている。

 少なくとも、当面はユーラシアが生存可能領域で無くなる事は確定的であり、それを考えるなら受け皿は幾らあっても多過ぎるという事は無いのだ。
 全てを受け入れる等と言うつもりは毛頭無いが、相応に使える人材とその家族を受け入れる程度の事は、彼としても考慮している。

 その辺りについても、後ほど触れるつもりであった少年は、ざわめきが鎮まる頃合いを見計らって説明を再開した。

「それでは、後ほど皆様方にも直接ご覧になって頂きますが、『アヴァロン・ゼロ』の各施設についてご説明させていただきます」

 その一言と共に、背後のスクリーンへと投影されていた『アヴァロン・ゼロ』の全体図が、各区画毎の詳細図へと切り替わった。

「基本的に、本コロニーは恒久型宇宙開発拠点として設計・建造が行われている為、永住型の居住区と各種資源の精製及びソレらを利用した製品の生産を行う工場区とに大別出来ます」

 最新技術を用いて構築されつつある工場区、建設途上にありながら地上では類を見ないほどに整備されている事が分かる居住区などの情報が次々に公開されていく度に、随所で感嘆とも驚愕とも取れる声が湧き起こった。
 極めて効率的、且つ、効果的に整備されている各種施設は、使用可能スペースが限られる宇宙拠点としては当然のものだったが、米国の様な一部例外を除き、荒廃の一途を辿る祖国を持つ者達からすれば、ある種の楽園にも見えたのだろう。
 何より、計画開始当初よりもBETAの特性解明が進んだ今、ある一定高度以上にある人工物はBETAの攻撃対象にならないというのは定説となりつつあり、その意味においても、この虚空に浮かぶ拠点は、その脅威に怯える事無き安住の地足り得るのだ。

 食い入る様な視線で、人の手になる楽園(エデン)を見るジャーナリスト達の面前で、この地の主催者たる少年が、滔々とした口調で語り続ける。

「食料等の生産についても、工場区内に設けられた各種プラントにより生産し、基本的に当コロニー内のみで必要な物資の全てを賄える様、綿密な計画の下、各施設が整えられております」

 そう言いながら、背後に投影されている水耕プラント群を指し示す。
 スケールに対する感覚が鈍りそうな巨大なプラント群に、ジャーナリスト達からも感嘆の呻きが漏れた。

 水についても、『ケレス』から切り出した氷塊群が軌道計算の上、射出作業中であり数年もすれば億トン単位の水資源を確保出来る旨も告げられる。

 水があれば酸素の調達は容易だ。
 エネルギー源としては、ほぼ無尽蔵といえる太陽光が地上よりも効率的に利用可能だろう。
 水があり、エネルギーの心配も無いとなれば、将来的には潤沢な食料生産も見込める筈。

 すなわち――

「……つまり、先程の質問のお答えとなりますが、この『アヴァロン・ゼロ』は地球からの補給を一切必要とせずに自立可能な宇宙拠点であると断言させていただきましょう」

 ――という結論に達するのだった。

 互いに目線を交わし合う各国のジャーナリスト達。
 情報に精通している彼らだからこそ、この地の価値を痛感していく中、その胸中に根差す拭い難い不安の種を、不遜な少年は容赦なく抉り出していく。

「そもそも、この『アヴァロン計画』そのものが、日ごと激しさを増すBETAの侵攻に備え、かの憎むべき異星起源種の脅威が及ばぬ後背地の確立を目的としたもの。
 である以上、最悪のケースとして地球から完全に切り離された状態に置かれる事も想定され、それに対する対応も万全に整えられている訳です」

 ジャーナリスト達の顔色がサッと変る。
 彼が言うところの最悪のケースを脳裏に思い描いてしまったからだ。

 BETAが、その行動パターンを変え、軌道上の人工物すら撃墜し出す光景を想起した者も居れば、地上の宇宙港を制圧される事を考えた者も居ただろう。
 だが、最も多くの者が描いた最悪の予想は……

「つまり、この『アヴァロン・ゼロ』は、人類が地球を放棄せざるを得なくなった時の箱舟であると?」

 ……いつか来るかもしれぬ『その時』。
 人が母なる大地から放逐される日を、思い描いた質問者は、震える声で問い掛ける。

 誰もが、どこかで恐れ否定しながら、否定し切れぬ未来。
 その時の備えであるのかと。

 ――少年の笑みが、再び深まった。

「……そこまでは申しません。
 ですが、戦況悪化に伴い、地球との連絡の途絶、或いは、こちらに補給など送っていられない状況になる事は想定されています。
 なにより、これだけの規模のコロニーの運営を外部頼りにするなど、リスク管理の面からみても避けるべきでしょう」

 否定の言葉に胸を撫で下ろしながら、どこかで疑念を抱く面々。

 ――本当にそうなのか?

 そんな疑いを持ちながら、どこか消化不良な顔付きになるジャーナリスト達を、一瞥したルルーシュは、ビジネス・スマイルを崩す事無く告げる。

「この場を借りて世界の方々にも申し上げる。
 この『アヴァロン・ゼロ』は、人類の未来を繋ぐ為の希望となるべく産み出され、そして運営されていくでしょう。
 人類が再び星々へと手を伸ばす為の橋頭保として、そしてBETAの脅威に脅かされる事無き安住の地として、故郷を追われた方々にも順次手を差し伸べる事をお約束しましょう」

 ザワリと空気がうねった。
 告げられた言葉の意味を理解した瞬間、熱気と期待が室内に充満していく。

 ルルーシュの言葉を素直に受け取るなら、難民達をこの地に受け入れるという事。
 戦況の激化により国を追われた難民達にしてみれば、衣食住が満たされるだけでなく、BETAの脅威が及ばぬこの地は垂涎の的であり、そこへの門戸が開かれるとあれば絶望に打ちひしがれていた彼等も欣喜雀躍するだろう。
 無論、億の単位に上るであろう難民全てが収容出来る筈も無い事くらいは、まともな頭の持ち主ならすぐに分かる事だ。
 だがそれでも、数百万単位での難民の生活が保障されるなら、その分の浮いた余力で残りの者達の生活も多少の向上は見込めるだろう事も分かる。

 再び切られる無数のシャッターとフラッシュ。

 光と音の嵐の中、超然と立つ少年の姿は、翌日の世界の新聞の一面を独占する事になるのだった。



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―― 西暦一九九二年 八月三日 帝都・二条城 ――



 この日、この時、二条城の大会議室に参集した帝国の屋台骨たる文武の高官達。
 帝国の神経であり、頭脳でもある者達の視線は、特別に設えられた大画面TVへと釘づけになっていた。

「……なんともはや……だな」
「派手な事ですな……」

 フラッシュの閃光が途切れる事無く閃く記者会見場の様子を眺めながら、溜息混じりの呟きが随所で起きる。
 今頃は、自分達の省に殺到しているだろう問い合わせの電話と、その対応に追われているであろう職員達を想像しながら、外務と経産の高級官僚達は顰めっ面を見合わせた。

 対して意気軒昂なのは反枢木の牙城と言われる城内省である。

「勝手に難民の受け入れなど表明するとは、増長慢も甚だしいですぞ!」

 などと息巻く姿に、他の高級官僚や将校らも渋い表情を浮かべる。

 枢木とやり合った挙句、散々、痛い目を見せられた外務省は、恨みは有れども正直及び腰。
 財務省や経産省にしてみれば、大量の外貨を稼ぎ、莫大な税金を納付してくれる相手と思えば左程腹が立つ訳でも無し、多少の不満を押し殺すのは難しい事でも無かった。
 他の面々にも、触らぬ神に祟りなし的な思考が浸透しつつある今、武家の格式と伝統を破りまくっている枢木に対する反感を、隠そうともしない城内省が浮き気味なのは仕方ない。

 ――故に。

「……とはいえ『アヴァロン・ゼロ』にて多少なりとも受け入れて貰えるなら、我が国としても助かります」
「そうですな。
 それでなくても我が国は、難民の受け入れで国連からもクレームを付けられていますし……」

 といった玉虫色の態度を示す官僚や軍人達も少数派ではなくなっていた。

 自分達の領分や利権に踏み込んでこなければ無視する。
 そういった対応を滲ませる面々に、共感を得られなかった城内省の高官が怒りの色を露わにした。

「そういう事を言っているのではない!
 たかだか一企業如きが、政治に口出しする様な真似をされては困ると言っているのだ」
 会議場に鳴り響く怒号に肩を竦めた一同は、無意識の内に周囲を見、互いに戸惑いの視線を向けあった。

 確かに一企業が、政治にまで口出しするのは越権であり、僭越でもある。
 とはいえ、増加の一途を辿る難民対策として、各企業に対しても難民の雇用を依頼しているのは帝国政府の方だ。
 どちらかといえば閉鎖的な日本社会に、あまり居着く事は無いとはいえ、それでも国内に増えつつある難民達と経済的に困窮している彼らによる犯罪発生率の上昇は、政府としても頭痛の種に成りつつある昨今、幾たりかであれ、実質的には国外である『アヴァロン』が引き取ってくれるなら御の字という思惑もある。

 ……まあ、後日行われた難民向けの募集が、欧州や南亜を中心に行われた事で、実質的には殆ど恩恵が無かったのだが、それが今、この時点で分かろう筈も無かった。

 そうやって、消極的賛成もしくは黙認という空気が増していく中、それらを言葉に変えていく者もチラホラと現れ出す。

「……しかし、現実問題として枢木が難民を雇用して、『アヴァロン・ゼロ』に受け入れるとしても、止める手立てはありますまい」
「最初に少しでも資金を出していれば、それなりに口も出せたのですがな……」

 チラリと一同の視線が向けられる。
 集中する視線の交差点――企業群を指導・監督する経産省の高官は、憮然とした表情を浮かべつつ、無言の非難に反論した。

「あの時点で、計画が成功するとは誰も思わなかった筈だ!
 我が省の判断は、間違ってはいなかった」

 『アヴァロン計画』立ち上げ時に、枢木からあった出資要請を蹴った事を、内心、後悔しつつも弱みは見せられぬとばかりに声を荒げる高官。
 だが、その反論を予期していたのか、一部から皮肉に塗れた指摘が上がる。

「……あの時点では、間違っていなかった。
 だが現時点では、明らかな失策な訳だ」
「――っ!!」

 全世界に鳴り物入りで公開されている『アヴァロン・ゼロ』。
 その利権への参入を断られた事を、暗に非難するソレに、高官の顔がわずかに蒼褪めた。
 そんな彼の反応に溜飲を下げながら、更なる追い打ちが掛けられる。

「……結果、『アヴァロン計画』は枢木単独の事業となり、政府は碌に口も挟めない始末。
 企業の監督をする経産省としては、この責任をどうやって取られるお積りか?」
「……枢木とて、我が省の監督下にある。
 根も葉もない言い掛かりは止めて頂こう」

 苦し気にされた抗弁に皮肉な笑いが湧き起こる。
 到底、監督・制御出来ているとは思えない現状は、誰の目にも明らかで、それは非難を受ける側も重々承知していた。
 はっきり言ってしまえば、連中の規模は既に一企業のソレを完全に超えている。
 ごく短期間の内に、恐ろしい程のスピードで成長しながら、破綻の兆しすら見せぬ有り様は、少なからぬ畏怖の眼をもって見られていた。

 それ故に、彼の省が選んだ選択は、静観の一手のみ。

 放っておいても成長し、雇用を産み出し、富を築いてくれるのだ。
 妙なちょっかいを掛けて痛い目を見た連中の真似などしたくもないというのが組織としての結論である。

 煽って来る連中の大半は、少なからず痛い目を見せられた側である事も、彼の防備を厚くする助けとなっていた。
 結果……

「当面、採掘された資源や工業製品は、欧州を中心に輸出すると言っている様だが?」
「……我が国からの輸出だ。
 その利潤は国庫に還元される。
 どこに問題があると言うのかね?」

 嫌味混じりの挑発にも激発する事無く、苦しいながらも言い訳を紡ぎ続ける。
 煽りを入れていた側、城内省の高官の顔が不満気に歪んだ。

 城内省の手の届く範囲からでは、最早、枢木には有効打を与える手段が無い。
 『飛鳥計画』への参入を拒む事が精々であり、それは連中に対して左程のダメージには成らぬ事も分っていた。
 それ故に、この機を使い企業に対して強い権限を持つ経産省を引き摺り込み、一緒に叩いてやる算段だったのだが、挑発に乗って来ないのは計算外。

 ――この臆病者が!

 胸中で罵倒しつつも、諦め悪く再度煽りを入れてみる。

「そうですな。国庫は潤いますな。
 ……ですが、今の我が国が必要としているのは紙幣(かみ)ではなく資源(もの)なのでは?」

 痛い所を突かれた相手の顔が歪むのに、一縷の望みを感じるが、続く言葉に落胆する。

「……資源なら金さえあれば買える。
 豪州でも、南米でも、アフリカでも、思いのままだろう」

 そう言って視線を逸らし話を打ち切ろうとする経済官僚達に、城内省側は内心で舌打ちする事しか出来なかった。

 そんな不毛な鍔迫り合いを眺めつつ、他の面々も、それぞれの立場から多種多様な反応を見せる。

 憤る者も居れば、仕方ないと肩を落とす者も居た。
 或いは、渋い表情のまま沈黙を保つ者も……

 『アヴァロン計画』スタート時に、枢木からの出資要請を蹴っておきながら、物が出来上がった時点で参入させろとは図々しいにも程があるとの回答に列席していた榊も秘かに頭を痛めていたのである。

 榊の胸中で、苦い呟きが零れ落ちた。

『……確かに、今はまだ買える。
 だが、この先もそうであるとは限らない』

 無資源国である日本帝国にとっては、確実に手に入る資源こそが重要なのだ。
 『アヴァロン計画』の利権に参入していれば、上がりの分を、物納という形で手にする事も不可能では無く、先進工業国であり、輸出国家でもある日本にとっては、その方が旨みも大きかっただろう。

 目の前にあった処理前の極上の肉にそっぽを向いた挙句、クズ肉で満足しろと強弁されても不満が残るだけだった。
 とはいえ、一概に経済官僚達を責めるのもフェアとは言えぬ以上、政府全体の不明こそを恥ずべきであろうと自省する榊の鼓膜を不愉快な怒声が揺らす。

「最早、枢木の増長は許し難い!
 帝国が一丸となって国難に立ち向かわねばならぬこの時、一企業の利益だけを追求するなど国賊というべき所業だ」
「この際、枢木自体の接収も視野に入れるべきでは?」
「然り、帝国の物を帝国に戻す!
 なんら恥ずべき事は無い!」

 城内省を中心とする反枢木の急先鋒達が、非難の大合唱を上げる。
 自身が統括する国防省の官僚も、一部同調している様に、榊は頭痛を覚えて目頭を押さえた。

『……何処の独裁国家だ?
 そんな真似をすれば、外国資本が残らず逃げ出すぞ』

 そうでなくても、数年以内には前線国家になるのではと言われ始めた帝国だ。
 国外からの投資は鈍り、逆に資本が引き抜かれ始めているという現状は、相応の地位――少なくとも、この場に出席出来る者達にしてみれば周知の事実。

 そんな状況で、その様な無法を成せば、外国資本の殆どが雪崩を打って逃げ出し、下手をすれば物理的に破滅する前に、経済的に亡国の憂き目に遭いかねない。

 その程度の発想は、相応の見識を持つ者にしてみれば常識以外の何物でも無く、榊が口を開くよりも前に、法務官僚の一人が苦り切った口調で反論を口にした。

「無茶を言わんでくれ。
 その様な無法が罷り通る筈もない。
 我が国は、れっきとした法治国家なのだぞ」

 呆れ果てたと言わんばかりの言い様に、血の気の多い連中が揃って席を立ち掛けるが、これは流石に周囲が制止する。
 正直、この場で諍いを起したい者など少数派だった。
 それぞれの思惑があるにせよ、今、論議すべきなのは別の事なのだから。

 やや気勢を下げて、不愉快気に黙り込む強硬派を横目に、それを宥める意図からか誰かがボソリと呟いた。

「とはいえ、何らかの形で枢木に掣肘を加える事も必要か?」

 一座の者が、思い思いに顔を見合わせる。
 如何に強大な存在であれ、この国を動かしているのは自分達との自負がある面々にしてみれば、好き勝手に動かれるのは面白くないのが道理。
 正面から喧嘩を売って、叩き潰されるのはご免こうむるが、それでも何とか歯止めを掛け、可能ならばコントロールしたいというのも偽らざるところではある。

 それを証明するかの様に、波紋の様に発言の輪が広がっていった。

「……確かに。 これ以上、政府を無視して動かれても困る」
「平時には無理ですが、非常時においてなら個人資産を一時的に接収する事は可能でしょう」
「国家存亡の危急の際には、必要に応じて企業の資産や設備を押さえられる様、法整備を進めておくべきかと」

 『アヴァロン』が今後もたらすであろう富と資源、そして近づきつつある戦いの予兆を前に、確実に安全と言える後背地の存在は喉から手が出るほど欲しかった。
 そして平時においては無理だが、戦時においてなら、無理を通す事も不可能ではない。
 枢木との敵対を望まぬ榊にしても、国家存亡の折にまで気を使うつもりはなく、結果、産まれ落ちた流れは急速にその方向性を定め現実化していく事となるのだった。



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―― 西暦一九九二年 八月五日 帝都・枢木邸 ――



 壁に掛けられたカレンダーを見ながら篁唯依は、小さく呟いた。

「……あと三日……」

 そう後三日。
 それだけ待てば、大好きな父が久方ぶりに帰って来る。

 さらに言えば――

『当日は、兄様も戻られるとか……本当に楽しみです』

 滅多に帰って来ない父と、この所、とみに忙しさを増して屋敷を空ける事が多くなった兄。
 その二人が、同時に返って来るのだ。
 彼女にしてみれば、嬉しくない筈もない。

 ウキウキとした様子で指折り数える姿は、とても幸せそうで、見る者全てを微笑ませるような雰囲気を放っていた。
 そんな空気に引かれる様に、彼女の背後から人影が射す。

「あら、随分と楽しそうね?」

 そう言いながら横に座る真理亜。
 その手に持っていた二刀に眼をやった唯依は、困った様に眉をひそめた。

「叔母様、まだ無理をされては……」

 つい先日まで熱を出していたのだ。
 もう少し養生すべきと案ずる辺りは、生真面目な唯依らしい。

 そんな少女の苦言に、真理亜は頬を緩めながらも反論した。

「あまり病人扱いしないでね。
 ちゃんと治ったって、唯依ちゃんも聞いていたでしょ?」
「……はい」

 それはそうですが……と、口中でブツブツ言いつつも、不承不承と言った感じで首を縦に振る。
 幼くして母を無くした彼女にしてみれば、心配するのも仕方の無いところであったが、医者が完治を告げた場に居合わせた以上、そう言われてしまえば抗弁もし辛い。

 そんな唯依の葛藤を知ってか知らずか、あっけらかんといった風情で膝を伸ばした真理亜は、深緑に満ちた中庭を見ながら楽しそうに声を掛けて来た。

「まぁ、病人というのも新鮮な体験ではあったけどね。
 やっぱり退屈なのが、難点よねぇ」
「……唯依としては、少しは大人しくしていて欲しかったのですが」

 あまりにもケロッとした口調に、唯依の頬もわずかに緩む。
 胸中の不満を小声で吐き出しながら、心配し過ぎかと肩の力を抜く少女。
 そんな彼女に向けて、悪戯っぽい表情を浮かべた美女が突っ込みを入れて来る。

「何か言ったかなぁ?」
「い、いえ、何でもありません!」

 これまでの経験、からかわれ続けて来た日々の積み重ねから、マズイと咄嗟に判断した唯依は、シドロモドロになりながらも否定の言葉を口にした。
 ここで付け込まれれば、また楽しく遊ばれてしまうのは確実な分、唯依としても必死である。
 叔母にしてみれば、愛情表現の一種であると分かっていても、やはり歳相応のプライドもあるのだ。
 そうそういつも、同じ手は食わないと身構える唯依を前に、真理亜が楽しそうな笑みを深める。

「……そういう事にしておきましょうか」

 思わず唯依の全身から力が抜けた。
 必ずあると思った追撃が無かった事に、肩透かしをくらって眼をしばたたかせる少女に向け、真理亜は片頬を釣り上げて見せる。

「そう言えばちょっと気になる事があるのよね」
「えっ?」

 意味ありげな眼差しと声に、思わず漏れた疑問の声。
 それに被さる様に、首を捻る素振りを見せながら真理亜が告げた。

「何かは知らないんだけど、篁中佐が少し相談したい事があるそうなのよ」
「父様が……ですか?」

 コテンと首を傾げる少女。
 自分に関わる事だろうかと考え込む彼女に、どこか笑いを含んだ声が向けられる。

「う〜ん……仕事絡みなら、ルルーシュの方に行くと思うんだけど、何なのかしらね?」
「さぁ?」

 などと水を向けられた唯依であったが、彼女にも皆目見当もつかない。
 何せここ数ヶ月、父とは顔を会わせていないのだ。
 これでは流石に分かり様も無いと、小さく首を捻る少女に、何かを楽しむような笑みが向けられる。

「……もしかして、案外、唯依ちゃんの事かも?」
「わ、私ですかぁ?」
「そう……ルルーシュと唯依ちゃんの事……」
「………」

 思わせぶりなセリフに、唯依は思わず息を飲む。
 小さな胸の奥で、心臓が早鐘の様に打ち鳴らされるのを感じながら、固唾を飲んで続く言葉に耳を傾ける少女。
 そんな彼女の耳朶に、口を寄せた真理亜は小さな声で囁いた。

「……これからも、『妹同様に可愛がって下さい』とかね」
「へっ?」

 想像を外され、素っ頓狂な声を上げる少女。
 それを見て真理亜が楽し気に笑う。

 自身が、またからかわれた事を悟った唯依は、次の瞬間、真っ赤になって吠えた。

「お…お……叔母様の意地悪っ!!」

 そう叫ぶやいなや、脱兎の如く逃げ出す少女。
 素晴らしいスピードで屋敷の奥へと消えていく背を、微笑まし気に見送った真理亜の美貌に、一転、鋭利な表情が浮かぶ。
 そのまま庭へと降りた彼女は手近な木へと歩み寄り、同時に風切る音が鳴った。

「………」

 無造作に振るわれた一刀。
 ハラリと地に落ちた一枚の葉が、落ちた瞬間、二つに裂けて――

「………」

 ―― 否、違う。

 ごく僅かな斬り残しが、未だ一つが二つと成る事を阻んでいた。
 それを見つめる美女の目線は冷やかで、その美貌は能面の様に感情が失せている。

「……ふぅ……」

 微かな吐息が漏れた。
 張り詰めていた空気が緩み、真理亜の面に自嘲めいた笑みが浮かぶ。

「歳かしらねぇ……」

 剣先に生じた極小の、されど無視し得ぬ狂い。
 それが思い描いたイメージと、わずかに異なる結果を産み出した事を溜息混じりに認めた真理亜は小声でぼやく。

「ほんと……歳は取りたくないわね……」

 いつまでも見ていたかった。
 あの少女と息子の行く末を。

 しかし――

「………」

 真理亜は一つ溜息を吐くと、手を翳して陽を遮りながら空を見上げた。
 雲一つない蒼天は、どこまでも蒼く高く澄み渡っている。

 暫し、それを見上げていた真理亜は、やがて頬に苦笑を浮かべると刀を納めてその場を後にした。

 無人となった中庭に、一陣の風が吹く。
 舞い上がった葉は二つに分かれ、見えざる手に導かれるままに別々の方角へと運び去られていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 八月六日 帝都・某所 ――



 卓上に並べられた料理に手を付ける者はいなかった。
 半ばヤケクソ気味に杯を重ねる者が数名、難しい顔をしたまま考え込んでいる者が数名。

 国防研究会の名目の下、開かれた国産派の集会は、開始後、数分を経る事無くお通夜状態へと突入していた。

 原因はと言えば、言わずと知れた事。
 アラスカでの篁の奮闘が、この地にまで深刻な影響を及ぼし始めたからだ。

「………チッ……」
「……まさか、ここまで差がつこうとはな」

 忌々し気な舌打ちに、苦い呟きが被った。
 場を満たす暗く重い空気に、苛立ちを高めた将校の一人が、グッとばかりに杯を干すと、叩きつける勢いそのままに吐き捨てる。

「光菱や富嶽は、何をやっていたのだ!」
「辛うじて追随しているのが、同じ河崎の試四号(TSF-X04)のみか……」
「いや、残念ながら試四号(TSF-X04)も、他よりはマシといった程度だ。
 不本意極まりないが、試三号(TSF-X03)との間には明確な差が出来ている」

 一声を呼び水に、さざめく声が室内に響く。
 だがそれは、部屋の中の空気を更に悪くするだけだ。

 他の試作機(TSF-X)に優越する蜃気楼の機体性能が、彼らの気分を際限なく落ち込ませ、奈落の底へと引き込んでいく。
 示されたハイスペックぶりに、上層部が制式採用に傾きつつある現状を嘆き、そして愚痴を零しあう事しか出来ない事が、更に苛立たしさを増していた。

 一同の憤懣やる方ない思いが、罵声となって口から零れていく。

「お偉方の中でも、試三号(TSF-X03)を押す空気が日毎に強くなっている。
 このままの状況が続けば、恐らくは次の選定会議で試三号(TSF-X03)が『不知火』として制式採用される破目に成りかねんぞ」
「馬鹿な!
 そんな事が認められるものかっ!!」
「そうだ! 米国の手で穢された機体が、我らの剣となるなど認められる筈もない!」

 必死に上がる気勢は、彼らがまだ負けを認めていない証でもある。
 だがそれは同時に、追い詰められつつある者達の虚勢でもあった。

 内心では誰もが、この流れを止められないと肌で感じている。
 それ故にこそ、彼らの憤りと焦りも尋常ではなかった。

 そして同時にそれは――

「しかし、そうは言ってもな……悔しいが試三号(TSF-X03)が、他の試作機(TSF-X)に優越する性能を獲得しているのは事実だ」
「ぐっ…ぬ……」

 ――別の視点を産む契機とも成り得たのだった。

 諦めと共に語られる意見に、強硬派の急先鋒達も思わず下を向き、唇を噛みしめる。
 彼らの主張を真っ向から否定する存在が、厳として実在している以上、その舌鋒は鈍らざるを得ないのだ。

 屈辱と無念に打ち震える一座の中で、別視点を得れた者が、溜息混じりに呟きを漏らす。

「確かに米国の手が入っている事は気に食わん。
 だが大陸の戦況を考えれば、今は少しでも強力な機体が必要なのは間違いない」
「貴様、裏切る気か!?」
「そうは言っておらん!
 そうは言っておらんが……」

 糾弾の叫びに、目線を逸らした男は、語尾を濁らせつつも言外に告げた。

 ――もう諦めるべきではないのか、と。

 鉛の様な重い空気が場を満たした。
 息苦し気に喘ぐ者、眼を伏せ息を殺す者、皆が皆、様々な態度を示しながら、その胸中で自問していく。

 慣れぬ異郷の地で血戦を繰り広げている兵達の事を思えば、このまま面子に拘り続けるのはどうかといった空気が少なからず産まれていた。
 少なくとも、帝国の防人としての気概を持つ者達にしてみれば、まず第一に守るべきモノの方に注力すべきではとの思いもある。

 そんな穏健派の逡巡に対し、強硬派の一人が憤りも露わに吐き捨てた。

「……兎に角、このまま指を咥えて見ている訳にもいくまい。
 なんらかの手を打たねば、我が国は諸外国からいい笑いモノになるだけだ!」

 このまま米国の手が入った機体が、帝国の次期主力戦術機となる事だけは避けたい。
 その一心で萎えかける一同を鼓舞するが、反応はいまいち鈍かった。

 だがそれでも、同じく強硬派と目される者達からは、ポツリポツリといった風情で同意する声が上がり始める。

「もはや手段を選べる状況ではないな……」

 そう既に事態はそこまで進んでいる。
 生半可な事で、篁が作りだした流れは変えられないと理解している面々の双眸に危険な光が灯り出した。

 そう……全ての元凶は、篁。
 『瑞鶴の英雄』でありながら、米国に尻尾を振る許し難い売国奴。

 追い詰められた者達の憎悪が、追い詰めた者へと向けられるのは、ある種の必然であった。
 ギラギラとした眼光を向け合いながら、彼等は最後の一歩を踏み出す言葉を口にする。

「……あの男に消えて貰わぬ限り、この流れは止められまい」

 シンと静まり返った室内に、明白な害意を示す声が陰々と響く。
 もはやそれ以外に手は無い事を、理解していた面々は、様々な表情を浮かべつつも反論を口にする事は無かった。

 だがそうかといって、おいそれとソレが叶うと思える程、彼等も能天気では無い。

「しかし、どうやって?
 篁自身、相当に腕が立つ上に、周りには枢木の放った警護が着いているそうではないか」

 その疑問を契機に、これまでの失態を思い出し沈黙する一同。
 明らかに勢力の減退を招いている今の自分達に、篁暗殺を成し遂げられる人材が居るかと問われれば、誰もが目線を逸らすだろう。
 そして再び失敗する様なら、国産派にとっても致命的なダメージとなりかねない。

 そんな八方塞の状況に、更に重苦しい雰囲気を撒き散らしながら口を閉ざす面々。
 満ち溢れる負の空気の中、苛立たし気に畳を打つ音が、虚しく響いていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 八月七日 アラスカ・ユーコン基地 ――



 蛍光灯の明かりが煌々と室内を照らし出す中、紙を繰る音が響く。

 忙しそうに書類を取りまとめ、データディスクと共に軍用の頑丈なケースに詰め込み終えた篁は、ホッと一息吐くと整理整頓されたデスクの上へと視線を移した。
 小さな写真立ての中に飾られた写真の中で、自分と巌谷、そして産まれたばかりの唯依を抱いた亡き妻が幸せそうに微笑んでいる。

 一瞬、これも詰めようかと考えた彼だったが、いつもより長めとはいえ、それでもほんの数日だけ留守にする事を思い出し、差し延ばし掛けた腕を苦笑混じりに引き戻した。

「……これで良し……だな?」

 そう自問しつつ、ケースの中身を再確認する。
 必要な資料の一切合財が、問題無く揃っている事を確認した男は、満足の笑みを浮かべるとケースの蓋を閉じた。

 後は、二時間後に出発する輸送機に乗るだけ。
 意図せずに出来てしまった微妙な空き時間に、コーヒーでも飲もうかと椅子から立ち上がり掛けたところで来客を告げるインターホンが鳴り響いた。

 不審げに眉をひそめながらも、備え付けのモニターで来客を確認する。
 すると、いつも通りの作り笑いを浮かべた旧友の技術顧問がドアの前に立っていた。

 ――はて?

 なにか約束を忘れていたかと首を捻りつつ、篁はドアのロックを外し、ハイネマンを室内へと招き入れる。
 こちらから来訪の理由を尋ねるよりも先に、ハイネマンの方から口火を切った。

「すまないね、マサタダ。
 帰国の準備中だったかな?」
「……いや、いま終わったところだ。
 どうかしたのか、フランク?」

 非礼とは思いつつも、どこか警戒心を喚起させる相手に精神的に身構えてしまう篁だったが、それを知ってか知らずか、作り物めいた笑みを崩す事無くハイネマンは来訪の理由を答えた。

「いやなにね、今回の帰国で大勢が決まりそうと聞いたのでね。
 激励も兼ねた見送りといったところさ」

 篁の肩から力が抜けた。
 たわいない理由を前に、警戒していた自身の臆病さに苦笑しつつ、礼儀を損なわない程度の口調で感謝の言葉を返す。

「そうか。
 気を使わせてしまったようだな」

 そう言って頭を下げる彼に、ハイネマンも軽い調子で手を振りながら、気にする事は無いと示して告げる。

「私個人としても、相応に思い入れのある仕事だからね。
 良い結果で終わって欲しいという期待もあるさ」
「それについても感謝している。
 君の協力が無ければ、ここまでの結果が出せたかどうか……」

 御三家からの積極的な協力を得られなかった事を自嘲気味に思い出す。

 彼らにしてみれば、自分達の苦労の結晶を、米国の手に委ねる事が我慢できなかったのだろう事は分かっていた。
 それでも強行したのは、今後十年先まで見据えての決断である。
 いま屈辱を味わおうとも、ここで得られた技術と経験は、きっとこの先の帝国の戦術機開発に大きく資するだろうと信じての事だったのだが……

 その辺りの理解を得る努力を、自分は怠ったのではないかと時折思う事もあった。
 結果として、計画そのものは成功を収めつつある今だからこそ、より強く思う。
 例え、土下座してでも、御三家をこの計画に引き込むべきではなかったかと。

 そこまで考えたところで、篁は首を振った。

 終わった事を悔いても仕方ない。
 確かに、今回の計画に御三家を引き込めなかったのは失策だが、充分な成果が上がりつつあるのも事実。
 ならば、この成果をもって次の機会を待てばよい。

 そうやって自身の内で決着をつけた彼に、ハイネマンが話し掛けてくる。

「私の方も、これから本土の方に戻らねばならないのでね。
 次に会う時には、吉報を期待しているよ」
「……手厳しい事だな。
 だが、全力を尽くす事は約束しよう」

 返す言葉に嘘は無い。
 何としても吉報をもぎ取りたいのは、篁自身の方であった。
 彼にとっても、今回の計画は失敗する事など許されないのである。

 胸中で決意を新たにする男を、興味深げに観察していたハイネマンは、懐から銀製と思しきスキットルを掲げて見せた。

「景気付けにどうだい?」
「……頂こう」

 思えば『彼女』の一件から、妙なしこりが出来てしまった旧友相手に、珍しく裏を考える事無く素直に頷けた自分に、微かな戸惑いを覚えながら、篁はカップを二つ取り出して机の上に置く。
 風情の無い事この上ないが、どちらもその程度の事に拘るタイプではなかった。

 白い無地のカップに琥珀色の液体が半ばまで注がれる。
 プンと香る匂いから、かなり上質のウィスキーである事だけは分かった。
 互いに掲げたカップが、向い合せになる。

「それでは、『蜃気楼』の未来に栄光があらん事を祈り――」
「「乾杯!」」

 澄んだ音が鳴り、互いにカップの中身を飲み干す篁とハイネマン。
 その光景を見つめる写真の中の亡き妻は、光の加減からか、どこか悲し気に見えた事に男達は遂に気付く事はなかった。



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―― 西暦一九九二年 八月八日 中国・湖北省 ――



 試四号(TSF-X04)の再調整とデータ取りを終え、再び戦陣に立った巌谷は、大陸派遣軍に混じり、重慶から溢れ出て来るBETAを相手に闘争を繰り返していた。

 副椀が携えた二門の突撃砲から散弾の雨を見まって、迫り来る赤い戦車級の絨毯を引き裂きつつ、足元までにじり寄ってきた悪運強い個体を、74式近接戦用長刀で着実に叩き潰していく。
 偶に混じっている要撃級に、左腕に構えた突撃砲から120ミリ砲弾の洗礼を浴びせながら、己の意思を忠実に反映して動く愛機の仕上がりに満足の吐息を漏らした。

「コイツも大分、良い感じで仕上がってきたな」

 大陸に渡ってから早半年。
 実戦で磨き上げられた帝国の新たな刃(TSF-X04)は、彼の願い通りの成果を上げつつあった。

「無理を言ってまで、大陸に渡った甲斐があったか……」

 感慨深げに呟く声が管制ユニット内に木霊する。
 だがその響きに、どこか暗い影が纏わりついていた事に気付き、発言者は微かに眉を顰めた。

「……とはいえ、これでも蜃気楼(TSF-X03)には届かんか」

 アラスカで篁が調整中の蜃気楼(TSF-X03)の噂は、既に彼の耳にも届いていた。
 そして蜃気楼(TSF-X03)が、己が手塩に掛けて育て上げて来た試四号(TSF-X04)を完全に上回りつつある事も……

「全く……本当に大したヤツだよ。 貴様は……」

 彼らが夢見た道へと繋がる可能性、その成功に嬉しさを覚えつつも、同時に、自身がそれに携われなかった事を悔いる。
 我を通さずに、自分も共にアラスカに行っていれば、或いは……

『……待て、いま俺は何を考えた!?』

 無意識の内に脳裏に浮かんだ感情。
 その事に驚愕を覚えつつ、迫り来る要撃級に向けて長刀を振りかざす。

 腰部の跳躍ユニットが火を噴き、一瞬で距離を詰めた試四号(TSF-X04)は、乗り手の憤りを露わす様に、荒々しい勢いで要撃級の感覚器(シワくちゃ顔)目掛けて長刀を叩きつけた。

 吹き上がる赤黒い体液。
 尾節から身体の半ばまで切り裂かれた要撃級が地に倒れ伏す。
 赤黒い汚液が大地を穢す中、茫然と立ちすくむ試四号(TSF-X04)の中で、険しい表情を浮かべた巌谷が吐き捨てるように呟いた。

「……情けなさ過ぎるぞ、巌谷榮二!」

 己が手掛けた試四号(TSF-X04)が消え去る事を悲しむのは、まだ良かった。
 だが、親友が辛苦を乗り越えて手にした成功を羨み、妬む気持ちが自身の内に芽吹いていた事だけは許せない。

 自身の内にある卑劣で卑小な自分に気付き、巌谷は暫し、全てを忘れて呆然と立ち竦む。
 ……そう、己が今、何処に居るのかという事すら忘れて。

 管制ユニット内に喧しいアラート音が鳴り響いた。

「し、しまっ!?」

 数瞬の自失から、強引に引き戻された巌谷の叫びが、管制ユニット内に木霊する。
 反射的に回避行動に移ろうとするが、それよりも一瞬早く、死に掛けの要撃級が放った最後の一撃が、試四号(TSF-X04)の背を深々と抉った。



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―― 西暦一九九二年 八月八日 帝都・枢木邸 ――



 この日の午後、帝国陸軍の制服に身を固めた将校が、枢木の門を叩いた。
 精悍さと聡明さを併せ持った彼は、門を抜けたところで歩みを止めると、優しい笑みを浮かべる。
 玄関を抜け、自分に向けて一直線に走って来る小さな影を、視認したからだ。

 右手に提げていた無骨なケースを脇に置き、開いた両腕の間に飛び込んできた小さな身体を、愛おしそうに抱きとめる。

「お帰りなさいませ父様!」
「ああ、ただいま。 唯依」

 元気一杯といった風情で、迎える言葉を口にする愛娘を抱き上げながら、篁も柔らかい笑みを浮かべたまま帰国の挨拶を告げる。

 背丈も以前より伸び、両腕に掛かる重みもまた増していた。
 肌の色艶もよく、背に掛かる黒髪も枝毛一つ見えぬ事から、健やかに育っていたであろう事が一目で分かる。
 迷惑を掛け通しの親子に、感謝の念を抱きつつ、はしゃぐ娘をあやしていると、玄関の方から凛とした美声が掛けられた。

「お疲れさまでした。 篁中佐」
「娘がお世話になりました。 枢木殿」

 相変わらずの年齢不詳な美貌に、この人物には珍しい穏やかな笑みを浮かべた美女に、篁も礼儀正しく頭を下げる。
 地に降ろされた娘が、少しだけ不満そうな顔を浮かべるのを、頭を撫でながら宥める彼に招く言葉が向けられた。

「さっ、取り合えず中へ。
 長旅でお疲れでしょうし、夕餉くらいは召し上がっていって下さい」
「いやしかし、そこまでご迷惑を掛ける訳には……」

 夕食への誘いの申し出に、流石にそれはと遠慮する。
 借りが多過ぎて返せそうに無い身としては、二の足を踏む思いが強く、この場は辞去しようとするが、続く言葉が彼の思惑を大きく急旋回させた。

「ご心配なく。
 それに今日の夕餉は、唯依ちゃんが作る事ですし、ね」

 下拵えは、もう済んでいると笑いながら告げる真理亜。
 思わぬ展開に、篁は戸惑った様子を覗かせつつ、ニコニコと笑う愛娘に事の真偽を尋ねてみる。

「……唯依、そうなのか?」
「ハイっ!」

 自信満々といった様子で胸を張る唯依。
 未だ子供子供した娘の姿に、篁の頬も思わず緩んだ。

 視線を転じて、この家の主を見てみれば、あちらも微笑ましそうに笑っている。

 ――これは、断れんか。

 胸中で苦笑混じりに呟いた篁は、自らの負けを認めて再び頭を下げた。

「それでは、少しだけお邪魔させていただきます」
「ええ、どうぞ中へ」

 招かれるまま玄関をくぐり、邸内へと進んでいく。
 途中、夕餉の支度をする為に、厨房へと向かう娘と分かれ、応接間ではなく居間へと招かれた篁は、黒く磨き抜かれた卓を挟み、真理亜と差向いで席に着いた。
 出された緑茶で喉を潤すと、ようやくホッと一息吐くと、改めて感謝の言葉を口にする。

「しかし、本当にお世話になりっ放しで……面目次第も無い限りです」
「唯依ちゃんの事でしたら、どうぞお気になさらずに。
 私もそうですが、何より息子が、あの娘を妹の様に可愛がっていますから、居なくなられてしまうと、逆に私達の方が、寂しくなってしまうでしょう」

 クスクスと笑いながら告げられる言葉に、篁の相好も崩れた。
 先程の唯依の様子からも、何の不自由もなく健やかに暮らしている事が分かる。

 そんな娘の幸せな生活に、なんら貢献してこれなかった駄目な父親として、頭を掻きながら恐縮の態を示す篁は、冗談混じりに内心を吐露した。

「本当に、すっかりこちらの子になってしまった様で……育児放棄していた父親としては、顔も忘れられてしまったのではと内心冷や冷やしていました」
「そんな事は無いでしょうね。
 普段も折に触れて、中佐の事を気にしていましたから」

 自嘲混じりの告白に、笑みの混じったフォローが返される。
 篁の表情に、喜びと照れくささの入り混じった苦笑が浮かんだ。

 何もしてやれなかった父親としては、嬉しい様な、恥ずかしい様な……

 そんな何とも言えぬ気分を味わいつつ、だからこそこの先の話を通さねばと、心に誓い直した彼は、切り出すタイミングを見計らいながら会話を繋げていく。

「……ははは、本当にお恥ずかしい限りです」
「あの娘にしてみれば、自慢の父親が任務に精励している事を、誇りに思っても恨みには思わないでしょう……違いますか?」

 問い質す言葉が彼に向けられた。
 無論、それに否定を返す程、娘の事を理解できていない筈も無い。

 いま一度、卓の上に置かれた茶碗を手に取り、一口、茶を含んで喉を潤すと、嬉しそうに眼を細めながら、真理亜の問いを肯定する。

「……そうでしょうな。
 とはいえ、そんな出来た娘の配慮に甘えてばかりの駄目親父ですが……」
「私にとっても、あの娘は本当の娘のようなものです。
 ですので、その辺りはお気づかいなく任務を完遂して下さい」
「……本当に、お世話になります」

 労わりと共に返された激励に、篁の頭が自然に下がった。
 本当に借りばかり増えていく相手に、頭が上がらないとはこういう事かと実感しつつ、彼は呼吸を整えると、本題を切り出す事にする。

「……枢木殿」
「はい?」

 こちらの雰囲気が変わった事を、素早く察知したのだろう。
 居ずまいを正し、向きあって見せる相手の眼を真っ直ぐに見据えながら篁は本日最大の難事に挑む。

「唯依を実の娘の様に慈しんでくれている事には、感謝の言葉もありません。
 その様な御方に、この様な事を言うのは不躾とは思いますが………」

 緊張の余り声が掠れ、意図せぬままに言葉が切れる。
 篁は唾を飲み込み、喉を無理矢理動かすと、途切れた先へと繋いでみせた。

「……あの娘を本当の娘にして頂く事は、出来ないでしょうか?」

 一気に残りを言い切った篁は、ホッと一息吐くと、相手の様子を伺った。

 数瞬、眼をパチパチさせ、唖然とした表情を浮かべていた真理亜だったが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべると、笑いながら切り返して来る。

「あらあら、まさかこの歳になって求婚されるとは思いませんでした」

 そう言ってコロコロと笑う真理亜に、篁も苦笑を返す。
 無論、冗談である事はどちらも承知の上だ。
 場の空気を適度に緩めつつあるソレに、自身の肩からも力が抜けていく事を感じながら、篁も軽いジョークを交えて応じて見せる。

「貴女相手なら、それも魅力的ではありましょうが、受けて下さる気はありますまい」

 真理亜の美貌から、楽し気な笑みが消え、代わって何処か寂し気な色が滲んだ。
 互いに伴侶を失った者同士、相通ずるモノを理解しながら、篁は平静を取り戻した口調で先を続ける。

「私が言っているのは、あの娘を嫁に貰ってやってはくれまいかという事です」

 主語が抜けているが、それは互いにとって瑣事でしかない。
 この場合、誰が唯依を嫁に貰うかなど言うまでも無い事だったからだ。

 再び真理亜の表情が代わり、案ずる様な、試す様な口調で問いが放たれる。

「……よろしいのですか?
 武家社会での我が家の評判は、ご存じの筈。
 もし、唯依ちゃん……いえ、お嬢様を我が家の嫁に頂くとなれば、どうなるかはお分りでしょう?」

 自身も、息子も、そんなモノに興味は無いが、『山吹』の名門でもある篁は、そうはいくまい。
 立場も、しがらみも、彼女ら親子とは比較にすらならない程ある以上、娘の夫を選ぶにも、それなり以上に気を使わねばならぬ筈だった。

 だからこそ彼女は尋ねるのだ。

 ――本当に、それで良いのかと。

 とはいえ、既に腹を括っている篁にすれば、意味の無い問いでしかない。
 彼としても、その辺りの事は勘案の上で、それでもと望んだ事なのだから。

「私も既に多くの敵を作っています。
 それに敢えて言うなら、今更な話ではありませんか?」
「……否定できないですわね」

 父親と母親は、互いに苦笑いを交わし合う。

 確かに今更な話ではあった。
 篁が枢木親子と懇意にしている事など、既に武家社会全体に知れ渡っている事である。
 これで唯依がルルーシュと許嫁になったとしても、確かに今更な話として扱われるのかもしれない。
 無論、それ相応のデメリットは篁家に圧し掛かるだろうが、それを考慮したとしても、そうするべきと判断しているのだから。

 そこまで語り合うと、篁は少し後ろに下がり、改めて頭を下げる。

「何もしてやれなかった父親ではありますが、せめて娘の望み位は叶えてやりたいと思ってのお願いです。 どうか受けて頂きたい」

 真理亜の双眸に、微かな逡巡が走った。
 彼女にしては珍しい躊躇いがちな口調で、いま一度の問いを投げる。

「……ですが、まだ幼い内から将来を決めてしまうのは、些か早計では?
 確かに、今はウチの愚息を慕っていますが、将来に渡ってそれが続くとは限らないでしょう」

 或いは、年頃になれば別の恋を得る事もあるだろうと疑問を呈してみせる。
 彼女にして見れば、これまで口にしてきた様に、唯依を息子の嫁にする事自体に否やは無いのだが、今この時点で、そこまで将来を縛ってしまう事には多少の躊躇いも存在していたのだ。

 無論、自慢の息子が何処かの誰かに劣るかもしれないなどと案じている訳ではない。
 だが、こと色恋沙汰となれば、些か断定し辛い面もあるのは事実だ。

 ――惚れてしまえば、あばたもえくぼ。

 そんな諺もある通り、恋愛感情については理屈で割り切れない点が多々ある以上、今後、唯依が成長し一人前の女性になった時点で、尚、ルルーシュに恋焦がれ続けているという確証も無い。
 ならば、そこまで急ぐのも、どうかと思ったからだった。

 その辺りの機微が、篁にも伝わったのだろう。
 軽く苦笑すると足らぬ言葉を足してきた。

「無論、そこまで縛るつもりは毛頭ありません。
 あの娘が大人になった時、今と変わらぬ気持ちを持ち続けていればの話です」
「……仮初の婚約、といった処ですか?」
「そうなります。
 随分と勝手なお願いとは思いますが、如何でしょうか?」

 自身の側にとって都合の良い申し出である分、篁の腰は低かった。
 どちらかと言えば、懇願とも言えるその申し出を、真理亜は無言のまま受け止め、脳内で吟味する。

 正直、未来の事までは彼女にも分からない。
 或いは、いずれかの事情で流れるかもしれぬ話ではあるが、それが双方にとって瑕疵になるかと言えば微妙な所であった。

 許嫁に袖にされたとなれば、女である唯依よりも、ルルーシュの方が外聞が悪かろうが、その程度の醜聞でダメージを受けるほど柔ではあるまい。
 そもそも悪評なら掃いて捨てる程、持ち合わせている身なのだから。

 問題は、唯依の側は兎も角、ルルーシュの方は、あの娘を妹としてしか認識していない点だろう。
 妹に向ける愛情と恋人や妻に向けるソレは、完全に別物だ。
 その点から見れば、話を持ちかけても一笑にふされて終わる可能性もある。
 その辺りは結局、ルルーシュ自身の気持ち次第であり、真理亜としても当人の意に染まぬ事を強いるつもりは無かった。

 とはいえである。
 最近やや鬱陶しいと感じていた懸案事項の解決策とも成り得る申し出でもあったのだ。

『……唯依ちゃんを許嫁という事にしておけば、面倒な縁談を持ち込まれる事もないのよねぇ』

 故にこの話、無碍に断るのも、勿体ないというのが、彼女の本音でもある。
 枢木が得た富と権力、それ目当てに僅かな伝手を手繰って持ち込まれる縁談を断るのも、いい加減飽き飽きしていたところだ。

 そういった面に於いては、こちら側にも利がある。
 まあそれを、懇切丁寧に説明するつもりも無かったのだが……

 そのまま暫し考え込んだ真理亜であったが、結論に達するまでには、それほど多くの時間を必要とはしなかった。
 沈黙を保ったまま、やや緊張した面持ちでこちらを注視する篁へと視線を戻す。

「……分かりましたわ。
 仮初の婚約であり、お互いが成人した後、改めてどうするかを当人同士に決めさせるという事であれば、私の側に否やはありません」

 篁の肩から力が抜けた。
 安堵の吐息と共に、歓喜に彩られた感謝の言葉が紡がれる。

「感謝します。
 これで肩の荷が降りた気分です」
「いえいえ、私にしても可愛い娘が出来たのですから、お礼を言いたい位ですわ」

 やや堅苦しい篁の謝意を、にっこりと微笑みながら受け止めた真理亜は、そのまま細かな取り決めを決めてしまう。

 正式な見合いについては、後日改めてとし、取り敢えずは親同士の約束事としておく事とした。
 篁としても、いま現在、取り組んでいる仕事が今年中に終わる予定である以上、それをキチンと終わらせた上で、年明けにでも改めて場を設け、父親として参加したいとの思いもあった。

 簡単に事の次第を取り決め終わると、後は、今後の話へと移る。
 雑談混じりに、孫の名前をどうするかまで話が進んだ所で、襖の向こうから、精一杯大人ぶった愛娘の声が聞こえて来た。

「父様、叔母様、夕餉の支度が出来ました」

 どこか一人前を気取って見せる少女の声音に、親達は思わず顔を見合わせる。
 互いの顔に浮かんでいる苦笑を、互いに小声で咎めながら、こちらも口調を整えて襖の向こうで緊張しているであろう愛娘へと感謝の言葉を告げた。

「そうか、ご苦労だったな。 唯依」

 襖越しにも伝わって来る喜びの念。
 それに頬緩ませながら、大人達は再び顔を見合わせる。

「それでは唯依ちゃんの手料理を、ご馳走になりましょうか?」
「そうですな」

 そう言って、運び込まれて来る夕食が、卓の上に並べられるのを眺めながら、一生懸命といった様子で配膳していく愛娘を、眼を細めて見守る篁と真理亜。
 鼻孔を擽る良い匂いに相好を崩しつつ、やや息切れし掛けた唯依が、自身の席に着くのを待ってから一緒に箸をつけた。

 娘の作った心づくしの夕餉、そしてメインを張る肉じゃがの味に、今は亡き妻を思い出す。
 ホロリとしつつ、良く味の染みたホクホクのジャガイモと共に幸せを噛みしめる篁に向けて、愛娘が恐る恐るといった風情で尋ねて来た。

「……どうでしょうか?」
「うん、旨いな。
 前にも思ったが、栴納の味そっくりだよ」
「そ、そうですか」

 唯依の頬が真っ赤に染まる。
 それを見ながら、目じりに浮かんだ涙を、ソッと拭った篁だったが、その手が不意に止まった。
 気付けば真理亜もまた、茶碗と箸を卓に置き、廊下へと繋がる襖を注視している。

 不意に変わった父親達の雰囲気に、不審げに唯依が首を傾げたところで、その原因が勢い良く襖を開けて飛び込んできた。

 ここまでずっと走ってきたのだろう。
 やや息を荒げて室内へと乱入してきた息子の不作法を、真理亜が鋭い眼差しで見据えながら咎めた。

「……どうしたのルルーシュ、そんなに慌てて?」
「ご無礼を、篁中佐」

 無視された母の眉が、ちょっぴり上がった。
 だがそれにすら気付く事無く、ルルーシュは言葉の爆弾を投げ込んで来る。

「……巌谷少佐が、大陸での戦闘中に負傷されたとの一報が入りました」
「「「――っ!?」」」

 不可視の爆風が室内に広がる。
 思わず目を見開いた篁親子と、更に視線の鋭さを増した母の前で、ルルーシュは現状を簡潔に告げた。

「詳細は、まだ分かりません。
 こちらでも確認はさせていますが……」

 そこで少年の言葉が濁る。
 彼にしても、戦地の詳細を完全に把握出来ている訳ではなかったのだ。
 情報が錯綜しており、どれが正しい情報かの取捨選択すらままならない。

 だからこそ……

「……分かった。
 私も国防省の方で、情報を集めてみよう」

 向けられた視線から、彼の意図を悟った篁は力強く頷くと席を立つ。
 大陸派遣軍絡みの情報なら、国防省の方が正確に把握している可能性が高いのだ。
 少なくとも、生死の判別程度なら、すぐに判明するだろう。

 手早く支度を整えた篁は、真理亜に向かい言い難そうに口を開く。

「申し訳ありませんが……」
「ええ、分かっています。
 唯依ちゃんは、今晩もこちらで預かりましょう」

 以心伝心で伝わる意図に、真理亜も任せろとばかりに頷いた。

 話がややこしくなる可能性も無い訳でもない以上、今晩と言わず、このまま唯依を預かって貰った方が無難かもしれない。
 そう判断した自身の願いを、素早く了承してくれた相手に、再び、頭を下げた。

「すみません」

 そして娘にも……

「……唯依、すまんな」

 不甲斐ない父親と自嘲しつつ、頭を撫でる。
 そんな篁に、唯依は気丈に胸を張ってみせた。

「……いいえ、お気になさらないで下さい。
 それよりも、巌谷の叔父様の事を……」
「ああ分かっている。
 なにアイツの事だ。
 ホンのかすり傷程度だろう」
「………」

 心配気な唯依の頭を、もう一度撫でると、枢木親子に一礼を残して歩み去る。
 その背を心細そうに見送る少女の肩に、そっと少年の手が置かれた。

「兄様……」
「大丈夫。 きっと大丈夫だ」
「……はい」

 ぎこちない笑みが、幼い美貌に浮かんで消えた。
 胸の奥に産まれた暗く冷たい感覚が消えてくれない。
 少女は小さな手で、頼もしく愛おしい兄の裾に縋りながら、大切な人の無事を願うのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 八月八日 帝都・国防省 ――



 ルルーシュから巌谷負傷の凶報を受けた篁は、出して貰った車に乗って、詳細な情報を集めるべく国防省へと赴いてきた。

 国防省内でも、いま話題の人物である彼の来訪は、瞬く内に省内に知れ渡り、当然の如く、彼等――国産派の耳にも時を置かずして届く。

「……篁が、いま此処に来ているそうだ」

 動けるホンの数名が、最寄りのオフィスに集まり、額を寄せ合う中、この部屋の主が切り出した。

「報告に来るのは、明日の予定ではなかったか?」
「巌谷が戦傷を負った件で、情報を集めに来たらしい」

 疑問混じりの呟きに、素早く詳細を把握していたらしい者の解説が被る。
 とはいえ、彼等にとっても想定外の動きに、戸惑いを隠せない者達が大半だ。
 篁に対する敵意と害意は、充分以上にある面子だったが、それでも何の準備もしていない状態で、動く気になる者は少ない。

 やるならやるで、確実にというのが、彼等としても好ましい。

 ここは見過ごそうかという空気が強くなる中、ジッと考え込んでいた一人が思わぬ事を口にする。

「……これは千載一遇の好機かもしれんぞ?」
「なに?」
「……どういう意味だ?」

 ボソリと呟かれた一言に、意味が判らぬ面々は、それぞれに疑問を口にする。
 そんな同志達を、少しばかりの優越感と共に見渡した男は、勿体ぶった口調で彼の思惑を告げるのだった。

「分からんか?
 今回の件は、完全にイレギュラーだ。
 恐らく護衛は居ないか、居ても手薄な筈……つまり、今の奴は無防備に近い」

 だから、今ならば殺れる。
 言外にそう続く意図に、他の面々は思わず顔を見合わせた。

 言わんとしている事は分かるが、躊躇う要素も多い。
 確かに、この突発的な状況下ならば、篁のガードも甘いだろうが、こちらにも問題が多いのだ。

「しかし、イレギュラーなのは、我らにとっても同じ事だ」
「ああ、何の準備もしておらんぞ」

 偶発的な状況であるのは、互いに同じ事。
 そう言って尻込みする者達を、焚きつける様に発案者が、自身の提案を強烈に押し込んで来る。

「なに血の気の多い若い連中なら幾らでもいる。
 しくじったとしても、我らにまで累は及ぶまいよ」

 沈黙が室内に満ちた。
 自身にまで火の粉が降りかかって来るなら躊躇もしよう。
 だが、直接手を下さずに済むのなら、或いはとの思いが、彼らの心を揺らした。

 自分達が、明らかにジリ貧の状況に置かれているのは間違いない。
 何らかの決定的な打開策を講じない限り、このまま敗者へと転落するのは確実な切羽詰まった状況が、彼らの平常心を摩耗させ、大博打に打って出ようとする気を起させていった。

「……殺るか?」
「これも天佑と信じよう。 いや、信じるべきだ!」

 室内の空気が危険な側へと急速に傾いていく。
 それを制止する者は無く、かえって煽る者は居る状況で、暴走は止め処なく加速していくだけだった。





 その様な危険な相談が、同じ建物内で行われている等とは露とも知らぬ篁は、武漢の大陸派遣軍本営に国防省からの直通ラインを繋ぐ事に成功していた。
 そのまま勢い込んで巌谷の安否を確認しようとした彼だったが、当の巌谷が通信に出た事で思わず拍子抜けしてしまう。

 とはいえ、左半面を白い包帯で覆った姿は痛々しく、訊けば裂傷が眼のすぐ傍まで迫っており、失明一歩手前の際どい状況だったとの話を聞けば、安堵の吐息を漏らす気にもならなかった。

「……本当に肝を潰したぞ」
『……スマン。 不覚を取った』

 本当に、間一髪の状況に置かれていた事を知り、溜息混じりに漏れた苦情に、申し訳なさそうに巌谷が頭を下げた。
 どこか生彩を欠いて見える親友の姿に、妙な違和感を感じた篁は、しばし逡巡した後、疑問を口にする。

「どうした?
 悩み事でも有りそうな顔だが……」
『………』

 巌谷の顔が明らかに曇った。
 この男には珍しい鬱屈を感じさせる表情で目線を逸らす様に、篁の胸中にも不安の暗雲がムクムクと広がっていく。

「……巌谷?」

 問い質す声に巌谷の肩が震えた。
 そのまま暫く俯いていた男は、やがて腹を括った表情を浮かべながら篁を直視する。

『……嗤ってくれ篁。
 どうやら俺は、自分で思っていたよりも、尻の穴が小さい男だったらしい』
「………」

 掛けるべき言葉も無く、否、言葉を掛けるべきではない事を直感的に悟った篁は、黙って巌谷の独白に耳を傾ける。
 苦いモノを吐き捨てる様な様子で、巌谷は溜息混じりに語り続けた。

『……あの時の俺は、お前に嫉妬していたんだ。
 共に見た夢を、お前は一人になっても貫き通し、そして結果を出して見せた……』

 男の声が掠れ、そして言葉に詰まる。
 胸中に止め処なく湧き上がる何かに耐える様に、しばし苦悶の表情を浮かべた巌谷は、息を整え先を続けだした。

『……それに引き換え、俺は何をやっていたのかと……な……』

 自嘲に塗れた呟きが零れ落ちた。
 自身の器の小ささに、絶望を覚えた男の独白が、静かに響いていく。

『そんなケチくさい考えで、頭が一杯になっていたんだ。
 ……この傷も、天罰みたいなもんさ。
 親友の成功を喜ぶどころか、妬むような情けない男に対する、な……』

 白い包帯の上から、未だ疼く傷をなぞりながら、これが天罰だとすれば随分と安いものだと男は思う。

 友の成功を妬むような情けない男。
 この傷を見る度に、己自身の卑小さを痛感するだろうと思いながら、それでも巌谷は、この傷を戒めとして残す事にしていた。

 そんな彼の独白を聞き終えた篁は、しばし無言のままでいたが、やがてゆっくりとした口調で問いを発する。

「……一つ聞いても良いか?」
『……ああ』

 微かな怯えが巌谷の相貌に浮かんで消えた。
 罵倒か、軽蔑か、何れであれ甘んじて受ける覚悟を決めた男に、穏やかな声が問い掛ける。

「私が、お前に嫉妬した事が無いと思っているのか?」
『はぁっ?」

 思わず妙な声が出た。
 予想外過ぎる問い掛けに、巌谷の眼が丸くなる中、篁は苦笑混じりに告げる。

「私とて、お前に嫉妬した事位あるぞ。 恥ずかしい話だがな」

 そう嫉妬した事がある。

 同じく瑞鶴の開発に携わりながら、イーグル(F−15C)を撃破した事で、衛士としての雷名を轟かせた友と、開発主査とはいえ裏方であった自分の差を。
 ただ真っ直ぐに、未来を信じて歩める友と、それが出来ぬ自身に。

 嫉妬の念を覚えた事など、幾らでもあったのだから。

『………』

 思わぬ告白に巌谷が絶句する。
 それを静かな眼差しで眺めながら、篁は小さく笑った。

「要するに、これでおあいこと言う事だ」
『……まったく貴様って奴は……』

 苦笑いと共に、そう告げる篁を前にして、巌谷の顔が歪む。
 泣き笑いの様な顔のまま、安堵の溜息と共に零れた呟きに、篁の笑みも少しだけ深くなった。

 通信室内に、穏やかで優しい空気が満ちていく。
 画面の向こうの巌谷が、いつもの顔に戻り、再び口を開こうとした時、篁の背後でロックされていた筈のドアが開いた。

「奸賊・篁ぁっ! 天誅ぅぅっ!!」

 血迷った雄叫びと共に轟く発砲音。
 振り返りざま胸を撃たれた篁が、着弾の衝撃に吹き飛ばされる中、巌谷の絶叫がスピーカー越しに響く。

『篁ぁっ!?』

 血を吐く様な叫びも虚しく、画面の端に映っていた友の手が、ズルリと沈んでいった。
 余りの出来事に絶句する巌谷の眼の前で、凶行に及んだ歳若い士官は勝ち誇り、勝利の雄叫びを上げる。

「やった。 やったぞ!
 思い知ったか、米国に尻尾を振る薄汚い売国奴がっ!!」
『き、貴様ぁぁっ!!』

 狂った様な叫びに、巌谷の怒号が重なった。
 それでようやく、こちらに気付いたのかモニター越しに見える刺客が、血走った眼をこちらに向ける。
 青年士官の片頬が、自慢げに吊り上った。

「巌谷少佐、帝国の英雄たる貴方が、この様な賊に惑わされるとは情けない!
 ですが奸賊めは、この小官が取り除いて差し上げました。
 これで少佐も、迷妄から眼が覚められる事でしょう」
『――ッ!!』

 余りにも身勝手な言い様に、巌谷の顔が憤怒に染まる。
 怒りの余り、言葉を発する事すら出来ない巌谷の反応を、自分に都合良く解釈したのか、尚も自慢げに言い募ろうとした瞬間、通信室内に再び銃声が轟いた。

「―――っ!?」

 利き腕を撃ち抜かれた刺客が、もんどりうって倒れる。
 目まぐるしく変わる状況に、思わず巌谷が固まる中、死んだ筈の友の声が、その鼓膜を震わせた。

「……勝手に殺すな。
 私は……唯依が嫁に行き……孫をこの手に抱くまで死ぬつもりは無い」
『篁!?』

 椅子の背もたれに掴まりながら、ヨロヨロと立ち上がる篁は、刺客の手から零れ落ちた拳銃を、相手の手の届かぬ所へと蹴り飛ばした。
 そのまま激痛にのたうつ刺客の利き腕を捩じり上げると、激痛の余り、失禁した上に失神した相手を、軍服の上着を使って拘束する。
 露わになった軍服の下に、きっちりと着込まれていた防弾チョッキから、食い込んでいた弾丸がポロリと零れ落ちていった。

「備えあれば憂い無しだな」

 そう言ってニヤリと笑う友の姿に、巌谷は安堵の余りへたり込みたくなるのを堪え、思わず文句を口にする。

『……脅かさんでくれ。
 今度は、こっちの肝が潰れたぞ』
「すまんな。
 だが、私に当たるのは筋違いだろう」

 蒼褪めた顔で愚痴る親友に、篁は申し訳なさそうに頭を下げつつ、それでも最後に反論した。
 文句があるなら、この稚拙な暗殺劇を演出した連中に行ってくれ、と。

 巌谷の顔に、憮然とした表情が浮かんだ。
 正論ではあるが、心配したこちらの身にもなれといった気分だったが、そこはグッと堪える。
 注視して見れば、篁の額に薄っすらと冷や汗が浮かんでいる事に気付いたからだ。

 軍服の下に気付かれぬ様に着込めるレベルの防弾チョッキでは、完全に着弾の衝撃を殺し切れなかったのだろう。
 或いは、肋骨にヒビくらいは入っていても不思議は無い筈だが、その辺りは痩せ我慢を通すつもりらしい友の顔を立て黙っておく事にした。

 そうやって素知らぬ振りを決め込んだ巌谷は、篁に声を掛けようとしたが、当の本人の視線はドアの方へと向いている。
 まだ刺客が居たのかと緊張するが、続く友の言葉がソレを否定した。

「どうやら、こちらでも一騒動という事になりそうだ。
 申し訳無いが、ここら辺で切らせてもらうぞ」

 そう告げる言葉と共に、スピーカー越しにもざわめきが聞こえて来た。
 仮にも国防省内で、銃声などすれば、当然と言えば当然の反応だろう。
 巌谷の眉が、気づかわしげに寄せられた。

『……大丈夫か?』
「なに、心配は不要だ」

 事も無げに言い切る篁。
 そんな友の横顔を、ジッと見つめた巌谷は、そこに嘘が無い事を確認し、秘かに胸を撫で下ろす。

 黒を白と言い包められる程の勢力は、国産派にも無い筈。
 双方の通信記録にも、バッチリと凶行の瞬間が撮られている以上、言い逃れされる気遣いもないだろう。

 そうやって自身を納得させた巌谷は、最後に注意を促す言葉を告げた。

『そうか……分かった。
 それじゃあな。 あまり無理をするなよ』

 半分だけ振り返った篁の顔に笑みが産まれた。
 感謝の言葉の代わりに、同じく注意を促す忠告を投げ返して来る。

「貴様こそな。
 花見の約束を忘れるなよ」
『ああ分かってるさ』

 巌谷の片頬が吊り上る。

 ――死んでたまるか。

 そんな気概が、再び彼の中に湧き起こっていくのを感じながら、巌谷は通信を切った。

 これが友と交わす最後の会話になろうとは、知る由も無く――



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 八月十二日 オホーツク海上 ――



 アラスカへと向かう機上の人となった篁は、一人だけのキャビンで静かに物想いに耽っていた。

『巌谷の怪我に私の暗殺未遂……わずか数日の間に、随分と事が集中したものだ』

 思わず苦笑しながら、わずかな帰国の間にあった出来事を振り返った彼は、巌谷負傷という凶報はあったものの帰国の目的自体は、ほぼ果たせたと安堵する。

『……有意義な帰国だったと言うべきだろうな』

 殺人的なスケジュールを無理矢理調整してまで時間を作り、帰国した甲斐は有ったと満足の吐息を漏らす。
 現時点に於いて、他の試作機(TSF-X)に大きく差を付けている蜃気楼(TSF-X03)の採用は、かなり有力視されつつあり、国産派の抵抗も先日の暗殺未遂事件により、過激すぎるとして批判に晒され、鳴りを潜めつつあった。

 私的な目的としても、真理亜との差向いでの談判で、唯依とルルーシュの婚約の内諾も得れたのは大きな成果だろう。
 惜しむらくは、暗殺未遂事件のドタバタの所為で、正式な婚約まで漕ぎつけられなかった事であるが、それは次回の帰国時にと約束してあった。

『ふふっ……驚く顔が楽しみだな』

 正式な見合いとなった時の娘の驚く顔を思い描きながら、親馬鹿な父親は小さく笑みを浮かべた。

『……まぁ、私に万が一の事があった時の備えも整えたしな』

 失敗に終わったとはいえ、実力行使にまで訴える程、国産派が追い詰められている事は分かった。
 彼らの暴走により背を押される形となったのは不本意だが、万が一に備えての手筈を取り急ぎ整えた篁は、これで今後、どのように情勢が動こうとも、愛娘の未来は安泰であると安堵する。

 例え世界が如何なる運命を迎えようと、彼ならきっと唯依の事を守り通してくれる筈――そんな信頼感が、彼の胸中を安らかにしてくれていた。

『……我ながら浅ましい限りとは思うが、最悪の場合でも』

 そう内心で呟きながら、窓外の暗い空を見上げ、そして探す。
 目には見えず、されどそこに確実に存在する天空の城を。

 最悪の未来を世界が迎えた際、恐らくは最後の希望の拠り所となるであろう地――『いつか甦るべき王の島(アヴァロン)

 彼の地を統べる少年の下に愛娘を送り出す事を決めたのは、本当にどうしようもならなくなった際の保険の意味もある。

 そんな自身の胸中を、他者に知られれば、きっと罵られるだろう。

 ――我が娘の安寧のみを図るのかと。

『……罵倒も、侮蔑も、甘んじて受けよう。
 私の為した選択は、そういう事なのだ。
 そしてその事を、決して後悔するつもりは無い』

 謗られるなら、甘んじて謗られよう。
 その程度の覚悟は既に出来ているのだから。

 そう心中で誓った篁は、微かな疲労を感じ目頭を押さえる。

『やはり疲れているのかな?』

 元々、かなりの強行軍だった本来の予定に、思わぬ巌谷負傷と暗殺未遂事件(ハプニング)が重なった結果、更にスケジュールを圧迫されていた彼は、ここ数日、あまり睡眠を取っていない事をようやく思い出す。

 腕時計を見てみると、到着予定時間まで、まだ三時間ほどの間があった。

 到着すれば、また激務が再開される筈。
 それを思えば少し眠っておくべきかと考えた篁は、静かにその身を横たえた。
 眼を閉じれば、そのまま吸い込まれる様に睡魔が襲ってくるのを感じた篁は、やはり疲れていたかと内心で苦笑しながら、その誘惑に身を委ねる。

 深く深く、どこまで深く沈んでいく感覚。
 闇の中に呑まれていく様な錯覚を覚えながら、意識が途切れていくのを感じていた彼は、闇の中、小さく灯る明かりに朧げな意識を吸い寄せられていくのを自覚した。

 薄っすらとした明かりの中、二人の人影が見える。

 近づきつつあるソレを認識した瞬間、篁の中に小さな驚きが生じた。

『……栴納……それに……』

 愛おしさと切なさが彼の中を満たす。
 思わず胸をまさぐる手が、肌身離さず持っていた筈の懐中時計を探すが、何故か見つからなかった。

 薄明の中、それでも見間違え様の無い女性達の貌に、悲し気な色が滲む。
 それを何とか止めたくて、近づこうとするのだが、逆に遠ざかっていく事に篁は焦った。

 深く深く沈んでいく愛おしい人達。
 それに追いすがる様に、彼もまた落ちていく。

 深い深い闇の中へ。
 深い深い冥りの中へ。

 ――真っ直ぐに、墜ちていったのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九二年 八月十二日 帝都・枢木工業本社 ――



 世界を相手に、その意を貫く幼き魔王は、己の耳がおかしくなったのかと疑った。
 呆然とした眼差しが、信頼する腹心の一人へと向けられる。

「……すまん咲世子。
 もう一度、言ってくれないか?」

 己のモノとは到底思えぬ罅割れた声。
 それをどこか遠くで聞きながら、彼は先程の報告が、己の聞き間違いであった事を願う。

 ――だが。

「……篁中佐が……亡くなられました」
「………」

 意図的に感情を殺しているのであろう腹心の答えは変わらなかった。
 幼いながらも、類稀なと評される美貌が、見る見る内に険しさを増していく。

 それに呼応する様に、悲痛な表情を浮かべた咲世子は、努めて事務的に報告を進めていった。

「アラスカ行きの輸送機内で亡くなられたとの事です。
 輸送機がユーコン基地に到着した際には、既に言切れていたと……」
「暗殺か?」

 まず真っ先に疑うべき可能性を問う少年。
 だが咲世子は静かに首を横に振り、そして告げる。

「いえ、その可能性は低いかと。
 輸送機内にも手の者を紛れ込ませておりましたし、他のクルーもシロと判断しております」

 巌谷に比べて、格段に危険度の高かった篁だ。
 余計な気遣いと思われるのを承知の上で、咲世子に命じて身辺に人を入れさせていたのは彼自身の指示である。

 当然、暗殺に備えて神経を尖らせているプロの眼を掻い潜るのは至難の業で、ことに不可抗力とはいえ、国防省内での暗殺未遂を許してしまった直後である以上、その警戒ぶりは普段の比ではなかった筈なのだ。

 何より最優先で手に入れた検視結果も、その可能性を否定しているのが大きい。

「死因は心不全。
 慢性的な過労による突然死と検死結果が出ております」

 主君の双眸が鋭さを増すのを感じながら、咲世子は独自に手に入れた遺体の一部――毛髪と皮膚の鑑定結果も付け加えた。

「薬物その他を事前に仕込まれた線も無い様です。恐らくは……」
「……自然死、いや過労死か………」

 かなりのオーバーワークになっている事は把握していたが、まさか命を縮める事になろうとは予想もしていなかった少年は、嘆息しながら片手で顔を覆う。
 つい昨日まで、幸せそうに父親に甘えていた妹の顔が、彼の脳裏を過った。

「……唯依………」

 心底、苦しげな呻き声が、ルルーシュの唇から絞り出されていった。






 どうもねむり猫Mk3です。

 う〜ん今回も超難産。
 まあ色々あったという事にして於いて下さい。

 さて、風雲編もコレを含めて後二話。
 次がラストですね

 今回は篁中佐がメインです。
 理由は読まれた方にはお分りでしょう。

 夢を追い、そして志半ばで夢の終わりに……
 こんな終わりは認められん!
 とか言われそうな気もしますが、そこはグッと堪えて頂けると嬉しいです。

 篁の見た夢は終わり、そして……なのですから。

 次回の風雲編最終話『そして……夢を継ぐ者』にて上手くまとめたいと思っておりますしね。

 さて風雲編が終わりましたら、次は第三章となる創嵐編の開始!
 
 ……と行きたい所ですが、創嵐編は一九九〇年代後半、要するにマブラヴ本編開始年代近くからになりますので少し時間が飛びます。
 まあ、それですので、間に断章という形で二、三話挟んで流れの大まかな所を書きつつ移行する予定です。
 
 ですので、新編開始まで、もう二、三話お付き合いください。
 

 ではでは





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