第20話『彼女が欲しかったもの』


―――あれは、何年前だっただろう?

アンリ―――わたしが、アルやカノちゃんとスクールに通う前だったから、8歳くらいの頃。

アルのお父さんのグレンさんは、まだ今とは違って意識不明の重態になってはおらず、元気に当主をしていた。

炎の里の噴水広場にあるベンチに座り、わたしはぼんやりとした表情で空を眺めていた。

この頃、わたしは暇で暇で堪らなかったと記憶している。

何故か?理由は簡単、アルとカノちゃんはグレンさんやアルバートさんから意力の訓練を受けているからだ。

セイバーの家系に生まれた子供は、親族から意力の訓練を受けることが出来る。

しかし、生憎とセイバーの家系ではないわたしは受けられない。仲間外れにされ、少しムッとした。

イスカさんは、10歳からスクールに通えば学べる様になると言っていたので、それまでは我慢することにした。

何だか、置いてけぼりにされてるみたいで嫌だった。早く10歳にならないかなと、悶々としていた。

そうだ、歌おう。わたしは、気分が憂鬱な時は歌うことで気を紛らわせる。

物心ついたころから、歌うことが大好きだった。もう居ないけど、お父さんとお母さんもわたしの歌をよく聞いてくれた。

今は、誰も居ない。憂鬱な気分を紛らわせるだけに歌う。深呼吸して、声を出そうとした。

「ふえ!?」

歌おうとして、思わず声を上げてしまう。わたしが歌う前に、誰かの歌声が聞こえてきた。

しかも、わたしとは比べものにならない位に凄く綺麗な歌声だった。

誰の歌声だろう?この歌声の主は、少なくともわたしと同い年の子供のものじゃない。もっと年上、大人の女性の声だ。

大袈裟と笑われるかもしれないけど、わたしにはこの歌声が特別なものに聞こえた。うまく言葉に出来ないけれど、神秘的なものが込められている気がした。

聞いているだけで、仲間外れにされている憂鬱さが消えていく。心が洗われるような優しい歌声。

耳を澄ませ、歌声の出所を探る―――広場の一角にある切り株に腰を掛ける女性の姿を見つけた。

思わず、息を呑んでしまう。凄く綺麗な女性だったから。

透き通るような白い肌、色素の薄い水色の髪と相まって、本当にこの世の人なのかと疑ってしまいそうになる。

この里に来てから、一度も見たことがない人だった。こんな綺麗な人、一度見たら忘れられない。

「あら、随分と可愛いお客さんね?私の歌を聴いてくれたの?」

「はう!?」

歌声の主が、優しい顔でこちらに声を掛けてくれた。わたしは思わず、ずざざと後退ってしまう。

そんなわたしの姿が面白いのか、その人はくすくすと笑っていた。

……何も悪いことしていないのに恥ずかしくて、真っ赤になった自分が情けない。

綺麗なお姉さんは、手招きしていた。隣にどうぞ、と伝えているみたいだ。

彼女の座っている切り株は結構な大きさで、わたしが隣に座っても十分なスペースがあるだろう。

お姉さんの隣に座る。間近で見ると、彼女の美しさにほうと息が出そうになってしまう。

「え、えと……お姉さん、この里の人?」

「ええ、そうよ。“昔”はね」

「“昔”は?」

「まぁ、それはいいとして。私の歌、どうだった?」

「う、うん!凄く上手だったよ。わたしも歌が好きだけど、お姉さんには全然敵わないや」

子供の評価だと、馬鹿にされるかもしれない。だけど、わたしにはお姉さんの歌がテレビに出る様なトップアーティストの歌とは次元が違うものに聴こえた。

どうすれば、あんなにも上手く歌えるんだろう?

「もしかして、あなたも歌うのが好き?」

「う、うん。お姉さんみたいに上手じゃないけど」

「よかったら、聴かせてくれる?」

「ふえ!?で、でも……」

「聴いてみたいの」

お姉さんは熱い眼差しで、わたしを見つめてくる。

やめて、見ないで!そんな期待の籠った眼で見られたら、身体が焼けちゃう!!

……要は、物凄い恥ずかしい。自分より歌が上手い人に聞かせるのが。

すると、お姉さんが―――。

「最初から誰でも、何かが上手に出来る人なんて居ないわ。私も沢山の練習や経験があるから、今みたいに歌えるのよ」

「お姉さん……」

「何事も挑戦することが大切よ」

「……うん」

お姉さんの言葉に促され、わたしは深呼吸する。何時もの様に、アルやカノちゃんの前で歌う時と同じ気持ちで歌い始める。

最初から、誰だって上手に出来るワケじゃない。こんなに歌の上手な人だって、一杯練習したからこそあんなにも凄い歌が歌えるんだ。

変に気取らず、心のままに、今の自分自身の歌を精一杯に歌う。

僅か数分間の歌。その数分間を歌うことに、これ以上無いほどの集中力を使った所為か、歌い終えた時には大きく息をついていた。

どうだったんだろう。わたしの歌を聴いて、お姉さんはどう思って―――え?

泣いている……?お姉さんの瞳から涙が零れていた。

「ごめんなさいね、あなたが一生懸命歌ってくれたのに」

「その、どうしたの?やっぱり、上手じゃなかったかな?」

「違うわ。あなたの歌を聴いたから泣いてるの。そう―――心が温まる、人を感動させる歌ね」

思わず、顔が真っ赤になってしまう。自分よりずっと歌が上手な人に褒められたからかもしれない。

そういえば、まだお姉さんに名前も言ってないや。

「お姉さん、名前は何て言うの?わたしはアンリ、アンリ・アンダーソン」

「私?そうねぇ、今は誰も私の名前なんて知らないだろうから―――」

「へ?誰も知らないってどういう……」

「アンリー」

ふと、わたしを呼ぶ声が聞こえてきた。声の方に視線を向けると、アルとカノちゃんの姿が。

どうやら、今日の訓練が終わったみたいだ。

そうだ、ふたりにもお姉さんを紹介してあげなきゃ。

「ふたりとも、訓練終わったの?」

「うん、今日はおしまい。アンリが居ないから捜してたんだよ。こんなところで“ひとり”で、歌ってたの?」

「え?ひとりって、わたしだけじゃないよ。ほら、そこに―――あれ?」

お姉さんが居ない?さっきまで、切り株に腰掛けていた筈なのに。

アルとカノちゃんの方に視線を向ける直前まで一緒だった。一体、何処に行ったんだろう?

「アンリ、どうしたんですか?」

「え、と……歌の上手なお姉さんと一緒だったんだけど。何処に行ったんだろ?」

「歌の上手なお姉さん?そんな人、居たの?」

「うん。アルとカノちゃんにも紹介したかったんだけど……」

これが、わたしとお姉さんの出会いだった。

今思うと、少し不思議な人だった。基本的に、わたしがひとりの時にしか姿を見せない。

他の人が来ると、何時の間にか何処かに姿を消していた。

アル達と遊べない時は、お姉さんから歌い方を習ったりして過ごした。

楽しかった。お姉さんに歌を習う時間はとても充実していた。

だけど、何事にも終わりというものはやって来る。9歳になってから暫く、あの事件が起きる直前―――。










「……アンリちゃん」

「ど、どうしたの?どこか具合でも悪いんじゃ……」

切り株に腰掛けるお姉さんを見て、わたしは息を呑んだ。

何時もとは違うお姉さんの様子に不安を感じた。何て言えばいいんだろう、凄く辛そうな顔で今にも倒れてしまいそう。

お姉さんは、わたしの傍まで来るとわたしの両手を握った。

不思議な感覚だった。手を握られているのに、その感触が無いというか―――。

でも、それ以上にお姉さんの深い眼差しに意識を向けていた。何か、大切なことを伝えられるという予感があった。

「お願いがあるの。近い内にこの里で大変なことが起きるかもしれないわ」

「大変なこと?」

「ええ。そこで、アンリちゃんにある歌を教えたいの。きっと、役に立つから」

「役に立つ歌?」

「アンリちゃんの歌を聴いた時に確信したの。あなたには、私と同じ“素質”があるって」

その時は、素質というのが何かは分からなかった。

ただ、お姉さんが何らかの強い決意を込めた瞳でわたしを見つめてきた。

これから、伝えられる歌は何か意味がある―――息を呑んで、お姉さんが歌うのを見守る。

お姉さんの口から紡がれる歌声。綺麗だけれども何時もとは異なる歌。

聴くだけで周囲の空気が清浄なものへと変化していくことを感じた。これは、単なる歌じゃないと聴いた瞬間に理解した。

「―――“浄歌”。私が今歌ったのは、黒い意力を清める歌。ブレイカーを鎮める歌声」

「……そんなこと、出来るの?」

「古来から、この歌声でブレイカーを鎮めた女性は“浄歌の歌姫”と呼ばれたわ。アンリちゃんにも、その素質があるの」

信じられない。歌うことが大好きなだけのわたしに、そんな素質があったなんて。

不意に、わたしの頭にはアルとカノちゃんの顔が思い浮かんだ。

ふたりは、何年か先にセイバーになる。何時か、ブレイカーと戦うことになる。

置いて行かれたくない。大好きなふたりの背中を見るだけなんて、そんなのは絶対に嫌。

近くに居たい。ふたりが、わたしの居ないところで死んでしまったら気がどうにかなってしまうかもしれない。

わたしは、お姉さんが歌ったばかりの歌を自分の口で、自分自身の声で紡ぎ出した。

単純な歌とはワケが違う。身体中の力が持っていかれる様な感覚が襲う。

5分としない内に、身体がふらついて倒れそうになり、お姉さんが支えてくれた。

「最初は無理をしないで。この歌は体力を凄く消耗するから」

お姉さんに支えられながら、休憩を挟みながら、わたしは教えられた歌を歌う。

勉強は苦手だけど、歌を憶えることに関しては自信があった。お姉さんが教えてくれた歌の歌詞は全部頭に入った。

ただ、休憩なしにこの歌を歌えるようになるには、もっと体力をつけてからになるだろう。

呼吸を整え、零れる汗を拭い、お姉さんを見ると―――お姉さんは空を見上げていた。

青空を一羽の鳥が飛んでいた。彼女は大空を舞うその鳥を見つめていた。

「欲しかったな、私も」

「え?どうしたの、お姉さん?鳥さんが欲しいの?」

「ふふ、違うわ。私が欲しかったのは翼」

「翼?」

「あの鳥みたいに、自由に空を飛べる翼が欲しかったなって。そうすれば、あの時―――」

その先の言葉は紡がれなかった。お姉さんの表情が曇っていた。

何か辛いことでも思い出したのかもしれない、理由は聞かない方がいいと思った。

「ああ、そうだわ。アンリちゃんにこれをあげようと思ってたの」

「なに?」

お姉さんが手渡してきたものは、首紐がついた小さな袋だった。

「お守り?」

「そ、お姉さんの愛が沢山詰まっている逸品よ♪」

「あはは……ありがとう」

それから暫くして、里を揺るがす大きな事件が起きる。

ブレイカーの大群が里に向かっている。当然の様に、里中が大きな混乱となったのは言うまでもない。

グレンさん達が討伐に向かう最中。万一の為にわたしはアル達と一緒に避難所に居た。

不安そうなわたし達に、イスカさんは大丈夫だからと励ましてくれた。

里のみんなも、当主のグレンさんが負けることはないと信じている。それに加え、クライスさん、ゼルおじさん、カールさん、ウェインさんが一緒だから、どんなブレイカーにも勝てると。

―――アンリちゃん。

ふと、聞き覚えのある声が耳に入る。お姉さんの声だ。

姿は見えないけど、確かにお姉さんの声が聞こえた。

―――急いで、外に向かって。あの歌を歌って。

あの歌というのは“浄歌”のことだろう。それを歌ってということは、お姉さんが言っていた大変なことが起きているからに他ならない。

わたしは、その声に従う様に避難所から出ていた。

何故かは分からないけど、歌を歌う場所、向かうべき場所をわたしは理解していた。

到着したのは、傷だらけの人達が見える場所。グレンさん達が戦っている戦場。

怪我をしているグレンさん達を見た時、血の気が引きそうになった。子供だったわたしには、血だらけの彼等の姿は刺激が強過ぎた。

けれど、それ以上に気になったは彼等が戦っていた存在。黒い剣を持った、黒い人型の“何か”。

何だろう、あれは?わたしには、あれがブレイカーとは違うものに思えた。

上手くは言えないけど、人とブレイカーが組み合わさったものとでも言えばいいのか―――。

―――歌って、アンリちゃん。“あの人”を止めて。

お姉さんの声が聞こえた。“あの人”っていうのはあの黒い人型のこと?

はっと、我に返ってみるとグレンさんが地面に倒れ伏す姿が見えた。黒い人型が剣を振り下ろそうとしている。

出来るか出来ないか、そんなことを考える余裕は無い。わたしは、お姉さんが教えてくれた“浄歌”を歌う。

無我夢中で歌い、周囲の状況を確認していなかった。次に変化を感じたのは、わたしの眼前に誰かが姿を現した時。

灰色の髪のお兄さん―――ジスお兄ちゃんの背中が見えた。

この時、わたしは気付かなかった。あの黒い人型はわたしの歌に苦しんでいたらしく、目障りなわたしを攻撃してきたという。

逸早くそれを察知したのは、避難所からわたしを捜しに来たジスお兄ちゃんだった。

凶弾は、わたしを庇ったジスお兄ちゃんを貫いた。

「ジスお兄ちゃん!」

わたしは歌うのを止め、ジスお兄ちゃんを揺する。お兄ちゃんは喉を押さえ、呻き声を上げていた。

黒い人型は姿を消し、周囲がざわつく中、ジスお兄ちゃんに呼び掛けていたわたしは視界が真っ暗になった。

次に目覚めた時、日付は1週間を刻んでいることに驚いた。

あれから、ずっと高熱で魘されていたことを告げられ、アル達はずっと心配で気が気でない毎日だったという。

ゼルおじさんは、ジスお兄ちゃんと共に姿を消して、消息を絶ったと伝えられた。まだ、助けて貰ったお礼も言ってないのに。

グレンさんは意識が戻らない。カールさんは片足を失くし、セイバーを引退。

セイバーの精鋭達の惨憺たる様に、里のみんなは不安を感じた。

“浄歌”を教えてくれたお姉さんのことを聞かれ、ウェインさんが里中を捜したけど、お姉さんが何処の誰かは分からなかった。

切り株のところに行っても、お姉さんが姿を見せることは無かった。

そういえば、結局名前も聞けずじまいだった。せめて、名前だけでも知りたかった。

お姉さんから貰ったお守りを、ギュッと握り締めて切り株を見つめた。










あれから7年―――わたしは今、セイバー総本部の訓練室に居た。

アルやカノちゃん、シオンさんや何人かのセイバーの人達が見ている。

わたしは呼吸を整えた後、意力を発した。発した意力を周囲に行き渡らせ、頭にイメージを思い描く。

2秒後、わたしを包む様にドーム状の光の壁が展開される。意力の障壁技術のひとつ、範囲障壁。

シオンさんの指導で、アルが意刃を使える様になったのがキッカケだった。このままじゃいけない、と。

わたしもシオンさんから意力の制御技術を熱心に指導して貰い、障壁の強化、展開速度の向上に努めた。

今日は、わたしのミディアムへの昇格試験。展開された範囲障壁の強度、展開速度は―――。

「おめでとう。両方とも合格ラインを超えているわ」

試験官を務めてくれたリューさんが、笑顔で合格通知をくれた。

アルとカノちゃんが駆け寄って来る。

「やったね、アンリ!」

「おめでとうございます」

「シオンさんには、感謝の言葉しかないよ」

「何、謙遜する必要はない。着実に一歩ずつ前に進んでいるのは、君の努力が実を結んでいる証だ」

今、わたしはセイバーのひとりとして、ブレイカーと戦う日々を送っている。

怪我をしたり、危ない目に遭うことも珍しくない。だけど、成長を喜んでくれる友達や仲間が居るから乗り越えていける。

ふと、訓練室の窓の外に視線が向く。一羽の鳥が空を飛んでいた。

「アンリ、どうしたの?」

「外に何かあるんですか?」

「―――翼が欲しいなって」

「え?」

「ふふ、何でもないよ」

「「???」」

わたしの言葉に、アルとカノちゃんは首を傾げる。

鳥を見ていたら、あの日のお姉さんの言葉を思い出していた。

『自由に空を飛べる翼が欲しかったな』

お姉さんは、どうして翼が欲しかったんだろう。その理由は分からないけど、何だかわたしも欲しいと思えた。

こんなにも澄み切った青空を飛べたら、きっと気持ちいいと思う。

今、何処に居るか分からないお姉さんに逢いに行けそうな気がする。

外を飛ぶ鳥は、そんなわたしの気持ちを汲み取ってくれたのか。雲一つない青空を大きく羽ばたいた。



・2023年2月19日:文章を修正しました。



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