第24話『激突(後編)』
―――始源の地、ディアス家の当主だけが知る秘された修行の地。
炎の里グラム、ディアス邸の裏山にある“始源石”に意力を纏った状態で入ることが出来るこの場所で、アヴェルは意刃を発現させることに成功する。
それからおよそ1週間、シオンと意刃を用いた実戦形式の試合を幾度も行った。
実力の差は歴然だった。元より、彼に勝てるワケがない。
相手は500年前に活躍したディアス家の当主なのだ。襲い来る彼の容赦のない斬撃を必死に捌くも、傷だらけになる。
だが、同時に勉強にもなる。彼の剣を傷だらけになって捌くことで、浮き彫りになる自分の太刀筋の粗さや稚拙さ、無駄な動きを知ることが出来る。
次第にそれが矯正されて、無駄が少なくなっていくことを実感する。
「(それにしても……この人、なんでかすり傷ひとつ出来ないんだろう?)」
修行しながら、アヴェルは素朴な疑問を抱いていた。目の前の元当主、かすり傷ひとつ負っていないのだ。
戦いで生じる衝撃で飛び散った細か過ぎる小石などが、目に入ったり肌を傷つけるといったこともない。
この男、視認することすら難しい微小な石すらも躱しているとしか思えない。そんなことが可能なのか?
修行開始から4日が過ぎた頃、休憩中にシオンはこんな話をした。
「アヴェル、意力による感知は出来るな?」
「え?そりゃ、勿論ですよ。セイバーにとって必須の技術ですし」
意力による感知技術は、セイバーやガーディアンならば誰もが体得している基礎技術のひとつだ。
ブレイカーの発する黒い意力を感知するのに絶対に必要な能力。
何故、彼はそんなことを聞くのだろう?知っていて当然の筈だ。
「ひとつ聞くが、お前はブレイカーの意力だけを感知しているか?」
「いや、それだけじゃないです。こう、上手く言えないんですけど……殺気とかも感じ取れます」
「そうだ、意力による感知は意力だけではなく、敵の殺気も感じ取ることが出来る。しかし、世の中には想像だにしないブレイカーが存在したりもする。己の意力を遮断、殺気も消せるほど隠形に長けた奴がな」
「そんなブレイカーが居るんですか?」
「滅多に遭遇することはない。ブレイカーの変異型にそうした能力を持った奴が居た。俺が13歳くらいの頃になるか―――」
シオンは語る、自身が13歳の頃、まだ彼の父が健在だった時期の話。炎の里の近辺に変異型ブレイカーが出現した。
戦闘力もさることながら、そのブレイカーは兎にも角に意力や殺気を抑えて行動することに優れているという非常に厄介な特徴を持っていた。
更にまずいことに、同じ特徴を持つブレイカーは複数で行動していた。1体だけでも戦い難い相手だというのに。
当主だった父、里のセイバー数人と共にシオンはブレイカー討伐に参加した。
戦いは熾烈なものだった。2人のセイバーが重傷を負って戦線離脱、残る数人も負傷して長時間の戦闘は難しい状況に陥ってしまった。
シオンも、敵の意力や殺気を感知し辛い戦いに苦しめられ、予想外の不意打ちを受けて負傷してしまう。
父の援護も間に合いそうになく、あわや―――というところに助け船が。
ひとりのセイバーが救援に駆けつけてくれた。年齢は父よりもずっと上、60代くらいかもしれない。
彼はシオンに襲い掛かるブレイカーと対峙する。大丈夫だろうか、高齢の身であのブレイカーと戦えるのか?
だが、その心配は完全な杞憂だった。構えを取る老セイバーの姿を見て、シオンは息を呑んだ。
老セイバーには一分の隙も見当たらなかった。数多くの死線を潜り抜けてきた強者であると、一目で理解出来た。
変異型ブレイカーの攻撃を全て最小限の動きで躱し、距離を詰めていく。無駄がまるで無い、完璧と言っても差し支えない動き。
あっという間に皆が苦戦していたブレイカーの首を刎ねた。
老セイバーの背後から別のブレイカーが襲い掛かろうとしていた。
危ないと、叫びそうになったが―――老セイバーは背後からの攻撃を難なく回避した。
一体、何がどうなっている。あのブレイカーの意力や殺気は感知するのが難しい筈なのに、彼はどうして攻撃を躱すことが出来るのだろう?
救援に来てくれた彼のお陰で、無事ブレイカーの討伐に成功した。
老セイバーは炎の里の皆からも感謝された。少しの間、滞在することになった彼にシオンはあのブレイカーの攻撃に対処出来た理由を尋ねた。
「彼は感知技術を極限まで鍛え上げた末に、その深奥に辿り着くに至ったのだ。攻撃を“識る”領域に」
「攻撃を“識る”……?」
「感知能力の深奥―――その名を“識”。その境地に至った者は敵が次にどの様な攻撃動作や回避動作を取るか、手に取るように“識”ることが出来る」
信じられない、それは最早先読みするというレベルではない。未来を垣間見るという先見の領域といえる。
漸く、納得がいった。シオンの今までの戦いを見て、彼のあまりにも無駄の無い完璧としか思えない動きの秘密が。
彼はその境地に達しているからこそ、自分より格下の敵の攻撃ではかすり傷ひとつ負わないのだ。
「俺も彼の助言を受けて鍛錬に打ち込み、6年近く掛けて体得に至った。そこに至るまで来る日も来る日も研鑽の日々だった。心を静め、感情を制御する―――それが、その境地に至る道だ」
「(出来るのか、今のぼくに?シオンさんが言っていた境地―――“識”に踏み込むことが)」
彼ほどの達人ですら、その域に至るまで相応の年月を要した。今の自分では、逆立ちしてもその境地に至れるとは思えない。
だが、通常の感知能力では感知することが難しいジスの攻撃に対抗するには、この域に踏み込む以外に道は無い。
心を静めろ、余計な感情を抱くな―――意刃を構えたまま、瞳を閉じる。
アヴェルの行動に、ジスは息を呑んだ。完全に無防備だ、今攻撃すればアヴェルを戦闘不能にするのは容易極まりない。
傷だらけの知己の少年、こちらが優位なのは明白だ。
だというのに、何故だ―――今のアヴェルに攻撃を加えることに躊躇いを憶えた。
雰囲気が変わった、目の前に居る筈なのに存在が希薄になった。一体、アヴェルは何をしている?
周囲から戦いの喧騒が聞こえてくる。どうやら、ハイブリッドとの戦いが激化している様だ。
無駄な時間は掛けていられない―――次の一撃でアヴェルを昏倒させる。
ジスは意力を抑え、視界の悪い中を移動。アヴェルの背後を取る。
―――すまないが、暫く眠っていて貰おう。首筋に当て身の手刀を繰り出した。
しかし、それがアヴェルに命中することは無かった。紙一重で彼は手刀を躱し、ジスの顔に裏拳を叩きこんだ。
馬鹿な、何が起きた。裏拳で口の中を切り、滲み出た血を吐き出す。
アヴェルはこちらを向いていた、瞳は閉じたままだ。
あいつは何をした?自分の意力を感知したのか?
まさか、そんなことが出来るワケがない。この数年の間に隠密行動の為に、意力を抑える鍛錬を積んできたのだ。
相手が自分と互角のセイバーかそれ以上でもない限り、感知するのは困難な筈。
あいつは実力的に見ても、アドバンスドがいいところだ。完全に躱すことなど不可能だ。
より高度な感知技術を体得しているとでも言うのか?
ジスの見解は当たっていた。アヴェルは今、高次元の境地に足を踏み込むことに成功していた。
即ち、シオンが語り聞かせてくれた感知の深奥―――“識”に。
攻撃を躱されたジス以上に、躱したアヴェルの方が驚愕していた。
「(―――今、確かに見えた。ジスさんの次の攻撃が、背後からの首筋への手刀だと)」
偶然による奇跡なのか。シオンの様な達人でもない自分が、彼の言っていた境地に入れた。
意力や殺気を感知する、通常の感知とは明らかに一線を画していた。
彼が何処から来て、次にどの様な攻撃を行うかが頭の中に流れ込んだ―――“識る”ことが出来たのだ。
だが、この幸運が長続きするとは思えない。普通なら、過酷な研鑽の末に漸く到達する境地。
アドバンスドになって日の浅い自分が、これほど高度な技術をこんな土壇場で体得するなんて都合のいい話があるワケがない。
これは一時的な状態に過ぎない。時間が経過すれば、この状態は何れ解けてしまうだろう。
時間は少ない、その間に決着をつけろ―――。
開眼したアヴェルは剣を振るう。凄まじい剣風で砂煙が晴れ、ジスの姿を認識する。
「一刃―――砕牙」
一気に加速、ジスの眼前まで距離を詰めての上段からの振り下ろし。
ジスは障壁を張る暇が無かった。両腕の籠手型の意刃を構えて防御する。
大地が揺れる。その場に踏み止まっていたジスの足元が陥没する。
―――重い。凄まじい重圧感が籠手を通じて、彼に襲い掛かっていた。
渾身の意力を籠手に込めて、斬撃を弾く。弾かれて、空中に舞う赤髪の少年。
悪いが、あばらの数本は覚悟して貰う。バランスを上手く取れない空中なら、先ほどみたいに躱すことは出来まい。
籠手に意力を込めて、腹部目掛けて拳を繰り出す。
先刻と同じ様に、アヴェルの頭の中にジスの攻撃動作が流れ込む。
「(―――腹部への拳撃、回避は困難。取るべき選択はひとつ)」
高音が響く。籠手と腹部が接触する正に直前、アヴェルの意刃が間に挟まれたのだ。
「二刃―――静流」
敵の攻撃を受け流す剣捌きで籠手に込められた意力が受け流され、衝撃力が緩和される。
再び高音が響く。互いの意刃を弾いて、アヴェルは大きく宙を舞いながら後方に着地する。
着地するや否や、彼は踏み込む様な大勢を取る。彼の次の攻撃が何かをジスは察し、回避行動を取ろうとするも―――。
「三刃―――烈風」
一陣の風が駆け抜け、ジスの左足に裂傷が入る。傷口からの出血量はさほどではないが、膝をつく。
表情にこそ出さなかったが、ジスは驚愕していた。間違いない、偶然ではない。
今の攻撃を受けたことで確信した。アヴェルは相手の次の攻撃動作、回避動作を先読み……いや、“先見”しているのだ、と。
あり得るのか、そんなことが。敵の次の行動を先見するなど、まるで空想の物語に出てくる予知能力に類似している。
見たことも聞いたこともない能力だ。既存の感知技術の枠を大きく超えている。
自分の知らない技術、知らない世界に足を踏み込んでいる。
視線をアヴェルに向けると、彼は息を切らしていた。どうやら、あの能力は相当の負担を強いる様だ。
無理もない、相手の先が見えるという破格の能力。負担が少ないワケがない。
おそらく、もう先を見ることは出来ないだろう。ならば、次で確実に沈める。
ジスの籠手に意力が練り込まれていく。全身全霊の一撃を放つ為に。
対するアヴェルは息を切らしながら、ジスを見据えていた。凄まじい疲労が全身を支配していた。
アヴェルの脳裏に、識に関する説明をしてくれたシオンからの警告の言葉が過る。
『識は確かに戦いに有利な能力だが、万能の能力というワケではない。使い熟すには長期の鍛錬が不可欠。それと、戦う相手が自分より格下なら負担は少ない。だが、自分と同等、あるい格上の相手と戦う場合は先見出来る時間が短くなることが多い上に、消耗も大きい』
この疲労感は、戦う相手が自分よりも格上ゆえによるものだろう。
次は、もうジスの攻撃を識ることは出来ない。これ以上は先が見えない
―――いや、先が見えなくても彼の次の攻撃が何かは理解出来る。
眼前の彼の構えを見て、間違いなく正面から来るだろう。籠手に込められた膨大な意力からして、全身全霊の一撃がやって来る。
一切の小細工などない、真っ向からの勝負となる―――次で全てが決まる。
ならば、覚悟を決めるしかない。アヴェルの意刃にも意力が集約していく。
ハイブリッドと戦っていたアヴェルと馴染み深い面々の視線が、一斉に彼等の方へと向けられる。
ふたりが、決着をつけようとしているのは容易に理解出来た。互いの意刃に込められる意力の強大さから、次で終わると。
不安交じりに、ふたりを見つめる少女が居た―――アンリだ。
大切な幼馴染と、兄同然に慕った青年が戦う姿に心を痛めていた。もう、昔みたいには戻れないのか、と心を締めつけられる。
不意に、彼女は背中から抱き締められた。抱き締めたのはカノンだ。
「アンリ、大丈夫です」
「カノちゃん……?」
「今のふたりは、上手く言えないけど兄弟喧嘩しているみたいなものだと思うんです。だから、お互いがぶつからないと気が済まないんです。信じましょう、これが終わったらふたりは昔の様に笑い合える関係に戻れると」
「……うん」
互いを真っ向から見据える両名。不思議と、笑みを浮かべていた。
さっきまで、自分達の我を通そうと意地の張り合いをしていたことを忘れ掛けている。
“子供の頃、俺の後ろをついて来ていたお前が、何時の間にか一端のセイバーになっているとはな”
「ジスさんこそ、今なら総長もマスターとして迎えてくれるかもしれませんよ」
“今更、そんなムシの良い話は無い。俺も父さんも良くて牢獄行き、悪ければ極刑を覚悟している”
確か、彼の言う通りかもしれない。事情はどうあれ、これほどの騒動を起こして只で済むワケがない。
今のところ、死者は出ていないが負傷者は多数。厳罰が下るのは避けられないだろう。
“しかし、凄まじいな。ハイブリッドの反応が殆ど消えている―――彼か、お前を指導したのは”
ジスの視線は、アヴェルと同じ赤髪の青年シオン・ディアスを捉えていた。
シオンはハイブリッドの攻撃を最小限の動きだけで避け、視認出来ない速度の斬撃で仕留めている。
父ゼルディやグレンといった優れたセイバーを知る彼であったが、シオンの技量はこれまで見てきたどの達人をも凌駕していた。
「ええ、ぼくの御先祖様の兄、遠い親戚にあたる人なんで」
“……嘘だ、と言いたいところだが、あの技量を見ると納得出来るな”
普段なら、何を馬鹿なことを言っていると一笑するだろう。だが、瞬く間に敵を殲滅していくシオンの戦闘能力を見ると、妙に納得してしまう。
あの強さは次元が違う。残り900体以上は居たであろうハイブリッドの反応が、既に200体を切っていた。
他のセイバー達も奮戦しているが、何割かはシオンが斃したに違いない。
一方、ハイブリッドを斬っていたシオンは既視感を感じていた。既視感の正体は、斬ったハイブリッドから立ち昇る黒い意力だ。
通常のブレイカーの発するものよりもどす黒く、禍々しさを感じさせる。常人がこんな意力に接すれば、ものの数分で気が狂うかもしれない。
「(―――何だ?これと同じ意力を何処かで感知したことがある様な……)」
破壊され、残骸となったハイブリッドから、ガスの様に抜け出ていく黒い意力を何処かで感じ取ったことがあった。
一体、何処で?今、この時代ではなく、元の時代で感じ取ったことがある。
元の時代―――500年前に、これと同じ意力を持ったブレイカーと遭遇したのだろうか?いや、そんなブレイカーと遭遇したなら鮮明に記憶している筈だ。
シオンは生来から、非常識なほど記憶力に長けていた。一度見た文献やら思い出は、一切記憶している。
欠点は、忘れたい辛い過去も記憶していることか。とにかく、記憶力に優れている彼なのだが、この意力を発するブレイカーと遭遇した記憶が無い。
「(……嫌な記憶まで全て憶えている筈なんだが。もしや、抜け落ちている記憶と関係しているのか?)」
この時代に来てから、記憶の欠落を認識している。
自分は、何の理由でこんな遠い未来に来てしまったのか。何か目的があって、元の時代から旅立ったのか?
元の時代に残してきたものが、脳裏を過る。炎の里で生きる人々、共に戦う盟友達、ただひとりの弟。
「(……アヴェル)」
今、心に思ったのはこの時代のアヴェル・ディアスのことではない。血を分けた実の弟のことだ。
一番の心残りは弟のことだった。自分が居なくなったことで、弟に当主の座を押し付けることになってしまったことに後ろめたさを感じていた。
同じ名を持つ弟の子孫、現代のアヴェルを気に掛けるのは弟へのせめてもの償いの想いから出る行動だった。
戦闘中に思案するシオン。その背後からハイブリッドが襲い掛かるが、彼は振り向きもせずに攻撃を躱すと無粋な機械人形を真っ二つに両断した。
あまりの早業に、目撃したセイバーやガーディアンが口をあんぐりと開けて驚愕していた。
いかんいかん、と頭を掻く元当主。何時の間にやら、既視感を感じた黒い意力のことではなく、過去に残してきたものに思いを馳せている自分が居ることに溜息をつく。
「(今は戦闘の最中。答えは何れ得るとしよう)」
気を取り直し、ハイブリッド殲滅を再開する。
彼自身、まだ知る由も無いが、この戦いに於ける活躍を目撃した多くのセイバーやガーディアンによって、シオン・ディアスの名は広く知れ渡ることとなる。
他の面々も活躍しているが、シオンの活躍は彼等の比ではない。
ハイブリッドが見事に両断される。居合いで斬り捨てたのはザッシュだ。
銃口から放たれる光弾が、ハイブリッドの頭を吹き飛ばす。二挺拳銃を構えるソラス。
「あのさ、ソラスくん」
「何だよ」
「今、何体目?ちなみに、僕は26体」
「オレは23体だ」
「シオンくん、何体目だろうね……」
「数え切れねぇよ……300体以上斃してんじゃねぇか?」
自分達の腕に自信が無いワケではないが、やはりそれでもシオンは別格であることを再認識する。
戦闘が開始されて1時間と経過していないのに、騒動の原因であるハイブリッドは既に壊滅しつつある。
ここに来るのは、シオンだけで十分だったのではなかろうかと、溜息をつくふたり。
「ま、それよりもあっちの方が見物かもね」
「アヴェルと鉄仮面野郎か。話を聞く限りじゃ、アヴェルやレオ達の昔馴染みらしいじゃねぇか」
「どうやら、決着がつきそうだけど……どっちが勝つのやら」
ザッシュ達とは異なる場所、獅子の咆哮によるセイバーとガーディアン達の能力の底上げを続ける獅子兄妹。
長時間の能力行使は、兄妹にかなりの疲労を与える。アリスは流れ落ちる汗を拭うこともせずに、能力の維持を続ける。
能力を発動している兄妹に、当然の様に迫るハイブリッドも居るが、クライスが全て斬り斃してくれている。
「アリス、無理はするなよ」
「お兄ちゃんは大丈夫?」
「何とか―――アヴェルとジスさん、どうやら次で決めるみたいだ」
「うん……」
やはり、複雑な心境になる獅子兄妹。彼がアヴェルと戦うことに心が痛む。
互いに憎み合っているワケではない。ただ、どちらも自分の我を通そうとしているだけ。兄弟喧嘩に近いものだ。
ジスは、みんなの兄の様な存在だった。ふと、レオの脳裏にある人物の姿が思い浮かんだ。
レオとアリスと同じ黄髪、黄眼の青年の姿が。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「ジスさんを見ていると、ユリウス兄さんのことを思い出したんだ」
「……あ」
「今、何処に居るんだろう。生きているなら、会いたいな」
「うん、私もユリウス兄さんに会いたい」
ハイブリッドが壊滅しつつある中、アヴェルとジスの戦いもいよいよ決着を迎えようとしていた。
互いの意刃に集約される意力。量的に、両者のありったけの意力が込められているのだろう。
一切の小細工など無い、正面からの真っ向勝負。
「―――行きます」
“―――来い”
同時に地面を蹴り、両者は互いの意刃を激突させる。今日一番の高音が響き、戦っていた者の大半の視線がふたりの対決へと誘われる。
激突するふたつの意刃は眩い光を放ち、近くに居る者の目を眩ませる。意刃の激突箇所は高温で赤く染まり、鬩ぎ合いで火花が飛び散る。
どちらも一歩も退かない。やがて、変化が訪れる―――互いの意刃に罅割れが生じ始める。
少しでも気を抜けば、どちらかの刃は完全に砕けてしまうだろう。両者は流れ落ちる汗を拭うことも出来ない。
集中力を途切れさせるな。途切れたら意刃は砕け、自分は負ける。
“俺は―――負けん!”
ジスの意力が更に籠手に込められる。勢いが増し、アヴェルの意刃の罅割れが激しくなる。
アヴェルの知己達は、不味いと思った。ジスは、まだ余力を残していた。
実力的に考え、いくら意刃を発現させたとはいえ、一朝一夕でアヴェルが彼を上回るワケがない。
罅割れは止まらず、アヴェルの意刃は今にも折れてしまいそうだ。
“アヴェル、悪いが勝たせて―――”
「―――この距離なら」
ジスの念話を遮るようにアヴェルが呟く。ジスは、真っ向からアヴェルを見据える。
諦めていない、赤髪の少年の瞳には敗北を認めるという意思は全く感じられない。
「この距離なら、絶対に外さない」
今にも折れそうな、アヴェルの意刃に変化が生じた。
刀身に纏う白い意力が、赤い意力に変化したのだ。その刃に刻まれた刻印の如く、炎を連想させる赤い意力に。
遠くから、それを見たゼルディとクライスは眼を見開く。
彼の意刃に纏う意力の変化が何を意味するのか、彼等は知っていた。
「まさか―――!」
「アヴェルが、あの技を……」
ジスは戦慄した。このまま、鬩ぎ合いをしているのは危険だと本能が警鐘を鳴らす。
しかし、即座に離れることは出来なかった。ほぼ密着に近い状態から、後方か左右に跳ぶことは困難。
アヴェルは、今にも意識が飛びそうな状態にあった。彼が意識を保っていられるのは、目の前の相手に勝つという意地からくるものだった、
今、倒れるワケにはいかない―――より強く、意刃を握り締める。
「終刃―――熾天」
振るわれる意刃、それと同時に刀身は完全に折れる。意刃から放たれる赤い意力。
何とか密着状態から、後方に跳ぶことに成功したジスは眼を大きく見開く。
赤い意力は鳥の姿へと変貌する。灰の中から蘇るという伝説を持つ不死鳥の姿を。
不死鳥は、眼前のジスに襲い掛かる。無論、彼も何もせずにやられるのを待つつもりはない。
障壁を展開する余裕など到底ない。自身の意刃である籠手で防御態勢を取る。
不死鳥が籠手と激突、ジスは膝をつく。先ほどの砕牙を受け止めた時の比でない重圧に、目の前がブラックアウト寸前の状態となる。
負けるか、負けて堪るものか―――地に着いた膝を無理やり立たせ、不死鳥の猛攻に抗う。
裂帛の気合と残った全ての意力を込めて、不死鳥を打ち破る。ふらつきながらも、何とか両の足で大地に踏み止まる。
―――が、正面に迫るものを捉えた瞬間、彼は自分の迂闊さを呪う。
眼前にアヴェルの顔が迫っていた。不死鳥の猛攻を凌ぐのに、全力を使い果たした彼にアヴェルを止める術は残されていなかった。
アヴェル自身も、最早残された力は欠片ほどしか残っていない。残された力で出来ることはひとつ―――ジスの顔面に思いきり頭突きを叩きこんだ。
後方に吹っ飛んで仰向けに倒れるジス。頭突きしたアヴェルも、そのまま前のめりに倒れた。
両者ともに、もう動く余力は残されていない。
“―――お前の勝ちだ”
「……引き分けです。勝者は、最後まで立っている人間です」
“人を石頭呼ばわりしておきながら、お前も俺と大差ないな”
「否定出来ない自分が恥ずかしいですよ……はは」
ボロボロになったふたりの顔には笑みが零れていた。ふたりの下に、アンリとカノンが駆けつけて介抱する。
ハイブリッドも僅かとなり、獅子の咆哮による強化も必要がなくなった獅子兄妹もアヴェル達のところに向かう。
やれやれ、終わったかとザッシュとソラスも一息つく。シオンの活躍に比べると目立たないが、彼等はこの戦闘でふたり合わせて100体以上のハイブリッドを斃していた。
流石の大人組とはいえ、無傷では済まなかったらしく、ところどころ傷だらけだ。
「しっかし、剣から不死鳥が飛び出るなんてねぇ」
「流石にたまげたぜ。シオン、あれもディアス流の技のひとつか?」
「終刃熾天―――ディアス流剣術の奥義だ」
始源の地での修行で、アヴェルは一族に伝わる剣術の最後の技である熾天を体得した。1週間に及んだ修行の総仕上げともいえるその習得は困難を極めた。
帰還したアヴェルが、集い荘に到着してすぐに倒れるのも無理はないだろう。
「簡単に凌がれたように見えるが、あれは威力を抑えていたからだ。命を取りにいったワケではないからな」
「ま、アヴェルくんの性格を考えるとね」
「とにかく、これで大喧嘩も幕引きってワケか」
クライスも大馬鹿ふたりの決着を見届け、溜息交じりに頭を掻きながらふたりの下に歩き出す。
「(さて、これからどうするか)」
ゼルディは、今後のことを思案する。こんな事態になったのだから、無罪放免などあり得ない。
多くのセイバーやガーディアンの手を煩わせた責任は取らなくてはならない。潔く、縛につくことにするか。
だが、その前にふと、何かを忘れていることに気付いた。何かを―――。
「御仁、後ろだ!」
叫んだのはシオンだった。だが、ゼルディは即座に反応出来なかった。
鈍い音が聞こえた。直後、ゼルディは吐血する。
彼の背中を突き刺すものがある。人間の手だった、人間の手が彼の背中に突き刺さっていた。
背後からゼルディを突き刺したのは、白目を剥いた科学者風の青年だった。
「エリ、ク……」
そう、彼の存在を忘れていた。この戦いを引き起こした元凶―――否、真の元凶ではないが、発端となった人物。
エリクの肉体から黒い意力が溢れ出す。ハイブリッドとは比較にならないほど禍々しい、闇深い意力。
あまりの禍々しさに、殆どの面々は戦慄した。何故、人間がブレイカーと同じ黒い意力を発しているのか。
「黒き、糧が足りない―――」
「その、言葉は……!?」
口を開いたエリクの言葉にクライスは息を呑む。その言葉に聞き覚えがあった、何よりもこの黒い意力を彼は知っていた。
間違いない、決して間違えようがない。これは、7年前のあの時の異形と同じ意力。
黒い意力が、突き刺さるエリクの腕からゼルディの肉体に注ぎ込まれていく。
ずるり、と背中からエリクの手が抜けると同時だった。ゼルディの肉体から、ハイブリッド達とは比較にならない黒い意力が溢れ出す。
糸が切れた人形のように、黒い意力を注ぎ込んだエリクが地に倒れ伏した。
「ぐ、ぉおおおおおおおおおおおッ!」
「ゼル―――」
「クライスさん、離れろ!」
シオンの言葉に反応出来たのは不幸中の幸いだった。後方に跳ぶクライス。
ゼルディが意刃を発現させる。彼が使用している鎚型の意刃、だが明らかな変化が生じていた。
見るからに禍々しさを感じさせる、歪な形状の鎚が握られていた。
鎚が地面に叩きつけられる。直後、周辺に衝撃波が発生し、セイバーやガーディアンが幾人か吹き飛ばされる。
アヴェルとジスはアンリとカノンが展開した障壁に守られ、吹き飛ばされずに済んだ。
ザッシュとソラス、レオとアリスも自ら展開した障壁で事なきを得る。
クライスは障壁が間に合わなかった。後方に跳んだことで鎚の直撃こそ免れたが、衝撃波で吹き飛ばされて地面を何度か転がった。
だが、流石に総本部のマスター。受け身は取ったらしく、直ぐに飛び起きる。
倒れているエリクからは、黒い意力は微塵も感じられない。どうやら、全てゼルディに注ぎ込まれたようだ。
鎚を握るゼルディの肌は浅黒く変化していた。まるで、黒い意力と同じ様に。
「ゼルおじさん……!」
「アヴェル、動いては駄目です!」
“父さん……!”
「ジスお兄ちゃんも!」
立ち上がろうとするふたりを制止するアンリとカノン。
今のゼルディは正気ではない。止めなくては―――しかし、誰が?
とてもではないが、今のゼルディが発する禍々しく強大な意力に太刀打ち出来そうにない。マスターであるクライスも、自分では止められないだろうと悟る。
集い荘の他のメンバーや獅子兄妹も同じ思いだった。思案する暇もない、ゼルディが鎚を大きく振りかざそうとする。
不味い、地割れを発生させて全員を大地に呑み込む戦技を使うつもりだ。振り下ろされる鉄槌。全員がその場から急いで離れようとする。
しかし、鉄槌が地面に突き刺さることはなかった。鉄槌と長剣が激突し、高音が鳴り響いた。
振り下ろされた鉄槌を受け止めた長剣には、炎の刻印が刻まれている。
力を使い切ったアヴェルの意刃ではない、より洗練された完成された力強さがその意刃からは醸し出されていた。
炎の意刃を握るのはシオンだった。流石の彼も、今回ばかりは通常の剣では分が悪いと悟ったのだろう。
自身も意刃を用いて、暴走するゼルディに対抗する。一合、二合、三合、激突するごとに凄まじい衝撃が大地を震撼させる。
援護しようと考えていた者達は割って入ることが出来ない。否、とてもあの中に入っていく度胸が誰にもないという方が正しいか。
あまりにも異次元の領域の戦いであった。暴走したゼルディの攻撃は、大抵の者なら一撃で叩き潰されるのがオチだ。
暴走する今の彼の意力は、先ほどまでと比較しても倍以上はあるだろう。だというのに、そんな化け物染みたゼルディの攻撃をシオンは全て片手でいなしていた。
シオンが強いことは、集い荘の面々も嫌というほど知っているが―――いくらなんでも、あそこまで非常識な強さとは思わなかった。
周囲が手を出せない中、シオンは戦いながら意識を集中していた。ゼルディの発する黒い意力、その源を断つべく。
そして、彼は黒い意力の源を発見する。それは、人間の生命活動を司る血液循環系の中枢器官。
「―――心臓か。心臓に、黒い意力が集中している」
その言葉を聞いたアヴェルは血の気が引いた。心臓、そこから発する黒い意力を断つ―――即ち、心臓を破壊して、ゼルディを殺すしか方法が無いということ。
他の方法を実行しようという抗議の声を出すことが出来ない。今のゼルディを止める方法が他に思いつかない。
歯噛みする赤髪の少年、自分の無力さに打ちのめされるとは正にこういうことだろう。悔しさで震える彼に、アンリとカノンも掛ける言葉が見つからない。
“―――シオンさん、といったな。頼む……父さんを楽にしてやってくれ”
悲痛な感情が篭ったジスの念話がシオン、周囲の面々に届く。
その言葉を受け取った赤髪の元当主は、剣を構えたまま瞳を閉じる。ゼルディが鎚を振るう。
鎚を紙一重で回避、直後に光が奔った。否、それは光ではなく剣による刺突。
炎の意刃から繰り出された刺突がゼルディの胸を、心臓を穿つ。
ごふっとゼルディの口から血が溢れ、彼は地面に倒れ伏す。シオンの手から意刃が消える。
暴走していたゼルディの肉体から黒い意力が凄まじい勢いで抜ける。抜け出た黒い意力は、まるで何処かへ行かんとばかりに飛び去っていく。
彼は、前のめりに倒れていたゼルディを仰向けにする。視線を倒れているエリクに向ける。
「ザッシュ、ソラス。その科学者風の男を見張っていろ。黒い意力はもう感じられないが、用心するに越したことはない」
「え?それはいいけど……」
「シオン、お前、何を―――」
「少々、賭けになるが試してみる」
シオンの両手に意力が集約される。両手をゼルディの穿たれた胸に当てる。
穿たれた胸に意力が注ぎ込まれていく。注視していたクライスは驚愕した。
先ほどの刺突で、貫かれたであろう心臓が傷ひとつない状態で再生しているではないか。
「(治癒術……信じられん。臓器のような複雑なものを傷ひとつない状態に再生するなど―――)」
意力による治癒術。怪我の状態により治療の難易度は向上していく。
単純な切り傷や出血なら、病院に勤める治癒術士なら朝飯前で治せる。失くした手足の再生は熟練の治癒術士が可能。
しかし、今のシオンの様に臓器の類を完全に再生出来る治癒術の使い手は希少である。
治療が完了した。穿たれた胸も完全に塞がり、暫くするとゼルディの呼吸音が聞こえ始める。
「―――成功だ、息を吹き返した」
“……心より、感謝する―――”
父の死を覚悟していたジスは、顔を下に向けていた。地面に無数の雫、涙が零れていた。
アヴェル達も心の底から安堵した。ゼルディの胸が穿たれた時は、こちらの心臓まで穿たれた様な気分だった。
ハイブリッドの殲滅も完了。負傷したセイバーやガーディアンも一息つく。
「ジス……隊長」
倒れていたエリクが言葉を発する。警戒し、意刃を構えるザッシュとソラスをシオンが制止する。
“エリク、正気に戻ったのか?”
「申し訳、ありません……取り返しのつかないことを」
“……元凶は奴だ。お前は奴に操られていたんだ”
奴という言葉に真っ先に反応したのはクライスだった。
「奴というのは、あの時の異形のことか?」
“はい、7年前にグレンさんとカールさんをあんな目に遭わせたあの異形です”
その言葉に、アヴェルと獅子兄妹は息を呑んだ。グレンを昏睡させ、カールの右脚を消し飛ばした元凶がこの科学者の青年を操っていた。
クライスは自らの手の震えを止められなかった。後輩と先輩をあんな目に遭わせた仇敵が、今回の戦いに一枚噛んでいた事実に憤慨している。
やはり、生きていたのか。いや、生きていて当然かもしれない。
あの異形は、クライスを含めたセイバーの中でも屈指の実力者を5人同時に相手にして圧倒したほどだ。
「ゴホッ!」
“エリク!”
突然、エリクが大量の血を吐血する。命に関わるかもしれないほど、大量の血が止め処なく溢れる。
シオンは冷静に、エリクの様子を観察する。血を吐く彼の体内の意力の流れを見て―――目を伏せる。
「シオンさん、彼は―――」
「……手遅れだ、黒い意力に侵されていた時間がゼルディさんよりも相当長かったようだ。心臓を含めた臓器の殆どがボロボロ―――全てを俺の治癒術で治す前に、彼の命の方が保たない」
「そんな……」
ゼルディが心臓だけだったのに対し、エリクは全ての臓器が手遅れの状態。
ひとつ治すだけでも相応の時間が掛かる。流石のシオンでも、これら全てを治すまでエリクの命は保たないだろうと悟ったのだ。
「お構い、なく……心配される身の上ではありませんから」
“エリク……”
「隊長、頭の中に声が、響いてきたのです……。黒き糧が足りない、という背筋が凍りつきそうな、恐ろし気な声が―――」
「黒き糧が足りない……?」
「シオンさん?」
エリクの言葉を聞き、シオンは額を押さえた。表情が強張る―――その言葉を何処かで聞いたことがある。
聞き覚えのある言葉だった。だが、何処でそれを聞いたか思い出せない。
黒き糧が足りない、黒き糧―――ふらつき、膝をつくシオン。
「シオンさん!?」
「おい、どうした!?」
周囲からの声が耳に入らない。この時、シオンは激しい頭痛に襲われていた。
視界がグニャグニャと揺れ、渦巻く光景に変わり―――真っ暗になった。
周囲は炎に包まれ、瓦礫と化した建物があちこちにある。何か災害が通った跡だろうか。
シオンは意刃を構え、血を流しながら正面を見据えていた。
彼の視線の先にあるもの―――黒い剣を持った黒い人型だった。通常のブレイカーとは違う、異質な何かを感じさせる。
人型の持つ黒い剣は所々刃毀れが見られる。眼前に立つ赤髪の若者と激突した末によるものなのか。
『黒き糧が足りない―――』
人型はシオンにではなく、背後に剣を振るう。凄まじい剣圧が、周辺の瓦礫を吹き飛ばしていく。
吹き飛ばされないよう踏ん張っていたシオンの耳に、砕けるような音が聞こえた。
人型の背後の空間に亀裂、裂け目が生じていたのだ。裂け目の中に人型は入って姿を消す。
シオンは裂け目に足を進めようとするが―――。
「―――シオン兄!」
声が聞こえた。振り返ると、自分と同じ赤い髪の少年が息を切らしながら走ってくる―――実の弟アヴェル・ディアスだ。
彼は到着するや、空間に裂け目が生じるという異常事態に戸惑う。が、深呼吸して心を静める。
「―――行くの?」
「ああ、行かなくてはならない。約束だからな……“あいつ”との」
「この先は何処に繋がっている分からない。下手したら戻って来れないかもしれないんだよ!?」
「その時は……お前が俺の跡を継いでくれ。この地にディアスの血を受け継ぐ者は俺とお前しか居ない」
「無理だよ、ぼくはシオン兄みたいに強くない……」
自信を持てない少年の肩に手を置く。
「自分を信じろ、お前は俺の自慢の弟だ」
「シオン兄……」
「達者でな」
発生した裂け目の中にシオンは飛び込む。視界が歪み―――記憶はそこで途切れた。
「シオンさん!」
アヴェル―――弟と同じ名前を持つ、弟の子孫の呼び掛けにハッと我に返る。
集い荘の仲間達が、心配そうな面持ちで見守っていた。どうやら、心配を掛けた様だ。
「すまん、大丈夫だ―――彼は?」
視線をエリクの方に向ける。彼の肉体からは既に意力が消えている―――即ち、人生を終えたのだ。
自分が意識を失っている間に、彼は息を引き取ってしまったらしい。ボロボロのジスが、そっと動かなくなったエリクの肩に手を置く。
“すまなかった、お前の異変に気付くことも出来ず―――”
項垂れるジスに誰も言葉を掛けることが出来ない。
「アヴェル、アークシティに戻ったら総長に話したいことがある。クライスさんも同席してくれ」
シオンの言葉に頷くアヴェルとクライス。どうやら、元当主は何かを思い出したのだろう。
―――“ハイブリッド殲滅戦”。後に、そう語り継がれる大事件はこうして幕を閉じた。
だが、この戦いはこれから先起こるより大きな戦いの序章に過ぎないことを、この時はまだ誰も知らなかった。
・2020年6月2日/脱字を修正しました。
・2023年02月20日/文章を修正しました。
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