第30話『神炎(かみのほのお)


 緑茶―――チャノキの葉から作った茶のうち、摘み取った茶葉を加熱処理して茶葉中の酵素反応を妨げたもの。もしくはそれに湯を注ぎ、成分を抽出した飲料である。

主に大陸の東に浮かぶ、極東諸島から輸入される。大陸に住む極東諸島出身者などが愛飲している。

大陸中央―――アークシティ。場所は西区の外れにある集い荘。

ここにも緑茶を愛飲する男がひとり―――シオン・ディアスである。

母方が極東諸島の血筋であるゆえか、その影響で彼は子供の頃から緑茶を好んでいた。

集い荘に食器棚には彼が使う湯呑も置かれるようになった。

さて、そんなシオンは現在―――。

「ぬがぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

集い荘1階にて、大変荒ぶっているご様子。奇声を発しながら、頭を抱えていた。

当然の如く、アヴェルがツッコミに入る。

「いやいや、開始早々何を荒ぶってんですかアンタは!?」

「無い、何故無いんだ……」

「は?」

「何故に、何処の店に行っても緑茶の茶葉が売り切れなのだ……?一体、どういうことだァァァァァッ!!?」

「はぁ……そうですか」

何を騒いでるかと思えば、どうやら緑茶の茶葉が切れたので買いに行った。

しかし、何処に行っても売り切れ状態。ゆえに荒ぶっていたようだ。

「何だそのテンションの低さは!?俺にとっては死活問題なんだぞ!?」

「いや、普段はテンションがあまり高くないシオンさんが荒れてるから何事かと思ったら……」

「シオンくんにとっては大問題さ」

近くのテーブルで本を読んでいたザッシュが会話に参入してくる。

「アヴェルくん、嗜好品が手に入らなくなったら誰だって荒れるもんだよ。シオンくんの場合は緑茶、ソラスくんの場合はお酒、僕の場合はエロ本とかかな」

「いや、アンタの嗜好品だけ何かおかしいんですけど」

「失敬な!僕はエロ本をオカズに白米を食べることが出来るよ!?」

「威張って言えることじゃないでしょうが……」

アヴェルは、伊達男の主張に溜息交じりに額に手を当てた。

まぁ、確かに嗜好品が手に入らないのは辛いものがある。

「シオンさん、本当に何処にも売ってなかったんですか?」

「アークシティ内にある極東諸島の品を扱う店は一通り巡ったが、全て空振りだった」

「いやいや、それおかしくない?何処の店も売ってないって?」

「入荷待ちの状態だ。というよりも、殆どの店が休業状態だったのが気に掛かるな」

休業状態という言葉にザッシュが反応を示した。

「こりゃ、何かヤバイ事態になってるかもしれないね」

「え?何がですか、ザッシュさん?」

「極東諸島の品が輸入されていない可能性が高いってことだよ。どういう意味だと思う?」

緑茶が飲めずにイライラしていたシオンが冷静さを取り戻す。

「極東諸島と大陸間の海域に異変が起きている―――というワケか」

「ん、正解。おそらくは、海に出現するタイプのブレイカーの仕業が高いね」

大陸と極東諸島は、海を渡る船舶による貿易を行っている。

飛行船による空路で品物を運ぶことが計画されたこともあるが、極東諸島の民から反対されたらしい。

理由としては飛行船の為に必要な空港を建造する際、環境破壊になりかねないからだそうだ。

そういうワケで、極東諸島とは海路による貿易が行われているのだ。

その海路に異変が起きている可能性が高い。

「ふむ、ならば行くしかあるまいな」

「は?いや、待って下さいよ!行くって、何処に!?」

「海路に異変が起きていないか調べてくる。全ては緑茶の為に」

「んな勝手が許されるわきゃないでしょ!?アークシティの巡回とかブレイカー討伐はどうすんですか!」

「それはお前は任せる。というワケでまずは情報収集だ、総本部に大陸と極東諸島間の海域に関する報告が来ていないか聞いて来る」

「あ、ちょっと!」

制止するアヴェルの声もどこ吹く風。シオンは集い荘から出て行った。

残されたアヴェルは肩をすくめて、ザッシュの方へ顔を向ける。

すると彼は何故かニヤついていた。

嫌な予感を覚えたアヴェルは、一応訊いてみることにする。

「あの、ザッシュさん?ま、まさか―――」

「面白そうだから僕も行ってくるね〜♪お土産でも買ってくるから〜」

「そんな殺生な!?」

鼻歌交じりでザッシュも集い荘から飛び出していった。

セイバー総本部。ミーティングルームにて、総長レイジは報告書に目を通していた。

報告書には、こう記されている。

大陸と極東諸島間の海域に大型ブレイカーが出現。貿易に行き来する船舶に多大な被害が出ている。

至急、高位セイバーの派遣を求む―――と。

ミーティングルームには、リューの姿もあった。

「総長、如何なさいますか?」

「ふむ……最低でもアドバンスド級のセイバーを派遣すべきだが」

「失礼する!」

大きな声と共に、シオンがミーティングルームに入って来た。

目を丸くする総長と眼鏡美人。

何故に、彼がここに?というか、何時もと様子が違う気がするような―――?

「総長―――その件、俺が行かせてもらおう!」

「いやいや、待ってくれないか。シオンくん、一体どうしたんだね?」

「世の為、人の為、緑茶の為―――海路を妨げる不届きなブレイカーを俺が討伐してくれよう!」

「な、何かかつてないレベルでシオンさんのキャラが崩壊してるわ……(汗)」

普段の冷静な彼は何処に行ったのか。彼の背中から燃え盛る炎が見えそうな勢いだ。

そんなシオンの姿にやや引いてしまうリュー。

燃える男の後ろからザッシュがやって来る。

「おーやってるやってる。いやぁ、燃えてるねぇシオンくん」

「ちょっと、ザッシュ!一体、何がどうなってるのよ!?」

「いやぁ、実は―――」

ザッシュが事の経緯を話すと、リューは溜息交じりに眉間を押さえた。

何せ、理由が理由である。緑茶の為にブレイカー討伐に行くと言うのだから。

「あ、あのねぇ……シオンさん、そんな理由で遠方のブレイカー討伐に行くつもりだったの……?」

「俺にとっては死活問題なのだ!」

「いや、だからって……」

「リューちゃん、嗜好品が手に入らないシオンくんの心情を察してよ。欲しいエロ本が手に入らない時の僕みたいな状態なんだよ、今の彼は!?」

「おのれという男はァァァァァ!そのドスケベ振りを少しは自重せんかいィィィィィ!!」

「おうふっ!」

リューのアッパーカットが見事に顎にヒットし、伊達男は床に伏した。

レイジは目の前の珍騒動にやれやれと呆れながらも、高位セイバーの派遣を求むとの報告書に適した人材が目の前に来てくれたことに感謝していた。

シオンに向き直ると、彼は真剣な表情で口を開く。

「シオンくん、報告書によると異変が起きているのは大陸東部の港町ミライと極東諸島間の海域だそうだ」

港町ミライという言葉が聞こえ、倒れていたザッシュがガバッと起き上がる。

「総長、それホントですか?」

「うむ、その通りだ。ザッシュくんも行ってくれるかね?」

「そりゃ、勿論。故郷近辺の海域で何か起きてるならね」










翌日―――正午。

大陸東部の港町ミライの空港に飛行船が到着した。飛行船から乗客達が降りてくる。

その中にシオンとザッシュの姿があった。

「いやぁ、それにしても便利になったもんだよ。少し前までこの町には空港が無かったからねぇ」

「ふむ、まさかお前の故郷近辺の海域でブレイカーが出現していたとはな」

ミライ―――大陸東部に位置する港町であり、ザッシュの生まれ故郷。

極東諸島との貿易が最も盛んなことで有名な町である。

「ここから少し北に行ったところに大陸東部の中心地であるグロウシティがあるんだけど、この町の方が極東諸島との距離が近いから貿易が多いんだよ」

「言われてみれば、確かに極東諸島関連の品を扱う店が多いな」

町中を歩きながら、シオンは周囲を見渡す。

極東諸島の品を扱う店が、アークシティよりも圧倒的に多いことに気付く。

和風な装いをした商人達が多く行き交い、中には刀や薙刀といった武器を携えた人間の姿も。

アークシティではあまり見かけなかったような人々が多い。 そんなことを考えている内に、二人は港へと辿り着いた。

そこでは多くの貨物船や客船が停泊しており、大勢の船員や商人達が深刻な面持ちで話し合っていた。

やはり、この近辺海域でブレイカーが出没しているようだ。彼等に話を訊いてみよう。

「やぁ、どうしたんだい?深刻そうな顔して」

ザッシュが手を挙げて船員のひとりに尋ねる。

「おお!誰かと思えば、ザッシュじゃないか!」

「久し振りだね、ロドムさん。総本部からブレイカーがこの近辺海域に出没してるって聞いたから来たんだけど」

どうやら、話し掛けた船員はザッシュの知り合いらしい。

ロドムと呼ばれた男は、困ったように頭を掻く。その様子に、シオンとザッシュは何となく事情を察した。

どうやら、あまり良い状況ではないようだ。

ロドムが重い口調で語り始める。

話によれば、今現在、近海では大型ブレイカーが暴れ回っているとのこと。

この町のセイバー支部やガーディアン部隊もよくやっているとのことだが……。

「大型ブレイカー以外にも、小型ブレイカーと中型ブレイカーが多数出没しているんだ。そっちは町のセイバー達やガーディアン部隊の力でも何とか出来るんだが、肝心の大型は彼等の手に負えないほど強い。コルツさんも協力してくれたんだが、負傷してしまって……」

コルツという名前が出て、ザッシュは驚いた。

「コルツ伯父さんが怪我したって言うのかい?一大事じゃないか」

「ザッシュ、お前の親族か?」

「ん。僕の死んだ父さんの兄さん―――伯父だよ。今はこの町の剣術道場の師範をしているんだ」

「ふむ、剣術道場の師範となればかなりの手練れの筈。まずはその人に会って詳しい話を訊いてみるとしようか」

シオンの提案にザッシュも同意する。早速ふたりはコルツのいる場所へと向かうことにした。

場所は変わり、港町ミライの東。ザッシュの祖父が開いたという、刀を扱う剣術道場―――シャルフィド剣術道場の看板が目に入る。

練習を行っているらしく、掛け声が聞こえてくる。

「ここがお前の実家か?」

「うん。僕は子供の頃に両親を亡くしてじいちゃんに引き取られてね。ここで居合を主体とした剣術を叩きこまれたよ」

尤も、その祖父も数年前に病没したという。現在はザッシュの伯父であるコルツが跡を継いでいる。

ふと、気になった。道場名はシャルフィド道場だが剣術は極東諸島の刀を用いたものだ。

ということは、ザッシュの祖父は極東諸島に所縁のある人物の筈だ。極東諸島の特徴的な姓名が道場名であると思うのだが……。

「ああ、道場名が気になった?確かにじいちゃんは極東諸島の出身だけど婿養子なんだ」

詳しい話をすると長くなるので簡潔に説明してくれた。

何でも、ザッシュの祖父は極東諸島の高名な家系の出身だったそうだ。

ある時、極東諸島を訪れたひとりの女性と出会ったことが全ての始まりだという。

その女性こそが、若き日のザッシュの祖母だった。

「どうやら極東諸島に訪れたばあちゃんに一目惚れしたのが原因らしくてね。じいちゃんは名家の三男だったらしいけど、周囲から縁談が来るほど優れた剣術家だったんだ」

「周囲がお前の祖父と祖母の結婚を認めなかったのか」

「それで駆け落ちしたってことさ。その際に家名もばあちゃんの姓―――シャルフィドに改めたって」

「ほう、随分と思い切ったことをやったな」

「まぁ、そのお陰で僕が生まれた訳だし。おっと、それはそうと道場に入ろうか」

道場の扉を開けると、そこには木刀を構えた男達の姿があった。彼等は素振りや、他の門下生と打ち合いをしていた。

ザッシュの姿を見るなり、門下生達が声を掛けてきた。

「ザッシュ兄ちゃん!」

「ザッシュじゃないか!」

「みんな、久し振り。伯父さんが怪我をしたって聞いたんだけど」

「ああ、そうだ!師範に会って欲しい」

「そうだね―――と、その前に」

ザッシュが背後に障壁を展開した。障壁が何かと激突する。

アヴェル達とさほど変わらないくらいの少女が、背後から木刀を振り下ろしてきたのだ。

「まだまだ甘いね―――レナちゃん。そんなんじゃ、僕の障壁は破れないよ」

「帰郷するなら連絡くらい入れたらどうなのよ!父さんが怪我して大変なこの時に!」

少女の外見や特徴を見て、シオンはレナと呼ばれた少女がザッシュの縁者だと直ぐに見抜いた。

レナはシオンの存在に気付き、一礼する。

「ご、ごめんなさい。お客様の前で……」

「いや、構わない。君はこの道場の―――」

「この道場の師範コルツ・シャルフィドの娘、レナ・シャルフィドです」

「僕の従妹だよ。うーむ、しかし……」

「どうした?久し振りの再会で見違えたのか?」

「いんや、おっぱいがあまり成長していな―――」

鬼の表情になったレナが木刀で突きを繰り出してくる。

伊達男は、ハハハと笑いながらひょいひょいと躱す。

「全く、少しからかっただけじゃないか」

「人が気にしていることを〜〜〜〜〜〜っ!」

どうやら彼女は、自身の慎ましい胸部にコンプレックスを抱いている模様。

怒り心頭のレナが木刀を振るうが、ザッシュは軽やかなステップで回避していく。

彼女の太刀筋はなかなかのものだ。ただ、ザッシュには当たらないだろう。

理由は実にシンプル―――実戦経験の差が大きい。

普段は飄々としている伊達男だが、これでもブレイカーとの死線を潜り抜けてきた実績があるのだ。

「レナ嬢だったな。後で俺もザッシュをシバくのに協力するから、今は君の父上に会わせてくれないか?」

「いやいや、待った待った!シオンくんが相手じゃ、僕死ぬよ!?」

その後、何とか落ち着きを取り戻したレナがシオンとザッシュを連れて道場の奥へと案内する。

道場の最奥――そこにコルツはいた。

彼は布団の上に横たわっていた。脇腹に包帯が巻かれており、想像していたよりも重傷のようだ。

傍らでは、彼の妻が身の回りの世話をしていた。

「母さん」

「レナ―――まぁ、ザッシュくん!?何時、帰って来たの?」

「さっき着いたばかりだよ。伯父さんは―――」

「何とか一命を取り留めたのだけど、まだ目を覚まさないの」

シオンは、負傷しているコルツの脇腹に視線を走らせる。

刺し傷ではない、打撲によるものだろうか?骨折だけではなく、内臓にもダメージがある可能性が高い。

「治癒術士は?」

「まだ到着しないの。だから困っていて―――」

「シオンくん、頼めるかい?」

「ああ、任せろ―――奥方、申し訳ないが御主人の包帯を解いて頂きたい。俺の治癒術で治療する」

「まぁ、治癒術士の方ですか?ザッシュくんのお知り合い?」

「彼はセイバーだよ、超一級のね。強いだけじゃなくて、色んな技術に優れているんだ」

包帯を解かれたコルツの脇腹の負傷を確認する―――やはり刺し傷や切り傷の類ではない。打撃による打撲だ。

この様子だと肋骨が数本は折れている可能性がある。不幸中の幸いか、内臓には突き刺さっていない。

両手に意力を集約し、治癒術を発動させる。

戦闘術と治癒術は、全く性質が異なる意力を用いる。

大抵はどちらか片方に偏っている。ゆえに、シオンのように両方を扱える人間は極めて稀だ。

治療開始から1分が経過―――。

「よし、完治したぞ。内臓も痛めていたようだから治癒しておいたぞ」

「早ッ!カップ麺が出来るより早いよ!?」

唖然とした表情で見つめるザッシュ。レナ達も同様だ。

「……う」

コルツが瞼を開く。

「あなた!」

「父さん!」

「ロミナ……レナ……」

「あんま無理しない方がいいよ」

「ザッシュ……来てくれたのか」

「こっちの彼に感謝してね。伯父さんの怪我を治してくれたんだ」

「そうか……感謝する、君は?」

「シオン・ディアスだ」

ディアスという名に、コルツ達は目を剥く。

「ディアスって伝説のセイバー一族と名高い、あのディアス家のこと?」

「ん、そうだよ。しかし、ディアス家ってのは何処に行っても有名だね」

「知らない方がおかしいでしょ!?」

「それはいい。コルツさん、一体何があったのか訊かせて頂きたい」

「……単刀直入言えば、出現したのだ―――“クラーケン”が」

クラーケンという言葉を聞いて、ザッシュは戦慄した。

「伯父さん、聞き間違いじゃないよね?クラーケンって言えば、確か―――」

「うむ……“伝承級ブレイカー”として恐れられるあのクラーケンだ」

伝承級ブレイカー―――存在そのものが伝承とされる災厄である。

その力は災害級、変異型のブレイカーを凌ぐとされる。

遭遇する可能性自体が稀である為、討伐した者は歴史に名を残すとまで言われている。

そんな化物が現れたと聞いて、流石の伊達男も表情を引き締めた。

「まさか、そんな怪物が現れるなんてね」

「私も剣の腕に自信はあったがこのザマだ。奴の触手を防御障壁で防いだが一撃で破壊された。直撃を受ける寸前に意力で肉体強化していなければ命は無かっただろう」

意識を失ったコルツは同行していたセイバーに救助され、何とか町まで運ばれたという。

現在、クラーケンは近海に捕縛用の障壁柱で閉じ込めているそうだ。しかし、それが破られるのも時間の問題だ。

ドラゴンですら破れない障壁柱の結界を、伝承級ブレイカーは破れるのだ。

「一刻の猶予も無いな」

「そうだね。まずは奴さんの様子を―――」

「レナお嬢さん、大変です!!」

門下生のひとりが血相を変えて駆け込んでくる。こういう時は嫌な予感しかしない。

「く、クラーケンが捕縛障壁柱の結界を破ったって―――!」

「シオンくん」

「任せておけ。お前は万一に備えて、町の方を頼む」







ミライに向かって大きな影が迫りつつあった。

タコやイカなど彷彿させる巨大な頭足類の姿をした化け物―――クラーケン。

海に出没するブレイカーの中でも、存在そのものが伝説として語り継がれる伝承級ブレイカーである。

歴史を紐解いても出現した回数は極僅か。しかし、その存在は数多くの船乗り達を恐れさせてきた。

船乗りにとって、クラーケンとの遭遇は死を意味する。殆どの船は、その巨体に押し潰される運命だ。

クラーケンはミライの町を捉える。襲来まであと少し―――だが。

突然、クラーケンの動きがピタリと停止した。否、停止せざるを得なかった。

進行方向の海面に―――ひとりの男が“立っていた”。あまりにも奇怪な状況。

生身の人間が海面の上に、まるで地面に立つのと同じ状態で立っていたのだ。

海面の上に立つは―――シオン・ディアス。彼の手には炎の刻印が刻まれた意刃が握られていた。

望遠鏡で状況を確認するザッシュ達。レナとコルツ、町のセイバー達やガーディアン部隊の姿もある。

彼等は万一の為、町の防衛をするのが仕事だ。

「いやぁ、凄いねぇ。シオンくん、まるで忍者みたいだよ」

「ちょ、ちょっと……あれ、どういうこと!?」

ザッシュは苦笑し、レナは困惑している。

同じように望遠鏡でシオンを見るコルツは息を呑んでいた。

「彼は海の意力と自身の意力を同調させている―――海面の意力と波長を合わせることで、まるで地面を歩くのと同じよう海面を足場にしているのだ」

「はぁ、なーるほどね」

コルツの解説に、ザッシュは感心したように呟いた。

しかし、真に驚くべきところはそれではない。海面に立つくらいコルツにも出来る自信はあった。

問題なのは、その状態で戦闘出来るか否かだ。戦闘と海面に立つことを両立することは難しい。

少しでも疎かにすれば、即座に身体が海に沈んでしまうだろう。

「伯父さん、彼なら心配ないよ。これから、この世のものとは思えない光景を見ることになるかもね」

クラーケンが動き出す。シオンを脅威と認識したようだ。

ゆっくりと触手を伸ばし、シオンに襲い掛かる。

クラーケンの触手は一本だけでも巨大だ。それを無数に繰り出してくるのだから堪ったものではない。

無数の触手が四方八方から迫ってくる。

普通の人間ならば避けることすら困難を極める。しかし、シオンはそれを全て回避していた。

クラーケンの触手は確かに速い。だが、それらを最小限の動きで躱していく。

触手の軌道を完全に見切っているのだ。

閃光が奔る―――クラーケンの触手が宙に舞う。シオンの剣に切り落とされたのだ。

「速い―――太刀筋が全く見えなかった……!」

コルツは驚愕した。レナとセイバー達、ガーディアン部隊の面々に至っては言葉を失っていた。

宙に舞った触手は黒い意力となって霧散する。

だが、触手が瞬時に再生した。再び触手の嵐が襲う。

「ありゃ厄介だ。トンデモない再生能力を有してるんだね」

クラーケンは何度も触手を伸ばすが、その全てが切断されてしまう。

しかし、その度に素早く再生してしまう。このままではキリがない。

と、シオンのことばかりに構ってはいられないようだ。

「どうやら、他にも悪いお客様がご到着したみたいだね」

「え?悪いお客様って―――あっ!」

シオンとクラーケンとは全く別方向の海面が盛り上がっている。

水飛沫と共に、巨大な海蛇型のブレイカー―――シーサーペントが姿を現す。

ドラゴン同様に災害クラスに分類される危険種である。

クラーケンよりは小さいものの、それでも充分な大きさだ。

「シオンくんはクラーケンに掛かり切りだし、僕が相手にするしかないかな」

「ザッシュ兄ちゃん、大丈夫なの?相手はシーサーペントなのよ……?」

「ん〜〜〜〜、クラーケンを相手にするよりかはマシだね。それに鬼教官に扱かれた成果を見せる時が来たって感じだよ」

「え?鬼教官って……」

「ん、あそこでクラーケンの触手をぶった切ってる人ね」

彼が指差す方向に見えるのは、クラーケンの触手を切り落とし続けるシオンの姿。

「ふむ……彼が修行をつけてくれたのか」

「いや、修行とかいうレベルを超えてるよ……。我ながら、よく生きてたもんだよ」

遠い目をして語るザッシュ。その表情はどこか哀愁を帯びていた。

一体何があったのだろう。このおちゃらけた伊達男をこんな顔にするとは、どんな修行をしたのやら。

「他の人達はここで待機してて―――んじゃま、行きますか」

頭を掻くザッシュの姿が、一瞬でその場から消えた。

その場に残った面々は目を丸くして、ザッシュの姿を探すがどこにも居ない。

次の瞬間、シーサーペントの頭上に彼は姿を現した。

コルツは目を剥いた。

「空間転移―――だと!?」

空間転移―――地上、空中に問わず離れた空間座標に一瞬で移動する移動術である。

マスター級のセイバーでさえも使える者は一握りしか存在しない最上級技術のひとつ。ザッシュは、それを実行してシーサーペントの所まで瞬時に移動したのだ。

周囲が騒然とする中、一番驚いていたのは当の本人だったりする。

「(ひゃあ〜〜〜〜出来ちゃったよ。まさか使えるとは思いもしなかった)」

そう、何を隠そう―――この男、空間転移を使うのは今が初めてだったのだ。

始源の地と呼ばれる秘されし修行地。僅か1週間ではあったものの、あの場所での過酷で濃密な修行はザッシュの力量を大きく向上させたようだ。

正直、あそこでの修行が無ければ空間転移は使えなかっただろう。

……あまりに過酷な修行のことを思い出すと、思わず吐きそうになるが。

「でも、今はシオンくんに感謝感激雨あられだよね!」

シーサーペントが頭上のザッシュに気付き、丸呑みしようと口を大きく開ける。

危ないと、青褪めるレナ達。

しかし、ザッシュは全く動じない。余裕の笑みを浮かべて、左手に黒い鞘に納まった刀型の意刃を発現させる。

「おいおい、海蛇くん―――僕みたいな伊達男を食べたら美味過ぎて胃もたれしちゃうかもよ?」

空中で一気に納刀状態の刀を抜き放つ。意力による斬撃が、シーサーペントの頭上を襲う。

甲高い奇声が発せられ、シーサーペントの巨体はザッシュの斬撃で両断された。

巨体は黒い意力となって、宙に霧散していった。

海面の上に着地するザッシュ。シオンと同じく海面の意力と自身の意力を同調させたようだ。

「凄い……」

「腕を上げたようだな―――親父殿やあいつにも見せてやりたいものだ」

何とか言葉を紡ぐレナ。コルツは腕を上げた甥の姿を見て、亡き父と弟に目の前の光景を見せたい気分だった。

一方、シオンはクラーケンの触手を切り落としながら、観察をしていた。

クラーケンの触手の再生速度がだんだんと遅くなっていた。再生する毎に意力を消耗しているのだろう。

シオンは剣を止める。クラーケンが隙を狙って左側面から触手を叩きこもうとする。

彼は微動だにしない。左手に意力を集約させ―――クラーケンの触手を裏拳で軽く弾いた。

「……」

「う、嘘でしょ……!?」

コルツは言葉を失い、レナは信じられないものを見るような目になる。

シオンは防御障壁を張ることもなく、意力で強化した肉体だけでクラーケンの触手を弾いたのだ。

コルツの場合は障壁を砕かれた上、意力で肉体強化をしたにも関わらず重傷を負ったというのに。

何故、彼は負傷しなかったのか?それは、意力の総量が桁外れだからだ。

あまりにも莫大な意力が左手に込められており、クラーケンの触手では彼の肉体強化を突破するには攻撃力が足りなかったということだ。

触手を弾かれ、バランスを崩したクラーケンの巨体。この機を逃すシオンではない。

意刃を海面に突き立てる。その身体からは莫大な意力が放出され、巨大な水柱が発生―――クラーケンの巨体が水柱によって上空高く押し上げられる。

誰もが目の前の光景から目を離せない。眼前で繰り広げられる人外魔境の戦いに開いた口が塞がらない。

上空高く舞うクラーケン。シオンは意刃を構える―――刀身に伝う白い意力が炎のような赤い意力へと変化する。

ザッシュはその変化に見覚えがあった。そう、アヴェルがジスとの戦いで見せたものと同じだ。

「終刃―――熾天」

炎の意刃を上空に向けて振るうと、込められた赤い意力が刀身から飛び立つ。

赤い意力は徐々に姿を変え、巨大な赤い鳥へと姿を変えた。灰の中から蘇るという伝説を持つ不死鳥の姿に。

“熾天”―――不死鳥を象った意力を敵に飛ばすディアス流剣術の奥義である。

アヴェルがジスに放ったものも相当のものだったが、シオンの放つそれはアヴェルの放つものとは更に別格だ。

クラーケンの巨体がまるで小さく見えるほどの体躯を持つ不死鳥は、クラーケンを容易く飲み込むと存在そのものを無に帰した。

「いやはや……たまげたねぇ」

唖然としているレナ達のところにザッシュが戻ってくる。

シオンのことだから負けないとは思っていたが、とんでもない光景を見せてくれるものだ。

コルツがポツリと呟いた。

「―――神炎(かみのほのお)

「「え?」」

「我が祖先ラズ・シャルフィドが遺した手記に記されていた。かつて、大陸中央に神炎と呼ばれたセイバーが居たという。そのセイバーは赤い髪を持ち、白い外套に身を包んでいたという」

「そ、それってシオンさんそっくりじゃない!?」

「伯父さん、それって500年ぐらい前のこと?」

「あ、ああ……そうだ」

「(いや、それってどう聞いても、ねぇ……)」

500年前と言えば、シオンがディアス家当主を務めていた頃だ。そして、シオンはザッシュの祖先であるラズとは知り合いである。

ならば、手記に記されていた神炎というセイバーは、どう考えても―――。










翌日―――港町ミライの新聞はクラーケン討伐の記事が記載され、町に住む人々の話題はそのことで持ち切りだった。

伝承級ブレイカー討伐の功労者の顔を見ようと、町のセイバー支部には多くの人々が詰めかけていた。

そんな外の様子とは裏腹に、支部長室に集う面々。

シオンとザッシュを除くと、その場に居たのは支部長とコルツ、レナの3人だ。

クラーケンを討伐したとなれば、莫大な報酬が支払われるだろう。流石に一括で払うのは無理なので手続きをしようとしたところ―――。

「いや、特に金に困ってはいない。それよりも途轍もなく重要な品を早急に頂きたい」

「そ、それは一体……?」

ゴクリと唾を飲み込む支部長。コルツとレナも緊張し、汗を垂らしている。

彼は報酬よりも途轍もなく重要な品を求めている。その品物とは―――?

「緑茶の茶葉が欲しい。早急に頼む」

頭を下げるシオン。支部長とコルツ、レナが椅子から転げ落ちた。

予想通りの展開に、ザッシュはゲラゲラと笑っていた。

「し、シオンくん……ま、マジに緑茶の茶葉が目当てだったんだw」

「当たり前だ。俺にとって緑茶が飲めんのは死活問題だ!」

シオンは真顔で言い切る。この男にとって、緑茶を飲むことは生き甲斐なのだ。

町を救ってくれた英雄の求める報酬が緑茶の茶葉―――とは、流石の支部長も面食らっていた。

「というワケで支部長、早急に緑茶の茶葉を頂きたい。出来れば美味い銘柄や珍しい銘柄を頼みたい」

更に翌日―――アークシティに帰る為に、シオンとザッシュは空港に来ていた。

シオンは喜々とした表情であるものを見つめていた。彼が報酬として受け取った緑茶の茶葉が入った緑茶缶である。

数種類あり、どれも美味と評判、珍しい銘柄ばかりだ。

呆れた表情で見つめるザッシュ。大陸中を見渡しても、緑茶の為にブレイカー討伐をするのはこの男くらいのものだろう。

「シオンくん、ひとつ聞きたいんだけど―――神炎ってセイバーに心当たりない?」

その言葉を聞いたシオンは視線を逸らした。

「いーや、知らん。そんなセイバーのことなんぞ1ミリも知らんな」

「伯父さんの話だと、500年前に大陸中央で活躍した赤髪のセイバーらしいんだけど」

「さっぱり知らん。お前の目の前に居る男ではない」

「いや、それ答え言ってるようなもんだよ」

「ぬう……バレたか」

「いやいや、自分でバラしたんでしょうが……」

「周囲が勝手に呼び始めた異名だ。俺はそんなこっ恥ずかしい通り名はいらんというのに……」

元の時代、ブレイカーから救ったひとりの子供が、シオンをそう呼ぶようなったのが切っ掛けだという。

それが次第に広まり、彼の異名となった。当のシオンは辟易しているが。

「僕の御先祖様が遺した手記に神炎ってセイバーについて書かれていたんだって」

「ラズが遺した手記か……。野生の熊に勝つ為、お前の先祖が野生に生きていた話は書いてなかったのか?」

「言っとくけど、僕はその話信じちゃいないからね!?」

以前聞いたラズ・シャルフィドの話。ザッシュはやはり信じていないようだ(笑)。

そうこう話している内に、飛行船の出発時間が近付いて来た。そろそろ搭乗するとしよう。

ふと、こちらに近付いて来る意力を感知する。コルツとレナだ。

「ふたりとも、見送りに来てくれたんだ」

「そりゃそうよ。ていうか、こんな朝早くに帰んなくても……」

「すまないな、出来れば観光でもしたいところなんだが……早く帰らないと、アークシティで仕事をしている他の面々から睨まれてしまう」

「そうそう、早く帰んないとまたリューちゃんにアッパーカット決められちゃうからね」

「あー……前言ってたザッシュ兄ちゃんイチオシの人?」

「うん、そうだよ!眼鏡美人の上にドSでツンデレっていう神属性の持ち主だよ(*´Д`)!」

ハァハァと息を荒くしながら熱弁する伊達男。ドン引きする従妹。

そんなふたりとは対照的に、シオンとコルツは握手していた。

「シオンくん、町の危機を救ってくれて心から感謝する。観光に来る機会があれば、町総出で君を出迎えるつもりだ」

「それは有難い」

かくして、港町を襲った危機はふたりのセイバーによって解決した。

伝承級ブレイカー討伐の功績でシオンの名は更に知れ渡ることになるが、当のシオンは入手した緑茶缶の方に御執心であった。

出発し、小さくなっていく飛行船を見つめるレナ。

「父さん、帰ったら稽古つけてくれる?」

「ん?どうしたんだ、突然」

「あのおちゃらけ従兄には負けてらんないからね」

「やれやれ……」

数年後のことになるが、この港町に再びブレイカーによる襲撃が発生する。

その時、刀を携えた女傑によってブレイカーは討伐されることになる。その女傑が誰であるかは……これを読んでいる読者諸君の御想像にお任せしよう。










―――450年前、ラズ・シャルフィドの生家。

70歳を迎えたラズ・シャルフィドは、自室の机の上で手記を認めていた。

近年は身体の調子が悪い。いよいよ、この世との別れが近いのかもしれない。

彼は神炎と呼ばれたセイバーに関する内容を書き記している。ただし、この手記を表に出す気はない。

何故なら、そのセイバーに関する記録は一切残すことが出来ないからである。

「(何故、彼に関する記録を残してはならないのだろうか。彼の弟と彼の盟友は、どうして彼の記録、痕跡を消そうとしているのだろうか―――)」

神炎と呼ばれたセイバーに関する資料はその殆どが抹消され、彼が最も活躍していた大陸中央には一切残されていない。

彼が何をしたというのだろうか?彼はセイバーとして多くの功績を残し、人々から称賛されていた男だというのに。

「(あの世に行けば、彼と再会出来るやもしれん。その時は、酒でも酌み交わそう)」

手記を閉じ、ラズは部屋から出ていく―――彼は知らない。

神炎と呼ばれる男が生きていることを。遥か先の未来で戦い続けているなど、知る由もなかった。



・2023年04月17日/文章を修正しました。



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