『科学と魔法と――』
――― 記憶の落し物(その5) ―――
シーアークの治安維持を担う兵士団。その戦力、練度は決して低くはない。
むしろシステマティックされた連携と最新鋭の魔道具により、帝都の防衛軍にも引けをとらないレベルを維持している。
しかし、その兵士たちはたった一つの存在に翻弄されている。
「第一陣、後退!! 目標は4ヤード先の商店街で迷っているはずです」
「時間稼ぎにしかならんか。衛生班!! 死者は!!」
「ゼロです。しかしいつまで保つか……医療術師も足りません」
シーアークの領地内に進入した暴食者と兵士団の戦闘が始まり十数分。このわずかな時間の間に兵士団の兵力は3分の1を失っていた。
持っている武器では傷を付けることは叶わず、防具も暴食者の腕力の前では脆すぎた。
練度の高さが幸いして大きな混乱を起こすことが無かったが、それでも被害の大きさを考えるとあまり意味は無い。
その暴食者は何をなすでもなく、ただひたすらに暴れまわり、その背後には血のまだら道が続いている。
「第二陣!! なんとしてでもココで仕留める!」
「うぉぉおおおっ!!」
負傷者のうめき声と指揮官の怒号が飛び交う臨時拠点から指揮官の号令と共に駆け出す剣士に、遠距離魔法の準備を行う術師が続く。
シーアークは……まさに戦場と化していた。
森林、渓谷、荒野、湖畔など、シーアーク内部は市外にもかかわらず自然に恵まれ、地形も起伏に富んでいる。
これまでに死者が出ていないのは、これらの土地勘を生かした地の利を利用して戦っていることもある。
しかし、長くこの都市に住んでいる兵士ならともかく、配属されたばかりの新人兵士にとってはそうは行かない。
そして運が悪いことに、そんな兵士が『戦場』に取り残されていた。
隠れる場所の少ない大通りを一直線に走っている少年兵士。
その顔には焦燥と恐怖が浮かんでおり、必死に拠点への道をまっすぐに進んでいた。
本来であれば、入り組んだ路地を介して撤退しているはずだった。
しかし、ほんの些細な不注意で本隊からはぐれ、さらに運の悪いことに暴食者と遭遇してしまっていたのだ。
脇目も振らず一心不乱に走っていた少年兵だったが、ふと後ろにあったはずの気配が消えていることに気付く。
「ま……撒いた?」
恐る恐る後ろを見ても、暴食者は視界の内に存在しない。それを確認したとたん、少年兵の体を疲労感が襲った。
「はぁ……はぁ……」
少年兵は近くにあった路地の影に身を隠し、腰を下ろす。
シーアークといえばアルカンシェラの中でも最も治安の良い地域になる。その治安を維持しているのが兵士団であり、優秀な精鋭揃いであった。
少年兵は一旗上げようと地方を出て、その兵士団に入隊しようと考えた。
エリートになれてなおかつ仕事が楽であるという”旨い話”だったというのが一番の理由ではあったが。
幸いにも魔法の腕はそこそこあったので無事入隊出来、これから順風満帆な生活が待っている……と思ったのだが――
その矢先に暴食者の襲撃。そんな今の状況など、少年兵にとっては話が違う以外の何者でもない。
「なんで……何でこんなことに――」
少年が悪態を吐く。魔獣などの襲撃は少年兵も考えていなかったわけではない。
でも、このシーアークの兵士団なら大した問題も無く対処出来るだろうし、入隊したての自分にそれ程危険が及ばないと思っていた。
だが、今回はその兵士団すら想定していなかった相手。そして、この状況に思わず悪態が漏れてしまったのだ。
そんな時、何かの影が少年の隠れている路地に差し込んでくる。
「え?」
何の影が差し込んだのか。この状況では可能性は一つしかない。そしてそれは直ぐに少年兵と対面することとなった。
「キシィィイ……」
低く響く金きり音のような鳴き声。
それを聞いた少年兵は顔を青くし、その場から走り出そうとして、背後からの打撃に視界が動転した。
「あ、ぐぅ……」
自分の平衡感覚が痛覚によって遮られ、自分が倒れ付したことを理解するのに数秒を要した。
少年兵は意識を持っていかれそうになりながらもなんとか立ち上がり、衝撃の正体である暴食者の方を見る。
暴食者は前傾姿勢をとっていた。足を折りたたみ、追い詰めた獲物を仕留める肉食動物特有の構え。
次の瞬間、青白い無機質な体躯がうなりを上げ突き進んできた。
「うわぁっ!!?」
悲鳴と同時に辺りに響き渡る衝撃音。
死を覚悟していた少年兵は、それがいつまで経ってもやってこない事に気付き、恐る恐る目を開ける。
そこには、一人の男の背中があった。
赤いジャケットを羽織った青い髪の男。佐倉木 零司は振り下ろされた暴食者の掌に、剣を突き立て防いでいたのである。
「は、早くっ、早く逃げろっ! 無理っ! 頼むからっ!」
何が起こったか理解出来ていない少年兵に叫ぶ零司。その声は上ずり震え、出てきた台詞はもはや泣き言。
少年兵はその理由がわからず、思わず呆気にとられてしまう。
「た……頼むから、早く逃げて――」
もっとも、零司がそんな風になってしまうのも仕方が無かった。
暴食者が力を入れるたびに剣が掌にめり込むが、暴食者は構わず剣ごと零司を捻りつぶそうと圧力を掛けてくる。
何とか抗ってはいるものの体格差は明らかであり、主に腕と足の筋肉が悲鳴を上げて全身が震えている。
そのことに少年兵は気付かないものの、やばいと感じて重い足を引きずりながらも何とか走り出し、その場を離脱した。
「よ、よっしゃ――っはぁぁ!!」
それを確認した零司は剣を横にそらし、暴食者の力を受け流しその場から離脱した。
受け流された掌は石畳を砕き、つぶてを弾き飛ばし、後にはクレーターが生まれていた。
「うぅぅ……しゃ、洒落になってねぇな、コレ」
そばに居るのは危険と判断して一足跳びに暴食者から距離を取るものの、この後にどうするかで悩んでしまう。
ここでの遭遇はイレギュラー。遭遇だけならまだしも交戦などはするはずではなかった。
それでも暴食者へ戦いを挑んだのは、ひとえに犠牲者を出さないためである。
襲われている人を見た。それだけで動かないわけには行かない。
「はぁ…後は野となれ山となれ――か」
そんなことを漏らしつつ、剣を構える。まずはスピードで引っ掻き回す。
そう思った矢先――
『キシィィィイ!!』
「うおぉおぉぉぉ!!?」
暴食者が追撃をかけるように踏み込み、振り回される暴食者の両腕を危うい所で回避する零司。
その表情は明らかに引きつっており、余裕が無いのは見て取れた。
「というか、想像より……速ぇ!?」
思わず悲鳴のようなツッコミが出るが、零司のツッコミもある意味当然とも言える。
零司の当初の予定では暴食者の元へ行き、自分が考えた策の準備が整うまで足止めをしようとしたのだが――
見通しが甘かったと判断せざるを得なかった。というのも、暴食者の暴れっぷりが半端無かった。
これまでからもわかるとおり、振り回される両腕はあらゆる物を砕き、地面を大きく抉っている。
そんな物を受けたらどうなるかは当然想像したくも無いので、零司は必死に避けていた。
が、素手というのもあるのだろうが、振り回される両腕が速すぎた。それこそ、強風の時に聞こえるような風切り音が響くくらいに。
このスピードに腕の重量が乗ってくるのだからたまったものではない。
また、暴食者自体の動きも予想以上に速く、おかげでただ躱すだけでも困難を強いられている。
かといって逃げることは出来ない。それは零司の責任感もあるが、それとは別にそうせざるおえない状況でもあったからだった。
というのもシーアークを守る兵士達の被害が既に大きいものとなっていたのだ。
零司としてはこれ以上の被害を抑えたかったので、この状況になった時点で既に逃げることは思考の外である。
「うおぉぉおぉぉ!!」
それでもなんとか回避ざまに反撃を試みたりするのだが――
『キシィィィ!!?』
「くっ、硬ぇ……」
兵士達がそうであったように零司も分厚い塊を殴ったような感触を感じるだけ。
リヴェイアから受け取った剣では暴食者に傷を付けることが出来ないので自分の武器を使いたくなる衝動に駆られる。
だが、エーテルを使う零司の武器ではダメージどころか逆に餌を与えることになりかねない。
結局、兵士達の被害を抑える意味でも自分を囮にする形で逃げ回るしか出来ずにいたのだ。
「そこ、離れろ!」
「へ?って、おわぁ!?」
「キィィィィイィィィ!!?」
いきなり声が聞こえてきたかと思うと光球が飛んできてそのまま暴食者に当たり、爆発と炎をまき散らした。
そのことに驚きながらもなんとか逃れた零司。辺りにはいつの間にかシーアークの兵士団が隊列を組み、暴食者と零司を包囲している。
今の光弾は魔法部隊の放ったものだろう。暴食者が居た辺りには煙が立ち込め、付近の建物に穴が開いていた。
それだけでも今の攻撃魔法の威力が高かったことを見て取れる。
だが、零司は険しい表情を崩さず、体勢を立て直して暴食者がいた方へと顔を向け直した。
なぜなら――
「効いてない……わけじゃないようだけど、やっぱりそうだよな」
そこには何事も無かったかのように立つ暴食者の姿が煙の隙間から覗いていた。
このことは予想はしてたものの、零司としてはため息を漏らさずにはいられない。
ただ、ある程度は効いているらしく、あれほど暴れていた暴食者が動きを止めて警戒しているような様子を見せていたが。
「次! 急いでくれ!」
「わかっている! でも、あれに効く物となると時間が掛かる! どうにかして時間を稼いでくれ!」
一方で兵士や魔法使いからそんな話が聞こえてきた。この世界では魔法は礼法、契法、儀法の3つに分類される。
礼法は大雑把に言えば呪文1つで魔法が使える、言わば初級魔法に分類される物。
ただ、初級魔法といっても、込める魔力を高めることでその威力や効果を高めることも出来る。
契法は基本的に礼法と変わらないが呪文の長さが桁違いであり、物によっては数分では終えられないのもある。
その代わり威力は礼法の比では無く、その気になれば村一つ消し飛ばせるのもあるのだが。
その分、魔力の消費も激しく、使えるのは高位の神類か高い魔力容量を持つ一部の魔法使いくらいである。
なお、この契法は専用の魔法道具があれば呪文をある程度省略出来たり、本来使えない者でも使えるようになったりする。
儀法は魔法というよりも儀式に近く、専用の魔方陣や道具も用いなければならず、なおかつ契法よりも長い呪文と高い魔力を用いなければならない。
その為、その効果は時として奇跡に近い物を起こすことも可能なのだが、一部を除いて失われた魔法技術でもあったりする。
それはそれとして、礼法にしろ契法にしろ、あの暴食者に効く威力となるとそれなりに時間を掛けなければならない。
当然ながら、それは致命的な隙になりうる。となれば、零司のやることはただ1つ――
「おい! この先で罠を仕掛けているんだ! なんとか、そこに誘い込んでくれ!」
「聞いている! だが、準備にまだ時間が掛かる! 私達はそれまでの足止めだ!」
囮となって時間を稼ぐ為に暴食者の前に立ち、なおかつ今後の策のことを伝える零司。
そう、零司が考えた策とは暴食者に罠を仕掛けることであった。それも必殺の罠を。
問題はその罠が確実に必殺となりえるかどうかだ。大型の魔獣をも殺せる物を用意してるが、頑強な暴食者に通じるかはわからない。
だが、それに賭けるしかなかったのだが、兵士から返ってきた返事に零司は顔を歪ませる思いであった。
自分が考えた策故に用意に時間が掛かるのはわかっていた。それは魔法を使ったとしてもだ。
だからこそ、時間稼ぎの為に自分が足止めとなって前に出たのだが――
「わかった! 俺が前に出るから、援護を頼む!」
「当然だ! 魔法砲撃隊、準備急げ!」
零司の叫びに兵士が答え、それと共に攻撃の準備を進める。
こうなった以上、罠の設置が早く終わることを祈るしかない。その時間を稼ぐ為にも、零司としては足止めを続けるしかなかった。
ただし、先程のやりとりで自分だけでは厳しいと判断し、援護を頼んだが――
(頼む。早く終わってくれ)
思わずそんなことを願いながら、零司は駆け出す。目の前に立つ暴食者を止める為の時間を稼ぐために――
「急いで! 足止めが出ているけど、のんびりしている暇は無いわ!」
「リヴェイア様、予定量の火薬の精製終わりました!」
「準備が出来た所から設置していって。導火線も忘れずに!」
「はい!」
一方、罠の設置場所ではリヴェイアが指示を出し、設置を急いでいる最中であった。
零司や兵士達が暴食者の足止めに向かったが、リヴェイアの考えではそれほど長くは出来ないと考えていた。
当然、罠の設置に時間が掛かるわけにはいかない。幸いにも火薬の精製が早く終わったが、もう1つの方に時間を取られてしまっている。
だが、このもう1つの方は暴食者の撃退に必要な物故、手を抜くことが出来ない。だからこそ、時間が掛かっているのだが。
「ユーティリアがなんとかなれば、こんな苦労をしなくても良かったのでしょうけど」
思わずため息を漏らしてしまうリヴェイアだが、今のユーティリアに頼るのは酷であるのも事実だ。
今もユーティリアは離れた場所で怯えているはずなのだから――
だから、自分達が出来る限りを尽くそう。それが自分にとってユーティリアへの罪滅ぼしになる。
切っ掛けはなんであれ、ユーティリアがああなってしまったのは自分にも責任があるのだから――
そんなことを考えつつもリヴェイアは準備を進める。暴食者を倒す為に。
「零司……リヴェイア……」
そのユーティリアはといえば、今はフィオナに連れてこられた部屋の中にいた。
今は落ち着きを取り戻しているものの、不安そうな顔でソファーに座っている。
実際に不安だった。零司やリヴェイアが無事でいるのかが。それを確かめる為にも、その場に向かった方がいいのはわかっている。
でも、出来なかった。暴食者がいる。ただ、それだけで無性に怖くなる。あの時、リヴェイアを焼いてしまった光景を思い出される。
海であったはずの場所に穿たれた2kmにも及ぶ巨大な孔と燃え盛る炎。
それは『彼女』ごと暴食者達を吹き飛ばした跡だった。
なのに……居たのだ。傷一つ負わず、こちらへ深緑の眼光を放つ巨大な青白い影が――
その刻み込まれた光景がフラッシュバックを起こし、ユーティリアは立ち上がろうとする意思を挫かれる。
ユーティリア自身、なんとかしたかった。でも、それをしていいのかわからない。
自分が行ったら、また同じようなことが起こりそうな気がしてしまって。だから、動けなかった。その、はずだった――
「あ……」
急に言い知れぬ不安が襲い掛かってくる。それがどんなものかは言い表せないほど、不可解な物。
でも、漠然と怖くなっていく。暴食者の物とは違う意味での恐怖が全身を駆け抜けるような感じで。
そのせいで足がすくみそうになる。だが、ユーティリアは歩き出していた。
暴食者以上の恐怖が這い寄ってくる。それから逃れるように、ふらふらとした足取りで――
「零司……リヴェイア……ダメ……」
思わず涙を浮かべながら、ユーティリアは歩き続ける。
運命が待つ場所へと――
あとがき
■
どうも、DRTです。こちらは実に4ヶ月ぶりとなりました。
今回キ之助さんが6割ほど書いております。で、4割の私が時間掛かってどうするよ^^;
まぁ、なんやかんやとありましたが、次回は今回の章の最終回。零司達は暴食者を倒せるのか?
こうご期待ください。うん、今度は1ヶ月の間までにはなんとか――
■
どうも、キ之助です。
SSもやっているのですが他にも色々やっているせいで時間かかってます。
もっと色々スピードが欲しいなーと思う今日この頃です。
今後もっと暴食者を怖いものにしたいなぁ(チラッチラッ。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m