『みんなとフィッシング』
(総合パート/後編)
◇◇
私は、黒桐さんが気を遣ってくれたのか、御上さんと二人チームで午後の挑戦をすることになっていた。
「黒桐さん、いいんですか? お兄さんと2人きりになれませんよ」
「大丈夫よ藤乃、私に気遣いは無用よ。時間を有功に使ってね」
私は悪いと思いつつ、黒桐さんがくれた機会を喜んでもらうことにした。なぜなら、もう少しで境界を越えられそうだから……彼に気持ちをぶるけることができそうなのだ。
御上さんが私の気持ちに応えてくれるかどうかという不安は消えないけど、そう思っていれば前には進めない。
「あのう御上さん、なかなかお魚さんが掛かってくれないんですけど、何がいけないか教えてくれますか?」
内心でため息が出た。私は何を言っているのだろう。気持ちをぶつける決意が空回りしている。
結局、私は何も前進しない状態で一日を終えてしまうのだろうか?
それはいやだ。ようやく心を落ち着ける人に再び出会えたのに、何にも進展せずに明日以降を生きていくなんてとても耐えられない。
「黒桐さん……」
私は、つい親友に助けを求めるように視線を泳がせてしまった。彼女は私と目が合うなり、悲しい目つきで「はあ」とため息をついて頭を振る。
「どういう……こと?」
親友が憂いな反応を示すなんて初めてだ。私が視線を向けると励ますように笑顔を向けてくれるか、ちょっと控えめに手を振ってくれるはずなのに……
まるで懸念を表明されたような……
なんだろう? 御上さんが私にアドバイスする傍らで、親友が示したメッセージを理解しようとした。
「なに?」
黒桐さんが意味もなくあんな顔をするはずがない。私は少し考え込んでしまうけど、それはもしかしたら私の焦りのような気持ちに警告を発したのではないかと思い至った。
そう、黒桐さんは私にエールを送りつつ、つぶさに私の言動や行動を見守っていたのだと思う。鋭い黒桐さんのこと、結果を得ようと躍起になる私の心理を把握したとしても不思議ではない。
「ふう……」
私は、おもわず深呼吸をした。冷気をおもいっきり吸い込んで自分の高ぶるだけの感情を抑えようとした。
「あれ、どうしたの?」
当然、御上さんは聞いてくる。
「いえ、ちょっと自分の気持ちをリセットしようと思いました」
「リセット?……なるほど、気持ちを切り替えることはいいことだよ」
「はい」
私は、新鮮な気持ちになって笑顔を向けると、彼も同じように温かく微笑んでくれる。
「浅上藤乃がほしいのは押し付けではない愛情」
私は、成果ばかりを気にしていた。本来、人と人との繋がりは短期間で形成されるものではない。好き嫌いは別にして、まずはお互いに信頼関係を築くことが大切なのだ。その
お互いを知るという行為を繰り返すことで深い信頼関係が形成される。
そう、簡単には揺らぐことのない繋がりだ。それは友情であったり、恋愛であったりする。
私が「好ましい」といえば御上さんは無条件で頷いてくれるだろう。
でもそれは彼の優しさからくる他人へのいたわりの気持ちであって、浅上藤乃への本心ではない。私が手に入れたいのは、そんな形式の感情ではないのだから……
「じゃあ、ふじのちゃん、だいたい分かったところで実践してみよう」
「はい、御上さん!」
私は竿を握り、目標を定める。黒桐さんが私を見ていて、視線を合わせると今度は笑顔で応じてくれた。
ありがとう黒桐さん、わたし、もう少しで失敗するところでした。
私は竿を振った。ルアーが目標に向ってまっすぐ飛んだのがとても嬉しかった。
休憩時間まで私の釣果は散々だった。午前中とは違う精神状態が災いしたと思う。
「鮮花、集中力の特訓になるぞ」
と師にも言われて釣りをしたけど、午後は煩悩が溢れすぎて絶賛残念状態だった。
いや、午前中を上回る兄からのマンツーマン指導を受けて完全に舞い上がったというか、制御不能だっというか……反省点は多い。
さらにその不調ぶりに拍車をかけたのは、両儀式の好調ぶりだった。式は午前中の不調をはるかに凌ぐ15匹を釣り上げ、ビギナー女子の間で一番に成り上がったのだ!!
「まったく、あの女はいやみったらしく私に向ってニヤリとか笑うんだからぁ!!午前中は一匹しか釣れなかったクセに、たまたま選んだルアーが当たったからって調子に乗りすぎよ!」
藤乃と販売機に向かう途上、思わず盛大にグチってしまった。
「ご、ごめんね藤乃……」
「いいんです。私も普段いろいろ言っているし」
「そうだっけ?」
「ええ、さっきだって、ね?」
「そうね」
お互いに笑いあって販売機に続く階段を上る。川を整備した釣り場は野趣溢れる反面、メインの受付場所やその他施設からはやや遠い。販売機だけなら近くにもあるけど、トイレに行くには不便だ。
が、なにより私たちが総合受付の管理棟を目指すのは別の理由があった。藤乃の話だと受付の横に掲示板があり、ここの釣りに関する釣り人の報告書のようなノートと必釣方法を解説したパンフレットがあったというのだ。
「よく見ていたわね」
「御上さんと受付をしているときに見つけたんです。今までなんだか分かっていませんでしたけど」
私たちは、兄と御上さんの指導のおかげもあって初めてにしてはずい分と釣っていると思う。周囲の落差を考慮すれば調子がいいほうだ。
さらに腕を上げるには、当然、兄たちにさらに指導を受けるのが早いことは早いが、自分たちで情報を集めて工夫することも重要だ。
おおよその釣り方がわかってきたところでもあるし、必釣法とやらを拝見してこれからの釣りに役立つのであれば──両儀式打倒に繋がるのであれば見に行く価値ありと判断したのだ。
私たちは、近道となる東側の駐車場を通って施設に向う。此処の敷地は広く、駐車場もメインとなる北側も含めて数箇所あるようだ。駐車場はほとんど満車状態で、大きな四輪駆動車が多いせいで視界はあまりよくない。
しばらく歩くと、前方からカップルらしい男女が周囲をうろうろとうかがっている光景に出くわした。
「どうしました?」
そのまま通り過ぎてもよかったのかもしれない。が、2人は心底困った顔をしていたので声を掛けることにした。
最初、2人は何事もなさそうに返事をしたけれど、きっと伝えておけば見つかるのも早いと考えたのだろう、私たちに衝撃的なことを話してくれた。
「えっ! タックルを盗まれた?」
「そうなんです。ちょっと休憩するつもりでその辺りに立て掛けておいたのも悪いんだけど……」
通常なら簡単に盗まれるものではないと思うけど。道具っていのはこだわりを持つほど複雑で高価になってしまうものだ。私と藤乃が御上さんから借りている道具だって1セット3万円もする。カップルの持っていた道具は1セット7万円だとか……昨今のつりブームもあるし、十分盗まれた可能性は高い。
一応、その特徴を聞いたけれど、私たちが目にしてもとうてい違いを見極めることができそうにもない。
「それから……」
彼氏のほうが思い出したように話してくれたのは、リールの側面にハートマークのシールをそれぞれ貼ってあるということだった。
「わかりました。私たちも注意してみます」
「ありがとう」
と彼氏はお礼をいってくれたけど、目撃もされていないようなので悲観そうだった。管理の人には伝えたらしいけど、すでに10分以上経過しているとなると、これだけの人と車の量だと見つかる可能性は低いだろう。
そう思っていたら……
「あれ?」
管理棟から戻る途中、ごくさり気なさそうに黒いニット帽とサングラスをした男の人とすれ違ったとき、私がたまたま警戒していたのが幸いしたのか、その人が持っているタックルのリールにハートマークのシールを見たような気がした。
みまちがえ? でも聞いた特徴の竿とリールに思えたし……
ちょっと距離が開いたところで藤乃にそのことを話した。
「黒桐さん、間違いありません?」
「じっくり見たわけじゃないから確信がないけど、ハートのシール貼ってある人なんて滅多にいないと思うし……」
「確かめる必要、ありますね」
「そうね。ちょっと後をつけましょう。それに気になることもあるし」
「?」
それは、似たような装いの連中を午前中に数名見た記憶があったからだ。いかにも上級者そうな格好をしていたけど、竿の持ち方が初心者のようだったのだ。だから違和感を感じて記憶に残っていた。それにもう一本の行方も気がかりだ。
「ねえ、藤乃。あなたはさっきのカップルを捜して呼んできてほしいの。私はあの男を尾行してみるわ」
「大丈夫でしょうか?」
「慎重にするわ。あれがあのカップルの物かどうか確認するには持ち主が一番よ」
「分かりました。連絡は?」
「携帯、持っているわよね?」
「はい、一応」
私と藤乃は二手に分かれた。
◇
藤乃はもと来た方向に駆けていく。私はその姿を短く見送ると、遠ざかりつつある怪しい男の後をすぐに追った。あまり急ぎすぎるのもよくない。男の後姿が適度にみえたところで距離を保つ。男は、受付のある管理棟方向に向かっているようだった。
ときどき、周囲をうかがう以外に怪しい行動はない。竿の柄の部分をもって剣を従えるような特徴的な持ち方をしながら歩いていく。あの持ち方だと背中の部分に隠すようになるので、よほどの近距離でなければ持ち主でも判別が難しいだろう。
「あれ?」
男はメインの駐車場の手前で仲間らしき男と合流した。なにか話をしているけどよく聞こえない。けれど合流した男の手に握られていたのは尾行してきた男が持っているタックルとよく似ている。
「別々に盗んだ?」
いや、それはおかしい。あの様子からすると仲間であることは疑いがない。たぶん、わざわざ別々に持っていたのだろう。そうすることで注意を分散させ、怪しまれないように別のルートを辿って駐車場に戻ってくるためだろう。
「もしかしてただの窃盗犯じゃない?」
私はそう思いつつ、もう一人の男が持っているタックルがあのカップルのものだという確信を得るため、管理棟に足を運ぶ釣り人を演出しつつ、すれ違いざまにタックルを素早く鑑定した。
「やっぱり間違いないわ。リールにハートのシールが貼ってあった」
男2人は油断でもしていたのか、私が通り過ぎるときに死角からタックルをはなしたのだ。おかげで私はしっかりと証拠を確認することができた。
それでも勇んで指摘するようなことはしない。まだ早い。はぐらかされたらお終いだ。藤乃がはやくカップルを連れて来られればいいけど……
どうも間に合わないようだった。雑談を交わし終えたらしい男たちは動きだすと、駐車場のもっとも外周寄りにある数台の四輪駆動車に囲まれた一角に移動してしまう。二人の男が立つ前にはツートンカラーのワンボックスカーが止まっている。
「いけない、もしかしたらここから逃げるつもりかも」
私は、おもわず車の影から飛び出していた。
「ちょっと待ってください。そのお持ちのタックルですけど、私の知人がさっき盗まれたものとまったく同じなんですけど」
男たちは虚を突かれたような顔をしていたけど、「何を言っているんだ」とばかりに私をにらみつけた。
「ちょっとお嬢さん、言いがかりはよしてくれ。人を呼ぶぞ」
黒いニット帽を被った男が凄みのある声で私を脅かした。もう一人の派手なニット帽を被った男はタックルを受け取るとさっさと仕舞おうとする。
「言いがかりじゃありません。証拠にそのリールにはハートマークのシールが二つのリールに同じ場所に貼ってあります。それが動かない証拠です」
男たちは、私の指摘に動揺してうっかりシールを探してしまう。
「……シ、シールなんか付けているやつはいくらでもいる。黙らないと痛い目に遭うぞ」
私は怯まない。男たちは自分たちが犯人だと認めてしまったのだ。まさかかよわい美少女に追及されるとは考えてもいなかったのだろう。それに、男同士でハートマークのシール貼っているなんて、いったいどういう関係よ!
「ではちょっと待っていていただけませんか。友人が持ち主を連れてきますので。もし違うというならはっきりさせましょう。人来るのは問題ないはずですよね」
男たちの顔が大きく歪んだ。内心で舌打ちしているのが手に取るようだ。
しかし、ここまで容疑者を追い詰めると逃亡しかねない状況だ。私は人を呼ぶことにした。
「!!!!」
声が出なかった。不意に背後から口をふさがれ、羽交い絞めにされてしまったのだ。
「おい、なにがあった」
そう、仲間がもう一人いたのだ。目の前にいる容疑者に集中していて気づくのが遅れてしまった! 不覚としか言いようがない。
私は、容疑者の一人に口をふさがれた状態でワンボックスカーの扉まで引きずられていた。周囲に人の気配はなく、なにより四輪駆動車に囲まれているせいで外からは死角になっている。
しまった! どうしよう……
「どうやら見られていたらしいぞ。早くヤツに連絡しろ。ここに留まっていると厄介だ」
容疑者の一人が言った。もう一人いるの?
「で、この娘はどうする? もうこの状況じゃあどうにもならんぞ」
「車に押し込め。適当な場所で放置だ。どうせ顔はグラサンとニット帽でわからんさ」
腹が立つけど、たしかにこのまま逃げられたら目撃者を失う分だけ、彼らの逃亡を簡単に許してしまうだろう。私だってどうなるかわからない。
容疑者の一人がスライド式のドアを開けた。その内部を目にしてとっさに思ったことは、
「こいつらただの窃盗犯じゃない。車上荒しだ」という事実だった。CDプレイヤーや財布がいくつもある。
「大人しくはいってもらおうか。心配するな、ここから離れたら解放してやる」
私は、踏ん張って抵抗を試みるが、もう一人の男に猿轡をされた挙句に一気に押し込められそうになる。
「黒桐さん!」
一斉に声のほうに振り向いた男たちのすきを見逃さなかった。一瞬、空いたスペースを利用して男のみぞおちに肘鉄を食らわせ、怯んだすきに車外に脱出した。
「ふじの、下がって!」
間一髪で助けに来てくれた親友をそれ以上近づかないように指示をし、今度は男たちを捕まえるために体勢を整えようとした……けど……
男たちは、まだ現われない仲間を置き去りにして車に乗り込み、エンジンをスタートさせ、荒々しく急発進した。前に止めてある車にぶつかり、タイヤの摩擦で生じたいやなに
おいと白い煙があたりに漂う。
「黒桐さん、あぶないっ!」
私は、藤乃の声でかろうじて身体を翻して衝突を回避したけど、そのせいで完全に体勢を崩して男たちを捕まえるどころではなくなってしまった。
「なんとかナンバーだけでも……」
そう思ったけど、私が起き上がったとき、すでに車のナンバープレートを容易に視認できない距離まで開いてしまっていた。
「逃げられちゃった……」
悔しい! 自分の不注意も原因だけど……
私は唇をかみ締めて逃走する車を見送るしかなかった……
と思ったら、車の前に人影が立ちはだかったではないか!
◆◆
私は、幹也と御上の視界に入らないよう上流に向って歩いていた。すでに太陽がもっとも天頂に来る時間をすぎ、周囲は緩やかに陰りの色を見せ始めている、そんな時間帯だ。
「陽がおちるのが早いな……」
周囲の光景を目にしながら上流へとさらに歩いていく。歩を重ねるうちに人工的な渓相から複雑な流れと地形が織り成す上級者用の自然に近い釣り場に変化していく。
「むっ!」
私はふと足を止めた。一人の釣り人が川面に覆いかぶさる木々のギリギリにルアーを着水させ、数秒もしないうちに見事に一匹釣り上げたからだ。魚を網ですくうまでのやりとりも実に手際がいい。おそらく、かなりの上級者だろう。
私は、しばらく見ていたい衝動を抑えて管理棟方向に再び歩を進めた。
なぜかというと、「休憩してくる」と幹也たちに告げておいて、実はトウコの所へ乗り込んでやろうと考えたからだ。竿は御上に預けた。竿ごと持っていったら二人に怪しまれることは確実だからだ。
ついでに鮮花たちを追いかけるように見せかけると、お人好しの2人は私の意図に気づかずにごく普通に送りだしてくれた。
「腹立つ……」
あれだけ警戒されていて、いざとなったらあっさり行かせるなんて……
あいつらは妙なところで抜け作だ。
まあ、いい。おかげで今度こそ隠していることを暴けるわけだ。御上に幹也の暗躍とトウコの目的がいったい何なのか、この目で確かめてやる。
私の足取りは軽快だ。厳冬期の殺伐とした風景の渦中にもかかわらず機嫌がいいいのは、ついに午前中の仇を午後にとることができたからだろう。
勝算はなにか、と問われても私にはよくわからない。しいて言えば午前中の甲斐性のなさを反省したこと、始める前に幹也のアドバイスをしっかり聞いたことだろうか?
もしかしたら、幹也のアドバイスに従って私はすぐに釣りを始めず、まずは周囲の状況と渓相とやらをじっくり観察したことも勝因かもしれない。流れの方向、水の変わり目、魚の向き、水深と地形の変化etc……
何よりも釣っていたヤツのルアーをいくつか観察し、私なりにセレクトしたルアーが大当たりしたことだろう。一つ目の区画で好調だった方法を別の区画でも実践したら大いに効果が上がったのだ。
御上的に言えば、
「あたりのパターンを見つけた」
ということになる。
私は、淡々と釣りをしていたが、表面上は自重したつもりでも鮮花や浅上に対していやみったらしい行動をとってしまった事実は否定できない。
「まあ、おあいこだ」
2人の反応は面白かったけどな!
私は大いに満足し、気分がいささか晴れたところで鮮花たちの後を追うフリをして休憩ついでにトウコのところを訪問しようとしているわけ。
「あの魔術師、どんな顔をするかな……」
私の行動は奇襲のはずだ。私の推理が正しければ、あの2人に私を抑える役目を命じているはず。だがそれが崩壊した今、トウコの秘密を守る壁はない。なんともお粗末な顔をする魔術師の姿が目に浮かんでくる。
しばらく歩き、行きに降りた階段を今度は上がる。そのままやや北西にまっすぐ進むとルアーの池に出た。相変わらずここも人が多いが、私が通り過ぎる間に魚を釣り上げたヤツは一人もいなかった。
「ん?」
ふと、私はわき道から目の前に現われた男に目を向けた。午前中に敷地内で見かけた少し怪しそうな連中の一人が管理棟の方向へと歩いていく。
見間違えではないと思う。けっこうらしい格好をしているが、竿の持ち方が素人くさい連中だったから、違和感を覚えて記憶に残っていた。
その男は、周囲を見渡し、携帯をポケットから取り出すと何か一言二言しゃべると、また何事もなかったように歩き出した。妙だったのは、私がその男を追い抜いたときに、手に持っているタックルのリールにハートマークのシールかなにかが貼ってあったことだろう。
何だこいつ、気持ち悪いな……
男は、管理棟にちかい駐車場のあたりで別の男と合流した。黒いニット帽にサングラスをしたこいつもまたらしい格好をしていた一人だ。
何を話しているのか距離的に聞こえない。
「鮮花!?」
どこからともなく現れ、男たちの横をさりげなく通り過ぎたさっそうとした美少女は幹也の妹だった。なんか男たちのほうを気にしていたように見えたが……
「あいつ、何をしているんだ?」
遠巻きに見ている私には鮮花がなぜ突然登場し、妙な行動をとったのかわからない。
しかし、あの様子だと鮮花も男たちをどこからか監視していたとしか思えない。
私は考え込んだ。鮮花が妙な行動をとる理由……
「もしかして動機は同じか?」
つまり、私があの男たちに感じていた違和感を鮮花も感じていたのではないか。私よりもっと別な何かを得て、怪しい連中を監視している可能性がある。鮮花は頭もいいし、鋭い推理力がある。なによりも正義感が強い。
「チッ!」
私は、視線を戻したときに舌打ちした。視線を逸らせていたほんのわずかの時間に鮮花たちを見失ってしまったのだ。どこかに移動したと思うが、状況から考えて長距離を移動したとは思えない。
「くそ! めんどくさいことになった」
すばやく周囲を見渡したが鮮花の姿を捉えることはできなかった。当然、男たちの姿もない。一瞬で消えるはずがないから、私が視線を外したわずかな時間のうちに何事か起ったのだろう。どちらかというと緊急事態だ。
「世話が焼ける……」
私は、鮮花のいた場所に向って駆け出していた。直線距離にして100メートルもないだろうが、車が邪魔でやや遠回りする。
しかし、私が近づくより早く悲鳴に近い声がした。
「あれは!」
私の視界に納まったのは浅上藤乃だった。なにか恐れを抱いたような顔で立ち尽くしている。
直後、重い音がしてエンジンらしき鼓動と共に車が急発進する甲高い音が辺りに響きわたった。他の車にぶつかるような音が数回続いた。
車が見えた。ツートンカラーのワンボックスカーだ。窓が黒っぽくなっていていかにもそれらしい。その車はあきらかに出口方向──私の方に向ってスピードを上げてくる。一瞬だけ、車の後ろに鮮花の無事な姿が見えた。
「よし」
私は、車に向って走り出しながらジャケットのポケットから昼食中に拝借した小型のフィッシングナイフを取りだし、暴走車の正面に立ってそのかわしざまに右前輪の死点を切った。
たちまち後方で衝撃音と破壊音が連続で続く。私が振り返ると、車は出口に続く右カーブを曲がりきれなかったのか、照明塔を一本破壊して縁石に横倒しになっていた。
「しぃーきっー!!」
鮮花が凄い形相で近づいてきた。なかなか凄みがある。あの迫力だけで十分魔術師としての素質があると思うが……
「おい、なにが起ったのか説明してくれ……」
鮮花は私の質問に答えず、そのまま全力で前方に駆け抜けて行き、車から脱出しようとする男を思いっきり殴りつけていた。
◇◇
何か騒がしいことになっているな、と思っていた。突然、パトカーらしきサイレンが響き、それは確実に敷地内のどこぞに停まったからだ。
「緊急車両とは穏かじゃないねぇ……」
私は、ルアーをPICアップし、サイレンの止んだ方角に視線を投じた。幾人かの釣り人が管理棟方面に向って足早に遠ざかっていく姿が確認できた。
「たいしたこと……かな?」
そのとき、私の携帯に着信があった。発信者は御上だ。直感的に予感がしていた。
「私だ」
案の定、どうやら弟子の一人が騒ぎに巻き込まれたようだ。
「で、鮮花は無事か?」
弟子は無事だった。急発進した犯人の車を避けようととっさに身体を翻してバランスを崩し、倒れた時に軽く膝を打った程度らしい。犯人も全員逮捕されたという。
「わかった。私もそっちに行く」
電話を切り、私は荷物を持って管理棟へと歩き出した。大物エリアを離れる途中に苦笑いしたのは、期待したとおりに波乱が発生したからだろう。
「車上荒しがいたとはな……」
もう一人の弟子を見つけることは簡単だった。190を越える長身にクセのあるやや赤みを帯びた頭髪の青年は遠くからでも適度に目立つ。
「橙子さーん!」
御上は手を振ってくれたものの、現場は適度に混乱を極め野次馬たちでほぼ埋め尽くされていた。警察が現場の整理をする中、どうにか青年とは合流することができた。
私は現在の状況を聞いた。
「えーと、鮮花ちゃんとふじのちゃんは黒桐が付き添って警察から事情を聞かれています」
「ふむ。で、式は?」
「ええ、実は……」
犯人たちの逃走を見事に防いだ功労者は、現在どこぞに雲隠れ中だという。
「まあ、余計なことに巻きこまれるのが嫌になったのか鮮花ちゃんたちに手柄を献上して姿をくらませましたね」
献上したというより、押し付けたと言ったほうが正しいだろう。
私は苦笑した。
「しかし、まあ式のやつも珍しくはしゃいだじゃないか」
「そう……ですかね?」
「君が仕向けたんだろう?」
一瞬、心底心外そうな顔をして青年は私に訊いた。
「この様子だと今日はここまでですね。首尾のほうはどうでした?」
私は、おそらく今日最も冴えた顔をしたと思う。
「おかげさまでまあまあ稼げたよ」
金額を言うと、御上真はおもしろいほど驚いてくれた。
「ふつう、せいぜん数千円ってところですよ。一万円でさえ獲得した人なんか今のところ存在しませんねぇ……」
「まあ、それなりに苦労はしたがね」
「凄いですねぇ、懸賞つき管理釣り場泣かせですよ」
まさか魚寄せの術を使ったとはさすがに言えない。言うこともないだろう。ここは余計なことは言わず威厳とやらを保っておこう。
私は、現場の喧騒を眺めながら重大な用件を青年に訊いた。
「ところで、まだ金に換えていないんだが、管理棟へは行けるのか?」
「左のほうから迂回になりますけど行けますよ。営業もちゃんとしています」
「ならばよし。私は懸賞金をもらいに行くとしよう。君はついでに式を捜しておいてくれ。どうせその辺から窺っているだろうからね」
私は青年の肩を叩くと、駐車場の喧騒を無視して軽やかに歩きだした。その間、瞳に飛び込むのは現場検証中の警官と野次馬たち。この騒然とした状況にもかかわらず今日を楽しむ釣り人たち。ちょっと離れた場所で事情を聞かれているかわいい弟子。
ふと、私はロッジ風の管理棟の入り口で足を止めた。ここは喫煙所になっているのだ。敷地内は原則喫煙禁止であり、特定の場所でしか吸えない。
一本取り出して火をつける。数時間ほどのご無沙汰だったが、吸い込むと懐かしい味がした。
「多少、我慢したほうが美味いようだね」
私はタバコを咥えたまま駐車場を眺めた。高い位置にある管理棟からは駐車場を一望できるのだ。人々の躍動とざわめきが真冬の空の下に局地的であっても熱気を作り出している様を感じることができるだろう。
「さて……」
弟子がちょうど警察の事情聴取から解放されたところでタバコの火を灰皿でもみ消し、今日の収獲を成果に変えるべく管理棟のドアをくぐった。
「ま、帰りにご馳走でもしてやるかな……」
楽しい一日を過ごさせてくれた弟子たちと友人に対する素直なお礼だった。
◆◆
「2人とも寝ちゃったね」
黒桐幹也が静かに呟く横で、俺はバックミラーでお互いに寄り添って健やかな寝息をかく美少女2人を目にした。かわいい寝顔をじっくり眺められないのが非常に残念ではあるが、ミラーに映った2人はまるで本当の姉妹であるかのようだった。
「この時間、意外に車多いね」
いくつものテールランプを見て黒眼鏡の親友はそう思ったらしい。すでに管理釣り場を出発して40分以上は経っただろうか。外の世界はとっくに暗闇に変わっていて、頼りになるのはハイウェイに連なる照明と車のヘッドライトだけだ。しかも車中にいるために直接感じることはないが、外気はそうとう冷え込んでいることだろう。
「まあ年末だし、故郷に帰省する人もけっこういるんだと思う。本格的になるまでにはちょっと早いかも知れないけどね」
「そうだね、もうあと数日で今年も終わりなんだよね」
俺が横目で一瞥すると、幹也は手に顎を乗せてぼんやりと窓の外を眺めているようだった。
「幹也、疲れたなら寝ていていいぜ」
「いや、眠くはないよ。それに助手席の人間はしっかりと運転手をサポートしないとね」
「無理するなよ」
「してない、してない」
「そうか、じゃあ……」
と俺は前置きして眠気覚ましのガムを所望した。
「えっ? 大丈夫?」
「心配するな。早めの対策だよ」
もらったガムは成分豊富でなかなか口の中がスースーする。久々にガムを噛んだこともあるだろう。効果が期待できそうだ。
「あとは無事に帰るだけだな……」
今日ももう少しで終わる。最後の最後に鮮花ちゃんが車上荒しを捕まえるとは、その直前まで予期しなかったものの、みんなとの親交はもちろん、橙子さんの目的、鮮花ちゃんとの協定が他に漏れることなく達成することができた。
「御上、君の言ったとおりになったね」
「そんなことはないさ、鮮花ちゃんを怪我させちゃったし……」
俺と幹也はそれ以上の会話を中断した。美少女2人のうめくような声が漏れてきたからだ。
「この話はここまでにしよう。話が盛り上がって聞かれでもしたら全ての努力が水の泡だからね」
「そうだね」
俺と幹也は、「今日」という交流の場の裏にあった一切の企みの全てを封印した。これは幹也も知らない内容もあるわけだが、少なくとも特定人物の前で語ることはないだろう。
「でも幹也、式さんにはめられてしゃべるなよ」
「大丈夫……だと思う」
「怖いな……」
一つ予想外だったというか修正点があったとすれば、今日の終わりが例の騒動で早まったことだろう。その終わりを演出したのが自分であっても……
その騒動を未来視したことで、式さんたちが不審に思っていたことを覆い隠すことができたのだ。もちろん、2人の安全には十分配慮し、式さんをあっさり橙子さんの方へ行かせたのも事態を収拾してもらうためだった。
さて、話せるのはここまでだ。
とはいえ、橙子さんは気がついていることだろう。前を走るアストンマーティンに乗る魔術師は、俺の顔を見て悪魔のごとく微笑したし……
ただ、次回は式さんにはバレていそうに思う。今は騒動の余波で不審が抑えられているが、それも時間が経てば冷静になり、二分の一の確率で探りを入れる可能性がある。
もっとも、行きと違って橙子さんの車には式さんが乗っているから、今ごろオチを聞いているかもしれない。
いや、式さんにとって世俗的な疑問はなんの興味がないと思う。あの女性が引きずるはずがない。鮮花ちゃんも橙子さんの目的には気づいていないようだった。たぶん式さんも車中で寝ていることだろう。
とすると、心配するだけ損になるだけか?
「しかし……」
ちょっと別の懸念はある。それは橙子さんが俺たちに臨時ボーナスを本当にくれるかどうかということだ。「食事がボーナスだ」とかいわれる気満々なんだけど……
まあ、あまり期待はしないでおこう。幹也も同意見だった。
ガムのおかげで頭がすっきりしたところで話題を変えた。
「今日は、幹也的にはどうだった?」
「とても楽しかったよ」
即答だった。気持ちがこもっているさわやかな返事だ。まったく黒桐幹也という人種は誰にでもすぐに惚れられるヤツだとつくづく思う。
「それは主催した甲斐があったよ。鮮花ちゃんもふじのちゃんもかなり喜んでくれたし、また次のイベント考えておくよ」
「うん。式も楽しそうだったよ。あんな熱心な式ははじめて見たとおもう」
「やっぱりそうか?」
親友は絶妙な微笑を返した。
「そうって、わかってたでしょ?」
幹也の言うとおりだったが、なんとなく微妙だったので確信がもてなかったのだ。親友の同意を得て、今日のイベントは予想以上の成果を上げたんだと自信をもった。
「じゃあ次はスキーなんてどう? スキーやる必要もないけど雪山さ。これも面白そうだぜ」
「それはいいね。でも橙子さんはどうだろう? 式はいくかな?」
「それは問題ない。高級ロッジに泊まりたい放題、温泉はいりたい放題だといえば必ず食いつくさ。橙子さんの協力が得られれば最悪式さんは今回と同じ方法で連れて行けばOKさ」
「なるほど。それは橙子さんも協力してくれるね」
「だろう?」
2人で笑いあっていたら後部座席から寝ぼけたよな甘い声が聞こえてきた。
「にゃにが……協力にゃんですかぁ……」
鮮花ちゃんだ! 猫語とは油断のならない女の子だ。ミラーに映った眠気まなこをこするしぐさがあまりにも可愛すぎるじゃないか! 幹也のヤツが本当にうらやましい。
いや、違う。しっかりしろ御上真!
「ごめんよ鮮花ちゃん。起こしちゃったみたいだね」
「はぁい……」
鮮花ちゃんは、まだ寝ぼけているようだった。幹也がそっと声を掛けて毛布を掛け直してあげると、少女はまたスヤスヤと眠りについた。
俺の妹とは可愛さの面で雲泥の差だな……
「おい幹也、鮮花ちゃんと俺の妹を交換しねえ?」
思わず言ってしまった。返事がなかったのは、きっと幹也は唖然としていたのだと思う。
俺は、咳払いを一つしてFMラジオをつけた。もちろん音は控えめだ。幹也は「いい音楽が流れているね」とだけつぶやき、テールランプとヘッドライトの交差するハイウェイを静かに眺めている。
──1998年12月27日 19時40分──
こうして、数々の思い出深いシーンを撮影できた真冬のひと時は終わった。それぞれの心と記憶に何を残したのか、それは当人たちのみぞ知ることだろう。
「橙子さん、美味しいもの奢ってくれるといいなぁ……」
俺の操るレガシィは、テールランプを追うように夜のハイウェイを駆け抜けていくのだった。
──「みんなとフィッシング」 END──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき
このシリーズもようやく終わりです。いつの間にか劇場版もフィナーレを迎え、まったく連動していない自分に自己嫌悪です(汗
自分の気力のあるうちに「外伝」が書けるのか、目下のところはそれが一番の霧中です。
その前に「忘却録音」ネタと「殺人考察(後編)」ネタ書かないと……
あっ、読者さんからリクのあったふじのんのほうが書き安いかも……
2011年3月2日 ──涼──
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