帝国軍の中枢ばかりが私たちの
対策を話合っているわけではありませんでした。
まあ、あれだけ目立つことしちゃったんだから
いろいろ詮索されて当然ですが……
あの、黒い十字架をワルキューレの側面に描いた
強敵のパイロットさんたちもいろいろと動き出していました。
ぶっちゃけ提督さんたちだけで一杯一杯です。
あまり燃えられても暑苦しいだけなんですが……
でも、意外に身近なところから思わぬ強敵が出現します
まさか、そんな! 私とおなじくらいの年齢?
そんな子が壮大な物語を描いていたのです
同盟に残るアカツキさんにとって、
凶となるか不幸となるか嵐となるか計算外となるか……
まあ、多少の苦労は当然ですよね?
──ホシノ・ルリ──
闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
第二部 第八章(前編・其の二)
『新たなる星々たち/歴史の闇にあるのは?』
T
フェザーン郊外の一角にひときわ見事な庭園に囲まれた邸宅があった。地下水脈の少ない大地にあっては贅沢な部類に属する庭である。季節の花々に彩られた庭園にはバルコニーがあり、邸宅の住人らしい少女が優雅に紅茶を楽しんでいた。青い空と色とりどりの風景のなかにある少女に翼が生えていたとしても不思議ではない光景である。
「お嬢様」
少女に控えめに声を掛けた人物がいた。褐色の髪にその髪の毛よりずっと濃い色のスーツ姿の30代前後のごく尋常そうな男である。
名をランツ・フォン・ベンドリングと言った。
「お嬢様、ただいま戻りました」
声を掛けられた少女はティーカップを静かにテーブルに戻し、片手でベンドリングを手招きした。
「どうじゃ、そなたもこっちで一緒に茶をせぬか? 今日のような空の下でいただく紅茶はとても格別じゃよ」
「はぁ……」
「なんじゃ、嫌なのか?」
「いえ、喜んでいただきます」
「うむ、友人同士じゃ遠慮はいらぬ」
少女は手馴れた手つきで紅茶を自ら注ぎ、少し顔を赤くする元帝国軍に勧めた。紅茶を口にした青年の全身を爽快な心地よさが駆け抜ける。
「また腕を上げられましたね」
ベンドリングが素直に感想を述べると、それまで凍った彫刻のようなすまし顔だった少女の頬が上気し天使のように微笑した。
──マルガレータ・フォン・ヘルクスマイヤー
それが陽光に当てられて光輝く腰まで届く金髪と深碧の瞳を有する14歳の少女の名前である。「フォン」の称号が示すとおり貴族出身であり、れっきとした門閥貴族の令嬢だった。
──だったというのは、帝国暦483年、マルガレータは門閥貴族の政争に片足を突っ込んで死を予感した父親のヘルクスマイヤー伯爵や親族とともにフェザーンに亡命したからである。
しかし、亡命できたのは少女一人だけだった。いや、正確にはまだ幼かった少女の後見人となったベンドリング『少佐』と二人だけだった。
──帝国暦483年12月──
マルガレータは父親に連れられて帝都を密かに脱出した。前月には母親が毒殺されており、身の危険を感じた伯爵は親族もろとも亡命することを決めたのだった。
しかし、当時イゼルローン要塞駐留艦隊に所属していたラインハルト・フォン・ミューゼル中佐は帝都から派遣されてきた将官の極秘依頼を引き受け、ヘルクスマイヤー伯爵の身柄拘束と彼が持ち出した軍事機密であるゼッフル粒子発生装置を奪還すべく、自身が艦長を務める巡航艦「ヘーリュリッヒ・エンチェン」単艦で同盟領に侵入した。
いくつかの障害を天才的な判断力と決断力で切り抜けたラインハルトは、同盟領へ向うヘルクスマイヤー伯の個人船を捕捉。同盟領内であったことから陸戦隊を使って早期に船を乗っ取る手段にでる。
船そのものの占拠はすぐに達成されたが、ヘルクスマイヤー伯爵の拘束には失敗した。
なぜなら伯爵以下の親族は脱出カプセルの減圧に失敗して死亡してしまっていたのだ。
たった一人を除いて……
それが当時10歳のマルガレータ・フォン・ヘルクスマイヤーだった。
まさに白磁器で造型されたフランス人形のような少女は自分の置かれた状況にいつまでも悲観しなかった。
ジークフリード・キルヒアイス中尉の優しさに心を開いた少女は、赤毛の親友の提案を受け入れたラインハルトとゼッフル粒子発生装置にかけられたプロテクトを解くアクセスコードを教える代わりに取引を行い、私有財産をそのままに同盟へ亡命したのだった。
そのとき、少女の後見人として共に同盟に亡命したのがベンドリングだった。彼は軍務省より派遣された査察官としてラインハルトの巡航艦に乗り込み、ゼッフル粒子発生装置内のメモリーに隠されたある極秘情報を消去する密命を帯びていた。
しかし、その内容が宮廷闘争に絡む銀河帝国の暗部だったこともあり、衝撃を受けたベンドリングは任務を全て放棄し、少女の後見人となって同盟に亡命することを決意したのである。
あれから4年……
今日までの道のりは決して平坦ではなかったが、マルガレータはラインハルトも認めた利発さと度胸を武器に「理想郷ではない同盟」で生活基盤を固めたのである。
それは財産をはたいて鉱山企業を買収し、そのオーナーに収まることだった。また、その過程で警備会社も買収している。
これは企業の警備だけではなく、自衛のための手段でもあった。同盟に亡命してきた貴族たちを快く思わない連中が大勢いるからだった。また、最近では長い戦争による経済の疲弊によって犯罪が多発しており、警備会社の需要は急増している。
そしてマルガレータは、自らの道を切り開く道筋を教えてくれた二人の若者──ジークフリード・キルヒアイスとラインハルト・フォン・ローエングラム(ミューゼル)の活躍を耳にし、彼らの意図を測った上で彼女は決意したのだった。
「銀河を彼らの掌に!」
マルガレータにとって門閥貴族が支配する銀河帝国は両親の生命を奪った元凶でしかなく、理想を見失って腐敗の進む同盟の体制にもなんら未来的価値を見出していなかった。少女は会社を同盟に置き、同盟と情報の集まるフェザーン二箇所に拠点を設けて未来投資を始めたのだった。
「お嬢様、一つご報告があります」
少し落ち着いたところでベンドリングはおもむろに切り出した。
「なんじゃ?」
マルガレータの反応は素っ気ないが悪気があるわけではない。もともと大貴族の令嬢として気位は高いが、陰謀渦巻く宮廷にあって父親とは似つかない気丈さを備えていた。年齢に相応しくない冷静さは幼少の頃より複雑な貴族社会を目の当たりにするうちに自然と身についた防衛意識だっただろう。ちょっと年寄りくさい口調もそのためだ。
しかし、4年前にラインハルトをして「末恐ろしい」といわしめた聡明さを垣間見せたように、ただ気位が高くて冷淡ではなく、素直で優しい一面も有していた。
「Aからの報告です。これはまだ公式に発表されていませんが、例のナデシコは第14艦隊を率いてイゼルローン要塞の守備に就くようです」
マルガレータは優雅にティーカップをテーブルに戻してから言った。
「すると、イゼルローン要塞にはヤン・ウェンリーの艦隊とあわせて二個艦隊が駐留することになるのう」
「ええ、過去に例がありません。ですが、帝国より逆侵攻を受ける可能性があるこの時期なら十分説得力があるでしょう」
「まったくじゃ。魔女と魔術師をイゼルローンに派遣するとはずい分ないやらしい力の入れようじゃな。なぜに同盟は人材だけファンタジーなのかのう?」
同盟軍が帝国遠征で被った損失はアスターテの比ではない。人材・物資・艦艇において膨大である。この損失を回復させるためには少なくても10年の歳月が必要だろう。戦力の著しい弱体化にあえぐ同盟が国内の建て直しを図るならば両勢力を結ぶ唯一の航路が存在するイゼルローン回廊の防備を固めるのは必然だ。その回廊を塞ぐように存在する難攻不落のイゼルローン要塞があるからこそ、帝国もうかつに手を出せない。
「イゼルローン要塞ほどの強力な要塞に同盟軍屈指の実力者を二人も守備に就かせるのは理にかなってはいますが、そうなるとローエングラム候でも簡単に攻略するのはむずかしそうですね」
「そうじゃな。それを唯一成し遂げた詐欺師が要塞の守備に就いたわけじゃしのう。もうあれと同じことはできまい。ヤン・ウェンリーの発想力に脱帽じゃ」
「それに
”叛徒の白き魔女”ことミスマル・ユリカです。我々が情報収集に協力するようになってから余計にその存在が不思議でなりません」
「そうじゃのう、いきなり出てきたからのう。情報統制も驚くほど厳しかったが、あの戦艦の持つ特殊性からならそれも理解できようが……」
そう言いつつもマルガレータの思考は保留だった。戦艦そのものが特殊だということはアムリッツァの出来事から納得できるが、ミスマル・ユリカという若すぎる艦隊司令官を含め、どうにもひっかかる要素が目立ちすぎる。
「まあ、この件は捨て置けんが相手がイゼルローンに赴任してしまっては今までどおりとはいかぬじゃろう。Aには引き続き収集をしてもらわないとだめじゃな」
しかし、しばらくはミスマル・ユリカと戦艦ナデシコをかぎまわっている余裕はなくなるだろう。ラインハルトにとって帝国内で重要な戦いが迫っている。そして当然ながら国内の有事を片付けてからイゼルローンの攻略なりナデシコの謎を追う事になるだろう。
その覇権の確立にマルガレータ・フォン・ヘルクスマイヤーは一つの謎を追いながら深く関わろうとしているのである。
「あともう一つお耳にいれておきたいことが」
「うみゅ?」
ベンドリングの報告はフェザーンの黒狐ことアドリアン・ルビンスキーについてだった。
「どうやらルビンスキーは今回の同盟の大敗を受けて方針転換をするようです」
「ほほう、あの腹黒狐らしいのう」
マルガレータの口調には一片の好感度がない。みるからに陰謀丸出しの顔じゃ! とベンドリングに向って声を荒げる。
「お嬢様はルビンスキーの意図がおわかりですか?」
冷静に元少佐が切り返すと、マルガレータは少し顔を赤くして咳払いをした。
「ふん、まあな。同盟の大敗を受けて崩れたバランスを戻すより一方に肩入れしてフェザーンの存続を図るつもりじゃろう」
「なるほど。おっしゃる通りでしょうね」
Aの見解もおなじだったので、ベンドリングはかるく相槌を打つ。
いずれにせよ、フェザーンの方針転換はマルガレータの目指すことにもつながるはずだが、ベンドリングの予想通り少女はあまり喜んでいない。
「あのルビンスキーは帝国に従順になるわけではないからな。もし帝国が大きな損害を被ることがあればどっちになびくかしれたものではない」
結局、したたかに生き延びることがフェザーンの方針であり、決していずれの勢力に尻尾を振るわけではないから、いずれが滅びても面従腹背がいいところだろう、と言うのだ。
つまりは何も変わらないし、油断ができないということだ。
◆◆◆
「おじゃましまーす!」
不意に明るい声がした。二人が声のほうに振り向くと、そこには身軽そうな服装をした20代前半と見受けられるスラリとした若者が立っていた。
「お二人とも揃っているとはちょうどいいですね」
「お前はいつも唐突に現われるのだな?」
そうマルガレータに言われて苦笑した若者の名前をカルパス・グレーシェルという。キルヒアイスがアスターテで起こった異変の情報を集めるためにフェザーンに派遣した情報部に属する士官である。年齢は24歳。ベンドリングより5センチほど背が高く、さらさらの金褐色の頭髪とうすいブルーの瞳を有している。貴公子然とした容姿の持ち主だが、そのやさ男ぶりからは想像できないほど白兵戦能力と射撃に秀でており、「戦っても(情報を)実を取れるヤツ」ともっぱらのベンドリングの評だ。
彼は、帝国のスパイ網が壊滅した同盟ではなく、フェザーンを拠点として活動し、接触後、表向きはマルガレータの経営する企業の社員となっている。
「なぜキルヒアス提督は彼を派遣したんだ?」
最初の印象は疑問だらけだった。通りを歩く女の子に声をかけたり、マルガレータを見て口笛を吹いたり、おおよそお堅い帝国軍人らしくない振る舞いだった。
しかし、他の勢力に溶け込む彼を見て、キルヒアイスがなぜ彼を選んだのか納得したのだが……
「ふむ、大尉ご苦労じゃったな。紅茶を用意しておるから飲まぬか?」
「喜んでいただきましょう」
即答したカルパスは大またで空いているイスに座り、マルガレータが自ら淹れた紅茶に舌鼓を打った。
「フロイラインの淹れる紅茶は実に美味しい。これはシロン星産ですね」
「いや、アルバトロス産じゃよ」
「……ハハハハ、そうとも言いますね」
冷静な突っ込みにぴしゃりと額を叩いた若き情報部員は、己のうかつさに大げさに天を仰いだ。
「どうやら舌のほうは情報に難があるようじゃな」
くすり、と微笑したマルガレータは、ちょっぴり迂闊なエージェントからジークフリード・キルヒアイスの手紙を受け取ることになったのだった。
U
帝国には主に将官クラスが利用する「海鷲」という高級士官クラブがあるが、その姉妹店として「海燕」というカフェ・レストランも存在する。値段もそこそこで不味くない酒と食事が楽しめると評判だ。主な利用者は下士官や下級士官が中心だが、もちろん平民の来客も多い。
その一角、帝都を望む大きな窓ガラスのある一帯が「彼ら」の指定席である。レストランに足を運ぶ多くのパイロットたちは彼らの姿を視界に納めると畏敬と憧憬を込めて敬礼する者も少なくない。
そして、彼らも必ずワイングラスを掲げてパイロットたちの悪運と武勲を祈るのだった。
「諸君らに黒十字の加護があらんことを!」
そんな彼ら「黒十字架戦隊」たちの話題の中心はアムリッツア後の政変と同盟軍の人型機動兵器だった。
「ローエングラム候はついに宇宙艦隊司令長官か……いよいよ門閥貴族どもも黙っちゃいないだろうな」
「だろうな。傍目に見てもただじゃ済まない雰囲気だらけだしな。あとはいつ事が起こるかだな」
「そうなると我々はどっちに付くんだ?」
「ばーか、当然、俺たちはローエングラム候傘下の宙戦部隊だ。論じるに値せん」
「──だな。貴族連中は無駄な情熱と復讐心だけは宇宙一だが戦争を競技か何かと勘違いしているアホが多いからな」
「おい、ノヴォトニー、お前ってたしかローエングラム候とは旧知の仲だろう。何か今後のことで聞いていないのか?」
僚友の質問に若すぎる撃墜王は反応せず、肉料理を次々に口に運んでいる。
「相変わらずよく食うヤツだな」
グレニール大尉があきれ気味に呟くと、料理をすっかり平らげたノヴォトニーはウエイトレスを呼んでさらに一品パスタ料理を追加注文した。
「お前を見ていると若い日は無茶をしていたんだとつくづく思うよ」
「俺は先輩たちと違って下戸なんで食うことしかできませんからね」
と若いエースは仏頂面で言い放ち、傍らにあったアップルジュースを一気に喉の奥に流し込み、パスタが到着していないのにもう一品頼もうとメニューを手に取った。
「おいおい、お前太るぞ。せっかく悪くない顔しているんだから無駄にするなよ。ローエングラム候との差がもっと開いちまうぜ」
同僚のシュナウヴァー中尉がからかったが、メニューを睨むノヴォトニーは不機嫌そうに眉をわずかにしかめただけで無視を決め込んだようだった。周囲から笑い声が洩れる。
「正直なところ……」
それまで黙って食事をしていた30代前後の物静かそうな男がワイングラスを片手に呟くと、パイロットたちは笑いを収めて耳を傾けた。
「正直なところ今後起こりえる有事に俺はあまり興味がない。勝負の結果は見えすぎていることだしな」
黒十字架戦隊の副隊長を務めるギュンター・ライルは、ワイングラスの中身にダークブルーの瞳を注いだ。
「目前に迫る有事をまずは全力で終わらせることが筋といえばそうだが、果たしてそのあと例の機動兵器に対抗できる手段を確立できるかどうかが問題だな」
副隊長の眉間にしわが刻まれる様子をほとんどのエリートパイロットたちは目撃した。実はあまり感情を表に出すことのない副隊長はファンベルグの歴史的敗北以来、やや口数が多くなっているのである。
「普通は口数が減るんじゃね?」
──疑問はさておき、戦隊のパイロットたちにとって悪夢となった同盟軍の人型機動兵器。未だ多くの謎のヴェールに包まれた存在でありながら、帝国では本格的な議論に発展してはいない。
もちろん誰の目にも明らかな新興勢力と旧勢力との争いが近づいていたからだ。
目前にて僚機を撃墜されたギュンターやノヴォトニーは隊長を通じて早期対策の意見具申書をナイトハルト・ミュラー提督に提出したが、
「この問題を棚上げにすることはありませんが、今は目前の有事に集中していただくしかありません」
と述べるに留まっている。
それでも小規模な会議は開かれていた。今日は隊長とミュラー提督が話し合いをしているし、一昨日はベルトマン准将とミュラー提督との間で情報交換がなされていた。
もし有事が懸念されなければ、彼らは帝国宙戦部隊総監に資料を持ち込んで独自に早期対策に移るよう強く働きかけることができたかもしれないが、残念ながら過度の期待はできなかった。理由はそれまでの問題とまったく同じだが、宙戦隊総監が門閥貴族出身者なので持ち込んでも意味がなくなると想像されたからだ。
「いずれにせよ、ローエングラム候のことだ。問題が発生すれば長期化させることもあるまい。そうなると我々が取るべき手段は早期決着に全面的に候に協力し、対策チームを発足させるしかない」
副隊長が決意すると各テーブルから賛同の声が次々と上がった。それまで感情を押し殺していたノヴォトニー中尉は勢いよく立ち上がって何かを言おうとしたらしいが、降り下ろした拳がパスタを運んできたウエイトレスの腕にあたり、重力に逆らって皿から飛び出したあつあつのパスタが見事に彼の顔面を直撃した。
「ぬあぁぁぁー!!」
店内は一時騒然となる。どちらかというと笑いを含んだものとなった。
ノヴォトニーは涙目で謝罪するウエイトレスに「自分が悪い」と平謝りし、無駄にしてしまったパスタ分を含めて三人前も追加注文した。
V
オーベルシュタイン家の忠実な執事であるラーナベルトが当主の書斎にコーヒーを運んできたとき、主は身じろぎもせずに端末を注視したままだった。彼は主に声をかけるまでもなく黙ってコーヒーをテーブルに置き、一礼して部屋を退出した。
書斎を退出した執事は今までにない驚きに包まれていた。
「あれほど困惑されている旦那様のお顔を拝見するのは初めてだ。いったい何に悩まれているのだろう……」
そのオーベルシュタインは「どこが悩んでいるんだ?」と突っ込みたくなるほどの無表情さで端末に見入っていた。彼がこれまで収集した「ナデシコ」に関するあらゆるデーターが端末に流れ、データーが切り替わるたびに義眼が赤い異様な光を帯びる。
おそらく、いや確実にオーベルシュタインは銀河で最も「ナデシコ」の謎に迫っていると同時に思考を捻っている人物だろう。端末の回りには彼が最近発掘した西暦2100〜2300年代の歴史資料がデーターディスクや書籍として積まれ、その中には抹殺されたと思われていた「第一次殖民惑星独立戦争」前後の貴重な資料も含まれていた。
オーベルシュタインはその中の書籍の一つを手に取って読みはじめていた。殖民惑星側の戦力として参戦したナデシコ型戦艦4隻の大まかな戦歴とその最期を記した地球側士官の日誌だった。同盟には存在しない真相に迫る資料である。
『──我々は戦艦コスモスの撃沈に成功すると、なおも抵抗を続けるナデシコを追って火星周辺に集結した。我が軍の包囲に対して最後と思われる相転移砲をナデシコが放ち、我が軍の一割が消滅したが、もはや戦力的に覆すことは不可能だ。
(中略) 我が軍はナデシコを完全な包囲下に置くと、敵に降伏勧告を打電したが敵艦長の返答は否だった。その直後に四方八方からシールド能力を喪失したナデシコに向って無数のレーザービームが炸裂し、まばゆい光とともに我が軍を苦しめた偉大な敵は消滅した』
──と最後のほうには記述されていた。が、そのページの下3分の1が不自然に空白になっていた。
そして次ページには以下のように記されていた。
『──直後に火星表面で爆発が起こった。大半の将兵達は完全勝利の祝砲のようなものと感じたことだろう。なぜなら火柱が上がった地点は殖民惑星連合の拠点があった火星基地の場所と同じだったからである。ナデシコの撃沈を見た敵側の生き残りが自爆したと誰しもが思ったのだ。
──兎にも角にも我々の地球圏を脅かした独立戦争はようやく終息したわけである』
つまり、戦艦ナデシコは最後まで地球側に抵抗したものの、衆寡敵せず撃沈されてしまったのだ。
──などと、オーベルシュタインが不自然な空白部分の謎を解かなければそう結論づけただろう。
しかし、不自然な空白部分をあらゆる手段で解析した結果、やはりその部分には「真の結末」が記述されていた。
『──消滅したというのは実は誤まりだ。なぜなら我々を震撼させた白い戦艦はレーザーの直撃を受ける直前に姿を消してしまったのだから。
私はレーダー手とセンサー手を務めていたのでその事実に気づいた。本当に集中していなければ分からないほどだ。ほとんどの者は戦いの決着に安堵し、いい加減にメインスクリーンを見ていたに違いない。 もちろん、私のように起こった事実に気がついた者も少数ながら存在した。
しかし、私を含めて戦争の終わりを望んだものが多く、また軍が勝利を発表したことから、私たちはナデシコの生存を記憶の奥に押し込め、後世のために日誌にそのときの真実をわからないように書き留めることにした』
そう、ナデシコは撃沈されたのではなく、自ら姿を消してしまったのである。時に
『西暦2299年10月1日』だった。
「実に奇妙ではないか?」
オーベルシュタインは細い眉をわずかだけ歪める。昨年、ヴァンフリートで遭遇した同盟軍の新型艦と思われる「戦艦ナデシコ」が哨戒中の帝国軍部隊に発見されたのが10月1日なのだ。これはなんの偶然か? まさかと思える確証を得て義眼の参謀長の瞳が怪しい赤い光をわずかに帯びる。
徐々に明らかになっていく「ナデシコ」の軌跡……
しかし、それはまだ部分的な範疇(はんちゅう)に留まり、詳しい戦歴も乗員たちの名前も判明してはいない。
そしてなぜナデシコは消えたのか? なぜ当時の政治体制は殖民惑星勢力との戦争を闇に葬ったのか? ヴァンフリートに現われた「ナデシコ」は当時の「戦艦ナデシコ」なのか? ありえざる「タイムトラベル」が1300年というかつての地球で技術として確立されていた証なのか?
考えれば考えるほど闇の中を手探りで何かを探すようなものだった。まだまだ断定するだけの資料は集められていない。
そう、地球の遺産を引き継いでいる帝国にこ必要な資料が存在している可能性が高い。オーべルシュタインが発見した日誌といい、忘れられた西暦の歴史資料はまだまだ多く埋没していそうだった。
義眼の総参謀長は、過去に左遷された部署時代の軍事資料編纂などの作業がこうも役に立つとは多少なりとも皮肉に感じたかもしれないが、決して口に出すことも顔に出すこともしない。
彼は手元にあるノートに何事かを記し、冷めてしまったコーヒーカップを片手で取ると別の資料を開いてまた何かを忙しく調べ始めたのだった。
オーベルシュタインの地道な作業は今夜も続こうとしていた。
W
フェザーン商船「ベリョースカ号」が地球圏に向けて出発したのは11月初旬のことである。
「やれやれ、今回も地球の巡礼者送迎かよ……」
「何を贅沢言っているんですか。背に腹は変えられでしょ。それにアカツキさんからの依頼もありますし、前金ももらっているんですからね、しっかりお願いしますよ」
「ったくもう……」
不平不満を口にしつつも「ベリョースカ号」の船長ボリス・コーネフは事務長マリネスクの叱咤を受け、地球へ向けて飛び立ったのだった。
それから3週間後。ベリョースカ号は順調に航行を続け、最初の依頼を果すべく火星に近づきつつあった。
「しかしまあ、なんで今頃になって火星を調べてくれなんてよくわからん依頼をだすかなぁ……」
マリネスクはすぐに船長の発言をとがめた。
「船長、アカツキさんのおかげで借金がなくなったんですよ。これくらいはやらないとフェザーン商人としての信用問題に関わりますし、借りた貸しをきっちり返すのが船長の信条ですよね?」
「ああ、わかっているさ」
ボリス・コーネフは、じろりと彼を見る事務長に肩をすくめてみせた。
「ま、やることだけはやっておくか。金もまた入ることだし、信用だけは金で買えないからなぁ」
コーネフは船長席からオペレーターの一人に指示した。
「火星表面を指定の座標に沿って走査してくれ。記録も忘れるな。異常があればすぐに知らせてくれ」
「了解」
走査が開始された。
「しかし、相変わらず不毛な惑星だな……」
火星の大地には緑もなければ目だった建物もない。荒涼とした赤い大地がメインスクリーンに映っているだけである。大昔には土壌改良や大気プラントによって酸素が存在し人の入植も行われたというが、現在ではその形跡も面影もない。
「よし、あとは陥没地点だけだな」
走査を開始してから10分後、さしたる異常も認められず、最終走査地点に差し掛かろうとしていた。
コーネフが見つめるメインスクリーンには火星最大の地形変化である「大陥没地帯」が映っている。資料データーによればそこは大昔に軍事基地が存在した場所であり、地下に貯蔵されていた液体燃料が何らかの原因で大爆発を起こし、基地もろとも吹き飛ばした跡だった。
「んっ? 待て、何か光ったぞ」
異変を発見したのはコーネフだった。クレーターの中央付近が一瞬だけ光ったのだ。
「映像を拡大できるか?」
「はい、船長。少々お待ちください」
オペレーターがコンソールを操作して陥没した中央部分を拡大した瞬間だった。
「「あっ!」」
コーネフとマリネスクはほとんど同時に声を上げ、ほんの二瞬の間に消えた四角い何かを目で追い求めた。
「見たよな、事務長」
「ええ、なんか金色に光ってましたね」
コーネフは急いでオペレーターに確認した。
「今のは録れているか?」
「はい、カメラは回しっぱなしですからおそらく」
「よし、もう一度周辺を念入りに走査しろ。物体感知センサーの出力も上げるんだ」
「了解です」
しばらく四角い何かを捜索したコーネフたちだったが発見することはできず、地球教の信者を乗せている航海スケジュールもあってそれ以上は断念し、ややためらいがちに地球へ艦首を向けた。
「しかし──」
ボリス・コーネフは遠ざかる赤い不毛な惑星にむかって低く独語した。
「──あのアカツキは未知との遭遇でも求めているのか?」
第14艦隊がイゼルローン要塞に着任する5日前の出来事だった。
……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき
八章前編(其の二)をお届けしました。容量がでかくなったので二分した後半です。
今回は同じく時間軸が戻った帝国やフェザーンが中心です。
そして、ついに外伝オリジナルキャラであるマルガレータ嬢の登場です。外伝エピソードのオリジナルということで本編には登場していませんが、アニメ化前にこのエピソードが原作として世に出ていたら、マルガレータ嬢も登場していたかもしれません。そしてラインハルトに立ちはだかっていた、何てこともあったかもしれません。
美少女登場の少ない銀英伝(特に帝国)ですから、マルガレータ嬢には萌え要素を盛り上げていただきたいところではありますw
彼女を中心にオリキャラもチラホラw
帝国軍諸将で特別別行動のできる既存軍人キャラなんていませんから、自然とオリキャラになるんですよねー
さて、新しいキャラたちが登場した今話に(作者のモチベーションUPのためにも)メッセージやご意見やご感想をいただけれなと思います。
さらに扉絵描かないとなぁ……
ど、どなたか描いていただけませんか?
2010年7月16日──涼──
誤字や脱字の修正、一部加筆を行いました。
2010年9月11日 ──涼──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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