ラピス・ラズリとシラトリ・ユキナは学校に通っている。年上の少女が渋ったという噂を当人は否定しているが、兎にも角にも、多くの出会いを経験して精神的な成長が著しい9歳の少女の保護者も「問題がないだろう」ということで、2人は毎朝一緒に登校している。
ラピス・ラズリは、最初こそ不安も多かったと思われるが、一ヶ月を経過する頃には集団生活に慣れ、友達もできたということで保護者の青年もほっと胸を撫で下ろしていた。
ユキナは、ユリアン・ミンツと同じように軍属の身分を与えられていたが、少年と違って単位を半年早く取得しているわけでもなく、正式に「軍人」となるまでごく自然と通う羽目になっていた。ルリとはまた違った立場のため、ミナトを含めた満場一致である。
「あー、ユリアンくんと同じように学校行かずに済むと思ったけど、やっぱり世の中甘くないってことかしら?」
本人のため息とは裏腹に、学校に通い始めれば少女本来の社交性を発揮し、すぐに周囲と打ち解け、ごく自然とクラスのリーダーを務めるようになっていた。
「意外とユキナって上に立つ素質があるのかもね?」
「まあ、かわいいし、明るいし、性格がさっぱりしているしねぇ」
「ちょっとビッテンフェルト提督みたいなところがあるけどね」
「それも彼女の魅力だと思うなぁ」
「元気ハツラツ天然っ娘って感じですよね」
「えっ? ナデシコのみんなそうじゃね?」
最後の発言者は緑色の瞳を有した同盟軍の士官だったらしい。ナデシコ女性陣の輪に勝手に割り込み、さらに失言までしてしまった彼に冷たい視線が注がれたことは言うまでもない。
◆◆◆
「おつかれ、ルリちゃん。午後からは非番だったよね、ゆっくり休むといいよ」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
午前中の勤務を終えたホシノ・ルリが、オモイカネ用の小型端末片手にそのまま足を運んだのはプラス1809レベルの森林公園だった。ポプランに案内されて以来、人工天体にあって本物の緑に埋め尽くされた広大な空間を気に入って時々足を運んでいるのだ。
そして、勤務も学校もなければお気に入りの場所でしばらく過ごすのが少女の新たな楽しみの一つになっていた。広すぎて人もまばらなので、あまり気兼ねせずに済むのも理由だった。
「えーと……」
ルリがお気に入りの場所に到着したとき、そのベンチには偶然というか必然というか、黒髪の最高司令官がベレー帽を顔に載せて昼寝をしている最中だった。
「これで何回目かな?」
ルリはあきれ半分、嬉しさ半分で「奇蹟のヤン」に控えめに声を掛けてみた。
「てーとく?」
ヤンの反応は鈍く、片目を開けて銀髪のツインテール美少女を認識してから5秒ほど時を置き、はっとしたと思ったら慌てて上半身を起こして立ち上がった。
「やあルリちゃん、こんにちは」
「ヤン提督、こんにちは」
ヤンに勧められてベンチに腰を下ろしたルリは事前に購入していたドリンクを一口含んだ。
「今日はもう、仕事はお終いかな?」
「はい。時間もあるので少しここでゆっくりしようと思って足を運びました。提督は
以前に比べると、聞き返す内容には気を遣っている。
「まあねぇ……ここは蚊がいないし温度も湿度も快適だからねぇ……」
「はあ……」
以前、ルリは初めてヤンがベンチで寝ているところに遭遇したとき、なんとも言えない不審と落胆に駆られてしまったものだった。そのときの会話は今とは違ってそれはそれは刺々しいものだ。
「ヤン提督は、たしか大将さんですよね?」
「うん、まあ、そういうことになっているね」
「この宇宙最強のイゼルローン要塞の総司令官ですよね?」
「ああ、まあ……」
「昼寝していていいんですか?」
「…………」
ヤンが、頭をかき回しながら効果的な言い訳を考えているらしい姿を眺め、ルリは数々の軍事的成功を収めた「魔術師」のイメージと重ねて
と同時に、「ヤン・ウェンリー」という個人は、やはりナデシコ気質に近い存在だと確信した。
それは、ユリアン・ミンツやオリビエ・ポプランのヤンを評して「提督は怠け者でいいのかも」という証言とその理由を聞いてますます強くなっていった。
ホシノ・ルリが「ホシノ・ルリ」でいられる理由と同じじゃない?
ルリは、ナデシコとみんなとミスマル・ユリカという女性と共にあって自分の存在意義と自分自身であることを強く意識していたから、ユリアンやポプランの証言に納得することができたのだ。
それでも、あえて言いたいことはある。
「てーとくは、よく周りのみんさんに怠け者よばわりされていますけど、反論しないんですか? 同盟軍最年少の大将さんですよね?」
「そうだねぇ、でも事実だから反論できなくてねぇ……」
「…………」
ヤンが、この手の自虐的な返答を少女にした場合、たいていじっと金色の瞳で見つめられるので「そうとうあきれているな」とやや重い気分に陥ることも少なくなかった。
それが勘違いだったと気づいたのは、いつぞやの会話のなかでじっと見つめられた後に少女の笑顔に触れたときだった。
ヤン・ウェンリーの──英雄とは名ばかりの数々の「失敗談」をまともに(不本意ながら)聞かされた人間はたいてい、あきれたとも、らしいともいうように笑うだけだったが、ホシノ・ルリから向けられた笑顔は軽蔑とか侮辱とかそういう黒い性質とはあきらかに違っていた。
ユリアンとはまた異質な──勘違いされないように表現するなら「不可思議なほど温かみを抱かせる笑顔」だったのだ。
その本質はなんだと問われれば、「癒し」としか表現のしようがなかっただろう。
ヤンもまた、自己の感性の未熟さを自覚したのである。
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ルリもヤンと会話を重ねるうちに、もう一つだけ確信したことがあった。ヤン・ウェンリーという同盟軍の英雄は比類ない軍事的才能に恵まれながら「軍人」という職業がほんとうは「心底嫌い」という矛盾を抱えていることだ。戦争を嫌いながらも戦えば結果をのこす自己矛盾。
ルリは、以前の会話の中でヤンがイゼルローン要塞攻略直後に辞表を提出していたことを本人の口から初めて聞いていた。
少女は軽くない衝撃とともに、彼が退役を思いとどまった理由も知った。
「どうも私は自分のことばかり考えていたらしい。シトレ元帥に君の部下をどうするつもりだ? と問われて私は背負っているものの重さを痛感したものさ」
なんとなく恥ずかしそうに告白した時のヤンの横顔を見つめながら、ルリは彼の胸中に募った葛藤の数々を感じ取り、「魔術師ヤン」「奇蹟のヤン」と異名をもつ同盟軍の英雄が飾らない一人の「人間」であることを心から嬉しく思った。
(やっぱり似ているのかなぁ……)
そして、もう一人、ヤンと同じ葛藤を抱えているかもしれない少女の尊敬する女性艦隊司令官の姿を思い浮かべた。ナデシコ艦長時代から今まで幾度となく危機を的確な指揮で乗り切ってきた成長段階にある妙齢の女性だ。
ルリは、ミスマル・ユリカの本音を何度か聞いている。楽天的天然素材のお嬢様も一人の人間として(意外にも)多くの葛藤を抱いていることを知っていた。
しかし、みんなの前ではいつも笑顔を絶やさない。「ばかばっか」とルリにあきれられる場面も少なくない。
でも、もしかしたらその高いテンションも実は演義なのではないかと感じることもあった。
「あれは間違いなく天然だろ?」
とテンカワ・アキトや他のクルーは断言している。
ルリは、アムリッツァから帰還後も元気一杯で行動するユリカに「どうしてそんなに笑顔でいられるのか」と非礼を承知で尋ねたことがあった。
「それが私だからね!」
Vサインをしてユリカは身体を翻していた。陽光に映えるその後ろ姿にルリは鼓動を高鳴らせたものだった。
それは追い続けるに相応しい憧憬であったろう。
「そうですよね」
ルリは、晴れ晴れとした気分になり、以後、疑念や不審を持つことはなくなった。
◆◆◆
ミスマル・ユリカにまつわるエピソードを美少女から告白された黒髪の司令官は、そのことに意外性を感じつつも自身が思う私見を述べた。
「彼女は能動的な部分と受動的な部分のバランスが偏っているのかもね。前者はセンスや能力であり、後者は日常的な性質だろうと思う」
「それってどういうことですか?」
小首をかしげるルリの可愛さは破壊力抜群だったが、多数派と異なりヤンが「萌え死ぬ」ということはない。彼は微笑んだだけである。
「そうだね。ミスマル提督は緊急時と平時とでずい分印象が違うんじゃないかな?」
「ええ、まあそういう人ですから」
「やっぱりね」
と意味深に応じたヤンだったが、彼こそまさにその類の人間であり、アレックス・キャゼルヌをして「あいつは首から下は全部不必要だからな」と限りなく灰色に近い冗談で評されていた。当然、ルリに余計な白状などしない。
「ああ、やっぱりって言うのはね……」
ヤンが言うには、ユリカの大部分を占めるのが「能動的な性質」であり、直感的な部分も含めて彼女の最大の特長であるという。
「ミスマル提督は無意識的にリーダシップを発揮できるタイプだと思う。実際に周りを引っ張っているのがよくわかったよ。でも、彼女の凄いところは学習能力とその応用能力への速さでもあるんだ。わかりやすく言えば、その卓越した能動的センスで取り込んだ情報を素早く実際にフィードバックできるということかな」
ルリが呆然としたのは、ヤンがごく短期間のうちに「ミスマル・ユリカ」という成長途中にある女性の本質を言い当てたことだった。そのことを一番よく感じていたのは他ならぬ少女である。ただヤンに比べればユリカに対する信頼や気質の分析に至る過程は短くない。ルリが「ミスマル・ユリカ」の本質を掴むまではもっと時間が掛かったのだ。
ユリアンの言うようにヤンの人物鑑定眼は極めて優れているようだった。
「彼女には発想の枠がきっとないんだろうね」
「でも、料理とかはぜんぜんダメなんですけど……」
「ああ、能動的な部分が優れている分、きっと受動的な部分で問題があるんだろうね」
ヤンの批評を含め、ルリはユリカのことをどう思っているのか率直に彼に訊いてみた。
「そうだね、とても頼りにしているさ」
気恥ずかしいとも嬉しそうとも取れる微笑を残し、ヤン・ウェンリーはルリに右手を振って森林公園を後にした。
「今日もヤン提督と話せてよかったなぁ……」
ルリは満足そうに頷き、持参していた端末を起動させ、オモイカネにヤンとのやり取りを報告したのだった。
V
アレックス・キャゼルヌ少将がイゼルローン要塞事務総監として着任した翌々日、ナデシコを含む20隻の艦隊はイゼルローン回廊の帝国側方面に哨戒任務を兼ねて軍事訓練にやって来ていた。
「いやー、ヒューベリオンの艦橋と違って華やかでいいぜ。むさいパトリチェフのおっさんとかうざいムライのおっさんとかと目を合わせないで済むしな」
陽気な緑色の瞳を艦橋オペレーターの美女たちのみに向けた同盟軍士官の名前をオリビエ・ポプランという。第13艦隊の「撃墜王」にして「歩く非健全者」とか「反社会的9無主義者」などなど、規律を重視する多数の人間からは白眼視されるものの、その他大半の人間にはけっこう好かれる青年だった。
「まあ、でも美女限定がいいぜ。性格のいい女はアッテンボロー提督辺りに任せるからな」
そのポプランは、数多くの関係者の懸念と不安とハルマゲドンの予感をものともせず、ナデシコの艦橋でポプラン節を連発していた。
「ところで副官殿……」
と言ってアクア・クリストファー大尉をお茶に誘おうとしたが軽く断られ、ミナトとメグミに声をかけるも「任務中よ」「お仕事中でーす」とにベもなくあしらわれてしまった。パイロット四人娘には声をかける前にショートカットの美人パイロットからは殺気を感じて止む終えず【後退】する。
「ふう、みんな素直じゃないよなぁ」
「というより少佐、よくめげませんね」
あきれながらも使命を放棄しなかった少年の名前をユリアン・ミンツという。ヤンの被保護者であり、ややウエーブのかかった亜麻色の髪と繊細な顔立ちが印象的な少年である。
ユリアンは、ヤン艦隊の「名誉と未来を一身に受け」、ポプランの大目付役として乗船していた。ツクモ大佐は体調不良でイゼルローンに在り、ゴートとプロスペクターは要塞事務の関係で訓練には参加していない。もちろん、ムライ少将も似たような理由でイゼルローンに在る。
「少佐、あまり羽目を外しすぎると後でムライ少将に大目玉をくらうことになりますよ」
「チョコボンボン食うか?」
丁寧に断られたので、ポプランは面白くなさそうにチョコボンボンを口の中に放り込んで噛み砕いた。
「まあ、いいさ。ゆっくりと今日を堪能してやるぜ」
心底、楽しむようにほくそえむ少佐にユリアンは自分がどこまで「暴走」を抑えられるかかなり不安だった。
「少佐、ほんとにはしゃぎすぎは禁物ですよ」
「はしゃいじゃいないさ。ちょっとしたお祭りを堪能しているだけだぜ」
ポプランがナデシコに乗船しているのは、強引というか成り行きというか作戦勝ちというか合法といえなくもないというか、執念というか──様々な打算とうっかりと偶然が複雑に絡みあった挙句に実現したとしか説明のしようがない。
その発端はナデシコが入港してから2日後、せこい方法で白い戦艦の格納庫に足を踏み入れたポプランが悠然と戦いの時を待つ巨大な人型機動兵器に一目ぼれしてしまってからだ。
なんと、今日までの過程でウリバタケを口説く?ことに成功し、ついに最後の量産機を専用機にしてしまった。
「タカスギ一人じゃデーター不足だろ? 俺が乗り込めば収集も早いぜ」
後者はともかくとして前者については最もであり、タカスギがファンベルクや黒色槍騎兵艦隊との戦闘で得た実戦データーだけではスパルタニアンのパイロットの適正を計るにはなおデーター不足だった。
さらに最高評議会議長や同盟軍軍事技術開発局からもさらなるデーター提出を求められていた。
「ならちょうどよくないですか? 総司令官殿」
エステバリスを得たポプランはここぞとばかりに直接ヤンにプッシュしたものだ。
「堂々と嬉しそうに言うね」
「嬉しいからでしゃばるんですよ」
人選についてはヤンたちに権限があるものの、承認は軍上層部に申請が必要だった。
「ま、ビュコック提督はポプランの不良ぶりを知っているだろうからまず承認されることはないだろうね」
ヤンは、ユリカの許しを得て半分冗談のつもりで申請したら、見事に承認されてしまったりした。まさに軽率だったわけだが、その瞬間、ポプランは第13艦隊と第14艦隊の中枢に自由に行き来できる権利を得てしまったのである。
「提督……」
深刻な声を向ける参謀長に、ヤンは戸惑いを隠しきれないというように片手で頭をかき回した。
「やれやれ、クブルスリー本部長やビュコック提督はもっと単純に考えたようだね」
つまり、行いの悪いポプランをあえて人選した理由を「パイロットの優秀さゆえ」だと単純に受け止めたのではないか? ということだ。
ヤンとしては深読みしすぎたことが逆に仇になったわけだ。日常の判断力は緊急時より鈍るようである。「奇蹟のヤン」のご利益が意外すぎる一面で効果を発揮してしまったともいえなくもないだろうか?
とはいえ、ポプランは第13艦隊の第一宙戦隊長でもある。そちらのほうが本業だから、一方的にエステバリに浮気できるわけでもない。ヤンやムライの懸念は半分くらいで留まる可能性があるだろう?
「いや、厳しいかもしれませんね。ナデシコにはアイツの望むものが92・7パーセントくらいありますから」
意見を求められた第二宙戦隊長は、分厚いクロスワードパズルを片手に実にさわやかに答えたとかなんとか……
一方、ウリバタケは実戦データーやパイロット連中の意見を取り入れて「銀河フレーム」の改良と撃墜されてしまったテンカワ機をベースに新たな試みを始め、直後、ポプラン専用機にも手を出している。
「ポプラン少佐は熱い漢だぜ! 俺は燃えるヤツには弱いんだよ!」
どう手なずけられたのか班長はやる気満々であり、テンカワ機と並行してポプラン機の改装も結局短期間のうちに仕上げてしまった。
ポプランのほうはといえば、ウリバタケを懐柔する前からエステバリスのシミュレーションルームに顔を出しており、タカスギやリョーコを呆然とさせる結果を出すに至っていた。
「ま、俺は天才だからな」
ふてぶてしいにも程がある台詞だったが、エステバリスパイロットの誰もがそれを否定できずにいた。最初こそポプランは戸惑ったものの、コツを掴むと自称「宇宙一の撃墜王」の名は本当に伊達ではなかった。
なぜなら、全員ポプランにシミュレーションで撃墜されてしまったからである。
もちろん、タカスギ機と同じくシミュレーションマシンのコクピットがスパルタニアン仕様になっていたことも要因だ。アキトたちと違ってタカスギもポプランもIFS体質ではない。実際、エステバリスが同盟で量産された場合、スパルタニアンのパイロットたちがエステバリにすぐに慣れるには同じようなシステムにするのが必然なのだ。
未熟にしろ熟練にしろ汎用性のある環境が求められるわけである。
そして、改良されたエステバリスと新たな試みのされたテンカワ機とポプラン機の試験運用を兼ねたのが今回の軍事訓練だ。
ただ、単純にエステバリスの訓練に留まらず、スパルタニアンを加えた合同訓練だった。
ファンベルグでの戦訓を踏まえ、戦闘艇と連携を強化するのが狙いでもあった。
ナデシコの格納庫は訓練開始時刻が迫るにつれて慌しさが増していた。
「さてと……」
ポプランは、慣れ親しんだオレンジ色のパイロットスーツに身を包み、愛機となったエステバリスを緑色の瞳で呑気に仰ぎ見た。
「自分で言うのもなんだがイケてるぜ」
ポプランの愛機は基本白色だ。そこにスパルタニアンと同じ塗装を施し、頭部と左肩部のシールドにはハートのエースをペイントしている。
「エステバリスの白き流星オリビエ・ポプラン……いや、モテ男の流星王子ポプランさまかな?」
未来に冠されるであろう異名を口にして眉をゆがめたのは、自分のネーミングセンスに再考ありと落胆したからだ。
「ま、その辺りはその時の楽しみに取っておくさ」
ポプランはヘルメットを被り、専用のタラップを駆け昇った。コクピットに着くとわくわくしながらシステムを起動させ、計器類に異常がないかすばやく目を通す。
「よし、オールグリーンだぜ」
その直後、彼の目の前に通信スクリーンが出現した。
ウリバタケだった。浅黒い顔に掛けられた四角っぽい眼鏡がポプランの目を引く。
『よう、ポプラン少佐。気分はどうだ?』
『もちろん上々! あんたの仕事は最上だぜ』
『ったりめえよ! あんたの熱い魂を魅せてくれよ!』
『期待は裏切らないぜ』
親指を立てて応じるウリバタケの通信スクリーンに次々と別のスクリーンが重なった。ポプランの僚友となる面子である。
『ポプラン少佐、リョーコちゃんが一番目の発進譲るそうですよ』
『えっ、マジで?』
『今日は特別だ。どうせ訓練だしな』
『わるいねぇ、リョーコちゃん。終わったら一緒にお茶しようよ』
『断る!』
『いいじゃん、二人の記念だしさ』
『な、なにが記念だ! 記念ってなんだよ!』
『リョーコったら顔真っ赤だよね』
『だまれ、ヒカル!』
『三角関係の始まりってことね……』
『か、勘弁してよイズミさん……』
『あのう、皆さん。さっきから提督がプンスカしていますけど』
控えめなイツキの指摘によって、個性の集合体であるパイロットたちはようやくユリカの通信スクリーンに気がついた。
『み・な・さ・ん。訓練だからってはしゃぎすぎはこ・ま・り・ま・す・よ!』
顔は笑っていたが、間隔を空けた迫力のある声に全員背筋を正す。最近のユリカは場合によってマジになる頻度が高い。
『じゃあ……』
落ち着いたところで、ゴートの代わりに戦闘指揮を執ることになっているアオイ・ジュンが全体の流れを再度説明した。
『──というわけで先行した巡航艦が射出する演習用のダミー群を敵ワルキューレに見立てて射撃訓練を最後に行います。各隊はスパルタニアン部隊と迎撃隊形をとりつつ、指示があるまで待機していてくださいね』
いくつかの最終確認が終わると、各艦隊からも準備OKの通信が次々に艦橋に届く。ユリカは艦隊の配置を再度確認し、全艦に訓練開始を通達した。
それを聞き、ウリバタケが管制室からインカムを通じて指示する。
『よっしゃあ! ポプラン少佐、準備がよければ発進してもいいぜ。タイミングはそっち持ちだぜ』
『OK! じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ』
ポプランは答え、艦橋で見守るユリアンに通信を繋げた。
『俺が手本を見せてやるぜ、未来のエース候補よ』
『ええ。少佐、どうかお気をつけて』
『愚問だな』
ポプランは敬礼して通信を閉じると、格納庫要員に合図を送った。エステバリスが台車ごと重力タパルトの射出位置に着く。
ポプランはずっとニヤニヤが止まらない。
「オリビエ・ポプランのさらなる極上伝説はここから始まるぜ」
直後、通信回線に勇声が轟いた。
『ポプラン機、出る!』
レバーを引くと機体が一気に前方に押し出されGが身体にのしかかるが、ポプランもまたそれが普段より心地よく感じていた。彼が見ているのはその先のみだ。畏敬と憧憬を人類に持たせ続ける無限の空間だ。
ポプランは、射出口の先にある千億以上の星々の瞬く漆黒の宇宙に躍り出た瞬間に歓喜した。
『イヤァァァ──ホッゥゥゥ──!!』
全員がポプランの姿を想像できていた。と同時にイカれた反応を耳にして戦闘艇を越える「オモチャ」を与えてしまったことは大いにまずかったんじゃないかと思わないでもない。
「えっ!?」
誰もがヒヤリとしたのは、急上昇したポプラン機が急に推力を失ったように失速し、天底方向に向って急降下を始めたからだった。
が、何のことはない。ポプランはわざと失速したのだ。しばらくするとスラスターとジェネレーターが急に稼動し、機体を横滑りさせながらポプラン機は二度宙返りをした。
『ていうか、初めてなのに凄すぎだよね』
「無謀」という意味では同類に属する最後の眼鏡っ娘アマノ・ヒカルもさすがにあきれたらしい。
というのも、ポプランがエステに乗って実際に宇宙に出るのは今日が初なのだ。
『さすが少佐、しびれるねぇ!』
『す、すごいなぁ……もう熟練パイロットのレベルだよね。なんか俺へこむんだけど』
『ふんっ!』
『コーネフ様だってきっと凄いんだからね!』
『あー、リョーコさん、早く発進しないと訓練予定に支障が出ますよ』
どうやら、いつも冷静なのはイツキだけのようだった。
X
訓練の内容は大いに満足すべきものだった。近接戦闘時の防御隊形の確立とスパルタニアン部隊とエステバリス部隊の連携による防宙戦術の実施etc……
後半、ウリバタケがサプライズで用意していた「バッタ」が五機未確認機としてエステバリスとスパルタニアン部隊の前に現われたときは双方とも慌てたものだった。
一人を除き……
その唯一の男、オリビエ・ポプランは素早く反応し、ウリバタケが説明を始めるより早くとっとと撃墜してしまう。
『あれ? 撃ち落したらまずかったのか?』
『いや、そのつもりのサプライズだからいいけどよ、少佐が早すぎなんで俺ちょっとへこんだぜ』
『えっ? なんでなんで』
会話の途中で突然警報が鳴った。
『ウリバタケさん、まだ何かあんの?』
『二重サプライズはねえぞ!』
となると本当に敵がやってきたことになる。各部隊に緊張が走る。ユリカはすばやく第一級の臨戦態勢を伝え、陣形を整えるよう指示を飛ばした。
「帝国軍の侵攻だったらこの数じゃ対応不可能だよ」
異変は訓練宙域の帝国方面──12時方向だった。
「帝国軍艦隊ではなく一隻だけです。帝国軍の高速戦艦と思われます」
ルリが索敵システムから得た情報を表示すると、それを確認したユリカは小首を傾げた。
「たった一隻ってどういうことかしら?」
すぐに停船信号が発信されたが、帰ってきた返信は意外な内容だった。
『我に交戦の意志なし。交渉に応じられたし』
どういうこと? とユリカの首がさら傾斜したが、その疑問に答えたのは艦長兼副参謀長のアオイ・ジュンだった。
「もしかしたら亡命者かもね。ここ最近は音沙汰がないらしいけど軍艦一隻なら十分可能性があると思うよ」
日ごろの勤勉さを披露した同期の友人にユリカは感心しつつ、帝国軍戦艦との間に回線をつなげるようメグミに依頼した。
その間、ユリカたちは話題を膨らませる。
「亡命してくる人たちってどんな感じかしらね?」
「だって軍人ですよ。いかついに決まってます」
「でも貴族ってこともあるかと思います」
「貴族が軍艦に乗ってくるかしらねぇ。いろいろ設備にケチつけると思うけど、私設艦とか贅沢仕様で来るとばかり想像していたしね」
「だったら亡命なんかするなって言いたいですよね」
ユリカの意表を突くダメ出し発言の直後、メグミが通信回線が繋がったことを知らせた。
「それでは回線を開いてください」
「はい、提督」
一隻の帝国軍戦艦との接触が、後に同盟全土を巻き込む火種になるということをユリカはまだ予測できないでいた。