首都星でクーデターが起こってイゼルローンも騒然としています
まさか、私たちにとっても恩人の一人といえる
グリーンヒル大将が首謀者だなんて……
そんなわけで会議は一旦解散です。
ヤン提督は司令官オフィスでなにやら考え込んでいるようです
要塞司令室にはその他が集まって、首都のこともそうだけど
グリーンヒル大尉の進退について心配しています
彼女が更迭されるんじゃないかっていう憶測も密かに飛びかっているし……
「そんなことにはならないと思いますけど」
ユリアンさんの言葉を信じたいところです
ヤン提督はどうするのかなぁ……
うちの提督も落ち着かない様子
2人ともよいお友達ですからねぇ……
でも提督がボソッと独語したのは意外なこと
「アカツキさん、役に立たないなぁ……」
そういえば、クーデターの阻止を依頼したって聞いてました
起ったということは失敗したっていうことですからねぇ……
でもまぁ、ビュコック提督たちもだめだったみたいだし
相手がグリーンヒル大将じゃねぇ……
今頃アカツキさんも拘束でもされて
待遇に文句でも言っているかも?
でも私たちの目の届かない舞台裏で
そのアカツキさんとあの人が
なにやら騒がしいことを始めていたのでした。
──ホシノ・ルリ──
T
その日、会談中に秘匿回線のスイッチをやや乱暴に切ったヨブ・トリューニヒトはやぶから棒に言った。
「アカツキくん、ここを退散しよう。クーデターが起る」
エリオル社の若き社長は3秒後にその意味を飲み込んで悔しそうに指を鳴らした。
アカツキが猛省している間にもトリューニヒトは身だしなみを整えて応接室を出て行こうとしていた。
「アカツキくん、早くしたまえ。武装兵がこちらに向かっている」
「!!!」
状況は1分1秒を争うらしい。アカツキは詮索するのは後だと考え、プレゼンに使用した端末だけをスーツの内ポケに押し込むと国家元首の後を追う。彼はトリューニヒトの後に続きながら疑問を口にした。
「それにしても警報も鳴らず、街も静かというのはどういうことですか?」
「君らしくない質問だね。今日は何があった?」
アカツキは、トリューニヒトのそのヒントでいつの間にかクーデターが起ろうとしている理由を理解した。今日、4月10日は首都星において軍事演習を行うことが3日前から査閲部長の名で各軍関係者および同盟市民に通達および放送されていたのである。昨日も警察が巡回車を使って首都中に告知していたくらいだ。
「まさか、グリーンヒル大将が?」
壮年の紳士の顔を思い浮かべ、アカツキは大きな衝撃を受けた。アカツキたち異分子とも言うべき存在を同盟軍へ迎え入れることに尽力してくれた一人が今回のクーデターに深く関わっているかもしれないのだ。
なぜグリーンヒル大将が? という疑問は大いにあるが、どうりで尻尾がつかめないはずだった。
グリーンヒル大将ほどの人望と緻密さと統率能力があれば秘密裏に計画を進めることなど
「シトレ元帥といいグリーンヒル大将といい、僕はついていないなぁ……」
ネルガル時代のような情報網が確立されていれば少なくとも事前に察知することはできたかもしれない。それを考えると今の体制は万全にはほど遠かったことは否めない。エリオル社のTOPになってから3ヶ月も経過していないのだ。父と兄が築いた情報網に比べれば見劣りするだろう。
「いい訳だけど……」
ミスマル・ユリカに「任せて」と
なんとか名誉挽回をしたい所だが……
アカツキはコミュニケを操作してエリナに通信を送ったが、どういうわけか繋がらない。いや、どうも通信を切っているようだった。なにかあったのかもしれない。
トリューニヒトの声がした。
「アカツキくん、こっちだ」
トリューニヒトは、応接室から自分の執務室に入ると出口ではなく書斎の前に立って何やら棚の奥をごそごそと探り始める。すると、左側の本棚が横にスライドし、その向こうに通路らしき空間が浮かび上がった。
「隠し通路ですか?」
「要人用エレベーターに乗る緊急用通路と言ってくれたまえ」
トリューニヒトは空間の先に進んだ。アカツキもその後に続くと後方が閉ざされ非常灯が点灯した。
「気をつけたまえ。階段になっている」
先に言ってほしかった、と青年は思った。
アカツキは体制を整えると長くもない階段を駆け下りた。その終着には銀色っぽい扉があった。トリューニヒトの言う要人用エレベーターだろう。元首がエレベーター横にある端末にIDカードをかざすと扉が開き、2人は文字通り駆け込んだ。すぐに扉は閉まり低い音とともに下降しはじめる。
「閣下、これはどこに繋がっているんですか?」
「地下通路だ。そこで私に緊急連絡をくれた人たちと合流し、かくまってもらうことになっている」
「かくまう?」
アカツキは、それがあの地球教ではないかと疑った。軍関係や政府機関の人間ならわざわざ固有名詞を曖昧にする必要はない。とにかく非公式の連中に違いないだろう。いつぞ
トリューニヒトは高そうな腕時計をチラリと見た。その直後に笑みが浮かぶのは余裕があるからだろう。他者に知られる間もなく要人用エレベーターに乗ってしまえばあとは表の連中には目の届かない地下に向かうだけだ。
──かくまうねぇ……事が治まるまで傍観を決め込むっていう腹づもりかな?
看破したアカツキは、それではいけないと内心で憤る。クーデターが起ってしまう以上、確かに一時的に安全な場所に避難する必要はあるだろう。だが身の安全が確保できたならばトリューニヒトは国家元首として国家の非常事態に責任を持たなければならないはずだ。
いや、そうする必要がある。
このクーデターという建国始まって以来の有事に、ヨブ・トリューニヒトは自分の権力とヤン・ウェンリーの信頼を得たいなら毅然と対処しなければならないのだ。
突然、エレベーターが大きく揺れて止まった。油断していたアカツキは壁面に背中をしたたかに打ち付けてしまう。トリューニヒトも例外なく無様に転倒した。
「……いったい何事だね!」
怒りに近いトリューニヒトの口調から、アカツキは何か不測の事態が起ったと確信した。案の定、ふらりと起き上がった元首と背中の痛みをこらえる青年社長が見たものは半開きになった扉と、その隙間から漏れる出口らしき光──しかも高さが頭より上だった。
「まったく、どういうことだね!」
トリューニヒトは苛立つように吐き捨てた。つい先刻までの余裕の表情が消え、予想外の出来事に焦りの色さえ窺える。
「閣下、メンテナンスを怠っていたんじゃありませんか?」
「そんなことはない! 国家元首用の脱出エレベーターだぞ。どこよりも優先して作業をしているはずだよ」
トリューニヒトは「S」と表示されたボタンを何度も叩いたがまるで反応がなかった。
「閣下、残念ですが無駄のようです。それよりもドアを強引に開けてここから出る必要がありますよ」
アカツキは、冷静さを欠いているトリューニヒトをなだめつつ、ドアを開くために助力を願った。さすがに同盟元首も緊急性の順序を理解したのか黙って青年に従った。
大企業の若き社長と壮年の国家元首が全力を込めてドアを開ける光景は見るものによっては無様に映ったであろう。ヤン・ウェンリーなどがトリューニヒトの必死な姿を見たら大いに溜飲を下げたに違いない。
U
ドアは3分の1ほど開いた。出口らしき空間の隙間は幸いにも高さが50センチ以上ある。これで隙間がそれ以下なら脱出どころかしばらく閉じ込められるところである。
「やれやれ……」
2人は、文字通り適度な労力を動員してエレベーターから這い出した。
アカツキはその周辺を見るなり、ここがトリューニヒトの言っていた地下通路でないことがすぐにわかった。両側は個性のない壁で覆われ、前方5メートル先には扉が見える。質感的に金属だろう。
「閣下、ここはどこです?」
アカツキが振り返ると、巧言令色家とか煽動政治家として良識ある人々からは圧倒的に嫌われている国家元首は酷く狼狽していた。
「……こ、これでは捕まってしまう。過激な連中に殺されてしまう!」
おいおい、とアカツキが肩をすくめたのは、「過激な連中」という形容詞がまさかトリューニヒトの口から出るとは思わなかったからだ。「憂国騎士団」のような過激な私兵集団を使って反戦派を密かに弾圧していたような男である。
さらに「殺される」という認識があったことが滑稽だった。
「バチが当たったんじゃありません?」
と言ってやりたいところだが無駄話は禁物だ。今、時間は権力よりも貴重なのだから。
「閣下、ここはどこです?」
重要なことをアカツキは繰り返し問うた。口調がやや強めだったのは狼狽するトリューニヒトの耳にしっかりと届かせるためだ。
「……こ、ここは地下駐車場だろう。エレベーターは基本地下通路に繋がっているが、状況によっては駐車場に停められるようにもなっている。これは……」
「けっこうです」
アカツキはトリューニヒトの言葉を遮った。すぐにコミュニケを操作して駐車場のどこかで待機しているはずのSPと連絡をとる。一瞬だけ自己嫌悪するように笑ったのは、彼も今まで部下に連絡することをすっかり忘却していたからだった。
通信はすぐに繋がった。金髪オールバックにサングラスを掛けたいかにも精悍そうな男だ。なぜか生え際の中心から二房ほどの髪の毛が触覚のように逆立っている。
「主任、大変なことになったよ」
アカツキは事実だけを告げ、自分たちを拾ってすぐにここを脱出するように指示した。一言だけ何か言った部下の姿が通信ウインドウから消える。
「議長閣下、あなたはツイていますよ」
アカツキはトリューニヒトを落ち着かせるために声を掛けるが、国家元首は床に座り込んでいた。
「どういうことだね?」
「駐車場には私のSPが待機していましてね。すぐに車を回すように指示しましたので脱出できますよ」
激励したつもりだったがトリューニヒトの表情は優れない。
「もう無理だ。決行時間の正午まであと数分しかない。今頃ビルは囲まれてしまっている」
「なるほど。ですが実際に突入されるのが正午ならまだ訓練もどきの真っ最中なわけでしょ? 大いにチャンスありですよ。そもそも権力嗜好たるしぶとい閣下の仰ることではありませんね。興ざめですよ」
トリューニヒトは不本意そうな顔をした。
「国家元首の私にそんな失礼なことが堂々と言えるのは君だけだよ……」
心底不愉快そうな口調だったが、意外にもトリューニヒトは立ち上がって身なりを整えた。
「だが”しぶとい”という表現はある意味大いに気に入った。クーデターを治めることができたら、私の新しいキャッチフレーズにしようと思うがどうかね?」
「どうでしょうかねぇ……」
アカツキは曖昧に応じて元首にドアを開けるように促す。どういう作用が働いたかは不明だが、トリューニヒトが脱出する気力を取り戻してくれたことは大いに幸いだった。
端末にIDカードを照会後に鉄の扉を開くと、そこは地下駐車場の端の方らしかった。たくさんの車が整然と並んでいたが、エリオル社の社章が側面にペイントされた黒い高級地上車2台がすぐ近くに停車していた。その周囲を黒ずくめのスーツにサングラスを掛けたいかにも屈強そうな男たちが辺りを警戒するように窺っている。
「社長、ご無事で」
アカツキたちを認めた一人のSPがすぐに声を掛けてきた。青年社長と通信でやりとりしていた金髪オールバックの骨太の男である。
「やあ主任、さすがに早いね」
「いいえ、社長が信号を送ってくださったので助かりました」
アカツキは頷いただけで、トリューニヒトを伴って先頭車両の後部座席に素早く乗り込んだ。助手席には主任が乗り、運転席には背の高い茶色い髪のSPが乗り込む。彼らはトリューニヒトの存在を詮索するようなことは一切しない。
ちょうどそのとき、きっかり正午になった。
「ア、アカツキくん!?」
「大丈夫ですよ。さて、ここから脱出といきますか」
2台の車はうなりを上げて急発進した。駐車場にいた数人の政府機関関係者が迷惑そうな顔をしてこちらを見ていたが、残念ながら彼らに危機を訴えてる余裕はない。
地上車は駐車場の出口に差し掛かった。幸いにもここには武装した兵士の姿は見当たらなかった。
──このままいけるか?
アカツキがそう考えたのは根拠がある。基本、演習目的のために部隊を展開するとしたら、まずは正面玄関側に配置するだろうからだ。決行時間になればクーデター側の兵士は演習名目で評議会ビルに突入し、だまされた政務中の閣僚たちを拘束するだろう。
まさか肝心のトリューニヒトがどこぞの緊急通信で危機を察知し、(当初の計画は狂ったが)地上車で脱出しようとしているとは予測できていないはず。特に裏門は……
──たしかに途中まではよかった。が、相手もやすやすと通すほど甘くないらしい。裏門は10人ばかりの武装兵に塞がれていた。
しかし、アカツキの命令は簡潔明瞭だった。
幸いにもまだ装甲車の類に塞がれていない。ここでためらえば後はない。何よりも、何も使わずに穏便──とはいかないが普通に脱出したいところだ。
地上車はさらに加速した。青ざめたトリューニヒトは上半身を低くして頭を抱える。レーザーライフルを構えた武装兵が何か叫んでいたが、2台の地上車は縦隊を組んでためらわず突進し、見事に検問を突破することに成功した。
「彼らもさすがに死にたくなかったようだね」
アカツキが肩越しに振り返ると、地上車の突入を直前で回避した武装兵がレーザーライフルを撃ってきたが、対防弾・対レーザーコーティングされた地上車にむなしく弾かれただけだった。
「どうやら脱出できたようだね。私はアカツキくんの事を信じていたよ」
いつの間にか立ち直っていたトリューニヒトがネクタイの位置を直しながらすまし顔で言った。アカツキもそのお調子者ぶりを突っ込む気にならない。
「だが、ここから先はどうするのかね? 連中が追ってこない保証はないと思うが」
「そうですねぇ……」
トリューニヒトの指摘することはアカツキも承知している。武装兵の警告を無視して突破した地上車をそのまま逃走させるとは考えられにくい。今頃、評議会ビルに突入したクーデター派の武装兵は姿の見当たらない国家元首を捜しているはずだ。その最中に2台の地上車が猛スピードでビルを後にしたことを知れば、よほどのおバカでなければ容易に答えを導き出すだろう。
だから、主要施設を占拠したクーデター派が本格的に手を回す前に彼らの勢力圏からなるべく離れる必要がある。
なぜなら装甲車や武装ヘリの追跡を受ける可能性が高いからだ。しかも
アカツキは、運転するSPに行き先を告げた。
「秘密基地に行くとしよう」
そのまま真っ直ぐに向かっていれば、追跡を振り切ることは確実にちがいなかった。
V
10分ほど郊外に向かって走行中、アカツキのコミュニケの呼び出しアラームが鳴った。青年が会話ボタンを押すと、目の前に二次元ウインドウが現れる。
『社長、ご無事でしょうか?』
音信普通だったエリナ・キンジョウ・ウォンだった。やや吊り目の美人秘書兼プロジェクト部長は社長の身を案じてはいたが、その態度も口調も落ち着き払っていた。エリナくんらしいとアカツキは思うのだが、もう少し取り乱してもバチは当たらないと内心で嘆く。
「ギリギリセーフだったよ。君もどうやら無事みたいだが拘束を逃れたのかい?」
エリナの背後は会社のオフィスでも社長室でもない。なぜなら、軍施設にありがちな極めて非個性的な地味な内部が映っていたからだ。
『私は製造工場にいたので難を逃れましたが、会社のほうはどうやらクーデター側に占拠されたようです』
「ありゃりゃ……」
普通ならほっとかれるはずだが、アカツキたちの「正体」を知っているグリーンヒル大将は彼らを利用価値ありとして──または何らかの理由で拘束しようとしたのだろう。まさかアカツキが決行日にトリューニヒトと非公式の会談を行っていることまでは把握できていなかったようだし、もちろんエリナがいる秘密基地を知っているはずもない。
あくまでも目的はアカツキとエリナだろうから、他の会社の重役たちまで拘束するとは考えられないし、居場所を追及したところで答えられるはずもない。トリューニヒトとの会談については当日になって重役たちに話しているから知られてしまうだろうが、秘密基地──製造工場のことを社内で知っているのはアカツキとエリナ以外では数人のSPに留まる。
もちろん、何らかのデーターを引き出そうとしても会社のデーターベースには既存の兵器について以外、極秘プロジェクトのデーターは存在しない。
もしどちらかが拘束されていれば、それはそれは不利な状況になったにちがいなかった。
「君がそちらにいるとは非常に心強いかぎりだよ」
トリューニヒトが突然会話に割り込んだ。
「やあ、エリナくん。君も無事だっとは本当によかった。私は君のことも大いに心配していたんだよ」
トリューニヒトの存在を総スルーしてエリナは訊いた。議長閣下はショックだったのか多少真っ白な状態だ。
「今はハイネセンの国道をハイウェイに向かって西進中だよ。スカール地区辺りかな? 中心部からは8キロぐらい離れたよ」
『わかりました。少々お待ちください』
10数秒間、端末をいじっていたらしいエリナは再び唇を開いた。
『会社が所有する地上車2台を捕捉しました。通常の交通管制システムは切っていらっしゃいますよね?』
「もちろんさ」
『では今後はこちらが直接誘導いたします』
「頼むよ」
これで一息つけるかと思ったアカツキだが、エリナは神妙な顔をして続けた。
『実は社長にお耳に入れたい情報があるのですが』
「何かな? 構わないから言っていいよ」
『では……』
エリナがもたらした情報は、アカツキが思い描きはじめた首都奪還計画を飛躍的に高めるものだった。現状、一旦身を隠したあと首都奪還に向けて行動しなければならないが、その際に問題となるのが奪還部隊をまとめる指揮官だった。
今回、軍部は帝国領侵攻作戦に続く”失態”を犯してしまっている。アムリッツァでかろうじて保った軍部の信頼がマイナスになるくらいの痛手にみまわれてしまったのだ。末端のいち将校ならいざしらず、今回のクーデターの一員には長い間軍部組織の中心的役割を担ってきたグリーンヒル大将が含まれている。クーデターを軍の重鎮が起こしたとなれば世論の風当たりは強くなり、ここぞとばかりにダメ政治家たちが喜んで組織に手を加えるかもしれない。自分たちの欲のために国家体制を守護する軍部を弱体化させるのだ。
なんとも救いようのない本末転倒ではある。
──バランスっていうのは難しいけどねぇ……
今のトリューニヒトがいたずらに軍部を弱体化させるとは思わないが、彼の周囲にうろつく三流政治家たちが目先の利益のためによからぬ事を吹き込む可能性は高い。トリューニヒトは意外に周囲からの讒言に強く反応してしまうきらいがあるのだ。国家元首が彼らの言うことを鵜呑みにすれば、彼らお気に入りの人事で軍上層部が固められてしまうだろう。
もちろん、アカツキはそんなダメ政治家たちの専横を阻止するつもりだが、彼も24時間トリューニヒトの傍らにいるわけではない。
それを避けるには……
アカツキが首都奪還の指揮を執ってもいいが、それでは軍部の失墜はそのままになってしまう。名声も人望もある高級将校が指揮を執って首都奪還に動けばクーデター鎮圧後、状況はかなりマシになるはずだ。
当初は、その有力な将帥たちがクーデター側に捕まってしまっただろうから、どう計画を進めようかと困っていたのだが、さすがというかまさに幸運というか、指揮を執るのに相応しい人物が拘束を免れていたのだ。
ただ、このままでは彼は捕まってしまうだろう。
「エリナくん、うまく接触できるように誘導してくれるかな。間に合いそうかい?」
『ギリギリでしょうね』
「じゃあ、向こうを捕捉して通信できないかな?」
『捕捉は可能ですが、先方は独立した通信網ではないはずです。傍受される可能性が高いと思われます』
とすれば、やはりエリナに誘導を頼み、直接事態を伝えるしかない。
『了解しました。ではナビシステムに沿って誘導します』
「ぜひ安全な経路をお願いしたいね。援軍のほうはどうかな?」
『スクランブルをかけていますが、出撃可能なのは5機だけです』
エリナの即答にアカツキは軽く唸った。さすが彼女は準備を怠っていなかった。現状に即した冷静な判断力と行動力はますます磨かれているらしい。
「十分な数だよ」
アカツキは満足したが、エリナは問題点を指摘した。
『社長、ここからは距離があるので全力で飛ばしても50分はかかってしまいます』
そうだった!、とアカツキは舌打ちした。接触ポイントまでは先に到着できそうだが、先方と合流をはたすには5分ほどにタイムラグが発生する。アカツキとトリューニヒトの逃走がスムーズにクーデター側に伝わっていればグリーンヒル大将はすぐにでも追跡部隊を差し向けているはずだ。
この場合、もっとも出動が考えられるのがエリオル社が製造している追跡用武装ヘリだ。豊富な光学センサーと衛星とリンクした複眼をもつ同盟軍屈指の軍用ヘリである。
まだ中心部から脱出していない状態では合流時前後に発見されてしまう可能性がある。この危機を脱するには合流時間とほぼ同時に支援が受けられないと非常にまずい。リスクを減らすには30分以内に到着してもらわねばならないだろう。
「ステレス輸送機を使おう。どうだい?」
『短縮は可能かと。ですが動かせるのは2機だけですよ』
「いや、それでいい。その代わり腕のいいパイロットを頼むよ」
『了解しました。すぐに準備させます』
「頼むよ。じゃないと一網打尽にされちゃうからね」
『そのときは社長の底力に期待します』
エリナは、冷静に言って一旦通信を切った。
楽をさせてくれないなぁ、とアカツキはぼやいたが、右方向からやたらと強い視線が突き刺さる。
「アカツキくん、何をするつもりだね?」
トリューニヒトだった。そういえばやりとりに集中していて忘れていたな、と青年社長は内心で薄く笑った。本来ならそういうことは議長に相談しなければならないところだが、時間がもったいないのでとっとと自分で決めてしまっていた。まあ、状況が状況だから事後承諾ってことにするしかないだろうなぁ……
「これからある人物と合流します」
「誰だね?」
アカツキがその名前を告げると、トリューニヒトは怒ったように目を見張った。予想できた反応だ。
「国家元首の安全を差し置いて逆方向の彼と合流かね!? 重大なことを私に相談もなしに勝手に決めてもらっては大変困るよ」
だいたい言われる内容も予想の範囲だった。トリューニヒトが恫喝するような台詞を投げつけてきてもアカツキは1ミリたりとも動じなかった。
「ひとつ、まじめな話をしましょう」
切れ長の目から鋭く注がれた視線に国家元首はたじろいだ。
「な、なんだね……」
「クーデターは起こってしまいました。もっとも大切なことはなんでしょうか?」
「安全を確保することかね?」
「違います。クーデターを鎮圧することです」
それは、あまりにも自明の理にトリューニヒトニは思えた。
「最も大切なのはクーデターを速やかに鎮圧することです。長引けばそれだけ被害と経済的損失は大きくなってしまいますからね」
そのためにはイゼルローン要塞の戦力に頼るだけではだめだとアカツキは考えている。地上にある戦力を動かすことによって宇宙艦隊と連係し、首都奪還を目指すことが被害と損失を最小限に抑える最短距離となるのだ。
もちろん、ローエングラム候にしてやられるままにしておくわけにはいかない。
そもそも地上戦力はなにも首都周辺ばかりではない。地方にも散らばっている。これらの部隊は主に周辺有事への対応や後方支援、治安に備えているものだ。
その部隊のほとんどは、首都での異変をいまだ知りえていないだろうが、知った時には手を出せない状況に置かれてしまう。どうにかしたいと考えてはいても命令系統が制圧され、情報統制を敷かれてしまえば地方の部隊はよりリスクを恐れて行動を起こすことはできなくなるだろう。
しかし、四面楚歌の状態に名声も人望も実績もある将校が現れればどうだろうか? しかも最高評議会議長たるトリューニヒトもいるのだ。臨時の命令系統は確立されたも同然だ。周辺に散らばる部隊を統率し、首都奪還に向けた反撃を専門家の手に委ねることができるのだ。
「なるほど。彼に裁量を与えれば私は危険な場所に出ることなく後方で構えていればいいわけだね」
ズル賢くもトリューニヒトは計算のできる男らしく正解を導き出していた。
「おっしゃる通りですよ」
だがトリューニヒトは極めて深刻な一つの懸念を口にした。
「宇宙と地上からクーデター鎮圧と君は言うが、肝心の駐留艦隊がクーデター側に加担したらどうするのかね?」
「それは断じてありません」
即答だった。
「ヤン提督は民主共和制の制度そのものに忠誠を誓っています。彼が嫌うのは今回のクーデターのように民主的手続きによらない政権奪取であり、制度そのものを食い物にして利権をあさる残念な輩です」
「私はそのリストに入っているとでも?」
「今のところダントツのワースト1です」
あまりにも明確に断言されてしまったので、トリューニヒトは怒りよりも顔が引きつってしまう。もちろん、アカツキも感情的にぶちまけたわけではなかった。
「ですが、今回のクーデターに閣下が逃げずに立ち向かえばヤン・ウェンリーは閣下の評価を改めることに繋がるでしょう」
それだけではない。クーデターに対してトリューニヒトが軍部と協力して戦えば、ヤン以外の反トリューニヒト派に対しても大きな効果があり、クーデター鎮圧後は政権の支持率は大きく躍進するにちがいないのだ。
「なるほど、さすがアカツキくんだね。若いのに政治というものをよくわかっている。私が英雄を使いこなして政権を安泰にするために必要な対応ということだね?」
アカツキは大いに頷いたが、ヤン・ウェンリーがトリューニヒトを見直すためには実のところ材料不足と言わざるをえない。「奇蹟のヤン」の不信は相当根深い。
とはいえ、トリューニヒトが対応を誤り、ヤンの不信を光秒単位で増量させるよりははるかにマシだ。今回の手は元首様には有功だと思わせておくほうがいいだろう。
なによりも、アカツキ自身の矜持にも関わるのだ。
トリューニヒトはアカツキの思惑など知らず、急に上機嫌になってえらそうに言った。
W
正午前に国立第一軍事病院を出発した一台の地上車が首都幹線を北上し、ハイネセンポリスの中心部手前に差しかかろうという直前だった。
運転する部下が上官に異変を知らせた。
「閣下、前方を2台の地上車が塞いでいます。いかがいたしますか?」
「なに?」
後部座席からたくましい身体を横に反らして同盟軍士官が前方を覗き込んだ。たしかに地上車が道を塞いでいる。だが、その前に立って大きく手を振るロン毛の男を彼はよく知っていた。
「彼の手前で車を停車させてくれ」
部下が地上車を指示通りに停車させると、同盟軍士官の男は後部座席に座るもう一人を伴って外に降り立った。
「何事だねアカツキくん」
「大変お久しぶりです、ウランフ提督」
アカツキは同盟軍屈指の勇将にうやうやしく一礼した。青年が社長就任前にお見舞いに訪れてから実に数ヶ月ぶりだ。長い入院生活のせいかウランフの頬はややこけたようだったが、精悍な顔と浅黒い肌から発せられる威厳は健在だった。
「実は……」
アカツキは手短に事態を説明した。
「首都でクーデターだと!?」
驚くのも無理がないだろう。各星系で頻発する武装叛乱を憂慮し、予告なしの前倒しで退院した当日にまさかの事態になってしまったのだ。同伴しているチェン参謀長も声が出ない。
「この先には検問が敷かれていましてね。まだ何も知らない閣下を捕まえようと待ち構えています」
「……なるほど。不幸中の幸いというヤツだな。で、どうするんだね?」
さすがにウランフは切り替えが早い。事態と置かれた状況を瞬時に理解したのだろう。冷静な質問だった。
「我々と一緒にご同行願います。実はあまり時間がないのですよ」
とかなんとか説明していたらエリナから緊急通信が届いた。
『社長、そちらに地上部隊と武装ヘリが3機向かっています』
一大事だった。残念すぎるくらい予想したとおりの展開だ。
「閣下、詳しいことは後です。これをお渡しします。あと大急ぎで交通管制システムを切ってください!」
アカツキがウランフに渡したのはコミュニケだった。勇将もナデシコ訪問時に使い方は教わったが、その時からずい分時間が経っている。
「それがあれば万が一はぐれたとしてもエリナくんが誘導してくれますし、援軍が望めます。では!」
それだけ急いで告げると、アカツキは駆け足で地上車に乗り込む。ウランフもチェンと視線を交わしただけで大急ぎで車に乗り込んだ。
「なあ参謀長、これって使い方憶えているか?」
「たしかフリーモードとかありませんでしたっけ?」
アカツキの乗った地上車がひるがえって先頭を走り出したが、その際、ウランフはこちらを一瞥した驚くべき人物をたしかに目撃した。
詮索している余裕はなさそうだった。いずれ落ち着けば直接話をする機会もあるかもしれない。今はクーデターの追跡から逃れることに集中するしかないだろう。
ウランフの乗った地上車も先頭車に続いた。その後方を護衛するようにSPたちの乗車するもう一台が追従する。
ウランフは、ふと窓越しに空を見上げた。
「雨が降りそうだな……」
ハイネセンポリスの空は灰色の雲に覆われつつあった。
救国軍事会議の中枢となっている統合作戦本ビルの一室には、次々と「主要施設を占拠した」との一報が入っていた。
その最中、両手に電子手錠をかけられ、衛兵二名に両脇を抱えられた一人の同盟軍人が室内に連行されてきた。ベレー帽は被っておらず、抵抗したのか軍服はやや乱れていた。赤色の頭髪と同色の髭に覆われた第8艦隊司令官は命令書を受け取ったあと参謀長とオフィスで予定を協議中に拘束されたのだった。
グラハム・D・アップルトン提督は、集うクーデター側の人物たちを目の当たりにして小さくない衝撃を受けていた。
まさかっ!!
と声に出してうろたえるようなことはなかったが、クーデター側の面子は彼を驚かせるのに十分だった。そのほとんどが脳裏に深く刻まれており、ともに軍務に励んだ者も含まれていた。情報部長ブロンズ中将、第11艦隊司令官ルグランジュ中将、統合作戦本部ビル警備隊指揮官ヨルデン大佐、グリーンヒル大将の下で情報主任参謀だったエベンス大佐他、かなりの高級将校が参加していた。
しかし、アップルトンが最も目を疑ったのは、彼も尊敬するグリーンヒル大将本人を議長席に認めたときだった。
冷静さを吹き飛ばし、アップルトンはグリーンヒル大将に強い口調で詰問する。端正な顔のクーデター派の中心人物は一瞬の沈黙の後に言った。
「こういうことだ、アップルトン提督。我々は自由惑星同盟を救うために決起した」
「なっ!」
それ以上、言葉を失ってしまった赤髭の提督にグリーンヒル大将は決意の言葉を向けた。
「これ以上、腐敗した政治家と彼らに媚を売る軍人たちをこのままにしておくことはできない。意味のない多くの犠牲を同盟市民に強いることももはや限界なのだ。国父アーレ・ハイネセンが長征1万光年の末にうち建てた民主共和制の精神を守るために我々は諸悪の根源を一掃する!」
数秒ほど間を置いてアップルトンが声を絞り出した。
「……本気ですか? 閣下」
「もちろん本気だ。これを冗談というわけにはいくまい?」
冷然と言い放つグリーンヒル大将の顔も気迫に満ちていた。彼は何かを言い返そうとしたアップルトンの声を遮り、重大な要請をした。
「貴官を連れて来たのは他でもない。単刀直入に言おう。第8艦隊とともに我々の側に加わってもらいたい」
アップルトンは温厚な顔に決意を露にして毅然と断った。グリーンヒル大将はさらに言葉をつぐむ。
「貴官も身にしみているはずだ。政治家たちの権力維持による無責任な出兵、稚拙な作戦計画の結果、侵攻作戦は多大の犠牲を払った。その中に貴官の友人だったアル・サレム提督も含まれている。彼らはなぜなす術なく死なねばならなかったのか良く考えたまえ。同盟の政治体制、汚職まみれの政治家と結託する堕落した軍内部を今こそ浄化する必要があるのだ。そのためには貴官の力が必要なのだ」
グリーンヒル大将の説得に、アップルトンは無言で頭を左右に振った。
「閣下。閣下のおっしゃるように今の同盟の政治体制と軍内部に問題があることは認めます。ですが、だからと言って同じような手段で世を変えてはいつかまた手痛いしっぺ返しをくらうことになりかねませんぞ!」
「我々には協力できないと貴官は言うのかね?」
「その通りです。私は民主共和制の精神を守護する自由惑星同盟の軍人です。不当な組織に協力はできない」
「そうか……」
グリーンヒル大将は、アップルトン提督の揺らぎのない瞳を直視したまま、左手で出口方向を指差した。
「これ以上の議論は無用だ。アップルトン提督を例の部屋に軟禁しろ。だが手荒な真似はするな」
2人の衛兵は敬礼し、アップルトンの両脇を抱えたままきびすを返す。その去り際に赤髭の提督は声を荒げて訴えた。
「閣下、どうかお考え直しください! クーデターが成功したとしてもより深い禍根を残すことになりますぞ!!」
返答はなかった。「早く連れて行け」というエベンス大佐の命令が室内に響いただけである。グリーンヒル大将は沈黙を守ったまま連行されるアップルトンの背中をしばらく見つめていた。
「閣下、アップルトン提督をもう少し説得されてもよかったのでは?」
そう問うたのはエベンス大佐だった。もし第8艦隊が加われば機動戦力が大幅に強化されるばかりか、駐留艦隊が敵に回ってもその戦力を上回ることになる。また、当初の作戦計画以外にも選択が増え、駐留艦隊に対して有利な戦略的条件で戦いに臨むことができるのだ。
グリーンヒル大将は頭を振った。
「戦力が充実することにこしたことはないが、アップルトン提督は元からの同志ではない。あいまいな気持ちで加わって途中で迷うようなことにでもなれば我々にとっても本末転倒だ。彼が即座に拒否した時点であれ以上の説得に意味はない」
エベンス大佐は納得してうなずき、メンバーも同意した。彼らの強固な意志を継続させるためにはほころびがあってはならないのだ。国家の衰亡を立て直すために彼らは命を賭けて立ち上がったのだから……
入れ替わりに連絡士官の一人が現れて中継の用意が整った旨を伝えに来た。グリーンヒル大将とエベンス大佐が席を立つ。
そのとき、室内にある通信スクリーンのアラームが鳴って30代ほどの士官の顔が映った。
「緊急にご報告がございます」
それは、行方不明になっていた同盟国家元首ヨブ・トリューニヒトの所在が判明したというものだった。クーデターを成功させる上で重要な人質となるはずの人物であり、国家を衰亡させうる元凶の一人でもあった。
しかも、逃亡に使用された地上車はエリオル社の所有と判明した。
トリューニヒト同様身柄が確保されていないアカツキ・ナガレが同伴している可能性が高い。さらに驚いたことに軍病院で身柄を確保できなかったウランフ提督の乗る地上車周辺を走行中だというのだ。
「これで一網打尽だ」
と他のメンバーは気勢を上げたが、クーデター首謀者の顔は険しくなった。
──これは偶然か? 厄介なことになっているな……
グリーンヒル大将は手を組み、厳かに命じた。
「地上部隊の他に武装ヘリを3機出して追跡させろ。三人とも必ず身柄を確保するのだ。多少荒っぽくなるのは仕方がない」
敬礼する士官の姿がスクリーンから消えると、グリーンヒル大将はエベンス大佐とともに放送室に向かったのだった。