自由惑星同盟と銀河帝国の中間に位置する商業貿易国家フェザーン自治領。ここでも同盟で起こった内乱の全容を知るべく情報収集システムがフル稼働し、集められた情報は自治領主アドレアン・ルビンスキーのもとに迅速に届けられていた。
 
 「──なるほど。査閲部長たるグリーンヒル大将が演習を利用して一斉蜂起したということか」

  「さようです閣下」

  補佐官の説明とディスプレイに表示された数々の情報を目にし、自治領主はなぜか納得したように頷いていた。

  「グリーンヒル大将といえば同盟軍内でも屈指の良識派とされていただけに、大いに意表を突かれたかっこうだな」

  「まったくです。侵攻作戦の大敗により責任をとる形で転出させられた部署の長が、よもやクーデターの首謀者とは思いますまい。ましてグリーンヒル大将ですからな」

  ルビンスキーの首席補佐官ニコラス・ボルテックは、ディスプレイの表示を別のものに変更する。そこにはクーデター時に占拠された主な施設と拘束されたと思われる要人の名前が表示されていた。最高評議会議事堂、議長公邸、統合作戦本部、宇宙艦隊本部ビル、宇宙防衛管制本部、ハイネセン軍事宇宙港、恒星間通信センター、都市交通管制センター、警察本部、中央銀行、放送局、宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック大将、統合作戦本部長クブルスリー大将、各最高評議会議員etc……

  ボルテックは、一呼吸置いて付け加えた。

  「詳細は不明ですが、同盟国内において軍需産業のTOPシェアをほこるエリオル社も占拠の対象となったようです」

  ルビンスキーの太い眉がピクリと上下した。

  「エリオル社といえば驚くような人事が今年の初め頃にあったな」

  「はい。突然の社長交代でした。ですがどうも事前に社内で決定されていた節がありますし、非公式ですがトリューニヒトの後押しがあったとか」

  「ふむ」

  ボルテックは端末を操作し、ある映像をディスプレイに表示した。それは高そうなスーツに身を包んだロン毛の若者がエリオル社の社章を背景に壇上で演説をしているものだった。

  「──これはその就任式の映像です。名前はアカツキ・ナガレ、年齢は20代前半。軍部から技術的な顧問として社に出向していたということですが、あの戦艦ナデシコと関わりがあるという噂も流れております」

  「うむ、そうだったな。結局、ナデシコそのものがイゼルローンに行ってしまったおかげで繋がりを探ることができなくなったが、あまりにも若すぎる新社長就任は世間の度肝を抜いたからな」

  「さようでしたな。また、今回の内乱の情報を集める副産物として一つ判明したことがございます」

  ルビンスキーは、有能な補佐官の謎掛けに大いに知的好奇心を刺激されたのか口元が緩んだ。

  「というと?」

  「はい。どうやらアカツキ・ナガレという若者は一昨年の春ごろから一ヶ月ほどフェザーンに滞在していたようなのです。フェザーン市街や宇宙港でその姿がたびたび目撃されておりました」

  「具体的にどの辺りだ?」

  ボルテックは、アカツキが多く目撃された場所を説明した。フェザーン国立公文書図書館、フェザーン国立人類史戦史資料館、フェザーン国立西暦貿易資料センター。そしてフェザーン商人達が集まる歓楽街であると。

  奇妙なもので、後の就任に繋がるような行動にはなりおおせてはいない。

  しかし、ルビンスキーはナデシコの存在そのものに疑問を抱き続けているので、総代主教の反応を含めてアカツキ・ナガレが訪問した数々の施設の意味が気になっていた。

  ──同盟と地球が隠していることは……

  口にしたのは別のことだった。

  「それで、彼も拘束されたのか?」

  ボルテックは否定した。ヨブ・トリューニヒトと同じく事前に察知していたらしく、現在所在不明であると。

  「これは不確定情報なのですが、トリューニヒトとアカツキ・ナガレはともに逃走した可能性があります。それと関連があるかどうか不明ですが、ハイネセンポリス郊外でなにか銃撃戦のようなことがあった模様です」

  「ふむ」

  とルビンスキーは相槌を打って厚い胸板の前で両腕を組んだ。

  「トリューニヒトには簡単に捕まってもらっては困る。ヤツにはまだまだ利用価値があるからな」

  一つ、ルビンスキーが問題にしていることがあるとすれば、トリューニヒトは単独で逃走したのか、情報のようにアカツキ・ナガレと逃走したのかである。いずれかの違いで内乱に対する今後のありようがずいぶんと違ってくるのではないかと思うのだ。

  もっとも、ハイネンセン全土に戒厳令が敷かれてしまった以上、フェザーンといえど内情を探ることは容易ではないだろう。

  そして、ルビンスキーの興味は遠い宇宙に浮かぶ最強の人工軍事天体に向けられた。

  「さてこの事態、ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカはどう動くかな?」










闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説







第十章(後編・其の三)

『あえて(いばら)の道へ/ミスマル艦隊・ヤン艦隊出動!』








T

 首都星ハイネセンでのまさかのクーデター。しかもその首謀者はヤンも尊敬していたグリーンヒル大将だった。

 総司令官ヤン・ウェンリーは招集した会議を一旦解散し、司令官オフィスにこもって何やら悩みぬいている。

  もう一人の重要人物たるミスマル・ユリカは、同年齢の友人フレデリカ・グリーンヒル大尉にかける言葉が見つからず、自分のオフィスに戻ったもののどうにも落ち着くことができず、副官アクア・クリストファー中尉に留守を任せて自らはどこぞへと足を向けた。
 
 上官を敬礼で見送った後、金髪碧眼の副官は複雑な表情のまま着座した。

  ──まさか、こんなことになるなんてね……

  まさか、とはグリーンヒル大尉の実の父親がクーデターの首謀者であったことだ。通常ならばグリーンヒル大尉は更迭される可能性が高い。重大な国家反逆を実行した軍人の娘を副官に据え続けることなどありえない。

  グリーンヒル大尉が更迭されれば、士官学校在籍中、常に彼女をライバル視していたアクアは、自らの手を汚すことも労力を必要とせず極めて正統的な手段でライバルを蹴落とすことができるのだ。

  ──そんなこと……

  アクアは全く喜んでいなかった。そんな歪んだ考えをしていたのは1ヶ月ほど前のことだ。

  思い起こせば、いつ頃からフレデリカ・グリーンヒルに競争意識と嫌悪感を抱いていただろうか?

  おそらく、入学当初からかもしれない。在学中アクアは常にTOPであることを自分に課し、最終的には主席で卒業したが、フレデリカは彼女の優位を脅かす存在だった。三年目は彼女に年間の成績を抜かれてしまったこともあったのだ。

  ──私は負けられない……

  アクアは強く思った。理由は彼女のプライドにも起因したかもしれないが、その根本は高級将官の娘であるフレデリカ・グリーンヒルへの反発だった。

  グリーンヒル大尉の父ドワイト・グリーンヒルは、アクアが士官学校に入学当初、すでに同盟軍内でエリートの道を歩んでいたが、彼女の父親は一介の大尉にすぎなかった。「昼行灯」と呼ばれるほど軍人には向かない男だったが、アクアにとっては家族を大事にするよき父親だった。

  アクアは、父親の名誉と評価向上のために士官学校に入学し、そこで奮闘した。

  しかし、アクアが卒業して間もなく父親は第6次イゼルローン要塞攻略戦で巡航艦の副長として乗り込み戦死した。

  あっけない最期だった。士官学校を主席で卒業した愛娘を周囲に自慢し、「父さんには大運があるんだぞ」と娘に笑って言った姿だけがアクアの記憶に強く刻み付けられたのであった。

  それからしばらくしてアクアにチャンスが訪れた。アスターテ会戦後に第13艦隊が新設され、司令官ヤン・ウェンリー少将の副官として候補に挙がったのである。士官学校を主席で卒業し、前線勤務を願い出ていたアクアは自分の副官主任を信じて疑わなかった。

  しかし、抜擢されたのは次席だったフレデリカ・グリーンヒル中尉だった。

  アクアはひどく落胆した。能力的にライバルに劣っているとは思っていなかったのだ。むしろ前線に立つ覚悟を決めている自分こそ任命されるべきなのに……

  アクアは人事部に抗議した。どうしてグリーンヒル中尉が副官に任命されたのか納得できる理由を聞かせてほしいと。

  人事部長マクギャリー中将は権威主義タイプの人間ではなかったが、決して平身低頭とも言えなかった。彼は美しいがどこか棘のある新人中尉を黙らせるために言った。

  「総参謀長閣下と統合作戦本部次席副官、両名直々の推薦によるものだ。高級将官二名の推薦を無視するわけにはいかない」

  マクギャリー中将としては適当な理由をつけて反論されるよりも、正当な事実を突きつけて潔く退場してもらおうと考えたのだろう。

  事実、アクアは黙礼して退出した。やれやれと肩をすくめた中将にとっては意図通りの結果だったが、アクア・クリストファー中尉の矜持を傷つけるには十分だったのである。

  推薦そのものをアクアは問題にしたのではなく、その中にドワイト・グリーンヒル大将が含まれていたことが問題だった。

  「ずるい」

  とアクアは憤ったのだ。彼女には後ろ盾となる存在はない。高い地位にある身内が推薦すれば当然それは反映される。

  また、ヤン・ウェンリーという黒髪の提督が味方の血を一滴も流すことなくイゼルローン要塞を攻略したことから、グリーンヒル大将はヤンの実力と作戦の成功を知っていて娘を副官に据えたのではないかという疑惑にもかられた。

  「信じられない……」

  それでもアクアが腐らずに軍人としての責務を継続していたのは、ひとえに亡き父親の名誉を守るためであり、周囲を見返したいという強い決意からだった。


  そしてアムリッツァ終結後の宇宙歴796年11月。アクア・クリストファー中尉に新たな辞令が下された。戦後処理のためにビュコック提督の下に戻ったスールズカリッター大尉の後任として第14艦隊司令官ミスマル・ユリカ中将の副官に任命されたのである。

  アクアは飛び上がって喜んだ。半個艦隊で帝国軍の猛攻に耐え、同盟軍の秩序ある撤退に貢献した同盟史上初の女性艦隊司令官のもとで働けるのだ。「奇蹟のヤン」や宿将ビュコック提督らからも高い評価を受ける女性司令官である。自分の出世も早くなるに違いないと期待が膨らんだ。

  ただし、ライバルが副官を務める第13艦隊と共にイゼルローン要塞を守備することが決まっていた。

  アクアは不快感を覚えたものの周囲に感情を漏らすことなく、副官を拝命した当日にミスマル・ユリカの司令官室を訪ね、なにかと驚くことになった。事前にクブルスリー大将やビュコック大将に異例とも言える告知をされていたのだが、新たな上官の年齢と全く軍人らしくない態度に内心で呆然としたものだ。

  アクアは、戸惑いの感情をあからさまにすることはなかったが、彼女をさらに困惑させたのは戦艦ナデシコに集う個性的な乗員たちだった。

  「まあ、最初は首を捻るかもしれないけど慣れれば楽しいよ」

  というツクモ大佐のアドバイスがあったが、「軍人」にはとても思えない態度や言動の面子を前に彼女は使命感に燃えたらしく、「エリナ弐号」とか「ムライ少将の弟子」とか後に命名されたように、とにかく前任者以上に奮闘することを誓った。



◆◆◆

  アクアは、赴任からしばらくはグリーンヒル大尉に対する不信をぬぐえなかった。彼女に対して冷たい態度をとったことも一度ではない。

  しかし、ナデシコやヤンファミリーという二大個性集団の中でもまれるうちに耐性というか柔軟性のようなものが徐々にアクアに形成されていった。

  エリナ・キンジョウ・ウォンが当初、ナデシコ乗員に対する感情が冷淡だったのと同様、アクアもお堅い性格が程よく侵食され溶け込んでいったのだ。

  その過程において、アクアはグリーンヒル父娘に抱いていた不信が誤解であったことに気がついた。

  たしかにグリーンヒル大将は個人的な思惑で娘に対して便宜を図ったが、それは出世とか権力とか欲望とかは三の次であり、娘がヤン・ウェンリーに抱くほのかな想いを叶えてあげたいという親バカな配慮だったのだ。

  亡くなったアクアの父親も娘のためにどれほど親バカなことをしてくれたか……

  アクアはそれまでの不信と偏見を反省し、冷たい態度をとってきたグリーンヒル大尉に謝罪した。ライバルは微笑んで「お互いに全力を尽くしましょう」と握手を求めてきたのだった。

 ──ここまでは私の負けね……

  アクアは素直に敗北を認めた。そして誤解が解けたここから本当のライバル関係が始まるのだ。


 しかし、新たなスタートを切って2ヶ月も経たないうちにグリーンヒル大将によるクーデターが起こってしまう。「寝耳に水」「晴天の霹靂」の事態だった。  親の罪が子に及ぶわけではないが、それでもこれまで身内が問題を起こした場合、公職にある者は表の舞台からは遠ざけられてきた。世論の目もあり、それが現実だ。

  アクアが感じたヤン・ウェンリーの為人を考えれば「解任などありえない」と信じたいところだ。

  しかし、ヤン・ウェンリーも人間だ。しかも同盟軍屈指の知将として名高い人物である。地位も名誉もある彼にとってはスキャンダラスになりかねない。

  グリーンヒル大尉はどうなる?

  アクアは気が気ではなく、仕事に身が入らないでいた。

  「はぁ……」

  珍しく大きなため息を漏らした直後、通信端末の呼び出しアラームが鳴った。アクアが会話ボタンを押すとディスプレイに映ったのは、なんとグリーンヒル大尉だった。

  『アクア中尉、中断していた会議を再開します。イゼルローンの司令部で行いますので、機器の準備と第14艦隊幕僚の方々を集めてください』

  状況が飲み込めないのかアクアは応えない。それを察したのかヘイゼル色の瞳が活き活きとした光彩を放った。

  『アクア中尉、これからもよろしく』

  その言葉からアクアは全てを理解した。コバルトブルーの瞳が活力を取り戻し、苦悩していた表情がパっと明るくなった。彼女はライバルに向かって敬礼した。

  「大尉、こちらこそよろしくお願いします」









U

 ユリカは、イゼルローンの司令部に足を運んだが特定の人物たちを見出せず「日々平穏」に向かった。ルリやカルテット娘の姿はなかったが、彼女の予想通り食堂にはアキトをはじめとするナデシコの主要メンバーと食堂の常連となりつつあるヤン艦隊の幕僚数名の姿があった。

  「ミスマル提督、なにか指示がありましたか?」

  そう尋ねたのはダスティー・アッテンボロー准将だった。ヤンより二歳年少の優秀な軍人だ。顔にそばかすが残るがなかなか端正な容姿をしていて婦人兵の間でも実は人気が高い。 ヤンと一緒にナデシコの謎を早くから追究していて関わりは深く、アムリッツァ星域会戦では負傷したウランフの代わりに第10艦隊の残存兵力を率いてユリカと肩を並べて戦っている。

  オリビエ・ポプランが「煙の立たない場所に火事を起こす男」ならば、アッテンボローは「規則は破るためにある男」だろう?

  ユリカは、階級だけなら部下の青年提督にふるふると頭を振った。

  「……そうですか。いろいろ参ったなぁ……」

  なんとなく悲愴感的なアッテンボローの様子は珍しい。通常ならおおよそ逆境を受け入れ、それを糧として活力に変換する得意技の持ち主だからだ。

  しかし、その様子はグリーンヒル大尉や首都星の事態に向けられたというよりも、重い雰囲気のナデシコ連中を心配してのことだった。

  ──あー、やっぱりなぁ……

  それは、ユリカ自身が当初思い悩んでいたことだった。食堂の一角に腰を下ろすと、案の定ナデシコのメンバーから味方と戦うことへの不安を次々に吐露された。ユリカに憂いの視線を向ける者も少なくない。

  ──みんな恐れているのね……

  ユリカやナデシコクルーは、何とか元の世界(時代)に戻るために強い覚悟で帝国軍との戦闘に身を投じたが、さすがにお世話になった人と敵味方になって戦うとなると、その意志も揺らいでしまったようだった。

  たしかに深刻な問題だけど……

  ユリカには「今更後には引けない」という意志の方が強かった。彼女は立ち上がって一同を見渡した。

  「みなさんの感じる怖れは私も同じでした。そして以前、私たちは似たような状況で嫌な思いをしました。今回のクーデターですが、たしかに味方と戦うことは愚かでバカバカしいことかもしれません。ですが、だからこそ、そのバカバカしいことを早急に終わらせる必要があるんです。首都星が機能を失った今、同盟の混乱を収めることができるのは私たちだけなんです!!」

  反応は鈍い。ユリカは薄々感じていたことがある。もしかしたら乗員の中には自分の意志を押し殺して帝国軍との戦いに臨んだ者もいたのではないかと……

  そのとき、ユリカにとっては完全に承服していなかったとしてもそれで十分だった。

  しかし、今回はアスターテ以上の激しく過酷な戦場を戦い抜き、生き残ってほっとしたところに鋭利な刃物を突き立てられたのだから拒絶反応が生じるのも無理もない。

  地球時代にも味方と戦ったことはあった。ナデシコで地球を脱出するときにジュン率いるデルフィニウム部隊と戦闘になったが、途中で彼の説得が成功して大事には至らなかったのだ。


  しかし、同盟のクーデターはそんな局地的な駆け引きで解決できるレベルではない。ほぼ確実に味方と殺しあわねばならなくなるだろう。

  帝国軍と戦う「決意」とは種類も動機も異なってくる。

  ──困ったなぁ……なんて言えばいいんだろ……

  ユリカを支援したのはテンカワ・アキトだった。実は彼は思い悩んでいたのではなく、みんなを奮起させようと説得をしていたのだ。白兵戦訓練で鍛えた青年の表情も身体も以前とは比べものならないほどたくましくなり、存在感が増していた。

  アキトは、真摯な気持ちで一人一人に視線を向けて言った。

  「みんなは忘れているよ。アスターテでの誓いをね。俺たちはラップ少佐のような犠牲を出さないために心を鬼にしたはずだ。それは遠征作戦だけに限定されたものじゃない。戦争が終わるまでずっと保ち続けていなきゃいけないゆずれない意志のはずだろ! 俺たちは逃げないって誓ったじゃないか!」

  発言の語尾が強くなり、食堂を震わせたがクルーの表情は複雑なままである。

  もっと彼らの心をまとめる決定的な何かが必要だが……

  「やれやれ、期待はずれな連中だぜ……」

  非難のスパイスを効かせた声は、普段は陽気なオリビエ・ポプランだった。首都星でクーデターが発生して以降、食堂に集まりだしたナデシコクルーの話し合いをそれまで黙って聞いていた男が大いに思うところがあったのかついに声を上げたのだ。

  「あんたらは軍人だろ? 味方とは戦いたくないとかなに甘っちょろいことを言っているんだよ。クーデターを起こしたヤツらは敵だろ?」

  感情が高ぶっているわけではなかったが、冷静に皮肉る調子だった。

  「自分たちの司令官が戦うと言っているんだ。それなのに嫌だとか信じられねーぜ。ナデシコの連中はみんな優秀だと聞いたが甲斐性の方は落第点なんじゃねーか?」

  幾人かの抗議の声が上がったが、ポプランは気にする様子がない。

  「はっきり言うぜ。この事態を逃げる口実にするなら止めやしねーよ。だが、重大な命令違反になるから辞表が必要になるぜ。ま、当然だな」

  至極冷然とポプランが言い放つと食堂は静まり返ってしまうが、ツナギ姿の男が眼鏡の奥から鋭い視線をポプランに浴びせかけながら立ち上がった。

  「……俺たちのこともよく知らねぇで言ってくれるぜ」

  ウリバタケだった。柄の悪いにチンピラじみた視線で緑色の瞳を睨みつける。ポプランも全く怯む様子はなく相手を睨み返した。

  「おいおいポプラン少佐……」

  「ち、ちょっとウリバタケさん……」

  アッテンボローとアキトが身内をなだめようと立ち上がる。ポプランとウリバタケの視線は衝突したままだ。エステバリスを通して奇妙な友情を育んだ「自称天才同士」が一転して対立する光景は見ていて心地よいものではない。

  しかし、一触即発の状態が続くかに思われたが、先に矛を収めたのはウリバタケだった。

  「……といろいろ言ったが……」

  そう前置きしてウリバタケはバツが悪そうに頭をかいた。

 「ポプラン少佐の言うとおりだ。俺たちは逃げる口実がほしかったんだよ」

  ウリバタケは、意志の揺らいでいるナデシコクルーに言った。

  「俺たちは逃げる口実がほしかったんだ。そしてポプラン少佐の言う通りだ、俺たちに退路はない。もう一度覚悟を決めろ。今度は二度と揺らがない覚悟をな」

  ウリバタケはアキトと同じ立場だった。自分が迷っていたのではなく、迷いの生じた部下たちをどうにかまとめようと話し合いを重ねていたのだが、起爆になるような説得には至っていなかった。

  そこへオリビエ・ポプランのきつーい一撃である。それはアキトやユリカといった身内に突きつけられるよりもはるかに衝撃だった。彼らより数多くの死地をくぐり抜け、長く軍隊の中で生きてきた撃墜王の宣告は戦うことへの意味に揺らぐクルーたちに重い責任を背負った説得力として心に響いたのだ。

  退路を絶たれ、今一度覚悟を決めたクルー達が次々と立ち上がりユリカに謝罪した。ウリバタケもアキトもほっと胸を撫で下ろしている。ユリカも一安心したのか表情が緩んだ。

  「じゃあみなさん、あらためて気合入れてください。この難局を力を合わせて乗り越えましょう。エイエイオー!!」

 「エイエイ、オー!」
 

  妙な盛り上がりの中、アキトは心に思うことが一つあった。

  「逃げる口実がほしかった」

  ウリバタケがみんなの心境を代弁したが、きっとそれだけじゃないと感じていた。

  それは、武力を有する「戦艦ナデシコ」に乗船したクルーが当初その意味を軽く考えていたように、精神的にも響くある事態への赦しだ。

  自分たちが直面した最悪の事態に対し、第三者からの免罪符がほしかったのではないかと……
 
 
◆◆◆

  入り口から不意に声がした。聞き覚えのある旋律に一斉に振り向いた一同が見たものはヘイゼル色の瞳も美しいフレデリカ・グリーンヒル大尉の凛々しい敬礼だった。

 「ミスマル提督、アッテンボロー提督、10分後にイゼルローン要塞の司令部で会議を再開いたしますので至急お集まりください」

 「……あ、あれ、もしかして?」

  すぐに反応したのはアッテンボローだった。フレデリカはあらためて表情を引き締めて敬礼した。

  「みなさん、ご心配をおかけしました。これからもどうぞよろしくお願いします」

  それまで深刻な話し合いの場と化していた食堂の空間が突然光に包まれて花園と化したようだった。

  「きゃあああああああっ! フレデリカさあああーん、本当によかったああああっ!」

  ユリカは、グリーンヒル大尉を抱きしめ、その場で踊りだしてしまうくらい派手に喜ぶ。ウリバタケたちもイゼルローン屈指の美女に向かって過剰というくらいの演出で喜びを表現した。

  短いが派手な喧騒をウリバタケが元気よく締めた。

  「よっしゃああああっ! てめーら出撃が近いぜ。とっととナデシコに戻るぞ!」
 








V

  フレデリカ・グリーンヒル大尉は、上官の呼び出しに緊張と覚悟の二重奏で臨んだが、オフィスを右往左往する黒髪の司令官にそう言われた。

  「幕僚連中を集めて再度会議を開くので、その準備と機器の操作と、このことを第14艦隊の幕僚の人たちに伝えてほしいんだ」

  てっきり副官の任を解かれると思っていたグリーンヒル大尉がそのことに触れると、

  「君がいてくれないと困る。私は物覚えが悪いしメカにも弱い。有能な副官が必要なんだ」

  ヤンは、ユリカあたりが聞けば「告白」に変換されそうな台詞で美貌の副官を喜ばせたのだった

  ユリアンの言うとおり、ヤンは自分の足を食うタコのような愚かなマネはしなかった。 これで一件落着かと思いきや、グリーンヒル大尉を心配したユリアンと共にオフィスにやって来ていたシェーンコップがとんでもないことをヤンに提案したのだが、それはユリカたちの知ることではない。
 
 

  「いやー、参ったねぇ。ユリアンにスポークスマンとしての才能があるとはねぇ……」

 「そこに幸運の女神が現れたもんですから押しかけてきた住民も意気揚々と引き揚げていったそうですよ」

  「2人は連携でもしていたのかな?」

  「天使と女神の連携はありえるでしょうね」

  会議開始直前にヤンとアッテンボローの間で交わされた会話のきっかけは、ほんの少し前に有事の連続で不安に駆られた民間人の代表たちが軍事区画の境界に押しかけたとき、そこを偶然通りかかったユリアンがその狼狽ぶりをたしなめた事だった。

  「ヤン・ウェンリー提督もミスマル・ユリカ提督も勝算のない戦いはなさいません!」

  そこへ引き寄せられたようにユリカが現れて、

  「私たちは必ず勝利します。みなさんご安心ください。ぶい!

  と決め台詞をかましたので、代表者たちは不安を払拭し、熱狂的に騒いで去っていったのだった。

  ヤンとアッテンボローの会話を耳にしたユリアンが近づいてきて曰く、

  「でも、てーとく。僕と中将が言ったことは嘘でもハッタリでもありませんよね?」

  「まあ、特に今回はね。イゼルローンには二個艦隊の戦力があるし、優秀な艦隊司令官がもう一人いることだしね」

  「では、僕も今回は連れて行ってくださるんでしょう? 危険はありませんよね?」

  うまく反論できなかったヤンは被保護者の要望を渋々ながら受け入れた。

  「じゃあ、僕は準備があるので失礼します」

  ユリアンが元気に司令部を退出すると、入れ替わるようにシェーンコップが姿を現した。

  「提督よりよほど策士ですな」

  そんなことを言う。ヤンに「現政権をクーデター側に一掃させ、あなたが権力を握ってはどうですか?」と煽った男はまったく平然としていた。もちろん、シェーンコップはヤン以外に口外してはいない。

  これをもしユリカが聞いていたら、「とっちゃいますか?」と本気で聞き返しただろう。



◆◆◆

  ヤンは、集まった幕僚たちを見渡して言った。

  「私は先日、ハイネンセンに赴いた際に司令長官に要請して法的根拠をともなった命令書をいただいている。したがって私的な出撃ではない」

  多くの幕僚たちが感心して驚いていたのは、ヤンの政治にも配慮した先見性だった。ユリカもヤンからその旨を聞いたときは何度も熱心に頷き、その手腕に感銘したものだ。

 ユリカは、まだまだヤンから学ぶことは多いと思い、プロスペクターは、ともすればシビリアンコントロール下の軍人としての枠組みから抜け出せないヤンの限界を感じ取っていた。

 たしかにヤンは有事に備えて政治的な先見性を発揮したが、クーデターを誰が起こすかまでは予見できなかった。深謀遠謀とはいかないのが人間の限界を示すものだろう。「奇蹟のヤン」も所詮は一介の個体にすぎないのだ。

 (もし超越した力を持っていたら、私は大尉を悲しませることはなかったのだろうか?)

 黙々と端末を操作する副官を一瞥したのもそんな申し訳ない気持ちからだった。

 「……みんなも知ってのとおり帝国は大規模な内戦に突入している。まず同盟に侵攻してくることはないから全艦隊をもって出動する。また、留守中の要塞司令官代理はキャゼルヌ少将にやっていただく。何か質問は?」

  「ハーイ!」

  勉学にいそしむ学生のような声を上げたのはユリカだった。ヤンは元気な教え子を見守る教師のような声で発言を許可した。

  「えーと、最終目標はハイネンだと思いますが、艦隊の行動は最終的にどうなっているんですか?」

  うっかりしていた、とばかりにヤンは頭をかき回した。彼は白い視線が注がれる中、配布した資料に沿って編成と作戦概要を幕僚連中に説明したのだった。








W

 軍港に足を運んだワルター・フォン・シェーンコップが見た光景は、全高6メートルあまりの人型機動兵器が事前に製作されていた台座に仰向けの状態で総旗艦ヒューベリオンの格納庫へとまさに運ばれようという直前だった。

  思ったよりも壮観だな、と思いつつ、拡声器片手に指示を飛ばすツナギ姿の男に声を掛けた。

  「Mr、ウリバタケ、どんなあんばいかな?」

  該当する男は、拡声器から伸びるマイクを口に当てたまま防御指揮官に振り返った。

  「おおうっ、シェーンコップ准将!」

  もともと声量のあるナデシコ整備班長の声がシェーンコップの顔に衝撃となってぶつかった。

 ──やれやれ、ユニークなヤツらが揃ったもんだな……

 不遜な防御指揮官は表情を微塵も変えずに口に出してはそう言った。

 「ずいぶんと順調そうだが?」

  「まあな!」

  まだ拡声器はもったままだ。シェーンコップは内心で苦味を潰したが怒る気にもなれない。一歩斜めにいけばうちの面子もこうなるという笑えない確信があったりする。

  ウリバタケは拡声器をようやく下ろした。

  が、それは反省のためではなく次の台詞の演出用に腕組みするためだった。

 「ま、こんなこともあろうかと、ナデシコ以外の艦艇のために格納台座をいくつか作ってあったからな」

 ナデシコクルーにとっては頼もしいウリバタケの決め台詞だが、成功した場合と失敗した場合の落差について、それはシェーンコップは知らないほうが身のためだった。

 「ほほう、小官ごときの無茶な提案を早期に実現してくれるとは恐れ入った」

  お世辞だとしても辛口なシェーンコップが賛辞を述べることは珍しい。ウリバタケは胸を張った。

  「ローゼンリッター機としての運用はともかくとして、遅かれ早かれナデシコ以外での運用も視野に入れないとダメだしな。ま、ヤン提督の要請もあったことだし、ちょうどいいと思っていたところよ」

  というのも以前、堂々とナデシコの格納庫に見学に訪れたシェーンコップにエステバリスによる拠点攻撃や地上戦運用方法についていろいろ相談されたことがあったのだ。

  現状、地上部隊の機動戦力の主力は装甲車だ。昔のような重武装重装甲の戦車は兵器概念の変化や技術の向上によって造られていない。

  同盟において地上戦が起こるのは、帝国軍に拠点が占拠された場合やその逆の場合が多い。後者は前線にある敵の拠点攻撃となるが、そのほとんどは過酷な環境と地形である。機動装甲車では進軍するルートが限られるため、しばし凹凸の激しい地形では激戦となることも珍しくない。

  しかし、エステバリの存在はそれまでの地上戦や拠点攻撃における戦術を一変させうるのだ。

  通常、全高は6メートルほどだが、状況に合わせてボディが交換可能などエステバリスの汎用性や多様性は極めて高い。人と同じように動く四肢や胴体部は地形が複雑な戦場においても威力を発揮することは明白だった。

  ここまで完成された人型機動兵器を地上戦でも活用しない手はない。

  その後、シェーンコップは具体的な運用方法をヤンとユリカに提案したが、関係者と協議を開始した矢先にクーデターが起こったのだ。

  よもやこんなに早く実践の機会が巡って来ようとは、シェーンコップにもいささか意外だった。

  「こちらに貸与されたのはこの三機か?」

  第13代「薔薇の騎士連隊」元連隊長の目の前をピンク色、白と青のストライプ配色、ハートのエースのロゴがペイントされたエステバリスがそれぞれ格納庫に向かってゆっくりと通過していく。

  「ああ、そうだぜ。テンカワ機、タカスギ機、ポプラン機だよ」

  「ほほう……」

  シェーンコップの返事が精彩を欠いたのは、エステバリスの婦人パイロットが一人も含まれていないからだった。

  全く同様の理由で約一名も嘆いたものだが、その固有名詞を具体的に述べる必要性があるだろうか?

  そして、初めてナデシコ以外で運用されるエステバリスのため整備班も二分される。

  「ま、准将。俺も今回はヒューベリオンに乗るからよろしく頼むぜ」

  どうやら、そうとう賑やかな出動になるな、とワルター・フォン・シェーンコップは心から覚悟した。






 
X

 「では、グリーンヒル大将からの要請は拒否なさるのですね」
 
  「まあね。私は民主共和制の精神を守るためにも彼らの行いを容認するわけにはいかないからね」

 「ええ、そうですよね」

 「ん? 心配していたかい?」

 「いえいえ、ぜーんぜん心配なんかしていませんでしたよ。ヤン提督はベターな選択をなさると信じていましたからねっ!」

  会議の終わった要塞司令部ではヤンとユリカが残って会話を交わしていた。クーデターに占拠されたハイネセンからグリーンヒル大将名義で救国軍事会議に参加するよう通信文が届いていたのだが、ヤンはその要請を断る旨を全幕僚に通達し、自ら返信を打ち込んでいる。

  「中将、エステバリスの件、急な頼みですまなかったね」

  「いえいえ、エステバリスを活用することで混乱を早く鎮められるならおやすい御用です」

  ユリカの屈託ない笑顔にヤンは気恥ずかしそうに頭をかく。

  「まあ、選択肢が増えることはいいことさ。その中から最善な選択を導き出すことで被害と損失を最小限に抑えることが可能だからね」

 ユリカは、食堂での出来事を思い出して内心で苦笑した。「選択肢」、という重要な道筋は今の所彼女たちにとって決して多くはない。

  「選択肢ですかぁ。それが多くなることで損害を減らす範囲が広まるならいいことですね」

 「まあね。むこうも同じ同盟軍だ。なるべく戦わずに降伏させる方法を選択したいしね。そのための選択肢が多くなれば運命も切り開きやすくなる。私は、ユリアンや君たちにも自分を動かしていけるだけの選択肢を多く持ってもらいたいと思うんだ」

 なにげない示唆だったがユリカは気づかなかった。

 「提督には、その選択肢が多くおありなんでしょうか?」

  ヤンは、ユリカのさりげない質問に自嘲気味に肩をすくめた。

  「私はダメだね。いささか同盟軍とは深くかかわりすぎた。給料を出してくれる相手にはそれなりの義理をはたさないとねぇ……」

  ユリカはキョトンとしていた。ヤンは多少慌てた。

  「すまない。つまらないことを言ったね。忘れてほしい」

  なぜかユリカはくすくすと笑い出していた。今度はヤンが怪訝な顔をした。

  「あー、すみません。ヤン提督らしい理由なんですが、最初に制度を守る云々と仰っていたのとはずいぶん落差があるなと思って……」

  ヤンは真顔で聞き返した。

 「そんなこと言ったかな?」

 「あれ、もうお忘れですか? 何なら間違えずに一字一句言ってみましょうか? 私は記憶力には自信があるんですから」

  「いや、自分の発言には責任を持つよ」

   どうも自分の周りにはできる女性が多いな、とヤンは思いながら頭をかき回し、端末を操作して同盟の星系図を表示した。そこには赤い点滅となって五ヶ所の武装蜂起した拠点が示されており、ヤン艦隊とミスマル艦隊がとる予定作戦行動が青と緑の線で表示されていた。二個艦隊の戦力をフル活用すればクーデターの完全鎮圧まで長くても4ヶ月を要しないとヤンは計算していた。
 
  「ヤン提督、五ヶ所の鎮圧とハイネセンの攻略で済むでしょうか?」

    ユリカは、会議では口にしなかった懸念をヤンにぶつける。

    というのも、クーデター側の戦力はなお不明であり、首都星が占拠されて以降、情報統制と戒厳令が敷かれたために情報がほとんど上がっていないのだ。

 ヤンはユリカの優美な横顔を一瞥し、安心させるように言った。

 「なあに、こちらは二個艦隊もあるんだ。何とでもなるよ」

 それは、頼もしい女性艦隊司令官を前にした嘘偽りのない本音だった。



◆◆◆

  クーデター側の拠点と化した統合作戦本部ビルの会議室では、グリーンヒル大将がヤン・ウェンリーからの返信を受け取っていた。

  「ヤン・ウェンリー、ミスマル・ユリカともに我々への参加を拒否した」

  グリーンヒル大将が幹部たちに向かって返信内容を伝えると、室内の空気がざわりと揺れた。この瞬間、イゼルローン駐留艦隊は明確に彼らの「敵」となったのである。

  「それでは戦うしかありませんな」

  ブロンズ中将の一言から、ヤンとユリカの実力を疑う強気の発言が相次いだ。おさまりの悪い黒髪を無意識にかき回すクセのある頼りない感じの青年提督の軍事的手腕をいまだに信じ切れていない生粋の軍人たちは多い。

  ユリカに関しては、彼女があまり公的に晒されていないこともあって実物を見た者が少なく、中には存在そのものを疑っている者もいた。

  もちろん、ユリカを直接目にしている者も、ヤンと同じく帝国軍を苦しめた──とても軍人に見えない女性司令官の実力そのものがプロパガンダによる虚像ではないかと疑う者も少なくない。

  いや、あえて2人の実力という現実から目を逸らせようと意識したのかもしれない。同盟軍において名声をほしいままにする2人の用兵功労者を相手にする不安を払拭したかったのだろう。

 また、結局トリューニヒトらには逃げられてしまっていた。まさかエステバリスが国内で量産化されていたとはグリーンヒル大将でも知らなかったのだ。彼らは地上部隊を足止めし、追跡していた武装ヘリ三機を撃墜していずこかへ行方をくらませてしまっていた。

 地上では肝心の成果を上げられず、宇宙では同盟軍最強の艦隊と戦わねばならない。

 だが、グリーンヒル大将の信念は揺らぐことがなかったので、彼は冷静な口調で同志の名を呼んだ。

  「ルグランジュ中将」

  「はっ!」

  応じて立ち上がったのはプラチナブロンドの頭髪を短く刈った壮年の男だった。第三次ティアマト会戦で戦死したホーランド提督の後任として第11艦隊の再建に尽力してきた軍人らしい容貌をした司令官である。

  「貴官には艦隊を率いて駐留艦隊と戦っていただく」

  「は、承知いたしました……しかし……」

  ルグランジュ中将は、やや間を置いて一つの懸念を表明した。

  「ご息女のことはよろしいのでしょうか?」

  ご息女=フレデリカ・グリーンヒルであることは周知の事実だ。第11艦隊が駐留艦隊と戦うということは、ヤンの副官であるグリーンヒル大将の愛娘が戦死するかもしれないのだ。

  しかし、グリーンヒル大将は強い口調で懸念を問題外として一蹴した。

  「私がこの計画を立てたときから娘のことはあきらめている。それにヤンもおそらくは娘の任を解いて軟禁でもしていることだろう。考慮する必要は一切ない」

  グリーンヒル大将は、ヤン・ウェンリーという男の為人をあるいはまだ誤解していたのかもしれない。

  「わかりました。それでは必ず駐留艦隊を討ち果たすか降伏させるか御覧にいれましょう」

  「うむ。例の作戦は条件が整い次第発動するものとする」

  もう一つの懸念は、動員される第11艦隊の兵力は駐留艦隊の兵力を下回るということだった。ルグランジュ中将は勇猛で有能な提督だが、2万隻の艦隊と二名の実力者を相手にすれば劣勢は避けられない。

  だが、二個艦隊を二分することができれば数の上では第11艦隊が圧倒的に有利になり、各個撃破も可能となるのだ。

  ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカだからこそ、その状況に陥れば苦渋の決断を下さざるを得なくなるだろう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

  もっとも、もう一つの策が事前に成功すればクーデター側は戦わずして勝利することも可能なのだが……

  ──できれば……

 グリーンヒル大将は、ヤン以上にユリカとは戦いたくなかったという気持ちがあった。愛娘はどうやらミスマル提督と友人になったのか、今年の春に一時帰国した際、とても楽しそうに日常のエピソードを語ってくれたのだった。

 「ミスマル・ユリカと戦う……」

 それは、娘の友人という意味だけに納まらなかった。彼女と戦艦ナデシコは、実は時空を越えた存在なのだ。本来ならばこの時代に存在するはずのない人間と未知のテクノロジーが存在する。

 時の迷い子と戦うという事実。ミスマル・ユリカと「戦艦ナデシコ」がなぜ「時間」を越えたのか、それは今でもグリーンヒル大将にはわからない。あるいは何か神秘的な啓示なのかもしれないが、彼らが自分の敵となった以上、信念の前に立ちはだかるのであれば、その存在に引導を渡すことに躊躇はなかった。

 グリーンヒル大将は、何かを見据えたままルグランジュ中将の背中を見送っていた。








Y

  ──ナデシコ艦橋──

  ユリカは、各部隊からの出動準備の報告を受けながら、つい10数分前のアキトとの会話を思い起こしていた。

  「ねぇ、ユリカ。俺はあのときのユリカのお父さんの気持ちが今頃わかった気がするんだ」
 
 あの時とは、ナデシコが起こした二度の叛乱のことだった。一回目はナデシコが地球連合軍の制止を振り切って地球を脱出したとき。二回目は木星蜥蜴の正体を知ったユリカたちが、ナデシコに迷い込んだ蜥蜴側の人間──ユキナを殺そうとしたネルガルや地球連合軍に反旗を翻したときだった。

 ──叛乱する者とされる者……

  いずれも大切な家族や友人を敵に回した悲愴な戦いだった。叛乱したときはがむしゃらに自分たちの信念を貫いたものだった。正しいと思ったこと、戦いを終わらせるんだという強い想いから、ナデシコはあえて叛乱も辞さなかったのだが……

 「今度は逆に叛乱を起こされて、なぜ?って思ってしまったことが皮肉だなぁって……」
 
 ユリカは、その響きに戸惑いながらアキトを励ましたが、婚約者は特に気落ちをしていたわけではなかった。恩人の一人が敵に回るという有事をうけ、叛乱を起こされた側(ミスマル・コウイチロウ)の心境に触れたというのだ。

 むろん、ユリカもアキトも叛乱したことを後悔してはいなかった。ネルガルと地球連合政府のやり方に納得できず、小さな命とみんなの明日を守るために決起しなければならなかったからだ。

 「あ……」

 ユリカに軽くない衝撃が走った。同じだ……その動機は違ってもグリーンヒル大将はだからこそクーデターを起こしたのだと!

 そして、同時にアキトの言ったことも理解できた。父、ミスマル・コウイチロウが身内の叛乱にどれほど憤り、苦悩したか、彼女もようやく実感したのだ。

 ──もし戻ることができたらお父様に謝らなくっちゃ……

 直後に通信士の心地よい旋律が女性艦隊司令官の聴覚を刺激した。

  「提督、ヤン総司令官より入電です。準備が整い次第順次発進せよとのことです」

  「わかりました。ありがとうございますメグミさん」

  ちょうどルリによる最終チェックも完了したところだった。

  ユリカは艦橋内を見渡し、変わらない光景に安心するとよく通る声で命じた。

  「第14艦隊出動します!」

  ──宇宙歴797年帝国歴488年、標準歴4月13日──

  ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカ率いる駐留艦隊は初の出動を迎えた。帝国軍を迎撃するわけでも、味方の救援に行くわけでもない。目指すは皮肉にもクーデター勢力の拠点がある首都星ハイネセンだった。

  これに対し、救国軍事会議は唯一の機動戦力である第11艦隊を出動させた。

  ユリカたちにとっても”全てがまさか”の出来事である。

  こうして自由惑星同盟の建国以来270年、国家を二分する初の内戦は異分子を含んだ状態で始まった。

  共和制を守護するために戦うヤン・ウェンリーと、過去から次元を超えた未来の世界(・・・・・・・・・・・・・・・)で生きるために戦うミスマル・ユリカの新たな伝説への幕開けでもあった。



◆◆◆

 ハイネセンポリス郊外の共同墓地。空はぶ厚い灰色の雲に覆われ、地表には激しい雨が叩きつけられていた。普段は青空の下であれば景色のよい丘の上も、暗がりと雨で霞んで寂寥感を増幅させていた。
 
 その一角に人影があった。降りしきる雨の中、黒い傘を差し、レインコートを羽織った男はそっと花束を妻の眠る墓前に捧げた。その紳士的な容姿はどこか悲壮感さえ漂わせていた。

  「……フレデリカに許しを乞おうとは思わん」

  ドワイト・グリーンヒル大将のやや震える声は亡き妻に向けられていた。

  「……政府の腐敗は誰かが正せねばならんのだ。その意味で我々は間違った事はしていない……」

 グリーンヒル大将は、ふと灰色の空を見上げた。その頭上を第11艦隊の将兵たちを乗せたシャトルが悪天候を切り裂いて次々と彼のはるか頭上を通過する。

 グリーンヒル大将は、再び妻の墓前に視線を移し、苦しい胸のうちを明かした。

 「……だが若い連中は性急でな……もし私が立たねば誰が彼らを抑えられるだろうか……こうするより手段はなかったのだ。それが棘の道であろうと、こうするしかな……」

 生者は死者に語りかける。生者が欲する答えを求めて……

 「……あの子は、わかってはくれんかな……かあさん……」

 そして死者が生者の欲する答えを導きだすことは決してないのだ。

 雨はますます激しくなり、その音はグリーンヒル大将の心に冷たく響いていた。




 ──第十一章に続く──

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 やや遅れましたが十章(後編・其の三)を投稿できました。
今回はユリカたちに描写を戻しての話です。 まあ、なんというかむずい。

 帝国、同盟の内乱編。最初の方は帝国は書き易く、同盟は書きづらい。後半、帝国は書きづらく、同盟は書きやすい、という感じです(笑

 起承転結でいうところの、特に承転が難しいうわあああああああ

 今回、トリューニヒトの逃走パートを省きました。期待していた方スミマセン。結果だけ書いていろいろ想像してもらうのもいいかなと。あと、構成的な問題と容量的な問題です(汗

 要望があれば修正時に追加するか、または別の方法で考えます。

 あと、ようやくアクアのことを書けましたw


 2011年8月4日 ──涼──

 以下、修正履歴
 
 新たな文の挿入と、一部文章の修正をしています。

 2011年9月27日 ──涼──


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 メッセージ返信コーナー

 毎度、毎度、遅くなってすみません(汗
 


 ◆◆2011年06月30日3:37:36 モグタン
 
 
 毎度ながら楽しみにしてます。アカツキ社長の奮闘により、地球教徒に匿われず原作にあった嵐の最中に隠れるまねが出来なくなるため、矢面に出ざるをえなくなる状況が面白い!ヤンが嫌っていた正念場に逃げる愚劣な行為をアカツキが防ぐことが出来、トリューニヒトは嵐の渦中にほうり込まれてどのような運命を辿るか見物です。



>>>今回、一番の転換ポイントかもしれませんね。ウランフに監視されてるようなものだしww トリューニヒトがどうなるか、注目していただければと思います。
 


 ◆◆2011年07月03日1:40:15 テイラー
 
 おおぅ、久々にみると一気に更新されていて、おもしろかったです、同盟も帝国もクーデター、帝国も貴族連合に優秀そうな将官が出てきておおぉと思いました、これでタンネンベルクも(PAMPAM)

 アップルトンがグラハムか、なんか阿修羅すら凌駕しちゃったり、次現れるときは仮面をつけていたり、クリシュナで帝国艦隊に特攻して「これは死ぬためではない、生きる為の…」とかやらかしそうですね(爆)まぁ中の人つながりでセンゴク・アップルトンとかでも(爆)

 帝国で貴族が反乱起こしましたけど、実際同盟が史実よか十分な戦力を残している今、ブラウンシュバイクが帝国真っ二つに割る真似するのかなぁ?原作だとあぱらぱーですが、実際考察すると腐っても権謀渦巻く貴族社会で足場を固めているすごい人なんですがね

 ナデシコ強化案…いっそ火星とか色々なところで発掘したオーパーツ使ってナデシコをR-TYPEのニブルヘイム級戦艦にもしくはロスユニのヴォルフィードかデュグラディグドゥとか(爆)


>>>帝国、同盟とも原作よりは変化ありかと思ってます。ブラウンシュヴァイク公はガチガチナ貴族社会でのみ生きられたヒトなので、作中での激動な変化にはついていけないと思う次第です。

 グラハムさんネタができたらよいのですがww


 ◆◆2011年07月06日20:46:29 モグタン

 すいません。間違えを見つけました。宇宙歴は786年ではありません。796年です。修正して下さい。

>>>>うわああああああ! どこですか! 教えてください(泣



 ◆◆2011年07月10日1:31:24 ゆず 

 更新お疲れ様です!あれ?もしかすると少しづつトリューニヒト改心フラグが立ち始めてます?
 これは個人的な希望なのですがトリューニヒトは原作のように民主主義が生んだ
権力と利権をむさぼる嫌悪の象徴である寄生虫みたいな男のままでいてほしいですね。

 そんな人間を国家元首として仰ぎながら公明正大なラインハルトと殺しあわねばならないジレンマ。
 それがあるからこそ正義などというものは存在しないというヤンの主張に説得力があり、それでもなお民主主義のため戦い続けたヤンやビュコック提督の生き様に敬意を感じたのです。

 ところで話が変わりますがポプランやシェーンコップはユリカがアキトのことをフィアンセだと公言し回ってるのに
 未だに一夜を共にしないアキトに対して何か思う事はないのでしょうか?
ポプランなら「この甲斐性無しのヘタレ野郎!!」ぐらい言いそうなもんですがw



>>>トリューニヒトの件、私も同感です。彼が改心とかありえないと思ってますww
あくまでもトリューニヒトはカリスマ悪であってほしいものww


 アキトはポプランに首根っこを掴まれて言われていると思いますよw ちょっと本編に挿入できる機会がないだけですww


 ◆◆2011年07月18日16:51:17 もぐたん

 アカツキはトリューニヒトとウランフの接着剤となりえるか楽しみです

>>>アカツキはこれで名誉挽回しないと、ユリカに白い目でみられますからねw  ウランフがどうトリューニヒトとどう対するのかも見ものでしょうか?

 

  ◆◆2011年07月19日10:0:47 MAHO

 ぶっちゃけユリカ達は「反乱」経験者なだけに、その空しさも十分知っていると思うので、どういう意見を出してくるかは楽しみだったり。

 あと次回以降のフレデリカの奮闘にも期待。



>>>なるほど、と思い、今話にその辺りをユリカとアキトの会話として書いてみました。(ちょっと違うかもしれませんが)具体的な意見というのはもう少し物語が進まないと出てこないと思います。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

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