混沌とする銀河系
同盟では内戦、帝国でも内戦の内戦づくし
それぞれがそれぞれの野心と持てる力を激突させるのかな?
私たちも同盟の混乱を収拾するためにヤン艦隊と出撃しました
ラインハルト・フォン・ローエングラムの策謀のせいで
広大な同盟領に発生した五箇所の叛乱を鎮圧しにいきます
なんて言うのか、とことん「平穏」という時間が続きません
ローエングラム候は、今ごろほくそえんでいるに違いありません
同盟の動きを封じるとともに、貴族連合軍をかるーく蹴散らして
自分の覇権を確立するのでしょうねぇ……
ところが、ところが、どうも貴族連合軍側に思いもよらない
すごい軍人さんが、ひそかに牙を研ぎ澄ましていたようで……
ローエングラム候、私たちに余計な事をした罰じゃありませんか?
──ホシノ・ルリ──
闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
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皇帝よりの勅命を受け、門閥貴族たちを討伐するために意気揚々と帝都を出発しようとしたラインハルト・フォン・ローエングラム候は、その直前に軍務省の書記官の訪問を受け、敵の公称をいかにするか尋ねられた。
つまり、貴族たちは「正統派諸候軍」と自称しているが、そんな名称を公文書に記載はできない。かと言って「叛乱軍」とすると自由惑星同盟を自称する者たちと被ってしまうということだった。
ラインハルトは、蒼氷色の瞳を意地悪そうにきらめかせて書記官に言った。
「賊軍だ。奴らにふさわしい名称だ。賊軍と記せ」
「賊軍……でございますか?」
「ああ、そうだ。そしてこのことを帝国全土に伝達するのだ。奴等に自分たちの立場というものを思い知らせるためにもな」
書記官はかしこまって一礼し、ラインハルトは春のそよ風を受けながら軽やかに身を翻した。
当初、胸騒ぎを覚えた者はごく少数だった。大貴族たちが互いに足の引っ張り合いをすることはあっても、団結することはありえないというのがラインハルト側の正しい認識だ。
ラインハルトの門閥貴族たちに対する分析も至極妥当であった。もともとラインハルトの成り上がりぶりを快く思わないそれぞれに野心がある彼らが一時的に手を結んだだけで、その内情はほころびだらけであることだ。いくら実戦における熟練者が存在したとしても、その人物に手腕を振るわせるだけの力量が貴族たちには不足している。彼らは抜けば鋭利な太刀を所持しているが、結局抜かずに終わってしまうということだ。
その鋭利な剣はウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツであり、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト提督であろう。
しかし、その注意すべき将帥リストにその男は含まれていなかった。なぜなら、ラインハルトが幼年学校を卒業して前線に立つ頃には前線からはすでに遠ざかっていたからである。
「賊軍!」
これを耳に入れた門閥貴族たちは大いに怒り狂った。自分たちこそ銀河帝国の正当な統治者であることを自負する彼らは、「反逆者集団」と正式に呼称されたことに矜持を少なからず傷つけられたのだ。ラインハルトに対する怒りと憎悪でワイングラスを叩き割る貴族たちも続出した。
「やれやれ……」
と肩をすくめたのはメルカッツの忠実な副官であるベルンハルト・フォン・シュナイダー少佐である。「甘いハンサム」などと婦人たちに噂されるまだ20代の青年士官である彼は、「賊軍」という呼称がラインハルトの仕掛けた心理戦の一撃であることを冷静に受け止めていた。ただでさえ血の気の多い貴族たちが単純な心理攻撃に引っかかってラインハルトへの敵意を三倍増にしている。若い貴族たちが古典劇さながらに片ひざをついて金髪の元帥への復讐を誓う茶番など、苦笑を通り越してただ飽きれるばかりだった。
このような状態だから、門閥貴族たちが激情のままにやみくもに猪突猛進し、シュナイダーのような職業軍人たちの足を引っ張るであろうことは明白だった。かといって、普段から自制の効かない彼らに期待をしているわけではない。
しかし、重要な作戦会議までもが貴族たちの感情に左右されるとなると、それはそれで深刻な問題だった。
その過程で決定されたのが、手薄な帝都オーディンへ大規模な別動隊を派遣してこれを攻略し、ラインハルトやリヒテンラーデ公の傀儡にされている幼い皇帝を救い出し、貴族側が再び擁立するというものだった。
ラインハルトは、帝都に3万人の兵力を残したのみで他の全ては連合軍討伐に投じている。その軍勢をガイエスブルグ要塞に引き付けておいて、相手の手薄な守備を突くという作戦である。
一見、妙手に思えるが、この作戦を成功させるためには門閥貴族側に大きな問題があった。
総司令官を引き受けているメルカッツがこの作戦の有効性に気づきながらも個人的に断念した理由がそこにある。
しかし、メルカッツが堅実な作戦構想をブラウンシュヴァイク公に説いている最中、横から口を挟んだ者がいた。
「さらに有効な戦法がございますぞ」
かつて、軍上層部の嫌がらせで一時的にラインハルトの麾下にあったシュターデン提督だった。戦略理論家を自認する彼はラインハルトの実力を認めてはいない。
そのシュターデンは、メルカッツが断念した作戦をいかにも壮大で妙手のごとく会議の場で上申し、そして自ら墓穴を掘った。
「で、どなたが別動隊の指揮を執るのですか? たいへんな名誉と責任ですが」
というランズベルク伯アルフレッドの悪意のない一言から、シュターデンは自ら最も困難で重責である任務を引き受けざるをえなくなったのだ。
(メルカッツ提督がご懸念されていたとおりになったわけだが……)
シュナイダーは上官の心情を察して嘆息した。別動隊を組織した者がオーディンを攻略し幼帝を奪い取る作戦。その功績は何人も寄せ付けない巨大なものとなる。戦後は最大の功労者が最大の発言を有することになるだろう。別動隊の成功は最高権力者への最短距離であるのだ。
しかし、権力を我が物にせんとするブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム候が功労者の権力を易々と認めるはずがない。万が一シュターデンが勝つようなことがあれば、彼らはオーディンへの進軍を停止させるだろう。
この別動隊を投入する作戦の成功は、それこそローエングラム候陣営のような高度に統一された組織でしか成しえない。本隊の指揮官と別動隊指揮官同士の相互信頼も欠かせない。貴族連合軍にはその双方が欠けている。
ラインハルトは、政略的にその不備を看破しているため、易々と帝都を空にできるのだった。
シュナイダー少佐が上官を一瞥すると、シュターデンの墓穴を鼻で笑っているようだった。そのままメルカッツの右となりに視線を移したが、シュターデンを見るエーベンシュタインの横顔からはその心情を察し得なかった。
(メルカッツ提督との会話から少しは期待したのだが……)
最終的にメルカッツはシュターデンの出撃を許可した。「まずは一戦して相手の力量を計る」という青年貴族たちの主張も強く、なによりも言ってダメなら一度は叩きのめされることも必要だろうと考えたからだった。
とはいえ、シュターデン艦隊の出撃を展望室から見送るメルカッツの表情は優れない。理論家提督の麾下には平民出身の兵士や、政治闘争とは疎遠な下級貴族出身の士官が大勢いるのだ。
(きっとシュターデンは負ける……)
それでも出撃を許可せざるを得ないメルカッツの心情は複雑で悲痛だった。
厳かで明瞭な声の主は宙戦部隊戦闘艇総監ヘルマン・フォン・エーベンシュタイン上級大将だった。今年、64歳とは思えない引き締まった長身、長く伸ばした見事な銀髪を後ろで丁寧に束ね、その黄玉の瞳は若々しいまでの光彩を放っていた。かつて宮廷内でも指折りの貴公子と謳われた面影は年を重ねても健在といえた。
彼の少し後方にはこげ茶色の頭髪を真ん中あたりできっちり分けた副官が控えている。年齢でいうと三十代後半と思われ、階級は大佐。頭髪と同色の細い目がメルカッツを思わせた。
「総司令官閣下も心労が絶えんな」
エーベンシュタインは、素っ気ない表情でそんなことを言った。シュナイダーは少なからず相手に反感を抱く。軍港での発言から他の門閥貴族とは一線を画すと感じていただけに、冷ややかなエーベンシュタインの言い草に怒りを覚えたのだ。先の作戦会議でも特に異論も反論もせず静観に終始した挙句、メルカッツが苦悩しているというのにまるで他人事のようではないか!
(やはり、頼りになるような人物ではなかったのか……)
とシュナイダーが内心で嘆息していたら、
「卿ができないことを私が引き受けるとしよう。吉報を待っていろ、状況をいくらか改善してやる」
などと自信ありげに鼻を鳴らし、メルカッツとシュナイダーの脇を通り過ぎていった。
メルカッツは何も発しなかった。細い目がいくらか見開かれただけである。
(この二人の間にある因縁とはなんだろうか?)
軍港での会話から察するに、メルカッツの家族に関わる何かがあることは確実だった。その中身が思い出深いものか、それとも因果なものかはシュナイダーにも想像がつかない。
ただ現在のところ、シュナイダーはメルカッツのためにもエーベンシュタインの発言に期待するしかなかった。
一日たってからメルカッツのオフィスに悠然と姿を現したエーベンシュタインは開口一番に言った。
「低脳な貴族どもに反省を促しつつ、やつらの血管が破裂しないよう、総司令官閣下の許可をもらいに来た」
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「貴族連合軍動く!」
その一報はラインハルトのもとにすぐに届いた。彼はウォルフガング・ミッターマイヤー提督を旗艦に呼び、「もと教官に勝てるか?」と小柄で引き締まった身体の青年提督に問うた。
ミッターマイヤーは、活力のあるグレーの瞳に不敵さをたたえて答える。
「シュターデン提督は知識こそ豊富でしたが、事実と理論が対立する場合は後者を優先させました。私たち生徒は理屈倒れのシュターデンと言っていたものです」
平然と言ってのけるミッターマイヤーに対し、ラインハルトは即座に命じた。
「よし、艦隊を率いてアルテナ星域方面に進軍し、卿の旧師と相対せよ。おって私が赴くまでに一戦するもよし。運用は卿に一任しよう」
先陣はいつの時代も武人の誇りである。ミッターマイヤーは蜂蜜色の頭髪を揺らし、弾むようにブリュンヒルトの艦橋を後にした。
このとき、ラインハルトもミッターマイヤーも貴族連合に対する恐れは一切なかった。戦略的優位条件を整え、戦術的には強力な布陣で臨む彼らの陣営に勝利は約束されたようなものだったからだ。
とりわけ貴族連合側にメルカッツやファーレンハイト以外にめぼしい人材が存在しないことも、勝利への過程を確信させたことだろう。
だから最初の違和感を、その援軍が現れたときに感じえた者は五本の指の数に届かなかった。多くは理論家提督が万が一にも勝ってしまったときに彼一人に功績を独占させないための「
当然、リスト外の人物が立ちはだかろうとは思いもよらない。戦場で発生した違和感に未来の苦戦をすぐに想像できた者など皆無であった。
やがてその違和感は胸騒ぎへと変化し、確信へと固定される頃にはラインハルトを大きな危機へと引きずり込んでいく。
油断はしていなくても敵を過小評価したことは結果的に否めないだろう。
先人の言葉を借りるならば、「一頭の獅子に率いられた100匹の羊は、一匹の羊に率いられた100頭の獅子の群れに勝る」という名言の的確さを思い知らされることになるのだった。
◆◆◆
エーベンシュタインが退出したあと、その場に居合わせたシュナイダー少佐は自らが抱いた驚きと意外性から生じた戸惑いを収束することができなかった。
「メルカッツ提督、どうしてエーベンシュタイン上級大将はブラウンシュヴァイク公らにこれらの作戦を承知させることができたのでしょうか?」
副官の問いかけにメルカッツはすぐに答えない。エーベンシュタインの去った扉の向こうをしばらく見つめていた。
ようやく、
「……あの男は私などよりよほど柔軟に動ける。それに意外に顔の効く男だ。何よりも前皇帝陛下との関わりもある。おそらく若い貴族たちをうまく抱きこんでブラウンシュヴァイク公らをその気にさせたのだろう」
「そんなことが?」
「──可能ではないとは言い切れまい。相手の心理を的確につかみ、うまく手のひらに乗せる術を心得ていればな……」
メルカッツの口元がわずかに歪むさまをシュナイダーは見逃さなかった。
(この笑いは……)
ただ、その微笑が何を含ませたものなのか、有能な副官にも正確に計る事ができない。しいて言えばその笑いは建設的なものではないだろう。苦笑いか、自嘲か、はたまたマイナスの類に属するものだ。
(メルカッツ提督は、何かをご懸念されているのか?)
メルカッツの態度には謎が多い。エーベンシュタインが頭痛の種を緩和してくれるというのに──である。自分の地位が脅かされる、という保身的な問題ではないことは確かだ。そんな歪んだ虚栄心を高潔な上官は持ちあわせてはいない。
シュナイダーが黙考していると、視線に気づいたらしいメルカッツは思わぬことを口にした。
「ひとつ経過が違っていたら、総司令官はエーベンシュタインだったかもしれぬな……」
シュナイダーは驚いて目を見張った。エーベンシュタインという華麗な老人が──いや、宙戦部隊戦闘艇総監がそれほどの人物だというのだろうか?
シュナイダーのエーベンシュタインに関する知識は豊富とはいえない。ヘルマン・フォン・エーベンシュタインは、エーベンシュタイン家の四男に生まれ、形式だけの男爵位を授位され平凡で平坦な一生を終わるはずだった。だが、いくつかの偶然が重なって伯爵家を継ぎ、その後、6年前に正式に総監に就任してからは長く実戦からは遠ざかり、可もなく不可もなくといった道を歩んでいた。
そして、同盟軍の戦闘艇部隊が畏怖する<黒十字架戦隊>の生みの親でもあった。
──シュナイダーが知り得ているのはそのくらいである。華やかな武勲など耳にしたことがないので、彼はエーベンシュタインを実務タイプの高級軍人としか認識していなかった。
つまりノーマークだったわけである。
そのエーベンシュタインが内情では圧倒的に不利な貴族連合軍に「変化」をもたらそうとしている。短慮で血気盛んな貴族たちを抑えるのは容易なことではないが、状況が改善されるならばそれは喜ぶべきだった。
それなのにメルカッツは依然として厳しい表情を崩さない。それを裏付けるように独り言のように重々しくつぶやく。
「本来ならここにいるはずのなかった男だ。あの男がどう心境を変化させたのか、もしも……」
それ以上メルカッツは口を閉ざし、腕を組んで瞑想するように細い目をゆっくりと閉じた。
その後に続いたのは深く長い沈黙だった。
シュナイダーには上官が何を言いたかったのか、さっぱりわからなかった。
双方の戦力が初めて衝突するアルテナ星域の会戦から世に言う「リップシュタット戦役」はついに始まる。
ラインハルトたちは、この戦役の過程で思いもよらない「ナデシコの幻影」を体験することになるのだった。