―――勝利ほど人を酔わせるものはなく、これほど危険なものはない。
確かにこの戦いに神聖ブリタニア帝国は、アースガルズは勝利を掴んだ。
だがかといって明日もまた勝利するとは限らない。まだ戦争は終結していないのだから。
そして別れの日がやって来た。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとレナード・エニアグラム。
異界からの来訪者が元の理へと戻る時が。
「世話になったな、スザク」
「構わないよ。ゼロではなく、枢木スザクとして、たぶん最後の果たすべき勤めを果たしただけだから」
言ってスザクは笑う。
ゼロレクイエムから。ゼロの仮面を受け取って以来、一度も浮かべたことの無い笑顔だった。
「C.C.も。色々と助かった。一応礼くらいは言っておいてやる」
この世界のC.C.へ言う。
彼女はやはり彼女らしい顔で。
「さっさと終わらせて来い。お前は魔王なんだろう?
精々、あっちの世界の魔女を笑わせてやるんだな」
「まったく、世界が違ってもその減らず口は変わらないのか。
少しは殊勝な態度でもとったらどうだ」
「…………殊勝なのは昔だけで十分さ」
さて、時間だ。
といっても、元の世界へ帰れるか否かは、全て俺に掛かっている訳だが。
傍らに立つKMF暁を見た。あれにはスザクもC.C.すら知らない事だが、フレイヤが積まれている。帰ったらニーナの行動に注意をしなければならない。もしも間違ってあんな物を開発したら、もしその技術が世界中に公表されれば、世界は何時滅んでも不思議じゃないような世の中になってしまう。それだけは避けなければならない。
だからフレイヤはあれ一発だけ。絶対に量産する気はない。それはレナードも理解しているだろう。
そして眼前の"神"を見上げた。
嘗てこの世界の俺は"神"にギアスを掛ける事で、ラグナレクの接続を阻止したという。
「やってやるさ。この世界の俺に出来て、この俺に出来ぬ道理はない。
何故ならば俺は"ゼロ"! 奇跡を起こす男だ」
左目のコンタクトを外す。
浮かび上がるギアスの紋様。
「世界よ! この世全ての意志よ!
俺達を元の世界へ帰してくれッ!」
反応がない。
それでも、諦める事はしない。後ろ向きでいたとしても、何も変わらない。
「前向き」に生きていく。そう失ってきた者達の為にも。
「だから俺は――――明日を掴むッ!」
ブリタニア奪還作戦より五日。
合衆国ブリタニアから再び神聖ブリタニア帝国という名に戻ったブリタニアは、やや落ち着きを取り戻していた。
ジェレミアという存在が加わったのも大きいだろう。彼のギアスキャンセラーは、ゼロの掛けた魔法から文字通り臣民を解き放ったのだ。
そうなれば、元々ギアスで保っていた権威だ。ギアスを失えば簡単に崩れる。
といってもブリタニアの貴族全てが、ルルーシュを歓迎した訳ではなかった。
忘れてはならない。ルルーシュは平民の子なのである。中にはルルーシュではなく、ユーファミアやコーネリア、そして第一皇子オデュッセウスを担ぎ上げようとする者も少なくはなかった。
がそれもユーファミア、コーネリアともに皇帝になることを辞退したことや、先帝シャルル直筆の遺言状。第一皇子オデュッセウスがルルーシュの皇帝就任に肯定的という事もあって、それは収まっていった。
対する軍部は、貴族達より遥かに従順だった。
確かにルルーシュは平民の子であるが、同時にマリアンヌの子息である。閃光のマリアンヌはジェレミアなどを始めとして、騎士を志した者ならば誰しも憧れる英雄だ。また国を追われ反逆者の汚名を着せられながら、ラウンズとアースガルズという戦艦一隻を率いて奸賊シュナイゼルからブリタニアを取り戻したそのサクセスは、現代に蘇った騎士道物語といって過言ではない。そして騎士というのは、誉ある主君にこそ尽くしたいと思うものだ。
それでも懸念事項はある。
第一ブリタニアを取り戻したとはいえ、超合衆国、否、ゼロとシュナイゼルはまだ健在なのだ。傍受した通信などから推測するに、シュナイゼルがいるのは恐らく神根島。
もしかしたら、二人の計画も大詰めなのかもしれない。
あの時の答えは、まだ出ていない。
ウォーレクイエム。この世全ての人間の欲望を抑制させ、それにより恒久的平和を実現する計画。
もしかしたら、ゼロとシュナイゼルの方法が恒久的世界平和を実現する唯一の方法なのかもしれない。そう考えてしまったのも一度や二度ではなかった。
なにより自分は、まだプランを提示できない。恒久的世界平和を目指す為に、あらゆる方法をシミュレートしてみたが、どれも失敗。
唯一成功したのはラグナレクの接続だが、アレよりはまだウォーレクイエムのほうがましだ。
幾ら誰よりも優れた頭脳を持つルルーシュでも答えは一向に出なかった。恒久的世界平和という七文字は、人の身には余りにも遠く、険しい。
一人で考えても答えは出ない。
ならば、と思ってレナードの執務室へと向かった。
一人で悩んでいたとしても、答えが見付からない時がある。それがこの一年でルルーシュが学んだことの一つであった。
レナード・エニアグラムはナイトオブワンとしての称号を名乗る事を正式に認められ、今や名実ともに帝国最強の騎士だった。
というより、奴を除いて相応しい人材がいない。ギアスやコード、平行世界、二代目ゼロ、それ等全てを知る人間が自分を除けばレナードだけというのもそうだし、実力でいっても相当の腕前だ。特にブリタニアがシュナイゼルの手に堕ちてからの活躍というのは、凄まじいの一言に尽きる。それこそ母マリアンヌに匹敵するほどの――――。
そのレナードには、ブリタニア軍総帥の地位を与えてやった。今までの功績に報いるというのもあるが、その真の目的はぶっちゃけ一人だと軍事まで目が向けられないので、信頼できる人材に丸投げしてやろうという魂胆である。当のレナードは、総帥になった事を後悔しながら、軍の再編成に忙殺されているという。
――――――――やはり主と騎士は運命共同体であるべきだ。主君だけ書類作業に忙殺されるというのは妙な話だからな。レナード、貴様も書類地獄に呑まれるがいい。
本人が聞いたら、直ぐにラウンズの地位を返上されそうな事を内心で考えながら廊下を歩く。ちなみにスザクはナンバーズとしては初の封建貴族である子爵。ヴィレッタも同じく子爵。キューエルは伯爵。ロイドも侯爵と、アースガルズに参加していた者は、誰もが相応の恩賞を得ていた。
そうやって考えている間に、漸くレナードの執務室の前へ到着した。
本来なら、こちらから呼び出せば事足りるのだが、今までアースガルズやら格納庫やらで、一般兵士と同じように動き回っていたせいか、全て玉座で決済するというのはどうにも落ち着かない。
気分転換と散歩。そして最重要機密事項を伝える為に、アーニャ一人を護衛につけて来たのだ。
「レナードいるか。入るぞ」
アーニャを部屋の前で待機させ、自分は入室する。
が、肝心のレナードの姿は何処にもない。いるのはレナードの副官的存在である主任だけだ。
「どうした、ルルーシュ。
呼んでくれれば、こっちから行ったのに」
「!」
何故かいない筈のレナードの声が聞こえた。
しかし部屋中探しても、やはりレナードはいない。
「主任。レナードは何処にいる?」
「上です」
「上?」
見上げて――――驚愕した。
レナードは腕立て伏せをしていた。いや、それ自体は問題ない。腕立て伏せ大いに結構。どんな才覚のある騎士といえど、日頃の鍛錬を怠るのは良くないと母さんも言っていたからな。
しかし何だこれは!?
何故レナードは天井で腕立て伏せをしているんだ!
良く見れば、指で天井の僅かな凸凹を掴んでいるのが分かる。というより、あの凸凹のある位置が不自然だ。どうやら、これをする為だけに本来あった平らな天井に、一つだけ凸凹を作らせたらしい。金の無駄使いも甚だしい、が恐らく自費でやっているのだから文句を言う訳にもいかない。
そんな指の力だけで全身を支え、あまつさえ凄いスピードで腕立て伏せをしているのだから、もう笑えない。まったく、これだからラウンズやスザクは……。
「何をしている?」
「なにって、腕立て」
「…………はぁ。もう慣れた。
さっさと降りて来い。話がある」
「イエス、ユア・マジェスティ」
パッと指を凸凹から離すと、重力に従い堕ちてくる。それでも上手く両足をついて着地した。
一応天井と床まで、普通のビルでいうと三階分くらいの高さがあるのだが……ラウンズというのが、どれほど人間離れした連中が揃っているのかを、俺はよ〜く見てきた。壁を走るなんて朝飯前。剣をチョップで破壊したり、ジャンプで塀を飛び越えたり、ビルの屋上から飛び降りてピンピンしていたり、防弾ガラスを蹴りで破壊したり……。
こいつ等は人間ではなく、ラウンズという新たなる生命体なのだろう。そう思い込む事にした。そうすれば気分も楽になるというものだ。
「それで話ってなんだ?」
「これだ」
この一週間で得た、ギアス関連の遺跡のデータを渡す。
最初のほうは流し見ていたレナードだが、読むに連れて顔が強張っていく。
「神根島の……いや、黄昏の間への道が塞がれている?」
「そうだ。帝都ペンドラゴンにある遺跡は、奇襲作戦の際、騎士団の追手が来れないよう直ぐに破壊したから勿論だが、他の健在である筈のアフリカやロシアの遺跡からも黄昏の間へ、起動エレベーターが使えない」
「ゼロとシュナイゼルの仕業、か?」
「だろうな。現に神根島。いや日本に合衆国中の戦力が集結していっている」
「つまり、ブリタニアを再び奪い取る事を諦めて、ウォーレクイエム実現にのみを目標にした、そういう事か?」
「ああ。もしシュナイゼルがブリタニア奪還を目指すというのならば、俺が奪還した直後に攻撃して来ないというのは可笑しい。なにせ時間が経てば経つほど、俺の地盤が固まってくんだからな。
だというのに、このタイミングでの黒の騎士団の日本集結。ゼロの狙いは恐らく」
「防衛戦、か。ゼロとシュナイゼルはウォーレクイエムを完遂するまで、ブリタニアの侵攻を妨げられれば勝利。対するこっちは、なんとしても神根島に辿り着きゼロとシュナイゼルの計画を阻まなければならない。しかも制限時間は分からない、ときた」
「少なくとも一週間以内ではないか、と俺は思う」
「一週間!? 根拠は……」
「C.C.の言っていた事なんだがな。
なんでも再び遺跡の機能を回復させて、黄昏の間へ到るには最低でも一週間は掛かるらしい」
「一週間、か。いやもしかしたら明日や明後日かもしれない、か。
前途多難とも言ってられない。今直ぐ軍を編成して出撃しないと間に合わなくなるかもしれない。
しかもそんな慌てての出撃じゃ、碌な軍備も整えられない。
忘れたか? 今より遥かに弱かった日本相手であっても、降伏させるのに一ヶ月掛かったんだぞ」
「別に降伏させる訳じゃないさ。ようは邪魔をする黒の騎士団を突破して、神根島のゼロとシュナイゼルを殺せばいい。後は持久戦なり交渉に持ち込めばいいだけだ」
「成る程な。ブリタニア軍の質ならば、十分可能かもしれないな。突破するだけならば。
だが、かといって本国の防備を疎かに出来ないし、そんな早急に戦争の準備だって出来ないから、それなりに出撃できる数も限られてくる」
「だが、まだ懸念事項はあるだろう」
「なんだ?」
「ゼロの正体、だ」
「!」
二代目ゼロの正体。
それは無数にある可能性世界の一つでも手に入らなかった情報だった。
ルルーシュもスザクも、レナードでさえも、その存在の痕跡を発見出来たというのに。如何しても偽ゼロだけは見付からなかった。
まるでこの世に存在していないかのように。
「実は、一つ知っていそうな人物に心当たりがある」
神妙にルルーシュが言った。
「誰だ、それは……?」
そしてルルーシュは、その心当たりの名を言った。
バリアル宮。
数ある皇族が住まう宮殿の中でも、一際巨大で、威厳ある建物の中へ、SPに案内されながらルルーシュとレナードは入っていった。
そこに住まう一人の男と会う為に。
「やぁ、ルルーシュ。いや陛下。それにレナード総帥も。
一体どうしたんだい、こんな時間に。話なら明日の朝にでも……」
「いえ、今直ぐに話したい事なのですよ。兄上」
神聖ブリタニア帝国第一皇子にして元第一皇位継承者オデュッセウス・ウ・ブリタニア。第二皇子シュナイゼルとは違い、酷く凡庸かつ平凡と陰口を叩かれながらも、凡庸であるが故に誰にも敵意らしい敵意を向けられることの無い、皇族としては希少な人物だ。
本来なら時の人であるルルーシュやレナードが、こんな時間、こんな状況でわざわざ会うような男ではない。いや、なかった筈だった。
只ならぬ気配を察したのか、オデュッセウスはメイドや執事に下がれと命を下した。
部屋にはルルーシュとレナード、そしてオデュッセウスのみが残される。
「単刀直入に聞きます。兄上、貴方はゼロの仮面の下を知っているのではありませんか?」
「おいおい、私がそんな事を知ってる訳がないじゃないか。
ゼロの正体は、私の弟くらいしか知らないような事だよ。それが何故――――」
「兄上。私には、強引に貴方の口を割る事も出来るのですよ」
静かに両目のコンタクトレンズを外した。
解放されるギアスの力。ルルーシュが絶対遵守の命令を下そうとオデュッセウスの目を見ると、まるでギアスを知っているかのように、後ろを向いた。
「やはり、貴方は――――」
「フム。ルルーシュ、君は劉禅という人物を知っているかい?」
何を、と思いながらもルルーシュは答えた。
「中華連邦の三国時代の人物。劉備の息子です。
それが、何か?」
「彼は父である劉備を始め、諸葛孔明、関羽、張飛、などの英雄豪傑が築き上げた蜀漢を、魏の軍勢が首都に迫ったからという理由で戦いもせずあっさりと降伏を選んだ。しかし、彼は敗者なのかね?」
「それは、そうでしょう。
事実として国は滅んでいますし、後の世においても劉禅は暗君としれ歴史に名を残しています」
「それは一方的な考えだよ。
レナード総帥。君も同じ考えなのかな?」
「…………はい」
「そうか。しかしだね、その考え方には"劉禅"としての勝利ではなく、"英雄"としての勝利しか含まれていない。故に不正解だ。
人は誰しも『幸福』になりたい。『不幸』になりたい人間などはいない。
つまり『英雄』ではなく『人間』としての"勝利"とは『幸福』になる事ではないかい。
その考えなら、劉禅は敗北者ではなく、人として誰よりも勝者であったという事になる」
考えもしなかった。
確かにそういう見方は一つの考え方だ。
劉禅は英雄としてはお粗末だったかもしれない。が、彼は降伏した後も六十五年の生涯を、大した事件もなく平和に過ごした。ならこれは、人として紛れもない『勝利』なのかもしれない。
「私は始皇帝やアレキサンダー、ナポレオンのような世界を制覇する英雄などにはなりたくなかった。私は一人の人間として"劉禅"のような人間になりたかった。
だからこそ仮面をつけたんだよ」
凡庸であるという仮面を。
平凡であるという仮面を。
他のどの兄妹達よりも身近に権力闘争という名の地獄を見てきたからこそ理解していたし、同時に恐怖もしていた。あんな世界に巻き込まれたくはないと。
だが自分は押しも押されぬ第一子息。まだ皇帝ではなかったシャルルだったが、その当時は急速に権威を拡大していった事もあり、いつ暗殺されても可笑しくはなかった。
だから仮面を被ったのだ。
余りに才覚があり過ぎれば妬まれ危険視される。余りに愚鈍過ぎれば組み易い相手と見られる。だからこそ中間に。誰よりも凡庸で誰よりも平凡であろうとした。美点も欠点もない花とは、やがて忘れ去られていくものだから。
「だけどね。私の弟は、シュナイゼルはそうじゃなかった。
最愛の母の期待に答えるのが嬉しかったようで、どんどんと成長していった。その天賦の才覚を隠そうともせずに、ね。結果。私に掛かる筈だった期待の全てを、シュナイゼルは一身に受けてしまった。期待されそれに応えて。また期待されそれに応えて。最後には愛する母をも失い、シュナイゼルは自分のやりたい事を見失ってしまったんだよ。本当に馬鹿な弟だ」
それがオデュッセウス・ウ・ブリタニアという男の仮面だった。
ルルーシュとて、帝都ペンドラゴンの地下研究所にオデュッセウスの痕跡がなければ、永久に彼の仮面に気付く事はなかっただろう。
「ゼロの正体を教えるにあたって一つ、条件がある」
「聞きましょう」
「命を助けてくれ、とは言わない。それが無理だというのは理解している。
だけど、せめて苦しまずに逝かせてくれ。そして遺体だけは本国へと連れ帰って欲しい。
彼には彼の母と共に眠るべきだ」
「約束しましょう。我が妹にかけて」
ルルーシュがレナードへ合図する。
レナードもまた姿勢を正して宣誓した。
「我が主君と先帝シャルル陛下の名にかけて誓いましょう」
「そうか。だが、彼の正体を知ったところで意味などはない。
寧ろ知らないままのほうが良いかもしれない。それほど彼の正体は無意味で荒唐無稽だ。
それでも、聞くかね?」
最終確認のつもりで、オデュッセウスが問うた。
二人は無言で頷いた。
オデュッセウスは息を深く吐いた。大きな決心をしたのだろう。
そして次に放たれた名は、あらゆる驚愕を足して尚も勝る驚愕だった。
「騎士王アーサー・ペンドラゴン。それが彼の真実だ」
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