とある魔術の未元物質
SCHOOL82 隠される 真意
―――人間は、思い出したり、考えたことを「書く」ことによって、深い認識を持てるようになる。この「書く」という作業が、自分で自分を知るという、自分自身との対話の中心にある。
なにか物事を書くという事が出来ないというのは、幾ら腕力が強かろうと文化的には弱者である。書けない人間というのは、それだけ物事を捉える事が出来ないということであり、何も書こうとはしなかった文明というのはやがて滅びる運命にある。
今更説明するまでもないが、垣根帝督は麦野沈利の率いていた『アイテム』と同程度の機密力を持つ暗部組織『スクール』のリーダー……いや、元リーダーである。嘗ては第二位という強力なリーダーのもと幅を利かせていた『スクール』は垣根を失って瓦解してしまっている。『スクール』には垣根以外にも主要構成員と呼べる人材はいたが、良くも悪くも垣根のワンマンチームだったということだろう。
他にもLEVEL5がリーダーを務める組織として『アイテム』の存在はあるが、あそこの核となるのは『原子崩し』ではなく『能力追跡』であり、リーダー=核という訳ではないので仮に麦野沈利が死亡するなりしても、『アイテム』という組織そのものはなくならないだろうが、『スクール』は違うのだ。主要メンバーの一人だった狙撃手が『アイテム』にやられてしまったという理由もあるが、垣根帝督という生きた接着剤を失えば、元々曲者ぞろいの暗部。バラけても無理はない。
インデックスと共に旅する普段の垣根からは想像も出来ないことだが、それなりにリーダーを務め纏め上げられるだけの才覚とカリスマ性のようなものを持っていたのだろう。
そして心理定規は『スクール』においても垣根の参謀、ナンバーツーのような立ち位置にいた少女だ。リーダーを務められるほどではなかったが、他の構成員と違いリーダーである垣根とも、そこそこ対等に接してきた。
ナンバーツー的立ち位置になるだけあり、心理定規は強力な能力者だ。″心理″の名が示す通り、精神操作系能力者なので直接的戦闘力はあの第五位と同じく皆無に等しいが、その能力を最も悪意ある方法で行使した場合、楽々極悪の惨劇を演出してみせるだろう。
『心理定規』。心理の定規と書いて心理定規。無論その能力名が示す通り、対象となった人物とその人物の知人との心の距離を測るという使い方もあるが、本当に恐ろしいのは心の距離を自由自在に調節できるということに尽きる。誰かの知り合いとなることも、誰かの恋人になることも、誰かの王になることも、誰かの神になることも、心理定規である彼女には容易い事。
ただ欠点もあり、中には愛情が深ければ深くなる程憎悪も増すような理解不能な人種もおり、心理定規も全く読めない一方通行といった者にはその力を行使しようとはしない。
「そんなテメエが、どうして此処にいやがる」
垣根はソファに座り呑気に紅茶を飲む心理定規の指の動きすら逃さず注視する。
元部下兼同僚とはいえ、彼女が油断ならぬ人間であるということは、上司であった垣根が一番よく知っている。『心理定規』如きで垣根や『歩く教会』のあるインデックスに何か出来るとは思わないが油断大敵というものだ。学園都市のことだから、どんな超絶兵器が出てきても不思議じゃない。
「えーと、休暇の消費…かな」
「心理定規、まさかお前……死にてえのか?」
休暇の消費というのはいい。戦場でわんさか敵兵をぶっ殺す軍人でも、オフの日は街に繰り出して買い物したり料理を楽しんだりするものだ。暗部組織である『スクール』もそれは同じ。垣根や心理定規だって年がら年中仕事ばかりしている訳ではなく、暇な日は有り余る金を使って豪勢に遊びまわることも多々ある。しかしこれは学園都市の住人全員に言えることだが、休みだからといって簡単に学園都市の外に出れたりはしない。面倒な書類だって必要だし、暗部組織の構成員なんていうそこいらのテロリストより余程危険な者を学園都市が野放しにしたりはしないだろう。
ましてや垣根帝督という学園都市ナンバーワンのお尋ね者とその元部下を接触させるなど、良からぬ事を考えているのでもなければ有り得ない話だ。
「段々いつもの調子に戻ってきたわね。その子といる時は、あんなに普通の年相応の学生みたく振る舞っていたのにね」
「昔の好実でもう一度忠告してやる。死にてえか心理定規。二が月ぶりで忘れちまったのか知らねえが、俺がちょいとでもその気になっちまえば、テメエを跡形もなく消滅させるなんざ朝飯前なんだぜ」
インデックスに魔術のことがばれた事による思わぬ恩恵というべきだろう。十万三千冊の魔道書図書館という最大の講師を得た垣根は、めきめきと腕を伸ばしていた。今なら超能力を一切使わずにLEVEL5クラスの能力者を倒せるかもしれない。幾ら厄介とはいえLEVEL5にすら満たない能力者である心理定規なんて、垣根がもし少しその力を発揮すれば一秒で消し炭としてしまえる。
心理定規はそんな垣根を面白そうに眺める。垣根の怒りのボルテージが心理定規の愉快さに比例して上昇していった。そんな垣根を止める者がいた。
「駄目だよ、ていとく」
「…インデックス」
「そうやって直ぐにケンカ腰でいるから、そんなに目つきが悪いんだよ。もっと慈愛の心をもたなきゃ」
「目つきは関係ねえ! それとテメエは食費に慈愛の心を持ちやがれ! 働かざる者食うべからずっていうありがたい言葉は十万三千冊にねえのかよ」
「甘いね! 私はていとくのセンセーとして立派な仕事をしてる労働者だよ。給料分は食費!」
垣根が隠そうともせず舌打ちする。第二位のLEVEL5なんていう異常人間と接していたせいか、インデックスはどうにも屁理屈が達者になっていた。
「仲が良いのね二人とも。妬いちゃいそう」
「そ、そうかな……」
心理定規に指摘されると、インデックスの耳がピンクになっていく。どうやら満更でもないらしい。
「顔赤くすんな。これだから精神操作系能力者って野郎は」
「野郎じゃなくて淑女よ、レディー」
「レディーって玉かよ、男誑かして金稼いでやがるお前が」
「寝てはいないわよ。ただホテルでお話を聞いてあげてるだけ。興味深い話を聞ける事もあるし、お小遣い稼ぎにもなるから一石二鳥よ。手を出そうとしても能力があるから問題ないし」
「エロいことしねえの?」
「だからしないわよ…………心配してくれたの?」
「男に心配されて喜ぶような生易しい女じゃねえだろうが」
「私を買ってくれるのはありがたいけどね」
「………………どうやって、この場所を知った?」
話を戻す。心理定規一人でこの場所を掴んだとは考えずらい。恐らく学園都市のバックアップなどがあったはずだ。
(目的は俺の抹殺か? それにしては心理定規一人を派遣するだけとはお粗末以外の何物でもねえが)
他に考えられる線は説得だろうか。心理定規という面識ある人間を起用して、垣根を学園都市へ戻るよう説得する。学園都市もローマ正教のいざこざで贅沢を言ってられなくなったのかもしれない。それで垣根のような逃亡者に和平案を出して、強力な戦力を確保しようという思惑か。それならば心理定規という人間は打ってつけかも知れない。『スクール』のリーダーだった頃も、垣根は心理定規と個人的にも一番親しかったし、プライベートでも一応の付き合いはあった。
「そう怖い目しないでよ。私は貴方を殺したり……説得しに来たんじゃないんだから」
「………………どこへ行く」
心理定規はソファから腰を上げ、次にふかふかのベッドに腰を下ろした。ぐぐっと伸びをすると呑気に欠伸などもしてみせた。
「実は昨日は徹夜だったの」
「それがどうしたってんだよ」
「私、寝るわ。もし欲望が抑えきれないなら好きにするといいわ」
「おい、そこは俺のベッド―――――」
「おやすみなさい、帝督」
そう寝る前の挨拶を済ますと、まるでのび太君のような速度で心理定規は寝入ってしまった。余程眠かったのか、「すーすー」という可愛らしい寝息が聞こえてくる。
余りにも垣根帝督を舐めきった対応に、昔馴染みの好実すら忘れプッツンした。
「面白え。そこまで舐めてやがるなら俺にも考えがある」
眠る心理定規に垣根の魔手が迫る、直前。その手が白い修道服のシスターによって遮られた。垣根を邪魔するように立ち塞がったインデックスは白い歯をキラリと輝かせ、プルプルと震える。
「ていとく…………眠ってる女の子に破廉恥な行為を及ぼうとするだなんて…………」
「違ェよアホ。ただこいつに灸をすえてやるだけだ、ぶん殴ってな」
「問答無用、だよ!」
その日、ローマのホテルで垣根の断末魔が響き渡った。
噛み付きにより演算に支障が出ないかどうか、心配な垣根帝督の秋であった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m