とある魔術の未元物質
SCHOOL83 地獄からの 誘い
―――戦わないやつが戦争を奨励する。
戦争を計画し、戦争を賛美し、戦争を奨励するような人間は殆どが戦争を知らぬ政治屋である。優秀な政治家も時には戦争を起こさざるを得ない時があるが、その場合は必要最低限の戦争に留まる。しかし政治屋は無駄な戦争を惰性的に行うのだから性質が悪い。
「今回の件で思い知った。やはり民間人は戦場に立つべきではない。刃を交えるのは兵隊だけであれば良いのである」
テッラを修正したアックアは聖ピエトロ大聖堂でローマ教皇にそう言う。しかしそれは暗に自分が打って出ると言っているのと同じようなものだった。『上条当麻』にヴェントのみならずテッラまでもが敗れた今、ローマ正教でも最強クラスの男が遂に動く。
後方のアックア。
「……『神の右席』にして、聖人としての素質をも兼ね備えた貴様が出るか」
無言でアックアは首を縦に振った。
ローマ教皇はこれで『上条当麻』も敗北した、と確信する。ヴェントやテッラは其々優秀な魔術師であり、特殊な存在だったが、直接的戦闘力のみで推し量るのならアックアはその二人の遥か上をいく。
「上条当麻以外の懸念事項としては学園都市の超能力者の二番目、垣根帝督という男もいるが、そちらはどうなのだ?」
ローマ教皇の耳にも『垣根帝督』のことはアックアより耳にしている。科学サイドの総本山学園都市における第二位の実力者。そして禁書目録の『首輪』を破壊するため、学園都市から離脱し追われる身となった男。
現在の情勢下、垣根帝督という一人の男は微妙な位置にいた。明確に学園都市という勢力に所属している上条当麻と違い垣根帝督は寧ろ学園都市の敵であり無所属なのである。『禁書目録』はイギリス清教側のものだが、『首輪』を破壊しようと世界中を飛び回る垣根帝督がイギリスの土を一度も踏んでいない事を考えに入れれば、単純に禁書目録はイギリス側と決めつけるのも早計だろう。
なにより垣根帝督は一度ならず二度までも後方のアックアという世界最高峰の才能を退けた人物だ。それだけの、力を持った超能力者。アックアと同じくたった一人で戦局を左右させるような生きる戦略兵器。
それなりに広い視野をもつローマ教皇としては、垣根帝督に手を差し伸べローマ正教側に引き込むというのも一つの策であると思っている。第二位の超能力なら学園都市の内情にも詳しいだろうし、もし最悪学園都市と全面戦争なんて事態に陥った際、垣根帝督は強力な戦力となるだろう。それに『法の書』や『女王艦隊』といった悉くを潰した上条当麻と違い垣根帝督は明確にローマ正教の敵となった訳ではない。『首輪』の破壊に協力すると言えば、味方に引き入れるのは十分可能だろう。
「垣根帝督に関しては、フィアンマはまだ手を出すなと言っているのである」
前にいきなり出てきた時にも驚愕したが、フィアンマは余程垣根帝督にご執心のようだ。そもそもアックアに垣根帝督を襲い禁書目録を奪還することを命じたのも、9月30日に再びアックアに垣根帝督と戦わせたのも、全てフィアンマの意思だという。『神の右席』でさえ最終的決定権を預けてしまうようなフィアンマだ。垣根帝督にはそれこそフィアンマだけしか知りえない事情というものがあるのだろう。
「ならば子細はフィアンマに任せよう。問題は上条当麻の方だ」
上条当麻させ撃破すれば、世界を巻き込んだ大戦など起きずに混乱を終わらせる事も出来るだろう。いや違う。重要なのは上条当麻ではなく『幻想殺し』がある右手だけ。あの右手さえなければローマ正教としてはただの学園都市の一学生に構う程の理由はない。
「ところで一つ尋ねたい事がある」
ローマ教皇は聖ピエトロ大聖堂で横たわるその男を見ながら訪ねた。
「どうして情けを掛けた。らしくもない」
C文書を使い多数の民間人を殺した為にこの大聖堂に横たわるテッラはしかし、まだ死んではいなかった。普通これは有り得ないことである。テッラがどうこうではなく、このアックアが情けを掛けた事が。
「同じボルシチを食べた男だから」
アックアの答えだった。
幾らテッラの救う対象が、人間としての基準が『ローマ正教徒』だけだったとしても、テッラは同じ食卓でボルシチを食べ苦しんだ男だった。
ローマ教皇はボルシチパニックを思いだし、胃が痛くなるのを感じた。
フランスでの大騒ぎを傍目に、ローマ市街のホテルに滞在している垣根は一応の平穏を甘受していた。騒乱の中心の一方ということだけありローマも多少は騒がしいが、逆に中心だけあって防御網も固くおいそれと学園都市の部隊も侵入できないし、騒ぎといってもデモがあるくらいだ。垣根の容姿から日本人でないかと訝しがられることもあったが、そこは日系のイタリア人だといって誤魔化した。それに東洋系の顔がイコールで日本人という訳でもない。東洋系には中国人だって……というより中国人の方が圧倒的に多い。それに顔が東洋系でもアメリカ国籍をもっていたりする人間だっている。交通の発達は人種の混在に力を貸しているのだ。
「帝督、このパスタ美味しいわね。流石は本場イタリア」
「なんでテメエはそんなに寛いでんだ?」
心理定規はあれから全く目立った行動に出ようとはしなかった。
交渉に出るでもなく、暗殺をしようとするでもなく、ただ適当に観光を楽しんでいるだけ。当初は見知らぬ少女にインデックスも警戒(というより嫉妬)していたのだが少し経てばまるで十年来の友人のように仲良く談笑している始末。
心理定規はインデックスが寝ている間にも関わらず、真面目に魔術の研究を進めている垣根を後目にパスタを食べながらパンフレットを眺めていた。食事中に本を見るのはマナー違反だったが、垣根はそういった食事作法に五月蠅い人間ではないので気にしなかった。
「あなた、本当に変わったわね」
「あン?」
「そして人間として、とっても強くなった」
いきなり何を言い出すのだか。二か月間も交流がなかったからか、垣根はどうも心理定規の態度を掴みかねていた。
「インデックス、珍しい名前だけど……たった一人の女の子のために世界中を旅するだなんて、私の知る貴方からは考えられない。まるでお伽噺に登場する王子様みたいよ」
「……俺は能力の外観がメルヘンなのは自覚してるが、性格までメルヘンだなんて思っちゃいねえ」
「行動と言動が一致してないわ」
「してる。俺は単に俺がやりたいからこうしてるだけだ。この餓鬼に何もかもを捧げました、なんていうお綺麗な騎士道精神もメルヘンな王子様的な感傷もねえ」
面白い返答だと、心理定規はクスクス笑う。
「ええ、やっぱり変わったわ。甘く……優しくなった。紳士的な良い男よ、この私の目から見てね。二か月前の貴方なら、私が勝手に上り込んでいたら問答無用で攻撃してきたのに、今はこうして話して笑ってご飯食べて……こういうのも、楽しいわね。つまらない暗部生活よりも余程」
こんな心理定規は初めてだ。或いはこれも心理定規の側面の一つなのかもしれない。多少の付き合いがあったとはいえ、垣根はそれほど心理定規と深い間柄ではないので、心理定規の全てを理解している訳じゃない。どうにも調子が狂い、垣根は僅かに気が抜けた。それが、致命的にいけなかった。
「けど暗部のリーダーとしては、弱くなった。とっても」
垣根帝督の中で心理定規という少女の占める場所が、位置が移動した。この現象、垣根は知っている。
「テメエ!」
未元物質で心理定規を攻撃しようとするが、出来ない。もはや無防備な心理定規は垣根帝督にとって危害を加えられるような存在ではなくなった。
「貴方の心には神もいなければ親もいない。けど神や親よりも……そして自分の命よりも大切な女性がいた。今の貴方の私への距離単位はインデックスと同じ。貴方にとっての私は『心理定規』であって『心理定規』。どう、殺せる?」
昔なら容赦なく心理定規を殺せた。しかし今はもう出来ない。心理定規の指摘した通り垣根帝督は人間的に強くなったとしても、暗部のリーダーとして致命的に脆弱になっていた。体ではなく心が。
「早く学園都市に戻って私を助けて。さもないと…………私は心理定規が殺されちゃうわ」
「待てっ!」
制止する間もなく、心理定規の体は霞となって消える。余りにも突然の出来事に、それが科学的現象ではなく魔術的な現象であることにすら垣根は気付けなかった。
歯を噛みしめる。
垣根は行く場を失った手を震わせ項垂れた。
心理定規は心理定規自身の手で学園都市へと連れ去られてしまった。
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