これで補給に戻るのは何度目になるだろうか。
ミュラーとタナカのメビウスは幾度となくジンと交戦しては弾薬を使い果たし戦艦に戻る、というのを繰り返していた。
だが戻れるというのは二人の技量の判断能力の高さと、悪運の良さを証明しているともいえる。
現に他のMAの殆どは戦艦に戻ることもできずに宇宙の藻屑と化しているのだから。
「整備兵、後は頼んだ」
艦の整備兵にMAのことを頼むと休憩室へと足を運ぶ。
前回補給に戻ってから既に一時間。一時間も戦闘という神経をすり減らす場所に身を置き続け、ミュラーの体力も気力も限界となっていた。
休憩室に入ると、このまま眠ってしまいたいという衝動に駆られる。
それをグッと抑えるとミュラーは適当にハンバーガーでも口に運んだ。死の隣り合わせの場所にいるからかもしれない。食べるという原始的欲望を満たすことを命が求めていた。
傷つき弾薬を殆ど使い果たしたMAの補給が完成するまでの時間、その一時だけがミュラーにとっての癒しである。
(尤もここも安全というわけじゃないんだが)
この戦艦だっていつ敵の戦艦による砲撃やMSの総攻撃で落とされないとは限らないのだ。
だがこの戦艦は比較的後方にあり、最前線でMAで戦うよりかは生存できる可能性は高い。
「おっ。中尉も休憩ですか」
同じように補給に戻ってきたタナカが隣に腰を掛けてくる。
乱戦で逸れてしまったのだが、どうやらミュラーと同じく悪運強く無事だったらしい。
「ああ。敵のマシンガンをちょっと喰らったよ。汗が目に入って瞬きした瞬間にドカンさ。お陰さまで補給や修理で時間もかかる。暫くは休んでられる」
「そりゃいいっすね。俺の方はガトリング砲の弾なくなっただけなんで、どうせ直ぐに出て行けってどやされますよ」
「俺もお前もいい年だからな。独り立ちしろってことなんだろう。もうちょっと面倒見てくれてもいいとは思うんだけどね。ま、これが最後の休憩にならないことを祈るよ」
一度食べた海軍のカレーは美味かったのだが、このハンバーガーはお世辞にも美味しいとはいえないものだった。宇宙用だからなのか、効率よく栄養分を摂取するためなのかは分からない。
唯一ついえるのは軍のハンバーガーはマクド○ルドのバーガーと比べればただ肉をパンで挟んだだけの代物だということである。
(こんなものが最後の晩餐じゃ兵士だって死んでも死にきれないな。もし俺が大西洋連邦の大統領になったらこのバーガーは廃止にしてやろう)
実現するはずもなく、目指す気もない誇大妄想で溜飲を下げつつハンバーガーの最後の一切れを口に押し込んだ。
満腹感も幸福感の欠片もないが、取り敢えず腹は膨れた。
「この戦い……どうなるんでしょうね」
揺れる天井を見上げながらタナカが呟く。
「俺が指揮官なら、もうとっくに撤退命令を出してるよ。この戦いはこっちの負けだよ負け。ザフトのMSの力を見誤ってたんだよ我々は。これ以上、続けてもこっちの被害が増えるだけだ。ならさっさと撤退した方が良い」
事前にザフトがMSという兵器を作り出したことは知っていた。上層部により宣伝されていた。
だが多くの軍人たちは宇宙の化け物が作り出したSFもどきの玩具として扱い、その性能についての理解が足りていなかったのだ。
勿論全員ではない。一部の人間はMSの危険性について理解もしていただろうが、少数派が多数派に押し潰されるのが世の常。末端のミュラー達にまでMSの詳しい情報が行渡ることは残念ながらなかった。
「艦長には言わないんですか?」
「言っても無駄さ。死んだ大尉ならまだしも、あの堅物艦長が一介の中尉、しかもパイロットの進言なんて聞く訳ない」
「パイロットはパイロットらしく命令に従い戦ってれば良いのだ!……とか、で?」
「そうそう。言っても無駄なんだから無駄なことはしないよ。あの喧しい艦長と議論するのに時間を割くくらいなら昼寝でもするさ。第一もしも艦長殿が突然に豹変して進言を受け入れたとして、今度は艦長がその上の総司令官殿を説得しなきゃならないんだ。知ってるかタナカ? 総司令官殿はガッチガチのブルコス派だそうだ」
「うわぁ」
ブルーコスモスは西暦末期頃にアズラエル財閥をスポンサーに発足した自然保護団体である。当初は本当にただの自然保護団体だったのだがコーディネーターの誕生により状況は一変。
旧カトリックやムスリムなどの遺伝子操作を悪とする宗教団体などの合流と、世界有数の財団であるアズラエル財閥の惜しみない援助の後押しを受け急激に規模を拡大。
最初期の頃はコーディネーター反対のプラカードをもって歩く程度だったのが、今ではコーディネーター排斥を訴えテロ行為に及ぶ輩までいる。
ブルーコスモスの構成員の数は数万から数十万ともされているが、潜在的にブルーコスモスの思想に共感を覚えるナチュラルは非常に多く、一部のコーディネーターも自らの出生に悩み、ブルーコスモス的思想を持つ者すらいるほどだ。
ここまでブルーコスモスが肥大化した原因の一つには『遺伝子操作』に対する心情的な忌避感や気色の悪さ、それにコーディネーターとナチュラルの能力格差があるのだろう。
さて。当然ブルーコスモスの思想に感化されるのは民衆だけではない。寧ろ政府の意向をよりダイレクトに受ける軍部などは一掃にブルーコスモスの影が強いとすらいえる。
今回の総司令官もブルーコスモスの思想に共感を抱くもので、コーディネーターに対して強い悪意を抱く人物なのだ。
「堅物艦長の上にはブルコス司令官か。世も末ですね。そんじゃもし負けそうになったら一億火の玉特攻だとか言わないでしょうかね。司令官閣下は?」
「それはない……と、信じたいね。司令官のベロブル中将は海賊退治で勇名を馳せた御仁だ。俺達と一緒で本物の戦争は体験したことはないはずだけど……少なくとも実戦は知ってる。引き際くらいは心得ているはずだ。だけどコーディネーターへの憎しみが」
「肝心の引き際を遅らせるかも、ってことですか?」
「ああ」
今はまだ良い。こちらにも余裕が残っているから撤退はできるだろう。しかしその余裕がなくなればどうだ。
ザフトも自分達のホームに進撃してきた敵をみすみす逃がしたりはしないはずだ。必ず追撃をかけてくる。その時に余力がなければ一網打尽で全滅することすらあり得るのだ。
「全滅したらどうします?」
「……あんまり考えたくないが、その時は敵に白旗あげて降参するしかないな」
「コーディネーターが助けてくれますか? 俺達野蛮なナチュラルを」
「降伏してきた者を殺すなんて野蛮な真似、我等コーディネーターはやりはしないって矜持を発揮してくれることを祈るさ。一応俺にもコーディネーターで知っているのはいるが、それなりに話が通じる奴だった。コーディネーターも悪魔じゃないさ」
「だといいんですが」
タナカがそう嘆息したところで、艦内の放送がタナカの出撃の時間がやってきたことを伝えた。
武器弾薬の補給が終わったのだ。
「それじゃお先に」
「ああ。……死ぬなよ」
「そっちこそ」
手をぶらぶらと振りながらタナカは格納庫へと歩いていく。
宣戦布告から早三日。今日は2月14日、バレンタインデー。恋人同士がチョコやらプレゼントやらを交換している時に、ミュラーは命の奪い合いをしていた。
連合軍旗艦アリストテレスにて此度の戦いの総司令官に任命されたベロブル中将は最初は意気揚々としていた。
ミュラーが評した通りベロブルはブルーコスモスの思想に共感しており、そんなコーディネーターの軍隊もどきを自分の手でたたきつぶせると知った時には小躍りをしたほどである。
だが今ベロブルにとってそんなものは遠い幻想である。
夢に描いた地球連合軍の大勝利などはそこにはなく、宇宙の海にはMSという兵器の前に敗れ去った戦艦やMAがジャンクとなって漂っている。
「おのれ……宇宙の化物共がっ! なんだというのだ!」
苛立ちから椅子を殴るが、そんなことをしても目の前の現実は消え去ってはくれない。
「ボロール、ハリケーン交信途絶! 敵MS部隊なおも進撃してきます!」
「司令! こちらの損害が40パーセントを切りました!」
「ええぃ! 狼狽えるな!!」
旗艦内での混乱は極みに達していた。初めての戦争に本格的な命の奪い合い。勝利の美酒があれば恐怖を拭い去ることもできただろう。しかし自分達の軍が圧倒的に劣勢であるともなれば、戦争素人の恐怖は表面化する。
それでもベロブルが判断能力を失っていなかったのは、やはり彼が将官になる前は艦長として多くの宇宙海賊を摘発してきた実績があったからだろう。
(敵のMSは想像以上。……最新鋭のメビウスが手も足もでんとは。……しかし、敵の新兵器が強力だからと逃げるのか。こちらの十分の一もない敵に背を向けるだと! コーディネーターとはいえ民兵あがりを相手にして。そんなことは許せん!)
長年軍人として戦ってきたプライド、コーディネーターに対する嫉妬と憎しみ。それらがベロブルの目を一時的に晦ましていた。
そしてその一時が致命的となる。
ザフトのMS部隊がこれを機に大攻勢をかけてきたのだ。
無謀なる突進にみえて――――いや、正真正銘の無謀な突進もMSにかかれば蛮勇ではなく勇気となる。戦艦の弾幕を躱し切り、戦艦の急所をマシンガンで撃ち抜いていくジン。
特にザフトの中にあってエースとされる者達の動きは凄まじいもので、まるで後ろに目をつけているかのような戦闘機動で一機で複数の戦艦を落とすジンすらあった。
このままでは敵MS部隊が旗艦にまで襲い掛かってくる。
自分の尻に火が付きかけて漸くベロブルは決断した。
「……全軍、撤退せよ。……この戦いは、我々の敗北だ」
絞り出すような声だった。
撤退命令はすぐさま全軍の指揮官に駆け巡っていき、程なく地球連合艦隊は後退を始めた。
『撤退ですってよ中尉』
タナカがミュラーに通信を送ってくる。撤退命令それ自体は有り難いことだが、
「少し遅かったな」
ヘルメットの中で溜息を吐いた。
ザフトのMS部隊の攻撃は苛烈を極めており、もしも一部の部隊がこちらの裏側に回り込めば連合艦隊は退路を封じられ一網打尽。網に引っ掛かった魚となる。
最前線を離れメビウスを艦隊に近付けながら、ミュラーは戦況をそう見た。
「中尉、これは気の利いたセリフを用意する時がきたのかもしれないぞ」
『降伏ですか……うちの司令官が認めますかね?』
「認める認めないじゃない。進退窮まった司令官がやけっぱちの特攻をするんなら、こっちはそれに付き合う必要はない。適当に傍観してから、適当なタイミングで白旗をあげるさ」
『ですね』
だがまだ全滅と決まったわけではない。ザフトのMSは非常に強いが、個人の武勇を尖らせ過ぎているせいか全体の戦略においてはまだまだ甘い。
ザフトの総司令官が老練にして冷静な者なら今頃退路はとっくに塞がれていて全滅を待つだけだっただろう。しかしまだそんな状況にはなってない。
けれどそれもこれまでのようだった。
「いけない。敵の部隊の一部が!」
敵にも勘の良い指揮官がいるのだろう。敵戦艦の一部が連合艦隊の後方に回り込もうとしていた。
数で勝る連合艦隊だが一瞬で敵の戦艦を数隻沈没させるだけの突破力はない。戦艦同士ならまだしも敵はMSなのだ。前方の数隻を相手している間に後ろのザフト本隊から総攻撃を喰らう。
(これは……完敗だな)
本格的にミュラーが撤退を諦め、降伏する時の言葉を考え始めたその時だった。
プラントの天秤型コロニーの一つが大尉のMAのように花火をうちあげたのだ。
「……は?」
これには唖然としてしまう。巨大なピンク色の光に呑まれて、崩壊していくコロニー。
宇宙に浮かびながら内部に水を持ち居住区をもち人が住むそれは一つの世界そのものだ。その世界が終わっていくのだ。
ただの兵器でああはならない。コーディネーターが創り上げたあの天秤型コロニーはちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない耐久力をもっているのだから。
それが一度の攻撃で倒壊するのならば、ちょっとやそっとを軽く超える攻撃を受けたのだろう。
――――核兵器。
禁断の武器の名が否応なく脳裏を掠める。
「ま、まさか……使ったのか……あれを」
使用する為ではなく抑止力としてあるべきもの。それが核ミサイルのはず。
それがこんなにも簡単に使われてしまった事にミュラーも信じられず、目を白黒させる。そんなミュラーを我に還らせたのは『全軍、兎に角撤退せよ!』という総司令官の鬼気迫った声だった。
確かに今こそ撤退の好機だ。ザフトは崩壊していくコロニーに地球軍以上に衝撃を受けており、冷静さを保っている部隊も崩壊したコロニーに救助のため向かっていて手薄となっている。
『こりゃあ……とんでもないことになりましたね。なんてことを……』
唖然としたタナカ少尉の言葉にも返答することはできず、ミュラーはメビウスの全速力で戦場から離れていく。
後ろからは何が起きたのかもわからずに唐突に命を終わらせた核の犠牲者の嘆きが響いているような気がした。
「……この戦い、かなり荒れるかもしれないな」
ミュラーの言葉は奇しくも的を射ていた。
プラントの農業用コロニー『ユニウスセブン』が地球軍側MAの核ミサイルにより倒壊したこの事件は『血のバレンタイン』という名を送られることとなり24万3721名の犠牲者を生んだ。
この悲劇を切欠として、地球連合軍とザフト軍は終わりの見えない泥沼の戦いを繰り広げていくことになる。
そして地球連合軍とザフト軍、双方の陣営にとっての英雄にとっての初陣がこの一戦だったことを鑑みれば、この悲劇こそがあらゆる戦いの始まりであったのは間違いないだろう。
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