世界樹から撤退したミュラーを待っていたのは――――式典だった。
あの戦いの後、総司令官であったグレン・エバールは敗戦の責任をとって中将へと降格。副官などにも責任追及があった。
しかしそれでは地球連合の面目がたたない。
ユニウスセブンでの核攻撃と敗戦に続いて世界樹での敗北。幸い世界樹がそっくりそのままザフトの手に渡りこそしなかったが、世界樹は宇宙の藻屑となり消えた。今やデブリの仲間入りである。
誰がどう見ても連合軍の負けは明らかであり、こんなものを民衆にそのまま伝えれば連合政府への非難は避けられない。
その非難を避けるために連合がとったのは個人の戦果で対極の戦果から目を逸らそうという、昔から使い古された常套手段である。
ジンを三機以上倒したミュラーを含めた十人のMA乗りがその対象となり、十人は一階級昇進及び勲章を授与されることとなった。
お陰さまでミュラーは中尉から大尉に昇進し、面倒な月基地でのパーティーに出席させられているという訳である。
パーティーのワインを飲みながら嘆息する。
このパーティーはミュラーのようなパンダを除けば、軍人は佐官以上の者しか出席していないためタナカを巻き込むことは出来なかったのだ。
別に歴代皆軍人な軍人一家な訳でもなく、さりとてお偉方に知り合いがいるでもないミュラーは一人寂しく御馳走にありついているというわけである。
最初の方はにやけた顔のおっさんやらブルコス派の将校がやけに熱く語りかけたりしたのだが、その都度適当に応対していたらそういう類の連中も来なくなった。
恐らく失望されたのだろう。一部の将校は「それでも栄誉ある連合軍パイロットか!」などと凄い剣幕で去っていった。
正直、ブルーコスモス派などに入る気は皆無なので近付かないでくれる方が嬉しい。
いい年したおっさんの熱弁と酒気を至近距離で浴びるなど御免である。
(まぁ、こうしてただ飯を食べれるのは有り難いけど。……どうしてお偉方の演説っていうのはあんなに長いんだろう)
政府高官も出席するだけありパーティーの料理はどれも一級品。
貧乏な家の生まれのミュラーとしてはそれだけが出席した価値というものだ。
『御集りの皆さん。なんと本日は国防産業連合理事、ムルタ・アズラエル氏も御出でになるなっているのです。それではアズラエル理事、どうぞ』
万雷の拍手と共に青いスーツを伊達に着こなしたまだ若い青年と呼べる男が壇上にあがる。
ミュラーもその男の名前はよく知っていた。
世界でも最大規模の大財閥、アズラエル財閥の御曹司にして国防産業理事だ。財閥の御曹司と聞けば無能のボンボンのように思えるが、連合政府も無能な老人ならまだしも無能な若者に国防産業理事の椅子をくれてやるほど馬鹿でもない。
あの酷薄そうに見える青年はそれなりの実力を持ち合わせているということなのだろう。
『どうも皆さん。世界樹での戦いは残念な結果に終わってしまいましたが、まあ特に問題はありません。ビジネスチャンスはオンリーワンの時はありますが、少なくとも生き残った君達にはまだチャンスがあります。世界樹での戦いを活かして――――』
アズラエルの演説が会場に響く。なんとなく溢れる勇気を感じさせる声だった。いや、本当になんとなく。
国防産業理事を務めるアズラエルだが、彼にはそれ以上に有名なもう一つの肩書きがある。
それがブルーコスモスの盟主。ムルタ・アズラエルはあのブルーコスモスの親玉なのだ。
アズラエル財閥の財力に国防産業理事という政治的立場。それにブルーコスモス。
受け入れたくない現実であるが、アズラエルは地球連合にあって大西洋連邦よりも権力を握っている男といえた。
「シビリアンコントロールも民主制もないな。……だが、敵が一人に注目している今がチャンスだ」
この時の為にミュラーは万全の準備をしてきたのだ。
演説をしているアズラエルには悪いことをするが、こちらにも日々の生活が懸かっているのだ。
(はっ!)
隙を見て颯爽と懐から例のものを取り出す。
取り出した物は透明なタッパー。中身は当然すっからかん。中身はこれから入れるのだ。出来るだけ高級な肉類に目を突けると、ミュラーは素早くそれらの料理をタッパーに入れ始めた。
会場にいる係員に注意されればジ・エンド。空間認識能力をフルに働かせながらタッパーに御馳走を叩き込む。
(見える! 私にも敵が見える!)
料理の次は酒だ。ワインの栓を抜くと用意しておいた袋に酒を流し込んでいく。
そして五分がたち。アズラエルの他と比べれば短い演説が終わったのと同時にミュラーの戦いも終わった。
盛り上がった分厚いコートの中には大量の御馳走とワイン。…………ミュラーはあと十年は言い過ぎだが十日は持ち堪えられるだろう。
(さて。用も済んだし俺もここらで退散しようか)
長居は無用。
ミュラーは誰にも気づかれない様に出口へと向かうと、そこからそそくさと退散していった。
「大尉もやりますね。世界樹のエースはパーティー会場でもエースだったわけですかい」
翌日、悪運強く生還していたタナカを部屋に呼んでミュラーは小宴会と洒落こんでいた。
料理は無論のこと昨日のパーティーで華麗にタッパー・インしてきた御馳走である。
「エースといっても地力で倒したのは本当にジン一機と戦艦主砲一つだけだよ。後は他の誰かの功績だ。まぁ大尉になって給料が上がるのは嬉しいけど」
パーティー会場の料理は一夜明けても美味しいものだった。食が進む進む。これで政府のお偉方は料理ではなく他のお偉方との会話に夢中になっているというのだから勿体ないものだ。
ミュラーもお偉いさんにはお偉いさんの理由があるということくらいは承知していたが、ミュラー自身はまだ若い。そんな小難しい話よりも食欲を満たす事の方が重要課題なのだ。
「しかしいつ終わるんですかね。戦争」
モグモグと口を動かしながらタナカが言う。
「だから俺に聞いても困る。俺はただのパイロットだよ……ああ、パーティーに出席してたムルタ・アズラエルなら少しはまともな答えを返せたかもしれないな」
「ムルタ・アズラエルってブルコスの親分の? そりゃ凄い大物がきてたもんですね」
「月基地で新製品の売り出しとMSの戦闘データを見るついで、らしいけど。あれで軍需産業のトップだからMSに興味があるんじゃないのか。それとニュートロンジャマーについても知りたがっていたようだし」
ユニウスセブンの開戦からというもののMSはその力を縦横無尽に見せつけてきた。世界樹が堕ちたのもMSの性能とニュートロンジャマーの効力が原因だろう。
ニュートロンジャマーは核分裂を阻害し核ミサイルなどの兵器を役立たずとし、MSはMAにない器用さで戦場を支配する。
ブルーコスモスのコーディネーター脅威論にもこの二つの実例を見せつけられると多少の納得をせざるをえない。
「まぁ……アズラエルだって馬鹿じゃないんだ。ユニウスセブンでやらかした馬鹿みたく核攻撃でプラントを殲滅、なんてことはないと思うよ」
国防産業理事やブルーコスモス盟主なんて肩書きがあろうとアズラエルは商人だ。
そして商人は利益に敏感である。金のなる木でもあるプラントを破壊したくはないだろう。第一プラント建設に出資したのはアズラエル財閥を含む地球の企業なのだから。
「ザフトが連戦連勝を重ねたところを連合軍の大艦隊で出鼻を挫く。またザフトが反撃する。……そんあのを繰り返しながら並行してプラントのシーゲル・クラインと大西洋連邦大統領やらが外交官を通して交渉していってキリの良いところで和平、みたいな流れになるんじゃないかな」
「それが妥当ですかね」
「つまり俺達の仕事はその和平案を出来るだけ連合有利にすることなんだ。ま、一パイロットがどうしようと戦局が動くわけじゃないんだ。取り敢えず死なないように気を付けながらやっていけばいいさ」
ただ血のユニウスセブンと現在に至るまでの戦況を鑑みれば、プラントを戦前と同じ状態にするというのは不可能だろう。
プラントの独立と自立は認めながらも、プラント理事国には優先的に富を排出する。その辺りが落としどころとなるのかもしれない。
「しかしグレン・エバール大将閣下は残念でしたね。あの戦いで勝ってればめでたく最年少元帥だったのに。中将に降格の上、辺境に左遷ですから」
「そう言うなよ。ニュートロンジャマーなんて新兵器の存在なんて予知能力者でもないと事前に察知できないんだから。まぁ逃げ帰ったんじゃなくて戦死してたんなら『世界樹で果敢に戦いながら苛烈に戦死した英雄』ということで元帥になれたかもしれないが。お偉いさんからしたら死んだ英雄の方が使いやすいし」
「ほう。生きた英雄殿は扱い難いと?」
「英雄なんてなるもんじゃない。目の前で鼻息の荒いブルコス将校が自己陶酔の演説をしてくるんだぞ。しかも階級が上だから耳を塞ぐこともできない。軍人っていうのも中々に嫌な商売だよ。給料はいいけど」
「給料良くなきゃやってけませんって」
そうやってタナカと談笑していると、部屋に通信が入った。
ミュラーは申し訳程度に身形を整えると通信に出た。
『認識番号T-370187。ハンス・ミュラー大尉ですね。連合人事部よりの事例をお伝えします』
通信画面に出た女性はミュラーの返事も訊かずに淡々と告げていく。
『ミュラー大尉はドレイク級護衛艦リンカーンに配属となりました。明日0850時、Aブロックにある格納庫にて待機をお願いします』
「ああ、ええと辞令受領しました。ご苦労様です」
適当に敬礼するとニコリともせず通信が切れた。
連合人事部の辞書にはスマイルという四文字はないようだ。
「どうしたんです?」
「明日にリンカーンって護衛艦に配属だとさ。明日は有給でもとってノンビリ過ごそうと思ったんだけどな」
「えっ? リンカーンって本当ですか! それ俺が配属になった船ですよ」
「……本当か?」
「いやぁ腐れ縁ってやつですね。これからも宜しく」
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