「私たちは……どうして…こんな所へ来てしまったんだろう…」
大西洋連邦にあるアズラエル邸前で黄昏ているのは本人の意志に拘わらず連合の英雄に祀り上げられたハンス・ミュラーその人だった。
邸宅には黒いサングラスをかけて黒いスーツを着た如何にもなSP連中がウジャウジャとお出迎えである。待っているのが美女の群れならまだ下降し過ぎてマントルにまで突入してしまっているテンションが少しはマシになったかもしれないが、筋肉モリモリのマッチョ連中ではマントルすら通り越して地球の裏側に出てしまう。
「どうしてこんな所へ来たかって、大佐さんがアズラエル理事に呼ばれたからだろ? 流石は大佐さん。俺みたいな下っ端とは付き合う人間が違っていらっしゃる」
他人事のように軽口を叩いてくるのは紆余曲折ありミュラーの新しい部下になったフラガ少佐だ。
護衛という名目で一緒に着いてきたはずなのに、まるで護衛としての仕事をせず飄々としてフラガはニヤニヤとミュラーを伺っていた。
年齢はフラガの方が上だが、階級はミュラーの方が上である。説明するまでもないことだが軍隊において優先されるのは後者だ。だというのにフラガにはまるで上官に対する敬いのようなものが感じられないのは……ミュラーの気のせいだろうか。
ただフラガ少佐の態度はなんとなく戦死してしまったタナカ少尉を思い出して悪い気はしない。
軍規に五月蠅い人間ならフラガに叱責の一つでもしたかもしれないが生憎とミュラーはそう言った人種とは真逆の男だ。
流石に軍紀違反の常習犯というわけではないが、そういった規則にはルーズなところがある。おまけに生粋の怠け者ときた。
「折角の休日だというのに憂鬱だ。……どんなことになるやら」
「ん? 確か大佐さんを呼んだのはアズラエル理事だけど待ってんのはその娘さんって話じゃないの。十代の女の子とお話するなんて士官学校の教官でもないんだからもっと楽しんだらどうです?」
「少佐、これから会うのはムルタ・アズラエル氏の娘なんだぞ」
ブルーコスモス盟主にして実質的連合軍の支配者でもあるアズラエルの娘。名前は確かローマ・アズラエル。
直接会ったことはないがアズラエルの娘だ。重度のブルーコスモス思想をもっている可能性は高い。会いに行って『青き清浄なる世界の為にコーディネーターを皆殺しにして下さい!』なんて笑顔で言われた日には。
「MSにのってから苦労事ばかりな気がする。あれもこれも全部ザフトがMSなんて作ったせいだ」
「そりゃ話が飛躍しすぎだろ」
冷静なツッコミがフラガから入った。こうなったのは今日の朝まで遡る。
久しぶりの休暇、ゆっくり家でゴロゴロと寝て過ごしながら昔の映画でも見ようと、盛大な怠け計画をたてていたミュラーの一日は朝にかかってきた一つの電話で粉々に打ち砕かれる。
その電話はアズラエル財閥からのもので内容は長いので省略すると『アズラエルの娘が待っているから今すぐ邸宅に来い』というものだった。
軍からの命令ではないし、表面上は軍とは関係ないアズラエル財閥に軍人であるミュラーに命令する権限はもっていない。
だからミュラーが嫌といえば断ることも出来たかもしれない。アズラエル財閥からの電話も表向きは『命令』ではなく『個人的お願い』というスタンスをとっていた。
しかし相手は天下のアズラエル財閥。
断って機嫌でも損ねようなら生還率10パーセントの最前線にでも送り込まれかねない。結局、楽に生きることを信条とするミュラーは未来の不安よりも目先の気苦労を選んだ。
そこで折角なので護衛として誰かを道連れにすることを思いついたのだ。自分一人でアズラエルの邸宅にいくのが心細かったというのもある。
ミュラーは最初キャリーかナインでも連れて行こうかと思ったが……行く場所が場所である。コーディネーターの二人を連れて行ったら面倒なことになりかねない。
誰を連れて行こうか迷っていたミュラーのところに何処から聞きつけたのかフラガが護衛として名乗り出たのだ。
階級が下とはいえ同じ佐官を護衛として連れて行くのはどうなのだ、とミュラーは思ったのだが他に名乗り出る者もいなかったので最終的にはそれで納得した。
ちなみにフラガが護衛を買って出たのはラミアス少佐にしたデートの誘いが断られたからというのが一つと、なんとなく面白そうだったかららしい。
「面白いのか。ここに来るのが……?」
見方をかえれば悪の親玉の根城といっても良い場所に乗り込むことを『面白い』というフラガの感性が理解できず聞いてみる。
黒服に通されたアズラエル邸の廊下は所せましと絵画や芸術品が並べられていて平常運転であった。
「俺も軍人としてどういう人間が自分の上に立っているかって興味がありますしね」
悪戯気にフラガが笑う。
言葉通り受け取れば連合の支配者であるアズラエルに興味があるということだろう。だがミュラーは別の可能性にも思い至っていた。
自分の上にいる人間がどういう人間か興味がある。それは新しく上官となった『ヤキンの悪魔』がどういう人間なのかを見ておきたいということでもあるのではないだろうか。
(どっちでも構わないさ)
他人の評価は悪いものでないならどうでもいい。どれだけ英雄と持て囃されようとハンス・ミュラーはハンス・ミュラーでしかないのだから。
普段通りにハンス・ミュラーとして振る舞うしかない。
ミュラーとフラガがローマ・アズラエルの待つという応接間のドアの前に立つ。
ゴクリと唾を呑み込みドアノブを回そうとした瞬間であった。
「――――っ!」
雷光の如く全身を駆け巡るプレッシャー。まるであのラウ・ル・クルーゼやギルバート・デュランダルと遭遇したような。否、密度のみに関していえばそれ以上のものがドアの向こう側から発せられていた。
フラガ少佐もミュラーと同じものを感じているのか苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
ドアが巨大に見える。周囲に煙が立ち込めているような錯覚を覚えた。
それでもいつまでもここでこうしてはいられない。覚悟を決めてミュラーはドアを開けた。
「待っていたわハンス。それとフラガ家の人までくるなんて意外だったわ。初めまして、ローマ・アズラエルです」
ぺこりと丁寧にスカートの裾を掴むと頭を下げて一礼する。超のつく上流階級の生まれだ。そういった教育も施されていたのだろう。その仕草は実に様になっていた。
だがそれ以上にミュラーが注目した、させられたのはローマの汚れなどまるでない澄み切った蒼い瞳。その純粋無垢な蒼はまるで地球のようだ。地球のように油断すれば魂を引っ張られてしまう引力があった。
「御招きに預かり参上しました。地球連合軍第四十七独立軍アークエンジェル大佐、ハンス・ミュラーです」
「同じくムウ・ラ・フラガ少佐です。本日は大佐の護衛として同行しました。……しかしアズラエル嬢のような方に名前を知って頂けているとは光栄ですね」
精一杯に場を和ませようとフラガが取り繕った。だがローマは笑顔を崩さないままさらりと衝撃的な発言をする。
「あら。私は貴方の名前は知らないわ。だって軍隊にはあまり興味がないんですもの。私が知っているのは貴方がフラガ家の人間ってだけよ」
「は?」
フラガの目が点になる。名前は知らないのにフラガ家の人間であることだけは分かる。一体全体どういうことなのか。フラガが疑問に思うのも無理はない。なにせミュラーも全く状況が掴めていないのだから。
「だって貴方、フラガ家の人と波長が同じなんだもの。お父様みたいな人達には分からないけど私には分かるわ。
それにハンスが生まれる前はここにいた私と同じ人はフラガの人達だけだったんだもの。フラガ家のことなら良く知ってるわ。私とはあんまり波長が合わないんだけど」
「波長、ですか……」
ミュラーとフラガは二人して顔を見合わせる。しかしさっぱりだ。
最近の若者というのは誰も彼もこんな感じなのだろうか。アークエンジェルで話したキラ・ヤマトはここまで電波キャラではなかったが。
しかしミュラーの生易しい考えは次の言葉で吹っ飛んだ。
「だって貴方もニュータイプでしょ。私とハンスと同じで」
「っ!」
ローマが今日の献立について話す様にごくごく自然に言い放ったニュータイプという単語にミュラーは凍りつく。
宇宙に進出するために進化した人類。コーディネーターとは異なる人類の可能性。
最近世間を騒がせているニュータイプという言葉がブルーコスモス盟主の娘から当然のように聞かされたのである。
このことが秘めた可能性を察せぬほどミュラーは馬鹿ではない。
「にゅ、ニュータイプってあれですか? 雑誌やニュースで騒がれている新人類の……。確かにうちの家系は代々妙な力をもってるって言われてますが、あれは単なる空間認識能力の一種ですよ」
しどろもどろにフラガが言う。ただニュータイプに満更心当たりがない訳でもない様子だった。
「ふーん、そっか。まだ貴方達はそこまでしか知らないんだ。でもニュータイプはいるわ」
「ニュータイプを強く信じられているのですね、ミス・アズラエル」
「うん。だってニュータイプは私のことだもの。自分で自分を信じない人なんていないでしょ?」
ローマは突拍子もない事や常人には理解できぬことを多く喋っているが、表情は平静そのものでどこにも常軌を逸した色はない。
彼女は自分やここにいる二人がニュータイプであることに確信をもっている。
「さ、立ち話もなんだから座りましょ」
「……はい」
「あっ。私は護衛なんで大佐の後ろで立っていますよ」
神妙にローマの誘いを辞するフラガ。だがミュラーには遠慮したのではなくローマ・アズラエルから距離をとるための発言にも聞こえた。
彼にはなにか考えたい事があるのかもしれない。ニュータイプについて。
「では失礼して」
ミュラーがソファに座るとローマがその向かい側に座る。
太陽のような金色の髪を揺らしながらローマはくすりと小さな口元を綻ばせた。
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