マロ・ル・フラガの長い日記を読み終えたミュラーは虚脱感に襲われていた。日記に記されていた真実が一人の人間が発見するには大き過ぎて、現実感のない感覚が脳内を支配している。
誰も声を発しようとしなかった。発する事など出来なかった。
この日記に書かれているのは一つの真相。
ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレン。全てのコーディネーターの父であり、恐らくは現代において最も有名な天才にして偉人。
彼がどうやって誕生したのかは謎のままとされていた。公式には『とある科学者グループ』によって生み出されたとされているが、その科学者グループが具体的にどういった人員で構成されていたのかも不明なまま。
しかしその真相をミュラーは見つけてしまったのだ。世界そのものを引っ繰り返せるだけのパンドラの箱に眠っていたモノ≠探し当ててしまった。
果たしてパンドラの箱に眠っていたものは希望≠ゥ絶望≠ゥ。
「……フラガ少佐?」
ミュラーはマロ・ル・フラガ――――ジョージ・グレンの父親にあたる人物の孫であるムウ・ラ・フラガに視線を向ける。
フラガ少佐は困ったように苦笑いをすると頬を書いた。
「あんまり見つめないで下さいよ大佐さん。…………俺だって、こんなこと初耳だ。俺の爺さんがジョージ・グレンを生み出した張本人で父親だって? じゃあなにか? 俺はジョージと親戚だったってのかよ。ああくそっ!」
ムウのこの反応。やはりというべきかマロ・ル・フラガはこの計画について自分以外の親族の誰にも話していなかったようだ。
もしかしたらムウの父であるアル・ダ・フラガ氏もこのことについて知らなかったのかもしれない。
「いいや。ジョージの出生の秘密だけじゃない。仮に……仮にだ。これが『真実』だとすれば、ジョージ・グレンは今から四十年以上も昔にニュータイプの存在を知っていたってことでもある」
この日記の中でジョージは新人類と旧人類の架け橋となる存在としてコーディネーターを定義している。
推測であるが、フラガ家のニュータイプ能力を父であるマロ・ル・フラガから受け継いでいたジョージは、自分のもつ力について不思議に思い……解明したのだろう。そしてニュータイプという概念に辿り着いた。否、そればかりか今後ニュータイプが世に出現していくであろうことまで予見したのだ。
だからこそジョージはコーディネーターを生み出した。
ニュータイプとオールドタイプの二つの仲を取り持つ為に。
「コーディネーターは新人類ではなく、旧人類と新人類の仲を調整する渡し船に過ぎない。コーディネーター至上主義、コーディネーターが優良種だっていう論法をコーディネーターの祖が否定していたなんて。前にバルトフェルドも同じ事を言っていたけど……本当だったなんて」
いい加減にミュラーも認めよう。
ニュータイプ≠ニは連合のプロパガンダが生み出した虚構のものではない。確かにニュータイプ≠ニ呼ばれる人種は世に生まれてきていて、その力を持つ者達は現代に存在している。
それは自分のことでもあるし、フラガ家のことでもあるし、アズラエルの一人娘のことでもある。
「そして……ジョージ・グレン、彼もニュータイプだった」
ジョージが築き上げた華々しい経歴の数々はコーディネーターとして考えても頭一つ飛び抜けていた。それは当然だったのだ。なにせジョージは単なるコーディネーターではなく、ニュータイプでありながらコーディネーターでもあるというハイブリットだったのだから。
地球上の誰よりも才能に溢れていたジョージ・グレン。彼がどのような想いでコーディネーターという概念を作り出したのか、それは分からない。
だが彼は死んだ。恐らく自分の生みの親であるマロ・ル・フラガを事故に見せかけて殺害し、世界中で勢力する中で凶弾に倒れたのだ。
ジョージにニュータイプのことについて尋ねようにも、彼はもう土の下だ。聞きたくとも聞く事は出来ない。
「これを、どうするんです?」
重々しくクローゼが口を開いた。
「……これはあくまで一個人の手記に過ぎない。そもそもこれが本当にマロ・ル・フラガ氏の遺したものであるかも不明瞭だ。公表したとしても、ザフト側だって連合軍の捏造した情報だって信じようとはしないだろう」
「そうでしょうか? このフロッピーを一から解析し、このコロニーについて調査を進めれば……ジョージ・グレンに関する秘密が新たに出てこないとも限りません。それにこれを公開すれば」
「すればどうなる。世界が引っ繰り返るぞ。……今でさえコーディネーターとナチュラルの対立で世界は混乱しているんだ。そこにこんな情報を大々的に真実だと報じてみろ。ナチュラルとコーディネーターの対立に本格的にニュータイプっていう新しい概念が乗り出してくる……」
ニュータイプというのは世界を良い方向に導く魔法の言葉などではない。新しい概念が生まれれば新しい問題も生まれる。
新人類と旧人類、この二つが対立を始めることは大いにあり得るのだ。それこそニュータイプとオールドタイプで第二の血のバレンタイン、第二のエイプリルフール・クライシスが起こるかもしれない。
「けど大佐はここに情報の調査という任を帯びて此処に来ています」
ナインがミュラーの身を案じて口にする。
ミュラーはこれまで上層部に反感をもちながらも比較的従順に上層部の意向に従ってきた。だが果たして今回は従順さを発揮していいものなのか……ミュラーをもってしても躊躇ってしまう。それほどの魔力がこの日記にはあった。
「…………」
唾を呑み込む。初めて核兵器を投下したエノラ・ゲイの搭乗員も自分のような心境だったのだろうか。
一介の軍人でありながら世界の趨勢を動かすような決断を迫られる。はっきりいって分不相応にも程がある。
「少し考えさせてくれ。それから決める」
最前線においては即断即決が求められるが、これは直ぐに決めればいいという難題ではない。
じっくりと考えて考えて、その果てに結論を見出すべきだろう。
「フラガ、クローゼ、ナイン。ここで見た事は私が良しとするまで他言無用だ」
「了解」
くだびれたようにフラガが敬礼すると他二人もそれに倣う。
本音を吐露すればこの場でフロッピーを叩き壊したいくらいだったが、ミュラーの立場というものがそれを許してはくれなかった。
そんな時である。通信機に緊急の通信が入った。アーク・エンジェルにいるイアンからだ。
「……なんだ? なにか問題が」
『大問題です。戦艦が一隻この宙域に近付いてきています。速度からすると……ザフトのナスカ級でしょう』
「ナスカ級が? なんだってこんな辺境に。来るところを間違えてるんじゃないのか?」
ミュラーのように上層部から特殊な命令を与えられているなら兎も角、ザフトがこの宙域に来てもメリットなど何一つとしてない。
『ザフトも連合と同じように情報を得たのかもしれません。或いは……ザフトの狙いは貴方かもしれません』
「あぁ」
ザフトで対ハンス・ミュラー部隊なる迷惑なものが組織されていることは知っている。
隊長はフェイスのデュランダルで更にフェイスのハイネ・ヴェステンフルスが副隊長になっているという豪華メンバーだ。パナマ基地で奇襲してきたのが対ハンス・ミュラー部隊との最初で最後の交戦になればいいと願っていたが、その願いを神は聞き届けてくれなかったようだ。
よもや地球から宇宙まで追ってくるとは。
「急いで戻るぞ。ノロノロしていて戻った頃にはアーク・エンジェルは撃墜されてましたじゃ笑い話にもできない」
普通のナスカ級一隻ならばイアンと残った人員だけでも対処は出来る。だが本当に相手がデュランダルだとすれば……残っている人員だけでは厳しいものがあるだろう。
ミュラーは急いできた道を引き返した。
「ビンゴですね。隊長……けど、どうしてミュラーがここにいるって分かったんです?」
「企業秘密ということにしておこう」
ハイネが興味津々そうに聞いてくる。
クルーゼほどでないにしてもハイネとは長い関係だ。ハイネの初めての上官がデュランダルで、ハイネがフェイスになるまではずっとデュランダルの部下として働いていたのだ。差し障りのないことなら教えてもいいがこればかりは駄目だ。
幾ら長い付き合いとはいえハイネはザフトに忠実な軍人。クルーゼが連合に情報を流したことをクルーゼ本人から聞いたから、などとは口が裂けても癒えない。
「私のゲイツの準備は出来ているな。さぁ出撃しようか」
「お供しますよ」
こちら側には自分とハイネのゲイツ、そしてジャスティスがある。
ジャスティスの性能ならSEEDを発動せずともミュラーと互角以上に戦う事が出来るだろう。
(クルーゼが仕込んでおいたブリッツェルにあるマロ・ル・フラガの遺した日記。……もう君は見たのだろう、ハンス・ミュラー。ならばジョージ・グレンの出生についても理解したはずだ)
これは裁定でもある。ハンス・ミュラーが自分と肩を並べる同志となるか、自分と相対する敵対者となるか、それとも目を背けるか。それを見極めなければならない。
(世界の終末後、新たなる創造に立ち会うのに相応しい人間かどうか……見せて貰おうか)
デュランダルは専用の赤い塗装に施されたゲイツに乗り込むと、広大な宇宙へと飛び出した。
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