かつてマロ・ル・フラガが個人で所有したコロニー・ブリッツェルから帰還して一週間後。
ミュラーは月基地にある自室でアズラエルからの連絡を受けていた。
『ミュラーくん。こうして話すのは久しぶりですね』
「ええ。……アラスカで作戦が大成功≠オてから忙しかったものですから」
自分に出来る精一杯の皮肉を込めてアラスカの作戦を非難する。だが相手は若くしてロゴス筆頭、ブルーコスモス盟主、アズラエル財閥総帥になるほどの化物だ。この程度の皮肉に動じることはなかった。
逆にアズラエルは気分を良くしたように声のテンポをあげると、
『報告書は読みましたよ。コロニー・ブリッツェルでは目ぼしい情報は特になかったそうですね』
「はい」
『……ふふふ』
怪しげな笑い声が受話器から聞こえてくる。
人の神経を逆なでしてくるかのような……まるで全てお見通しだと言わんばかりの余裕がそこからは感じられた。不快感と危機感からミュラーは口元を引き締めた。
『嘘を言っちゃいけませんよミュラーくん。見つけたんでしょう、耳よりな情報を』
「なんのことでしょう?」
『貴方が軍に出した報告書は読ませて貰いました。コロニー・ブリッツェルに残っていたのは過去にコーディネーターを開発するための非道な実験が行われていたらしい痕跡と、そこに所属する者の日記程度。内容はどれも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいものばかりで、連合の益となる情報は見つからず、でしたか』
「はい。その通りです」
嘘は言っていない。マロ・ル・フラガの遺した手記も所属する一人の手記に過ぎないのだ。
そして荒唐無稽や馬鹿馬鹿しいというのは個人の主観である。事実マロ・ル・フラガの手記は事情を知らない者からしたらボケ老人の妄言と受け取られても仕方ないほどに突飛なものだった。
だからこそミュラーはアレを真実ではないマロ・ル・フラガの妄言だとした。本心ではあれが真実であると確信していようと、それが巻き起こすであろう災厄に蓋をするためにも表向きは事実無根の妄言であるとしたのである。
連合上層部もミュラーの報告で納得してくれた。そもそも上層部にしてもブリッツェルのような辺境コロニーになにかあるなどとは思っていなかっただろう。
けれど上層部は完全に騙し切れたというのに唯一人、だまされてくれない男がいた。
『なるほど。たしかに全て真実ではあるでしょう。ミュラーくんは連合上層部に嘘は言っていなかった。だけど本当のことも言っていない。30%の嘘と70%の真実を混ぜた嘘ではなく100%の真実を報告している。しかしその真実は内容の方が100%ではなかったんでしょう?』
「…………………どこで、それを?」
ミュラーは肩の力を抜き、降参する。
アズラエルの確信めいた言動から分かった。アズラエルは疑わしいミュラーに探りを入れているのではなく、ミュラーが意図的に100%の事実を語らなかった事を見抜いていると。
相手にばれた嘘を吐き続けることほど愚かなものはない。
『アズラエル財閥の力を舐めないで貰いたいですね。これでも僕、大西洋連邦大統領を辞めさせられるだけの権力はもってるんですよ』
「民主主義国家とは思えませんね。いつから大西洋連邦は独裁国家になったので?」
『独裁はお嫌いですか?』
「……好きか嫌いかと言われれば好きではありませんね。自分や自分の周りの人間の命運がたった一人の人間の自由意思で好き勝手にされる政治体制を賛美するのは勇気がいることです」
『まぁ僕も独裁者は好きじゃないですよ。だって独裁者なんてものがいたら好きに商売が出来ませんからね。僕達商人としては国家元首はちょっと間抜けさんの方が都合が良い』
「でしたら今すぐブルーコスモス盟主、国防産業理事、財閥総帥のうち一つの肩書を譲ってはどうです?」
『ミュラーくんはどうも勘違いしてるみたいですね。確かに僕は大西洋連邦大統領よりも凄い権限があります。けれど別に僕が一人で連合や連合に属する国家を支配しているわけじゃあない。
僕だってロゴスの御老人方に頭を下げなければならないこともあるし、下手に出る時もあるんですよ。そもそも現場の第一線を退いたとはいえ僕の父はまだまだ元気ですしね』
ブルーノという名に聞き覚え、いや見覚えがある。
マロ・ル・フラガの手記にも出てきた、元々あった自然環境保護団体ブルーコスモスをアンチ・コーディネーター路線に過激化させていった張本人だったはずだ。
『僕がしているのは謂わば接着剤みたいなものなんですよ。国同士の連合である以上、当然ながら国ごとの利益が違う。そこを調整するのが国境を越えて権力をもつ僕のような人間なんです。
お金は凄いですよ。今まで僕のことを鬼だ悪魔だなんて言ってきたような人間も札束で頬をひっぱ叩いてやれば狗のように従順になる。ま、誰も彼もそうじゃないのが人間ってやつなんですけどね』
「……なるほど」
『話が逸れてしまいました。さてミュラーくん、見つけたんでしょう? これまで多くの人間が調べようとしてついぞ見つけられなかった秘密。
ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレン出生の秘密ってものを』
「私が見つけたのはマロ・ル・フラガ氏の手記です。……手記を書いていた氏はかなりのご高齢。ボケ老人の戯言をさも真実のように書き連ねていただけだと私は愚考する次第です」
『分かりますよミュラーくんの気持ちは。誰だってゼウスの言いつけを破って災厄を解き放つパンドラにはなりたくない。……まあ安心して下さい。このパンドラの箱の中身を世界中に公開するのは戦後になるでしょうから。
それまでは僕の胸の内に閉まっておきますよ。けどまさかジョージがニュータイプの踏み台にするためにコーディネーターを作ったなんて。実に傑作です。宇宙の化け物どもは優良種だのと粋がっておいて自分達の創造主に踏み台扱いされていることに気付いていなかったんですから。ふふふ……』
「――――――」
ここで踏み台ではなく架け橋だ、と訂正を求めたところで無駄なのだろう。
どうしてジョージの理想が世界に伝わらず、ナチュラルとコーディネーターが対立してしまったのか。今のアズラエルを見ると良く分かる気がした。
「私からも理事に一つだけお聞きしたいことが。ニュートロンジャマーキャンセラーのデータの入手に成功したというのは本当なんですか?」
『企業秘密です』
アズラエルはそう返すのみから、声の調子から恐らくは手に入れたのだろう。ザフトによって封じられてきた核兵器、それを解き放つ鍵を。
『前にも言いましたが僕はミュラーくんに好意を抱いています。だから今回のことについては見逃してあげましょう。ですが余りにも勝手が過ぎるようなら、次にアラスカに取り残されるのは貴方になるかもしれませんよ』
最後に脅しをかけるとアズラエルは通信を切った。
「くそっ!」
自分が単なる操り人形でしかなく、その立場に甘受してしまっている自分が腹立たしくてミュラーは机を殴りつける。
そんな事をしても意味などはなかったが、殴りつけた手の痛みが頭を冷静にしてくれた。
ミュラーは手元のコンソールを操作すると副官のルーラ・クローゼを呼び出す。
「お呼びでしょうか大佐」
敬礼をしながらクローゼが入室してくる。
ミュラーは机の前で腕組みをして、疲れ切ったように言う。
「……お前だな。アズラエル理事に、マロ・ル・フラガの手記について漏らしたのは」
「――――――――」
あの時、マロ・ル・フラガの手記を見たのは自分とナインとフラガ、そしてクローゼだ。
ナインはミュラーにとってもはや肉親同然の存在であり、幾らソキウスシリーズの一体だった過去があるとはいえミュラーに黙って情報をアズラエルに話すはずがない。そもそもナインにはそんな権限などないだろう。
フラガはフラガ家出身のエースということもあってアズラエルに連絡をとることくらいは出来そうだが、彼にしてもアズラエルに自分の家の暗部を教える理由など百害あって一利なしだ。
だがクローゼは違う。
ミュラーはクローゼという秘書官のことを良く知らない。当たり障りのない情報は連合のデータバンクに記載されているが詳しい過去については記述されてなどいない。
本人から過去を聞いた事もなく、ミュラーにとって彼女は優秀な秘書官以上でも以下でもなかったのだ。
(だが――――)
改めて考えれば彼女がミュラーの秘書官となったのはミュラーがアズラエルに目をつけられてMSパイロットになった時だ。
データによればクローゼはブルーコスモスでないことになっている。なんでも幼少時にブルーコスモスのテロで両親と妹を失ったというからブルーコスモスに賛同しなくて当然だろうと思っていた。だがそれこそがフェイク。連合にとって特別な立ち位置であるミュラーのお目付け役だったと考えれば辻褄が合ってしまうのだ。
なにせあの時、マロ・ル・フラガのフロッピーを解析したのはクローゼ自身なのだから。クローゼならフロッピーのデータをミュラーたちに気付かれない様に吸い出しておくなど造作もないだろう。
クローゼは驚いたように瞬きをすると、やがて観念したように頷く。
「はい。私がやりました大佐。私がマロ・ル・フラガの手記のデータを理事に送りました」
「……つまり君は自分がアズラエル理事の、あー、密偵だったということを認めるんだな?」
「はい。私はアズラエル理事の命で大佐のことを監視し、そこで得た情報を理事に伝えていました。今回だけじゃありません。前ストライクのパイロットだったキラ・ヤマト、彼について教えたのも私です」
「……………」
驚きはしなかった。もしかしたらミュラー自身うすうす感づいていたのかもしれない。
感づいていたが言葉には出来なかった。それが本当であることを恐れて、踏み込めないでいた。我ながら小心なものだ。
「どうして密偵を? 君の両親と妹はブルーコスモスのテロで死んだんじゃなかったのか? それともそれもアズラエル理事が改竄した偽情報か?」
クローゼは首を振る。無感情な瞳はなにも映していなかった。
「私の両親と妹がブルーコスモスのテロで死んだのは紛れもない真実です。決して情報を改竄した偽りなんてことはありませんよ」
「なら何故?」
「……私の家は所謂隠れコーディネーターというやつでした。いえコーディネーターなのは妹だけで、私と両親はナチュラルですが。
大佐もご存知のように大西洋連邦はスカンジナビアやオーブと違って反コーディネーター気運の強い国でしたから。娘の一人がコーディネーターであることが知られれば周囲から孤立し……迫害されるでしょう」
コーディネーター禁止法案が可決されコーディネーターを作ることは違法となった。
だが現実として自分の子供に高い才能を望む親によってコーディネーターは生み出され続けてきた。クローゼの妹もその一人だろう。
「昔から両親には妹がコーディネーターであることを喋っちゃいけないって口を酸っぱくして言い聞かされてきました。妹がコーディネーターだって他の人に知られたら危ないことになるから、お姉ちゃんだから妹を守ってあげなさいって。だから私は――――」
そしてクローゼは口元を釣り上げ毒々しいほどの笑みを浮かべた。
ゾクリ、とミュラーの背筋が凍る。
「だから教えてあげました」
ニコニコと自分の手柄について語るエースパイロットのように。自分のとっておきの玩具を自慢する子供のように。
クローゼは話し始めた。
「ブルーコスモスの特に危ない連中に、私の妹はコーディネーターで両親はコーディネーターなんて化物を作った化物の同類だって。そしたら……次の日には両親も妹も死んでましたよ。あの時ほど気分がスカッとした日はありませんでした」
「…………………」
「軽蔑しました?」
「さて。私は人を軽蔑できるほど綺麗な人間じゃない。ただなんとなく君がそういう行動に出た理由に予想はつくつもりだ」
「ふふふ大佐のご想像通りですよたぶん。どこにでもある有り触れた理由です。
両親はなんでもできる完璧なコーディネーターの妹ばかりに構うようになって、私に構ってくれることがなくなった。妹は私なんかよりずっと綺麗で性格だって良くてクラスの人気者で。私にもいつも優しい笑顔を振り撒いていて――――それが溜まらなく憎らしかった。
私がどれだけ頑張っても、私は妹に勝てない。どれだけ努力してもどれだけ頑張っても、私は何一つ妹に勝つことができなかった。それが生まれ持った才能の違いだけならまだ納得できましたよ。けど妹は遺伝子調整なんてズルをして、私より凄い才能をもっている。そんなの許せないでしょう?」
「だから、ブルーコスモスに?」
「違いますよ。勿論それだけでも殺したいほど憎んでいましたが、殺したいほど憎むのと実際に殺そうとするのって全然違うんですよ。殺意を実行に移すのはたまらなく強い覚悟がいるんです。
私の背中を押して、その覚悟のラインを踏み越えさせたのは妹がとった行動でした。ある日ですよ。私が偶々早く学校が終わったんで家に帰ってきたら、そこで妹が両親と話してたんですよ」
『お姉ちゃんは私なんかより凄い努力家だ』
『お姉ちゃんは私なんかより偉い』
『私は生まれた時にズルをしている』
『だから私は全然すごくなんかない』
クローゼの妹が言ったという言葉が、クローゼの口から壊れたオルゴールのように響く。
「素敵な妹でしょう? 両親は妹の話を聞いて泣いてましたよ、ごめん私達が間違っていたって。これが、このことが私には一番許せないことだった。だってそうでしょう。私は妹に対してあんなに殺意を抱いて、あんなに嫉妬していたのに、妹の方はそんな私のことを真剣に考えていたんですよ。私のことを大切に思っていたんですよ。
そうです。私は能力だけじゃなくて、中身の性格でも妹に劣っていた。私の心はこんなに醜いのに、妹は綺麗な心だった。そのことが――――私には絶対的に受け入れられなかったんです」
「一つ聞くが、君は妹と両親を殺したことを後悔しているのかい?」
「全くしてません。だって私は妹と両親が死んでからとっても充実した日々を送ることが出来ましたから。私の心は両親と妹がいた時よりずっと自由です」
「私は単なる軍人だ。裁判官でもなければ弁護士でも検事でもない。そして私には君を裁く権限もなければ、君を私の秘書官から外す権限も、ないのだろうな」
クローゼはアズラエルの肝入りでミュラーの秘書官となった人物だ。
ミュラーが申請した程度で秘書官から外す事が出来るとは思えなかった。
「大佐、これは親を殺し妹を殺した私から言わせて貰います。よくキャリー中尉や政府の穏健派などがナチュラルとコーディネーターの融和、共存だなんて言ってますが夢物語ですよ。
ナチュラルもコーディネーターも同じ人間。大した違いなんてないというのがその理由です。確かに才能なんて人間の大した違いじゃないんでしょう。けれど私のような人間にとってそういう小さな違いが殺意に発展するには十分すぎるんですよ」
「心に留めておこう」
「私の事を、軽蔑されましたか?」
「――――――――君には何度も助けて貰った。仕事を押し付けたことも何度もある。それでも文句ひとつ言わずに働いてくれた君を軽蔑するのは難しい」
「……失礼します」
クローゼの去っていく後ろ姿を見送ると、ミュラーは深い溜息をついた。
ナチュラルとコーディネーターの間に横たわる能力格差、そして差別。ジョージは一つの解決策としてコーディネーターを一か所に纏め、ナチュラルとの生活から切り離すという方法をとった。
しかし結局はプラントと連合の間で戦争は起きてしまった。ならばどうすればいいのか、
「この悩みを世界中の多くの人間が抱き、そして未だに解決策を見いだせなかった。私一人が考えた所で無意味か」
そしてミュラーは思考を放棄した。
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