北欧編 第19話
基地内が慌しさを増す。特に、整備兵たちは、出撃前の戦術機の最終チェックに余念がない。既に、大型戦艦を中心に編成された海軍第二戦隊は、ストックホルムを出港、北上を開始している。ブリーフィングが終了し次第、戦術機部隊を中心とする陸上兵力も北上を開始する予定である。
北極海方面国連軍第3軍の将兵は、人類が保有する兵力のなかでも、最も対BETA戦闘経験が豊富である。今や、オスロ基地とストックホルム基地、ナルヴィク基地の三拠点しか有していない第3軍であるが、1981年のロヴァニエミ・ハイヴ建設から12年間、一貫して戦線を維持し続けてきた彼らの実力は伊達ではない。
その歴戦の勇士たちが集うストックホルム基地であったが、今回の出撃は以前よりも遥かに厳しい雰囲気に包まれていた。
理由は、明白。
BETAが戦術を使用しはじめたのではないか。
先回のスンツヴァル防衛戦以来、誰もが恐れていることである。誰にもBETAが何を考えているかはわからないので、先回が偶然の一致にすぎないのか、それとも意図して成されたことなのかは不明である。しかし、軍人とは、元来、最悪の事態を想定することに慣れた生き物である。
もし、BETAが戦術を今回も用いたらどうなるのか。先回同様、合計3部隊による陽動戦や挟撃戦が展開されたら、太刀打ちできるのだろうか。地上を侵攻中のBETA集団だけでも二個師団規模。もし、先回同様の構成の場合、合計6個師団規模のBETAを駆逐しなければならないことになる。そんな規模のBETA相手に戦線を維持できるだけの兵力は、北欧にはない。今回は、場合によってはオスロ基地からも支援部隊が来るが、それにしても6個師団規模に対峙できるだけの兵力は掻き集められない。
結局、困ったときのロンメル頼みしかない。これが、兵力・物資ともに消耗しきった北欧戦線の現実であった。
――どう思いますか、ハマーン。BETAは先回同様、今回も戦術を駆使してくるのでしょうか。
ブリーフィング・ルームでロンメルを待ちながら、悠陽は尋ねる。BETAが戦術を駆使するなど、彼女にとっても始めての経験である。 どうとらえるべきか、図りかねているのである。
――難しいところだな……。情報が少なすぎて判断に困る。オルタネイティヴ4の成果によれば、BETAはヒトを知的生命体とは見なしていない。ということは、戦術というよりも、人類の「習性」を利用した効率的な人類の「駆除法」の開発ということになる。ちょうど、人類が蛾を効率的に駆除するために誘蛾灯を発明したように、な。BETAが、製作者たる珪素生命体の活動に最適化された環境を構築するために作り出された存在であるとするなら、効率的な「害虫駆除」プログラムがBETAにインストールされていると考えることは、それほど的外れなことではあるまい。珪素生命体の思考がどうなっているかなど見当もつかないが、仮に私がBETAの創造者であれば、間違いなくその程度の機能はBETAに持たせる。実際、中国戦線では、最近、従来の行動様式から逸脱した行動をBETAがとるようになっているというではないか。
――つまり、BETAが、その……人類の効果的な駆除法を模索していると?
――それは間違いあるまい。問題は、それを果たして戦術と呼ぶかということだ。この世界の住人は、対人戦闘を忘れかけているようだが、人類の行動は「習性」として片付けるには複雑すぎる。先の戦闘を例に挙げてみれば判りやすいであろう。陽動とは、本質的に心理戦だ。敵が陽動と気付かぬよう巧みに動き回ることが、陽動成功の必須条件となる。そのためには、相手指揮官や兵の心理の陥穽をうまく衝く必要がある。これは、人間同士でも決して容易なことではない。敵指揮官がどういう人物か、如何なる戦略目標のもとに軍事行動を起こしているのか、兵の士気はどうか。そういう情報全てを吟味した上で相手を罠に嵌める必要がでてくる。BETAがこの水準まで人類を理解しているとは到底考えられぬ。
――それでも、従来とは異なる行動をとるというだけで、人類からすれば十分に脅威ですが……。大抵の指揮官は、BETAは突撃してくるだけだという前提のもとで指揮をとっていますから。
やりにくいことだ、と悠陽は嘆息する。物量に物を言わせて突っ込んでくるだけでも脅威だというのに、これでは人類は更に劣勢に立たされてしまうのではないか。
――そうとばかりは言えないだろう。物量に物を言わせて正面突破を図る。これは、最も正統な戦術だ。特に、彼我の戦力に圧倒的な開きがあるとき、恐らく最も勝利しやすい。これに対して、陽動にしろ挟撃にしろ、或いは包囲にしろ、複雑な戦術というものは、策を読まれた場合、策を逆手に取られるという危険性が常に付き纏う。先の戦闘の例で言えば、ロンメルはBETAの別働隊の存在を念頭に入れて、遊撃戦力や予備戦力を通常よりも多く配置していた。結果だけを見れば、分進してきた敵を各個に撃破するという、戦術教本通りの展開だ。恐らく、BETAが3集団分の戦力を集中して投入してきた場合よりも、先の戦闘の被害は低く抑えられたのではないかな。
淡々と自らの見解を述べるハマーンからは、不安は感じられない。だが、BETAに苦汁を飲まされ続けてきた悠陽は、そこまで前向きにとらえることはできないでいた。
――ですが、それはあくまでロンメル司令がBETAの行動を予測していたからでしょう。彼らの行動を正確に把握できなければ、今まで以上の敗北を蒙る可能性があります。BETAの行動が多彩になってきている今、標準的な司令官であっても、BETAの行動を正確に認識できるようなシステムなくしては、人類の更なる苦戦は必至です。そう考えてくると、人類に何よりも必要なのは、BETAの地中進行を早期に発見できるような振動探知システムではないでしょうか。
――その通りだな。BETAの行動の幅が広がっている以上、中途半端な兵器開発よりも、BETAの地中進行を最初期の段階で確実に発見できるようなシステム開発が必要だ。特に、陽動や挟撃には母艦級が投入されると想定される以上、誤作動なしに大深度地下の振動を測定できる機器開発は急務となる。
――誤作動なし、というのが問題ですね。
そう言って、悠陽はまた溜息をつく。大深度地下の振動を測定できる機器というだけであれば、実は御剣の委託を受けた電機メーカーでも開発が進められている。問題は、微細な振動をキャッチしようとするあまり、機器が過敏で誤作動が頻繁に起こるということである。対BETA戦闘の目であり耳である探査機器が誤作動ばかりでは、到底実用に耐えうるとは言いがたい。
――悲観的になっていても仕様があるまい。各戦線でBETAの行動様式の変化が注目されてきている以上、BETAの行動をより詳しく分析しようとする気運も今まで以上に高まるはずだ。当然、その一環として、地中監視システムの開発も各国で強化されるであろう。そうすれば、御剣や日本単独で開発されたもの以上に効果的なシステムが生み出される可能性もある。何より、BETAの研究を加速すべきだという風潮が世界中で強まれば、これはBETA諜報プロジェクトであるオルタネイティヴ4への期待にもつながる。
ならば、BETAの行動様式の変化を奇貨として、これをオルタネイティヴ4への支持強化に結びつけるよう立ち回るべきだ、というのがハマーンの見解であった。そこには、現実を現実として見据えた上で、これを自らの目標のためにどう最大限生かすべきかと策を練る、戦略家としての徹底したリアリズムがあった。
――………なるほど。このBETAの変化を、我々の目的のために生かせるかどうかは、我々の今後の立ち回り如何にかかっているということですね……。それにしても……。どうあっても対BETA戦闘は人間同士の折衝と不可分に結びついているのですね。
いい加減慣れてきているが、それでも、かつての自分がいかに政治というものに無知であったか、再認識せざるをえない悠陽であった。
そんなことを考えているうちに、ロンメルが補佐官を伴って入室してきた。BETAの規模からして、大戦闘になることが予想されているのに、相変わらず陽気で不適な笑みを浮かべている。こういうときこそ、司令官が動揺してはならないと知っているからこそであろう。
司令官席に座るや、朗々とした声で彼は会議の開始を告げる。
「これよりブリーフィングを始める。知ってのとおり、先刻、衛星からの情報により、ロヴァニエミ・ハイヴから二個師団相当のBETAの南下が確認された」
「………」
すでに基地内で共有されている情報であるため、動揺するものはいない。
「問題は、その種別構成だ。大型種の中核を形成するはずの要撃級が際立って少ない」
通常のBETA集団の編成においては、大型種で最も数が多いはずの要撃級。それが少ないということは、代わりに何か別の種が通常よりも遥かに多いということになる。問題は、何が多いのかだが……。
「その代わりに、重光線級及び光線級の比率が、通常編成と比べて突出して多い。……その規模、二個旅団強だ」
「……ッ!」
会議室に声なき悲鳴が響き渡る。BETAの中で最も注意を要する光線属種が二個旅団相当。実質的に、彼らだけで一個師団弱ということになる。連隊規模でさえ、戦術機師団に壊滅的打撃を与えることもあるというのに、それが一個師団……。
ブリーフィングのために集まった指揮官や参謀たちが絶句するのも当然であった。
一旦発言を中断して、部下たちの表情をうかがっていたロンメルであったが、誰もが状況を認識したのを確認して、言葉を続ける。
「これほどの規模の光線級が相手の場合、臨界半透膜やAL弾があっても、一度のレーザー照射で壊滅的打撃を蒙ることが想定される。洋上艦隊とて例外ではない」
「………」
「したがって、今回は戦術機による直接戦闘は可能な限り回避する」
えっ、という驚きの声があちこちで上がる。
「戦術機の展開に適したスンツヴァル近郊ではなく、ストックホルム北方150キロの海岸でBETAを迎撃する。すでに地形データを送ったので、各自で見てもらいたい。この地域は海岸線が複雑に入り組んでおり、入り江や湾が多い。さらに、海岸線まで峻厳な山が聳え立っている。急な斜面が続き、戦術機での戦闘に適しているとは言えないが、崖や渓谷が多いため、これらの起伏のある地形を利用すれば、光線級の射線上にはいることなくBETAに接近できる」
「………」
「これらの入り江のうち、とくに周囲との高低差の大きいものに、遠隔作動可能なS11地雷を埋設しておく。次に、戦術機部隊によって、この入り江にBETAを誘導する。突撃級などの敵前衛集団はそのまま素通りで南下させる。しかるのちに、重光線級や光線級、要塞級などからなる後衛集団が入り江中央に進出してきた段階で地雷を起爆、さらに入り江の周囲の崖を爆破し、人為的に土砂崩れを発生させる。その後、入り江周辺に狙撃部隊を配置し、土砂を押しのけて這い上がってくる残存BETAを各個に撃破する」
地形をたくみに利用した一回限りの戦法だろうが、成功しそうだ、と悠陽は思う。恐らく、ロンメルは、今回のようなBETAの大規模侵攻に対する最終手段の一つとして、前々からこの戦術を練っていたのであろう。
「その一方、光線級の保護のないBETA前衛集団は、予定戦域南方に待機させておいた艦隊からの砲撃によって掃蕩する」
これならうまくいきそうだ、という声があちこちから広がる。光線級のあまりの規模に意気消沈していた者たちも、作戦を聞いて希望が持てるようになったのであろう。問題は、誰が一番危険な陽動を担当するかだが……。
「本作戦の要となる陽動部隊であるが、第12大隊及び斯衛第25大隊に担当してもらう。敵前衛集団を誘導しつつ、後衛集団の射線上にはいらないよう、十分注意して動いてくれ」
「了解いたしました」
この命令は悠陽の予想どおりであった。ストックホルム基地で陽動任務の成功率が最も高いのは、間違いなくこの二隊だ。
「問題は他の戦術機部隊なんだが……。前回同様、今回もBETAが複数の集団に分かれて南下している可能性が排除できない。特に、今回のように偏った編成の場合、逆に要撃級を中心とする別働隊がいることも考えられる。したがって、第二師団および第三師団は予定戦域の南方20キロの地点に布陣して、警戒にあたってもらう」
「了解」
と両師団長が応える。先回の戦闘を考えれば、これも妥当な措置であろう。
「先回同様、スウェーデン国軍第一師団がストックホルム北方に展開する。地上を南下中のBETA集団の規模から、別働隊が相当な大規模になることも想定される。したがって、本作戦中はオスロ基地も警戒態勢にはいり、状況次第では第四師団をストックホルムに派遣させる。以上が本作戦の概略だ。」
「何か質問はあるか?」
ロンメルはそう言って、ブリーフィング・ルームを見回す。誰も彼もこの作戦に納得しているのであろう。特に質問や意見表明はなかった。
「よろしい。では、出動は6時間後だ。それまでに準備を済ませておけ」
「ハッ」
という士官たちの了承の声を合図に、ロンメルは退出する。
どうやら彼は、部隊指揮官や参謀たちに作戦を提示しただけではなく、彼らに希望を与えることにも成功したようであった。実際、ブリーフィング前までは感じられた緊張が少し和らぎ、代わりに将校たちの士気が高揚している。
「……というのが、本作戦の概要だ」
神野副長が斯衛大隊を前に、要領よく作戦説明を行っている。基地全体でのブリーフィング終了後、大隊内で作戦説明を行っているのである。大隊員の様子を見ると、光線級の規模に驚くもの、陽動任務ならば楽だという表情をしているもの、司令直々に頼られていることに気をよくしている様子のもの。反応は様々だ。
神野が説明を終えて着席すると、悠陽は起立し、引き続いて訓示する。起立するといっても、まだ10歳になっていない身であり、身長も135センチしかない。座っている衛士たちとちょうど同じくらいの位置に頭がある。これで、大人びた口調で理路整然と語るのであるから、初対面の人は大抵面食らう。だが、大隊員のなかには、このアンバランスさが堪らないという者は相変わらず存在する。演習時の殺気は恐ろしいものがあるが、そこがまたよい、と考えるお姉さま方もいるらしい。
そうした、或いは生温く、或いは邪な視線を集めながらも、悠陽は相変わらず淡々と語る。
「既に神野が指摘したように、今回の作戦の成否は我々の働きにかかっています。光線級の規模が極めて大きいので、陽動に当たっては常に光線級との位置関係に注意する必要があります。松井、柴、寺内の中隊長は、特にこの点に注意しながら隊を率いてください。已むを得ない場合は、前衛集団のBETAを盾にしてレーザー照射を避ける必要もあるでしょうから、臨機応変に対応するように。……二度目の実戦にして斯くも重大な任務を授かるというのは異例のことですが、それだけ信頼されているということでもあります。各員が斯衛の名に恥じぬよう奮闘することを期待します」
そう言って、自らを見つめている38対の瞳を見返す悠陽。
「では、各自準備にはいってください。解散」
「ハッ」
大隊員の返礼を受けながら、士気は高いようだ、と悠陽は安心する。これならば、後はハマーンの指揮のもとにまとまれば、問題なく任務をこなせるはず。気がかりなのは別働隊の有無だが、今回は基地主力である第2、第3師団が予備兵力として後背に控えている。大抵の事態に対応できるはずだ、と思う。
木々は、短い夏を謳歌するかのように、誇らしげに空に向かって深緑の枝を伸ばしている。時刻は午前3時過ぎ。日本ならばまだ深夜といった時間だが、ここは北極圏に近いスカンジナヴィア。ちょうど日の出を迎えている。BETA誘引予定地点にほど近い湾に集結した斯衛軍第25大隊であったが、BETA接近まで若干の時間的猶予があるため、戦闘前の最後の小休憩をとっている。
ノルウェーの著名なフィヨルドほどに鋭い絶壁ではないが、それでも急峻で入り組んだ海岸線は、平時であれば多くの観光客を惹きつけたであろうと思わずにはいられない。海から昇る朝焼けが、うっすらと立ち込める霧と相俟って、幻想的な雰囲気を醸し出す。もっとも、戦術機の無粋な群れが折角の景色を台無しにしているわけであるが……。
「このように起伏が激しく、傾斜が急な環境では、ホバリング走行よりも匍匐飛行や跳躍のほうが機動的ですね」
隊の最終チェックを終えたのであろう、神野が話しかけてくる。
「そうですね。今回は射線を遮るために、敢えて渓谷や崖を利用するわけですから、特に跳躍が重要になるでしょう」
静かに押し寄せる波に足を浸しながら、悠陽は答える。夏とはいえ、雪解け水が注ぎ込む海の水は信じられないほど冷たい。強化服の上からも、そのひんやりとした感触を楽しむことが出来る。彼女が立っているのは、岩だらけの波打ち際。
「それにしても……。12年にもわたって戦場になっていたスカンジナヴィアに、このような自然が残されていたとは……。北欧軍は、このような天然の要害を巧みに利用して防衛戦を展開してきたと聞きますから、最早このような風景を目にすることはないだろうと考えておりました」
神野は、目を細めて朝日を見ながら、つぶやく。
「今までの主戦場がもっと北方であったからでしょう。ストックホルムまでBETAの侵出を許したときでさえ、侵攻ルートからこの地域は外れていたため、戦火を免れたと聞きます」
だが、その貴重な自然さえも、今回の作戦で破壊されることが決定されている。それも、徹底的に。
波打ち際で水と戯れる悠陽と、それを穏やかに見守る神野。年齢からいっても、まさに娘と父のようであった。少し離れて、月詠の二人が控え、彼らを取り巻くように休憩中の衛士たちが見るとはなしに見ている。軽食を摂る者、水分を補給する者、悠陽同様海を楽しむ者。皆が思い思いに、最後の一休みをとっていた。
そのしばしの休息の終わりを告げたのは、やはりというべきか、神野の静かな声であった。
「悠陽様、BETAがあと1時間ほどで作戦区域に到達する見込みです。そろそろ機内にお戻りください」
「了解しました。神野、皆にも伝えてください」
悠陽は、名残惜しそうに渚を離れ、自機に戻る。司令部から、陽動開始ポイントに向けた移動開始を命じられたのは、それからしばしの後のことであった。
陽動開始地点は、雪解け水が海に注ぎ込むために作った滝の南側の山上であった。ここから、渓谷の北側に現れたBETA前衛集団に向けて発砲を開始し、海岸線に沿って彼らを目的の入り江まで誘導する。問題は、BETAが横に広く展開しながら南下してきているため、狭い入り江に彼らが入りきるよう、巧みに彼らを密集させる必要があった。それも、後衛の射線上に位置することなく。第12大隊は、斯衛よりも内陸部に展開し、BETAを海岸まで誘導する手筈になっている。斯衛の担当は沿岸部のBETA。
問題は、内陸からの陽動のほうが時間がかかると想定されていることである。これは、単純に内陸部からの陽動距離のほうが長いために生じる。海岸部のBETAと内陸部のBETAの距離に開きが出ては、一度の地雷爆破で両集団を殲滅することが適わなくなる。
それゆえ、斯衛は、走破距離を稼ぎ、担当BETA集団の南下速度を調整する必要があった。前衛集団の速度調整だけなら難しくもないが、後衛集団にも前衛集団同様のルートをとらせなければならない。単純に海岸線に沿って南下するのではなく、内陸部に向かう進路をとった後、適当な地点で第12大隊と合流し、ともに陽動目標地点に向けて進軍することが計画されていた。
「悠陽様、第二、第三中隊ともに所定の位置につきました。最新情報によれば、接敵まであと5分ほどです」
各中隊長とコンタクトを取っていた神野が報告してくる。
全面から突撃してくるBETAに対応するために、今回は大隊でまとまらずに、中隊単位で横隊を形成している。海岸部の最右翼は悠陽直卒の第一中隊、その左隣に第二、左翼が第三中隊となる。
「こちらプロミネンス1、プロミネンス各機に告げます。既に伝えましたように、本任務は陽動です。従って、敵戦力への打撃よりも、中隊間の連携が重要となります。各中隊ともに、その点は充分留意してください」
神野の報告を受けて、大隊全機に最終確認をした悠陽。今度は、中隊を指揮するために、中隊内チャンネルに切り替える。
「プロミネンス1より各機。砲撃開始は敵先頭集団が崖下への下降を開始した後とします。下降中の突撃級の後部に銃撃を浴びせなさい」
「ハッ」
「よろしい。全機兵装使用自由」
悠陽がそう告げると同時に、突撃級が崖の対岸に現れ、突進してきた勢いのまま、崖下に飛び込んでいく。
「砲撃開始」
悠陽の合図とともに、滝に飛び込んでいくように落下している突撃級に向けて銃撃を開始する第一中隊。理想的な射撃ポイントを確保しているため、無駄弾は少ない。
網膜に投影される、光線級出現までの時間をチェックしながら、次々に飛び込んでくる突撃級に向けて銃撃を継続。
すると、早くも滝つぼに飛び込んだBETAの最前衛が崖を上ってくる。彼我の距離が急速に縮まる。BETAが200メートル手前に迫ったとき、ハマーンは次の命令を出す。
「よし。全機、次の射撃ポイントまで後退」
その合図とともに、松井中隊長を先頭に全機反転し、山裾を縫うように、匍匐飛行で後退する。それを確認しながら、ハマーンは月詠、神野らを従えて最後尾で飛行する。後ろからは、当初のコースを外れて見事にこちらの動きにつられた突撃級の群。いくら速いといっても地上移動しかできない彼らでは、飛行により距離をとろうとする戦術機には追いつけない。衛星からの情報によれば、光線級が滝壺に向けて下降をはじめた模様。だが、彼らが崖を上りきるころには、こちらは山を背にした第二ポイントに到着している。それも、余裕をもって。
データリンクからの情報では、第二、第三中隊ともに問題なく後退しているようだ。
ここまでは、計画どおりうまくいっている、と悠陽は一安心する。今回の陽動任務自体の難易度はそこまで高くはない。問題は、陽動にあたる各隊の連携と速度調整、そして何よりもミスをしないこと。
そんな悠陽の安堵をよそに、光線級の射線から離れて、第二ポイントに突進してきた突撃級に向けて、二度目の銃撃が開始された。
銃撃により前衛をひきつけた後、跳躍により次のポイントまで誘導するという作業は、その後5回繰り返された。第三ポイントで予定通り第二中隊と合流、第五ポイントで第三中隊と落ち合い、大隊として半個師団規模の突撃級集団の陽動にあたっている。
「悠陽様、次のポイントで国連軍第12大隊と合流いたします。CPからの情報では、第12大隊も計画どおり後退しているようです」
律儀に報告してくる神野に、ハマーンは短く了解を伝える。今までのところ、全ては怖いくらい順調に推移している。前衛集団のみが陽動に釣られ、後衛集団がコースを変更しないという事態が懸念されていたが、衛星からの情報を見る限り、光線級もしっかりと追随してきている。
目下の問題は、残段数。もともと80mmケースレス弾は36mmほど携行性がよくない。いくら通常の突入戦よりも距離をとって精密射撃ができるといっても、弾の消耗は激しい。
「神野、各機の残弾数はどうか」
ハマーンも悠陽と同じ懸念をもっていたのであろう。
「ハッ。各機ともに残り三割前後といったところです。既に全行程の7割を消化しておりますので、まずは順当なところかと。また、今や敵BETA集団は完全に我々を目標としているように見受けられます。仮に銃撃が散発的になったとしても、距離を開けすぎなければ我々から離れることはないかと」
神野は即座に応じる。
「そうだな……。よし、第12大隊との合流ポイントまで後退する」
ハマーンの合図とともに、第25大隊は、速やかに匍匐飛行を開始する。陽動を開始してから二時間がすぎ、既に太陽は中天に昇っていた。
「陽動部隊、あと15分ほどで地雷埋設地帯に到達します」
移動指揮所の情報担当将校が報告する。
第12大隊も斯衛大隊も、計画どおりBETAを誘導している。両大隊の合流のタイミングがうまく合うかと懸念したものだが、蓋を開けてみれば予想以上の出来である。もっとも、わざわざ第一次防衛線を無傷で素通りさせたのだ、これくらいのことはしてみせねば困る、とロンメルは不敵に笑う。
そう。
通常の戦線では、第一次防衛線は突破されるとの前提のもとに、防衛網を構築する。BETAの圧倒的な突破力を前に、第一次防衛線でBETAの勢いを殺し、第二次、第三次防衛線で最終的に食い止める、というのが対BETA戦闘の常道。
しかし、大抵の場合、ロンメルは第一次防衛線だけでBETAを完全に押さえ込んでしまう。その陰には、いち早く光線級を駆除し、艦砲による面制圧砲撃の契機を作り出している第12大隊の存在があった。それゆえ、スンツヴァル防衛線という、元々は住民退去の時間稼ぎのために構築された防衛線が未だに維持されているのである。北極海方面第三軍の司令がロンメルになってから、ストックホルム防衛戦のようなBETAの軍団規模の侵攻を除いては、この防衛線が突破されたことはない。その防衛線を、「たかだか」2個師団のために突破させるのだ。成功させずして如何する、と思うロンメルであった。
「第12大隊および斯衛第25大隊、誘導予定地点を通過、間もなくBETA前衛集団も通過します」
この報告を聞いた司令部の雰囲気が一気に緊迫する。ここからが本番。地雷爆破のタイミングを少しでも誤まれば、今までの苦労が水泡に帰す。
「光線級の先頭が爆破ポイントに進出。あと2分ほどで光線級がほぼ爆破圏内に到達」
司令部を恐ろしいほどに張り詰めた沈黙が支配する。唾を呑み込む音すら、反響する。
「地雷爆破予定時刻まであと30秒……。カウントダウンを開始します」
不思議なもので、カウントダウンの声が、緊張が臨界に達するのを防いでいるようだ。張り詰めすぎた弦のような雰囲気が、若干余裕を取り戻したかのよう。
「3、2、1、0.光線級の主要集団が全て圏内に到達しました」
「よし。爆破」
堂々とした態度で、朗々とロンメルは命ずる。部下に安心感を与えるような、どこまでも司令官然とした態度だ。
「爆破します」
地雷敷設を担当した工兵大佐が復唱、起爆スイッチを押す。
瞬間。
爆破地点から離れた指揮所でも感じられるほどの轟音と振動が襲う。監視カメラからの映像は土煙に覆われている。戦果確認にはまだ時間がかかるであろう。
だが、その戦果目視を待たずに、ロンメルは周囲を取り囲む丘陵の爆破を命令。土砂崩れによりBETA後衛集団を埋めようとする。
続けざまにダイナマイトの爆破音が響き渡る。爆破の振動を感じながらも、ロンメルは矢継ぎ早に指令を出す。
「よし、第8大隊は展開準備。念のため、中隊支援砲の予備弾薬は大目に持たせておけ」
「ハッ」
「前衛集団が砲撃ポイントに到達するまでの時間は?」
「ハッ。残り10分ほどと推測されます」
「よし……。砲撃開始は海軍に任せると伝えろ。各地の震度計の反応はどうか?」
「ハッ。現在までのところ、BETA別働隊の存在は確認されておりません」
「どのタイミングで現れるかわからん。最大限の警戒態勢を維持しておけ」
「ハッ」
「報告します。各種観測計器からは、爆破地点でのBETAの生存反応は確認されておりません」
何よりも待ち望まれていた報告が来た。どうやらS-11地雷は想定どおりの威力を発揮した模様だ。数発で反応炉すらも破壊できるという威力は伊達ではない。
「よし……。なおも警戒態勢は緩めるなよ」
そう命じながらも、この戦闘の山は越えたと感じるロンメルであった。見れば、司令部に詰めている将校たちも、ホッとした表情を見せている。
北方の急峻な山脈が嘘のように、眼前には平地が広がっている。海のほうを見れば、入り組んではいるものの、平坦な海岸線が広がり、遠くには小島が点在している。どこまでも碧色の海面が夏の陽光を乱反射しているため、サングラスがほしくなる。
ここは、爆破地点の南方20キロの海岸。予備兵力として展開中の第2、第3師団に程近い、斯衛第25大隊の補給地点である。斯衛軍の兵装は国連軍や北欧諸国軍の制式とは互換性がないため、完全に別個に補給資材を搬入しておく必要がある。専用の補給コンテナから推進剤やバッテリー、弾倉を補給しながら、衛士たちは銘々遅めの朝食を摂っている。作戦が無事成功した上、新たなBETA侵攻の情報もはいっていないからだろう。皆の表情は明るい。
倒木に腰を下ろして水を飲んでいると、真耶が軍用食のチューブを持ってきてくれた。休憩中に何か食べておけということらしい。問題はその味である。現在の日本では、奮発すれば庶民でも天然食品を購入できる。世界食糧価格の高騰などにより、元来食糧自給率の低かった日本が大きな打撃を受けたのは事実。それでも、天然物とほとんど味に差のない水耕栽培食品もあり、日本の食糧事情はアメリカ大陸やオーストラリアに次ぐほどに良い。勿論、軍用食や学校給食などは人工タンパクを主にしているが、こちらでも人工添加物の開発が優先的に進められた結果、それなりに食べられるものに仕上がっている。
それに比べて、この英国産軍用食。BETA戦争の最前線であるから、味にまで気を配っている余裕などないのは当然のこと。悠陽とて、かつての日本では、一般兵士同様の食事を文句も言わずに食べていた。しかし、それを考え合わせても、これは開発担当者の味覚を疑わずにはおれないほどの出来だ。いや、懸念すべきは食文化のほうか。フランス軍は、断固として英国産軍用食を拒絶、少ない資源を使ってまで自国企業に軍用食を生産させているというが、彼らの気持ちも分かるというものである。
そんなことを考えながら、どこら辺がサラミ風味なのか判別しかねるジャガイモ料理を嚥下していると、普段は憎らしいほどに冷静な神野が、狼狽した表情を浮かべながら走り寄ってくる。
切羽詰った表情で、彼が告げた内容は、穏やかな夏の空気を凍らせるのに十分なものであった。
曰く。
「司令部より急報です。2個師団規模のBETA集団が、ストックホルム近郊に出現。スウェーデン国軍第一師団と交戦状態に突入した模様です。我々にも、直ちにストックホルムに帰還するよう、指令が発せられました。なお、新種と思われる大型BETA種の存在が確認されております。全長1000メートル以上と推測される超大型種で、内部に多数のBETAを収容している模様で、第一師団には甚大な被害が出ているとのことです」
穏やかなはずの波音がやけに大きく響き渡る。見れば、隊員たちの談笑は途切れていた。他人にも聞こえるのではないかと思われるほど、心臓の鼓動がうるさい。
真耶と真那が蒼白な表情で立っている。無理もない。このままでは、ストックホルムが落ちる。2度にわたってBETAの大規模侵攻をなんとか防いできた、北欧防衛の要が。
穏やかな夏の日に、ストックホルムは最大級のブリザードの襲撃を受けようとしていた。
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