第20話
米海軍から北極海方面国連軍に提供されたアイオワ級戦艦ストックホルム。
ストックホルム近郊へのBETA出現の報に接したロンメルは、直ちに司令部をこの海軍第二戦隊旗艦に移し、南下を開始した。先の大戦末期に竣工してから、現役として活躍すること50年。最早立派な老朽艦であり、本来ならば海軍博物館あたりの目玉になっているところだが、未だに対BETA戦闘の最終局面を支える主力である。使われている技術は4世代以上も前のものばかりだが、言い換えれば兵器として「枯れている」ため、信頼度はそれだけ高い。勿論、旗艦として現役である以上、情報管理システムをはじめ、司令部機能に不足はない。
そのストックホルムの艦橋で、戦術スクリーンの情報を注視しながら、ロンメルは情報担当将校に現在までの戦況を報告するよう命じた。
「報告します。ストックホルム北方に出現したBETAですが、司令の予測どおり、光線級および重光線級の数は一個連隊以下と極めて少ない模様です。主力は要撃級及び戦車級で、要塞級も若干確認されています。新種と思われる超大型種は確認された限りで20体前後、一体につき要撃級一個連隊程度を収容していたものと推測されます。敵は二手に分かれ、要撃級、戦車級及び各小型種の4割程度が、ストックホルム市内に侵入しております。一方、敵主力は基地に向かって南進しており、現在基地第3防衛線にてスウェーデン軍第一師団と交戦中です」
完全に不意を衝かれた第一師団及び基地防衛部隊は、基地の直下まで侵入を許した模様だ。ストックホルムは平地であり、光線級の照射を遮るものはない。防衛態勢を整える前に、急接近してきたBETAにいいように崩されたのであろう。
「なお、第一師団は現在半壊状態にあり、第3防衛線は間もなく突破され、BETAは最終防衛線に到達するものと予想されます」
最終防衛線を抜かれたら、BETAを基地内に侵入させることになる。そうなっては、仮に基地を奪還したところで、基地機能回復には相当時間がかかることになるだろう。
「最終防衛線を担当する第1及び第4連隊のA-10は既に全機配置についております。また、現在南下中の第2、第3師団、第12大隊および斯衛第25大隊ですが、30分ほどで基地に到達する見込みです」
BETA陽動のため、スンツヴァルの遥か南方の山脈まで主力が南下していたことが、吉と出た。従来どおりにスンツヴァルの第一次防衛線を維持していたら、確実に1時間は到着が遅れていたことだろう。そして、BETAのこの勢いを考えれば、その1時間が基地の明暗を分けることになったはずだ。
「よし……。スウェーデン軍第一師団は最終防衛線まで後退、隊を再編させろ。最終防衛線まで敵を引き付けてから、基地防衛用に敷設しておいた対BETA地雷を爆破、時間を稼ぐ。万が一に備え、機械化歩兵旅団は戦闘配備、基地要員のシェルターへの退避を急がせろ」
「ハッ」
問題は南下中の戦術機集団をどう有効に投入するかだ、とロンメルはしばし黙考する。いかに住民の大多数がとうの昔に退避したゴーストタウンとはいえ、少数ながら頑固に退避を拒否している住民もいる。ストックホルム市を完全に破壊されるのは政治的にまずい。少なくとも、国連軍本部で査問にかけられるだろうし、鬱陶しい調査委員が基地をうろつくことになるだろう。それを避けるには、基地防衛と市街地防衛の二手に戦力を分ける必要が出てくるが、この状況で戦術機部隊を二分しても、戦力差からしてBETAに各個撃破されるだけだ。
参謀長もそのことを認識しているのだろう、作戦参謀らを叱咤している声が聞こえる。
何とか作戦をひねり出そうと、知恵を絞っている参謀たちの姿を尻目に、ロンメルの胎は既に決まっていた。
今回のBETAが戦略レベルでの陽動を試みたのかどうかは、ロンメルにもわからない。結果的に陽動は成功したと言えるが、陽動としては稚拙でもある。特に、光線級の扱いがなっていない。地上侵攻部隊にあそこまで大量の光線級を投入する必要はなかった。光線級は、対戦術機戦闘でも威力を発揮するが、本来的には、戦闘機からミサイル、果ては砲弾まで確実に撃ち落す絶対的な制空能力こそが脅威。それなのに、本隊であるはずのストックホルム攻撃隊に光線級を過少に配備するなど、論外だ。
「折角BETAがくれたチャンスだ。これを利用しない手はあるまい」
自信満々に、そう嘯いたロンメルは、参謀たちを集め、自らの方針を説明、15分以内に詳細なプランに纏め上げるよう命じた。
ホバリング走行により、旧ハイウェイを高速で南下する集団があった。言わずと知れた悠陽隷下の斯衛部隊である。他の部隊は匍匐飛行と跳躍を組み合わせながら移動しているが、基地まで平地続きのため危険が伴う。ホバリング走行でも時速300km以上の速力を誇る迅雷からすれば、敢えて匍匐飛行をする理由はなかった。
「悠陽様、司令部より通達です」
後10分ほどでBETAと接敵するというギリギリのタイミングで、神野が連絡してくる。
「第25大隊は北東から、すなわち海岸部からBETA集団に突入し、光線級および重光線級の排除に当たられたし。以上です」
「了解しました」
やはり、斯衛に与えられた任務は光線級の撃破。恐らくは、第12大隊にも同様の任務が与えられているはずだ。
「なお、第2師団は、我々に引き続いて沿岸部からBETA集団に突入し、基地最終防衛線を側面から強化、第3師団は基地西部から突入、市街に向かうBETAを食い止めながら、BETAに対して半包囲網を敷く手筈になっております」
最終防衛線が直ちに突破されることはないとの判断からだろうか、防衛線それ自体の強化よりもBETA側面からの攻撃に重点を置いた作戦のようだ。この作戦の問題は、市街地に流入したBETA集団に割く戦力がないということ。基地攻撃集団から市街地へ流れるBETAこそ食い止められるが、すでに市街地に入り込んだBETAに対する措置がない。
――いや、そうとばかりも言えまい。
ロンメルの策を読みきったのか、ハマーンがわずかに笑いながら語りかけてくる。
――恐らく、ロンメルはアレを使うはずだ。人類がここ数十年ほど忘れかけていたアレを……。
それは何です、と質問しようとしたところで、BETAの最後尾が目視圏内にはいる。ストックホルム市街防衛手段があるならば、よい。まずは、光線級排除という自らの任務に当たらなければ。操縦をハマーンに委ねながら、気持ちを引き締める悠陽であった。
「プロミネンス1よりプロミネンス各機。楔壱型をとれ。これより敵集団に突撃する」
「ハッ」
ハマーンの指令とともに、高速機動を維持したまま素早く陣形再編が進む。日本で嫌というほど訓練した機動だ。
視界には、急速に近づいてくるBETA。さすがにこの速度のままBETA集団に突入するのは、厳しい。ハマーンは兎も角、部隊員の中には機体制御し損なうものも出てくるだろう。徐々に制動をかけながらも、なおも充分な高速度を維持したまま、斯衛はBETA最後尾への攻撃を開始する。
突入後に、すぐに多くの隊員が違和感に気付く。スンツヴァル防衛時よりも、格段にやりにくい、と。
理由は簡単。このBETA集団は地上を長時間走破してきたわけではない。全て母艦級から吐き出されたもの。そのため、通常よりもBETA各属種の混在具合がひどい。おまけに、母艦級相互の距離が短いため、必然的に母艦級から飛び出してきたBETAも密集している。少数での高機動突破という点からすれば、面倒なことこの上ない。
だが、所詮はその程度、とハマーンは嗤う。ヴォールク・データを難易度SSで攻略することを思えば、温い。この程度の密度で音を上げているようでは、ハイヴ攻略など夢のまた夢。むしろ、簡単なハイヴ攻略の練習とでも思えばいい。BETAを薙ぎ払う必要はないのだ。あくまでも前進の障害となるものだけを正確に倒すようにして、ハマーンは進む。
前衛の突撃により重光線級への射線が開けた瞬間、後衛の銃撃が続く。さすがに2度の実戦を経て、訓練の成果を本当の意味で血肉とした斯衛の精鋭である。連携の精度もかなりのものになってきている。
大隊全体の練度が急速に上昇してきているので、ハマーン個人の武勇は、最早そこまで必要ではない。彼女の役目は、BETAの布陣を見極め、進路を選定し、第25大隊という研ぎ澄まされた槍の目標を狙い定めること。あとは、槍が自由に敵を突く。一々命令する必要もない。
高速戦闘の必須条件は、機動自体の速さ、反応の速さ、そして判断の速さである。隊員一人一人がこの速さを習得することで、指揮が滑らかになる。その結果、隊としての速さが上がる。それも、劇的に。
とはいえ……。
こうも光線級が散らばっていては、やりにくいことこの上ない、と悠陽は思う。
そして、それはハマーンの認識でもあった。恐ろしいほどの速さで正確に進路を選び抜き、倒すべき敵を見極めたうえで、道を切り開く。その戦闘行為を、まるで遊戯でもこなすかのように、軽々と、しかし確実に実行していくハマーン。その一方で、彼女は中隊長に新たな命令を下す。
「プロミネンス1より、ブルー、クリムゾン、オレンジ中隊へ。中隊毎に分進する。ブルーは私に続け、クリムゾンは左翼、オレンジは右翼から進撃せよ。母艦級は無理に相手にする必要はない。光線級排除を最優先に進め」
「了解」
ブルーが第一、クリムゾンが第二、オレンジが第三中隊である。広範囲に散開している光線級に効率的に対処するために、隊を分ける。母艦級を倒すには時間がかかるため、今回は無視。大体、母艦級を戦術機で無理に倒す必要はない。全長1800mもある巨体を倒すには、戦術機の通常兵装はあまりにも貧弱である。ドムのバズーカでも持ってくれば話は別かもしれないが、弾数からいって、対BETA戦闘では使い勝手が悪すぎる。巨大な目標の破壊に適した手段が人類にある以上、無理に戦術機が不得手なことをする意味はない。
第二、第三中隊と分かれた後も、ハマーン率いる第一中隊は、母艦級の周囲を避けるように進路をとりながら、光線級を虱潰しに倒していく。少し距離の離れたところにいる光線級は、三次元機動のついでに、短時間跳躍で空中から狙撃。光線級に補足され、レーザー照射を浴びるまでには若干の時間的猶予があるため、問題なく実行可能である。特に、今回のように光線級の数自体が少ない場合は、腕利きの後衛ならば短時間跳躍中の空中からの掃射は充分に戦果を見込める。衛星からの情報によって、ピンポイントでBETAの位置が割り出せるため、照準合わせに手間取ることもない。ハマーンの指導のもと、中隊後衛各機も、短時間跳躍による狙撃に挑戦する。ハマーンの機動に引き摺られるようにして、どんどんと大胆な三次元機動をとる第一中隊であった。
そうした中隊員一人一人の動きを見ながら、前衛の突破力は勿論のこと、後衛の支援能力や情況把握能力の向上は素晴らしいものがある、と悠陽は頼もしく思う。先のスンツヴァル防衛戦でハマーンから完全に置いていかれたのが悔しかったのか、隊員が向上心をもって事に当たっている。
同時に、このような兵士たちの向上心を発揮する機会を提供しているのが、ロンメルだ。大抵の新兵は、どれほど向上心を持っていたとしても、それを発揮する機会すら与えられずに、BETAの大群に呑み込まれる。それは、彼らが精神的に、あるいは技術的に未熟だから、というだけでは決してない。多くの戦線では、新兵にさえ無理難題を命じる。どれだけ劣勢になっても撤退を禁じるという事態がしばしば発生する。司令部が損耗率を顧みずに、防衛線を維持しようとするからだ。結果として、不慣れな新兵の多くは、絶望的な戦場で心理的に消耗し、ミスを犯し、散っていく。
ロンメル指揮下にあっても、今回のスウェーデン軍第一師団のように、予測不能な事態により大損害を蒙ることはある。それでも、他の戦線に比べ、そうした事態は少なく、結果として損耗率も平均値を大幅に下回る。そして、この恩恵を最も受けるのが、新兵だ。それゆえ、北欧戦線では「死の8分」を乗り越え、熟練兵へと成長していく層が、他の戦線よりもはるかに厚い。言い換えれば、兵士がエースにまで登り詰めるチャンスが、通常の軍団よりもはるかに大きいのである。
このようにして形成された熟練兵からなる部隊が、今度はロンメルの厳しい注文に的確に応えていくのである。
ここに、ロンメル軍団の真の強さの秘訣がある、と悠陽は思う。北極海方面第3軍は、狼に率いられた羊の群でも、羊に率いられた狼の群でもない。それは、狼王に率いられた狼の群なのであり、だからこそ、ここまで精強なのだろう。
斯衛軍第25大隊も、このロンメルの恩恵に浴してここまで成長している。もし最初の配属先が中国戦線で、劣勢の中、持ち場の死守を命じられていたら、いかにハマーンが指揮する最新鋭機迅雷一個大隊とはいえ、少なからぬ出血を強いられたことであろう。その意味で、ロンメルには感謝してもしきれない、と思う悠陽であった。
そのロンメルであるが、ストックホルム艦橋で、戦術スクリーンを一心に見つめ、報告を待っていた。
「閣下。重光線級および光線級ともに、ほぼ討滅完了いたしました。作戦第二段階に移行する頃合かと」
参謀長が衛星からのデータをもとに、進言する。
「よし……。ミサイル巡洋艦マルメに打電。巡航ミサイルを発射。目標は敵超大型種。もはやBETAには有効な防空能力はない。好きなだけ打ち込めと伝えろ」
「ハッ。直ちに」
「ストックホルム基地のC-130対地攻撃機はどうなっている?」
「ハッ。既に整備は終了し、燃料、爆弾ともに積載完了いたしました。いつでも発進できます」
「よし。直ちに発進させろ。基地北方に滞空させ、支援爆撃に当たらせる。母艦級、要塞級が最優先だ」
「ただちに」
これが、光線級の数が少ない、と聞いたときにロンメルがとった策であった。すなわち、今や骨董品として基地内でホコリを被っていた航空部隊による対地爆撃。30年ほど前、まだソ連が最大の仮想敵国であったころに、米軍がNATO加盟国であるノルウェーの基地に配備していたものである。それが、いつの間にかスウェーデン基地に運び込まれていた。光線級の登場とともに役立たずに成り下がった爆撃機であったが、BETAが試行錯誤を始めたために、再び活躍する場を与えられたのであった。
「攻撃ヘリ部隊はどうか?」
「ハッ。こちらも発進準備完了であります」
「直ちに市街地に向けて発進させろ。搭載可能量ぎりぎりまでヘルファイアを積んで行け」
「ハッ。直ちに打電いたします」
「よし……。オスロ基地のB-52はどうか?」
「ハッ。光線級残存数が3割を切った時点で、3機とも基地から離陸。そのため、散発的にレーザーを浴びたようですが、照射数が少ないため、臨海半透膜により無効化。問題ありません。10分後には爆撃態勢にはいれます」
「よろしい。精密爆弾により、市街地の大型種を最優先で爆撃。戦車級はアパッチに任せてよい」
「了解です」
B-52ストラトフォートレスは、冷戦期対ソ戦略爆撃の主力であり、AC-130同様、かつて米軍によってノルウェーに持ち込まれたものである。その爆弾積載量は現存する航空機の中でも最大級のものであり、かつては核兵器搭載を前提としていたが、今やGPS誘導爆弾を投下できるよう、改造が施されている。これにより、市街地への被害を最小限に抑えたまま、BETAをピンポイントで爆撃することが可能となる。
アパッチという、アメリカ先住民をさぞや憤慨させたであろう名前を冠した攻撃ヘリは、最大16発のヘルファイア対戦車ミサイルを搭載、70mmロケット弾や30mm機関砲と合わせ、光線級の脅威のない環境では、全BETA種に対して一方的な攻撃を加えることが可能だ。問題は、戦術機と比べて弾切れになりやすいことだが、カートリッジ交換などはできないため、仕方がない。
これらのNATO空軍の置き土産を利用して、人類は久々に古典的な空対地戦術を展開したのであった。
1800mという巨体とそれに見合う底なしの体力を持つ母艦級も、巡洋艦から次々と射出される大型巡航ミサイルに対しては、なす術がない。イソギンチャクのごとく、地中から顔をのぞかせて、ぱっくりと口を開けたままの母艦級に、次々とミサイルが着弾、轟音が響き渡る。さらに、トドメとばかりに、本来はプロペラ式輸送機であったAC-130攻撃機から精密爆弾の投下が続く。戦術機では望むことのできない火力の集中である。
光線級討滅の報告を待ちかねた、とばかりに、基地からも大々的な榴弾砲および多連装ロケットによる砲撃が開始される。第12大隊および第25大隊が撃ち漏らした光線級が、砲弾に向けてレーザーを照射するが、所詮は焼け石に水。上空からの対地爆撃と連動した面制圧砲撃を前に、BETAは次々と爆散していく。こうなっては、もはやBETA駆逐は時間の問題であった。
一方のストックホルム市街地。
こちらでも、戦闘は一方的に推移していった。上空で旋回しているB-52からは、要撃級をはじめとする大型種に向けて、ひっきりなしに精密爆弾が投下されている。防空能力を喪失したBETAには、この爆撃に対処する術がない。人間であれば、建物の陰に隠れるといった回避行動をとるのであろうが、彼らにはそこまでの知性はない。上空からの爆撃を掻い潜り、愚直なまでに前進を続けようとするBETAであったが、そこに掃蕩任務を帯びたアパッチ・ヘリの大隊が襲い掛かる。戦車級は上空からの機関砲で薙ぎ払われ、もはや数も少なくなった要塞級や要撃級は、ヘルファイアや70mmロケットで次々と撃破されていく。BETAが流す血が、路上を伝い、絵の具のようにストックホルム湾の水面を染め上げていく。
美しい北欧の古都は、BETAに対するキリング・フィールドと化していた。
第一次世界大戦時の西部戦線もかくや、と思われるほどの砲撃音がストックホルム基地に響き渡る。
光線級を排撃したのち、第12大隊とともに基地に帰還した第25大隊は、現在補給中である。補給が完了し次第、最終防衛線を支えているA-10サンダーボルトII二個連隊支援のために、防衛戦に投入される。
基地内の雰囲気も、明るい。当然だろう、と悠陽は思う。何せ、主力の留守中にBETAの急襲を受け、基地防衛の主戦力である第一師団は展開すら間に合わずに撃破されたのだ。基地陥落は防げたとしても、基地内侵入は避けられないだろうと予想されていた。確かに、第一師団及び最終防衛線を担当した第1、第4連隊の損耗率は5割近く、被害甚大だが、それでも基地陥落という最悪の想定から比べれば、まだましである。
市街地のほうは、街路が入り組んでいるため、完全にBETAの脅威を排除するのには時間がかかるだろうが、アパッチは市街地での掃蕩任務では戦術機以上に小回りが効く。
この闘いの山は越えた。これが悠陽の偽らざるをえない気持ちであった。
「悠陽様」
と声をかけてくる者がいる。振り返ると、神谷整備主任が走り寄ってくるのが見える。どうやら、補給が完了したようだ。食堂でもらったリンゴジュースのパックをゴミ箱に投げ入れながら、悠陽は神谷に向かってゆっくり歩きはじめた。
悠陽の予想どおり、市街地に入り込んだ戦車級および小型種の掃蕩に手間取り、最終的にBETAの脅威が完全に排除されたのは、それから10時間後のことであった。
爆撃のために、ストックホルム市街のインフラが破壊されたものの、民間人および王家に被害は出なかった。
戦闘終結の一週間後、第25大隊に対して、丸一日、自由行動が与えられることが通知された。折角の自由時間である。美しいと評判のヨンショーピング市に行ってみようか、と考える悠陽であった。考えてみれば、ストックホルム生活も3ヶ月が過ぎようとしているが、一度も北欧の民間人の生活に触れていない。ほとんどのスウェーデン人はストックホルム以南に避難していて、そもそも普通のスウェーデン人と接する機会がなかったのである。
悠陽が接触する機会のあった民間人は、せいぜいが基地で働く軍属。特に、食堂のおばさんからは随分と心配され、何となく話し込みもした。聞けば、10歳の娘が南西部に疎開しており、とても悠陽のことが人事だとは思えなかったのだとか。スウェーデン人の例に漏れず、日光浴が大好きらしく、色白ながらも全身を綺麗に焼いていた。年は30代半ばといったところか。そのおばさんから、スウェーデン南部ヴェッテルン湖岸の小都市、ヨンショーピングが非常に美しいと薦められ、見てみたいと思ったのである。基地内の端末で、ヨンショーピング市への行き方、見所などを調べていると、東条少佐が近づいてくるのが目にはいった。
正直なところ、悠陽は彼の存在をすっかり忘れていた。最初の頃こそ、色々と話しかけてきた東条であったが、相手にされていないと悟ったのか、それともこれ以上悠陽に悪感情を抱かれるのは避けたいと考えたのか。最近は挨拶以上の会話はしていない。
「こちらにおられましたか、煌武院大佐」
何か悩みでもあるのか、浮かない顔で東条は話しかけてくる。
「ええ。一日自由時間をもらえることになりましたので、この機に少し、スウェーデンを見て回りたいと思いまして……」
「それは大変素晴らしいことですな……。小官も、冬にはスキーを楽しみました。スキーにはかなり自信があったのですが、やはりスウェーデン人には適いませんなあ」
おや、と悠陽は思う。東条は秀才官僚タイプで、休日でもせかせかと書類をまとめているイメージがあったのだが、どうやら偏見だったようだ。少なくとも趣味の一つもあるらしい。
「スキーですか……。私は残念ながら帝都からほとんど離れたことがありませんので、話で聞いたことしかありませんが……。帝国陸軍でも、スキー訓練を取り入れているところもあるそうですね」
「ええ。高田の連隊などは有名です。私は、北海道の生まれでして、子どもの頃から冬にはスキーをしておりました。残念ながら、軍人になってからはほとんど滑る機会がなかったのですが、こちらに来てから久しぶりに楽しみました」
「それは、素晴らしいことですね。適度な息抜きは、軍務を良くこなすためにも必要ですから」
「ええ。ですが、それも今年限りで終わりそうです。……実は、本国に帰還するように指令が出されまして、9月には後任に引き継いで帰国する予定でおります」
帝国に帰還、ということは再び参謀本部勤務に戻るということだろう。その挨拶に来たのか、と悠陽は思う。その予想は間違ってはいなかったが、それだけでもなかった。
「帰国に際して、北欧戦線の調査報告書を参謀本部に提出する必要があるのですが、恥ずかしながら、これに些か手間取っておりまして……」
無理もない、と悠陽は思う。東条のように教科書どおりにしか戦闘を理解できないようでは、先の戦闘を充分に検討することはできまい。
「そこで、ロンメル司令の戦術について、是非とも煌武院大佐のご見解を伺いたく、こうして参った次第です」
単に不合理な戦術指揮と批判していた当初から比べれば、今は兎も角も現実を見据えようとしているようだ。その点は評価すべきなのか、と悠陽は考える。
だが、いずれにせよ、東条の本国への報告は無視できるものではない。参謀本部情報部は、東条のような海外派遣将校の情報をもとに、戦略情報をまとめ、作戦部及び軍首脳部に提出する。そして、この情報をもとに、国防方針や新戦術の研究が進められるのである。その意味で、日本帝国軍の戦略や作戦術を効果的なものにするために、北欧戦線に関する情報は正確に陸軍中央に伝達してもらわねばならない。
「東条少佐。ロンメル司令の戦術の戦史上の意義を正しく理解するためには、まず最初に、現在の戦術機作戦術がどのようにして形成されたものであるか、という点に立ち返ってみる必要があるように思います」
「……現在の戦術の形成過程、ですか?20年ほど前からの戦術機の戦闘データの蓄積をもとに考案されていったものと思いますが……」
何を当たり前なことを、と東条は当惑気味に応える。
「ええ。ですが、過去20年間の蓄積というのは、正しいようで正確ではありません。現在の戦術の雛形はいつ、どのようにして定まったか覚えていますか?」
「……陸軍大学校での戦史の講義を思い起こしますな……。基本は1970年代のユーラシア戦線における戦訓を元にしております。特に、パレオロゴス作戦では、ハイヴ内突入の前に、空前の大部隊による対BETA地表戦が展開されましたから、各国とも、この作戦をもとに戦術理論を構築していった、と申し上げて間違いないでしょう。最近、衛星軌道上からの降下兵団投下戦術も検討されているそうですから、今後はこれも全体の作戦に組み込まれていくことになるかと」
採点はどうです、とでも言いたげに悠陽のほうを見る東条。それに対して、悠陽は全く表情を変えなかった。
「恐らくはそうなるでしょう。ですが、ここで問題なのは、現在の地上戦の基本がパレオロゴス作戦前後に作られたものである、という点です」
「……と、おっしゃいますと?」
「パレオロゴス作戦時、各国とも主力戦術機はF-4ファントムや、これを元に作られた第一世代戦術機でした。F-4は画期的な兵器であったことは間違いありませんが、現在の戦術機と比べて、些か鈍重であることもまた事実」
「………はあ、それはおっしゃる通りですが、それがロンメル司令の戦術とどういう関係が……?」
話の展開が見えない、という表情を東条は浮かべている。
「非常に簡単なことです。第一世代戦術機では、その機体特性ゆえに、高機動戦術は不可能でした。今では、こうした第一世代機と並んで、F-15などの第二世代機も次第に配備されてきています。兵器と戦術の関係で言えば、当然こうした高機動機に対応した新戦術が開発されるべきです。ですが、対BETA基本戦術は、依然として第一世代機の戦闘をベースにしたもので、柔軟な高機動戦術というよりは、戦線の維持や大規模部隊による中央突破のような、小回りの効かないものばかりです」
「……そうなりますな……。ですが、最近では、第二世代をより有効活用するための戦術研究が進められております」
「ですが、それとても根本にあるのは70年代に作られた戦術でしょう?」
「ええ、それはそうです。全く新たな戦術など、そうそう生まれるものではありませんから」
戦術とは、参謀本部の俊秀たちが日夜取り組んで、少しづつ改良していくものなのだから、そうそう革新的な戦術など編み出されはしない、と東条は確信している。彼とて、参謀本部勤務は決して短くはなく、自らの見解には自信があった。
「ですが、その革新的な新戦術を編み出したのが、ロンメル司令なのです」
やや当惑した様子の東条に対して、悠陽は声に力を込めて、もう一度自らの主張を繰り返す。
「かつての戦術でも、光線級排除というのは重要な戦術目標でした。ですが、そのために投入される兵力は、通常かなりの規模のもので、しかも防衛線から切り離されて孤立しないよう、防衛線と有機的に結び付けられていました。今日の最新鋭機と比べて、鈍重であった当時の戦術機を考えれば、これは当然のことです。ですが、問題は、第二世代及び第三世代が登場してきている今日でも、この戦術がほぼ変更なしに用いられていることなのです。ここに、大きな変化をもたらしたのが、ロンメル司令なのだと、私は考えます」
一息入れて、紅茶を口に含んだ後、悠陽は続ける。
「ロンメル司令は、北欧戦線において、大隊規模の小集団によるBETA集団への浸透突破を考案しました。一見すると、エースの力量に依存した綱渡り戦術に見えますが、必ずしもそれだけではありません。何よりもこれは、最近の戦術機性能の革命的な進歩に対応した戦術だ、と私は思います。F-15では、この戦術を有効に機能させるためには、極一部のスーパー・エース級の力が必要です。したがいまして、第二世代機を用いてロンメル司令の作戦を遂行できるのは、第12大隊だけかもしれません。しかし、第三世代機である迅雷の運動性能を持ってすれば、衛士にはそこまで際立った力量は必要ではなくなります。斯衛第25大隊の実力が極めて高いのは事実ですが、同じくらいの力量をもった衛士は各戦線にそれなりにいるでしょう。言い換えれば、第三世代機を用いた場合、第12大隊ほどの操縦能力を持たずとも、ロンメル司令の作戦を遂行できることになります。では、やがて開発されるでしょう第四世代戦術機を投入した場合ではどうでしょう?その頃には、戦術機の更なる高性能化ゆえに、衛士の力量にそこまで依存せずとも、同じ戦術を用いることができるようになっているのではないですか?」
戦術機の性能向上とそれに対応する新戦術開発の関係。言うまでもなく、参謀本部の主要課題の一つである。だが、参謀たちが考え出す戦術というのは、かつての戦術を一歩一歩進めもの。参謀が優秀であればあるほど、革命的な戦術などというものは、生まれにくい。東条も、そうした参謀の一人だったのであろう。彼とて陸軍大学を出ているのだ、戦術理論には精通しているのは間違いないはずである。だからこそ、光線級討滅のための突撃には大部隊を投入する、というセオリーに捕らわれていたのであろう。
「……それは……そうかもしれません。つまり、悠陽様は、ロンメル司令の戦術は時代を先取りしたものだとおっしゃりたいのですか?」
「ええ、その通りです。戦術機開発史から言うと、現在はまさに歴史的転換点に差し掛かっているのでしょう。すなわち、重装甲だが小回りのきかない第一世代から、密集格闘戦や高機動砲撃戦に対応した新世代戦術機へと、戦術機という兵器そのものが変わってきているのです。そうした、兵器の性能変化に対応する形で、新たな革新的戦術が編み出されることは、そう不思議なことではないでしょう?後の歴史家がロンメル司令をどう評価するかは、私には分かりませんが、少なくともその評価の一つに、新戦術の開拓が含まれることは間違いないと思います」
そう言うと、悠陽は再度紅茶を口に含む。先ほどから喋りっぱなしであったため、喉の渇きがひどい。
東条を見れば、まだ半信半疑といった面持ちで、自分の考えに没頭している。どうやら、悠陽の考えをもとに、今までのロンメルの戦闘を再度洗いなおしているようだ。
しばらく黙って東条を見守っていた悠陽であったが、喉を湿らせた後、なおも話を続ける。
「もう一点、司令の戦術について考慮する必要がある問題があります」
自分の考えに没頭していた東条は、やや意表をつかれたような表情で顔を上げる。
「……まだ、何かあるのでしょうか?」
「ええ。……私の考えでは、ロンメル司令は、地上戦における光線級排除のためだけに、このような小部隊によるBETA集団突破戦術を考案したわけではないでしょう」
「……は?」
言われたことが理解できないという表情を浮かべる東条を見つめながら、悠陽は切り出す。
そう。ロンメルが第12大隊を創設した意図は、地上における光線級撃滅だけではないだろう。そのような当たり前の目的だけのために編成された、と考えるには、第12大隊の機動、戦術、訓練の全てが、異質すぎる。
いや、違うか、と悠陽は思う。第12大隊は異質なのではない。あまりにも、似すぎているのだ。悠陽直属の斯衛軍第25大隊と。両者のあらゆる点が似ているのであれば、答えは一つしかない。
そう考えながら、悠陽はなおも説明を続ける。
「ロンメル司令とて、このままでは北欧がいずれ陥落する、ということは誰よりもはっきりと認識しているでしょう。仮に現状を維持したとしても、ロヴァニエミ・ハイヴはフェイズ5、さらにはフェイズ6へと成長していきます。そうなっては、手遅れです。ですから、近い将来にハイヴを攻略する必要がどうしてもあります。これが、北欧をBETAに明け渡さないための絶対条件です」
いきなり、北欧戦線の現状についての説明に話が切り替わったために、目を白黒させる東条。その東条を見つめながら、悠陽は最大級の爆弾を投下する。
「恐らく、第12大隊は、大隊単独でのハイヴ攻略を念頭に置いて、特別に編成された部隊なのでしょう」
「は……?」
言われた内容が飲み込めないのだろうか。無理もない。かつての自分だって、信じられなかっただろう、と悠陽は思う。桜花作戦を知っているからこそ、思い至ったのだ。
そう、桜花作戦。ユーラシア全土での大規模陽動から始まり、カシュガル・ハイヴ内においても、国連軍および米軍による陽動が展開された後、国連軍二個中隊および横浜基地部隊ヴァルキリーズからなる本隊があ号標的に突撃する、という絶望的な作戦である。
その桜花作戦の記憶を参考に、大規模な陽動の後に大隊によるハイヴ攻略を目的として創設された第25大隊。それとよく似た機動、戦術を取るということは、つまりは目標が同じということに他ならない。
大隊による反応炉攻略を目的とするなら、地上でのBETA浸透突破、並びに大隊単独での光線級撃滅などは、ハイヴ攻略に向けたちょっとした予行演習といったところ。イルマのように、G弾にしか希望を見出せていない者もいることから、第12大隊の全員にこの目標を伝えられているのかどうかは怪しい。もしかすると、第12大隊は、ハイヴ突入部隊のメンバー選抜のための試験部隊なのかもしれない。だが、いずれにせよ、ロンメルと自分とでは、目指すところは同じはずだ、と悠陽は思う。
「ふっ、不可能です」
衝撃から回復したのであろう。東条が感情を露にして否定してくる。
それが当然だ、と悠陽は思う。こればかりは、恐らくはやって見せるまでは誰も信じまい。
「まあ、最終目標については、私の推測にすぎません。現段階では本国への報告に盛り込むわけにはいかないでしょう」
明らかに納得しかねている東条に、悠陽はそう告げる。
「ちなみに、これは部外秘なのですが、現在、御剣では、新型OSおよびCPUの開発が進められています。あくまでも開発段階にすぎませんが、これが完成すれば戦術機の機動が大幅に改善され、衛士の損耗率が大幅に低下すると予想されています。これを実戦配備した日には、ロンメル司令の戦術は、多くの戦線で実現可能なものになるでしょう」
それでも、大隊でのハイヴ攻略は無理だ、という東条のつぶやきが聞こえる。
現段階で東条が、少数によるハイヴ突入戦術の有用性を理解できないのは、悠陽にとっても想定の範囲内である。今回は、ロンメルの地上戦術を参謀本部にもきちんと伝えてくれればそれでよい。
今年末にも決行が予定されているスワラージ作戦。これを成功させれば、もはや誰も新戦術の有効性を疑問には思うまい。
今は革新のときである。BETAに対抗するために、戦術機関連を中心に、次々と技術革新が起こる。そして、それに対応するかのように、ロンメルを筆頭に有能な指揮官や参謀たちが次々と革新的な戦術を編み出し、戦線を維持している。その革新の頂点をなすのが、小部隊によるハイヴ攻略である。これが成功すれば、小部隊ごとの高機動戦の有機的連携を通じた戦線の構築、という機動戦がより広く受け入れられていくことであろう。そして、それによって対BETA戦争自体が、より動的なものになっていく。その意味で、新たな歴史発展の一つの中心をなすのが、ロンメルなのである。
温くなった紅茶を飲み干しながら、話しは終わったとばかりに、ヨンショーピング市の下調べを再開する悠陽であった。
第一部はここまでです。
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