全てが、震えた。



 すでに砕けたガラスが、さらに細かく砕け散る。ヒビの入った校舎がさらに深く罅入り、崩れていく。隣向こうの校舎のガラスさえ、全て砕け散った。木々が揺れ木の葉が落ちる。哀しむように風が哭く。


 そして吸血鬼が地に堕ちる。最早思考すら出来ないほどの、頭痛や激痛なんて言葉で表せないほどの、圧倒的な『破壊』。地面に墜落した痛みはほとんど感じなかったが、生温かい感触が背中に広がっていくのは感じた。



 ―――これが、私の末路か。



 星空を血に霞んだ目で見上げながら、エヴァは嘆息する。
 望まぬまま吸血鬼としての人生を歩み始め、死にたくない一心で強さを求め、闇の中に堕ちていった。狂って、曲がって、歪んで、捩じれて、折れて、挫けて、汚れて、間違えた、そんな人生。



 ふと、空に手を伸ばす。手は真っ赤に染まっていた。

(―――――私は。)

 いつからだろう。最強を名乗り始めたのは。いつからだろう。悪の誇りを謳い始めたのは。



 ―――――いつからだろう。私の胸に宿る、空っぽな虚無感に気付いたのは。



 誰からも畏怖され、何百という強者を破り、莫大な額の賞金首となり、誰ひとり知らぬ者の無い存在となった。ある男に敗れた。恋をした。思いもかけず、平和な学生生活を送ることとなった。ロボットの従者が出来た。男の息子が来た。ソイツと戦うことになった。
 しかし、それでも、満たされなかった。心の中の、空っぽな虚無感が。ずっとずっと、その正体を掴めぬまま、ただ深く大きく、心の中に広がっていった。



 ああ、でも――――ようやく、分かった。見たくもない私の鏡像が、教えてくれた。

(私は―――――死にたかったのか。)

 でも、少しスッとした。ずっと胸の中にぽっかり空いていた穴が、ようやくはっきり見えた。600年も生きてきたくせにそんな物を持つなんて、随分と女女しいことだ、と自嘲する。まあ、見えないままであるよりはずっといい。



 ―――このまま寝るとするか。



 上げていた手を下げ、ゆっくりと目をつぶろうとする。出来れば、目覚めは遅い方がいいな、と思った。



 そうして、眠りに着こうとして――――――――











 長谷川千雨の姿が、こちらを見下しながらその場を去ろうとする女の顔が、目に入った。











 途端に意識が覚醒する。全身が思い出したかのように激痛に苛まれる。
 立て。寝ている場合か。立ち上がれ。脳が命令を下すまでもなく、ふらつく足で立ち上がる。口から体から血が滴り、支える足がガクガクと震える。右目も右腕も使い物にならない。足は今にも折れそうで、戦うことはおろか、歩くことも出来ない。



 だが、まだだ。まだ、終わるわけにはいかない。
 今のエヴァを支えるのは、負けられないという使命感ではない。死にたくないという恐怖でもない。負けたくないという、渇望だった。

「――――――――――――――――――――!!」

 声にならない叫び。だが、千雨には届いていた。

「何だと?」

 千雨は驚愕する。転生して体のスペックもサックスの性能も落ちたとはいえ、まさかこの必殺の一撃を耐えきるとは、思いもよらなかった。とにかく、仕留めきれなかったのは痛手だ。すでに肺も酷使し過ぎた。



 エヴァが空を飛ぶ。一直線に千雨の許へ向かう。
 原型の無くなった校舎の2階。その廊下の先に、金色の光が見えた。エヴァはニヤリと笑い、さらに加速する。



 負けたくない、負けたくない、負けたくない!こんな気持ちになるのはいつぶりだろうか。心臓が鼓動を打つ。流れる血が、滴る血が、赤々と煌めいている。自動防御も解除して、残ったわずかな魔力の全てを高速飛行に費やす。



 そう、勝ちたいんだ。あの女に。
 人の身でありながら、魔法も気も越える力と技を持ち、私に匹敵する戦闘経験を持ち、私と同じような人生を歩んできた、あの女に。

「――――――――――――――!!」

 高速飛行で一直線に千雨の許へ向かう。が、またしてもエヴァを襲う、内臓を直接潰す感覚。考えなくとも分かる。衝撃波だ。臓腑から血がせり上がり、その感触だけで倒れそうになる。



 だが、倒れることは出来ない。次に倒れたら、決して立ち上がれない。
 エヴァは必死で血を飲み込んで体勢を保ち、地面に両足を着けた。そしてそのまま走り出す。魔力による身体強化も、両足と左手にしかかけていない。



 いくら血が出ても構わない。勝ちたいんだ。アイツに、勝ちたいんだ。



「ハハッ…ハハハハハハハ!!」



 何故だか笑いがこみ上げてきた。潰れそうな脚にさらに力を込め、速度を上げる。

 本当に何百年振りだろう?こんな気持ちになれるなんて。

 そうだ、別に、最強の名を守りたいがために勝ちたいんじゃない。ただ、純粋に、負けた くないだけだ。いや、最強なんて、もう2度と名乗ることはないだろう。




 ―――――いや、もう、そんな称号なんて一つも要らない。最強だの、誇りだの、そんな物に何の意味がある?地位も、名誉も、何一つ必要ない。


 この女に勝つ。それ以上の名誉が、誇りが、栄光が、あるはずがない。


 人が私につけた称号なんて、金輪際名乗りはしない。その代わり、たった一つの栄光を、生涯誇っていく。




 ―――――私は、音界の覇者に、勝利したのだと。




「ホォォン、フリィィィィィィィクゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 あと5メートル。左手に魔力を籠める。千雨の目を正面から見据える。衝撃波を打つために息を吸い込む暇は無い。千雨は銃を手に取る。


 ―――光に生きてみろ。



 エヴァの脳裏に蘇る言葉。今なら、笑って言い返すことが出来る。



 ―――クソ喰らえだ。今さらそんな物は望まん。



 もし光の中に生きていたら、コイツと出会えただろうか。コイツに、出会えなかったら。



 今、私は―――――。

「うぅおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 エヴァは最後の一歩を踏み出す。そして魔力を左手に集中させ、貫かんとする。千雨が、銃を突き付ける。



 そして。












































 漆黒の闇に包まれる麻帆良学園都市。混乱が渦を巻き、暗闇に人間の原初の恐怖が思い起こされる。



 ふと、小さな明かりが付いた。そこから連鎖するように、ぽつぽつと明かりが付き始める。それと共に、人々の恐怖も、混乱も、静かに収まっていった。



 広大な麻帆良学園都市の電力をカバーするには、非常用の予備電源だけではとても足りなかった。そこで、他の都市にある変電所に緊急要請し、電力を供給してもらったのである。かなり時間はかかってしまったが、それがようやく届いたのである。
 そして落ち着きを取り戻した人々は、また元の日常に戻っていく。









 崩れた校舎。コンクリートの瓦礫の山。折れた鉄筋。散らばるガラス片。
 街路灯が、つい数時間前まで多くの生徒たちで賑わっていた学び舎の無惨な亡骸を照らしていた。まるでその校舎だけ爆撃されたかのように、原型を留めていない。知らない人がみたら、解体工事中なのかと考えてしまうことだろう。



 そしてその2階に、彼女たちはいた。
 まるで抱き合っているかのように動かず、互いの荒い息だけが響いていた。



 エヴァの左手は千雨のサックスを貫いている。エヴァは腹部に銃口を突き付けられている。その銃口の先には、人差し指ほどの穴が空き、背中まで貫通していた。



 千雨の銃弾はエヴァが突き刺すよりも速くエヴァの腹を抉り貫いた。それも3発も。しかしエヴァは怯むことなく左手を突き出し、サックスを貫いて千雨の胸に到達した。

 が、その瞬間に麻帆良に電力が戻り、結界機能が回復したため、エヴァの魔力が再度封じられた。

 そしてエヴァの攻撃もそこで終わる。エヴァの左手は千雨の心臓を貫くに至らず、あと一歩のところで終わりを告げた。

 だが。あと一歩届かなかったエヴァの表情に、悔しさは見られない。

「……………なあ。」

 エヴァが掠れた声で呼び掛ける。返事はない。

「千雨と…呼んでも、いいか…?」

「………好きにしろよ。」

 千雨のぶっきらぼうな返答に、エヴァはそうか、と嬉しそうに顔をほころばせる。

「なぁ、千雨……。」

 エヴァは不思議と落ち着いていた。

 電力が戻り、結界の機能が回復した。すでにこの身は一人のか弱い少女。そして魔力が封じられたことで、無理やり抑えつけていた傷口が開き、大量の血が噴出した。すでに千雨とエヴァの足もとには、真っ赤な血の池が出来ている。内臓はほとんど潰れ、骨は砕けていない方が少ない。
 それでも、エヴァはまだ立っていた。

「私は………生きていた…か…?」

 血濡れた言葉で千雨に問いかけた。千雨は少し考える素振りを見せ、口を開いた。

「…ああ、ちゃんと生きてたよ。人間らしく、な。」

 それを聞いたエヴァは、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。



「そう、か…。ようやく…。」



 弱々しい心臓の鼓動。だが、エヴァがこれまで生きてきた中で、最も強い熱を帯びながら動いていた。



 エヴァは自分のまぶたが重くなっていくのを感じた。チャチャゼロと茶々丸には申し訳なかったかな、と思うが、二人ともまだ死んだわけではない。また戦う機会があるはずだ。



 ―――――そう、また主従3人で、この女に挑むとしよう。
 きっとそれが、自分にとっての、光なのだから。

「…ありがとう、千雨…。…次は、きっと…。」

 エヴァの体から力が抜けていく。最後に目を眩ませる黄金の光。
 次こそは、この黄金の光を―――――




 エヴァは笑みを浮かべたままゆっくりと、血溜まりの中に沈んでいった。



 エヴァが倒れた直後、大穴をあけられたサックスが、ガシャンと派手な音を立てて砕け落ちる。

 そして千雨自身も、胸を手で押さえながら、崩れかけた窓辺に体をよりかけた。荒い息を落ちつかせ、あちこちポケットをまさぐり、紙切れを出した。治癒符だ。ダイヤを依頼した時についでに頼んでおいたものだ。しかしエヴァとの激戦で、持ってきていたほとんどが破れてしまっていた。無事なのは3枚ほど。その内1枚を胸に当て、傷を癒す。



 そして右手に銃を持ち、崩れ落ちた校舎の外側へ向けた。

「…遅かったな、高畑先生。安全地帯から全部覗き見していた感想はどうだい?」

 校舎の崩れかけた場所に人が跳び乗ってきた。見慣れたひげ面、煙草の臭い。元担任の高畑・T・タカミチだった。厳しい視線で千雨を睨みつけているが、当の千雨はどこ吹く風だ。

「…僕が来るのが分かっていたのかい?」

「ああ、聞こえてた。随分焦ってたみたいだな?その割には衝撃超音波の余波喰らって気絶してたみたいだが。まだ頭痛が残ってるんじゃないか?」

 小馬鹿にしたような声で語りかける千雨。彼女がタカミチを下に見ているのは確実だった。タカミチは一層険しい表情をしながら、眼鏡をクイっと上げる。

「…僕の要求は一つだ。エヴァをこちらに引き渡してもらいたい。」

「いいぜ、持ってけよ。速くしないと手遅れになるかもな。」

 あっさりとエヴァを運んでいくことを認めた。呆気にとられるタカミチをチラッと見て、フンと鼻を鳴らして視線を外す。

「エヴァを見殺しにする気はもともと無かったくせに、呆けた面しやがって。お前らにとっての『最高戦力』をむざむざ見捨てるはずが無いしな。」

「でも君は、エヴァを殺そうとしてたんじゃ…!」

「ああ、殺すつもりだったよ?死ねばお前らの計画の長期的部分の一つが潰れるしな。ただ、殺さずに済ませられるんならそれに越したことはないよ。どの道、お前らの計画にエヴァが加担しなくなることには変わりない。」

「じゃあ…じゃあ君は、何のためにエヴァと殺し合ったっていうんだ!?」

「決まってるだろ、宣戦布告だよ。」

 突如、パンという乾いた音が響き、タカミチの頬の真横を掠めていった。最大限警戒していたはずのタカミチは、その警戒の網を容易く潜り抜けられたことに驚愕する。

(虚を突かれた…!?本当に一瞬の間も無かったはずなのに…!?)

 銃口を油断なく向け続けながら、千雨が立ち上がり、口を開く。

「たった今から、お前らは私の敵だ。私と、私の周りの平和を脅かすなら、慈悲なく容赦なく躊躇なく―――ぶっ殺す。」

 その言葉と共に放たれる、尋常ではないほどの殺気。エヴァと戦った直後の疲労状態でありながら、周囲の気温を一気に数度下げたかのように錯覚させた。



 そして千雨の言葉でタカミチも気付いた。千雨の意味することに。
 千雨の戦闘力はたった今、この学園最高戦力であるエヴァを凌ぐと証明された。その彼女が居る3−Aに何らかのちょっかいをかけるということは、エヴァ以上の脅威を相手にしなければならないということである。その脅威を抑えられるのはエヴァだけだが、今回の一件で、エヴァが学園側に付くことは無くなった。

 つまり、もし長谷川千雨を本格的に敵に回した時、彼女と戦える人間はいないのである。



 3−Aとネギ・スプリングフィールドを中心とした計画を進める限り、長谷川千雨はそれを力ずくで妨害する。それを止める術は存在しない。3−Aを一つのボールとするなら、それを触ろうとした途端、ボールの内側から針が飛び出し刺してくる。



 つまり、私たちに触れるな、そう言っているのだ。



 使い終わった治癒符を捨て、歩いて去っていく。その後ろ姿を見ながら、タカミチは声をかける。

「…君が何を警戒しているのか分からないし、君の言う計画が何を意味しているのかも僕は知らない。けど、これだけは言っておく。ネギ君やアスナ君には手を出すな。その時は、僕が君を殺しに行く。」

「…ハッ、白々しいことを。そんな大切な存在なら、平和に過ごさせてやれよ。10にもならないガキに、お前らの勝手な都合押しつけてんじゃねぇ。」

 そう言って振り向きもせずに千雨は去っていく。タカミチもエヴァを抱えて去った。後に残ったのは、瓦礫と血だまりと、サックスの残骸だけだった。





side 千雨



「痛ってぇ…。」

 胸を手で押さえ、ゆっくりと歩く。全身痛い。本当にギリギリの戦いだった。回避能力が時間を追うごとに上がってくれたから良かったようなものの、そうで なければ、人形一体倒せなかった自信がある。せっかく拵えた一張羅も、血まみれで傷だらけで台無しだ。眼鏡も戦闘中に落としたようだ。全然気付かなかった けど、多分エヴァも気付いていないだろうな。


 けどまあ―――スタートダッシュとしては上々だ。



 これで、学園側は下手な手出しは控えるはずだ。エヴァが学園の計画から抜けたのも、かなり大きい。最初の一歩としては、結構大きく踏み込めたと思う。



 あとはクラスメイトをどう魔法に巻き込まないようにしていくかだが…。それはのどかとも相談して行こう。下手に手を出せない分、搦め手で周囲から切り崩してきそうだから、警戒しないと。



 寮が見えてきた。玄関には明かりが付いている。
 そして、見慣れた親友の人影も見えた。

 ―――全く、ホントに、いい女だよなぁ。

 苦笑する。多分ずっとアイツには敵わないだろうな。見てたらますます喉が渇いてきた。
 小走りで寮の入り口まで駆ける。ドアを開けようとしたところで、やかんを温めていた彼女が、私の存在に気付き、動きを止める。
 ドアを開けた。のどかが、柔らかな笑みで出迎えてくれた。まぶたには光る物が浮かんでいた。私もつられて笑顔になる。

「ココア、出来てるかな?アンコールのし過ぎで、喉が渇いてるんだ。」

 私がそう言うと、のどかはちょっと顔をしかめた。両手を腰に据えて、口をへの字に曲げながら言う。

「その前に、言うことあるんじゃないですか?」

 ―――ああ、そりゃそうだ。散々心配させておいて、一言目が「喉渇いた」だもんな。そりゃ怒られる。




 それでは、真っ先に言うべき言葉を、真っ先に伝えるべき人間に。狂乱の今日を、この一言で締めるとしよう。






「―――ただいま。」



「―――お帰りなさい。」















(後書き)

 12話。もうやめて!校舎のライフはゼロよ!回。全ての被害を一身に受けてくれた校舎に黙祷を。



 てなわけで、エヴァ戦決着。本作の千雨は最強ですが、めっちゃ苦労しますし、めっちゃ傷つきます。肉体的にも精神的にも。TRIGUN本編のヴァッシュを思い浮かべてもらえたらいいかなー、ってな感じに。



 エヴァとの戦いは千雨有利でしたが、それは千雨がエヴァに、というか魔法使い全般に対して相性が良いからです。よっぽどの攻撃(銃弾を避けれる千雨バレイが避けれないような)じゃない限り当たりませんし、詠唱を必要とする魔法なら、一瞬でも途切れさせてしまえば問題ありません。後は衝撃波で何とかなります。ただ、一つだけ弱いジャンルがありますので、それは第2章で書きます。あんまりフィーチャーしないですけど。



 次回は第1章最終話です。明日更新。明るい展開は次回以降しばらく無いですので、ご注意あれ。



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