「ホレ嬢ちゃん。お待ちかねの新型だ。」

「サンキュ。」

修学旅行前日、放課後に楽器屋へ行き、改造し終わったサックスをもらいに行った。

 エヴァとの戦いの後、ぶっ壊れたサックスを持っていった時は、何か色々感情が入り混じった複雑な顔をされたが、最終的には「無事で帰って来てくれてよかった」と言ってくれた。

 

 で、今回は装甲面での強化をお願いし、ようやく今日完成したのだった。ちなみに新型には、長年使ってきたサックスを使用している。爺さん曰く、「これなら壊れるような使い方しなくなるだろう」とのこと。 イヤホントに申し訳ない。


すると、爺さんが物言いたげな目でこちらを見ていることに気が付いた。

「どうした?爺さん。」

「…いや、千雨嬢ちゃんよぅ…。せっかくの修学旅行にまで、ソイツが必要なのかい?」

爺さんのその言葉を聞いて、私も少しブルーになる。私だって、せっかくの修学旅行ぐらい、頭空っぽにして楽しみたかった。だが、自分やクラスメートに危険が迫っている以上、戦わざるを得ない。


―――結局私は、光の当たるところで生きていける人間ではないということなのだろう。

「…千雨嬢ちゃんが何をしてるのか知らねぇし、知る気も無ぇけどよ…。ホントにそれは、千雨嬢ちゃんがやらなきゃいけないことなのかい?」

爺さんが問いかける。愚問だ。これは、私がやらなければいけないことだ。

 別に贖罪のつもりはない。だが、道を踏み外して生きてきたこの私が、見過ごしていい話ではない。

「―――ああ。そのために生まれてきたのかも、とすら思えるよ。」

あいつらに、平和に生きている連中に、私と同じ人生を歩ませてはならない。
血の斑道を歩くのは、私だけでいい。





#16 Follow The Nightingale 





修学旅行当日。京都へ向かう新幹線内。
朝7時に駅前集合だったので、皆列車内では眠気に負けて京都までグッスリ寝るだろう、と考えていたのだが、甘かった。新幹線に乗ってからというもの、我らがクラスのテンションは右肩上がりだ。眠気を地の果てに置いてきたとしか思えないハイテンションっぷりである。


かく言う私が眠くてたまらないかと言うと、そうでもない。もともと毎日早朝トレーニングを行っているので、早起きには慣れっこだ。第一、寝てる時に天ヶ 崎に何か手出しされたら目も当てられない。そんなわけで、はしゃぐクラスメイト達を尻目に見つつ、自分の思考に没頭することにした。もちろん耳は澄ませたままで。


今回の修学旅行では、各班一人魔法関係者を付けることにした。私、楓、茶々丸、のどか、そして桜咲と龍宮である。

 龍宮は事前にある程度学園から教えられてるらしい。少なくとも、龍宮の持ち込んでいる武器の数(ギターケースの中から聞こえる)がそう語っている。しかし、敵が天ヶ崎千草だというのは知らされているのだろうか。

天ヶ崎千草の来歴を見た時は、この私でさえ、少なからずぞっとした。
ヤツの来歴は、10年ほど前に、独裁政府と革命軍が争い合う国の、革命軍に雇われた時から始まっている。

 

 ヤツの介入後、半年も経たず内乱は終わった―――政府・革命軍双方の壊滅をもって。


その後は酷いの一言に尽きる。井戸水に毒を入れる、暗殺のためにマンションの一室にRPGを撃ち込む、人質に爆弾を埋め込んでターゲットごと爆殺、一度に複数と契約を結ぶ、金で雇い主を裏切る、時には前金だけ持ち逃げ、逆に自分を裏切った組織は絶対殲滅。危なくなったら我先に逃げる。手段は問わず、裏切りは当たり前、自分の命を最優先に考え、その過程で罪なき人の命がいくつ失われようと構わない。多重契約を結び、一番自分に利益が出る方法を取る。

 これほど醜悪な外道はお目にかかったことがない。この女には、請けた仕事をきっちりこなすという道義すらないのだ。

 

 にもかかわらずこの女に依頼が来るのは、命と契約内容の保証さえすれば、確実に依頼を達成するから、ということに他ならない。その点では、悪魔の契約という言葉がしっくりくる。関西呪術協会もとんでもない女を仕入れてきたものだ。

…だが、たかが友好使節の妨害のために、天ヶ崎のような悪名高い、リスキーな女を使う必要があるのか―――?

考え事をしていたためか、ひざの上に乗せていたポーチがずり落ちた。運悪くチャックが開いていたため、いくつか中身がこぼれ落ちた。

「あ、こっちは私が拾っておくよ、長谷川さん。」

通路を挟んで向かいに座っていた村上が、落ちた中身を拾ってくれた。

「ああ、ありがとう、村上。」

「ううん気にしないで――――コレも長谷川さんの?」

村上が拾い上げたのは、白い手の平サイズのカードだった。傍目には、何も書いていない真っ白なメモ用紙にしか見えない。

「…ああ、そうだよ。」

村上が何となく聞きたそうな顔をしているが、詳しく話せるわけがない。魔法関係の話だし、レインとキスしたこと話さなきゃいけないし。


レインとの一件の次の日、エヴァにこのカードを見せたところ、おそらく仮契約カードで間違いない、と言われた。
おそらく、というのは、あくまでエヴァの状況判断だったから。エヴァ曰く、自分が知る仮契約カードとは全く違うそうだ。本来はもう少し大きく、タロット カードによく似た形で、何より白紙なんてあり得ないらしい。

 

 そして試しにエヴァから教えてもらった起動呪文―――来たれ(アデアット)―――を唱えてみたが、何も起こらなかった。

 レイン自身に聞くのが手っ取り早いだろうが、あれからレインに避けられてる。一度先回りして問いただそうとしたが、レインとの約束を破ることになると思ったので止めた。

 

 

 ―――約束。ふと、懐かしい思いにかられる。

 


(―――――そっか、もう、2年経つのか。)

2年前、寮に入った時にレインと同室になったあの日。私とレインが結んだ、仲直りの意味も込めた約束。


(私はあなたのこと、千雨って呼ぶ。だから―――――)


「あ、減速してきた。そろそろかな?」


 村上の言葉を裏付けるように、新幹線のアナウンスが聞こえてきた。もうすぐ京都だという。騒いでいたクラスメイト達も、三々五々下車の準備を始めている。私も支度をし始めたが、内心少しホッとしている。

(…新幹線内で何か仕掛けてくるかと思ったけど、盗聴器を仕掛けてた以外、結局何もしてこなかったな…。)

乗車してすぐに見つけ、偶然を装って取り外したそれは、砕いてトイレに流しておいた。それはすなわち、京都で待ち構える戦法に出ているということ。今から私たちは、敵の要塞の真っ只中に飛び込んでいくのも同然だ。


知らず口をついて出た溜め息は、修学旅行の幕開けには全くふさわしくないものだった。


side out





「何で新幹線内で何もしなかったの?」

京都市内にある、千草おススメの小料理屋での昼食に舌鼓を打ちながら、フェイトは千草に尋ねた。

「何でって…あんな密室状態の鉄の箱の中で何かしようっちゅう方がアホやろ。疑われやすいし、逃げ場無いし。何より意味あらへん。親書云々はウチらの管轄ちゃう。ウチらの仕事はあくまで、近衛木乃香の誘拐や。新幹線の中でそないなこと出来るか?」

「…まぁ普通は無理だよね。でもチグサなら出来そうな気もするけど。」

フェイトの言葉に、千草は眉をしかめて反論する。

「だからウチを何やと思うとんねん。世間がウチのこと何て言おうと自由やけどな、ウチかてか弱い一人の人間に過ぎまへん。ウチはあくまで、自分の手札から出せるカード出しとるだけや。万能兵器みたいに思われるんは困りますえ?」

今までもそういった認識を押し付けられてきたのだろう、千草は心底うんざりしたような表情を浮かべていた。フェイトはそれを興味深そうに聞いている。

「切れるカードしか切らない、といっても、チグサの手札の数は尋常じゃないだろう?今夜の計画を最初に聞いた時は舌を巻いたよ。いきなりあんな卓袱台返しみたいな作戦に出るとは、間違いなく誰も思わないだろうね。」

感情のこもらない平坦な声ではあるが、フェイトの言葉は、千草の立てた“策”を純粋に評価するものであった。この少年にしては珍しく、この悪辣非道極まる女性にただ付き従うことにしていた。

 しかし、そんな高い評価を受けながらも、千草の仏頂面は崩れず、むしろ不機嫌さが増したように見受けられた。

「あのな、フェイトはん。『間違いなく』なんてあらへんよ。所詮欠陥だらけの人間が作った策、100%はあらへん。不確定要素、身内のミス、情報不足、観察不足、落とし穴はどこにあるか分かりませんえ。ウチは成功確率なんて考えてまへん。常に失敗(ゼロ)成功(イチ)か、出来るだけ成功に近いものを選ぶ。それだけどす。」

「…全くその通りだね。すまなかった。こんな極東の地で、自らの未熟さを痛感することになるとは思わなかったよ。」

フェイトの感嘆の言葉を受け、初めて千草は満足げな笑みを浮かべた。

「良かったやないの。完熟したと思うたら、後は萎れるだけや。人間、死ぬギリギリまで熟し続けんとな。それが成長っちゅうもんや。」

淡々と高説を述べた後、千草は昼食に視線を戻し、また黙々と食べ始めた。フェイトも同じく昼食を続けることにしたが、ふと思い付いたことを尋ねてみることにした。

「そういえば、親書の件は協会の管轄らしいけど、何でそっちもチグサに任せなかったのかな?チグサの予想通りなら、事のついでには、ちょうどいいと思うけど。」

千草は昼食から顔をあげないまま、さもつまらなさそうに答えた。

「そらまぁ、あの老害共は面子だけで生きとるような連中やからな。全部ウチら任せなんは気に入らへんのやろ。一応作戦もあるらしいし。


―――それに、女子中学生を誘拐するよりは、9歳児攫う方が易いからなぁ。」





side 千雨


「これが噂の飛び降りるアレっ!」

「誰かっ!飛び降りれ!!」

「…余計なことするんじゃねぇぞ楓。」

「ハ…ハハハ…な、なんのことやら…。」

京都最初の目的地は清水寺。当然というべきか、クラスメイト達は清水の舞台に大はしゃぎだ。おかげで、誰かが口走った余計な一言に応えようとした楓の後頭部を、殺気を込めて掴みあげる羽目になった。楓もすぐに分かってくれたようで何よりだ。
頭を離すと、楓が後頭部をさすりながら、鳴滝姉妹の方へ近づいていく。近づきながら、こんなことを言った。

「…それで、怪しい者は居るでござるか?」

独り言としても認識されないような、非常に小さな声。しかし、私にとっては充分聞きやすい声量だ。周りの人間に一切気取られずに、違和感無く呟ける辺り、さすがは忍者だと感心する。


とは言っても、私が声で返すわけにはいかないので、つま先で舞台の床を6回叩いた。

 今のところ、私の聴力範囲内で捕捉出来る限りでは、間違いなくこちらを見張っている人物が6人。私たちの真後ろに3人、入口付近、出口付近、そして真下の音羽の滝に1名ずつ。

 そして盗み聞きした内容から、出口すぐのところにある地主神社と音羽の滝に罠を仕掛けているらしい。地主神社は縁結びの神様として知られている。耳年増な女子中学生なら確実に訪れるスポットだ。上手いこと考えたものだ。私に知られた時点で台無しだけど。

「茶々丸、お前この後地主神社行くのか?」

「―――ええ、行きましょうか。」

楓に聞こえる程度の声で茶々丸に呼び掛ける。茶々丸と楓はすぐにその意味を察知したようで、楓が素早くひっそりとその場を離脱した。地主神社に向かってくれたのだろう。さて、音羽の滝の方は―――

「…何を秘密の会話をしてるんだ、お前たち。」

後ろから呆れたような声がかかった。龍宮だ。

「ちょっとキナ臭いことがあるようでな。お前もある程度知らされてるんだろ?親書の件とか、関西なんたらのこととか。」

「…一応、一通りは。全く、せっかくの修学旅行に、そんな物騒な事情持ち込まないでほしいんだが…。」

意外だ。傭兵然とした龍宮が、学園長(やといぬし)に文句を言うとは。しかも今の口ぶりからすると、普段からあまり好印象は持っていなさそうだ。

「…しかも護衛で雇ったのが、天ヶ崎とタメを張れるほどの危険人物ときた。毒には毒をというが、都市一つ滅ぼせる戦力同士のぶつかり合いだなんて、とてもじゃないが私の手には負えないぞ?」

「愚痴るなよ。私だって面倒事はゴメンだ。そもそも危険だと分かってるんなら、修学旅行の行き先変更すればよかったのにな。」

「政治的な問題だろう。私はそういうのには一切関わらないことにしてる。金さえもらえればそれでいい。」

あくまで傭兵としてのスタンスを貫く龍宮は、プロ根性も座ってるし、いざという時頼れそうだなと思わせる。正直、少し心に余裕を持ちすぎてる気がするが、そうではなくて私が警戒し過ぎなのだろう。この世界なら龍宮の方が標準だ。かと言って警戒を緩める気はないが。


すると、龍宮が私の方を見てあからさまな溜め息をついた。

「…刹那が着いてきてくれていれば、もう少し楽になったはずなんだけどな…。」

「オイ、私のせいみたいに言うんじゃねぇよ。元はと言えば、お前らが私の忠告無視して襲ってきたのが原因だろうが。」

龍宮が何を言いたいのか察し、思わずカチンとなり、強い口調で言い返した。龍宮もやはりまだそのことに負い目を感じているのか、それ以上は口に出さなかった。

 あの待ち伏せと返り討ちは、完全にコイツらに非がある。私も多少やり過ぎたかもしれないが、事前に「容赦しねぇ」と言っておいたのだから、それ相応の報いであったと思っている。だから、別に桜咲に対して申し訳ない気持ちは一切抱いていない。


―――むしろ、あのぐらいで心が折れているなら。あの程度で、この修学旅行を休むほどに傷ついたのなら。いつ死ぬか分からない戦闘職などやめてしまえ、と思うのだ。

「お前と桜咲、同室だろ?私たちは急病だって聞いてるけど、そうなのか?」

今朝駅前での集合時に龍宮の口から聞いた、桜咲の欠席理由。ほぼ間違いなく嘘だろうが、聞いてみた。案の定龍宮は「違う」と返してきた。

「朝目覚めた時にはもう居なくてな…。机の上に書き置きだけ残してあった。まさか私にすら気付かれずに出ていくとはな…。最悪、もう麻帆良には戻ってこないかもしれん。」

龍宮が悔むような寂しがるような声で呟く。本当なら私も、クラスメイトが居なくなるかもしれないということを寂しがるべきなのかもしれないが、そんな気分には全くなれない。なぜなら―――


と、ここで視界に近衛が入った。出発時から、正確には桜咲の欠席を聞いた時から、何故か笑顔に陰りが見える。そこで思いだした。少し前にのどかが語っていたこと。近衛と桜咲が、幼馴染だということ。もしそれが確かなら―――

「…なあ龍宮。桜咲って、ひょっとして関西…いや、京都出身か?」

「?確かにそうだが…?……って、まさか!?」

私の言葉に何か気付いたのだろう、勢いよく後ろを振り返り、索敵を開始する。

 入口付近から私たちを見ていた影は消えているが、私の耳は誤魔化せない。龍宮が振り返った瞬間、素早くその場を退いた。退く前に舌打ちしたのも、バッチリ聞こえていた。龍宮も去っていく姿を捉えたのだろう。振り返ったまま茫然としている。


アイツは、駅前集合時からずっと物陰に隠れてこちらを見張っていた。龍宮にすら気付かせないその隠行は大したものだが、正直何がしたいのか分からないのでイライラしていた。

 だがここに至り、ある一つの予想が生まれた。

「…龍宮。最良と最悪、どっちの予想が聞きたい?」

「どちらも聞きたくない!」

こちらが言い切るより早く、コイツらしくない荒々しい口調で突っぱねた。私は何も言わず、先ほどまでこちらを見ていた(かおみしり)の音を探す。どうやら今は音羽の滝に居るようだ。


良い予想は、私たちを陰ながら見守り、護衛してくれている、という予想。
悪い予想は、アイツ―――桜咲刹那が、親書を狙う刺客であるという予想だ。


side out



千草とフェイトが一緒に昼ごはんを食べに行っている頃、環と栞、小太郎は月詠に餌を与えるため、ガシャガシャと籠を揺らして暴れる猛犬2匹を連れて歩いていた。無論3人の表情は優れない。下手すれば、自分たちもこの猛犬と同じ運命を辿るのだから。

「…というか、小太郎。アンタ、同属が餌になるのを間近で見て、何とも思わないの?」

「…そら思わんところが無いでもない…。けど、こうせえへんとワイらがとって喰われてまうかもしれへんのやから、しゃあないやろ…。」

栞言葉に小太郎は憮然となるも、言葉は次第に尻すぼみに小さくなっていった。環はそんな小太郎の頭をいつくしむように撫でる。

 この少年は確かに戦闘力は高いが、まだまだ子供でしかない。そして、「死」を間近に体験してしまっている。先日見た月詠の「食事」は、このいたいけな少年に深い傷跡を残した。 ひょっとしたら自分もあんな風に骸を晒すことになるかもしれない。そんな恐怖を内に抱えながら、なお折れず挫けず闘おうとする少年の強さは、とても眩しいものだった。

「大丈夫よ、いざとなったら、私たちがアンタを守ってあげるから。」


「ありがとう、栞姉ちゃん。けど、ワイも何かあったら、二人とも守ったるさかいな。」

環の暖かい言葉に恐怖心がほぐれたのか、小太郎もニッコリと笑いながら強がりを口にした。相変わらず籠の中の猛犬が五月蠅いが、二人はまるで実の姉弟の ように仲良さげに歩いていた。ちなみにこれは環と栞に限ったことではなく、調やフェイトも、小太郎を弟のように可愛がっている。


そして彼らは月詠が閉じ込められている部屋のドアの前に立った。ドアの向こうから漂ってくる血の臭いが、二人の鼻腔を蹂躙する。二人の緊張も否応なく増すが、不意に小太郎が怪訝な表情を浮かべた。

「…アレ?おかしいで。」

「どうしたのよ?」

「部屋の中から、月詠姉ちゃん本人のニオイがせえへんねん…。それに、いつもより血の臭いが薄いっちゅうか…、コレ…、風のニオイ?…いや、外の竹林のニオイちゃうか!?」

栞と環の顔色がさっと青くなり、顔を見合わせた。手に持つ籠を放し、互いに武器を構えながら、勢いよくドアを開け放つ。そして目の前の光景に、環の膝が崩れ落ちた。


床も、壁も、天井も、真っ赤な塗料で塗りたくられ、散らばる肉塊が吐き気を催す、悪夢そのものの惨状。

 しかし、二人にはそれが目に入らない。二人の視線の先にあるのは、破壊されて大穴が空いた壁。

 そこから覗く見事な竹林と、外へと伸びる血色の足跡。そこから容易に推察できる、たった一つの真実。

 月詠が、壊れた食人鬼が、脱走した。







side 千雨



「…ということは、刹那殿が敵のスパイの可能性がある、と?」

「あくまでも推測、それも最悪の、だがな。」

京都を一通り観て回り、一日目の宿泊先に着いたところで、荷物を置いて廊下で会議である。ちなみに茶々丸は、ハカセ達の簡易メンテナンスを受けている最中で、今ここにはいない。


やはり真っ先に話題になるのは桜咲のこと。

 結局今日は結局ずっと付け回してきていたが、この宿に近づいた辺りからぱったりと聞こえなくなった。雑音が多すぎて判別しづらいが、今もこの近くにはいなさそうだ。ついでにこの宿内に敵が潜んでいないことも確認済みである。

「…じゃあ今日の音羽の滝のアレも、桜咲さんが…?」

「…どうだろうな。」

のどかの疑問は当然だが、真偽を問うことは出来ない。桜咲のことは、あくまで状況判断でしかないのだ。


私たちは清光の舞台で桜咲を見かけた後、当然のように音羽の滝に向かったわけだが、なんと滝の水に酒が混入されていた。無論飲んだクラスメイトたちはそろってへべれけになり、難を逃れた私や神楽坂は、必死で酔いつぶれたクラスメイト達をバスまで連れていった。よく他の教師たちにばれなかったものだと思う。

 近くで私たちを見張っていた者の話から、敵が仕掛けた罠だと分かった。ついでに取っ捕まえたかったが、すぐに人混みに紛れていったので、追い掛けられなかった。


しかし、桜咲は直前まで滝の近くにいたが、騒動に気を取られている間に居なくなっていた。この時点でかなり怪しいが、あくまで何もしなかっただけだ。単に気付いていなかっただけの可能性もある。

 それに、あんな罠を仕掛けて何の意味があるというのか。親書を奪うための作戦だとは思えない。そして、関西呪術 協会の連中や桜咲自身が何を考えているのか分からない、というのが何より不気味だ。

 …ああ、クソッ、気持ち悪い。

「とりあえず親書はまだネギ先生の手の内にある…。早めに協会の長とやらに会って渡すのが賢明でござろうな。」

「無論だ。早ければ早いほど良い。―――だけど、そのためにはネギ先生たちを誘導しなきゃいけないんだよなぁ…。」

「そもそも、その協会がどこにあるのか分かってないですよね。迎えとかいないんでしょうか?」

うーん、と唸る。エヴァは知ってるかもしれないが、聞いたところでどうやって誘導したものか…、と考えていた、その時だった。

 



「お困りのようネ、長谷川さン♡」

 


妙に楽しげな、独特のイントネーションの混じった声が聞こえてきた。振り向いた先に立っていたのは、超鈴音。いつものように肉まんを勧めてくるような声と笑顔で、無邪気に手を振っている。

 しかし瞳の奥底では笑っていない。まるで戦場に赴く参謀のごとく。

「ネギ先生の道案内、私が請け負ってもいいヨ。
その代わり―――ちょっと話をしないカ、長谷川さン?」

side out





「…あと5分だね。」

フェイトが腕時計を見ながら、隣に立つ千草に話しかける。千草は何も言わず、煙草を吸い続けていた。フェイトも余計なことを言った気になったのか、言葉を続けることなく、視線を空中に彷徨わせていた。しかし程なくして、千草が口を開いた。

「…月詠の件やけど。」

「…確かに、かなり不味い事態だとは思うけど、しょうがないことだろう?」

「ああ、ウチは別に環はんたちを咎めようっちゅう気は無い。それは言うた通りや。使い様もあらへんかったし、むしろ厄介払い出来てちょうど良かったと思うとる。

 …ただ、脱走したっちゅうんが、どうにも腑に落ちひんねん。」

「それはそうだね。彼女が、ただで餌をくれるところを、無理やり脱走する理由がない。」

千草の言にフェイトも考えこむ。彼女の脱走という事実に目を奪われ、何故脱走したか、という理由に目がいかなかった。

「それに、作戦開始初日に抜け出すんも、何か都合よすぎる気がせぇへんか?何より、あの子が脱走したんは、ウチらが昼飯行っとる間―――コッチの最高戦力であるアンタがおらへんかった時や。タイミング良過ぎる。そんで、あのぶっ壊れに、そんな計算出来るとは思えへん。しかも昼飯やる前やったさかい、間違いなく空腹のはずや。せやのに、誰も襲われたっちゅうニュースがあらへんのは、どう考えてもおかしい。」

千草の月詠に対する評価は辛辣だったが、その推察には説得力があった。あの狂獣そのものの少女が、妨害のない隙を見計らって行動するなど考えられない。完全に正気を失って獣そのものになったという方が、まだ説得力がある。

「…じゃあ、誰かが手引きして逃がしたってことかい?でも、一体誰が…。」

「誰が、やない。何故、や。アレを逃がして、何の得があるんかっちゅう問題や。下手すれば逃がした途端、いただきますですえ?」

「…確かにね。」

千草の指摘通り、彼女を逃がしたところでメリットはほとんど無い。考えられる限り犯人は呪術協会の手の者だろうが、それをする理由が見当たらない。そもそも自分たちのアジトは、仲間内にしか知られていないはずなのに、どうやって見つけたのか―――


しかし、思考に没頭しかけたフェイトの頭を、千草がペシンと叩いた。

「どうせ使い様のない駒やったんや。考えるんは後回しでええ。それより―――時間ですえ?」

その言葉に慌てて腕時計を見る。時刻は18時59分30秒。作戦開始まで、後30秒だ。千草はすでに煙草を吸い終えている。栞も素早く意識を切り替え、目の前の建物を見る。


―――麻帆良学園女子中等部の修学旅行の、1日目の宿泊宿を。
千草の手元の無線機から、声が響く。

『―――こちらDogs。1番と2番、作戦位置にてスタンバイ。』

『―――こちらRing。1番、2番共にスタンバイ完了。』

「―――こちらWeed。スタンバイ了解。それでは、時刻確認を行う。」

千草が厳かに告げ、腕時計を確認する。秒針はチクリ、チクリと時を刻み、頂点に達しようとしていた。

「2、1―――時刻確認、19時。」

千草が静かな声をあげた。すでにここは戦場なのだと、言葉にすることなく告げていた。




 


「それでは―――状況を開始する。」




そして、悪魔の策謀が牙を剥く。



















≪今回の修学旅行の班分け表≫

1班:龍宮、朝倉、村上、那波、雪広
2班:長瀬、大河内、明石、和泉、佐々木
3班:長谷川、釘宮、椎名、柿崎、春日
4班:絡繰、超、葉加瀬、四葉、(エヴァ)
5班:宮崎、綾瀬、早乙女、鳴滝姉妹
6班:(桜咲)、近衛、神楽坂、ザジ、古、(相坂)

()内は欠席者。

 

 

 

 

 


(後書き)

 第16話。超さんが千雨を屋上に呼び出したようです回。この後キャットファ…もとい服が千切れ飛ぶ殴り合いの喧嘩に…!…いや、ならないですけどね。

 

 栞、調はともかく、環は書くの難しいです。何せ無口キャラなわけですから、台詞を書いて表現するっていう手法が取れないんですよね。にじファン掲載分でも出番与えられなかったし…。せっかく出してるわけですから、ちゃんと出番を与えてあげようと思います。

 

 気付かれた方もいらっしゃるかと思いますが、千雨たちと千草たちはそれぞれ依頼が違っています。千雨たちは親書の防衛、千草たちは木乃香の誘拐です。まぁこの辺もにじファンでは描写不足だったので、少し書きなおそうかなーと思ってます。

 

 サブタイはテイルズオブイノセンスOP「Follow The Nightingale」です。テイルズシリーズは藤島先生の絵の方が好きです。というか、ベルダンディーが好きです。当方今年で23になりますが、私が生まれた時から連載続けているんですぜ…?

 

 次回から雨草攻防戦第1ラウンド。色々ぶっ壊れます。ではまた次回!


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