Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第六話
『ほんの僅かな胎動』
「門が活発化している?」
体内のナノマシンの進行を少しだけ抑える薬をサレナに届けてもらったアキトは、彼女からの報告に珍しく驚きの声を上げた。
ちなみにこの薬は融機人の免疫力を高めるものをアルディラとサレナが独自に改良を加えたもので、これがなければアキトの身体はとっくの昔に機械と同 化しているはずだった。
「でもおかしくありませんか? 最近は稼働すらしなかったのに」
同様に話を聞いていたファリエルが不思議そうに首をかしげる。
彼女たちの言う門こと『喚起の門』は本来、誓約の儀式を経て1体ずつ召喚獣を喚ぶ召喚術をこの門そのものが召喚と誓約を同時に行い、一度に何十体も の召喚獣を喚び出すことが可能となるシステムを持ったものである。
しかし、そのシステム故に召喚師たちはこぞって自分のものにしようと争い、結果は知っての通りである。
「でも稼働しているのは確かです。何かが召喚されたのかどうか、そこまではわかりませんが……」
言葉を濁したサレナに対してアキトは、そんなことはないと首を振る。
「恐らくはアティの持っているハイネルの心『碧の賢帝』(シャルトス)……とかいったか? それの影 響だろう。
あれが戻ってきただけならともかく、アティはそれを使って何度か戦っている。その時に漏れだした魔力に喚起の門が感応して再び稼働したと考えてい い」
「ならすぐにあの剣をどうにかしないと……」
「わかっている。だが、あの剣はアティとほぼ同化してこの世界に召喚される。無理に引き剥がそうとすればアティの身体が負荷に耐えきれずに崩壊する 可能性もある」
「結局はあまり使用しないように彼女に言うしかありませんか」
完全に手詰まり。これ以上の対策は何一つ望めないため、この会話は一旦打ち切られた……はずだった。
「!? グ、ガ、アアアアァァァァァァァ!!」
突然アキトが胸を押さえて苦しみだしたのだ。それもただの苦しみ方ではない、まるで肉体そのものを何かに削り取られているかのような鈍くも鋭く、想 像をはるかに絶する地獄すら子供騙しに思える、そんな痛みがアキトの身体を襲っているのだ。
「マスター!!」
「アキトさん!!」
前のめりに倒れるアキトの身体を支える二人に聞こえるアキトの心音。それは今にも消えてしまいそうぐらいあまりにも弱々しく、吐き出すと息は不規則 で霞んでしまうほどに微弱。
「そんな!? ついさっき薬を飲んだばかりなのにどうして!!」
信じられないといった様子で泣き叫ぶファリエル。それはサレナとて同じだった。
アキトのこの苦しみ方は間違いなく体内のナノマシンによる浸食現象によるもの。
だがアキトはそれを抑えるための薬をつい先程服用したばかり。加えてナノマシンは一定以上の魔力に反応するためその魔力を無尽蔵に吸収する反魔水晶 の中にアキトはいる以上、浸食現象が進行することはまずあり得ない。
そしてこの能力があるためアキトが水晶渓谷から一切、外に出ようとしない――否、出られない理由でもあった。
「どうして浸食が……まさか!?」
しばしの間、原因を黙考して一つの結果に辿り着いたサレナが声を上げた。
そう、起こりえるとすれば余程強力な魔力をもった何かによる外的要因のみ。そして現状においてその可能性がもっとも高いもの。それは――
「「喚起の門!!」」
この島でこれほど影響力を及ぼすのはそれ一つしかない。それがなぜ起動していてどうしてサレナの監視網に引っかからなかったのか疑問は尽きることは ないが、今の二人にはそれよりも先に門を停止しなければならなかった。
手遅れとなってしまう前に。
「ファリエル! 私が直接門のところまで運びます!! 私はアルディラのところに!!」
「わかりました!!」
そこから二人の行動は実に迅速だった。
すぐさまブースターを具現化させたサレナがファリエルを抱きかかえて一気に飛ばす。門のすぐ手前、抜剣した状態で苦しんでいるアティとその様子を冷 たい笑顔で見下ろしているキュウマの姿。
「!? まさか門が暴走した原因は!!」
「そのようです! 一人でも大丈夫ですかファリエル!?」
「はい!!」
迷いのない言葉にサレナは頷き空中で一瞬の停止。そしてファリエルは自らを矢に見立てて空から降り立つ!
「ダメェェェ!!」
「は……っ!?」
ファリエルの声に正気を取り戻し抜剣状態から解放されたアティ。あまりにも長い時間、そして強制的に介入されたせいでかなりの体力を使い果たしてそ の場にへたりこむ。
「む!?」
「どういうつもりですか、キュウマさん。なんで、アティさんをここに連れてきたんですか!?」
「必要だったからです。彼女の力で、遺跡を復活させるために」
キュウマの言葉に目を鋭く、そして冷たい殺気を放つファリエル。それは今まで彼女が戦い以外に決して見せはしない、戦うためだけの戦闘状態に入った 証でもある。
「……わかっているのですか? 勝手に遺跡に触れるのは、貴方たち護人の間でも絶対に許されない掟のはずです。過去の過ちを……あの悲しみを繰り返 すつもりですか!?」
「全部、覚悟のうえだと言ったなら?」
前の帝国軍との一件以来、常に肌身離さず身につけている二本の愛刀の一方――小太刀ほどの長さの一本を逆手で身体の急所を護るように、野太刀ほどの 長さのもう一方を順手構えで上から振り下ろせるように構えてファリエルは剥き出しの殺気をキュウマへとぶつける。
こう書いていると彼女が好戦的のように思われるかもしれないが、彼女は決して戦闘が好きではない、むしろ嫌ってさえいるのだ。
だがアキトの身体の事を知らないとはいえ門の暴走によって生死の境を彷徨わせる原因を作り、決して触れてはならないと言われている喚起の門に触れさ せ、あまつさえ何も知らない人を巻き込もうとしているキュウマが何よりも許せなかった。
「貴方を……殺します!!」
「いいでしょう、ですがこちらもおめおめと殺されるわけにはいきません!」
野太刀と小太刀の半ばほどの長さを持つ刀を構えファリエルと対峙するキュウマ。
「あ、あの……二人とも、冗談はやめにしましょう?」
二人から放たれる殺気と安穏からはあまりにもほど遠い雰囲気をどうにか和らげようとするアティ。だが彼女の言葉は今の二人には届かない。
「ハアァァァァッ!!」
「破ッ!!」
限界まで高まった殺気がついにぶつかり合う。
先手を取ったのは、力が弱く小柄な身体故のスピードを活かしたヒットアンドアウェイによる一撃離脱を得意とするファリエル。
力不足を補うために彼女が捉える場所は急所となりえる位置のみ。
「せァ!!」 風を切り裂く音と共に、陽光に煌めく野太刀がキュウマの喉を突き殺さんと迫る。
「その程度など!!」
しかしキュウマとて護人を務めるほどの猛者。
視認出来るかどうかわからない白刃を、胴に迫る白刃を刀の峰で受け止め、喉に迫る白刃は皮一枚だけを斬らせて完全に躱しきる。
躱されたと脳が認識するよりも早くファリエルは喉を狙った剣を引き戻し、地面スレスレまでしゃがみこんで
「破ッ!!」
細くもしなやかな足が狙う先は無防備にさらされているキュウマの顎――!
「く!」
無理矢理身体をのけぞらせて顎に迫る脚を躱し、刀でファリエルの伸びきった脚を切り裂きにかかるが小太刀で防がれ、腹を滑らせるように刀の向きをず らす。
小回りの利く小太刀だからこその芸当。
そして蹴り上げる際に地面へ突き立てた野太刀を軸にした回し蹴りがキュウマの顔を捉える。
「ッ! やってくれますね!!」
「――」
キュウマの声に反応せず突き立てた剣を抜く力をそのまま使い後ろへと回転し、再び一切の隙もなく剣を構えるファリエル。そして口から流れ落ちる地を 拭って殺気をぶつけるキュウマ。
「疾ッ!」
腰の後ろにつけているホルスターから飛び出したのは忍びがよく使う飛び道具、手裏剣。それが八つ、ファリエルへと迫る。
――――キン
一拍だけ聞こえてきた甲高い音。そして地面に落ちる八つの金属。それはキュウマがファリエルと投擲した手裏剣。
ファリエルが振るった小太刀と野太刀があまりにも早く、それ故に本来なら聞こえるはずの八つの音が一拍となって聞こえたのだ。
けれど手裏剣を落とすために、彼女は一瞬だけキュウマから視線をはずしてしまった。
「!! いない!?」
すぐさま周囲を見渡すがそこにキュウマの姿はない。どこに? そう口に出そうとした瞬間、ファリエルは直感だけで横へと大きく飛び退く。
直後、彼女がいた場所を紅蓮の炎が降り注いだ。それは石造りの大地を易々と溶かしていきながら、その矛先をファリエルへと向ける。
迫る紅蓮の咆哮を大きくステップを踏み、あるいは走って躱しつつもファリエルは持ち前の動体視力をフル活動させて炎の出所を探る。
そして捉えた。宙に浮かぶキュウマの口から絶えることなく盛り続ける炎を。
何故キュウマが宙に浮いているのか。否、浮いているというのは語弊がある。彼は極細の糸の上に立っているだけなのだ。
キュウマはファリエルに手裏剣を投げつけるのと同時に宙へと飛び上がり、彼女を囲む石柱に糸を蜘蛛の巣のように張り巡らせただけ。
後は前述のように上から彼女に向かって自身の魔力を炎に変え、彼女に向かって吐き出した。ただ、あのタイミングで躱されたのは以外だったが。
(さすが黒百合殿の弟子をしておられるだけのことはある。されど、いつまで躱し続けられますかな)
ファリエルの実力に感嘆しつつも、先程より一層猛らせた炎が彼女を飲み込ませんと踊る。
さながら炎の龍を思わせる動きで情け容赦なく追い詰めていく。だが彼は気づいていない、ファリエルが薄っすらと笑い、彼を支えている糸の一本が切れ ていることに。
しばらく逃げ続けていたファリエルだったが、ついに石造りの際へと追い込まれてしまう。
「しまっ――」
(トドメです!)
キュウマが魔力を大きく練り上げ、文字通り必殺となる炎を吐き出そうとした瞬間、気づいた。
ファリエルの口が小さく歪み、笑っていることに。
(何を考え――)
そう思った時には全てが遅すぎた。突然感じる喪失感と右腿の鈍い熱。
それが何なのかを確認するよりも早く、キュウマは石造りの大地へと羽を失った蝶のようにあっけなく落ちた。
「ぐ――かは――――」
受身を取ったにもかかわらず、叩きつけられた衝撃で肺にたまっていた空気を吐き出し、練り上げていた魔力が全て霧散してしまう。
「私の、勝ちです」
所々服が焼け焦げているものの、五体満足のファリエルがキュウマの首筋に小太刀を当てる。
護人とそれに準ずる者の戦いの幕が、降ろされた瞬間であった。
「一つ、教えていただきたい。貴方は一体、何をしたんですか」
首に鋭利な刃物が当てられているにもかかわらず、穏やかな口調で問うキュウマ。
「簡単なことです。貴方が宙を浮いているのは何らかのトリックだということはすぐに見当がつきました。
それにいくら細くても太陽の光を反射した僅かな光まではごまかせません。私はその糸を貴方に気づかれないように切って無銘・野太刀に括りつけた。
後は追い詰められたように演出して、貴方が必殺の一撃を放つ間を狙って野太刀を放つ。周りから行けば他の糸を切りつつ貴方に迫れる。
結果は、もうわかっているはずですが?」
刃を立てた無銘・小太刀がキュウマの首の皮を斬り、赤い血が僅かに落ちる。そして右足には深々と突き刺さった無銘・野太刀が赤い水溜りを作ってい る。
完全にキュウマの敗北であった。
「ファリエルちゃん!!」
決着がついたことで一人だけ時が止まっていたアティがようやく動き出し、キュウマの背を足で押さえつけているファリエルに呼びかける。
「――ッ!?」
そして、振り返ったファリエルの瞳に息を呑んだ。
彼女の瞳には光が、生気が、感情が、その他全てが一切抜け落ちていた。それはまるで生きた傀儡、あるいは魂を失った肉体のよう。
アティを少しだけ見てキュウマの首を刈るために力を込めたその時だった、
「Gyshaaaaaaaaaaaaッ!!」
「Gyeeeeッ!!」
ソレは唐突に姿を現した。
大きく発達した巨大な牙、一度でも喰らいつけば決して離すことのない強靭な顎、あらゆる攻撃を通さない外殻、迅速な行動を可能にした三対六本の足。
「な、なんなの……これは!?」
「あ、あれ……私は…………」
ソレの異様な姿に畏怖の声を上げたアティ。その声がファリエルの我を取り戻させたのは不幸中の幸いといったところだろう。
「Gysaaaッ!!」
「え、な、何ですかこの虫は!?」
「わかりません。ですが……来ます!」
ひどく興奮しているソレ――本来の何倍、いや何十倍はろうかという巨大な蟻が六体。その全てがアティたちを敵と区別し己の武器、牙を震い上げて三人 へと迫る。
「とにかく!! 今はあの蟻みたいな虫を何とかしましょう!」
「あ、はい!!」
しばしの間呆然としていたファリエル、右足を貫かれて満身創痍のキュウマを置いてアティが召喚術で先制をとる。
「タケシー!!」
紫色の石が眩い光を放ち、黄色い体に紫の隈取りをしたような霊界の召喚獣タケシーの雷が一匹の蟻に落ちた。
いい感じでこんがりと焼ける蟻。周囲に肉の焦げた匂いが漂うけれど状況が状況、タケシーを送還したアティは続けて小さな癒しの天使を喚びだす。
「キュウマさんの傷を、お願いねピコリット」
小さく頷いて天使の放った不思議な色の光がキュウマの体を包み込み、一番重傷だった右腿の傷が見る見るうちに塞がり、小さな刀傷が残るだけとなって いた。
「ファリエル殿、これを!!」
傷が治るより少し前に抜いた無銘・野太刀をファリエルへと投げ渡す。
この場所に来てしばらくしてからの記憶がぽっかりと抜け落ちているファリエル。どうしてキュウマさんが? と疑問に思ったが目の前にいる敵に神経を 集中させるために、その考えを頭の中から追い払う。
「Gsya!!」
「Giaaa!!」
二匹の蟻が牙を広げて一斉にファリエルと飛び掛るが、護人であるキュウマですらいなしたファリエルでは相手が悪すぎた。
元々、虫の強固な外殻が覆っているのは敵に晒す表側のみ。獲物を咀嚼し、消化液を出す体内は柔らかい。
故に野太刀と小太刀を口から突っ込まれてしまっては、なす術など何もない。
「破ッ!」
そのまま真っ二つに斬り裂かれて、石の大地に崩れ落ちた。
「アティ殿! ファリエル殿! 下がってください!!」
叫ぶキュウマに従って二人は大きく飛び上がり、
「火遁・炎龍葬!!」
ついさっきファリエルを襲った炎の龍が鎌首をもたげ、牙を剥き出しにして生き残っていた三匹を喰らい尽くした。
龍が通った後には虫の姿はなく、僅かな焦げ跡だけがそこに何かがいた痕跡を示していた。
「な、何だったんですかこの虫は……?」
「わかりません。ですが、何らかの異常が発生したのは確かでしょう。集いの泉にいて他の皆に相談をいたしますので、アティ殿もファリエル殿も共に」
キュウマに従って二人は集いの泉を目指す。その道中、ファリエルはずっと心ここにあらずだった。
「こいつはジルゴーダっつてな、メイトルパの言葉で『食い破る者』って意味だ。
本来は辺境に生息している虫の魔獣なんだが興奮状態になるとその鋭い牙で周囲のものを噛み砕いて回る、それも手当たり次第にな。しかも、その興奮は 仲間へと伝染して回るから最悪よ」
集いの泉に集まった護人とカイル一家の面々――アキトとサレナ、そしてファリエルの姿は見当たらないが――にファリエルたちが遭遇した虫について説 明するヤッファ。
喚起の門から突然に現れた虫が恐らく幻獣界の召喚獣ではないか、ということをアティが推測立て、サンプルとしてまだ原型を留めていた一匹を持って ヤッファの元を訪れた結果が、これだった。
「ったく冗談じゃねえぜ。よりもよってジルコーダとはな」
「そんなに大変なんですか? そのジルコーダというのは」
「ったりめえだ。こいつらはその性質も悪けりゃ増え方もエサの食い方も最悪なんだよ。ジルコーダってのはな、エサとなる植物が存在する限りいくらで も増えやがる、そのエサがこの島に大量にあるってことは」
「奴らにとってここは最高のエサ場ということよ。それを防ぐためにも貴方たちみんなの力を貸してもらいたいの」
「構わねえぜ。俺らにとっても他人事じゃねえしな」
アルディラの願いに当然だと胸をたたくカイル。他の面々も頷いて答える。
そんな中、一家の頭脳役とも言えるヤードが内に抱えていた疑問をぶつける。
「ですが、相手は魔獣。人間である私たちが太刀打ちできるかどうか」
「わかっています。そのために、我らから武器を提供いたします。受け取ってください」
護人から手渡された武器の感触を確かめつつも、自分が手渡されたものに一番喜んでいるソノラ。
黒く鈍く無骨な輝きを放つ銃身。持ち手にぴったりとフィットするグリップ。あまり使われていないにもかかわらず漂ってくる硝煙の香り。
「これって、銃!?」
「場合が場合だしね、それに貴方たちなら間違いを起こすこともないでしょうから」
「うんうんっ♪ もぉ、バンバンに張り切っちゃうから!」
文字通り太陽の笑みを浮かべて銃をホルスターにしまうソノラ。背中に背負ったテンガロンハットも相まってか、西部劇に出てくるガンマンを彷彿とさせ るその姿に笑顔を浮かべる面々。
「巣のある場所はサレナが発見している。準備が終わり次第ここに集合だ」
ヤッファの解散の号令で各々が準備にとりかかった。
一方、狭間の領域ではジルコーダ退治とはまったく関係ない緊張感が漂っていた。
緊張感を出しているのは二人の女性。彼女たちが心配そうに見ているのは一人の男の寝姿。
「どう――なんですかサレナさん。アキトさんの様子は」
「大分安定してきました。門の方も今まで通り休止状態に入ったようなので、これ以上マスターの身体が侵される心配はないと思っていいでしょう」
「よかった……」
サレナの言葉に張りつめていた緊張の糸が解けてようやく安堵のため息を吐くファリエル。
アティが抜剣状態から解放された途端に喚起の門が稼働を止めたため、もしかしたらと思ってジルコーダのサンプルをヤッファに預けてすぐに彼女はここ に帰って来たのだ。
けれど帰って来て見たのは未だに昏睡状態のままで眠り続けているアキトの姿だった。
まさかこのまま意識が戻らないとうろたえていたところにジルコーダの巣を探していたサレナが戻ってきて尋ねたところ、さっきの言葉が返ってきたとい うわけだ。
「でもマスターの意識が戻ってくるまで予断は許しません」
「そんな――」
胸が規則正しく上下していることからまだ生きていることはわかる。けれど未だに眠り続けているその姿は本当に生きているのかどうかまったくわからな いほどあまりにも儚くて脆い。
もしかしたらこのまま目を覚まさずに死んでしまうのではないのか――そんな不安がよぎってしまうが、そんなことはないと小さく頭を振って無理矢理そ の考えを追い出す。
「? どうしましたファリエル」
「あ……なんでも、ないんです」
そう言うファリエルだが無理をしているのが誰の目から見ても明らかなほど顔色はあまり良くない。
「……大丈夫、マスターは必ず起きますよ。またいつものように時折笑ってこの島を護ってくれます。そう、信じましょう」
「そう……ですよね。私も信じます」
慈母のような笑みで優しく言うサレナ。それにつられるような形でファリエルも笑う。
まだ多少曇った感じはあるものの、先程までの悲嘆にくれたものではなかった。
アキトの体が目に見えて安定し、もう大丈夫なようなので安静にさせる意味を込めて二人は水晶渓谷を離れ、異教の水辺近くに備えてある椅子に腰掛け る。
「――それでファリエル、例の件はどうなりました?」
さっきまでとはまた違う緊張感――というよりも昏い殺気が――が二人の間を支配する。
もっとも、それすらほんの一瞬のことで殺気を生み出した当の本人は何でもないように笑う。
「それはアティ先生が気にしないということでお流れです。私も本人がそう言うなら、と思って他の皆さんには話していません。
一応、事情を知っている義姉さんには言っておきましたけどね」
「そう……ですか」
本当に何でもない風に言うファリエルに、これ以上聞くのも気が引けたサレナは押し黙る。
「あ、しっぽさんにお団子さん。やっと見つけたのです」
また言いようのない沈黙が漂いだした頃、異教の水辺に幼くて元気な声が響く。
「マルルゥ?」
「どうしたんですかマルルゥ。私たちの所に来るなんで珍しい」
「実はですねーシマシマさんに言われて宴会の準備をしようと思ったんですけど、マルルゥ宴会のことよく知らないのですよー。
だからしっぽさんやお団子さんに教えてもらおうと思ったのですー」
にこにこと笑うマルルゥの言葉に目をぱちくりさせて互いに向き合い、はて? と一緒に首をかしげあう。
二人とも、あのヤッファが宴会の準備をしとけーとか言うようにまったく見えないと思っているための疑問であった。
まさかマルルゥを慰めるために言ったとは、彼を知る者には到底想像の出来ないことなのだ。
「私も宴会っていうのは知らないんですけど、何なんですかサレナさん」
「宴会というのはですね」
どこからか取り出した眼鏡を装備し、某説明おば……ゲフン、おねえさんのように二人に宴会について説明を始めるサレナ。ちなみにホワイトボートも セットで登場。
いきなり登場した説明道具一式に驚く二人。どこから取り出したのか聞きたいところだが、何か怖い答えが返ってきそうなので黙って聞くことにした。
「酒盛りとも言ってお酒を飲んだりして楽しく食事をすることで他にもお鍋をつついたりもするんです。
主に大人数で食事をする時や、祝い事なんかをする時には宴会を開いたりすんですよ?」
そうなのですかーとマルルゥ。ファリエルも思っていたよりも楽しそうなものを想像し、頬を緩めている。
「宴会って楽しそうなのです。マルルゥ、頑張っちゃいますから!!」
「ミスミ様やジャキーニさんから材料を分けてもらいましょう。後は魚でも釣って色んな種類が食べれるようにしましょうか」
「それじゃあ魚は私が釣ってきます。マルルゥとサレナさんは鍋と野菜やお肉をお願いしますね」
彼女はファリエルがひどく冷酷な笑みでキュウマに重傷を負わせ、命を刈り取ろうとしたことを見ていたのだ。
まるで、何かに操られているかのように生気のこもっていないファリエルの瞳に、サレナですら思わず肩を抱いて恐怖に震えていた。
そのことをファリエルが悩んでいたら――そう思っていたが杞憂に終わってほっとしていた。
「はいです!!」
「わかりました。今回は私も腕によりをかけてお料理をさせてもらいます」
「しっぽさんが作ってくれるんですか? マルルゥ楽しみです♪」
瞬間、世界の時が止まった。
アティから貰った釣り道具一式を持って海に向かおうとしていたファリエルが、まるで油の切れたロボットのようにゆっくりとサレナへと向き直る。
彼女は額と言わず全身から滝のように汗が――それも冷や汗と脂汗が絶妙に混ざり合った――流れ落ちていた。
「あ……あの、サレナ、さん? それは、サレナさんが、料理を、作る、ということ、ですか?」
うまく呂律の回らないファリエルに、当然ですと頷いて答えるサレナ。
「サレナさんはアキトさんの看病で疲れているでしょう!? だからここは休んでいて構いませんから!!」
「? いえ、私は別に疲労はしていませんし……それに門へ向かったファリエルの方が疲れているんじゃないですか?」
「そうですよ。マルルゥ、しっぽさんが作ってくれるお鍋とっても楽しみです」
「駄目です拒否です反対です。お願いですから料理をしなくていいんです。いいですね!?」
ファリエルの鬼気迫るものに気圧され、渋々ではあったが料理をすることを諦めて材料調達に向かうサレナとマルルゥ。
その後ろでは流れ落ちた汗を拭いつつ、ほっとしているファリエルの姿。
どうしてファリエルがこんなことをしたのかというと、実は完璧超人かと思われたサレナは料理がもの凄く下手なのだ。
その技能は某機動戦艦の艦長と通信士を足して倍にして二乗してもなお足りない、そんな腕前。
一度だけサレナが料理を作ったことがあるのだが、それは既に料理の範疇を超えた全く別の新しい生命体へと究極進化を遂げていた。
それ以来、サレナにだけは料理を作らせてはいけないというルールが出来たのだった。
ちなみに、その時はアキト一人が犠牲になったお陰で助かったらしい。
『あれ? おかしいな、死んだはずの父さんや母さん、それに爬虫類顔が……ああそうか、俺もすぐにそっちに逝くんだな』
なんてうわ言を一週間以上繰り返していたアキトに、全員が心の中で冥福を祈っていたのは余談である。
ま、そんなわけでサレナの料理は見た目もさることながら味も凄い。
また、マルルゥが喜んでいたのは彼女が作った料理を見たことがないからだった。
後にこのことを聞いた護人たちや鬼姫からは泣いて感謝されたらしい。
んでもって夜。
ジルコーダ退治を無事に終えたアティ一行を迎えたのは、色取り取りの鮮やかで旨そうな匂いを出している鍋、鍋、鍋。
一個は魚を中心としたあっさり系の鍋。一個は肉を中心としたこってり系の鍋。一個は野菜を中心としたさっぱり系の鍋。
見ているだけでもそれらが美味そうなのは明らかだった。
「みなさーん!」
「マルルゥ、迎えに来てくれたの?」
「はいですよー。マルルゥ、皆さんと一緒に宴会の用意をして待っていたのです」
「皆さん?」
はて、と首をかしげるアティたち。
「おーいマルルゥ! はようせんとせっかくの鍋が冷めてしまうぞー!!」
『ミスミさま!?』
何故か鍋をつつき火の番をしているミスミ登場に驚くキュウマ他一同。
鬼妖界の最重鎮とも呼べる人(?)が、まさかこんなところで鍋をつつきつつ火を見ているなど誰が想像できるだろうか。
「ほれほれ、いつまでもそのようなところで固まっておらぬとはよう来ぬか」
「さあさあ、先生さんもシマシマさんも行くですよー!」
「あ、ちょ、ちょっと!?」
「だぁーっ! てめ、耳をひっぱるなってててて」
早く早くとアティの袖、ヤッファの耳を引っ張っていくマルルゥ。
その後ろを長かった戦闘で腹を空かした一同がついていく。
ちなみに、ファリエルやミスミにオウキーニの作った鍋はすこぶる盛況で、空っぽになるまで全員ががっついていた。
ここは静かなる場所。
人にあらざる者たちが住まう地で唯一、人に近しい存在が住まう場所。
其処に人が一人。泣いていたのだろう、目が充血し頬には涙の通った筋が見て取れる。
「……そうか、そんなことがあったのか」
抑揚のない男の声。けれど、言葉の端々に渦中の人を気遣う心が取れる。
「私は、どうしたんでしょうか」
「わからない。だがそれほど気に病むことではないだろう」
「え?」
男の言葉に俯いていた女が顔を上げる。そこには無表情のようで、よほど親しい者にしかわからない笑みを浮かべた男の顔。
「過程はどうあれ、ファリエルはそれが怖いと思った。嫌だと思った。
そのまま訳のわからないものに囚われて力を振るうならばともかく、その心があれば飲み込まれてもすぐに戻ってこれる。
それにだ、ファリエルは殺したわけではないのだろう? つまり、まだ引き返せるところにいるということだ」
男がくしゃっと髪を撫でた。
「でも……」
男の言いたいことがわかっている、けれど心がどうしても納得していなかった。
「だったら――」
男は静かに、決意を込めて言い放った。
「またそうなった時は俺が止めてみせる。絶対にだ」
(壊れるのは、手を血に染めるのは、俺一人だけで十分だ)
心にもう一つの思いを秘めて。
あとがき〜
これ書き終えたので、特機大戦に精を出そうかと画策している火炎煉獄です。
今回はシリアスが少ないかな? と思ってます。
とあるサイトで書かれていたことなのですが、キャラクターには必ず欠点を持たせよ。とのこと。
これは確かに、ということで出来たのが王道中の王道、料理が壊滅的に下 手!!
………………………萌え(爆)