Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第七話
『悲しきすれ違い』
「――っく、まさか私がこんな単純なミスを犯してしまうとは」
負傷したのだろうか、右足を押さえて苦悶の表情をした女性が言う。
彼女が見上げた先には何十mはあろうかという切り立った崖。どうやら彼女はここから落ちてしまったらしい。
見れば彼女が押さえている右足が腫れて赤黒く変色している。自身の経験からかなりの重傷の可能性が高いことを知っていた。
「私も……ここまでなのか? 与えられた任務も満足にこなせず、こんなところで――」
どうしてこうなってたのか、彼女はここに至るまでを我知らず思い出していた。
そうやって、貴様はいつも、笑うことで全てを曖昧に終わらせようとする……だがな、私は絶対に認めたりはしないぞ!
こんな形で……こんな理不尽な結末を認めるものか……っ絶対に認めない!!
それは今となっては懐かしい記憶。
彼女がまだ軍人だったころの、彼女をライバルと一方的に見ていたころの、彼女のことを友だと思っていたころの。
「……何故、今頃になってあのころのことを」
誰かに聞かせるわけでも、自分に聞かせるわけでもなく、ぽつりと漏れた言葉。
最近の出来事のはずなのに、何故か遠い昔のように思えるあの日のこと。
「やはりここでお前に出会ったからか?」
常に主席を目指していた彼女にとって、いつまでも越えることの出来なかった巨大な壁。
けれど彼女はどこにでもいるような心優しい女性で、根っからの軍人である彼女とはさながら水と油。出会えばいつも対立していたのだ。
それでも、それでも彼女にとっては新鮮な感じだった。
多くの軍人を輩出する家に生まれた彼女は、当然のように軍人となって上を目指した。
上に立つ者としての技量、才能を兼ね備え、それに慢心することなく努力を惜しむことはなかった。
だが、惜しむらくは彼女が女性であったこと。
軍で上に立つ者は古来より男である。どこかそんな意識があったため、女である彼女は様々な感情の混ざった目で見られていた。
彼女を純粋に慕う者たちの尊敬の目、彼女の能力を羨む者たちの嫉妬の目、教官に媚びを売って上にいるのでは嘲り笑う者たちの侮蔑の目。
居心地が良いなんて思えない日々。そんな中で、彼女だけはまったく違っていた。
始まりは試験で負けたこと。一位を取れると思っていたそれは――
一位、アティ・キャロル
二位、アズリア・レヴィノス
――という結果に終わっていた。
それが全ての始まり。
初めはただの道を阻む邪魔者としか思っていなかった。
ついでに言うと体のとある一点が、彼女を敵対視するほんの少し原因でもあった。
けれど多くの時間を共にするようになるにつれて、彼女の心の中では敵対心以外の感情が芽生え始めていた。
それが友情というものだということに気づくのに、それほど時間はかからなかった。
のんびりとしていたどこか抜けたところのある彼女と、常にぴりっとして真面目一辺倒の彼、誰がみてもでこぼこコンビだったが二人とも仲が良かった。
「私はお前がいたからこそあそこまでやれたというのに、お前は――」
その時のことを思い出したらしく、見るからに怒りの表情を作っている。
ただその顔が怒りのみかと言われればさにあらず。どこか悲しさと虚しさ、それに寂しさが感じられる表情をしている。
たった一人の心許せる友が去っていった彼女の心情、その友とこんな辺境の地で、それも敵となって再会した彼女の心情はあまりにも不安定。
けれど彼女に泣き言を言っている暇はない。
「隊長」
簡易ではあるがしっかりとした造りになっているテントの外、そこから彼女の腹心の部下が呼ぶ声に彼女は過去の思い出をすぐに振り払う。
「ギャレオか。もうすぐ出る」
今の彼女の肩書きは帝国海軍第六部隊隊長。
二本の剣を護衛する任務の最中、突如として発生した嵐に巻き込まれてこの島に辿り着いた軍人たちを纏める立場にある。
そういえば聞こえはいいが、実際はただの厄介払いのようなもの。彼女の部下達は皆、何らかの理由で上と対立したり任務を行わなかったりした問題児ば かりなのだ。
だが彼女はそのことにふてくされることなく、その持って生まれたカリスマ性と同年の男を超える強さから着々と任務をこなしてきた。
結果、問題児たちは段々と彼女のことを認めだし、今では一部を除いてほとんどの者達が彼女を慕っている。
彼女はまだ寝惚けている顔をいつもの冷徹な表情に変え、とても年頃の女性が着用するとは思えない寝巻きを脱ぎ捨てて着慣れた軍服に着替えてテントの 外へと出る。
久方ぶりに拝む太陽に少し目を細め、彼女は各々の武器の手入れをしている部下達の間を歩いていく。
皆、少し疲れた顔をしているがまだまだ覇気がある。
伊達に厄介者扱いを受けた者たちではない。彼女の部下は皆、実力がある。ただ上と馬が合わなかっただけ。
「お、おはようございます隊長」
「ああ」
実に素っ気無いが部下達は気にした様子もない。
彼女が無愛想なのはいつものことなのだ。部下達もそれがわかっているからこそ、何も言わずにまた軽く言葉を返す。
部下達との挨拶もそこそこに、彼女は簡素な朝食を済ませて愛刀を腰に下げる。
「ギャレオ、後のことは頼んだぞ」
「はっ。しかし隊長、本当にお一人で行かれるおつもりですか?」
ここのところの激務で疲れているであろう彼女を、心底心配しているギャレオ。
彼女がこれから向かうのははぐれが多く生息する島。今でも何度か交戦しているだけにギャレオが心配するのももっともである。
「当然だ。一人のほうが身軽でいい」
そんなギャレオにそれだけを返し、彼女は一人で森の中へと足を向ける。
これから行うのは戦場となるこの島を調べ上げること。
自らの足で土地の隆起を、自らの手で木々の一本一本を、その他あらゆる器官を使って念入りに調べるのだ。
それが彼女のやり方。後方で何も知らずに指示を出す指揮官ではなく、自らが前線に赴いて戦場を把握した上で指示を出す。
指揮官としてはあまり誉められたものではないかもしれないが、こんな彼女だからこそ多くの部下達が彼女に従っている。
「ギャレオ、お前に一つ頼みたいことがある」
「はっ、隊長の命とあらば何でも引き受けます!」
相変わらず実直な右腕の男に軽く苦笑して、彼女は真剣な面持ちで言い放った。
「ビジュを見張っていてくれ」
近頃名前も知らない男と彼女の親友に対し、異常とも言えるほどの復讐の念を抱いている部下の一人が暴走しないようにと。
復讐心は人を容易く変えることが出来る。それこそ、本人が持ちえる力の限界を超えた力を与えることだってある。
彼女はそんな人を何度か見たことがある。だからこそ、自分の部下である以上に一人の人間としてこれ以上暴走しないように言ったのだ。
「……わかりました。お気をつけて!」
ビジュの名が出て少し難しい顔をするギャレオだったが、自身が敬愛する人の命であるために素直に頷き、彼女を見送った。
それから彼女は島を歩き回った。歩いたところの地形は全て頭に叩き込み、あるいは地図へと書き込んでいく。
そうしている内に彼女は辿り着いた。
木の根元に腰を下ろし、すやすやと安らかな寝息をたてているアティのいる場所に。
これにはさすがの彼女も驚いた。誰だろうとこんなところで自分のターゲットがいるとは思わない。
「まったく、こいつはいつだってそうだ」
戦場であるはずの場で暢気に眠りこけているアティを見下ろす。
話し合いで全てが解決できると思っている、誰もが鼻で笑うようなことをアティは信じていることは彼女も知っている。
その話を、理想を、何度も聞かされたがために。
「いつも言っているだろうアティ。話し合いで全てが解決するのなら、軍隊など必要ないではないか。
世の中の全ての人間がそんな理想を、本気で信じられるはずがない」
僅かな刃鳴りをさせて愛刀を抜き、未だ眠り続けているアティの喉元に切っ先を突きつける。
今なら確実にアティから剣を奪い取れる絶好の好機と思うだろうが彼女は実直で誠実な人。寝込みを襲うなどということはしない。
それに眠っているとはいえアティも元軍人。すぐにでも目を覚ますかもしれず、本当ならすぐ離れなければならなかった。
けれど、けれど彼女は言葉を紡ぐ。アティにも、自分にも言い聞かせるように。
「それに、そんな甘い考えをもっているようではな、いつか戦場で……殺されるぞ?」
「!? アズ、リア……?」
「隙だらけだな。相も変わらず」
懐かしき友に剣を向けたまま彼女は――アズリアは静かに笑った。
部下の誰もが見たことのない綺麗な顔で。それを見上げるのはあまり間抜けな顔で。
二人の顔はあまりにも対照的だった。
「まったく……貴様を見つけたのが私であったことを幸いだと思え。これがビジュならば寝込みを襲うぐらい平気でしでかすぞ」
突きつけていた刀をはずし、心底呆れはてる。
「どうして、貴方がここに……」
「戦場を把握するのは指揮官として、当然のことだろう? そのための下見だ」
「そう、ですか……戦うつもりなんですね」
「お前も軍にいた以上はわかっているはずだ。
帝国軍人に、任務の失敗は許されない。結果のみが問われる実力主義の世界だ。
だからこそ、私はこのまま帰還するわけにはいかない。貴様から剣を奪回することで、護送の失敗を埋め合わせねば積み上げてきた全てが失われるのだか らな」
数少ない女性軍人でありながら軍の中枢に食い込むためには。
言外にそう含めて言い切る。
「不本意そうだな?」
どこか嫌そうで哀しい顔のアティに対し、アズリアは不敵に言う。
「当たり前です! 私は、戦いたくなんてないんだから……」
「周りの者が、自分のせいで傷つくことが怖いか?」
「ええ……」
「ならば、今ここで私と貴様だけで決着をつけないようではないか。
あの海賊達やこの島の住人を傷つけたくないのなら、巻き込みたくないのならお前が今この場で私と戦い、そして私に勝てばいい。
どうだ? 簡単なことだろう?」
さも妙案であるかのように言い切るアズリア。
事実、彼女の案は双方に被害をもたらすことなく決着がつくもの。彼女とてこれ以上部下が傷つくのを見たくはないのだ。
ちなみに部下の負傷原因の大半が、黒百合ことアキトがやったものである。
「できません……私が戦いたくないのは大切な人たちが傷つくことだけが、理由じゃないから……戦う相手を傷つけることだって、本当はしたくない の!!」
「相変わらず甘い理想を信じているのだな、貴様は……だがッ!!」
一度アティからはずした剣を振り上げ、彼女目掛けて一気に振り下ろす――!
アティはそれを脇に置いていた召喚士が使う杖で防ぐ。アズリアの剣とは思えないほどに軽く、そして遅いそれに戸惑いながらも。
「わかるか? アティ。いかに貴様が戦いを忌避し止めさせようとしても相手にその意思がなければ無意味だ。
それに私はいつも言っていただろう、生きることは戦いだと。そして誰かを打ち負かして勝った者だけが望みを叶えられるとも。
それを否定するならば、貴様に生きていく資格などありはしない。今ここで私がこの手でその幕を引いてやる! と言いたいところだがそうもいかんか」
アティから注意をそらさず、目だけを森の中へと向け、そして後ろへと跳躍――!
その直後、二つの破裂音が木霊した。
しかし僅か刹那の差で牽制として放たれ、彼女の足元に着弾するはずだったものはその意味を失くし大地に穴を穿っただけに終わる。
「ッ!? はずされた!?」
「ソノラ……それに皆も」
「あんたの様子が変だって、そいつがうるさくてよ。やけに帰りも遅いんで、心配になって探しにやって来たのさ」
「この様子じゃ、大正解だったみたいね」
「海賊どもが……つくづく邪魔ばかりしてくれるものだ」
「いきがってんじゃないわよ!! たった、一人ぼっちであたしら全員を相手にするつもり!?」
アズリアに向けて銃口を向けるソノラ。
普通ならば絶体絶命の危機的な状況にありながら、アズリアの口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「確かに私一人だけならば難しいだろうが……今の銃声を聞き逃すほど、私の部下は愚かではない」
そして空いている左手に魔力を集中させる。召喚術の現れともとれる幻想的な光が、彼女の左手に生まれた。
「皆が来るまでの間なら私の力だけでも十分に貴様らを押さえられる」
「やめて! アズリア!! 私たちは引き上げるから、今ここで戦うのはやめて!」
「落ち着いてくださいカイルさん。彼女の判断は正しい。ここで戦えば人数に劣る我々が圧倒的に不利です」
「周りの森から不意打ちされたらオシマイってことよ」
それに異を唱えようとしたカイルだったが、ヤードとスカーレルの言葉に引き下がる。
「……よかろう。単なる行きがかりで決着をつけるのでは興ざめだからな。今は見逃してやろう。改めて決着をつける時まではな……」
「ほう……ここは……」
永遠に溶けない氷と雪に覆われた大地。太陽の光を反射して幻想的な姿を見せる空気。透明な氷に包まれて新しい造形になっている木。
帝都に住む彼女には始めて見るものばかり。その光景に彼女は目を、心を奪われてしまった。
初めて見る者でなくともここは見る者の心を奪う魔性の地。けれど集落の者達とまったく親交のない彼女はそのことを知らない。
「キレイなところ……だな。ここは」
何かに憑りつかれたように、虚ろな視線と定まらない足取りで進んでいく。
そして――
「そうか。それで私はここに落ちたのか……」
再度自分の足首を見て、深く深くため息をつく。
今頃は部下達が探しているのだろうか、だが島の地理に明るくない者では彼女を探し当てるのは難しい。
それにここは島の住人ですら滅多に近づかない、アキトの住む『水晶渓谷』と対をなすもう一つの魔境。
見る者の心を奪い永久凍土の底へと招き入れ、命を持つ者を容赦なく死へと至らしめる。名を『魔氷絶壁』という。
「ここはあんなに美しいというのに……なんと寒くて哀しい」
一人でいることには慣れているはずなのに、そう呟いてアズリアは上を見上げる。
空はまるで嘲笑うかのように蒼く澄み渡り、快晴の空模様を映し出している。
決して変わることのない世界。まるで彼女のいる一角だけが取り残されたかのように不変。
けれどその不変も長くは続かなかった。
「誰だ」
「ッ!? あ痛ッ!!」
唐突に背後からかけられた声に驚き、振り返ろうとして足首を動かした痛みに小さな悲鳴を上げる。
落ち着いてゆっくりと振り返ると、そこにいたのは目にはサングラスのようなものをかけ、鍛え抜かれた無駄のないしなやかな上半身を隠すこともしてい ない一人の男。
「? どこか怪我をしているのか」
「あ、ああ。上から落ちた時に足首をひねったらしい」
「あそこから落ちて捻挫で済むか……大したものだ」
そういうとアズリアに声をかけた男は、近くの木にひっかけていた自分の上着から半透明のゲル状のものが収められている瓶を取り出す。
「なんだそれは?」
「知り合いがくれた特製の薬だ。打ち身や骨折からつき指といった些細なものまで何でも治ると言っていた」
そこまでしてくれなくともいいんだがな、と男は慣れた手つきでその薬を指ですくい、アズリアがいる方に指を向けて止まった。
突然の奇行に怪訝な顔をするアズリア。それを感じ取ったらしく、男は年よりも若く見える子供っぽい笑みを浮かべすまなそうに言う。
「すまない、目が見えないもんでどこに塗ればいいかがわからない」
彼がそう言ってアズリアは初めて気づいた。サングラスのようなものに隠れた彼の双眸、それが時折見当違いのところに向いていることに。
瞳孔はしっかりと光を感知して動いているが、それでも見えないとなると視神経がいかれているのだろう。
そう考えがまとまったアズリアは、彼女を知る者なら信じられないぐらい自然に彼の手を取って自分の足まで導いていた。
普段は軍から支給されたスーツとブーツの下に隠れているが、その肌は荒事をする軍人とは思えないほど白く絹糸を縫って作られたかのようになめらかで ある。
もっとも、見えていない彼はそんなことを気にすることなく薬を塗っていく。それもアズリアが痛みを訴えない適度な強さで。
(どうしたというのだ私は。こんな見ず知らずの男にこうも簡単に足をさらして……
だが不思議と不快な気持ちではない。なんだ、この気分は)
初めての感情に戸惑うアズリア。それは今まで軍の任務を優先し、女の部分を置き去りにしてきた彼女のそれが目覚めたからだった。
もっとも、そういった浮いた話から縁遠いアズリアが気づくはずもないが。
「こんなものか……」
あらかた薬を塗り終えた彼の言葉でアズリアは思考の海から戻ってくる。
「一時間もすれば腫れや痛みもひくだろうが、今日一日は絶対安静にしていたほうがいい」
「そう、か。すまない」
「気にすることではない。よっと」
「きゃ!? な、なななな何をするんだ貴様!!」
「何って……動けない者をこんな場所に放置しておくほど俺は愚者ではないが。それに喋っていると舌を噛むぞ」
顔を真っ赤にして叫ぶアズリアと、それを平然と受け流す男。
彼は彼女を抱き上げて切り立った崖を駆け上っているのだ。それもお姫様だっこで。
ほんの少しだけ女としての感情が目覚めたアズリアが慌てるのも無理はない。
「で、どっちに行けばいい」
「そのまま真っ直ぐ進んでくれ」
崖を登りきったところで男が問い、もはや諦めて投げやりな口調で返すアズリア。
彼女の答えに頷いて彼は人外の速さで駆ける。その間、アズリアは彼の首に自分の腕をしっかりと巻きつけて頭は胸の中。
状況が状況なら恋人同士に十分見えるだろうが、彼はそんなこと全く気にしておらず、またアズリアは落とされないようにそうしているだけと自分に言い 聞かせている。
もっとも幸せの時間というのは得てして短く感じ、すぐさま終わってしまうもの。
「隊長〜」
かすかではあるが確かに聞こえた声、それは間違いなくアズリアを呼ぶもの。
すなわち――――幸福の終焉。
「迎えか?」
「……ああ…………ここで降ろしてくれ」
「いいのか?」
「部下達の手前、こんな格好をさらすわけにはいかん」
こんな格好とはお姫様だっこのこと。軍人として生きる彼女しか知らない部下達には知られたくないのだ。
それがわかったのか、彼は何も言わずにアズリアをゆっくりと捻挫したところに響かないように降ろす。
「念のために言っておく。今日一日は絶対に安静にしておけ」
「わかっている」
「ならいい」
彼はアズリアに背を向け目が見えていないにもかかわらず、しっかりとした足取りでその場から去る。
「……ありがとう。お前のような奴もこの島にはいるんだな……」
その背に向けて呟いたアズリアの言葉、それはすぐにやって来た彼の部下達によってかき消された。
彼は歩いていた。
(あれがアズリア・レヴィノスか)
彼が思い出すのは先程の女性。
(良くも悪くも軍人だが)
彼が話に聞いていた像と少し違う姿。
(彼女は嫌いじゃない)
彼はまるで少女のような彼女の慌てぶりを思い出す。
(コウイチロウおじさんと一緒の存在)
彼は思う。
(故に戦いたくはない)
されどそれは叶わぬ願い。
(避けられない戦いになる)
彼らの望むモノは彼の仲間の手の中。
(彼女がどれほど戦いを忌避しても)
アレは既に彼女と一体になりつつある。
(――――壊れなければいいが)
其れは彼女に対してか、それとも――――――
「マスター!」
聞き覚えのある声に彼の思考は分断される。
「サレナ」
「サレナ、じゃありません! 目が見えなくなったっというのにまたお一人で出歩いて……心配する私達の身にもなってください!!」
「ははっ、悪い悪い」
いつもとまったく変わらない答え。
柳に風、暖簾に腕押し、ぬかに釘。
無意味な繰り返し。
「? 何か善いことでもあったんですか?」
今だけは少し違った。普段は感情の機微すらはかれぬその顔が、少しだけ動いていた。
長い間そばにいる彼女だからこそわかるような些細な変化ではあったが。
「そうだな……あったといえばあった、なかったといえばなかった」
「どちらなのですか」
「どっちも」
それでお終い、と彼は口を閉ざし簡素なトレーニングウェアから後に漆黒の死神と呼ばれる全身真っ黒の姿になる。
「でもいいのですかマスター。皆に目のことを言わなくて」
「構わん。余計な心配ごとを今、増やすわけにはいかない」
彼の目は完全に光を失い、彼の視界に映るのは完全なる闇、絶対の無、光届かぬ暗黒。
それは先日の喚起の門での騒動の折、ナノマシンが活性化して視神経を侵食し尽したが故。
光すらも感知できない闇にいて彼は己の耳だけですべてを把握するしかなかった。
常人ならば不可能としか言いようのない業、それを彼はいとも簡単にやってのけた。
周囲にいる者誰一人として――それこそサレナですらほんの数時間前に気付いたほど巧妙に――気付かせることなく。
「帰るか」
静かに紡がれた言葉と共に従者は主の手をとる。
彼らの住処へと誘われながら、彼はいつかくる戦いの時に思いを馳せるのだった。
舞台は島の外れ、暁の丘と呼ばれる場所。
そこで対峙する島の住人達と軍人達。ギャレオの挑発としか思えない宣戦布告を受け、ここまで来たのだった。
どちらから見ても相対するは己が敵。一触即発の空気の中でアティだけは違っていた。
誰も傷つけたくない。
彼女の根底をなすその想いから彼女はこの島の成り立ちを話した。此処の現状やそれを知ってくれれば剣を収めてくれると信じて。
「なるほど、この島が召喚術の実験場だったとはな。道理で、はぐればかり出くわすわけだ」
「島のみんなは無駄な戦いを望んでなんかいません。私達が武器をおさめれば共存だってできるはずです。だから……」
けれど彼女は失念している、軍がどういった組織であるのかを。
「ふふふ……たしかに、無益な話ではなかったぞ。帝国にとってこの島を接収する利益は計りしれん!
無色の派閥でさえも扱いあぐねた魔剣とあらゆる世界へと続く召喚の門……これらを帝国としたならば、忌々しい旧王国の残党どもを駆逐する力となる!
当然、その功績は今回の失態を補って余りあるものとなるだろうな」
上からの命令に従い感情を全て排除して現実の利益を優先する、それが軍隊というもの。
何よりアズリアは数少ない女性軍人。その彼女が上を目指すためにも、こんなところでつまずくわけにはいかなかった。
その想いが今の彼女を、より軍人であれという彼女を形作っているのだ。
「もう一度だけ言おう。速やかに降伏するのだ。
剣を渡し、この島から立ち去るというのならお前達のことは見逃してやってもいい。それぐらいの器量は私にもある」
「なにをいっても、もうあきらめてはくれないんですね」
「くどい!!」
「あきらめません。私、やっぱりあきらめたくない!! どれだけ大勢の人が信じているものでも、そのほうが上手なやり方でも私にはそれが正しいって 思えないから! 納得できません!!」
声を荒げるアティにアズリアは――アティがどういう人物なのかを知る者達は皆――驚く。
「ごめんねアズリア。私は戦いも降伏もどちらも選びません。戦いから逃げたくてそうするんじゃないの、自分の信じるものを貫くために譲りたくない の!!
それに私、信じてますから。貴方なら絶対わかってくれるってことを」
アティの言うように、アズリアは彼女の言いたいことがよくわかっていた。
けれど、哀しいかな。彼女だけがその信念の元に動いているわけではないのだ。
「確かにお前の言うことはわかる……だがな! 私とて譲れるものがあるのだ!! 総員、攻撃開始!!」
隊長の命令に従って各々の武器を構える。だが帝国軍の人数はそれほど多くはなく、アティ達よりも少々頭数が多い、その程度。
これは前にアキトがボコボコにしたせいで未だ傷の癒えていない者が多くいるため。
彼らも戦うと言っていたのだが、それをアズリアは
『お前達の気持ちは嬉しい。だがな、今のお前達では足手まといになる。ならばその傷を完全に治し、そしてまた私の手足となって戦ってくれないか?』
そう言っておしとどめたのだ。どこぞの刺青男と違って部下を大切にしているあたり、彼女の器量の大きさがわかる言葉である。
けれど戦いは数が物を言うもの。いかに軍で練磨されてきた兵とはいえ数の有利性を失い、武器等の補給もまったくない状況では厳しい戦いになるのは目 に見えている。
召喚術を使う者達が回復を行っているものの、個体のポテンシャルでは島の者達のほうが高い。
故に長期戦となれば帝国軍が圧倒的に不利。だからこそ、アズリアは五体満足の兵だけを連れて短期で決着をつけるつもりだったのだが……
「なぜ、勝てない……甘い理想ばかり口にしているような相手にどうして……どうして、この私が勝てないのだ!?」
怨嗟の全てをぶつけるように、ふがいない自身を叱りつけるように、アズリアは叫ぶ。
覚悟を決めて戦いを挑んだ軍人達はアティ達の前に敗北を喫していた。
「そいつは違うぜ、隊長さんよ」
「!?」
「たしかに、こいつは争いごとに関しちゃあ甘すぎる。覚悟なんてなっちゃいねえ。
だがな、その代わりにこいつは別の覚悟を持ってるんだよ。どんなに苦しかろうと損をしようと、自分が正しいと思うことを貫いていく覚悟をな」
「カイルさん……」
「認めてやるぜ。不器用なあんたのその生き方」
「バカな! そんなもので、そんなことで納得ができるかァ!」
咆哮。傷ついた体に鞭打ってアズリアは自分を無理やり立ち上がらせる。
その行為がどれほど体に負荷をかけているのか、医者を目指していたアティは一見だけで看破した。 「やめてアズリア! 決着はついたはずでしょう!?」
だから彼女も叫ぶ。これ以上、友に傷ついてほしくないために。
「黙れ!!」
けれど返ってきたのは明確な拒絶。
「私は負けるわけには、こんなところで足踏みをするわけにはいかんのだ!!
私自身のためにも、あの子のためにも――!!」
風を切り裂く音が聞こえたかと思ったら突然の轟音が響いた。
音はアティとアズリアが立っている場所のちょうど中間に位置し、その地面を抉りとって周囲に砂煙を撒き散らす。
「イヒヒヒヒヒッ! いくらテメェらが化け物じみてようがよォ? さすがに大砲を前にしちゃ、手も足も出ねェだろうが!!」
音の正体はビジュの放った大砲の弾。
その傍、手には松明を持ち、砲弾を詰め込んでいる兵士を叱責しているビジュが口を歪めていた。
「どうだいこいつの味はよォ? 黒くて固くてデカくてぶッとくてブチこまれただけでもすンげえ快感だろ? ヒャーハハハハハッ!!」
「ビジュ、貴様っ!?」
「何で怒るんですか副隊長殿ォ? それにちったァ感謝してくださいよ? 俺様のおかげで今、貴方達は逃げることができるんですからねェ。イヒヒヒヒ ヒッ!」
ビジュの正論に歯噛みするアズリアとギャレオ。
彼の言うように帝国軍側は壊滅状態。アズリアが最後の力を振り絞って攻撃を仕掛けようとしていたが、それが通じても軍の敗走は必至、決して免れない ことなのだ。
「隊長、ここは」
「く……総員退却だ!」
「アズリア!」
叫び伸ばされた腕をアズリアは一瞥することなく、何も言わずに背を向けて立ち去っていく。
アティにはその背中が泣いているようにも見えていた。
「さぁてお邪魔な隊長達もいなくなったわけで……遠慮なくおっ死ねや化け物どもが!!」
これ幸いと無差別に大砲を撃つ、撃つ、撃つ。
狂気に染まって周りが見えないのか、着弾した位置はどれもアティ達からは遠い場所であった。
「くうぅ」
「きゃああぁぁぁっ!」
けれどその衝撃や威力はかなりのもの。また無差別で適当であるために下手に動いてしまえば当たる可能性もある。
そのことからアティ達はその場から動けないでいた。
「イヒヒヒヒヒヒッ! 壊れろ! 壊れろッ! 壊れちまえやァ!! いひっ、ひゃはは! うひゃははは!! はは、はは……ひいっ!?」
耳障りな嘲笑が一転、悲鳴に変わる。
ビジュの目の前、大砲の上に立って無言で剣を構えているアキト。バイザーに隠された双眸は間違いなく彼を見下していた。
「――失せろ」
大砲をぶった斬った。
「ひいぃぃぎゃああぁぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
多量の火薬に引火したらしく、大爆発が起こって空の星となったビジュであった。
アティは一人、夜の砂浜に足を運んでいた。
何故と問われれば答えることの出来ないぐらい自然に、この場所へと足を運んでいたのだ。
「どうして……」
誰もいないが故にぽつりと漏れる心の一欠片。一度綻びが出来てしまえば人の心の堤防はいとも簡単に決壊してしまう。
溜め込んだ量が多いほど、心にあるわだかまりが大きいほど。
「私はただ守りたいだけなのに……それっていけないことなの?」
「いや、そんなことはない」
「!?」
誰もいないと思っていたところに突然声をかけられ、文字通り飛び上がるアティ。
「く、くくく黒百合さん!?」
「――邪魔だったか?」
「い、いえいえいえいえいえそんなことございませんですにょ!?」
慌てすぎて語尾がおかしいアティに首をかしげつつ、アキトは木の影からその姿を現す。
恥ずかしさと驚きとでまったく喋れないアティと、基本的に自ら語ることのないアキト。
微妙な沈黙が二人のいる空間を支配する。
「あの……黒百合さんはどうしてここに?」
「いつもの鍛錬だ」
「あ、そうですか……」
そしてまた途切れる会話。このいかんともし難い雰囲気をどうにかしようとアティが四苦八苦しているところに、
「――背負い込むな」
「え?」
突然、唐突、何の脈絡もなく紡がれたアキトの言葉に思わず目を見開くアティ。
「全てのことを一人で背負い込もうとするな。人一人の力で出来ることなど高が知れている。
もっと周りに頼れ、もっと周りに話せ、もっと周りに聞け」
それはミスミから言われた言葉でもあり、またアキト自身の経験からもたらされた言葉であった。
復讐人となって北辰と決着をつけた時も、復讐するための力が欲しいと願った時も、そのための鎧と武器を願った時も、戦う理由を見つけた時も、自分に ある力の存在を知った時も、見知らぬ地で一人ぽつねんとしていたところを助けられた時も。
その全てに誰かの助力があった。仮にそれがなければアキトは今、ここにはいない。
だからこそ彼はアティに言うのだ。自分一人で出来ることの上限を知っているがため、自分一人では無理でも誰かと一緒なら出来ることを知っているがた めに。
「そして泣きたい時は泣くものだ」
「!!?」
「どんな時にも『私らしく』自分らしくいることは大事だがな、無理をしてまでそれを貫くのは感心しない。
溜め込んだものは時折吐き出せ。でなければ――――壊れるぞ?」
「黒……百合……さん……」
アティの目尻に浮かぶ小さな涙。
ついに堤防が決壊する時が来た。
「私、私……うう、うああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それは家庭教師としている普段からは想像も出来ないほどに弱々しくて、そして年相応の女の子の姿がそこにあった。
「傷つけあいたくなんてない!! 誰にも悲しい思いをしてほしくない!! 笑ってほしいだけなの!!
本気でそう考えたら、真剣に目指したらいけないことなの!?」
叫ぶ、何度も叫ぶ。
恥も外聞も一切関係なく、ただひたすらアキトの胸の中で泣き続ける。
アキトは子供をあやすようにアティの背中を、頭を撫で続ける。
「……もう、大丈夫か?」
「っく……はい」
「そうか」
溜まっていたものをほとんど吐き出し、ようやく落ち着きを取り戻してきたアティ。
だがしかし、冷静になっていき現状を確認していくにつれてどんどん自分の顔の温度が上がっていくのを感じていた。
アキトのスーツにはアティの涙やら鼻水やら、色々と恥ずかしいものがびっちりとこびいついている上に今のアティはアキトの胸の中。アキトはアキトで 何も言わずに頭を撫でている。
夜という時間も相まってどこか恋人同士にも見える。
(もう少しだけ……こうしていてもいいよね?)
静かな夜の邂逅はもう少し、続けられたのだった。
あとがき〜
軽くスランプにはまって抜け出せない火焔煉獄でこざいます。
おかげでアズリア隊長のフラグがたったり、ビジュがただのやられ役になったり、アティ先生のフラグがまたたったりと支離滅裂な現状。
……軽くヤヴァイ。
ま、それは置いといてどんどん人外街道まっしぐらの黒百合ことアキトくん。
ついに視覚まで失って、でもその度に人間性を取り戻しているような……ま、いっか。
ついでに今回はアズリア隊長メインです。だって原作でもここって彼女がメインだし。
以上、つらづらと述べた言い訳を終わります。