Summon Night
-The Tutelary of Darkness-
第八話
『動く時』
「そうですか。そんなことが……」
普段から険しい顔をさらに眉間に皺をよせ険しくさせ、考えこんでいるのはキュウマ。
彼の前には不安げなアティがおり、彼女はここに来る前に起こった出来事――すなわち剣が彼女の意識そのものを乗っ取ってしまうような恐ろしく怖いこ とを、キュウマに相談に来ていたのだった。
「今までも、剣の意志が私に語りかけてくることはあったんです。
でも、さっきのはいつもと違ってて強引に心の中に入りこんでくる感じがしてすごく怖かった……ねえ、キュウマさん。貴方は前に喚起の門で言いました よね? 遺跡に行けば、剣についてわかるかもしれないって」
「そのとおりです。ですが……」
「わかってます、遺跡に近づくことが無理だってことは。護人の皆に叱られちゃったし、前みたいにキュウマさんとファリエルちゃんが戦うようなこと 私、絶対にイヤですし」
「アティ殿……」
改めてアティの優しさに感銘を受けるキュウマ。だが、彼女が次に発した言葉に彼はまた別の意味で感銘を受けるのである。
「だから、キュウマさん。私が聞きたいのは貴方が知ってる範囲の話なんです」
「え?」
「剣の魔力を用いれば遺跡の機能を正常に回復できるはずだと貴方は言ってました。
そう考えられたってことは、剣についてなにか知ってるんじゃないですか? すくなくとも、私より……知ってるはずです」
キュウマは目を見開く。アティはあの何気ない……かどうかはともかく、普通は誰もが覚えていないような会話の一端だけから自分が必要な情報だけを抜 き出し、それを吟味、あるいは推敲してより正確なものへと変えていったというのだ。
「不覚でしたね。貴方に、それだけのことを悟られるとはまだまだ、自分は修練がなってない」
「責めるつもりじゃないんです。貴方なりの事情があって黙っていたことぐらい私にだってわかってますから。でも」
「……わかりました。ですが、剣については自分よりも詳しい方がおりますのでそちらに尋ねていただいたほうがよろしいでしょう」
「それは?」
「黒百合殿です」
「なるほど。それで俺に聞きに来たわけか」
「はい」
「……そうか、剣がアティをな……ならばお前にも聞く権利はあるか」
しばしの黙考の後、アキトはそう決断して剣の起こりについて語りだす。ただし、もっとも核心となる部分は除いてだが。
「まずどうして俺がその剣について知っているかだが、その剣が初めて使われることになったのは、島での戦だからだ」
「え!?」
「『碧の賢帝シャルトス』はこの島で誕生した。すくなくとも、今のような力を発揮するきっかけとなったのは事実だ」
「ちょっと待ってください!? だけど、ヤードさんはこの剣を作ったのは無色の派閥の始祖だって……まさか!?」
二つの言葉から結びつく答えに絶句するアティ。そしてそれを肯定するようにアキトは言葉を続ける。
「そう。この島を作ったのもその剣を作ったのも同じ召喚師の組織、名は無色の派閥」
「え……」
「今はもう、その事実を知る者のほとんどは生き残っていないがあまりいい思い出でもない。特に護人の連中には他言するな。
それにだ、戦の本当の原因は一人の召喚師が派閥に反逆したことに端を発している」
「そんな人が……」
「そいつは誰よりも優しくてな、この島を人と召喚獣が平和に暮らせる楽園にしようとしていた大馬鹿者だった」
昔の出来事をまるで昨日のように思い出しているアキトの顔は苦笑い。けれど、どこかその顔は優しく友を思う一人の男の姿でもあった。
「だからこそあいつの周りには自然と笑顔があった。誰もが幸せな時を過ごせていた。
だが派閥は召喚獣をモノと考えていたため、自分たちの言う事を聞かないモノを廃棄しようとした」
「それで、戦いを」
ああ、と軽く頷く。
「アティもわかっているとは思うが、俺たち召喚獣と人間ではポテンシャルが違う。
それ故に抵抗もすぐ止むかと思っていた予想外の抵抗に対して派閥が投入した切り札、それがその魔剣、封印の剣『碧の賢帝シャルトス』ともう1本の封 印の剣『紅の暴君キルスレス』だ。
その2本の魔剣の力で俺たちは敗走を重ねたが、どうにか無色を追い出して今に至るというわけだ」
「この剣がそんな目的で作られたものだったなんて」
「アティが使っている剣の力はその時に封じられた力の一部にしか過ぎない。だが一部でそれだけの力を持っているからこそ、本来の力を使った時の威力 や魅力は計り知れないものになる。
もしお前が剣の力に飲まれるようなことがあれば、俺は迷うことなくお前を斬る。それがアイツとの約束だ」
(もし魔剣の力を悪用する奴がいたら、その時は剣ごと斬ってくれ……か。相変わらず無茶を押し付けてくれる、お前は)
「それで、貴方は私に剣を使わないように勧めたんですね」
改めて見えたアキトの優しさに心暖まるアティ。今までアキトは戦いの場にしか主に現れず、そしてひとたび戦いの場に現れれば鬼神のごとき強さをもっ て相手を屠ってきた。
そのせいであまり親交がないカイル一家はアキトのことを鬼だと思っている節がある。
(でも、本当は優しい人なんですよね。前の時も……)
と、その時のことを思い出したのか顔を熟れたトマトよりも真っ赤にするアティ。ちなみにその時とはアキトの胸の中で思いっきり泣いた時のことであ る。
もっとも、目が見えていないアキトにはそのことはわかっていないが。
「アキトさん!」
「ファリエルちゃん!?」
甘ったるい空気を発していたアティだったが、ファリエルの絹を裂くような悲鳴によって現実に戻される。
「あ、アティさんもここにいたんですか! ついさっき火災があって……」
「火災って……火事ですか!? だったら、急いで消さないと!?!?」
「そう慌てるな。ファリエル、もう鎮火し終わっているんだろ」
「あ、はい」
「と、いうわけだ。落ち着いたか?」
「え……あ……うう……」
さっきとは違う意味で顔を真っ赤にして俯くアティ。
早とちりした挙句、一人だけであたふたとしてしまったのだから当然だろう。
「とにかく一度集いの泉に来てください。これからの対策を話し合うそうなので」
「うう……わかりました」
「……すまないが先に行っておいてくれ」
未だ顔を真っ赤にしながらも肯定するアティとは対照的に否定を口にするアキト。
どうしてとアティは振り返るが、長い付き合いのファリエルにはアキトには何らかの考えがあることがわかっているためアティだけを連れて集いの泉へと 向かうのだった。
二人の気配が完全に遠ざかったのを確認し、アキトは影に隠れて見えない自分の後ろに控えていた人に声をかける。
「……サレナ、いるんだろ」
「はい」
普段の穏やかで心優しいお姉さん的な存在のサレナはそこにはいない。そこにいたのは死神の右腕として死を配り続けた麗しき女神の姿。
かつての戦においてもう一人の魔王と呼ばれていたサレナだった。
「犯人は」
「帝国軍人で刺青をしていた男が風雷の郷を、イスラがユクレスの村を。
二人が共謀しているところは既に確認済み。例の隊長さんは彼らが共謀していることを知りません。今も彼らを捜していることから、一部の者たちの暴走 によるものと思われます」
ひどく冷淡で感情のこもらない声で淡々と事実だけをサレナは述べていく。
これは彼女が軍の襲撃に備えて『目』を強化していたためにわかったことであった。特に集落の付近は特殊な迷彩を施した召喚獣を放っている。
それらはサレナの右目――普段は包帯に隠されているそれへと直接繋がっており、丁度ウィンドウがいくつも開いている状態で彼女の視界に映るのであ る。
普通は脳内処理が追いつかずオーバーヒートしてしまうだろうが、そこは元高性能AI。その手の処理作業はお手の物である。
「……どうやら本格的に警告しておく必要があるな」
「そうですね。ただ、アティには知らせるわけにはいきませんね」
「そうだな。あいつは、優しすぎる」
イスラはアティが助けた青年。その男が放火犯だと知れば彼女はひどく落ち込んでしまうことは目に見えている。あるいは落ち込まないにしても全てを自 分の責任にして、いらないものまで背負ってしまうだろう。
そうならないためにも、彼女には――それどころか他の住人たちにすら――一切知らせずに警告を行わなければならない。
ただ、この二人がすることが本当にただの警告なのか……
「サレナ、イスラの場所は」
だがそれを行うには少し遅かった。
「たたっ、大変っ! 大変ですよぉ〜っ!」
息を切らせてふらふらになりながらも懸命に飛び続けるマルルゥ。アキトとサレナの姿を見つけて一直線に二人のもとへと飛んでくる。
「マルルゥ!?」
「どうしたマルルゥ」
「ややっ、ヤンチャさんヤンチャさんが捕まっちゃったですよー!!」
「まさか!?」
「ちぃ、後手に回ったか。マルルゥ、スバルはどこにいる!?」
「社の方ですー!!」
「社か。わかった、辛いかもしれないがアティたちの方にも伝えてやってくれ」
はい、と大きく返事をしたマルルゥの声を遠くに聞きながら、アキトは己を叱責していた。
また誰かを失ってしまうのではないのか、と。
そしてもう一つ、後悔や懺悔とは全く違う思いが渦巻きはじめる。
それはこの島にいる間は決して表には出さないと誓っていたもの。
(イスラ、そしてビジュとか言ったか。貴様らには自分のしたことを後悔させてやる)
復讐人と呼ばれ、狂気という名の獄炎で全てを燃やし尽くしていた頃のアキトがゆっくりと鎌首をもたげはじめる。
そして浮かぶは凄愴たる笑顔。 その横に追随するサレナにもその心は届いていた。
ただ、彼女の心配することはまったく別にあったのは彼女だけしか知らない。
舞台は移り、小さな社がありここがシルターンのどこかだということがうかがい知れる場所。
普段なら閑散として物静か、そして厳かな空気を思わせるものがあるこの場所も今だけは違っていた。
「ほォれ、どうした? さっさとあの野郎を連れてこねえとガキは命はねェぞ?」
「うう……」
帝国軍の制服、顔の半分を埋め尽くす刺青男ビジュ。彼の足元には足蹴にされているスバルの姿あった。
「スバル!?」
「落ちつくんじゃパナシェ!」
外様の世界から呼ばれた老獪――ゲンジの一喝でパナシェもどうにか一旦の平静を取り戻すが、それも一時のみ。
「だって!? スバルはボクのことかばって捕まったんだよ! ボクのせいだ……うっく、ううっ、うっうわあぁぁぁん!!」
「泣くなってば! パナシェはおいらよりお兄ちゃんだろ? おいらなら平気だい。それに先生が来たら、絶対こんなヤツやっつけてくれるってば!」
「……だとさ?」
子供ならではの楽観的考えに嘲笑するビジュ。影になっているためわからないが、彼の後ろにいる人物も嘲っている。
自分たちの絶対の優位を疑っていないが故の自信。
それも仕方のないことだろう。彼らが相手する人物は誰よりも優しい。否、他人が傷つく事を恐れ自分を傷つけようと考える者。
彼にその人物以外であってもこの島の住人を相手にするならば、彼らの秘策はこの上ない効果を生むことは約束されたようなものなのだ。
だが、だがしかし、彼らはやってはいけないことをしてしまったのだ。この島に住む死神に対して。
「……」
「あ……」
「テ、テメェは!?」
彼らが待っていた人物とは違う者が、それも幾度となく自身を倒してくれた存在に慌てるビジュ。それとは対照的にその存在に安堵し、思わず頬が緩んで しまうスバル。
「すまない、色々とやっている内に少しだけ遅くなった。それとスバル、よく今まで頑張ったな。
……さて、何か申し開きがあるなら今のうちに聞いておこう。もっとも、それが辞世の句となるのは目に見えているとは思うが」
ゆらり、と見ている者の恐怖を煽るように顔を上げるその様は本物の幽鬼。光を灯さない瞳に捉えられたビジュはさながら蛇に睨まれた蛙のように固ま る。今までやられた記憶が鮮明に甦ってきているがためである。
そんなビジュに呆れ、影で見えなかった人物がその姿を晒す。それがどれ程愚かな行為であるのかもわからずに。
「へえ、まさか君の方が先に来るとは思わなかったよ」
「イスラ、だったな」
「やっぱり驚かないんだね」
「ああ、お前とそれが共謀して火をつけたのは見えていた。本来ならばすぐさま警告を行うつもりだったがな、アティたちや子供たちの手前、郷の者に手 を出すまでは思っていたが……どうやら間違っていたようだ。
もっと早く、火をつけた時にでも殺しておけばこんなことにならなかったと自分の中にある甘さを後悔している」
道端にある小石を蹴飛ばすように“殺す”と言われイスラの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
そして子供たちはアキトの言葉に驚いていた。彼らの知るアキト――すなわち護人である黒百合は無口で何を考えているのかわからないけど、頼もしいお 兄ちゃんといったもの。少なくとも殺す、などと口にするようなヒトではないのだ。
ただ一人、ゲンジだけがやはりかと小さく呟いていたことは誰の耳にも届いていなかった。
「覚悟は、出来ているな?」
「ハ、ハハハハ!! 覚悟? それは君がすべきことだなんだよ!」
狂ったか? と考えるアキトだったが次にはその考えを捨てることとなる。
「動くんじゃねェ! こっちにゃガキ以外にも人質はいるンだぜェ?」
「イヤあぁぁぁっ!」
「たっ、助けてくれえ!」
竹やぶの中から風雷の郷の者たちを引き連れ、軍人たちが何人も現れる。彼らはアズリアに従うのではなく、ビジュに従うことを選んだ者たちである。
彼らは正攻法しか行わないアズリアに対し不満を持っており、搦め手を使って魔剣を奪う考えのビジュに賛同して彼の元に進んで従っているのである。
「悪いけど僕は姉さんのように甘くないよ。目的のためなら手段なんて選ばない。敵の弱みをついていかに早く確実に勝つかが大事なんだ」
「ひ、卑怯者ぉ!」
「人の道を踏み外しての勝利などに意味があるものか!」
「卑怯者や外道なんて心外だね。せめて利口っていってくれないかい?」
パナシェ、ゲンジや他の者たちの非難の言葉や視線などどこ吹く風。まるっきり相手にしていないイスラ。完全に見下す目で二人を見下ろしていた。
「ああ、何であれ勝てば官軍。お前の考え方は間違っちゃいない」
皆を護る立場にいながらイスラの言葉を、考えに肯定するアキト。
まさか肯定するとは思っていなかった住人たちが驚き、嘘だと言ってくれと目で訴えるも見えていないアキトには一切意味がない。
それにアキトが肯定したのは過去、自身が行ったから。
ユリカの居場所を聞き出すために研究者たちの家族を拉致し、家族の命が惜しければユリカの居場所を答えろ。でなければ殺す。そう言って何度もやって きたこと。
知らないと答えれば研究者を殺し、嘘をつけば家族を殺し、真実を言えば一族郎党全てを殺し尽くした。その度に心を鎧で隠しながら。
「ハハ、やっぱりアンタはいいよ。そっち側にいなきゃ間違いなく仲間にしていただろうね。
でも、僕の考えを理解しているからこそアンタはここで消しておかなくちゃね。武器を捨てて抵抗されずに死んでくれれば僕らは人質を解放してあげる よ」
誰もが嘘だとわかる笑顔で、言葉で言うイスラ。
普通なら誰もが突っぱねるその要求も人質をとられている現状では飲むしかない。故にアキトは腰に差していたアルヴァを、マントに隠していたアコナイ トをイスラたちへと放り投げる。
「これでいいか」
「もちろん。ビジュ?」
「わかってるぜェ。くっくくく……いいザマだなぁ根暗野郎。今までテメェには散々世話になったからなァ、その礼をたっぷりしてやるぜ!」
卑下た笑みと狂気を纏ったビジュが取り出したのは何本ものナイフ。
「さーて、どこからやってやろうか!」
「兄ちゃん!?」
投擲、ナイフは見事にアキトの右前腕に突き刺さり、真っ赤な花が空に咲いて子供たちの悲鳴が響く。
いくら回復するとはいってもアキトにも痛みはある。だが、たかだがナイフ一本程度ではアキトは顔のパーツをどれも動かさない。
それがまたビジュの嗜虐心をそそらせ、次を投擲させることになる。
左前腕、右上腕、左脛、右大腿、左上腕、右脇腹、左肩、右足首、左大腿、その他頭や心臓などの重要な部分以外は全てナイフが突き刺さっていた。その 姿はハリネズミにも見えなくはない。
「イヤッハア! 気持ちいいぜ! こんなに壊れにくいオモチャで遊ぶことが出来るなんてなぁ!!」
多少なりとも整っていた顔を一層、醜く歪ませて狂気の笑いを上げるビジュ。彼にしてみれば、今やっていることは的が生きているか生きていないかの差 しかない射的ゲーム。
それを殺さないように、末端からゆっくりと追い詰めて行く感覚に酔いしれているのだ。
だが、イスラはそんなビジュを冷ややかな目で見下している。
(あれだけのナイフが刺さっているのに眉一つ動かさない。それに血は出ていても唇の色は血色を失っていない。……これは本格的に処理しないと厄介事 になるか)
狂気と愉悦で周りが見えていないビジュとは違い、イスラは冷静にアキトのことを観察していた。
彼が所属するところは諜報部。故に物事を瞬時に判断しなければ致命的なことになりかえない部署でもある。その事からもイスラは常に周囲を警戒し常人 よりも遥かに鍛えられた勘を信用している。
その勘が、目の前の存在は危険だと告げていた。
「ビジュ。お楽しみのところ悪いけどそろそろ終わらせてくれないかい? もうすぐ姉さんたちが来てもおかしくはない。
人質という絶対の切り札がある以上、心配することはないけど万一ということもあるからね」
「……ちっ、少し遊び足りないがまあいい。んじゃ、あばよッ!!」
「「兄ちゃぁん!!」」
「黒百合!!」
ビジュが投擲した一本のナイフ。それは真っ直ぐにアキトの心臓に向かって進んでいく。
誰も動かない。否、動けるわけがない。スバルは未だビジュの足下、パナシェとゲンジはアキトよりも遠い位置。仮に動けても人質となっている郷の者達 が死んでしまう。
迫り来るナイフを音で感じ取りつつも、アキトはまったく別のことを考えていた。
そう、今この場にいないサレナが首尾よく事を運んでいるのか、と。
先端がアキトの服を引き裂く。同時に茂みが鳴る音が届く。
刃先が皮膚に届く。茂みから出て来た集団がその姿を捉える。
刃先が心臓に触れる。もう一方の集団も現れる。
刃が心臓を貫く。その光景に誰もが目を疑いそして彼の名を叫んでいた。
ゆっくりと崩れ落ちていく体。それは、さながら糸の切れた操り人形のようにとても自然に。
そんな中、真っ先に動いた人影が一つ。
「アキトさん! アキトさん!!」
ファリエルだった。崩れ落ちる寸前だったアキトの身体を抱きとめ、必死に呼びかける。
例え、それが無駄な事とわかっていても。
それがきっかけとなり他の者たちも一斉に駆け寄っていく。
「ヒャーッハッハッハッハ!! いいねェその面、面白すぎて腹がよじれちまうぜ」
「ビジュ!?」
「いよォ隊長殿に副隊長殿ォ。遅かったじゃないですか。あんまりにも遅くて待ちくたびれちまったんで、ちょっと一人ばかり片付けておきましたぜ」
ナイフを弄びつつ、相変わらずの顔で遅れてやってきたアズリアたちに言うビジュ。
片付けた――その言葉に島の住人たちから殺気が湧き上がり、イスラはビジュの言葉を選ばない口にやれやれと肩をすくめる。
「ま、厄介ごとが一つ減ったと思えばいいんだよ」
「イスラさん!?」
「ふふっ、みんななんて顔してるのさ? 仲間同士、疑うことをしない君たちだからこんな不覚をとるのさ。
もっとも、さっき死んじゃったそこの彼は気づいていたみたいだけどね」
ビジュの一歩前に出てきたイスラ。彼はビジュに目配せして足蹴にしていたスバルを、人質となっている者たちを島の住人たちに見せつけるように掲げ る。
アキトとの約定は命を奪う代わりにスバルの解放。だが約定をした本人が消えては無効となってしまう。
そこでイスラは本来の目的に移るために再度利用したのだった。
「さてと、悲しんでいるところ悪いけどいいかな?」
「どうして……どうしてこんなことをするんですか!?」
「どうしてって言われてもね……僕が帝国軍諜報部の工作員であり、君が持っている剣の奪還を命じられた軍人の弟だから……かな?」
事実を知らなかった者たちが一斉にアズリアへと振り返る。
俯いたままのためアズリアの表情はわからないが、少しだけ――本当に少しだけ肩が震えていた。
「……まさか、お前がビジュと接触していたとは思わなかったぞイスラ」
だが上げた顔はいつもの鉄面皮。心の動揺は必死に奥深く底へと押し込めて。
「秘密を守るのは諜報部の鉄則だからね。計画を実行するまでは姉さんにも話すことができなかったんだよ」
「選択の余地はなし、か」
「体面を気にするあまり失敗を失墜にしてしまったら、それこそ本末転倒でしょう? 汚れ役は僕が引き受けるよ。姉さんはただ黙認してくれればいい」
「……わかった」
アズリアが少しだけ逡巡していたことが気になったが、満足のいく答えが返ってきて笑みを浮かべるイスラ。
策謀する者の浮かべる笑みをそのままに、アティたちへと向き直り徐に言葉を紡ぐ。
「それじゃあ取引といこうか?」
「これを、渡せばいいんですね?」
「さすが聡明な先生、よくわかってるじゃないか。ほら、姉さん。ああ言ってるんだからもらっておいでよ」
「……すまん」
住人たちの非難を一身に浴びながら、アズリアはアティにしか聞こえない声量で謝罪していた。
そしてアキトに視線を向けて、また小さく謝罪してギャレオたちの元へと帰っていった。
「ほら、もう二度と手放したらダメだよ」
「さあ、これで文句はないはずです。みんなを解放してください!」
「ああ、いいとも」
「ほらよッ」
「せんせえっ! おいらのせいで、兄ちゃんが! 兄ちゃんが!!」
「スバルくん……」
「スバルはワシが何とかしておく」
泣きじゃくるスバル、パナシェを落ち着かせようとするゲンジが後ろに下がる。
「さあ、人質の皆を解放してください」
朗々と響くアティの声に対し、ビジュもイスラも笑うだけ。
まるで面白い冗談を聞いたかのように、低く笑い続ける。彼らに人質を解放する気は、まったくない。
「どういう、つもりですか」
今まで沈黙を保っていたファリエルの言葉は、皆の気持ちを代弁していた。
碧の賢帝さえ渡せば人質は解放されると疑わなかった彼らならではともいえる。
「品物ひとつに対して人質が一人、正当な対価でしょう? 全員を解放してほしいんだったら、また別の対価を用意してもらわないとね」
「アキトさんの命を奪っておいて!!」
「彼? 彼は取引とは違う。彼はあまりにも危険だったから『処分』したんだよ。もう少し早かったら僕のほうが殺されていたからね」
ある意味では正当防衛と言えるかな? 薄っぺらい笑みから紡がれたその言葉にその場にいた全員を激昂させるには十分すぎる一言だった。
全員が今すぐにでも駆け出したいのだが、如何せん人質を取られている現状では動きようがないのだ。イスラもそれをわかっているから挑発するような言 葉を選んでいるのである。
「これ以上、なにを望むっていうんですか」
「そうだね……君の命かな?」
「イスラ!?」
「使い手が死ねばもうこの剣の力におびえなくてもいい、違いますか!?」
「ヒヒヒッ、隊長殿まさかイヤだとかぬかしたりしないでしょうねェ?」
反論のしようがないほどの正論をぶつけられてアズリアは言葉を詰まらせる。彼女の個人的感情はこれ以上、弟が堕ちていく様を見たくはない。だが軍人 として任務を優先しなければならないのもまた事実。
二つの感情は、軍人としてのアズリアに軍配が下った。
「みんなのために犠牲になれるんだ。アティ、いかにも君にふさわしい結末だと僕は思うけど? それともやっぱり自分の身のほうがかわいいかな?」
「……わかり「その必要はありません」まし!?」
突然に空から声にアティの言葉は中断される。声の主は、静かに住人たちの一歩前に――自然とアキトとファリエルの元へと降り立った。
「サレナさん……」
「確かサレナ、とか言ったね。僕の聞き間違えでなければいいんだけど、アティが命を捨てる必要はないって?」
「ええ、そう言いましたが」
淡々とイスラが言ったことを肯定するサレナ。
もしそうなれば人質たちの命を彼女自らが手放したことになる。
「ヒャハハハハ!! こいつはいいぜ! まさかテメェの口から人質を殺してもいいなんて言葉を聞くたぁなあ!!」
「殺す? 私がいつそのようなことを言いました?」
「あんだと!?」
「私が言ったのはアティ先生が命を絶つ必要はないということ。つまり、貴方たちはもう二度と人質に触れることは出来ないと言っているのです」
「言うじゃあねかよぉ……だったら、こいつらが死んでいく様を見ていろやァ!!」
アキトに向けて投げていたナイフを人質となっている住人たちに向けるビジュ。血走った彼の双眸が決して虚言ではないことを物語る。
焦るアティたちとアズリア。冷静に見守るサレナ。何かがおかしいと考えを張り巡らせているイスラ。
「死ねやァァァァ!!」
ビジュがナイフを振りかぶった瞬間、それは起こった。
今まで雨と雷鳴しかなかったはずの地に、突如として突風が吹き荒れたのだ。それも風は人質たちを守るように軍人たちの間を吹き荒ぶ。
「な、なんだッ? この風……まとわりついて!?」
「これは……まさか!?」
「よう、辛抱したなサレナ。そなたが、時を稼いでくれたおかげで結界を張る用意ができたのじゃ……見るがよい!!」
ゆっくりと、まるで散歩をするような軽い足取りで現れる妙齢の艶女が手を振り上げる。
すると今まで吹き荒れるだけだった風が、渦を巻いて舞い上がりあらゆる害を取り除く壁となる。
何人か、竜巻の威力に押し負けずに残っていたが彼らの武器は風の壁に一切通じない。まさに絶対防壁といったところだろう。
「竜巻、だと!?」
「これで、もう貴様らは郷の者には指一本触れられはせぬ」
「この女……余計な真似を」
「いつまでも余所見をしているとは……随分と余裕だな」
悪態をつくビジュの目の前、額に突きつけられた黒塗りの銃口。そして紡がれたいつもの無機質ではなく怒りを感じる言葉。
「な、ンなばかな!?」
「うそ……」
「マジかよ……」
「そんな……」
その場にいる全員――アティやカイル一家たちだけ――が呆気に取られていた。
それは仕方がないだろう。ついさっきまで死んだと思っていたはずの者が、死んでいたはずの者が平然と動いていれば。
「おはようございます、マスター」
「ああ、色々とすまなかったなサレナ、それにファリエル」
「ゴゲバッ!?」
ビジュの顎を蹴り上げて二人の元へと舞い戻るアキト。結構鈍い音がしたり白目を向いてたりしているが、そんなものは一切無視。
「どうして……心臓を貫かれて何故生きているんだ!?」
イスラの悲痛な叫び。いくら彼とて死んだはずのヒトが生きていることは不思議を通り越して不気味なのだ。そして、それは他の面々も知りたいことでも あった。
それを知ってか知らずか、破顔するアキト。それが余計に不気味なのは言うまでもなし。
「そういえば言ってなかったな。俺を殺したいのならここを壊すか、細胞単位で消滅させるしかない」
指先で叩いたところは脳――つまり、アキトの身体を蝕むナノマシンの動きを司る補助脳が存在しているところ。
これさえ壊されなければ、よほどのことがない限りアキトの体中にあるナノマシンが傷を修復していくのだ。
故に、心臓を貫かれた程度では死なないのである。
サレナは初めからそのことを知っており、またファリエルは駆け寄った時にアキトから直接聞いた。だから二人はアキトが甦っていても何ら不思議には思 わない。
後でファリエルにはこっぴどく怒られることになるのだが、それはまた余計な話。
「さて、色々と好き勝手放題してくれたな貴様ら。人質もいない以上覚悟は出来ているな?」
「は、人質がいなくたってなにも問題はないさ。あいつらはもう剣の力を頼ることはできないんだからね。さあ、返り討ちにしてやるんだ!!」
イスラの号令のもと、人質を守る竜巻をどうにかしようと躍起になっていた兵士たちはそれを諦め、アキトたちへと襲いかかる。
だがイスラは失念している。アキト本来の実力を。そして普段は抑えこまれている感情が僅かでも吐露されていることに。
それはアキトだけはなく、サレナもまた同じだった。彼女の顔は無表情だが心の中は憤怒が渦巻いていた。
いくらアキトの言葉があったとはいえ、ミスミを呼びに言っている間にナイフで弄んでいたビジュたちのことは知っていた。
だからこそ許せなかった。だからこそ決めた。
「すみませんが皆さんは先に帰っていてください」
全てを滅ぼすことを。
「え!?」
「おいおい……いくらなんでもそういうわけにはいかんだろ」
「そうよ! 皆で戦ったほうがいいって!!」
真っ先に反応したのはアティ、カイル、ソノラ。アリーゼやベルフラウ、ヤードもスカーレルも口にこそ出していないが同じ想いであった。
だが
「わかってるわ」
「委細承知」
「へーへー」
「わかっています」
「少しは加減せいよ?」
護人たちとファリエル、ミスミは違っていた。彼らは素直にサレナの言葉に従い、アティたちを後ろへと押しやっていく。
「どうしてですか!?」
「あのお二方が本気となられたなら、我々が手を出すことは逆に危険なのです」
「そう。私たちが束になってもあの二人は決して敵わない」
「だからこそあの二人に後を任せるのじゃ」
「わかったならほら、けーったけーった」
それに――この先の地獄絵図を見せるわけにはいかない。
それが彼らに共通する想いでもあったがため、彼らは無理矢理にでもアティたちを連れてその場を離れていくしかなかった。
戦いの合図を告げたのは一発の銃声。
アキトの手に握られた規格外の銃口。そこから放たれた魔力の弾丸が六人の軍人の胸を貫く。
兵士たちは自分の胸を見、信じられないといった表情のままで息絶えていった。
驚きの度合いに差はあれど、他の者たちも表情は同じであった。アキトは今まで戦闘不能に追い込むことはあっても決して命までは取らなかった。
それが今はどうだ、表情一つ変えることなく規格外の銃を操り無慈悲に兵士の命を奪い去っていく。まるで死神のように。そして銃声が一発しか聞こえな いほど熟練された腕に。彼らは恐怖を覚える。
「何ビビってんだよ!! あんな野郎、召喚術でも打ち込めばいいだろうがッ!!」
ビジュの怒号でしばし呆然としていた兵士たち、召喚師たちが慌ててサモナイト石を取り出し召喚しようとする。
「あら、いつまでもマスターの方を見ていてよろしいのですか」
だが死神は一人ではない。
漆黒の鎧を纏い両腕にハンド・カノンを具現化させたサレナが踊る。人には決して不可能な宙での旋回、あるいは急加速を駆使して兵士たちの間を飛び交 い、目についた滅ぼすべき敵を片っ端から撃ち貫いていく。
空を舞い、漆黒の髪が陽光を浴びて輝くその姿は死神というよりも女神。まるで死者の魂をヴァルハラへと運ぶヴァルキリーのよう。
しかし兵士たちにとってはやはり死神。暗黒と漆黒、意の異なる二つの黒い死神の手によって住人たちを人質にしていた――すなわちビジュに従った兵士 たちはイスラ、そしてビジュを残して全てが息絶えていた。
これは何の悪夢だ? イスラは目の前の凄惨たる光景が夢ではないかと思ってしまう。否、そう思わなければ気が狂いそうだった。
数こそそれほど多くはないが、全員がほぼ五体満足だった。それがたった二人の手で全滅させられたこの光景を。
「テメェら……よくもやってくれたなァ!!」
その恐怖を振り払うかのように吼え、召喚術を行使しようとするビジュ。その行為が自らの掘った墓穴をさらに大きなものにしたことに、果たして彼は気 付いたのだろうか。
否、気付いていたならこんなことはしない。慌てて静止しようとするアズリアも、傍観を決め込んでいたイスラも直後の光景は信じられないものだった。
「――地獄で反省してこい」
下から上へ、切上の形で振るわれた漆黒の剣。数多の血を吸って刃こぼれ一つおこさないそれをビジュが躱すことが出来たのは僥倖とも呼べるだろう。
だが、妖刀にも似た禍々しさを放つそれが傷一つ付けずに終わらせるはずがなかった。
「――あ?」
ビジュの間の抜けた声。彼の視界には見慣れた帝国軍の制服、それも腕だけの。
「――――あ?」
それを掴もうと右腕を伸ばそうとしたビジュのまた間の抜けた声。あるはずのものが、本当ならついているはずのものが決して動こうとしなかったのだ。
ゆっくりと、事実を恐れるように自分の右腕に目を向けるビジュ。そこに――彼の腕はなかった。それも根元から綺麗にごっそりと。
「ひ、ひぎゃあああぁぁぁぁアアァアァァァァアアァアアァァ!? う、腕! 俺のウデエエェェェェェエエエェェエェ エェエエエ!!」
思い出したかのように引き出す真紅の血流をまき散らし、ビジュは恥も外聞も関係なく右腕を押さえて転げ回る。
いくら押さえても根元から斬り取られたのだから、そうそう簡単に止まるはずがない。
「見苦しい。貴方がやってきたことを考えればこれでも足りないぐらいでしょうに」
「他人に痛みを与えるのはいいが、自分の痛みは嫌だ……典型的な腐れ外道か」
冷ややかに見下す二対四つの瞳。それも一瞬だけで今度は人質を取った真犯人――すなわちイスラの方へと向けられる。
イスラは心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。彼はラトリクスの集落で世話になっていたためサレナとは何度か会うことがあった。
その時の瞳は他者を労り優しく慈愛に満ちていたもの。今の彼を見ている冷ややかで人を人と思わないような瞳ではなかった。
「――覚悟はいいかイスラ?」
「ッ!?」
向けられた切っ先に息をのむイスラ。彼の計画では剣を奪い、そして使い手であるアティの命を奪ってゲームセットとなるはずだった。
だが現状はたった二人の手で脆くも崩れさっていき、今は逆に敗者となる寸前まで追い詰められている。
「地獄で待っている連中と仲良くやるんだな」
振り下ろされる漆黒の刀。イスラの脳天へと吸い込まれるように向かってくるそれをどこか他人事のように感じながら、イスラは静かに目を閉じた。
だがやってくるはずの痛みはなく、代わりに金属と金属がぶつかり合う音が彼の耳に届く。
恐る恐る、目を開けたイスラの前には見慣れた人の姿。
「姉……さん」
「邪魔をするな」
「そうは……いかない! この子は私の大切な、たった一人の弟。それが殺される様を黙って見ていることなど出来るか!!」
イスラを守る、その想いから必死にアキトの剣を止めているアズリア。彼女が連れていた兵士たちもビジュの治療を行っている者やサレナへと向かう者。 それぞれが彼らを守るために戦い始める。
その真っ直ぐな想いが、大切にしたいという想いがまたイスラの心に棘となって突き刺さっていくとも知らずに。
「マスター、これ以上は」
「わかっている。当初の目的は達した。退くぞ」
もちろんこれはただの口実。その気になれば全員を滅ぼすことなど容易い二人だが、窮鼠猫を噛むの言葉があるように今のアズリアたちは何をするかわか らない。
故にこの場は退くことを選択したのだった。
アキトやサレナもアズリアのことはそれほど嫌いではないため、殺したくないのもまた事実。
「次も同じことをすれば……その時は誰であっても殺す。覚えておけ」
そう、最後通告を残し、
「……許さない。お前だけは絶対に」
一人の心に昏い影を残して。
あとがき〜
ども、色々やっちゃた感のある火焔煉獄っす。
ノリで筆を進めてたらこんなことに……アキトが人外通り越してたりとか、イスラがへたれてなかったりとか、ビジュが大変なことになったりとか……
とりあえずシリアスは一旦おいといて、次回はギャグもどきにはしります。
ではまた次回。